1. 鈴鹿山脈/登山日記
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近江国の道路地図。京都大学貴重資料デジタルアーカイブの中井家文書に「近江国[中山道図]」として収録。延宝七年写しとある。

文字の判読は素人には難関。鈴鹿山脈の山名は「四月朔」にワタヌキとあるだけ。藤原岳付近に「鈴鹿山嶽」とはあるが。山越え道は小林越(中仙道らしい)から油火越(油火村~つげ)まで十一ヶ所にあるが、残念ながらマトモに判読する能力がない。

1634~1679(寛永11~延宝07)の間に作成の「近江地図」が西尾市岩瀬文庫にあり、文言がかなり一致する。千種越と大川原越(大河原~こもの、桑名)の間に仁正寺越(伊庭~千種)があるが具体的なルートは謎。後に近江輿地志略に仁正寺から千種村へ出ると記載され、伊勢国細見図の原稿と思われる手書き地図にもメモがある。適当なルートを思い付かないが、大河原越の記載に錯誤がありそう。千種越の塩津・根平、大河原の伊勢側にある集落など山間集落が興味深い。(作成 2020-08-12、更新 2023-01-16)

江戸幕府の命で作成された絵地図。国立公文書館デジタルアーカイブに「近江国(元禄)」として収録。一部の文字が摩滅している。他に、滋賀県立図書館の近江デジタル歴史街道にも「近江国絵図/元禄(1701年)」として収録。聖心女子大学図書館デジタルギャラリーの「近江国地図」は読みにくいし、左下一覧にタイトルがなかったり、北霊山が小霊仙だったり。

鈴鹿山脈で名称が記載された山は、北霊山、本霊山、中霊山、中河内山(美濃側:藪谷山)、三國嶽、鈴ヶ嶽、御池嶽、君ヶ畑越(伊勢側:治田山)、釈迦嶽、水昌嶽(伊勢側:ゆる木石山)、高畑山(伊勢側:鈴鹿山)、油日山(伊賀側:北打山)。他に、梓山、仏返(国立公文書館・天保国絵図は仏通)、八尾山(国立公文書館は摩滅か)、観音山(百済寺付近)、飯髙山(入道ヶ原付近)、大萩山は日本コバ、綿向山(国立公文書館は摩滅か)。伊吹山に池一ヶ所、霊仙山に池三ヶ所あり。

鈴鹿主脈の山越え道は、五僧、焼尾越、君ヶ畑越、八風越、根平峠千種越、大久保越、小岐須越、安楽越、鈴鹿越、余野。また、中仙道に摺針峠、八重練~杉の間に杉峠がある。(作成 2016-05-07、更新 2023-01-19)

寛保二壬戌年九月吉日とある。西尾市岩瀬文庫及び近江八幡市立図書館の「近江国細見図」、西尾市岩瀬文庫の文政七年の再版「近江国大絵図」ともに虫損が目立つ。岡山大学滋賀県立図書館は解像度が劣り判然としない。

鈴鹿山脈には、鷹野山、梓河内山、本㚑山(本霊山)、中㚑山(中霊山)、五僧、冷ヶ嶽、御池嶽、焼尾峠、茨茶屋、君ヶ畑越、八風越、釈迦岳、水昌嶽と少ない。山越え道は名称の記載はないが、中仙道、千種越、安楽越、東海道、加太越が書かれている。

柏原の南にある鷹野山は何処か。本㚑山、中㚑山周辺に池が四ヶ所あり、大きさや間隔が書かれている。水昌嶽は千種越の南にある。(作成 2016-05-07、更新 2023-01-16)

延享元年に写したと書かれている。東京国立博物館の古地図データベース伊勢国図のうち、3枚目の画像が見やすい。

鈴鹿山脈で名称があるものは、三国岳、熊坂岳、藤原岳、治田山、治山越、丹生川山、田光越、八風越、𦊆見岳、千種越、鳥越岳、鎌ヶ岳、水沢コヘ、水沢山、入道岳、野登、仙人岳、三子山、フナケ峠、鈴鹿山。

山越え道の九件に行き先の記載がある。大祖父畑村、野尻村(治山越)、政所村(田光越、八風越)、根ノ平村(千種越)、大河原村、木地山村(水沢コヘ)、アイカ村、黒川村、土山(フナケ峠、京海道)。

𦊆見岳は国見岳なのか。仙人岳の表記は伊勢国細見図(1861)の手書き原稿にもあった。山越え道のうち、野尻、木地山は何処だろう。三子山にフナケ峠とあるが正体不明。(作成 2016-05-07、更新 2020-07-30)

霊仙山の古地図。裏面に宝暦九己卯年八月の日付があり、地図右下には坂田郡の庄屋の名前が列挙されている。

残念ながら地図中央の上部が欠損している。欠損の右に中㚑仙(中霊仙)があるので、元禄国絵図と比較すると欠損部には北霊山、本霊仙があったのか。

欠損の左側には此裏藪谷、藪谷峠、此裏多賀河内四ヶ村、三国嶽、ゆく里たわ(幾里たわ?)など、地図左端に阿さみヶ嶽、地図下端に阿弥陀嶽がある。中央の漆ヶ滝から右へ丹生川が流れ、赤線は道だろう。梓河内道とか古道とか書かれている。黒線は土地境界か。「境目」とある。中央左右のものが犬上郡・坂田郡境界なら分水嶺の三国嶽(谷山)に達していないが何故だろう。

ヤマレレにYAjinomotoさんの記事「霊仙山古地図のこと」(2018年04月28日付)を見つけたので調べると、新日本古地図学会のサイトで当該地図「滋賀県坂田郡 古地図 米原市」を見つけた。同サイトにある地図は公開内容が中途半端なものが多いので放り出していたが、この地図(例えば)は充分に閲覧可能だ。適当なタイトルがないので「霊仙山」としておく。(作成 2025-04-23)

文化庚午(1810)の写し。「国堺不相知」など国図のような記載がある。西尾市岩瀬文庫で閲覧した。

鈴鹿山脈で名称があるものは、(美濃国ニテ)烏帽子ヶ岳、三国岳、鈴ヶ岳(一名藤原岳)、治田山、茶屋、丹生川山、釈迦ヶ岳、田光越又八風越、国見岳、根平、(江州デ)水晶岳、鳥井戸山、鎌ヶ岳、水沢越、水沢山、入城ヶ嶽、入道岳、鮎川越、野登山、安楽越、峠茶ヤ、加太越。他に東海道を含め無名の山越え四ヶ所の記載があり、千種越は道の朱線の記入がない。坂ノ下~牛谷(加太)に朱線の道あり。

山越え道の行き先は、王子畑、君ヶ畑村、政所・片瀬(八風峠)、早津畑村、大河原村、キチ山、大河原村(鮎川越)、黒川村・安原村(安楽越)、山中村・土山、岡鼻村・柘植村。伊勢国図(1744)にもある「キチ山」とは何処か。

