1. 鈴鹿山脈/登山日記
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  3. 2026年1日16日

鈴鹿:大岩山

土山側の栃木谷林道から大岩山(甲賀市土山町)へ登り、青土ダムエコーバレイへ下りた。帰路は佛生寺があった平子集落へ山越道を使った。

大岩山は何処なのか困惑していた。東海道から見える大岩を乗せた標高420m程の山と石神三角点の山だが、前者を大岩山としよう。末尾に資料を整理した。

登山日
2026年1月16日金曜日
ルート
土山図書館-栃木谷林道-大岩山-石神三角点-青土ダムエコーバレイ-仏生寺跡-平子-土山図書館

今日の宿題

公開している火頭子山大岩山の山行記録に対して「綿はる」さんから通知をもらった。YAMAPに火頭子山大岩山の記録を上げた。『近江国甲賀郡村誌』により山を比定したとのことだ。

ヤマレコにもあるので閲覧すると大岩山以外にも、明治期の青土村と平子村の境界に「佛阪山」が仮登録され、『近江國甲賀郡村誌』の地図に「佛生寺」とある。昭和になって地形図から消滅した寺のことかと思われる。

今日は、旧版地形図にあった栃木谷から石神三角点(505.1m)方面へ登る破線路を使って大岩山へ登ること、そして青土ダムエコーバレイから平子集落へ山越えする現行の破線路で佛生寺跡へ行くことにした。

地図の大きさ:600×150 600×600

地図の大きさ:600×150 600×550 地図表示について

2024.01.06 赤線:登山ルート、青線:下山ルート、:土山図書館駐車場、:大岩山、:高登岐山、:青土ダムエコーバレイ管理棟、:佛生寺跡か、:赤ハゲ池、:天秀寺

大岩山

土山図書館の県道沿いにある駐車場を出発する。右に畑新池を見ると散弾銃の薬莢が落ちていた。物騒なところだ。直ぐに「林道栃木谷線」の看板があり、適当なところで林道から雑木林へ入る。軌道修正をしながら歩くと標高350mを過ぎたところで植林境界と道跡を見つけ、大岩山北方の鞍部に達した。

前回(鈴鹿:大岩山 2024-02-14)の「大岩」を探したときに見覚えがある場所だ。ここから南下して大岩山の山頂に登った。登りの左に岩があるが岩質はボロボロ。右側から足場が良くない斜面(オススメできない)を登ると既に「大岩山」の私製山名板があった。下には土山宿から見える大岩が鎮座している。てっぺんのマツの木2本がお茶目だ。

写真1 大岩山の山頂写真2 大岩
写真3 三子山、火頭子山方面

景色は樹木に邪魔をされる。近年、土山宿で地元の人から、弁当を持って大岩山に登ったことをおばあさんから聞いたとか、小学校の男子児童は放課後に大岩山へ登りに行ったとか聞いている。いまは道がないので登れないとも。なお、石神三角点の山名は知らないとのことだった。

東には三子山が見える。写真の左に全山が見える山が火頭子山か。『甲賀郡誌』では田村将軍の霊を山頂に祀ったが、後年に北土山(田村神社)に遷したとある。田村神社の由緒書には「二子の峰から」だったと記憶しているが、火頭子山は二子に見えるだろうか。

石神三角点・高登岐山・青土ダムエコーバレイ

ときどき道跡を見ながら尾根を歩いて石神三角点に達した。三角点には「栃の木」と「大岩山」の山名板がある。荒れたブルドーザ道を無計画に徘徊すると東の山頂には「高登岐山」と「大岩山東峰」とあった。「綿はる」さんによれば「高登岐山」は『近江國甲賀郡村誌』にある北土山村の名称だ。

栃の木峠の石標から舗装林道を青土ダムエコーバレイへ下りた。公園入口の電気柵はプラスチックの取っ手を持って取り外すが、公園に入るとシカの糞だらけ。電気柵はまったく機能していない。

県道まで下りて青土ダムエコーバレイの管理事務所へ行く。「ブルーシャトー青土」とあり、おばさんがワンオペをしていた。大雪でもなければ年末年始以外は無休らしい。軽食をできるのでカレーうどんを食べて話を聞くが、山名とか、石神谷の由来とか、知らないとのことだった。

佛生寺跡

青土ダムエコーバレイから平子集落への峠道を登る。青土ダムが出来る前、鮎河集落から西進する道は、管理事務所付近で川沿いに土山宿へ行く道と、平子集落へ山越えする道に二分した。その山越道の峠に寺があった。

やはり糞だらけの地道の林道を登り、電気柵を通過するとコンクリ舗装の道に変わる。しかし良い道は峠まで。旧版地形図には、この峠の北側に卍記号がある。

写真4 基石と瓦の破片写真5 井戸のような構造物

峠北側の尾根の裏のような荒れた雑木林は小広い空間だが、さすがに寺には狭いように思う。基石らしいものと瓦の破片が少し。井戸にしては小さいが、落ちるわけにはいかない構造物が残っていた。

下り道はやがて立派な道跡になって林道に飛び出す。その先に荒廃した建物があった。本堂と地蔵堂か。鐘楼に鐘はない。そして地蔵が刻まれた六角の石柱。南側は赤ハゲ池だ。寺額には「佛性寺」、捨てられたスリッパには「仏生寺」とある。ここには旧版も含めて地形図に卍記号がない。

写真7 廃寺写真8 六地蔵
写真9 はんそさん

畑に出ると北に岩山の連なりが見える。青土集落の西にある山だろう。土山宿で石神三角点の山名の代わりに教えてもらった。ダム北側の採石場の西に「はんそさん」があるとのこと。年寄り向きではなさそうなので、青土集落の県道から風光明媚な岩肌を眺めるばかりだった山だ。

