多くの方々に閲覧いただき、カウンタが10,000に達した。プロバイダー提供のコードを少し改変した"積み込みあり"のカウンタだが、やはり嬉しいものです。
先週末と同様、この週末も鈴鹿の峰々に積雪がある。今年は暖冬の予報だが寒波は早かった。
午後から入道ヶ岳へ出かけ、注連縄の残骸が片づけられたイシグラ(イワクラ)を再訪した。見下ろす大ハゲの深い谷底からシカの声が届き、白い尻を見せて木陰へ隠れる。樹木が葉を落としたら、もう一度ここを訪れようか。
風が強く、気温も低くなった。松ノ木谷では、ようやくカモシカの写真を撮ることができたが、茂みのなかの姿ではっきりしない。今度は出会えるのは何時のことやら。
霊仙七ヵ寺のひとつ、松尾寺を訪ねた。最澄、空海と伴に唐へ渡った霊仙が修行した寺とされている。霊仙は日本人で唯一の三蔵法師となり、五台山で永眠した。
JR醒ヶ井駅に隣接した「醒井水の宿駅」で「霊仙三蔵展」が開催されており出かけた。五台山・霊境寺の写真など展示され、現地を取材した「三蔵法師になった日本人」(昭和61年・NHK)のビデオが上映されていた。
ご縁がないと思っていた「週間・日本百名山」が完結し、いつの間にか「続日本百名山」が刊行されていた。このうち、25号(7月14日)が「御在所岳・能郷白山・武奈ヶ岳」と知って購入した。
暑いので鈴鹿へ出かける気になれない。そのかわりに本を読んだ。明治32年に大台教会を設立した行者・古川嵩の伝記である。教会設立の経緯、最後のニホンオオカミ、大台ヶ原の開発など興味深く読んだ。
「大台ヶ原開山記-古川嵩伝記-」鈴木林(2001)近代文芸社 定価1,500円
涼しい朝のうちに登ろうと早朝に自宅を出発した。しかし、鈴鹿スカイラインの蒼滝トンネル西口駐車場はテントが張られ入れない。困ったものだ。仕方なく料金所跡に駐車して中道を登る。
5時10分出発。見上げる御在所岳からは雲が消えて青空が広がる。中道に人影なし。黙々と歩いて高度を上げれば、赤トンボの数が増えていく。
7時過ぎ、朝陽台から三角点を目指してスキー場に降りれば、シカ2頭が逃げて行く。北冷水の源流部は木製デッキで覆われ、その下に建築廃材が投げ込まれている。スキーハウスの横を通り、水滴がキラキラと光る草地を歩く。このスキー場の開設のため、ゲレンデには外来種の植物が導入されているとのこと。
山頂部の自然が破壊されたことは残念。以前の御在所岳はどんな山だったのか。山頂の一隅に置かれた国定公園記念碑には「大自然自然のままに美しく」と刻まれているがペテンに等しい。
17日に藤原岳で土石流が発生、大貝戸・坂本地区では避難勧告が出された。前回は1999年8月、9月に発生している。産経新聞によれば「三重大の林拙郎教授(山地保全学)は同地区について『98年春に起きた局地地震で斜面が崩れ、上流に大量の土砂がたまっているため1時間50ミリ以下の雨でも土石流が起きる』と指摘、今後も警戒が必要とみている。」とのこと。
ブラウザをIE6.0に変更した。このサイトを閲覧すると随分と違って見える。気になるので手直すると徹夜になってしまう。そんなことも影響してか体調を崩した。
先週の土曜日、パソコンがダウンした。20年ほど前、NEC PC8801が夏の夜に黙り込んで以来のこと。当時は修理(割込コントローラ取替)に時間をかけても困ることはなかったが、今では立派な「道具」になのでそうもいかない。リプレイスすることに決定。
このサイトのメンテナンスをできる環境を再構築したが、蓄積した過去のデータは戻ってこない。
何かと気ぜわしいことばかり。