鈴ヶ岳に「一名藤原岳山上有池惟喬親王御所跡」とある。鈴ヶ岳と藤原岳を同一視する地図は珍しい。治田鉱山の村名は混乱しているような。切畑、田口の上(現在の三池岳付近)に釈迦ヶ岳あり。杉谷、田光の上(現在の釈迦ヶ岳付近)に国見岳あり。湯山谷~大河原の山越えの北に鳥井戸山あり。現在の山名や位置と相当に異なる。正体不明の入城ヶ岳は聖心女子大学の伊勢国図にも記載がある。(作成 2019-06-11、更新 2023-01-16)

皇居炎上や関東大震災で失われた「大日本沿海輿地全図」(1821)の復元図。アメリカ議会図書館の資料を国土地理院が彩色したもの。古地図コレクションの「伊能大図彩色図 索引図」から閲覧できる。

近江 伊勢 尾張 美濃 大垣 加納」に記載の鈴鹿山脈近辺の名称は伊吹山から南へ、松尾山、雨乞山、タカツコ山、深沢峠、ヱクリ岳、熊坂山、藤原山、竜ヶ岳。ヱクリ岳は幾里山しか思い付かない。養老山地は養老山、庄ノ嶽、多藝山、御林山、飯盛山、多度山、愛宕山。養老山と多藝山(多芸山)は別の山になっている。

近江 水口 伊勢 桑名 神戸 亀山 伊賀」に蝙蝠山、福王山、釈迦岳、大方岳、冠岳、御在所山、釜嶽、水沢山、入道岳、仙ヶ岳、野登山、明星山、鈴鹿峠、武名尾山、茄子嶽、三國界山、竜王山(土山宿)、笹尾峠、綿向山、布施山(河合村)。釜嶽、御在所山、冠岳が並び奇妙。茄子嶽の三文字目は読み難い。

近江 琵琶湖」に荒倉山、高野山、㚑山(霊山)、三國峠、鍋尻山、杉坂峠、多賀山、八尾山、高取山、松尾山、百済寺山。鍋尻山北の三國峠は正体不明。(作成 2019-01-24、更新 2020-08-01)

  • 伊能中図 中部近畿

  • 作成:1821(文政04)
  • 作者:伊能忠敬
  • 複製:陸軍参謀局
  • 複製:1874以降(M07以降)
  • 収蔵:国土地理院
  • 古地図コレクション

伊能忠敬の原図(1821年(文政4年))から作成されたもの。閲覧は国土地理院の古地図コレクションの「伊能図一覧」から。

沿岸部の測量なので鈴鹿山脈の最深部は空白。鈴鹿山脈の名称は深坂峠、熊坂山、藤原山、竜ヶ岳、蝙蝠山、釈迦岳、大方岳、釜ヶ岳、仙ヶ岳、入道岳、明星山、綿向山、百済寺山、八尾山、多賀山、鍋尻山、霊山。周辺には伊吹山、多度山、雀頭山などが見える。

国土地理院の古地図コレクションに「官板実測日本地図 畿内 東海 東山 北陸」(1870(M03))がある。伊能図をもとに幕府が編集したもの。伊能中図に山名のない「小池山」がある。御池岳のことか。(作成 2016-05-07、更新 2020-08-01)

文政十八庚寅年春とある。西尾市岩瀬文庫にて閲覧した。北勢地域では東海道と巡見街道が赤書きされている。国土地理院の古地図コレクションに解説がある。

鈴鹿山脈は山下岳、三國岳(又熊坂峠トモ云)、鈴ヶ岳、御池岳、藤原岳、治田山、銀山、丹生川山、国見岳、水昌岳、鳥井戸山、ユルギ山、御在所岳、三岳寺旧跡、水無瀬山、湯山、三本杉、鎌ヶ岳、冠ヶ岳、入道岳、石大神、国見岩、雞足山、仙ヶ岳、明星岳、羽黒山、三箇山、鈴鹿山。錫杖岳は峨々とした山として描かれている。

山越え道は、リウゲ越、野尻越、無名(大君畑へ)、治田越(君ヶ畑倉越、八田越)、田光越(八風峠、ユツリ尾村へ)、千種越(千種村ヨリ江州蒲生郡根平村へ凡二里半)、無名(薦野ヨリ大河原村ヘ)、無名(大久保ヨリ大河原村ヘ)、鮎川越(鮎川村)、安楽越(安原村、黒河村、土山へ)、無名(土山駅ニ至る峠に勢伊江三國ノ界アリ、亀山駅ヨリ境目迄三里但此打峠ヲ江州ニテ高畑ト唱ウ)、鹿伏兎越(大剛寺峠、岡花村へ、一ツ家は加太の内)。

国見岳は千種越の北側、水昌岳はその南。「伊勢鳥井戸山ヨリユルキ山へ続ク」は具体的な位置が不明。鈴鹿峠に名称記載(「江州ニテ高畑」だが)がなく、近くに「三國ノ界」があるらしい。これを受けて、奇妙な教材地図である三重県郡村明細図(1877(M10))が出来上がったか。(作成 2019-06-11、更新 2023-01-16)

全国地図。国立国会図書館のデジタルコレクションに収録されており、鈴鹿山脈関係の地図は伊賀國伊勢國近江國美濃國。国土地理院の古地図コレクションに解説がある。

また、国文学研究資料館(人間文化研究機構)から鮮明な伊賀國伊勢國近江國美濃國を閲覧できる。徳島大学附属図書館の貴重資料高精細デジタルアーカイブも見やすい。

名称は伊勢國に三国岳、熊坂岳、藤原岳、茶ヤ、釈迦岳、国見岳、御三所岳、湯山、入道岳、峠茶ヤ、ス〃カ山。近江國にシャカタケ、水昌岳。

山越え道は多数書き込まれている。伊賀國に加太越・大剛寺峠。伊勢国には峠名称はないが、行き先で大祖父、保月、君ヶ畠、キハタ(黄和田か)、府津畑(甲津畑か)、大原(大河原か)、木地、鮎川、アケミ原、土山、柘植。近江國に子モノカタリ、八風越、東海道、行き先で野尻村、茶屋村(銀山のことか)、千種、湯山、小岐須、安楽。良く解らない山越がある。伊勢国の藤原岳南北に「ノシリ」があり、北はノシリ-大叔父畑、南はノシリ-保月。後者は篠立、古田経由で五僧越に行くのか。鈴鹿郡・坂本-鮎川の経路は如何に。

なお、ベルリン州立図書館伊勢國再編神戸大学付属図書館の伊勢國再編には、三国岳、竜華コヘ、藤原岳、治田、銀山、丹生川山、田光コヘ、國見岳、千種コヘ、鳥井戸山、水ナセ山、鎌ヶ岳、入道岳、石大神、雞足山、仙ヶ岳、三子山、鈴鹿山、加太越。(作成 2016-05-07、更新 2023-01-16)

西尾市岩瀬文庫に収録されている。

また、岐阜大学機関リポジトリの細見美濃国絵図詳細画像として収録されているが画像のコントラストが低い。信州大学附属図書館の近世日本山岳関係データベースにも収録されているが、画像処理を誤ったのか最下端が重複している。岐阜県歴史資料館の細見美濃国絵図は彩色されて綺麗だが倍率が不足で解像感がやや劣る。

鈴鹿山脈は霊山、三国山の山名のみ。時山から五僧への道がある。周辺に、伊吹山、笙岳、養老タキが見える。(作成 2016-05-07、更新 2023-01-16)

