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昭和38

アイ・ウィル・フォロー・ヒム<I Will Follow Him>,哀愁出船,明日があるさ,奄美恋しや,伊豆の踊子,いろいろ節,ウェディング・ドレス,美しい十代,エイトマンの歌,エリカの花散る時,おさななじみ,お嬢吉三,男船[なんだなんだよ],想い出のダイアナ,想い出の冬休み,風に吹かれて<Blowin’ in the Wind >,悲しきカンガルー,悲しきハート,学園広場,学生節,九ちゃんのツンツン節,キューティ・パイ,ギター仁義,銀座ブルース,草笛を吹こうよ,けんかでデイト,恋の売り込み,恋のバカンス,高校三年生,こんにちは赤ちゃん,シェリー,島のブルース,修学旅行,白い制服,女侠一代,姿三四郎[人に勝つより],太陽の下の18才,大脱走マーチ,抱きしめたい<I Want to Hold Your Hand>,チコと鮫,鉄人28号,鉄腕アトム,東京五輪音頭,東京ブルース,ドミニク<Dominique>,泥だらけの純情,仲間たち,長崎の女,泣きぼくろ,渚のデイト,裸の東京,花だより,バイ・バイ・バーディー,パフ<Puff, the Magic Dragon>,故郷のように,ヘイ・ポーラ,星空に両手を,ホンダラ行進曲,舞妓はん,見上げてごらん夜の星を,ミスター・ベースマン<Mr. Bass Man>,ミッチー音頭,みんな名もなく貧しいけれど,夕陽の丘,雪が降る,指切りの街,夢であいましょう,夢見る片想い,浪曲子守唄,ロシアより愛をこめて<From Russia with Love>,若い歌声,若い季節,若い東京の屋根の下,若草の丘,別れの入場券,忘れな草をあなたに,私のベイビー,ワン・ボーイ,ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー,Blowin’ in the WindDominiqueFrom Russia with LoveI Want to Hold Your HandI Will Follow HimMr. Bass BanPuff-the Magic Dragon

 

哀愁出船(2016.11.15)

昭和38年,詞:菅野小穂子,曲:遠藤実,唄:美空ひばり

 「遠く別れて泣くことよりも いっそ死にたいこの恋と」と始まる歌。

 この頃以前の歌では船での別れが多く歌われている。汽車の別れはなんとなくまた会うこともあるかもしれない。線路は続いているのだから歩いてでも,時間はかかってもまた会えるかもとのかすかな希望が残ったのに対し,船での別れは今生の別れという感じが強かったのだろう。

 それにしても美空ひばりの声は低音から高音まで全域にわたって魅力的だ。

 

明日があるさ(2014.8.11)

昭和38年,詞:青島幸男,曲:中村八大,唄:坂本九

 「いつもの駅でいつも逢う セーラー服のお下げ髪」と始まる歌。

 「セーラー服のお下げ髪」というのは当時の代表的な女子中学生・高校生だ。セーラー服は多くの学校の制服だったので珍しくはなかったが,お下げ髪の数は少なかった。髪を伸ばすと手入れが面倒だったのではないかと勝手に想像しているのだが,当時お下げには清純な少女のイメージがあった。この歌の主は当時の普通の中学生くらいの少年のイメージだ。

 この歌は今でいえばストーカーの歌だろう。この歌では「声かけよう声かけよう だまってみてる僕」とあり,単に待ち伏せして,「うしろ姿をつけて行く」だけのようだ。もちろん気づいていれば気味が悪いだろうが実害はなさそうだ。しかし,最近のストーカーは電話を掛けたりメールを送ったり,声をかけるだけでなく危害を加える例も少なからず報道されている。昔と何が変わったのだろうか。

 と考えていたら,娘道成寺を思い出した。少し違うが八百屋お七も似たようなものか。昔から類似の事件はあったようだ。この歌の歌詞からすると,「駅でいつも逢う」というだけで,相手の詳細は知らないようにも感じられる。最近事件になっているストーカーの多くは相手のことをよく?知ってる場合が多いような気がする。別れ話がこじれとか,知り合いの仲での一方的な想いというのが事件に発展するのは今も昔も変わらないのかもしれない。あるいは昔はこのようなことをするのはせいぜい中・高生だったのが,青年から成人、さらには老人までもストーカーになっているようで,このような高齢ストーカーが危険なのかもしれない。

 

奄美恋しや(2019.1.4)

昭和38年,詞:藤間哲郎,曲:桜田誠一,唄:仲宗根美樹

 「波に夕日を大きく染めて 名瀬は日暮れる かもめは帰る」と始まる歌。

 「わしも帰ろうよ」ということなので島を出ているということだ。しかし結局帰れずに「せめて歌おうよ島ぶしを」と故郷を偲んでいる歌。

 この年には名神高速道路が開通している。翌昭和39年には東名高速道路も開通し,東海道新幹線の営業も始まった。本州の中では時間的距離が短縮され始めた時期である。しかしこれらの料金は安くなく,電話による通信でさえ遠距離通話料金は高価で,遠隔地に行ってしまうと故郷との密な交流は不可能だった。ましてや離島ならなおさらである。

 田舎には仕事がなかったが高度成長期の都会には多くの仕事があった。多くの人が都会へと働きに出た時代だ。

 

伊豆の踊子(2016.8.14)

昭和38年,詞:佐伯孝夫,曲:吉田正,唄:吉永小百合

 「天城七里は白い雨 あなたと逢えたは峠の茶店」と始まる歌。

 川端康成の「伊豆の踊子」は過去に何度も映画化されている。ヒロインを演じたのは,田中絹代,美空ひばり,鰐淵晴子,吉永小百合,内藤洋子,山口百恵などである。また,何度もテレビドラマ化されている。

 小説は踊子と出会った学生の視点で書かれているがこの歌は踊子の視点の歌である。私がこの小説関連の歌で一番だと思うのは学生の視点で歌われた『踊子』1)だ。

1)「踊子」(昭和32年,詞:喜志邦三,曲:渡久地政信,唄:三浦洸一)

 

いろいろ節(2020.10.18)

昭和38年,詞:青島幸男,曲:萩原哲晶,唄:ハナ肇とクレイジーキャッツ

 「死ぬの生きるのと さんざんもめて」と詩吟調で始まる。

 人生「いろいろあるよ いろいろね」という歌。不条理と思われることが唄われているのだが,最後は「そんなこたあ どうでもいいじゃねえか」と笑い飛ばそうということらしい。

 

ウェディング・ドレス(2019.6.16)

昭和38年,詞:永六輔,曲:中村八大,唄:九重佑三子

 「誰が着るんだろう あのウェディング・ドレス」と始まる歌。

これより少し前なら,近所でお嫁さんをもらったりお嫁に行ったりということがあった。嫁取りの場合,婚礼荷物の披露があり,これを見物に行ったので,この家にはお嫁さんが来るんだということが判った。荷物は紅白の幕を張った普通のトラックで運んでいた。ガラス?張りの専用トラックがでてくるのはもう少し後のように思う。

嫁に出る場合は自宅で着付けをして,やはり出る時には見物に行った。行くとお菓子がもらえたように思う。文金高島田のお嫁さんが楽に乗れるように座席高さが高い特別のタクシー(ハイヤー?)があった。

しかし、当時の記憶はあまりない。近所に婚礼がなかったのか,私が興味なかったのかわからないが,自宅から花嫁が出るということが少なくなったのではないか。

以下は私の想像である。

以前は婚礼は自宅でしていた。それが戦後の核家族化により,自宅が狭くてできなくなったので,外部の会場で行うようになった。主な会場は神社だった。披露宴は別に料理屋などで行う。これがこの時代ではないだろうか。

こうなると専門の結婚式場などというものができる。しかし教会での結婚式は信者同士でない限り,聞いたことがなかった。恐らく式場の営業戦略と花嫁の希望が合致したのだろう,披露宴のお色直しでウェディング・ドレスを着るということが行われ始めた。当時はそのような時代だったのではないだろうか。

もっと後になるとチャペルのあるようなホテルもでき,信者でなくてもキリスト教形式の結婚式を挙げるカップルが珍しくなくなる。

以上,私の想像だが,この歌の「誰が着るのだろう」というのは,誰もが一度は結婚するという意識はあっても,自分のときは文金高島田,ウェディング・ドレスを着ることはないだろうけど着てみたいという気分が多分に入っているのではないか。

 

美しい十代(2012.8.11)

昭和38年,詞:宮川哲夫,曲:吉田正,唄:三田明

 「白い野ばらを捧げる僕に」と始まるハッピーソングである。「抱いて生きよう幸せの花」と言うわけだ。この頃,もちろん悲しみを唄った歌も多いのだが何となくハッピーソングが多いような気がする。東京オリンピックの前年で皆明るい未来を夢見ていたのだろう。

 三田は御三家1)よりやや遅れてデビューした。御三家に三田を加えて四天王と呼ばれたこともある。4人の中では最も当代明朗青年という印象だった。 

昭和3811月には日米間でテレビ映像の衛星中継実験が行われた。多くの人が見守る中,送られてきた映像がケネディ大統領が暗殺されたことを告げるニュースだったのは衝撃だった。

1)      橋幸夫,舟木一夫,西郷輝彦。他の御三家と区別する場合,元祖御三家と呼ばれることもある

 

エイトマンの歌(2020.1.6)

昭和38年,詞:前田武彦,曲:萩原哲晶,唄:克美しげる

 最初に「エイトマン エイトマン」とコールがあり,「ファイト ファイト ファイト ファイト ファイト エイト エイト エイト エイト エイト」と掛け声がはいいった後に「光る海 光る大空 光る大地」と始まる歌。

 TBS系テレビアニメ「エイトマン」の主題歌。原作は週刊少年マガジンに連載された平井和正と桑田次郎による漫画「8マン」。

 歌詞には「ゆこう 無限の 地平線」などと日本ではほぼ見ることができないような景色があり,「立とう 正義の 旗のもと」などと実体が何かよくわからない言葉が並んでいるだけだ。「弾丸よりも早く」というのはスーパーマンの影響だろう。実質的な内容は無いが,なんとなく気分を盛り上げるような言葉の連なりは軽快なメロディーと共に,娯楽アニメの主題歌としては悪くない。

 

エリカの花散る時(2017.9.12)

昭和38年,詞:水木かおる,曲:藤原秀行,唄:西田佐知子

「青い海をみつめて 伊豆の山かげに エリカの花は 咲くという」と始まる歌。

 植物は(も?)詳しくないのでいまだにエリカの花とはどんな花か知らない。50年以上も知らずに済ませてきたが,ネット検索で「エリカ」というのはツツジ科だと知り,写真も見つかったので何となく想像できるようになった。

 「エリカの花が散るときは 恋にわたしが 死ぬときよ」と歌詞は過激だが,激しい思いを吐きだすというより,諦めを表すかのように静かで透明な歌声だ。

 

おさななじみ(2016.1.13)

昭和38年,詞:永六輔,曲:中村八大,唄:デューク・エイセス

「おさななじみの想い出は 青いレモンの味がする」と始まる歌。

 幼稚園の思い出から,子供が幼稚園に通うまでの壮大(?)な人生ドラマ。転勤族の子供には思いもよらないが,土地持ちの家の子ならあり得ないことではないだろう。

 ところで,「青いレモンの味」とはどんな味だろうか。もちろんここでの「青」は『青葉』と同じように,ニュートンによる色の分類ならば『緑』に分類される色だろう。とするとスダチやカボスのような味なのだろうか。黄色いレモンと同じ味なのだろうか。