登山計画リストから発作的に選んで、夕方に家を飛び出したのがこのルート。四日市から関西線、草津線、近江鉄道と乗り換えて、日野駅からの最終バスで終点の北畑口バス停に到着した。バスのエンジン音が遠くなると、そこはカエルの鳴き声しか聞こえない月夜。夜明けに登りついた綿向山から東へ向かう稜線は清々しく、シカたちの楽園だった。御在所岳からは膝が痛んだのでロープウェイを利用した。
入道ヶ岳のイワクラ「イシグラ」を訪ねた。
山頂の奥の宮では白装束の人々を見た。椿大社によれば、奥の宮の春季大祭だったようだ。
連休の3日目、御在所岳へ登ったがアカヤシオの花が少ない。花が散ったなら地面に落ちているはずだが、そんなこともない。山頂付近では個体差があり、満開の花もあれば、まったく花がない木もある。今年は、サクラの開花が例年比で1週間ほど早かったが、そんな気象の影響か。
山頂の日本カモシカセンターに入ると、入場口の図書室にあった登山関係の本が、奥の通路脇にできた新コーナーに移されていた。ここで奥村氏による絵地図(鈴鹿の登山記録)が置かれているのを見つけた。初見ナリ。しばらく見入ってしまった。
今日も良い天気。先週と同様に、花を探しに井戸谷へ出かけた。谷の左岸は崩壊しやすい土質の急斜面が多く、花の自生地も限られているようだ。
ところで、避難小屋を過ぎて登山道が水流の左岸から右岸へ渡る手前で左岸上部を見上げると、水平に続く石組みが見えた。少し下の登山道の脇には、何だか知らないが四角い石組みもある。
気になったので、東から尾根沿いに獣道を辿ってみると、石組みが3段になっている。上下のものは小規模で、登山道から見えたのは中段のもの。長さは15mくらいあり、中央部が崩壊して木が生えている。小さな平地が確保されており、奥には人間が入るにはちょっと小さいけれども、人工的な感じの岩屋がある。あるいは、鉱石の試掘跡か。井戸谷の登山道周辺には何かと遺物があるようだ。
晴天の日曜日。遅い出発で井戸谷の花を見に出かけた。北尾根の登山口付近で工事が行われており、平日は車両通行止めになっている様子。
藤原町のホームページがリニューアルされた。そのなかに「今朝の藤原」があり、役場付近から撮影された藤原岳の写真を見ることが出来る。
ちょうど、「鈴鹿山地の雨乞」(西尾寿一)に、池の位置が判らないとして、3行の記述しかない「袴ヶ腰(藤原岳)の大池」に興味があったところでもあり、この写真に誘われて、白雪の藤原岳へ山登りに出かけた。
8合目で約50cmの積雪。「藤原岳の南方の袴ヶ腰の山上の大池に大蛇が住んでおり」と書かれているが、袴ヶ腰三角点の周辺とは思えないので、避難小屋の東方ピークの南面を歩いてみる。無雪期には気付きもしなかったドリーネや窪地がいくつかあるが、どれも池とは思えない。歩き疲れたので山頂へは行かずお仕舞いにする。避難小屋-展望丘間の道から100mほど東へ入ったところにあるドリーネの傍らに座り、展望丘の斜面を往来する登山者を見ながら遅い昼食を取った。青空の下、風もなく暖かい一日だった。
志賀直哉の短編「菰野」を読んだ。昭和8年当時の「菰野温泉」(湯の山温泉)の様子が少し描かれている。(新潮文庫「灰色の月・万暦赤絵」にて)
最近、図書館を良く利用するようになった。「禁帯出」の本も多いので、山へ行かぬ休日は図書館で半日過ごすこともある。
どこの図書館も地域資料の収集は熱心なようだ。また、それと知って、著者から寄贈された本も多い。おかげさまで鈴鹿関係の図書を少し読むことが出来たので、「あれこれ」に入れてあった「本棚」を改訂し、メニューに格上げした。
このサイトを開設して1年が経過した。
それなりの環境を入手したので、htmlの勉強のつもりで鈴鹿をテーマに小さなサイトを立ち上げてみたのだ。おかげで、昨年は鈴鹿へ出かける機会が多くなった。今年は少しペース・ダウンか。