江戸幕府の命で作成された絵地図。国立公文書館デジタルアーカイブに収録。

鈴鹿山脈で山名が記載されたものは、いく里山、藪谷山(近江側:中河内山)、三國ヶ嶽、烏帽子ヶ嶽(伊勢側:熊坂ヶ嶺)。また、山越え道は時山~五僧経由の道が描かれている。(作成 2016-05-07)

江戸幕府の命で作成された絵地図。国立公文書館デジタルアーカイブに収録。

鈴鹿山脈の名称は、熊坂嶽(美濃側:烏帽子ヶ嶽)、三國嶽、鈴ヶ嶽、治田山(近江側:君ヶ畑越)、釈迦嶽、ゆるき石山(近江側:水昌嶽)、三高山、鈴鹿山(近江側:高畑山)。薦野温泉の地名があるが周辺の山名は記載なし。

山越え道は、りうけ越(近江側:焼尾越)、治田越(近江側:君ヶ畑越)、八風越、千種越(近江側:根之平峠千種越)、大河原越(近江側:大久保越)、鮎川越(近江側:小岐須越)、安楽越、鈴鹿越、大岡寺峠あり。

残念ながら文字が読み難いもの、摩滅しているものがある。一部は近江国図で確認できる。(作成 2016-05-07、更新 2020-08-01)

  • 天保国絵図 伊賀国

江戸幕府の命で作成された絵地図。国立公文書館デジタルアーカイブに収録。

鈴鹿山脈は、余野、北打山(近江側:油日山)、大岡寺峠のみ。(作成 2020-08-01)

江戸幕府の命で作成された絵地図。国立公文書館デジタルアーカイブに収録。また、前年の天保八年の石高を記載した地図が Stanford Digital Repository と、近江デジタル歴史街道にある。

鈴鹿山脈の名称は元禄国絵図と同様に見える。文字は判読しがたい。Stanford 版は判読しやすいが一部が傷んでいる。(作成 2016-05-07、更新 2022-01-16)

  • 細見新補 近江国大絵図

  • 作成:1856(安政03)
  • 著者:徒然庵耊
  • 発行:舛屋勘兵衛他
  • 収蔵:西尾市岩瀬文庫
  • 古典籍書誌データベース

幕末の近江国絵図。西尾市岩瀬文庫に収録。滋賀県立図書館のものは検索しても出て来ないので行方不明。

鈴鹿山脈の山間地にある神社仏閣、滝、池、洞窟などの名所に短い解説があり面白い。例えば、㚑山に池が三つ書き込まれ龍神が棲むとある。ただし、文字を判読しがたいものあり。

鈴鹿山脈の山名は国境尾根の周辺に、北㚑山、中㚑山、本㚑山、三国峰、冷ヵ嶽、御池山、鈴タケ、釈迦ダケ、綿向山、玉緒山。国境から離れて、梓山、松尾山、鳥籠山(床ノ山)、八尾山、押立山、釈迦山、甲カケ山(日本コバのことか)、音羽山。

梓山は現在の三等三角点「梓山」か。冷ヵ嶽は天保国絵図では鈴ヶ嶽が書き込まれている位置。犬上郡佐目の南付近にある鳥籠山(床ノ山)は壬申の乱の戦場・鳥籠山(とこのやま)か。大日本地名辞書は「鳥居本村の南、大字原の上方にある正法寺山」としている。天保国絵図も同様。中仙道沿いの方が説得力がある。綿向山の南には熊野信仰の神社が多数。(作成 2019-01-25、更新 2023-01-16)

従来の伊勢国図数帖を校訂して作成した携帯用地図。発行時には文久に改元されたのか、タイトルは「文久改正伊勢国細見之図」。海上保安庁の海図アーカイブに伊勢国細見図とその基図とみられる手書き地図が収録されているが、Flash Playerの廃止後は拡大表示が出来ない。

西尾市岩瀬文庫は閲覧の操作性が良い。三重県立図書館の伊勢国細見図は、用意された高精細画像が文字を読み取れない欠陥品だが、新たに用意されたPDF版は良い。

鈴鹿山脈周辺を見る限り、三国岳と熊坂山の逆配置は伊勢国図(1744)に、山の並び、川の流程、村落の配置、錫杖ヶ岳の扱いは細見伊勢国絵図(1830)に似ている。

鈴鹿山脈の山名は、三国岳、熊坂山、藤原岳、治田山、丹生川山、福王山、国見岳、水昌岳、鳥井戸山、水無瀬山、御在所岳、鎌ヶ岳、冠ヶ岳、入道岳、雞足山、仙ヶ岳、明星岳、羽黒山、筆捨山、三箇山、鈴鹿山。

山越えは、熊坂峠、竜華越(大君ヶ畑村)、野尻越(大君ヶ畑村)、治田越(君ヶ畑)、八風峠、タビカ越(ユツリ尾村)、千種越(根平村)、鮎川越(鮎川村)、安楽越(安原村、黒川村、土山宿)、鈴鹿峠、東海道、加太越、大剛寺峠(府下村)。また、鎌ヶ岳の南北に大河原への無名峠がある。他に銀山、三岳寺旧セキ、湯山、三本杉、温泉、石大神、国見岩の記載あり。

国見岳は八風峠~千種越間に描かれており、千種越の南に水昌岳がある。国見岳の現在位置には鳥井戸山とあり、手書き地図の注記にユルキ山が見える。鎌ヶ岳と冠ヶ岳が別の山として書き込まれている。東海道に「峠ニ伊賀伊勢近江三国ノ境アリ」の誤認識。後に三重県郡村明細図(1877)という奇妙な地図が出る。

原稿と推測される手書き地図には、山下岳、三國ヶ嶽、熊坂嶽、熊坂峠、リウケ越、野尻越、野尻領、藤原岳、治田山、治田ゴヘ、茶ヤ、君畑(治田の枝)、銀山、田光越、八風峠、釈迦岳、國見嶽、千種越、根平、水昌越、鳥井土山、ユルキ山、御在所岳、大川原越、水無瀬山、三岳山旧趾、繪野、鎌ヶ岳、冠ヶ岳、温泉、三本杉、コサンシ◯ヶ岳、水沢山、水沢越、入道ヶ嶽、鮎川越、石大神、国見石、大杉、雞足山、仙人ヶ嶽(山頂に朝仙上人墓)、安楽越、明星ヶ嶽、三箇山、三高山、峠茶ヤ、東海道、鈴鹿越、高畑、鈴鹿山、大剛寺峠。

東海道の注記に、勢陽五鈴遺響と同様に「往古ハ山城宇治ヨリ伊州名張ヲ経テ伊勢ニ入ル其道ハ此山ノ内長峯ト云フヲ越タリ今社ヨリ二町程麓エ出ル細道ナリ是ヲ古哥ニ云フ古ノ中道カ」。 (作成 2016-05-07、更新 2023-01-16)

全国地図。札幌市中央図書館伊賀国伊勢国近江国美濃国)のうち伊勢国は解像感が劣る。筑波大学附属図書館伊賀国伊勢国近江国美濃国)も同様。国土地理院の古地図コレクションに説明あり。