 ネットで「青いレモン」を検索すると,ベルばら1)関係の記事が数多くヒットする。私には記憶が薄いのだが,『アンドレ 青いレモン』という章が一部ファンの間では有名らしい。フェルゼンとの別れを決意して失意のどん底にあるオスカルに対し,アンドレが初めて愛の告白をする。それも暴力的にだ。途中で理性を取り戻し,暴行は中止する。このタイトルの「青いレモン」の意味に関していろんな推測がなされているようだが,私は「幼馴染の思い出は青いレモンの味がする」からの借用という意見に賛成だ。借用というより,本歌取りのようなものかもしれないと思う。『ある日突然』2)友達から変わるということなのだろう。しかし,これらの歌とベルばらの場合との決定的違いはアンドレが自身の想いにずっと以前から気づいていることである。それに対してオスカルは突然のアンドレの告白にただ驚くだけだ。アンドレは身分違いの恋をずっと封印しようとしていたのだが,オスカルはアンドレを恋愛対象として眼中にない。単に幼馴染だからというだけでなく,無意識のうちに身分違いということが身に染み込んでいたのだろう。

 それにしてもアンドレ,オスカル,フェルゼン,マリー・アントワネットそれにルイ16世まで含めた複雑な関係,さすが源氏物語を生んだ国の作者だと感心する。

1)「ベルサイユのばら」(池田理代子,昭和47年−,マーガレット連載)

2)「或る日突然」(昭和44年,詞:山上路夫,曲:村井邦彦,唄:トワ・エ・モワ

 

お嬢吉三(2017.12.23)

昭和38年,詞:佐伯孝夫,曲:吉田正,唄:橋幸夫

 「月も朧に白魚舟に 篝(かがり)も霞む春の空」と始まる歌。

 お嬢吉三は河竹黙阿弥作の歌舞伎狂言『三人吉三廓初買』に登場する三人の盗賊の一人で,女装の盗賊である。

 三人の盗賊が初めて出会う『大川端』の場面でのお嬢吉三の台詞『月も朧に白魚の篝も霞む春の空 冷てえ風も微酔いに・・・思いがけなく手に入る百両』『ほんに今夜は節分か・・・こいつぁ春から縁起がいいわえ』のダイジェスト版が1番の歌詞だと言えよう。台詞だけでは状況が伝わらないと考えたのか,2番で百両を手にした状況説明があり,3番でお坊吉三,4番で和尚吉三が登場してこの歌が終わる。

 舞台描写の歌である。

 

男船(2019.7.13)

昭和38年,詞:松井由利夫,曲:大沢浄二,唄:井沢八郎

 「なんだ なんだよ らしくもないぜ まさか涙じゃ ないけれど」と始まる歌。

 歌の一部分だけ,えらいキバって唄っとるなと思わせる唄い方。同様な唄い方は北島三郎や都はるみ,それに山本譲二などで感じるが,嫌いじゃない。伊藤久男などは部分的に特に声量を増やしているという感じがせず,強弱があっても全体に声量あると感じる。

 「いくら惚れても女の未練 乗せちゃ行けない」というのが昭和を感じさせる。

 

想い出のダイアナ(2019.11.7)

昭和38年,日本語詞:みナみカズみ,曲:P. Anka,唄:スリー・ファンキーズ

 「あいしておくれ ダイアナ 君こそは 僕の女神 ダイアナさ」と始まる歌。

に 原曲のタイトルは「Remember Diana」。

 「ダイアナ 僕の気持ち なぜわかってくれないか」という状況で当時の歌にはよくあった状況の一つ。米国の歌にこのような状況が多かったような気がするのは気のせいか。ひょっとしたら,当時の米国のティーン・エイジャーでは女子がYesNoの許諾権を持っていたのかもしれない。日本オリジナルの歌では叶わぬ夢と諦める歌が多かったように思う。これは互に憎からず思っていてもいても諸般の事情で許されずとか,最初から高値の花と諦めてというような印象がある。

 この時代は諦めきれないというような歌を唄ってはいたが,そのうちにこのような歌が少なくなってくると共にストーカーが出現するようになった気がする。

 相手にされない者は何時の世にもいるが,相手にされないのは自分が悪いと考えるか,社会通念を思えば仕方がないと考えるか,相手が悪いと考えるかの違いではなかろうか。

 社会通念と言ったのは立場や分をわきまえるという意味だが,人間皆平等という教育を誤って理解した結果ではないかと思う。

 平等とか公平とかいう言葉は使う人によって内容が異なる。多くの人が公平だと考えれば,不公平と思われることも公平なのだ。例えば競泳ではスタートは足がプールから離れた時だがゴールは手がプールに着いた時だ。明らかに背の高い(手の長い)選手は背の低い選手よりも泳ぐ距離が短く不公平ではないか。結局,自分が公平だと思う内容が普遍的な公平ではなく,皆が公平だと思う内容が公平なのだ。

 

想い出の冬休み(2019.12.7)

昭和38年,唄:弘田三枝子

 「想い出すのは冬休み」と始まる歌。少し休止があってから「冬が過ぎて 春が来ても 忘れないわ 冬休みに スキー場で」と始まるのが本当の始まりかもしれないが。

 原曲はConnie Francisが唄ったI’m Gonna Be Warm This Winter

 冬なのに暖かくなるのは心に火がついたからというわけだ。

 

悲しきカンガルー(2016.2.5)

昭和38年?,詞:みナみカズみ,曲:Rolf Harris,唄:ダニー飯田とパラダイス・キング

「みなさんちょっとここに来て聞いて下さい」と台詞から始まる。歌は「つかない日とはきのうのこと」と始まる。しかし歌詞の多くは「Tie me kangaroo down sport」が繰り返される。

原曲はオーストラリアのRolf Harrisが昭和35年に発表したTie Me Kangaroo Down Sport

」。

 街を歩いていたら可愛い娘が歩いていたが,・・・。ついてない日はこんなものという歌。

 台詞はどんな悲しい物語なのかと思わせるのだが,全体を聞いてみるとなんだそんなことかという程度のついてない少年の話だ。当時「悲しき」を頭に付けたタイトルが流行していたような気がするので,邦題をつけるときに思わず流行りの言葉を頭に付けたのではなかろうか。

 

悲しきハート(2016.12.13)

昭和38年,詞:みナみカズみ,曲:J.Schroeder,唄:弘田三枝子

 「恋がこんなにも つらいことだとは思わずに」と始まる歌。

 原曲はSusan SingerLock Your Heart Away。弘田は海外ポップスの日本語版を多数唄っていた。

 「あたし一人くるしんでいるの」,「もう一度おねがいよ 幸せにしてちょうだい」と,一度は幸せなときもあったようだが,今は悲しきハートということらしい。しかし,曲はノリのよさそうな軽快な曲で,苦しみを楽しんでいるようにも聞こえる。

 

学園広場(2013.6.1)

昭和38年,詞:関沢新一,曲:遠藤実,唄:舟木一夫

 「空にむかってあげた手に」と始まる歌。舟木一夫初期の学園三部作の第3弾である。

 『高校三年生』1)では文字通り最後の学年,『修学旅行』2)ではほんの数日間の思い出,そしてこの「学園広場」では3年間の思い出が歌われている。ただし,「学園広場」では具体的なエピソードは歌詞に表されておらず,抽象的な思い出だ。三曲の中では最もゆったりとメロディーが流れ,静かに思い出を噛み締めることができるよい歌だ。

1)      「高校三年生」(昭和38年,詞:丘灯至夫,曲:遠藤実,唄:舟木一夫)

2)      「修学旅行」(昭和38年,詞:丘灯至夫,曲:遠藤実,唄:舟木一夫)

 

学生節(2019.8.31)

昭和38年,詞:西島大,曲:山本直純,唄:ハナ肇とクレイジー・キャッツ

 「一言文句を云う前に ホリャ親父さん ホリャ親父さん」と始まる歌。

 「あんたの息子を信じなさい ホリャ信じなさい ホリャ信じなさい」と続く。

 歌詞の他の部分で理由を示して説得しようとしているわけではない。「風が吹いたらナンマイダ」「色即是空アミダくじ」「雨か天気か下駄に聞け」などと聞き覚えのある言葉が並んでいるのだが,結局はただ「信じなさい」というだけだ。「信じる」ということは論理ではないということか。

 ゴチャゴチャ小うるさいことを言われている若者の思いを歌ったということなのだろう。

 

九ちゃんのツンツン節(2014.9.23)

昭和38年,詞:坂本九,曲:不詳,唄:坂本九

「僕は真面目な高校生 胸に五つの金ボタン」と始まる歌。

高校生のとき彼女と出会い,「角のパーラーの隅の椅子」でのデートを重ね,大学を出て結婚し,子供が母校に入り,・・・「その子供のそのまたその孫は やっぱし母校へ入るでしょう」という歌。1節ごとに「ツンツン」という掛け声のような合いの手が入る。

『ドリフのツンツン節』1)というのもある。「九ちゃん」のほうはハッピーな連続ストーリーだが,°ドリフのほうは『僕は可愛い小学生』,『僕は真面目な受験生』と続いていき『僕は哀れな婿養子 結婚九年目離婚ざた』という感じでハッピーとは言えないようだ。

私は九ちゃんのほうが好きだ。

1)「ドリフのツンツン節」(昭和46年,詞:なかにし礼,曲:不詳,唄:ザ・ドリフターズ)

 

キューティ・パイ(2017.1.22)

昭和38年,詞:J.Tilleston/あらかわひろし,曲:J.Tilleston,唄:伊東ゆかり

 「アーハー アーハー キューティー・パイ」と始まる歌。

 「神さまが よこしてくれた 素敵な 私の天使」が何度も現れる。

 元歌はジョニー・ティロットソンの歌らしいが元歌の記憶はない。

 

ギター仁義(2021.4.24)

昭和38年,詞:嵯峨哲平,曲:遠藤実,唄:北島三郎

 「雨の裏町 とぼとぼと 俺は流しのギター弾き」と始まる。

 「おひけえなすって 手前ギター一つの 渡り鳥にござんす」の箇所が印象的。

 映画などで見るとこのころまでは流しのギター弾きは珍しくなかったように思うのだが,私は直接知らない。私が夜の街に出るようになったころには流しのギターはほとんど見なかった。見たことはあるので,私が行く店およびその周辺にはいなかっただけかもしれない。仲間との飲み会で歌も唄ったが,アカペラだった。歌は春歌が多かったように思う。

 いつからかカラオケで唄うようになった。最初は音だけで,歌詞カードを見ながら唄ったが,レーザーディスクの登場でテレビ画面に歌詞が出るようになった。

 店での音楽では,専門のギタリストやピアニストがいる店もあったし,オーケストラいる店もあった。私が比較的よく行った店では何も音楽は流れていなかったが,有線放送が流れている店もあったように思う。有線放送は喫茶店などのほか理髪店などでも流れていたように思う。

