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  3. 2020年1月11日

鈴鹿:油日岳・余野公園

余野公園から一般登山道で油日岳に登り、県境尾根を余野公園へ下った。県境尾根は高間みずべ公園の標識以降が一部で藪っぽい。尾根下端では、明治九年の「近江伊賀國界」の標石を探して歩いた。

登山日
2020年1月11日土曜日
ルート
余野公園-余野林道-三馬谷-油日岳-県境尾根-余野公園-倉歴峠

油日岳

余野公園の管理事務所近くに自動車を置いた。公園西側の県道は倉歴峠。峠らしくはないが、鈴鹿峠(阿須波道)の開設以前には古代東海道が通過した場所だ。

余野林道を歩き、奧余野森林公園が近づくと「壬申の乱古戦場跡」の看板がある。「甲賀郡志」を眺めていると「代野」の項に「かつせんこば、武士谷」の記載があり、壬申の乱の古戦場跡と伝えられているとのこと。奧余野森林公園には「源義経平家追討の為西国への道」の看板も転がっている。伊賀忍者オフィシャルサイトの「忍者岳」にはぞろぞろ峠が使われたとある。

林道終点の小屋から登山道に入る。途中、滝名称の看板は見えなくなったが、忍者岳、加茂岳への分岐標識は相変わらず二ヶ所にある。ただ、一見して道はなし。詮索している余裕がないので谷を離れて登山道を登る。ササ枯れの尾根を急登し、遠くに正午のチャイムを聞いて油日岳山頂の岳大明神に到着した。

県境尾根

県境尾根を南西に下る。登山者一人と出合い、P570を通過すると奧余野森林公園駐車場の標識がある。通常はこの標識から余野林道へ下るのだろうが、そのまま県境尾根を行けば直ぐに高間みずべ公園の標識に出合う。標識から県境尾根を離れるような記載だが、実際は県境尾根を西へ50mほど進んだ所から滋賀県側へ下りて高間みずべ公園に向かう。ただし目印はなし。先月に歩いた印象では、登山道としての整備は放棄されている。

写真1 高間みずべ公園標識写真2 県境尾根は滋賀県側の植林境界になる

これ以降、県境尾根は雑木や倒木で歩き難くなる。進行方向が南西から南に変わる小ピークは、手前から見るとキレットと岩峰のセットかと驚いたが、難なく頂上に登ることができた。南への下降は少し藪っぽいが、勾配が緩むと歩き良い尾根に変わる。段差を下りて滋賀県側に植林を見ると、左側の植林境界の尾根へ進むことが正解。やがて三重県側も植林になるが、油断してルートを外したので県境尾根に復帰する。

低くなった県境尾根上に投棄ゴミを見ると、シオノギ製薬の敷地境界である有刺鉄線が現れ、2002年(鈴鹿:油日岳 2002-12-08)に見た「近江伊賀國界」の標石に再会した。

地図の大きさ:600×150 600×300 600×600

地図の大きさ:600×150 600×300 600×600 説明:地図表示について

この地図は Garmin eTrex30 により取得した軌跡を編集して地理院地図に重ねたもの。現状、シオノギ製薬の周辺では、余野林道の一部が破線表示されたり、存在しない道路が実線で記載されたり、何かと問題があるので要注意。

国界標石

この標石の北面は「近江伊賀國界第十」と読めるが、持参のスコップで土を退けると第十四と知れる。南面は地上部に「明治九年九月三重滋賀」、東面は「従是山上連峰字三國嶽至ル間雨水分派スル此ヲ以テ國界」と彫られている。

写真1 近江伊賀國界第十四点の標石写真2 近江伊賀國界第十四点の標石写真3 近江伊賀國界第十四点の標石

標石に第十四とあるので、他の標石を探せば県境を確認できる。何故なら「甲賀郡志」の「代野」の項に、明治「九年九月十五日両國の境界を確定して標石を建つ」とされ、同日付けの内務省布達の引用があることで、標石の設置経緯が明らかにされている為だ。この付近の地形は境界を定める分水嶺を特定しがたい。実際、いくつか地図を見ると県境の記載が異なることに驚く。鈴鹿山脈を徘徊している身としては、山脈南西端の県境尾根が曖昧なことは気に懸かる。この標石のことは宿題になっていた。(MapionいつもNAVI伊賀市・三重県共有デジタル地図

有刺鉄線に沿って余野林道に下りる。林道東側の392番電柱に第十二点標石、東海自然歩道標識に第十一点標石、281番電柱に第十点標石を見る。どれも数字が土中なのでスコップを使うが難儀だ。第十三点標石が見あたらないが、林道敷設時に撤去されたか。

林道を離れ、有刺鉄線沿いに植林帯に入ると第九点標石があった。これは数字が地上部にあり「近江伊賀國界第九点」と読める。しかし、これ以降の標石が見あたらない。この付近はササが枯れておらずに藪っぽく、民家の敷地もあるので林道へ逃げた。

民家前から有刺鉄線の敷地境界に戻ると喫茶店の裏手で標石を見つけたが、「第」の文字以下が埋まっているので穴掘りを諦めて先に進む。ネットフェンスに変わるシオノギ製薬の敷地境界を歩くと直ぐ第三点標石を見る。ここは余野公園内だ。これ以降、左に猪垣跡の盛土、右にシオノギ製薬を見て歩き、県道の倉歴峠に達した。

写真4 近江伊賀國界第十二点の標石写真5 近江伊賀國界第十一点の標石写真6 近江伊賀國界第十点の標石
写真7 近江伊賀國界第九点の標石写真8 近江伊賀國界の標石(番号未確認)写真9 近江伊賀國界第三点の標石
写真10 余野公園の噴水とひょうたん形の池写真11 従是南三重県管轄の標石

倉歴峠には明治三十二年の標石がある。西面に「従是南三重県管轄」、南面に「伊賀國阿山郡東柘植村」、東面に「明治三十二年七月三重縣」とある。県道敷設時に移転させたのか、座りが悪くて少し傾いていた。

結局、十四点あると思われる国界標石のうち七点(すべて南面に明治九年九月とある)しか確認できなかった。得られた標石の位置情報を地形図にプロットすると、国土地理院の地形図も県境位置が怪しいことに気付かされる。県境位置は三重県共有デジタル地図が妥当だろうか。シオノギ製薬の敷地境界線は凹凸しているので、植林帯や藪を探せば、残りの標石をいくつか見つけられるかも知れない。

行程表

10:06余野公園駐車場、出発
10:57余野林道終点
12:01油日岳(11:44-11:57)
12:45奧余野森林公園駐車場の標識
13:46近江伊賀國界第十四点の標石
15:37倉歴峠(余野公園)

追記 2020.01.19

2020年1月19日、再度、余野公園で国界標石を探したが成果なし。第九点標石から西へ歩くと、シオノギ製薬の敷地内で植林が直線上に植えられている場所があるので、偶然ではなく県境を意識しているのかも知れない。さらに西へ歩くと分水嶺は同敷地内にあるように見える。なお、番号未確認の標石は「近江伊賀國界第四点」だった。

(作成 2020.01.13、OpenLayers2 → 6に変更 2022.01.17)