伊勢国には、三国岳、熊坂山、野尻越(大君ヶ畑出、竜華越)、藤原岳、治田山、治田越(君ヶ畑出)、丹生川山、銀山、福王山、八風越(ユツリ尾村出)、国見岳、水昌岳(根平村出)、鳥井戸山、御在所岳、無名(大河原出)、鎌ヶ岳、三岳寺旧セキ、湯山、冠ヶ岳、三本杉、温泉、入道岳、無名(鮎川村出)、石大神、国見岩、雞足山、仙ヶ岳、無名(安原村出、黒川村、土山)、明星岳、羽黒山、フテステ山、鈴鹿峠、鈴鹿山、加太越、大剛寺峠(柘植村出)。一ツ家は伊勢側にある。

近江国には、子モノカタリ、中仙道、無名(ノシリ出)、無名(茶ヤ村出)、八風越(切畑出)、釈加ヶタケ、無名(千種出)、水昌嶽、無名(湯山出)、無名(山坊出)、無名(小岐須出)、無名(安楽出)、東海道(鈴鹿山出)。なお、大河原の東に木地がある。

美濃国には三国峠のみ。(作成 2020-08-11、更新 2023-01-16)

国絵図。聖心女子大学図書館デジタルギャラリー83枚の国絵図がある。ここに同じ体裁の近江国図伊勢国図美濃国図があるが書誌は記載されていない。

近江国図は記載の一部が近江国細見図(1742)に一致する。霊仙山の池の配置や、鈴ヶ嶽を冷ヶ嶽と誤記したところだ。また、大君畑越と君畑越の解説が入れ替わっている。なお、県境・茶屋川・八風谷の三角地帯にある風穴、岩穴の合計三ヶ所は謎だ。

鈴鹿山脈の地名は、イヤケ谷、高野山、棒河内山、佛辺、アサ◯嶽、本霊山、中㚑山、中河内山、藪谷山、三國ヶ嶽、焼尾峠、大君畑越、冷ヶ嶽、銀山(君畑直近)、茨茶ヤ、銀山町、君畑越、飯高山、萱尾滝、八風越、茶ヤ(千種街道)、根平(峠より31丁余)、龍王嶽、綿向嶽、鎌ヶ嶽、千種越、水晶ヶ嶽、仁正寺越(近江輿地志略と同様に仁正寺から千種村)、大河原越、於岐須越、安楽越、東海道、油日越。

伊勢国図にある水沢・菰野付近の入城嶽は伊勢国全図(1810)にも記載がある。入道ヶ岳の誤記かとも思ったが、何れにも別に入道ヶ岳が記載されている。また、山越えの解説には不可解なものがあり、田光越の解説は途中で終わっている。

地名は、三國嶽、熊阪嶽、熊阪越、焼尾越、御地嵩、藤原嶽、野尻山、治田山、銀山、君ヶ畑峠、福山、田光越、国見嵩、千種越、妻嶽、入城嶽、水沢山、湯山谷、鳥井戸山、入道嶽、野登寺、仙家嵩、廣谷山、廣原山、三子山、権現、東海道、峠茶ヤ、鈴鹿山、大剛字山、加太越。

美濃国図にはイクリ山、三国山。周辺に松尾古城山、聖ヶ嶽、養老滝、飯盛山。伊勢境界付近の笹立、吉田の地名は何か。(作成 2023-01-19)

明治初期、蒲生郡の村落地図。神寺も見える。「天下一新二及ンデ縣ノ厳命ニ依テ」とのこと。

地図の東限は綿向嶽・龍王嶽。名称記載はないが、厨頭冠(研山)と思われる鋭鋒があり、蒲生藤兵衛溜池が書き込まれている。龍王嶽の北西に三ツ峰、平野側に丸山、赤神山、扇山、鏡山が見える。(作成 2020-08-11, 更新 2023-01-16)

明治初期、廃藩置県の翌年に発行された滋賀県地図。旧土山宿の南に姫ヶ池がある。西尾市岩瀬文庫に収録。滋賀県立図書館の資料は行方不明(伊吹山付近の説明文の一部が欠ける作業ミスあり)。

山地は絵画的で国絵図の雰囲気。鈴鹿山脈の山名は県境に沿って、仏返、北霊山(池あり)、中河内山、三国嶽、鈴ヶ嶽、御池嶽、釈迦嶽。その近江側に八尾山、綿向嶽、龍王嶽。

千草越の南側は倉峯か、御山所、鎌ヶ嶽。その近江側に竜王平、三滝岳、金岩、◯越、風越、方丈ダケ、日雲山、大岩山。県境に戻って三ツ子山、高畑山、油日山。甲賀郡の神村に姫ヶ池。

千種越の北に綿向嶽・龍王嶽、御産所と鎌ヶ岳間に大久保越など、正確さが劣る印象。鎌ヶ岳の近江側一帯の山名のうち、日本山嶽志にもある竜王ヶ平、金岩山などは正体不明。他地図にも同様の山名を見る。(作成 2019-01-25、更新 2023-01-16)

明治期の滋賀県犬上郡地図。作成年は推定。近江デジタル歴史街道に収録。

鈴鹿山脈に山名は記載されないが、御池岳に6つの池(御花池、中山池、紅葉池、北池、新池、本池)が書き込まれている。なお、霊仙山は霊仙池のみ。滋賀県管内犬上郡誌(1881)によれば御池岳には「山中ニ三十餘池アリ」という。

また、脇ヶ畑などの山間の小径が朱線で記されており興味深い。(作成 2016-05-07、更新 2023-01-16)

明治期の三重県地図。一見して奇妙に見える理由は、伊賀・伊勢・近江の三国境の位置が間違っているため。伊勢国細見図(1861)の鈴鹿峠にある「峠ニ伊賀伊勢近江三国ノ境アリ」を真に受けでもしたか。西尾市岩瀬文庫にて閲覧した。

鈴鹿山脈は三国國、藤原山、多士田山、鑛山、治田山、南河内山、国見岳、福王山、八風嶺、水昌嶺、水昌嶽、鳥井戸山、御在所山、冠ヶ山、入道山、雞足山、羽黒山、筆捨山、三箇山、鈴鹿山。そして、鈴鹿山の隣にレイ山となる。

山越え道は竜華越、大◯戸越、治田越、君ヶ畑村越、田光越、八風峠、千種越、湯ノ山越、山ノ坊越、鮎川村ニ出、山女原越。大◯戸越は大君ヶ畑に出る。鮎川村は山越えの名称なし。鈴鹿峠も名称なし。

国見岳が福王山の上、八風峠の北にある。水昌嶺、水昌嶽が並んでいるが、後者は千種越を「水昌嶽」と呼称するのか。鈴鹿峠の説明に「峠ニ伊賀伊セ近江三国ノ堺アリ」で根本的に間違っている。このため、伊賀国の位置が相対的に北上していている。

また、左下の名山一覧に、冠ヶ岳、御在所嶽(三重)、八風嶺、釈迦ヶ嶽(朝明)、三国嶽、藤原嶽(員弁)、鈴鹿嶽(鈴鹿)があるが地図上には釈迦ヶ嶽がない。鈴鹿山の直近、上柘植、倉ベの北に「レイ山」があるなど、明治10年とはいえ奇妙な印象の地図だ。(作成 2019-06-11、更新 2023-01-16)