 フルバンドの伴奏で唄わせてもらえる店は一度しか行ったことはないが,さすがにそのような店では全ての客が聴いているし,歌詞カードを見ながら唄う客もいない。唄う客はセミプロ並が多いので,いくらおだてられてもステージに上がるのは尻込みしてしまう。

 若い頃時々行った店にはジューク・ボックスがあった。1960年代のアメリカン・ポップスのレコード中心に曲が揃えられていた。そういうコンセプトの店だったということだ。

 

銀座ブルース(2019.8.6)

昭和38年,詞:相良武,曲:鈴木道明,唄:和田弘とマヒナスターズ&松尾和子

 「たそがれゆく銀座 いとしい街よ」と始まる歌。

 「ほんとにあなたっていい方ね でもただそれだけね」という歌詞が記憶に残る。普通なら「でもただそれだけね」は心の中で言って口には出さないのだろう。それを気付かず,前半だけを真に受けるのはストーカー予備軍ではないか。

 婉曲な断り方が通じなくなってきているような気がする。

 

草笛を吹こうよ(2015.10.17)

昭和38年,詞:門井八郎,曲:上原賢六,唄:浜田光夫/三条江梨子

 「涙がこぼれて止まらない時は」と始まる歌。

 いかにも昭和の青春歌謡という感じを受ける。今でも草笛は吹かれているのだろうか。

 私が小学生の頃,草笛はよく吹かれていた。小学校ではハーモニカや縦笛の授業があった。鍵盤ハーモニカやリコーダになる前だ。放課後,友人とハーモニカを吹いて遊ぶことはあったが,縦笛を吹いて遊んだ記憶はない。登校時は急いでいるのでやらないが,下校時には途中の道で採った葉や豆など,各種の植物を口に当て(または含み)これを吹いて鳴らしながら帰った。道草は食いはしなかったがしばしば口にした。当時は牛馬も道を歩いていたが,馬の小便がかかっているのではないかなどとは夢にも思わず,何のためらいもなく口にしていた。小学校の遠足は文字通り徒歩での遠足だったが,途中で草笛を吹くことは普通で,先生に注意された覚えもない。

 「丘へのぼって」「風よ」「雲よ」と呼びかけるというような自然が身近にあったのが昭和の時代だろう。

 

けんかでデイト(2016.9.14)

昭和38年,詞:Orville.Couch Eddie McDuffBill Smith/みナみカズみ,曲:Orville.Couch Eddie McDuffBill Smith,唄:田辺靖雄/梓みちよ

 「けんかしちゃった (女)まだ怒ってるの! (男)さっきごめんね」と始まる歌。

 原曲はPaul & PaulaFirst Quarrel。日本語歌詞にある「はじめてのけんか」というのが原題に近い。

 『ヘイ・ポーラ』の続きだろう。私からすれば,勝手にやってくれと言いたい歌。

 カラオケなどでデュエットソングが唄われることも少なくないが,この歌が唄われるのを聴いたことがない。唄下手には唄いにくそうな歌だし,唄上手には聴かせどころがない歌だと思われているのではなかろうか。

 

恋の売り込み(2017.2.15)

昭和38年,詞:C.Walker/E.Arnold/あらかわひろし,曲:C.Walker/E.Arnold,唄:伊東ゆかり

 「I’m gonna knock on your door, Ring on your bell でておいでよ」と始まる歌。

元歌はEddy HogdesI’m Gonna Knock On Your Door。当時私が聴いた歌は英語の歌詞だったような気がするのだが,Eddy Hogdesだったのか日本人歌手だったのか記憶にない。伊東ゆかりの歌も後半は全て英語なので,やはり伊東ゆかりの歌を聴いたのだろうか。

最後の「I’m gonna knock and ring and tap and knock and ring and tap and knock and ring until you do」と繰り返すところも印象に残っている。いまなら,このしつこさはストーカーといってよいだろう。

 

恋の売り込み(2020.6.26)

昭和39年,詞:C.Walker/E.Arnold/あらかわひろし,曲:C.Walker/E.Arnold,唄:伊東ゆかり

 「I’m gonna knock on your door  Ring on your bell」と始まる。

 元歌はEddie HodgesI’m Gonna Knock On Your Door

 あらかわの詞は元歌の特徴的な詞を英語のまま残しているので 全体として日本語になっているといってよいのかどうか解らない程に英語が多い。当時の和訳ポップスではほとんど意訳されている歌もあれば,原語が多く残されている歌もあった。

 

恋のバカンス(2011.10.29)

昭和38年,詞:岩谷時子,曲:宮川泰,唄:ザ・ピーナッツ

「溜息のでるよな」曲である。

太陽光が降り注ぐ灼熱のビーチが眼に浮かぶ。やはり水着はビキニだろう。日本の海水浴場のように芋の子を洗うような海岸でなく,遠い南の国の白い砂浜だ。

いろんな双子デュオがいるが,私はザ・ピーナツが一番上手いと思う。「溜息がでちゃう ああ」の「ああ」なんてほんとに溜息がでる。

すばらしい歌をくだらない話で終わって申し訳ないが,「人魚のように」という歌詞から人魚を想像してしまった。人魚は下半身裸が多いような気がして,それから何年かあとに流行ったナンセンスクイズを思い出した。「鯉がはくパンツは何色でしょう」。答「こいははかない」。

 

高校三年生(2011.9.24)

昭和38年,詞:丘灯至夫,曲:遠藤実,唄:舟木一夫

「赤い夕日が校舎をそめて」という歌いだし,「ああ〜ああ〜高校三年生」というサビの部分,同世代が集まって一番盛り上がるのがこの歌だろう。出た当時も人気曲だったが,学年が若干ずれているので,同窓会などで歌うことのほうが多く,身体になじんでいるように思う。レコード大賞新人賞を受賞している。

 橋幸夫,舟木一夫,西郷輝彦は御三家と呼ばれ高人気だったのだろう。ウタはイマイチだが,一番カッコいいと密かに思っていた西郷輝彦は,電車の中でちょっと可愛い女子高生が好きだと話しているのを聞いて嫌いになった。

 舟木一夫といえば,紅白で歌詞を忘れたことがあったように思う。歌詞を間違えている歌手はたまにいたが,あのときの舟木のようなのは珍しい。とはいえ,レコード大賞の授賞式で歌えなくなる歌手は何人もいるし,後には紅白美空事件のアナウンサーもいる。フライにヘッディングしたプロ野球選手もいて話題にはなっても大きな問題ではない。しかし,アナウンサーの件は誰かフォローしてやれなかったのだろうか。

 

こんにちは赤ちゃん(2012.12.3)

昭和38年,詞:永六輔,曲:中村八大,唄:梓みちよ

「こんにちは赤ちゃん」と呼びかけ,「私がママよ」と終わる歌。子供が生まれた喜びの歌で第5回レコード大賞を受賞した。寝た子を起こすような喜びようで,赤子に聞かせるような歌ではないと思うが,子供はどのように聞いているのだろう。

 胎教とかいって,出生前からモーツァルトを聞かせると良いとかいう話もあるようだが,これは妊婦の精神的健康に良いのかも知れないと思う。赤子に聞かせるのなら子守唄だと思うがどうだろうか。

 日本の古い子守歌は,貧しさのために奉公に出された少女が,奉公先の子供を寝かしつける歌が多いので,歌詞には何とか大人しく寝て欲しいということと自分の身の不幸を愚痴るようなものが多く,喜びとは縁遠い歌が多いが,子守は本能か経験かで知っていたのだろう,静かな曲でないと子供は寝つかないということを。

 すやすやと眠る子供を見ている親が唄う子守歌と,ぐずる赤ん坊を寝かしつけようとする奉公人が唄う子守歌では歌詞に大きな違いがあるが,曲のテンポには共通性があるように感じる。しかし,この「こんにちは赤ちゃん」は眠りに誘うテンポではないと思う。

 

シェリー(2015.11.9)

昭和38年,詞:Bob Gaudio/漣健児,曲:Bob Gaudio,唄:ダニー飯田とパラダイス・キング/九重佑三子

 「シェエリー シェリィベイビー ・・・」と繰り返すコーラスで始まる歌。

原曲のSherryを歌ったのはFrankie Valli and The Four Seasons。こちらもラジオからよく流れていた。

この曲のハイトーンは石川進だったような印象を持っていたが,石川は昭和37年にパラダイス・キングを抜け,代わりに加わったのが九重佑三子らしい。私の記憶違いだろう。声が印象的だったのだが。

別の資料だと昭和37年となっている。パラキン(当時こういったかどうか記憶にない。殿様キングスの殿キンからの連想だ)と共に記載されているボーカルも佐野修・九重佑三子となっている資料もある。私にとっては細かいことは忘れてしまう程度の歌であり,現在どちらのデータが正しいのか調べてみようという意欲が湧くほどの歌でもない。私の中では,この頃ヒットした歌の一つという位置づけだ。

 

島のブルース(2013.1.29)

昭和38年,詞:吉川静夫,曲:渡久地政信,唄:三沢あけみ/和田弘とマヒナスターズ

「奄美なちかしゃ蘇鉄のかげで」と始まる歌。独特の声で唄う三沢あけみは第5回レコード大賞新人賞受賞。

三沢あけみのデビュー曲は「ふられ上手にほれ上手」1)であり,「島のブルース」は2曲目である。デビュー曲は色気がありすぎるということで放送禁止になったらしい(Wikipediaによる)が,何度かは聞いたことがある。レコードは持っていないのでラジオかテレビで放送されたことはあるのだろう。歌詞は大したことない(放送禁止にするほどでないという意味)と思うのだが,三沢あけみが唄ったことが問題だったのかもしれない。昭和38年というと三沢が17歳から18歳になる年だが,高校生くらいの娘にこのような歌を唄わせるということが良くないということだろうか。確かに彼女の声は色っぽいといえるだろうが,そのように聞かせることがこの歌の目指すところなのだろうから彼女には罪はないだろう。まあ,昔の宴会歌ということか。

「島のブルース」では歌詞からそのような要素は排されてはいるのだが,三沢あけみの声はいかんともしがたく,純朴な?島娘が浜で唄っているというより,お座敷で唄っているように聞こえるが,それはそれでいいだろう。

この年から,国産連続テレビアニメ第1号『鉄腕アトム』の放映が始まった。子供の頃,テレビアニメもいろいろ観た記憶があるが,これが第1号なら,私は既に高校生だ。高校生になってから子供向けのテレビアニメを観るほど幼かったのだろうか。あるいは雑誌『少年』などの別冊付録などと混同してしまっているのだろうか。それにしても高校時代の記憶すら曖昧になってしまっているとは情けない。

1)      「ふられ上手にほれ上手」(昭和38年,詞:木腑大次郎,曲:渡久地政信,唄:三沢あけみ/和田弘とマヒナスターズ

2)      手塚治虫:「鉄腕アトム」(「少年」(光文社)の昭和27年〜43年の連載漫画)。昭和38年−41年,初の国産テレビアニメとしてフジテレビ系で放映)

 

修学旅行(2013.9.18)

