電子国土ポータルに掲載されたサンプル集やXMLデータ仕様書を見ていると、素人でも電子国土の地形図上にGPSで取得した軌跡を表示できそうなことに気付いた。
実際、カシミール3Dから出力したGPSログを加工して、線形データのXMLサンプルに貼り付ければ表示できてしまった。
9月2日、3日の豪雨により北谷に土石流が発生し、裏道登山道が流出した。中道などから撮影した写真を整理した。
この集中豪雨により北勢地域や西濃地域に被害が発生。大貝戸(藤原岳麓)、八風キャンプ場などに避難勧告。菰野町の湯の山ロッジで橋が落ち、湯の山水産センターでも被害があったらしい。田光川では堤防が決壊とのこと。
体力維持のため、6時前に料金所跡を出発して中道を登った。
出会った登山者は登り9人、下り1人。そして、山頂のトンボはまだ少ない。あちこち立ち寄ってから裏道を下るが、渓流沿いの道とはいえ風が無くて暑い。ウサギの耳で岩登りの講習会か、かなりの人の気配あり。
午後から御在所岳の東尾根を歩いた。目的はアカヤシオの所在確認だ。割谷の左岸尾根から旧道を上がり、左折点で道を離れる。そのまま尾根を直登しても良いが、右手に回り込み保線道から3号塔に上がった。油断しているとゴンドラにぶつかる。
小屋の前から道は西へ向かうが、そのまま尾根を上がり東尾根の670m付近に出る。アカヤシオとミツバツツジが咲いていた。尾根を640mまで下るとアカヤシオが散り始めている。
引き返し、小峠で裏道-中道の連絡路に出合う頃には雨が降りだした。中道に出て下山した。
御在所岳を武平峠から往復のつもりで午後に出かけたが、鈴鹿スカイラインの冬季閉鎖ゲートは閉じられている。武平峠は諦めて、三ツ口谷まで花見の散歩に切り替えた。
その三ツ口谷の歩道整備はエスカレートしており、少々見苦しいように思われる。砂上には歩幅40cmほどの足跡。シカ、或いはカモシカが先ほどまで水を飲んでいたようだ。
日当たりの良い河原には、マンサク、アセビ、ショウジョウバカマの花。見上げればタムシバ。そしてアカヤシオの赤いツボミをひとつ見つけた。
帰路、蒼滝大橋ではミツバツツジ、ゲート付近ではヤマザクラが咲き始め。西日を浴びて心地よい時間を過ごした。
椿大神社から出発、愛宕社の階段下には張り紙。滝ヶ谷登山道は入口付近の椿岩が崖崩れで通行禁止。また、井戸谷登山道には野犬がいるとの情報があり注意とのこと。
中腹にてわずかな花。最初から山頂へ行く気もなく、花見をして引き返した。付近には、表皮が剥がされて枯れるしかない木がある。長さ5cmくらい、2本の平行な歯形はシカの食跡。こうして木は朽ちて斜面の表土が荒れていく。
朝の富士山。もう、黄砂が観測されて空は春色。電線などが邪魔で思うように撮影できぬうちに新幹線は通り過ぎてしまいそう。
久留倍官衙遺跡は、四日市市の大矢知・羽津地区に存在する国指定の遺跡。この付近は、壬申の乱で鈴鹿を越えた天武天皇が伊勢神宮を遙拝した場所でもあい。
久留倍官衙遺跡を考える会により「久留倍官衙遺跡と朝明郡」が発行され、それを記念して四日市市のあさけプラザで「久留倍官衙遺跡フォーラム」が開催され、三重大学・山中教授などの講演を聴いた。教授の主張は「官衙遺跡」とは限らないというものだが。
驚愕、9時過ぎの松坂屋は開店待ちの客で長蛇の列。吉野屋も人だかりで入店不能。仕方なく矢場地蔵を経由して、上前津の吉野家で豚丼3食目。到着した大須観音に参詣客は少なく松坂屋の圧勝。大須演芸場は敏江・玲児。赤門・烏瑟沙摩明王は、28日の縁日に比べると閑散としている。そのまま伏見まで歩いて帰路に着いた。ようやく雑煮を食えるはず。
今年も名古屋市内に軟禁状態。午後の小雨も上がり、意外なことに風のない夜になった。久屋大通の近辺を歩けば、街路灯は消されて人影はまばら。吉野家で豚丼、本日2食目。
街路の一画に話し声が聞こえた。アップルストア前の徹夜組だ。異様な雰囲気を醸し出している。
ノートパソコンをビジネスホテルに持ち込んだが、サーバに接続できず、元旦の更新をあきらめる。ftp接続の設定ミスだった。