町民センターにて、菰野町70周年記念イベントとして日本温泉科学会の公開講演会が開催された。募集定員300人のホールは半分以上が埋まった。
この学会は戦前に設立され、三重県での大会開催は初めて。
登壇者は四人。最初の学者さんは湯の山温泉について。同じ「湯の山温泉」でも山間部のものと山麓のものでは泉質が全く異なる。山間部の温泉は花崗岩層の亀裂を通過して湧出するので、花崗岩由来の成分が含まれる。対して、山麓部の温泉は堆積層の地下深くから湧出し、極論すれば長島温泉と同じ。掘れば深度100mで温度が3℃上昇するので、1000mのボーリングなら地下水温15℃+30℃で、45℃の温水が湧出するとのこと。そういえば、希望荘では自前泉源の確保のために夜を徹してボーリングが続けられていた。
また、研究によれば、山間部の温泉はラドンを含み、含まないものと比較して血行が有意に良くなるとのことだ。アルファ崩壊をする希ガスがどのように作用するのやら。
二人目は環境省の課長さん。温泉行政の話題を無難にこなすが素人感が漂っている。四月の着任で、お金関係の省内の仕事が主な経歴と自己紹介があったが、仕事に慣れ始めた二年後くらいに次の異動だろう。この素人による「たらいまわし」は誰が得をする制度なのかと思ってしまう。
経済産業省の太陽光発電では素人行政のひどい実例を見せつけられている。自然環境を守るための太陽光発電が森林を切り開くなどの環境破壊を助長しており、間もなくカドミウムを含む中国製の太陽光パネルが耐用年数を経過して山中に放置される時代が来そうだ。後始末は国民の負担にされ兼ねない。温泉とは無関係のことを考えながらボンヤリと講演を聴いた。
三人目の学者さんは、温泉と農業栽培の話題だが興味を持てなかった。地元の大学の人だけれど。
四人目は菰野町図書館の司書さん。湯の山温泉の歴史の話で、個人的にはとても興味深い話題だった。
湯の山温泉の開湯は『菰野町史』(国立国会図書館)に「信憑するに足るるなし」として養老年間に沙門浄薫などとあるが、これは同書に引用された貞享4年(1687)の『手引草並舊跡ひとりあんない』に書かれたもので誘客目的の作文だろうとのこと。
古い記録としては文禄2年(1593)の『駒井日記』(古事類苑全文データベース)に勢州菰野へ湯治に行った記載があるとのこと。著者は豊臣秀吉の祐筆(秘書)。当時、菰野には湯治に利用できる施設があったのだろう。湯の山温泉のことかもしれない。
延享3(1746)写の『勢州菰野湯治案内記』(東京国立博物館)に収録された温泉街の配置図など絵図二枚も紹介された。初見なので東京国立博物館で調べてみたが、読む能力がないので眺めることしか出来ないけれど。
配付資料は講演予稿集と『湯の山温泉むかし話 江戸時代の湯治と名物「かんざらしほしいい」』とタイトルされた12ページのパンフレットなど。有り難い。後者は文化庁の文化芸術振興費補助金で今年3月発行とあり、司書さんの講演内容に相当する豊富な絵図を含んでいる。
日帰り入浴割引券も配布されたが、対象施設9件の内、アクアイグニス、希望荘、グリーンホテルを除くと、物理的(交通とか)にも心理的(貧乏人なので)にも障壁が高い。良い機会だが。
なお、写真は開催協力の菰野町から配布された「鈴鹿山麓雪どけ天然水・菰野清水」だ。採水地は大字潤田。製造者は岐阜県関市の奥長良川名水株式会社とある。賞味期限は2030.08なので、バリア性のあるボトル素材を使用しているのだろう。長期間の保存は、普通のボトル素材だと内部の水が蒸発してボトルがへこんでしまい、最悪は破損するらしい。賞味期間の4年後まで保存してみよう。現在の重量は527gだ。