昭和38年,詞:丘灯至夫,曲:遠藤実,唄:舟木一夫

 「二度とかえらぬ思い出乗せて」と始まる歌。

 『高校三年生』1)に次ぐ第2弾ということになるが,インパクトは『高校三年生』には及ばない。

 私の修学旅行は,小学校では奈良・京都だった。中学では箱根・鎌倉・東京,高校は別府・長崎というところだった。そういえば修学旅行の写真は全て白黒写真である。高校を卒業してからまもなく,母校が夏の甲子園大会に出場した。卒業生にも寄付を募っていたので僅かながら寄付したところ,大会終了後に入場行進時の写真を送ってきた。これがカラー写真だった。

 そもそも写真というのはほとんど残っていない。父親は一時自宅でDPE(現像・焼付・引き伸ばし)をしていた位だから,写真は撮ったのだろうがどこにしまってあるのか不明だ。既に捨てられているかもしれない。自分で現像したりするにはカラーは困難だったから白黒写真だったということもあるが,学校で撮ってくれるスナップ写真なども白黒写真だった。写真部などというクラブ活動もあったが,そこでも白黒写真だった。

 修学旅行のことを思い出そうとしてもほとんど思い出すことはない。特に悲しかったという記憶もないので,それなりに楽しかったのだろうが。高校の修学旅行は2年生のときに行ったのだが,1学年全体で同時に行くことは出来ず,奇数クラスと偶数クラスで日をずらし,2回に分けて実施された。団塊の世代で,1学年の人数が多かったのだ。

1) 「高校三年生」(昭和38年,詞:丘灯至夫,曲:遠藤実,唄:舟木一夫)

 

白い制服(2014.11.6)

昭和38年,詞:佐伯孝夫,曲:吉田正,唄:橋幸夫

 「湖くらく なに泣く風か」と始まる歌。

 1番と2番,2番と3番の間に割に長い台詞が入る。「・・・なぜ言わなかったのだろう 言えなかったのだろう・・・愛してるって」となっているが,当時「愛してる」という言葉は会話の中では一般的ではなかったように感じている。会話でいうなら『好きだ』だろう1,2)

 歌詞には明示されていないが「白い制服」というのは当然看護婦,場所は高原の結核療養所,主人公は明日退院予定の入院患者だろう。

結核は昔は労咳と呼ばれ,長期療養が不可欠な病気だった。平手造酒,沖田総司,高杉晋作,正岡子規,石川啄木など多くの著名人も罹患している。結核に関する文学も多数ある。ここには男性患者だけをあげてしまったが『不如帰』(徳富蘆花)の浪子のようにもちろん女性にも感染する。

空気のきれいな高原での療養が良いとされ,高原にある結核専用の療養所での看護婦と患者のロマンスは一時期メロドラマの定番の一つだった。歌謡曲でもこのテーマは取り上げられている3,4)。佐伯孝夫にはこのようなイメージがあったに違いない。

しかし,ストレプトマイシンの発見により,結核は治りにくい病気ではなくなった。たしかに私が子供の頃は毎年ツベルクリンの検査があったが,この歌の頃は結核は特別な病気ではなくなってしまっていたのではないか。それで佐伯も詞に状況を詳しくは入れなかったのだろう。

ストレプトマイシンは昭和18年,Albert Schatsにより発見された。米国のRutgersThe Stete University of New Jersey)のSelman Abraham Waksman教授の下で卒業研究を行っていたときである。Waksmanは昭和27年のノーベル賞を受賞している。Schatsはこの受賞から外れているが,発見者としての訴訟を起こしている。ノーベル賞委員会はSchatsは指導学生として指導を受け,Waksmanの研究設備を使用してたまたま発見(単離)したものであり,授賞理由はこれ以外にWaksmanが行った抗生物質の研究結果(種々の抗生物質を発見し,これらの総称として抗生物質(antibiotics)の名を考案した)に対するものであるとしてSchatsを受賞者に含めなかった。一方裁判はSchatsWaksmanをストレプトマイシンの共同発見者と判定し,両者は和解した。

1)「好きだった」(昭和31年,詞:宮川哲夫,曲:吉田正,唄:鶴田浩二)

2)「私の城下町」(昭和46年,詞:安井かずみ,曲:平尾昌晃,唄:小柳ルミ子)

3)「月よりの使者」(昭和24年,詞:佐伯孝夫,曲:佐々木俊一,唄:竹山逸郎/藤原亮子)

4)「高原の駅よ,さようなら」(昭和26年,詞:佐伯孝夫,曲:佐々木俊一,唄:小畑実)

 

女侠一代(2016.4.8)

昭和38年,詞:遠藤実,曲:遠藤実,唄:畠山みどり

「やってやれない事はない人は一代 人は一代名は末代さ」と始まる歌。

女侠と聞くと,私は少し後の江波杏子や藤純子を連想するのだが,ここでは「持ったつるはしゃ」とか「トロッコ押せ押せ」の歌詞から解るように江波や藤が演じた女侠とは渡世の方法が異なるようだ。

侠客とは精神と行動の在り方だということなのであろう。

なお,女性の労働に関しては,農業などはもちろん,肉体労働は以前から可能だった1)。昭和のこの時代,女性の進出が困難だった領域はホワイト・カラーのサラリーマン(ウーマン)分野だった。女性政治家も多くなかったが。そういえば医学系以外の理系女というのも少なかったかもしれない。

1)「ヨイトマケの唄」(昭和40年,詞:丸山明弘,曲:丸山明弘,唄:丸山明弘)

 

姿三四郎(2017.3.12)

昭和38年,詞:関沢新一,曲:安藤実親,唄:村田英雄

 「人に勝つより自分に勝てと」と始まる歌。「月が笑うぞ三四郎」という箇所が印象に残っている。

 作詞の関沢と作曲の安藤は,後に姿憲子にも同タイトルの曲1)を書いている。

 フジ系テレビドラマ「姿三四郎」主題歌。このドラマで三四郎を演じたのは倉丘伸太郎である。

 このころ,私は学生生活全期間を通じて一番成績が悪かったように思う。何をしていたのかよく解らない。まあ,ギターを弾いていたのは確かだ。特に英語ができなかった。その後英会話学校に通うなど,他人よりかなり遅れてから,かなり勉強したつもりだが英語は書くのも会話も上達しなかった。後に米国で仕事をしていたときにはテレパシーで相手の言わんとすることを察知し,不得意な話題になると得意な話題に次第に変えて行く技術だけが上手くなった。他人が見ればJapanese Englishまる出しだが,それなりに会話が続いていると思ったかもしれない。

 最も不得意な会話内容が固有名詞とくに人名がでてくる会話だった。芸術関係の話をしても,クラシック音楽の作曲者の名前が通じない,曲名も通じない,有名な画家の名前も通じない,作品名も通じない、小説家や詩人についてもそうだ。唯一年配の中国人とは唐詩や宋詩などに関して筆談でようやく通じた程度だ。同僚は私のことを専門バカと思っていたかもしれない。あるいは専門もバカと思っていたかもしれない。何しろ六角レンチなどの名称を知らないし,綿棒のような物すら現物を見せられないと理解できなかったのだから。

1)「姿三四郎」(昭和45年,詞:関沢新一,曲:安藤実親,唄:姿憲子)

 

太陽の下の18(2019.3.28)

昭和38年,詞:Fontana/水島哲,曲:Momcone,唄:伊藤アイコ

 「ツイストツイスト」とつぶやいているうちに終る歌。

 曲自体はツイストが踊れそうだが,歌詞は特に印象に残らない。一応No,1からNo.9まで1行づつ意味のある詞があるが,結局は「このままいたい 二人きり」ということのようだ。

 

チコと鮫(2019.10.6)

昭和38年,詞:水島哲,唄:伊藤アイコ

 「果て無く続く 青空の下 タヒチの島は 愛の島」と始まる歌。

 同タイトルの映画の主題歌を日本語に訳してカバーしたものらしいが,映画も観ていないのでよく知らない。後のアイドルと比較すると,歌詞を明瞭に,一音一音しっかりと発音しているが,この歌が私に与える強いインパクトは大きくない。

 伊藤アイコは当時外国のポップスの和訳版をよく唄っていたが,当時の私は外国ポップスは原盤をラジオで聴いていた。ナベプロの歌手が同様に和訳版を歌うのはテレビでよく観たが,伊藤はVictorで,その番組には出演していなかった。

 

大脱走マーチ(2014.12.18)

昭和38年,詞:三田恭次,曲:Elmer Bernstein,唄:デューク・エイセス

 「さあ勇気だし 皆んな力あわせ」と始まる歌。

 Steve McQueen主演の米国映画「大脱走」(原題:The Great Escape)のメインテーマ曲に詞をつけたもの。Mitch Miller合唱団が唄う英語版も何度も聞いた。英語版のほうが聞いた回数は多いかもしれない。英語版の歌詞は「MabelI love you Mabel」と始まる。

 今は,ほとんどラジオを聴かないので現状を知らないが,昔はラジオから映画のサウンド・トラック版などの音楽が良く流れていた。・・・そういえば最近も『アナと雪の女王』の主題歌1)を(テレビだが)よく聴いた。

1)「Let it Go」(平成26年,詞:Kristen Anderson-Lopez/Robert Lopez,曲:Kristen Anderson-Lopez/Robert Lopez,唄:Idina Menzel

 

鉄人28(2015.12.2)

昭和38年,詞:三木鶏郎,曲:三木鶏郎

 「ビルのまちにガオー 夜のハイウェーにガオー」と始まる歌。

 横山光輝が昭和31年から雑誌『少年』に連載していた漫画「鉄人28号」がフジテレビ系でアニメ化されたときの主題歌。昭和34年にはニッポン放送のラジオドラマとして放送されていたがその主題歌1)とは異なる。また,昭和35年には日本テレビ系で実写ドラマが放映されたが鉄人のクオリティなど,高いものとは言えなかった。

 鉄人といえば,衣笠・金本などの野球選手や,道場・坂井・陳などの料理人などのほかいろんな鉄人がいるが,ほとんどが男性である。唯一と思われる鉄の女はサッチャーだ。鉄人28号はやはり男だったのだろう。ロボットに性別があるのかどうかは疑問だが,鉄腕アトムとウランはそれぞれ男・女だろう。

 ところで,鉄人28号は金田正太郎がコントローラーで操縦しているように見える。コントローラーにはディスプレイが無いようだし,コントローラーを複雑に操作しているようには見えないので,高度なマクロ命令で,かなりの部分は自律的判断で動作しているのだろう。

1)「鉄人28号」(昭和34年,詞:鈴木厚,曲:渡辺岳夫,唄:上高田少年合唱団)

 

鉄腕アトム(2016.2.29)

昭和38年,詞:谷川俊太郎,曲:高井達雄,唄:上高田少年合唱団

 「空を超えて ラララ星のかなた」と始まる歌。

 昭和26年から雑誌『少年』に連載された手塚治虫の「鉄腕アトム」が,昭和38年からフジテレビ系の連続テレビ漫画として放映されたときの主題歌。これが日本初のテレビアニメと言われている。

 なお,「鉄腕アトム」は昭和34年からフジテレビ系で実写ドラマとしても放映されている。65回放映されたそうだからそれなりに人気はあったのだろうが,いかにも作り物のアトムに私は違和感いっぱいでほとんど観たことがない。それに比べてアニメ版は紙の漫画と同じで,はるかにリアリティ(?)があった。

 

東京五輪音頭(2012.1.24)