教材。滋賀県立図書館の資料名は間違っており、正しくは「滋賀県管内地理書訳図」と思われる。この時期、若狭国は滋賀県に含まれていた。閲覧は近江デジタル歴史街道の滋賀県管内地理から。

文字が判然としないが、梓山、菖蒲池、仏返山、霊山、中河内山、三國嶽、焼尾峠、鈴ヶ嶽、御池嶽、茨茶屋、八風嶽、釈迦ヶ嶽、水晶嶽、綿向山、龍王嶽、御山所、鎌ヶ嶽、三ッ子山、高畑山、油日山。県境を離れて磨針峠、鳥籠山、八尾山、大物山、布引山。甲賀郡に白倉峯、三滝岳、竜王平、方丈ヶ岳、日雲山、大岩山。日本山嶽志に記載のある白倉峯、龍王ヶ平が気にかかる。御山所は御在所岳か。また、大物山は永源寺の裏山。

この地図は、前年に発行された教科書「滋賀県管内地理書」用の学習教材として作成されたものらしい。同書の編者(高知県士族)が係わっている。甲賀郡についてはページ13にある。(作成 2016-05-07、更新 2023-01-16)

学校教材と思われる地図。若狭国が滋賀県に含まれている。閲覧は近江デジタル歴史街道の滋賀県管内地理訳図から。

上記「滋賀県管内地理訳図」と同様に甲賀郡の山名記載があるが判読し難い。編集人を代えて、同一発行者、同一書名で明治19年に判読しやすい地図が発行されている。(作成 2016-11-01)

学校教材と思われる地図。若狭国が滋賀県に含まれている。閲覧は近江デジタル歴史街道の新撰滋賀県管内全図から。

上記の「滋賀県管内地理書訳図」と同様に文字を判読し難いが、土山(甲賀郡)に、御山所、竜王平、三竜岳、方丈嶽、日雲山、誠越などの見慣れない山名が見える。千種越直近の国境に綿向山が書かれていることからも、記載された山岳の位置は相当に怪しげ。

判読できる範囲で梓山、北霊山、本霊仙、中霊仙、五僧越、三國岳、焼尾山、焼尾越、鈴ヶ岳、君畑越、茨川、元君畑越、釈迦ヶ岳、千種越、綿向岳、龍王岳、御山所、鎌ヶ嶽、三子山、高畑山。県境を離れて八尾山、竜王平、三竜岳、方丈嶽、日雲山、誠越、布引山、姫ノ池。 (作成 2016-05-07、更新 2023-01-16)

対象地域は、福井県、京都府、滋賀県、大阪府、奈良県、三重県、和歌山県。滋賀県立図書館・近江デジタル歴史街道の「鉱山借区図/第5」は行方不明。

治田、政所に金・鉛、蛭谷にマンガンと大きく書き込まれている。平子の石炭は廃業。また、小さく甲津畠に銅、大河原に金、黒滝に銅、別名(治田の東側)に銀銅、水沢に銀、鈴鹿市小社に硝子石、加太に石炭とある。左下の借區略表には、政所は産鑛など記載があるが治田は空欄。

山名は、現在の国見岳・御在所岳・鎌ヶ岳の場所に冠岳、ユルギ石山、水晶岳、釜ヶ岳、鎌岳が密集して記載されている。御在所岳の名称はない。

陸軍省の第四軍管図などに他の地図、地誌の記載を参考にしたと右上にある。この名称の混乱状態は國図とか、心当たりがないでもない。地図の外枠に東経、北緯が表示されている。(作成 2016-05-07、更新 2023-01-16)

  • 近江全國及大津彦根八幡長濱日野水口市街之縮圖

  • 作成:1884(M17)
  • 製図:樫原義長
  • 発行:一刈佐兵衛
  • 収蔵:国立教育政策研究所
  • 近代教科書デジタルアーカイブ

教科書アーカイブに収蔵されているが、作図は精密でポンチ絵の教材用地図ではない。国立教育政策研究所教育図書館の明治初年教科書>郷土地理の近江全國及大津彦根八幡長濱日野水口市街之縮圖から。文字が潰れており、少々見難い。

伊勢国境の山岳位置に間違いがある。鈴鹿山脈の地名は中仙道、寝物語、梓山、仏返山、霊山、五僧越、三国岳、焼尾山、鈴ヶ岳、君畑越、八風越、千種越、釈迦ヶ岳、綿向山、竜王山、倉峯は竜王岳続キ、大久保越、御山所、竜王平、小岐須越、鎌ヶ岳、方丈岳、安楽越、三ツ子山、東海道、高畑山、大岩山、油日山、油日越(倉部村ニ出)。倉峯は近江国全図にも記載あり。「竜王岳続キ」は不明。

伊勢国境に千種越、釈迦ヶ岳、大久保越、御山所、小岐須越、鎌ヶ岳の順で並んでおり、山名三つの位置が間違い。武奈の西に仏返山。政所に銀鉛鑛とあり、一覧表の鉱山に、金鑛:大川原村、銅鑛:甲津畑村・黒滝村・大川原村、鉛鑛:政所村・茨川村。瀑布に萱尾滝、滝山ノ滝:熊野。(作成 2020-08-14 )

学校教材と思われる滋賀県地図。滋賀県に若狭国を含まなくなった。閲覧は近江デジタル歴史街道の滋賀県管内地理訳図/全から。

鈴鹿山脈の地名は、梓山、仏返山、北霊山、本霊仙、南霊仙、中河内山、三國嶽、焼尾山、鈴ヶ岳、御池岳、八風岳、釈迦岳、茨茶屋、綿向岳、竜王岳、水晶岳、御山所、鎌ヶ岳、三子山、高畑山、油日山。そして、甲賀郡の御山所、鎌ヶ岳周辺に白倉峯、三滝山、竜王平、方丈岳、日雲山、三霊岳、大岩山が見えるが、山岳位置の把握は困難。県境を離れて、磨針山、鳥篭山、斧磨山、八尾山、秦川山、鷹取山、大物山、白鹿脊山、押立山、松尾寺山、音羽山、布引山。

穴空きがあるが文字は鮮明。ただ、とんでもない所に茨茶屋がある。開通前の関西鐵道が油日岳の北で鈴鹿山脈を山越えしているが、こんなのを教材にして良かったのか。(作成 2016-11-01、更新 2023-01-17)

明治期の滋賀県全図。閲覧は近江デジタル歴史街道の近江国新町村全図から。

県境付近に霊仙山、五僧越、三国ヶ嶽、焼尾越、鈴ヶ嶽、御池ヶ嶽、治田越、茨川、龍ヶ岳、八風峠、釈迦ヶ嶽、千種越、御山所、菰野越、鎌ヶ嶽、大久保越、合螺ヶ嶽、安楽越、三子山、鈴鹿峠、高畑山、奈須ヶ原、三国ヶ嶽、油日嶽。県境を離れて、鍋尻山、高室山、八尾山、高取山、日本コバ、雨乞嶽、綿向山、龍王山、厨頭冠、小嶽、布引山。そして、関西鐵道が書き込まれている。

