山岳マラソンというのか。時々、登山道を走っている人に出会う。いつも同じ人だ。今日は山頂の遊歩道で出合い、約2時間後には国見峠の少し下の裏道で登って(!)来るのに再度出合い、藤内小屋-日向小屋の間では後ろから追い抜かれた。おそるべし。
ようやくGPSを購入した。2週間ほどいじっていたが、今日、初めて山へ持ち込んだ。谷道なので条件が厳しく、軌跡データをカシミール3Dにダウンロードしてみると、軌跡を描けたのは長石谷では50%に満たない。だが、一方の三ツ口谷ではほぼ全行程で軌跡が表示された。まずまずの手応えなり。
週末の8~10日、台風10号が日本列島を縦断した。藤原町では大貝戸と坂本で土石流が発生し避難勧告が出された。土石流は1999年以降、度々発生している。藤原岳はどうなってしまうのか。
1ヶ月振りの山登り。曇っているが御在所岳へ出かけた。
スカイラインの中道登山口を出発したのは7時前だが、多数の登山者を見かける。なかには、タオル一枚だけを持ってスイスイと登って行く人もいる。キレットで出会った登山者に聞いたところでは、最近、中道上部のガレ場で心臓麻痺による死亡者が出たという。また、本谷上部でも死亡事故があったとのこと。スズメバチに気を使いながら登り着いた富士見岩には花束が置かれていた。
9時過ぎ、まだ人影が薄いカモシカセンター前の温度計は22℃。しかし、2時間後に戻るとアキアカネのマーキング調査とのことで子どもが捕虫網を振り回し、パンプスを履いた若い女性が闊歩している。氷川きよしのチャンチキおけさが聞こえる始末。弁当が広げられ、民族的な観光地の雰囲気だ。
裏道で見かけたのは、ピッケルを持ったバテ気味の若者、コンビニ袋に2リットルのペットボトルを2本も入れて登ってくる親父さん、日向小屋を出発して間もないシャワークライミングの一行。今年は梅雨明けが遅れたとはいえ、どこも夏休みだ。
下記の藤原町のカメラは設置場所を変更したようで、藤原岳の全山を見ることが出来るようになった。
藤原町のサイトにライブカメラが追加された。しかし、カメラは東向きに設置されており、右に振っても藤原岳の東端がわずかに見えるだけ。町役場付近からは、藤原岳の全体を望むことが出来るだけにちょっと残念だ。
鈴鹿の山を見られるライブカメラを探したが、下に書いた「鈴鹿山麓からの眺望」以外には、まだ適当なものが見つからない。
バス待ちの時間に四日市市内の書店で「鈴鹿山系の伝承と歴史」が新書版で復刊されているのを見つけた。図書館でしか読めぬ本だったので、さっそく購入したのはいうまでもない。
イワクラ巡りの宿題を片付けに入道ヶ岳へ出かけた。今日は、椿大神社の田植祭。午後には、時を告げる花火の音が聞こえてきた。
5月の台風は温帯低気圧に変わり、午後には青空が広がりだした。いつか訪ねようと思っていた鈴鹿山麓リサーチパーク内の三重県環境学習情報センターへ到着。雲母峰を見上げるこの一画は、バブル時代、日本のあちこちで計画された同類たちのなれの果てといった感じがする。建物1階にその展示スペースがあるが、日曜日のためか見学者はいない。ここに来た理由は「鈴鹿山麓からの眺望」というライブカメラが設置されているからだが、四日市中心部の夜景を見ることが出来ないのが惜しい。
すぐ近くの四日市市ふれあい牧場に立ち寄り、小さな売店で買い物をする。ここの産品はなかなか濃厚でおいしい。伊勢湾を望むこの施設は家族連れで賑やかだった。
プロバイダーのディスク・スペースを使い切ってしまい綱渡り状態だったので、一部の古い山行記録をフリーウエッブへ移転した。
いろいろとあって、1ヶ月ぶりの鈴鹿登山になった。週末、追い打ちを掛けるように、娘がケガをして病院へかつぎ込む。幸いにも大事には至らなかったが、家族全員、気疲れで体調は良くない。
昨年は低調だった御在所岳のアカヤシオは見事に開花していた。
花が咲いた。今年は2月に入ってから雪が降っておらず、入道ヶ岳の雪もほとんど溶けてしまった。
亀山市と鈴鹿市の境界尾根上にある野登寺の古い参詣道を登るも、標高750mを過ぎた付近で引き返した。
雪の尾根上には所々に参道の道形が残るが、ササ、倒木、枝で通れないところが多い。しかし、やはり参詣道であれば、地蔵尊だろうか、途中で3体の石像を見た。植林帯が途絶えた上部では、夢創庵の建物をほぼ真西に見て、車道から登って来るものらしいマバラな赤テープを見つけるが、背丈を超すササと吹きだまりの雪で体力を消耗、出発も遅かったので限界と判断して引き返した。なお、「中山道」の名称は「鈴鹿の山と谷」の記載による。
昨年はずいぶんと鈴鹿の山に登った。このサイトも飽きもせずに継続中である。
自己満足と垂れ流しに過ぎないサイトだが、ウイルスメールと未承認広告にまみれながら、しばらくはこの調子で継続しそうだ。あるいは息切れ間近か