昭和38年,詞:宮田隆,曲:古賀政男,唄:三波春夫

 「ハァ〜あの日ローマでながめた月が」で始まる歌。昭和39年の東京オリンピックを待つ歌で多くの歌手が競作した。「四年たったらまた会いましょと固い約束夢じゃない」だ。

 東京オリンピックは昭和15年に開催される予定だった。支那事変の収拾がつかず,日本が開催を返上し,ヘルシンキでの開催予定となったがこれも第二次世界大戦のために開催されなかった。結局この大戦のためにオリンピックが2回開催を見送られている。

 

東京ブルース(2013.12.15)

昭和38年,詞:水木かおる,曲:藤原秀行,唄:西田佐知子

 「泣いた女がバカなのか」と始まる歌。

 男に騙された女の歌である。「死ぬまでだまして欲しかった」とあるので,未練はあるのだろう。バーブ佐竹の歌にも『だまし続けてほしかった』1)というフレーズがあるが,本当に女性がこのように思うことがあるのかどうか私には解らない。作詞者は男性であるから,男性からの希望的想像かもしれないと思ってしまう。

 藤圭子は『バカだなバカだなだまされちゃって』と歌詞の他の箇所には未練が見え,怨みを込めて歌っているが,西田佐知子は歌詞には「恋の未練の東京ブルース」とあるが諦めきった様子で淡々と歌っている。

 三人の歌ではバーブが唄っている女性が一番弱々しく感じられる。西田の歌の女性と,藤の歌の女性はタイプは違うが,どちらも強い女性を感じる。

 西田はいろんなタイプ・状況の女性を歌っているが,感情を強く出しすぎることなく,ほとんどの歌を淡々と唄っており,それがまた良いところだ。

 藤は,表情こそ無表情だが,歌声には怨みを込めて唄い,それはそれで良い。

1) 「女心の唄」(昭和39年,詞:山北由希夫,曲:吉田矢謙冶,唄:バーブ佐竹)

2) 「新宿の女」(昭和44年,詞:石坂まさを,曲:石坂まさを,唄:藤圭子)

 

泥だらけの純情(2016.5.31)

昭和38年,詞:佐伯孝夫,曲:吉田正,唄:吉永小百合

 「裏街流れる 淋しく流れる この泥だらけ 汚れた川にも」と始まる歌。

 藤原審爾の同名小説を基にした歌。吉永小百合と浜田光夫(日活)や山口百恵と三浦友和(東宝)で映画化されており,映画の主題歌である。

 私はこの小説を読んでいないし,これらの映画や別にテレビドラマもあるらしいがどれも観ていない。知っているのはこの歌だけだ。

 小説はチンピラと令嬢の物語らしいが,歌詞からだけでは内容は想像できない。歌詞は当時の社会状況を表しているように感じる。

 いまでこそ田舎の道もほとんど舗装されているが,当時はある程度の街でも未舗装道路が多く,雨が降ると泥だらけになった。また,街中の川や用水は今では蓋をされている場所が多いが,当時はむき出しのものが多かった。雨の日以外はほとんど水が流れず,小さくで汚いのはドブと呼んで掃除でドブさらいをするときくらいしか関わることがなかったが,ややきれいな流れでは小学生低学年の子供などが小魚など種々の生き物を採って遊ぶなどしていた。やや大きな農業用水などではよく魚釣りをした。もう少し大きな川では魚釣りもしたが,手作り筏で遊んだりもした。小学校からは川で遊ばないよう通知が出てはいたのだが。川にはいろんなものが捨てられ流れてくる。豚コレラで死んだ豚が大量に川に投棄されたとの話も聞いたことがある。

経済成長に伴い,これらの廃棄物によって急速に川や海が汚れた。大気汚染もあったが,この前後がいわゆる公害のピークだったのではないだろうか。産業廃棄物以外に生活排水も多かったのだろう。ただ,雨の後にはどの流れも泥水になったが,普段から泥水の流れは付近にはなかった。都会にはヘドロの川はあったかも知れないのだが,いわゆる泥の川というのは想像できない。

佐伯がどのように思いこの歌詞を書いたのか知らないが,泥だらけというのは,汚く見えても洗えば綺麗になるという意味ではないだろうか。

 当時,吉永小百合はもちろん映画にも出ていたが歌もよく唄っていた。唄う姿は一所懸命真面目に唄っているように見えた。

 

仲間たち(2015.12.26)

昭和38年,詞:西沢爽,曲:遠藤実,唄:舟木一夫

 「歌をうたっていたあいつ 下駄を鳴らしていたあいつ」と始まる歌。

 故郷を離れ,昔(といっても近い過去)の集合写真をみて,仲間を思い出している歌だろう。『高校3年生』だったのが,卒業したのだ。

 当時,卒業して離れ離れになると連絡手段はほぼ手紙に限られていた。もちろん筆まめな人間もいただろうが,手紙は電話やメールよりは手間がかかる。自分が出さなければ次第に相手からも来なくなる。仲が良かった仲間達も,こうして次第に疎遠になり,ついには音信不通になってしまう。

 現在が幸せで充実した生活なら,昔の写真を取り出して見ることもないだろう。都会で孤独な生活をしているのだ。

1)「高校三年生」(昭和38年,詞:丘灯至夫,曲:遠藤実,唄:舟木一夫)

 

長崎の女(2012.10.7)

昭和38年,詞:たなかゆきを,曲:林伊佐緒,唄:春日八郎/ヴォチェアンジェリカ

 「恋の涙か蘇鉄の花か」という歌。長崎の名所が随所に歌いこまれたご当地ソングだ。関西以西で最も良く歌われている土地が長崎ではないだろうか。

 「サファイヤ色のまなざしが」とあるので印象としては外国人である。娘(こ)ではなく女(ひと)となっているので,少し年増のようだ。「噂にすがりただ一人尋ねあぐんだ港町」と現在は連絡が取れずに探しているようだ。忘れるほうがいいかとも思うが忘れられずにいる。

 この年,日本に初めて横断歩道橋ができた。大阪である。自家用車はまだ少なかったが当時の軽4輪規格で360ccではあったが画期的なスバル360が昭和33年に発売され,マツダ,ダイハツ,三菱なども軽4輪に参入し,次第に車優先社会になっていく時代である。

 

泣きぼくろ(2018.1.14)

昭和38年,詞:志賀大介,曲:吉田正,唄:和田弘とマヒナスターズ

 「泣きぼくろ泣きぼくろ たまらなく愛しくて」と始まる歌。

 想い出しながら,鏡を見て自分に泣きぼくろを描き,それを見て「あつい涙がこみあげて」というのだから相当重症だが,松平の声はたまに混じるファルセットも含めてこの歌によく合っていると思う。とはいえ,私にとっては歌詞を真剣に聞きながら聴く曲ではなくBGMとして流れていると心地よいというような曲だ。

 

渚のデイト(2015.1.31)

昭和38年,詞:漣健児,曲:B.Davis/T.Murray唄:弘田三枝子

「愛したら何もかも いつまでもあなたのもの」と始まる歌。原曲はConnie Francisの「Follow The Boys」。

Connie Francis版の記憶はない。

当時の弘田はポップスの日本語訳をよく唄っていたが,当時の弘田にはこのようなスロー・バラードより「ヴァケイション」1)のような元気の良い曲が似合う。

1)「ヴァケイション」(昭和37年,訳詩:漣健児,曲:Connie Francis/Hank Hunter,唄:弘田三枝子。原曲はConnie Francisの「Vacation」)

 

裸の東京(2015.5.18)

昭和38年,詞:浜口庫之助,曲:浜口庫之助,唄:守屋浩

「夢に見る東京 夢で呼ぶ東京 そりゃきっといい所だろうさ」と始まる歌。

1番は「だけどあの娘はだまされた」,2番には「いじめて泣かせて涙をしぼる」とあり,3番はいつのまにか「何も知らない妹を」と妹の話に変っている。

当時は新幹線も高速道路もなかった時代だ。東京に対する憧れだけはあり,地方から苦労して上京していたのだ。私の祖父はもっと時代が古いが,新潟県から徒歩で上京したそうだ。多くの歌に登場する東京は,地方から想像すると天国のように思えたのかも知れないが,実際に東京へ着いてみると苦労の連続ということは珍しいことではなかった。この時代もそうだったのだ。

これは着飾った東京ではなく,裸の東京に触れた歌である。

 

花だより(2020.2.3)

昭和38年,詞:佐伯孝夫,曲:吉田正,唄:吉永小百合

「旅は道連れ 天城を越えりゃ 椿赤々 小鳥が啼くよ」と始まる歌。

「伊豆の踊子」のB面。

和風の曲と,繰り返される「ハイノハイ ハイノハイ」が特徴だ。

ちょっとした一言も「それも言えずに溜め涙」というのは,幼いながらも旅芸人と学生との身分違いを意識したものか。

 

バイ・バイ・バーディー(2013.11.4)

昭和38年,詞:L.Adams/みナみカズみ,曲:C.Strouse,唄:中尾ミエ

「行かないでお願い」と始まる歌。原曲はAnn-MargretBye Bye Biredie

 「バイバイバーディー行っちゃいやよ」というところから始まるような印象をうけるほど,「バイバイバーディ」の箇所が印象的だ。何度も繰り返されるからかもしれない。

 Ann-Margretの唄も聴いたことがあると思うが,中尾ミエの唄のほうが印象に残っている。

 去って行くバーディに対し「行かないで」という唄だがいまひとつ共感できない歌詞だった。

 私は観ていないが,映画の主題歌だ。Biredieという人気ロックンローラー(プレスリーがモデルとも)の徴兵に関した物語らしい。そのような背景を知った今でもいまひとつ共感できないのだ。

スターやアイドルの徴兵に対するファンの気持ちを歌った歌よりも,徴兵される息子に対する母親の気持ちを歌った歌のほうに共感できるということかも知れない。

 

バイ・バイ・バーディー(2018.12.7)

昭和38年,詞:Adams Lee/みナみカズみ,曲:Strouse Charles,唄:中尾ミエ

 「行かないでお願い さびしくなっちゃう」と始まる歌。

 何度も「バイ・バイ・バーディ」というフレーズがでてくるので自然にタイトルも覚えてしまう。

 「Bye Bye Birdie」というブロードウェイ・ミュージカル(昭和36年初演)があり,それが映画化された(昭和38年)。人気ロックンローラー(プレスリーがモデルと言われている)が徴兵される直前のショーの話らしいが私は観ていない。

 

故郷のように(2015.3.9)

昭和38年,詞:永六輔,曲:中村八大,唄:西田佐知子

 「あなたが故郷を愛すように」と始まる歌。

 故郷のように愛し,愛されたいという願いの歌。「山や海がいつまでもあるように」と故郷は変わらぬ者の代表として挙げられている。『國破山河在』1)のようにこの当時はまだ山河は変わらぬものの代表たりえた。しかし何世紀にもわたって大きく変化することがなかった田舎も高度成長期に大きな変貌を遂げる。海は埋め立てられコンビナートになり里山は削られ谷は埋められ宅地として造成された。菜の花畑もれんげ畑も見ることが珍しくなってしまった。その後繁盛した繁華街も今ではシャッター街になってしまっている。