平子集落の天秀寺、津島神社に立ち寄って土山図書館へ帰った。県道は採石場へ出入りするダンプカーの往来が多い。

行程表

10:12土山図書館駐車場、出発
11:22大岩山(11:22-11:32)
12:17石神三角点
12:51栃の木峠
13:10青土ダムエコーバレイ管理事務所・ブルーシャトー青土(13:10-13:29)
13:58山越えの峠、地蔵堂跡か(13:58-14:17)
14:40佛生寺跡(14:40-14:48)
14:59天秀寺、津島神社
15:26土山図書館駐車場、到着

『近江国甲賀郡村誌』について

『近江国甲賀郡村誌』は明治17~18年に作成された行政文書だ。したがって、滋賀県公文書館に収蔵されている。

明治維新、政府は全国地誌の編纂のため、各都府県へ郡村誌の作成を命じた。しかし、全国地誌の編纂は頓挫し、提出された郡村誌は関東大震災で焼失した。焼失した郡村誌の一覧が大正14年の『中央史壇』(国立国会図書館)にある。鈴鹿山脈に係わる坂田郡、犬上郡、神崎郡、蒲生郡も『近江国甲賀郡村誌』とともに失われた。

ところが副本なのか、滋賀県公文書館に『近江国甲賀郡村誌』の他、滋賀郡、野洲郡の郡村誌が収蔵されている。収蔵された郡村誌の内訳は『保存簿冊目録 第8』(国立国会図書館)にある。

残された郡村誌のうち滋賀郡は『近江国滋賀郡誌』(国立国会図書館)として出版されている。しかし『近江国甲賀郡村誌』は出版されずに文書庫に残った。平成28年の『甲賀市史』第8巻にある「地域編」はあまりに貧弱なので、補註して『甲賀市史』の添付資料にすれば良かったと強く思う。

大岩山について

大岩山の所在が分からなかった。大岩を乗せた標高420mほどの山が大岩山だと地元で聞いていたが、石神三角点(505.1m)を大岩山とする資料もあったためだ。

疑問は残るが『近江国甲賀郡村誌』の北土山村の項で前者を大岩山としているので従おう。なお、石神三角点の東の山頂(北土山村、鮎川村、青土村境界)を「高登岐山」としている。そして、青土村では同じ境界の山を「石神山」としているようだ。

江戸期の大岩山に関する文書が『甲賀郡誌』にある。この大岩山は特定の山頂でなく、入会地として広い範囲を指していた。これに対して、特定地点である「大岩」が江戸期の絵地図に書かれている。上図の『東海道分間絵図』(国立国会図書館)や彩色版の『東海道分間絵図』(三重の文化)だ。山並みの左に位置する大岩があり、田村神社から土山宿を西へ歩いて見る大岩の姿に似ている。また、その後に江戸幕府が作成した『東海道分間延絵図』の縮小復刻版(1984,児島幸多 東京美術)にも大岩が見られる。

明治期には地理の教科書や教材地図に大岩山がある。『滋賀県管内地理書』(国立国会図書館)や、上図の『近江地誌訳図』(滋賀県立図書館)など、大岩山は土山宿の東とされている。また、地名の記載はないが、明治期の水利施設の調査図『北土山村』(滋賀県公文書館)では栃木谷との位置関係から大岩らしいものが存在感を示している。

その後、『鈴鹿の山と谷』の著者が書いた昭和63年の『鈴鹿山地の雨乞』(国立国会図書館)に「大岩山とは505メートルのピークで石神山とも呼ばれる」とあって、大岩山は石神三角点との見解だ。

ネット上には平成15年の記録「鈴鹿・大岩山」が Internet Archive に残っている。ここでも大岩山は石神三角点だ。なお「イセ愛山会の平成7年3/27のプレートがあり、ここには山の名が青土と書かれてあった」と記録している。この行為はイセ愛山会の悪癖のように思える。

現在、石神三角点を「栃ノ木」とするものがある。これは『地図で歩く鈴鹿の山』(花の山旅)にあるとおり「山の名を『栃ノ木』と聞いた」によるものだ。栃木谷林道や栃の木峠が存在するが、イセ愛山会の事例もあってスッキリしない。

佛生寺について

平子集落への山越えの峠に卍記号があるのは5万地形図の明治25年~昭和25年。昭和25年には赤ハゲ池の北側に建物記号が追加されている。

『甲賀郡誌』(国立国会図書館)には平子の寺院が3ヶ所記載されている。佛生寺天秀寺地蔵堂だ。佛生寺は天台宗の大伽藍だったが天正年間に焼けて小堂一宇が相続。天秀寺は佛生寺の末寺。最後の地蔵堂は佛生寺の奥之院。本尊は六地蔵、堂宇方三尺などとある。それぞれ、赤ハゲ池、現在の天秀寺、峠の卍記号に相当するのかも知れない。昭和42年の『滋賀県市町村沿革史』(国立国会図書館)には「天秀寺」と「仏性寺」が一覧表にある。

ただし、滋賀県公文書館にある明治期の寺院明細帳には、佛生寺天秀寺のみが記載されている。佛生寺の所在地は「佛坂」、記載された管轄からの距離差は約1.5km。峠に佛生寺があるなら天秀寺からの距離差に符合する。寺院明細帳以降、峠の佛生寺は赤ハゲ池に下りて地蔵堂が残り、その後に地蔵堂も下ろされたのか。あの山越えの何処に大伽藍があったのだろうか。

(作成 2026.01.18)