日野町鎌掛に小嶽、その東に厨頭冠とある。日野菜のホームページに「ふるさと鎌掛の歴史」の引用があり、「厨頭冠山」(くりやまとやま)や「研山」が出てくるがこれか。雨乞嶽が地図に現れるのはこの頃から。(作成 2016-05-07、更新 2023-01-17)

学校教材と思われる簡素な地図。閲覧は近江デジタル歴史街道の近江地誌訳図 全から。

あまり珍しいものはない。鈴鹿山脈の名称は中仙道、ネモノ語、北霊山、本霊山、中霊山、仏返山、スリハリ、五ソウ越、高室山、三国岳、焼尾越、小鈴山、鈴ヶ岳、御池岳、治田越、タツガ岳、八風越、八風峠、釈迦岳、千種越、水晶岳、御山所岳、鎌ヶ岳、大久保越、合螺山、三ツ子山、東海道、鈴鹿峠、高畑山、油日岳、関西鉄道。この他に、八尾山、斧トギ山、押立山、白カセ山、百サイシ山、龍王山、ワタ向山、日雲山、大岩山。

タツガ岳は竜ヶ岳、百サイシ山は百済寺山。八風峠はの他山岳と同様に四角囲いがあるので山岳扱いか。(作成 2019-01-23、更新 2023-01-17)

明治28年の「大日本管轄分地図」を昭和43年に復刻したもの。全国の地図が収められている。国立国会図書館のタイトルは「三都市,四十三県,三府一庁大日本管轄分地図 (日本地図選集)」である。東京の鳥瞰図(東京一目新図)もある。

国立国会図書館デジタルコレクションにて個人送信されている。(作成 2024-02-12)

  • 岐阜・愛知・滋賀・三重方面地図(合成) 1/20万/明治

  • 作成:1898 (M31)
  • 収蔵:宮内公文書館
  • 宮内公文書館

輯製20万分1図を4枚(2×2)貼り合わせたもの。左下が鈴鹿山脈を含む「名古屋」の地勢図で、明治19年輯製、明治31年三修。「名古屋」の図暦によれば輯製20万分1図の最終盤。宮内庁の宮内公文書館に収録。明治天皇御手許書類とある。

地図上の鈴鹿山脈の山名は、霊仙山、中霊山、磨鍼嶺、高室山、三国嶽、焼尾越、鈴ヶ嶽、御池嶽、高取山、日本コバ、藤原嶽、竜ヶ岳、八風峠、釈迦嶽、千種越、水晶嶽、御在所嶽、雨乞ヶ嶽、綿向山、龍王山、厨頭冠、小嶽、鎌嶽、鮎川越、入道岳、雞足山、合螺ヶ嶽、安楽峠、三子山、筆捨山、高畑山、三國山、油日山、大岡寺峠。

国土地理院によれば、輯製図とは「伊能図、内務省の地形図・河川図及び各府県庁作成の地図その他を資料として...明治26年までに...完成した」とある。水晶嶽が千種越の南に記載されており、従来の国絵図に従っているようだ。(作成 2023-01-02)

明治期の三重県地図。現行の地図に近づいた。明治三十三年改正再版、大日本管轄分地圖、改正新市町村名とある。西尾市岩瀬文庫に収録。

地図上の鈴鹿山脈の山名は北部には皆無。南部には、入道岳、三子山、筆捨山、鈴鹿峠、高畑山、三國山、油日山。

裏面には総論と郡毎の解説、里程標がある。員弁郡に「三國ヶ岳あり夫より北境には裏山ありて西境には藤原(ふぢはら)岳、龍(たつが)岳あり」。三重郡に「西境には釋迦岳(しゃかがだけ)、八風峠(ぷうたうげ)あり…湯の山には温泉あり其西には鎌岳(かまがだけ)、御在所(ございしょ)岳、鳥井戸(とりゐど)山あり」。鈴鹿郡に「西端には加太山あり夫より北東に向ひ郡界に沿ひて鈴鹿山(す〃かやま)、筆捨(ふですて)やま、雞足(とりあし)山、入道(にふだう)岳あり」。阿山郡には鈴鹿関係の記載なし。

なお、この地図の初版(M28)が「三都市四十三県三府一庁大日本管轄分地図」として復刻され、国立国会図書館から個人送信されている。(作成 2019-06-11、更新 2023-01-17)

明治期の滋賀県地図。明治三十三年改正再版。上記の三重県管内全図と同じく大日本管轄分地圖の一部らしい。西尾市岩瀬文庫に収録。

地図上の山名は中霊仙、霊仙山、磨鍼嶺、三国岳、焼尾越、御池岳、鈴ヶ岳、高室山、高取山、日本コバ、藤原岳、竜ヶ岳、八風峠、釈迦岳、千種越、水晶岳、御在所岳、雨乞ヶ岳、綿向山、竜王山、厨頭冠、鎌ヶ岳、鮎川越、雞足山、合螺ヶ岳、安楽越。

裏面の甲賀郡に三子(みこ)山、狗尾(くび)ヶ嶽、高畑山、奈須原山、油日嶽。愛知郡に甲掛山、白鹿脊(しらかせ)山、百済寺(くだらじ)山、押立山、秦川山、鷹取山。犬上郡に鍋尻山、八尾山。フリガナは怪しい。

なお、この地図の初版(M28)が「三都市四十三県三府一庁大日本管轄分地図」として復刻され、国立国会図書館から個人送信されている。(作成 2019-06-11、更新 2023-01-17)

明治期の滋賀県地図。明治18年版が「滋賀県管内実測図(近江国各郡町村絵図)」、29年版が「近江国実測地図 (近江国各郡町村絵図)」として滋賀県立図書館の近江デジタル歴史街道に、33年版が「近江國實測圖 訂正」として国立国会図書館にあるが、何れも解像度が低く判読困難。

また、滋賀県の認可を得て軽便閲覧用に編集した29年の「近江国実測地図」が滋賀県立図書館にある。

山名は寝物語、霊仙山、鍋尻山、高室山、三国ヶ嶽、焼◯越、御池嶽、鈴ヶ嶽、龍ヶ嶽、八風峠、八尾山、高取山、日本コバ、釋迦ヶ岳、千種越、御山所、雨乞嶽、綿向山、龍王山、◯◯冠、小嶽、菰野越、鎌ヶ嶽、大久保越、合螺ヶ嶽、安楽越、三子山、鈴鹿峠、高畑山、奈須ヶ原、三国ヶ嶽、油日嶽、伊賀道。(作成 2021-09-08、更新 2023-01-18)

集落間の距離図。閲覧は近江デジタル歴史街道の犬上郡里程図 訂正増補【行方不明】から。明治21年版もある。

山間地の図からは、脇ヶ畑村やその周辺地域(犬上郡外を含む)の集落間を結ぶ連絡路の様子を読み取れる。また、2頁に犬上郡図がある。(作成 2019-01-24、更新 2023-01-17)