 変貌してしまった故郷を昔のように愛し続けることができるだろうか。

 『ふるさとは遠きにありて思ふもの』2)で生まれた土地に一生住んでいたら,その地を愛していることを自覚することはないかもしれない。遠く離れてこそ故郷の良さが解る。米が食べられない外国にいて,初めて握り飯が好きだったことに気づくのだ。現実の故郷がどのように変わっても心の中の故郷は変わらない。

 西田はこの歌をさりげなく唄っている。あなたが私から離れて行った後にも時々は思い出して欲しいという唄い方ではないし,あなたが苦しいとき私を思い出して欲しいという唄い方でもない。もちろん,私の外見がどんなに変わっても愛し続けて欲しいという唄い方でもない。恐らくは,水や空気のようにあなたの周りにいつも居たいという気持ちを力まずにさりげなく唄う。この飾らない西田の唄い方がいい。

1)杜甫:春望

2)室生犀星:抒情小曲集,感情詩社,大正7

 

ヘイ・ポーラ(2014.3.2)

昭和38年,詞:R.G.Hildebrand,日本語詞:みナみカズみ・曲:R.G.Hildebrand,唄:田辺靖雄と梓みちよ

 「ヘイ・ヘイ・ポーラおぼえているかい」と田辺が歌いかけ「ヘイ・ポールおぼえているわ」と梓が答えるデュット曲。「好きといわなくっても判っちゃう二人」などと私には無縁の歌だった。

元歌はPaul & Paulaが唄ったHey Paulaである。元歌では「Hey, hey, Paula, I wanna marry you」とストレートである。Paulaの答も「Hey, Paul, I’ve waiting for you」とこちらもストレートに答えている。最後の「My love, my love」という箇所も日本語歌詞は「きっと,きっと」とかなりニュアンスが違う。英語では「If you love me true」などと言っているのに日本語歌詞ではこの直訳に相当する箇所はない。恐らく当時の日本社会にあわせて詞を変えたのだろう。歌詞にも文化・習慣が現れている。

 

星空に両手を(2012.4.13)

昭和38年,詞:西沢爽,曲:神津善行,唄:島倉千代子&守屋浩

 「星空に両手をあげて」という曲。

 島倉千代子も守屋浩ももっと悲しく淋しい歌詞の歌が多かったように感じている。実際はそうでもないとは思うのだが。この二人の組み合わせは私にとっては意外で,歌詞が幸せそうなのも意外だった歌だ。

星を宝石に見立てて指を飾ろうというメルヘンチックな歌で歌詞には母親(の想い出?)なども出てきて,ひょっとしたら二人は姉弟の設定かとも感じてしまう。二人の生年は同じだとは思うが,島倉千代子のほうが落ち着いて見えた。「星空が幸せな明日をきっと連れてくる」と現在は幸せではないような歌詞だが,明日に希望が持てているということはささやかな幸せ状態ということだ。

 宝石が買えるほどの経済的余裕がないということなのだろうが,星空を見てこのように感じられるのは心にゆとりがあり,毎日が充実しているからであろう。

 

ホンダラ行進曲(2015.12.28)

昭和38年,詞:青島幸男,曲:萩原哲晶,唄:植木等/ハナ肇とクレイジーキャッツ

 「一つ山越しゃホンダラホイホイ」と始まる歌。

 「ホンダラホンダラホイホイ」とか,類似の意味不明な掛け声のようなものがほぼ全編で繰り返される。「どうせこの世はホンダラホイホイ」などの「どうせ」から「ホンダラホイホイ」の意味というか雰囲気は感じ取れる。私の英会話のヒアリングのようだ。声は聞こえるが意味不明だ。しかし,何となくテレパシーもどきで会話を成立させてしまう。

 昭和38年といえば,東京オリンピックに向けて最後の突貫工事に入るころだろうか。高度成長期でもあり,皆,我武者羅に働いていた。もう少し後では『モーレツ』に働いていた。そうすると一部にはこのような歌が流行ったりするのだろう。昭和37年には東宝映画『ニッポン無責任時代』がヒットし,植木等は無責任男として有名になった。

 更に時代が進んで『モーレツからビューティフルへ』と言われ始めたのは昭和45年である。

 

舞妓はん(2015.6.17)

昭和38年,詞:佐伯孝夫,曲:吉田正,唄:橋幸夫

 「花のかんざし重たげに きいておくれやすかと 舞妓はゆうた」と始まる歌。「きけばかなしい物語」とあるが,今までその舞妓の身の上話かと思っていた。テレビなどではよく1番3番と2番抜きで唄っており,1番の歌詞は覚えていたが2番の歌詞には全く記憶がなかった。歌詞の本も持ってはいるが,特に関心を持った歌でもなく,歌詞を読むこともなかった。私は祇園の舞妓とは無縁の世界に生きていたからだ。

 今回,2番の歌詞を読んでみると自分の話ではなく,「命とちかった恋一つ 抱いてお墓にねむるそな」という話だ。その話をした後で3番では「別れ道で舞扇 あの妓はくれた」となっており、歌全体では私が漠然と考えていた状況とは全く違う状況だ。

 佐伯の詞にしては難解だ。当時の私には理解できず,私にとってこの歌は,橋幸夫の独特な声を聴くだけの歌だった。

 

見上げてごらん夜の星を(2012.6.12)

昭和38年,詞:永六輔,曲:いずみたく,唄:坂本九

 「見上げてごらん夜の星を」と始まり「ささやかな幸せを祈ってる」と終わる。

 途中「二人なら苦しくなんかないさ」とあるので,実際の生活は苦しいのだろう。しかし,苦しいとか幸せとかいうのは主観的な問題でもあるので,心が通い合う二人で星空を見ていることで十分以上に幸せを感じているのだろう。

その後,いろんな物が手に入りそうになってくると物欲が強くなり,物があふれるようになって幸せを感じ取る能力を失ってしまったのではないだろうか。

 昭和38年には既にテレビが普及していたが,昔は,暗くなると星を見るくらいしか楽しみがなかった。

小学生の頃,子供向けのラジオの連続ドラマが夕方に放送されていたので,それを聴くために夕方になると皆帰ったが,その後は特に聞きたいラジオ番組もなかった。本は結構高かったし,少年向けの漫画週刊誌なども刊行されていなかった。貸本屋があったがそのようなところに使うお金を持っていたら駄菓子屋で当たりつきの甘納豆などを買っただろう。

 ほかには,同級生と時々担任の先生の家に遊びに行った。蒸かした薩摩芋などを出してもらうこともあった。暗くなってから,星座を教えてもらった。このときギリシャ神話などを教えてもらっていれば私の将来は変っていたかもしれない。話してもらったのかもしれないが,私は地球が自転しているから星座が動いていくように見えるとか,地球の公転によって四季により見える星座が違うなどという話しか覚えていない。米ソの宇宙開発競争が始まった頃であり,宇宙に対する関心の持ち方が変わってしまっていたのかもしれない。

現在では月や星に願いを掛けることはかなり減ってしまったように思う。かろうじて残っているのは七夕くらいだろうか。流星群の予報などがテレビで流されるようになり,流れ星に願いをかけるというのは増えているような気がする。うちの近くのような住宅地でも街灯が沢山つき,空の星はあまり見えない。視力のせいもあるが,よく見えるのは金星くらいだ。北斗七星は何とか見えるが北極星はなかなか見えない。そういえば,オリオンのベルト三星はよく見える。

 

見上げてこらん夜の星を(2015.4.16)

昭和38年,詞:永六輔,曲:いずみたく,唄:坂本九

 「見上げてごらん夜の星を」と始まる歌。

 坂本九の唄では「上を向いて歩こう」1)が最も有名だろう。しかし私にとっては坂本九のベストソングはこの歌だ。「上を〜」では坂本の独特な歌唱が際立っており,私の好みではない。この「見上げて〜」は,坂本らしさは残っているものの,まだ普通に聴くことができる。詞も良い。

 以前には夜空を眺め,星座を探したこともあった。小学生のころ北斗七星の観察の宿題がでたことなども関係があるだろう。しかし,この頃には星を見て感傷に浸るなどといった記憶はない。大気汚染が進み星もあまり見えなかったのかもしれない。現在では大気汚染は解消されたが,街灯などを含めた夜間照明が格段に増え,夜が明るくなって「小さな星」や「名もない星」は見えなくなってしまった。

1)「上を向いて歩こう」(昭和36年,詞:永六輔,曲:中村八大,唄:坂本九)

 

ミッチー音頭(2014.4.18)

昭和38年,詞:岩瀬ひろし,曲:伊部晴美,唄:青山ミチ

 「恋しているときゃすてきな瞳(め)」と始まる歌。

 青山ミチの地声?でのパワフルな歌唱は当時の歌手には珍しかった。「唄って踊ってスタミナつけて」と歌っているが,それ以上スタミナをつけてどうするんだと突っ込みたくなるほどだ。

 ところでタイトルは「音頭」である。音頭と聞いて思いだすのは『東京音頭』,『花笠音頭』,『河内音頭』などだが,これらがどのような共通項でくくれるのかよく解らない。そこで少し調べて見たのだが,結局は国語辞典の説明が一番腑に落ちた。音楽用語かと思った(音楽用語なのだが)のが間違いだった。理解していなくても知った振りをしていること(今の場合は言葉だが)がまだまだ多いと感じた。私がとりあえず理解したのは「音頭」とは大勢の唄や踊りを揃えるためのリーダーの歌ということらしい。

 この歌に戻る。この歌は「そうだそうだよ」を揃えるためにだけ唄われているようには思わないので,踊りのための歌だろう。当時流行っていた踊りは何だったか考えてみるが自分が踊っていたわけではないので思い出さない。ツイストなら踊れそうだ。ゴーゴー喫茶は当時あったのだろうか。モンキーダンスなどというのもあったが。

 リズム音痴の私はベースやドラムスが力強くリズムを刻んでいてくれないとリズムが外れてしまう。残念ながらこの歌(他の歌でも同じとの声が聞こえそうだが)で私が踊ると風に吹かれたススキのようにただゆらゆらメリハリもなく揺れでいるだけになってしまう。(当時は今よりはるかに痩せていたのだ。)

 

みんな名もなく貧しいけれど(2018.8.16)

昭和38年,詞:宮川哲夫,曲:吉田正,唄:三田明

 「風は今夜も冷たいけれど」と始まる歌。

 昼間は働き,夜は学校,「みんな名もなく貧しいけれど 生きる幸福知っている」と当時の日活映画を思わせる青春歌謡だ。

 当時も金持ちはいたのだろうが,私の周囲は皆貧しかった。もちろん貧しさの程度には差があったが。田舎にはない仕事も都会にはあった。3K職場も少なくなかったが,生きるために仕事を選ぶことなどできない人々も少なくなかった。しかし,昭和30年から昭和48年までの日本では高度成長が続いた。どのような仕事でも,働いていれば来年は今より良い生活ができるという期待ができた。

 

夕陽の丘(2018.9.12)

昭和38年,詞:萩原四朗,曲:上原賢六,唄:石原裕次郎&浅丘ルリ子

 「夕陽の丘の ふもと行く」と始まる歌。

 昭和39年には日活で映画化されている。勿論唄っている二人も出演している。歌がヒットしたから映画化されたというより,最初から映画化の予定だったのだろう。

 このような歌を聴くと当時の(あるいはもう少し前の)日活映画をいろいろ思い出す。

 

雪が降る(2016.10.16)

昭和38年,詞:サルヴァトール・アダモ/安井かずみ,曲:サルヴァトール・アダモ,唄:サルヴァトール・アダモ

「雪は降る あなたはこない」と始まる歌。原タイトルはTombe la neige

アダモはこの歌をいろんな言語で唄っている。アダモが初来日したのは昭和42年のようだ。日本でヒットしたのも,私が聴いたのもその後のような気がするが原曲が出たのがこの年だ。もちろん,関心のある人には人気があったので来日したのだろう。

アダモの歌声はフランス人が日本語で唄うとこんな感じかという物珍しさも私にはあった。元歌がフランス語だったのでフランス人だと思ったのだが,彼はイタリア生まれのベルギー人だそうだ。今でも見た目から人の国籍を想像するのは困難だが,当時の私には全くできなかった。

話は跳ぶが,日本で一生懸命に日本語を話している外国人に下手な英語で応答している日本人を見るとイライラする。英語圏出身に見えない外国人に対しての場合は特にそうだ。文革以前の教育を受けた中国人の第1外国語はロシア語だったそうだ。最近では日本語を第1外国語として学ぶ者もいると聞く。外国人の誰もが日本語より英語が得意なわけではない。相手が日本語で話そうとしているなら,できるだけ解りやすい日本語で応対すべきだろう。

 

指切りの街(2015.7.16)

昭和38年,詞:下条秀人,曲:佐伯としお,唄:新川二郎

「そのひとみ そのひとみ ぼくのもの ぼくのもの」と始まる歌。

 新川二郎が『君を慕いて』1)で登場した時には藤島桓夫のような唄い方をする歌手だと感じた記憶があるのだが,現在新川二郎の音源が手元にないので確認できない。

 当時は(その後もだが)レコードを買う金など持っていなかったのでラジオ放送かテレビ放送で歌を聴いていた。ラジオは中波のAM放送だった。歌を覚えるにはテープに録音し,歌詞は聞き書きし,何度も聴いて覚えたら他の歌を上書きしていた。形はテープレコーダだが,その後一般的になったオープンリールのテープデッキとは互換性がない規格で現在もしそのテープが見つかっても再生はできないだろう。もっと後にカセットテープの時代に懐メロ番組で流されていればそのカセットテープは残っているかもしれないが,現在自宅ではカセットデッキも壊れているので再生できない。デッキは残っており,壊れたラジカセも何台か残っていて,いつかは自分で修理してみようと思っているが,いまのところそこまでの元気がでない。昔のものは集積化が進んでおらず,機構部品のサイズも大きいものが多いので素人でも修理が可能なのだ。もっと古いテレビなどだと回路図までキャビネット内部に貼ってあったりするが,今のディジタル放送には対応していないので修理しても使い道がない。但し,古い部品は売っていない場合が多いので,古い別の装置から部品を探すことになる。

 そういうわけで大量のカセットテープが残っているが,もともと音質の悪い録音なので骨董的な価値はない。

 骨董的価値がない古い記録としてはVHSのテープも多数あるし,フロッピーディスクもある。5インチのフロッピードライブがついに壊れたので,これは捨てたが,フロッピーはまだ残っている。レコード盤ならフリスビーとして利用できるかもしれないが,このフロッピーは何に使えるだろうか。一応,まだ残してある。3.5インチフロッピーは読めるように,マック2台とWindows2台を残してはあるが,今,起動しても動作するかどうかは不明だ。その後,データはCDに保存するようになったが,先日古い書類が見たいと古いCDを探してファイルを開こうとしたら,CDが読めなくなっていた。デジカメを使うようになってからあまり写真をプリントしなくなった。プリントしておかないといつかデータが消えてしまうかもしれないとは思うのだが,プリント作業は全く進んでいない。

 ところで,『君を慕いて』は後の分類でいえば演歌に分類される歌だと思うが,「指切りの街」はポップスに近いアップテンポの歌だったような記憶がある。

 新川二郎は後に新川二朗と改名した。

1)「君を慕いて」(昭和37年,詞:下条秀人,曲:佐伯としを,唄:新川二郎)

 

夢であいましょう(2018.11.8)

昭和38年,詞:永六輔、曲:中村八大,唄:坂本スミ子

 「夢であいましょう 夢であいましょう 夜があなたを抱きしめ」と始まる歌。

 「夢であいましょう」は昭和36年から昭和41年までNHKテレビで放映された音楽バラエティ。

 この番組からヒット曲がいくつもでている。ただ,当時のNHKはいかにもNHKという匂いがしてあまり観なかったので,ヒット曲もこの番組で知ったというより,ヒットした後で知った曲がほとんどだ。

 

夢見る片想い(2018.10.11)

昭和38年,詞:Hoffman/Klein/あらかわひろし,曲:Hoffman/Klein,唄:伊東ゆかり

 「ほんとに短いデイトなのに」と始まる歌。

 原曲は『Bobby’s Girl(邦題:ボビーに首ったけ)』を唄ったMarcie Blaneの「What Does a Girl Do?」。歌詞には「What Do I Do?」と書いてあるところを,Marcie Blaneも伊東ゆかりも「What Should I Do?」と唄っているように聞こえる。私の英文法の知識だと,DoよりShouldのほうがよさそうに思うのだが。歌の原タイトルではDoesを使っているので,詞でも人称に合わせてDoを使っているのか,私の見た歌詞のミスプリントか解らない。

 いずれにせよ,「What Does a Girl Do?」は私にはリズミカル過ぎ,『Bobby’s Girl』のほうが遥かに好みだ。

 

若い歌声(2019.5.20)

昭和38年,詞:佐伯孝夫,曲:吉田正,唄:橋幸夫/吉永小百合

 「幼馴染の故郷の 歌をたれかが歌ってる」と始まる歌。

TBSドラマ『いつでも歌を』の主題歌。

吉永は唄が上手くなったんじゃないかと感じるが,おそらく上手・下手ではなく,彼女に合った歌ということなのだろう。

間奏のときの台詞には「僕は七つでその子は五つ」などとあり,本当に幼馴染なんだと感じてしまう。知り合いの中には幼稚園から大学どころか就職先まで同じという二人がいたが,私自身は親の転勤等であちらこちらを転々としているのでこのような幼馴染はいない。

幼稚園には一応通ったのだが,近くの幼稚園には入れず,クラスメートと帰宅後遊ぶことはなかった。卒園はしたのだろうが,卒園アルバムといったものはない。集合写真が一枚残っているが,写っている人々の名前は自分以外は一人も解らない。

入学した小学校は自宅のすぐ側だった。入学時の集合写真というようなものはない。途中で転居したが学校は同じだった。近所の子と遊んだのだろうが,ぱっちん(めんこ)・かっちん(ビー玉)・コマなど負けが多かった記憶はあるのだが,相手に関する記憶はない。

小学2年で転校し,その後しばらく文通していた相手もいたが,転校後会ったことがある者はひとりもいない。転校後は,近所の子というより同じクラスの子と遊ぶことが多かった。同じクラスでも特に親しい者とそうでない者はいたが。

小学校の集合写真は卒業アルバムだけだ。これも各クラス写真と教員の集合写真だけのペラペラなアルバムだ。

中学入学時に別の学区に転居したので,中学入学時に知り合いはいなかった。したがって遊ぶのは同級生の一部で,近所の子と遊ぶことはなかった。中学からは学年ごとに,クラスの集合写真が残っている。

中学のクラスメートとは高校入学時に離れ離れとなり,高校のクラスメートとは大学でバラバラになった。高校・大学ではクラスメートと遊ぶより,友人の友人というつながりで遊ぶ仲間が変わっていった。

というわけで,ある期間ほとんど毎日のように一緒にいた友人もその後関係が切れている。私にとってある時期親しかった幼馴染はいるが,ずっとつき合いが続いている幼馴染はいないと言えるだろう。

「歌はこの胸あの胸を 結び結んでながれゆく」とあるが,歌関連では二人の友人を思い出す。ひとりは小学生時代に一緒にハーモニカを吹いていた友人だ。彼とは関係が切れて長い。もうひとりはフォーク仲間で,二人で深夜の公園でギターを弾きながら唄っていて,警官に職務質問されたことがある。彼とも関係が切れて長い。

たまたまこれを読んだ友人が,自分のことが書かれていないので,あいつは俺のことを友達だと思っていなかったのかと誤解するといけないので補足すると,飲み仲間や麻雀仲間などいろんなことをやる仲間はそれぞれの事柄毎にいて,それらの中には気の合わない者もいたが親しい友人もいた。青春の問題を語り合った友達もいたのだ。私が淋しい人生を送ってきたというわけではない。ただ,生活パターンが変わると会う頻度が減り,年賀状だけのやり取りになり,その年賀状も途絶えてしまった友人も少なくない。この年になると,既に鬼籍に入った友人もいる。

 

浪曲子守唄(2013.3.31)

昭和38年,詞:越純平,曲:越純平,唄:一節太郎

 「逃げた女房にゃ未練はないが」と始まる唄。一節太郎の歌声と共に,この歌いだしに強いインパクトがあった。

詞は,妻に逃げられ,子供を抱えた「土方渡世」の男の歌だ。「お乳ほしがる」とあるので乳児だろうし,「赤いべべなど買うてはやれぬが」とあるので女の子だろう。

 この頃は,海外ポップスの邦訳レコードが多数ヒットしており,純和風なこのような曲は少なかったように思う。

 この歌のヒットにより,東映で映画も作られた。父親は千葉真一が演じた。若干歌詞と合わない部分もあるが,子供は当時5歳の下沢広之(後に真田広之と改名)である。5歳では「お乳ほしがる」ということもなかっただろうが。

 

若い季節(2014.5.28)

昭和38年,詞:永六輔,曲:桜井順,唄:ザ・ピーナッツ

 「ウワーオ ウワーオ おなかの底からウワーオ」と始まる歌。

 昭和36年からNHKテレビで放映されたドラマ「若い季節」の主題歌。レコードは昭和38年になってから発売されたらしい。

 ピーナッツの歌の中では,私のつける点数はあまり上位ではない。あまりにも(当時の)NHK的過ぎるように感じる歌だ。というか,他に好きな曲が多くありすぎる。

 

若い東京の屋根の下(2015.8.13)

昭和38年,詞:佐伯孝夫,曲:吉田正,唄:橋幸夫/吉永小百合

 「山の手も下町も 下町も山の手も」と始まる歌。

 「東京 楽しや 楽しや東京」と終わる東京賛歌である。しかし歌詞に現れる単語は「お濠の柳」,「カモメ」,「港に川に」,「アクセサリー」,「ビル」,「メトロ」というところで,もっと他にもあるだろうと言いたい。しかし,東京タワーの竣工は昭和381223日だから,この歌が発売された4月にはまだ完成していなかったのだ。また,高層ビルもなかった。昭和39年の東京オリンピックを前に,昭和387月の規制解除で超高層ビルの建築が可能になったのだ。それまでは百尺(30m)規制というのがあった。例外的に高い,日本最高の建造物が国会議事堂の中央搭(65m)だったらしい。昭和34年のホテルニューオータニが17階建の日本初の高層ビルで72mだった。日本初の超高層ビルは36階の霞が関ビルディングであり高さは156m,竣工は昭和43年である。ということで,当時は東京といっても特別なものはそう多くはなかったのだ。しかし,仕事があり,歓楽があった。将来に対する希望もあった。