大正期の滋賀県全図。地図の外枠に東経、北緯が表示されている。閲覧は近江デジタル歴史街道の大正新刻 最新滋賀県全図から。

西和醤油醸造場の名称が大きく入っている。発行は大阪の和楽路屋。地図の上辺が北、地名の記入は水平方向に統一されて現代的な雰囲気がする。御在所岳など現在と同様の山名が多く見られるが、仙ヶ岳付近に合螺ヶ岳がある。

鈴鹿山脈には、霊仙山、中霊山、五僧、三国岳、焼尾越、鈴ヶ岳、御池岳、藤原岳、竜ヶ岳、八風峠、釈迦岳、千種越、水昌岳、御在所岳、鎌岳、鮎川越、雞足山、合螺ヶ岳、安楽越、鈴鹿峠、高畑山、三国山、油日山。他に、高室山、高取山、日本コバ、雨乞ヶ岳、綿向山、龍王山、布引山。

裏面に名所案内あり。神崎郡の萱尾瀑には「傍らには滝の宮、不動堂、龍女社等あり」。(作成 2016-05-07、更新 2023-01-17)

大正期の滋賀県甲賀郡の町村図。近江デジタル歴史街道に収録。

御在所岳、雨乞岳、綿向山、笹尾峠、鎌ヶ岳、鈴鹿峠、那須原、油日岳が、それらしい位置に書き込まれている。記載された標高の単位は尺。同資料には江戸期の甲賀郡絵図/内務部第6課地理掛書類編冊(国絵図から抜き出したように見える)も収録されているが、鈴鹿山脈についてはさっぱり。(作成 2016-05-07、更新 2023-01-17)

  • 滋賀縣全圖

  • 作成:1920 (T09)
  • 作者:木崎盛政
  • 発行:金刺製図部
  • 収蔵:国際日本文化研究センター
  • 所蔵地図データベース

大正期の滋賀県全図。地図枠に東経、北緯の表示があり、標高値の単位はメートル。国際日本文化研究センター所蔵地図データベースに「滋賀縣全圖」として収録。発行は東京市神田区の金刺製図部。説明に依れば、地図帳「最新詳密金刺分縣圖」大正九年版に収納された一枚。

地名は寝物語ノ里、霊仙山、鍋尻山、高室山、鞍掛山、杉山、高取山、日本コバ、三國嶽、大君ヶ島越、鈴ヶ岳、藤原岳、治田越、龍ヶ岳、編笠山、八風越、釈迦ヶ岳、水晶岳、御在所山、雨乞岳、龍王山、綿向山、龍王山、厨頭冠、鎌掛峠、小岳、鎌ヶ岳、水沢越、仙ヶ岳、三兒山、高畠山、布引山、三國岳、油日岳。裏面解説の犬上郡に鳥籠山あり。幾つかの山は標高値がメートル単位で書き込まれている。

著作者の木崎盛政は民間地図制作者として著名らしいが、この改正三版には地名の誤記が多数ある。大君ヶ島越(大君ヶ畠越)、八重羽(八重練)、虫至谷(蛭谷)、君ヶ昌(君ヶ畠)、菅尾(萱尾)、社葉尾(杠葉尾)、甲池畠(甲津畠)、上蔵王(北蔵王)、木楽野(櫟野)など品質が低いようだ。また、中仙道の醒ヶ井~牛打(河南)間の枝折は位置が不適当。伊吹山南西の弥髙山の位置も疑問。コピペの錯誤か。今も昔も変わらない。

水晶岳が千種越の北にあるが、従前の国図等では千種越の南(水昌岳、伊勢側名称:ゆるぎ石山)に書かれていた。これも誤記載の類かと疑ってしまう。「近畿の山と谷」初版(昭和7年)では、水晶岳の位置は根ノ平峠の南と北の2説があるが、決着を付ける確かな根拠はないとしている。案外、この地図が諸悪の根源なのかも知れない。(作成 2016-05-07、更新 2023-01-17)

  • 滋賀縣管内全圖

  • 作成:1921 (T10)
  • 作者:滋賀縣廳内務部
  • 収蔵:国際日本文化研究センター
  • 所蔵地図データベース

大正期の滋賀県全図。国際日本文化研究センター所蔵地図データベースに「滋賀縣管内全圖」として収録。山岳の標高値は尺単位。

鈴鹿山脈の山名は霊仙山、鍋尻山、高室山、三國嶽、鈴ヶ岳、御池山、天狗岩、藤原嶽、日本コバ、龍ヶ嶽、八風峠、釈迦ヶ嶽、御在所山、鎌ヶ嶽、雨乞嶽、綿向山、龍王山、高畑山、奈須ヶ原、油日山。山越え道は五僧越、焼尾越、八風越、千種越、菰野越、大久保越、安楽越、鈴鹿峠、伊賀越が見える。

また、同名の地図が国立国会図書館デジタルコレクションにある(191519171926)が、前二者は解像度が低くて使い物にならない。三番目の滋賀県知事官房のものは使える。(作成 2016-05-07、更新 2023-01-17)

大正期の滋賀県蒲生郡の地図。近江デジタル歴史街道に「近江蒲生郡図/大正11年/『近江蒲生郡志』第1巻付図」として収録。

水晶嶽、綿向山、龍王山、鎌掛に城山が記載されている。ただ、水晶嶽は県境でなく、杉峠との関係から現在の雨乞岳の位置に書き込まれているように見える。(作成 2016-05-07、更新 2023-01-17)

大正期の三重県地図。「本圖ハ陸地測量部發行ノ地圖ヲ縮寫シ」とある。現行の地図相当になったが、標高の単位は尺。近江国、美濃国といった表現も残っている。地形図という標準の浸透により、これ以降は画期的な地図は無くなるはず。西尾市岩瀬文庫に収録。

鈴鹿山脈の山岳などは名称・位置ともに現在と大差ない。すなわち、烏帽子岳、三國山、鞍掛峠、天狗岩、藤原岳、治田峠、龍嶽、福王山、八風峠、釈迦嶽、御在所岳、湯ノ山、湯ノ山越、鎌岳、入道岳、鶏足山、安楽越、筆捨山、三兒山、鈴鹿峠、那須原、油日嶽。

養老郡細野と員弁郡古田の間に輿越えの道が書き込まれている。入道岳の南には屏風岩。(作成 2019-06-11、更新 2023-01-17)

大正期の三重県地図。個人サイト「近鉄線 旅と切符の資料室」にて大正11年の三重県地図として公開しておられる資料。書誌データの記載はない。

記載された鈴鹿山脈の山岳名は現在と大差ない。野登山が鶏足山とある程度か。こんな抹香臭い名称を地元で使ったのか。大正13年の地図では野登山となっている。(作成 2019-01-21)

陸軍の菰野演習場の地図。2024年7月27日、菰野町図書館の戦争遺物の展示で置かれていた。撮影可能と表示され、著作権の保護期間も経過しているので撮影画像をここに置いておく。千種演習場(241KB、1800×1515)。硝子ケース越しの撮影なので少し反射があるし、ファイルサイズ削減のためにavif画像はかなり圧縮した。

展示資料によれば、1910年(明治43)に名古屋の陸軍第三師団が千種村と用地買収の協議を行い、約39.8平方kmの土地を買収した。 戦後は国から払い下げられている。地図は旧千種村役場と陸軍が取り交わした資料のなかにあったとのこと。