 

若草の丘(2019.4.24)

昭和38年,詞:北里有紀生,曲:米山正夫,唄:本間千代子

 「そよ風が匂います 白いシューズが はずみます」と始まる歌。

 青春歌謡。中・高生が国語の授業の一環で詞を書いて,教育委員会委員長賞をもらったというような詞だ。実際,「若草の丘」という映画の主題歌として企画され,雑誌『明星』で歌詞募集された当選歌だそうだ。しかし映画は製作されなかったらしい。

 私には「誰かがもらした吐息の露が 真珠のようにころがって」などという言葉からは魂の叫びは聞こえない。

 

別れの入場券(2019.2.28)

昭和38年,詞:松井由利夫,曲:袴田宗孝,唄:松山恵子

 「ひと目逢いたい それだけで 息をはずませ 転げて来たに」と始まる歌。

 結局僅かの差で汽車は出てしまって,あの人には逢うことができなかった。「ああ遅い 遅い もう遅い」という言葉が松山恵子の特徴ある声で繰り返されるともう二度と逢えないという思いがひしひしと伝わって来る。

 携帯番号の交換やLINEなどでいちど繋がれば,その後は容易に連絡がつく現代とは異なり,一期一会という言葉に重みがあった時代があと10年は続く。

 

忘れな草をあなたに(2014.10.10)

昭和38年,詞:木下竜太郎,曲:江口浩司,唄:ヴォ―チェ・アンジェリーカ

 「別れても別れても心の奥に」と始まる歌。

 「ことばにかえて 忘れな草を あなたに あなたに」。口には出さず態度で示す。このような以心伝心が日本人のコミュニケーションから失われてきているようだ。唄い継いでいって欲しい歌のひとつである。

何人もの歌手が唄っている。もちろん歌がいいので他の歌手の歌もいい。そもそもこの歌を思い出したのは昭和46年の倍賞千恵子の唄である。

 

私のベイビー(2019.2.1)

昭和38年,詞:Philip Spector, Ellie Greenwich, Jeff Barry, 蓮健児,曲:Philip Spector, Ellie Greenwich, Jeff Barry,唄:弘田三枝子

 「忘れられないひとみ はなれられない その魅力」と始まる歌。

 原曲はThe Ronettesが唄っている。原題はBe My Baby。昭和39年に伊東ゆかりがカバーしたバージョンのタイトルは「あたしのベビー」。

 どう聴いても恋の歌だが,伊東バージョンの「ベビー」では赤ん坊のように感じてしまう。

 

ワン・ボーイ(2016.7.9)

昭和38年,詞:L.Adams,C.Strouse,奥山アイ,曲:L.Adams, C.Strouse,唄:スリー・グレイセス

 「One Boy いつでも大好きな・・・あなた あなた・・・」と始まる歌。

 元歌はジョニー・ソマーズではなかったか。ジョニー・ソマーズの声は好きだったはずなのだが,この歌はあまり記憶にない。どうもこの頃には洋楽はあまり聴かなくなっていたのではないか。しかし,この前後,ベンチャーズなどは聴いていたはずなので,歌詞の聞き取れない外国の歌を聴くのをあきらめてインスツメンツを聴いていたのかもしれない。

 伊東ゆかりも同じ歌を唄っているがこちらの詞の訳は漣健児だ。

 当時,私はフジテレビ系の『ザ・ヒットパレード』をよく観ていたように思う。私のポップス系の歌のソースはこの番組が主だったかもしれず,この番組はナベプロの番組だったのでスリー・グレイセスもあまり聴かなかったのかもしれない。少なくとも洋盤はラジオで聴いていたはずなのだが。

 

ワン・レイ二―・ナイト・イン・トーキョー(2013.7.30)

昭和38年,詞:鈴木道明,曲,鈴木道明,唄:越路吹雪

「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」とタイトルどおりのフレーズが印象的な歌。いろんな歌手が唄っており,インターネットで歌詞検索をすると歌詞の異なるバージョンもあるようだ。私がこの歌を聴いたのが誰の歌唱だったのか記憶が定かではない。ザ・ピーナッツだったような気がするが『ウナ・セラ・ディ東京』1)と混同しているかもしれない。

この歌で越地吹雪は昭和40年の第7回日本レコード大賞歌唱賞を受賞している。その後盗作との訴えで裁判になった。私は原曲といわれた曲を知らないし,未発表の楽譜を盗むというならわからなくもないが,既に世に出た曲の盗作というのはなさそうに思うのだが,真相はわからない。裁判結果はシロらしい。判決理由の一部に『流行歌ではよく使われるメロディで』というような一節があるらしい。『陳腐』なメロディだと言っているようにも聞こえるが,よく使われるメロディということは聞いていて疲れないメロディということで,奇抜な曲もよいかも知れないが,陳腐な曲には陳腐な曲なりの良さがある。

私の東京のイメージとこの歌の詞はあまり重ならないので私がこの歌を心を込めて唄うことはないと思うが,BGMとして流れているなら嫌いじゃない。

1)      「ウナ・セラ・ディ東京」(昭和39年,詞:岩谷時子,曲:宮川泰,唄:ザ・ピーナッツ)

 

Blowin’ in the Wind<風に吹かれて>(2011.12.26)

昭和38年,詞:Bob Dylan,曲:Bob Dylan,唄:Bob Dylan

 「How many roads must a man walk down」「The answer is blowin’ in the wind」という曲である。楽譜は昔から持っていて,易しい曲なので昔から知っていた。しかしBob Dylanの唄は聴いたことがなかった。実際に聞いたのはガロの「学生街の喫茶店」で「片隅で聞いていたボブ・ディラン」と聴いたよりもずっと後だ。初めて聴いたときは驚いた。楽譜から想像していたのと全く違っていた。私はもっと演歌調に歌っていたのだが。

 

Dominique<ドミニク>(2018.7.25)

昭和38年,詞:Jeannine Deckers,曲:Jeannine Deckers,唄:La Sœur Sourire

Jeannine DeckersLa Sœur Sourireの本名。The Singing Nunという別名もある。

Dominiqueはキリスト教の聖職者Saint Dominicのこと。Deckersはこの曲のレコードを8ヶ国語で出していて,もちろんその中に日本語もある。

Domi-nique-nique s’en allait tout simplement」から始まる繰り返しが強く印象に残る。

日本人歌手も何人かがカバーしている。ペギー葉山が唄ったあらかはひろしの詞は「ドミニクニクニク そまつななりで どこに行っても」と始まり,ザ・ピーナッツが唄った福地美穂子の詞では「ドミニカニカニカ 天使のような笑顔見せて」と始まる。他にも違う歌詞がある

 

From Russia with Love<ロシアより愛をこめて>(2011.11.17)

昭和38年,詞:Lionel.Bart,曲:John Barry,唄:Matt Munro

 「From Russia with love I fly to you」と始まる007シリーズ第2弾である。日本での映画公開は昭和39年。007といえばショーンコネリーだろう。暴れん坊将軍なら松平健,水戸黄門なら東野英治郎だ。これは刷り込み現象なのだろう。

 突然だが,高校1年の英語はリーダーとグラマーに分かれていた。中学のときから英語は嫌いで,高校でも勉強しなかったので英語の成績はずっと悪かった。一応3年のときは受験勉強をしたが,いやいや覚えた「A wheal is no more a fish than a horse is..」と言う構文は入試には出なかったし,その後約45年の人生でこの構文に出会ったことは一度しかない。それは大学院の学生時代に古い論文を読んでいるときに出てきた。このときは「おお,この構文は!」と感激だった。中教審かどこかで,中学卒業以来2次方程式の根の公式を使ったことは一度もないと言った委員がいたとかでゆとり教育ではこれが削除されたと聞いたが,とんでもないことだ。何が言いたいかというと,何でもいつかは役立つことがあるということだ。

 英文法も習っているときには「こんなもの無ければよい」と思っていたが,今は学生に英語を指導するとき「主語はどれだ?」などと言って,それなりに役立っている。(英文法は高校で十分過ぎるほど習ったが,ほとんど理解せずに卒業し,大学入学以降に勉強した。)

 英語の授業は嫌いだったが,英語の歌は嫌いではなかった。他にもイタリア語,ドイツ語,フランス語,ロシア語などの歌を聞いた。別にこれらの言語が好きだったからではない。外国語を低学年から正課に取り入れるのには反対だが,外国語に触れる機会が多くあるのは良い。

 

I Want to Hold Your Hand<抱きしめたい>(2014.7.5)

昭和38年,詞:J.Lennon, P.McCartney,曲:J.Lennon, P.McCartney,唄:The Beatles

 「Oh yeah, I’ll tell you something」と始まる歌。

 「I wanna hold your hand」と何度も繰り返す騒がしい歌という印象しかない。ビートルズの偉大さを感じ取れない私にとって,このような歌もあったという歌のひとつに過ぎない。

 

I Will Follow Him<アイ・ウィル・フォロー・ヒム>(2015.9.5)

昭和38年,詞:Altman Arthur/Gimbel Norman,曲:Mauriat Paul Julien Andre,唄:Little Peggy March

 「Love him, I love him, I love him  And where he goes I’ll follow, I’ll follow, I’ll follow」とサビの部分から始まる歌。

 曲調の明るさから行っても当然彼に対する愛を歌い上げたラブソング,それもムード歌謡などとは全く違う,明るい太陽の下での開放的なラブソングだと思っていた。しかし,どうもhimHimらしい。

 平成4年のアメリカ映画『天使のラブソング』では明らかにHimの意味で唄われているようだ。『O Come All Ye Faithful』にも『O come, let us adore Him, O come, let us adore Him, O come, let us adore Him, Chirist the Load』とあるように,キリスト教徒にとってはHimとは神の子を示す婉曲尊敬表現だ。みだりにその名を口にすることは不敬だということなのだろう。

 しかし,この当時は明るいラブソングとして聴いていた。

 

Mr. Bass Man〈ミスター・ベースマン〉(2018.7.1)

昭和38年,詞:Cymbal, Johnny Hendry,曲:Cymbal, Johnny Hendry,唄:Johnny Cymbal

 「Ba ba ba bah, ba bah ba bah・・・」と口三味線,ではなかった口ベースから始まる。この担当はRonnie Brightだ。

本当?の歌詞は「Mr. Bass Man, you’ve got that certain somethi’」と始まる。

日本ではダニー飯田とパラダイスキングが唄っていたのではないか。

 

Puff, the Magic Dragon<パフ>(2018.6.10)

昭和38年,詞:Lenny Lipton,曲:Peter Yarrow,唄:Peter. Paul and Mary

 「Puff, the magic dragon lived by the sea」と始まる歌。

 永遠の命を持つドラゴンのパフと人間の少年ジャッキーとの交流の歌。

少年と遊ぶドラゴンは万能だった。しかし,少年は成長し,いつしかドラゴンとは遊ばなくなった。「So Puff that mighty dragon sadly slipped into his cave

たまには少年の心に戻ってみるべきではないか。