表題は千種演習場、大正12年11月部分修正、第三師団司令部とある。菰野富士の名称は陸軍が付けたと『ふるさと千種』にあるが、そのとおり地図に名称がある。赤色の破線は演習場の境界で、「陸軍用地」の標石を菰野富士の山頂西側の尾根や南東側のみろく山道(鈴鹿 菰野富士 2019-01-04)で見ている。

『ハイキングマップで歩く鈴鹿の山 万能ガイド』にある『ネコ』の記事(引用元:花の山旅)には、笠岳の南東側に「陸軍用地」と刻字した石柱があると書かれているので、山中の各所に陸軍の境界標石が残されているのだろう。(作成 2024-07-28)

大正期の三重県地図。四日市市、津市、宇治山田市の詳細図が挿入されている。標高の単位がメートルに代わった。西尾市岩瀬文庫に収録。また、個人サイト「近鉄線 旅と切符の資料室」にて、大正13年の三重県地図として公開しておられる。

記載された鈴鹿山脈の山岳名は現在と変わらない。すなわち、三国嶽、鞍掛峠、鈴ヶ嶽、御池嶽、藤原嶽、龍ヶ嶽、釈迦ヶ嶽、御在所山、鎌ヶ嶽、綿向山、野登山、鈴鹿峠、筆捨山、油日嶽。

無名だが山越え道が白船峠、治田峠、石榑峠、八風峠、根ノ平峠、武平峠、水沢峠、小岐須峠、安楽越にある。

ようやく「雞足山」「鶏足山」が野登山になった。加太越の「一ツ家」は三重県側にある。鉱山マークが治田、野登山、筆捨山にある。(作成 2016-05-07、更新 2023-01-17)

  • 最新詳密金刺分縣圖

  • 作成:1925 (T14)
  • 編者:木崎盛政
  • 発行:金刺製圖部
  • 収蔵:国立国会図書館
  • 国立国会図書館:公開

都道府県の地図帳。台湾、朝鮮、南満州、関東州を含む。一枚目の帝国全図は欠落。国立国会図書館のデジタルコレクションにて。

滋賀県は上記「滋賀縣全圖」(1920、訂正三版)の訂正五版(1925)が収録されているが、誤りは訂正されていない。水晶岳の位置も変わりなく千種越の北。

三重県(1924)に記載の鈴鹿の山は烏帽子山、三國嶽、御池ヶ嶽、藤原ヶ嶽、治-/ 峠、龍ヶ嶽、福王山、編笠嶽、八風嶽、釋迦ヶ嶽、水晶嶽、- 種山、千種越、御在所山、鎌ヶ嶽、水沢嶽、入道ヶ嶽、仙ヶ嶽、鶏足山、安楽越、雨引山、白木山、鈴鹿峠、高畠山、奈須ヶ原、三國嶽、油日嶽、旗山、加太越。八風嶽は八風峠の誤記か。温泉マークが鷺之湯、湯ノ山の他、菰野村に一ヶ所あるが何か。

岐阜県(1925)には三國嶽があるだけ。上石津町の谷畑や奧から今須への山越え道が見える。画像の解像度がもう少し良ければと思う。(作成 2020-07-24、更新 2020-08-07)

  • 最新滋賀県全図

  • 作成:1926 (T15)
  • 著者:日下伊兵衛
  • 発行:大阪朝日新聞社
  • 収蔵:滋賀県立図書館
  • 近江デジタル歴史街道

滋賀県全図。著者の日下伊兵衛は和樂路屋の創業者。閲覧は近江デジタル歴史街道の最新滋賀県全図から。

「大正十五年十二月十日 大阪朝日新聞…附録」とある。地図らしく整ってきた印象だが、古い地図と同様に千草越の南に水昌岳があったり、県境尾根に雞足山があったり。

鈴鹿山脈の名称は中霊山、霊仙山、磨鍼峠、三国嶽、焼尾峠、鈴嶽、御池嶽、藤原嶽、竜ヶ岳、八風峠、釈迦嶽、水昌嶽、御在所岳、鎌嶽、鮎川越、雞足山、合螺ヶ嶽、安楽越、鈴鹿峠、高畑山、那須岳、三国岳、油日岳、大岡寺峠。県境を離れて、高室山、高取山、角井峠、日本コバ、杉峠、雨乞岳、綿向山、龍王山、猪鼻岳、小嶽、布引山。(作成 2019-01-25、更新 2023-01-17)

滋賀県史の附図。閲覧は近江デジタル歴史街道の「滋賀県史/第6巻/附図」【行方不明】から。

地図五枚の内、全県図は四枚。内容は、1:遺跡・史跡、2:国宝分布、3:信徒・寺院分布、4:藩領分布。図書館からの配信がIIIF化されたは良いが、かなりの資料が行方不明になった。四枚目の藩領分布は残っており、地域名称を知るのに便利。(作成 2016-05-07、更新 2023-01-17)

滋賀県全図。閲覧は近江デジタル歴史街道の滋賀県から。

三角点や等高線が入った陸地測量部の地図。干拓前の西の湖(琵琶湖)が大きい。

鈴鹿山脈の地名は現在と同様で、霊仙山、摺針峠、鍋尻山、高室山、烏帽子嶽、三国嶽、鞍掛峠、鈴ヶ嶽、御池嶽、藤原嶽、竜ヶ嶽、日本コバ、釈迦ヶ嶽、御在所山、雨乞嶽、綿向山、鎌ヶ嶽、野登山、鈴鹿峠、笹尾峠、布引山、油日嶽。

加太では相変わらず「一ツ家」が伊勢側に書き込まれている。小岐須渓谷(鈴鹿市)にある鉱山マークは椿岩か。伊吹山では上平寺~笹又間に道(横嶺峠か)がある。(作成 2016-05-07、更新 2023-01-17)

三重県全図。綺麗に色分けされた段彩図で、文字も判読しやすい。国立国会図書館のデジタルコレクションにて。

鈴鹿山脈の記載は一般的だが、白船峠や養老山地の山越え道などが書き込まれている。何故か同社の滋賀県地図に書き込まれていた明星ヶ岳などがない。治田に鉱山記号、千種に陸軍演習地、坂下にバンドウ山がある。四日市、津、宇治山田、朝熊ヶ岳(岳道)、松阪の地図もある。鉄道の計画線に驚く。(作成 2024-02-18)

滋賀県全図。綺麗に色分けされた段彩図で、文字も判読しやすい。国立国会図書館のデジタルコレクションにて。

鈴鹿山脈の記載は一般的だが、カルスト台地の道が書き込まれている。高畑山の位置は間違い。伊吹山に高山気象観測所、霊仙山・藤原岳にスキー場、御池鉱山、林業所がある。(作成 2024-02-18)

岐阜県全図。綺麗に色分けされた段彩図で、文字も判読しやすい。国立国会図書館のデジタルコレクションにて。

当時の行政の境界線も書き込まれている。鈴鹿山脈は三国岳、烏帽子岳があるだけ。養老側の笙ヶ岳、養老山は記載なし。多良から今須へ越える道には赤字で距離が書き込まれている。(作成 2024-02-18)