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昭和59年 

愛・おぼえていますか,愛情物語,雨音はショパンの調べ,一番野郎,いっそセレナーデ,稲妻パラダイス,命船,いまさらジロー,Woman“Wの悲劇より,永遠に秘密さ,おはん,俺ら東京さ行ぐだ,顔に書いた恋愛小説(ロマンス),飾りじゃないのよ涙は,風の谷のナウシカ,風のマジカル,喝!,哀しくてジェラシー,騎士道,北ウィング,北の蛍,君が嘘をついた,君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね,君のハートはマリンブルー,ケジメなさい,恋の予感,最愛,酒場すずめ,サザン・ウインド,サヨナラは八月のララバイ,The Stardust Memory,下北漁港,少年ケニア,時間の国のアリス,十戒(1984),ジュリアに傷心,STARSHIP〜光を求めて〜,前略道の上より,そして僕は途方に暮れる,DUNK(男区),チャールストンにはまだ早い,津軽平野,つぐない,天国にいちばん近い島,東京砂漠のかたすみで,泣かないで,長良川艶歌,渚のはいから人魚,浪花節だよ人生は,涙のtake a chance,涙のリクエスト,24000万の瞳−エキゾチック・ジャパン−,NEVER,ピンクのモーツァルト,ふたりの愛ランド,ふられ気分でRock’nRoll,プロフィール,星屑のステージ,星空のディスタンス,まつり,ミス・ブランニュー・デイ,娘よ,迷宮のアンドローラ,メイン・テーマ,夫婦坂,もしかして,もしかしてPART II,モニカ,桃色吐息,ヤマトナデシコ七変化,雪にかいたLOVE LETTER,ゆけ!ゆけ!川口浩!!,流氷子守唄,Rock’n Rouge六本木心中,わすれていいの―愛の幕切れ―,THE NEVER ENDING STORY

 

愛・おぼえていますか(2019.7.30)

昭和59年,詞:安井かずみ,曲:加藤和彦,唄:飯島真理

 「今あなたの声が聴こえる 『ここにおいで』と」と始まる歌。「もうひとりぼっちじゃない あなたがいるから」とハッピーソングだ。

 映画『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』の主題歌。

 この頃,忙しかったのと,世間の歌が次第に私の好みから離れて行くように感じていたことから,あまり歌は聴いていなかった。この歌も当時は知らなかった。『マクロス』という名称はは知っていたが内容は全く知らず,『要塞』という言葉からはこの歌のようなイメージは一切思い浮かばなかった。

 この歌からだけ判断すると,艱難辛苦に孤独に耐える時代は過ぎ去り,軟弱が支配する時代に入った歌のように感じる。恐らく『愛』の意味も変質してきているのだろう。

 

愛情物語(2014.2.18)

昭和59年,詞:康珍化,曲:林哲司,唄:原田知世

 「はじめて会うのに想い出のような人」と始まる歌。ほとんど聴いたことがないと言っても良いだろう。

 詞は演歌っぽい。実際『生まれる前から結ばれていた』1)と始まる演歌もある。しかし当然ながら原田は演歌歌手ではなく,その唄は演歌とは程遠い。顔立ちは違うが,唄を聴くと昔の浅田美代子を思い出してしまう。昭和末期の特徴を現している歌ではなかろうか。

1)      「命くれない」(昭和61年,詞:吉岡治,曲:北原じゅん,唄:瀬川暎子)

 

愛情物語(2019.10.30)

昭和59年,詞:康珍化,唄:林哲司,曲:原田知世

 「はじめて合うのに 思い出のような人」と始まる歌。

 赤川次郎原作の同タイトルの角川映画の主題歌。

 歌詞を読むだけでは状況がよく解らない。映画の解説併せて読むと何となくわかるような気がするが,それでもよくは解らない。映画を観た人には解るのだろう。

 ところで原田知世は『時をかける少女』(昭和58年)に続く2本目の映画出演でまだ新人といって良い。この歌は原田にとって5枚目のシングルだが,唄は素人っぽく,そこがまた初々しくてよいのだろう。オリコンでは3位が最高位だが,歌自体の人気というより,映画と原田の人気に支えられてだろう,オリコン年間チャートでは27位に入っている。

 

雨音はショパンの調べ(2014.1.11)

昭和59年,詞:Gazebo. P.L.Giombini,日本語詞:松任谷由実,曲:Gazebo, P.L.Giombini,唄:小林麻美

 「耳をふさぐ指をくぐり」と始まる歌。

 私には理解できない歌で,ヒットした割にはほとんど聴いたことがないに等しいがタイトルだけは強く印象にのこっている。この頃から,既に私の頭は硬直し始めていたのかもしれない。

小林麻美から受ける雰囲気は工藤静香と似ている。イメージ的に対極に居ると感じるのが榊原郁恵だ。

 小林の曲なら,私が1位に推すのはデビュー曲の「初恋のメロディー」1)だ。恐らく曲が私の馴染んでいる曲調に近いのだろう。作詞・作曲もなじみの人たちだ。

1) 「初恋のメロディー」(昭和47年,詞:橋本淳,曲:筒美京平,唄:小林麻美)

 

一番野郎(2020.1.23)

昭和59年,詞:売野雅勇,曲:筒美京平,唄:近藤真彦

 「つべこべ 言わずに 俺を ただ抱きしめていろ」と始まる歌。

 一言で言えば,私が好むタイプの歌とは逆方向に向かっている歌。

 「未来も生命も張るぜ 俺 捨て身の勝負」などと言っているが,そもそも簡単に生命を賭けるべきではない。それも『ギンギラギン』風の高音で言われても軽薄に感じるだけだ。「テッペンかドン底か ケリつけたいのさ」という気持ちは解らないでもないが,生命を賭けるというのはもっともっと重いことだ。

 言葉がブツブツ切れるのも軽薄に感じる。これは筒美の曲がそうなっているからだろう。筒美はどのような意図でこんな曲にしたのだろうか。

 

いっそセレナーデ(2016.10.8)

昭和59年,詞:井上陽水,曲:井上陽水,唄:井上陽水

 「あまい口づけ遠い想い出 夢の間に浮かべて泣こうか」と始まる歌。

 「いっそやさしいセレナーデ」の箇所が印象に残るが,飲んだ酒を唄いながら呼気中にはき出してはまた飲むことを好む私には適さない歌だ。このように優しい唄い方ではアルコールの排出が不十分だ。「淡い恋」と歌詞にあるが,感情全般が淡いように感じる。どこか一部醒めている,これが現代的なのだろうか。

 

稲妻パラダイス(2023.2.21)

昭和59年,詞:康珍化,曲;林哲司,唄:堀ちえみ

 「run run run run run away しがみついた きつく」と始まる。

 アイドル・ソング。

 ずっとビーチでイチャイチャしている歌。

 堀のファンはイラッとせず,暖かく祝福できるのだろうか。ひょっとしたら自分が当事者になった気分でいるのかもしれないが。

 

命船(2017.3.6)

昭和59年,詞:遠藤実,曲:遠藤実,唄:祭小春

 「海の男なら ひとりの女に 泣くな なげくなヨー」と始まる歌。

 典型的な援歌風演歌で祭のデビュー曲。当時の祭は16才前後だろう。当時聴いていたなら久々の若手演歌歌手登場とその後の活躍を期待したのだろうが,当時は歌を聴いている余裕はなかった。米国で仕事がしてみたいといろいろと努力していた時期だ。

 当時の主要通信手段は手紙だった。FAX,電子メールも無い時代で,国際電話はあったが,一度だけかけたことがあり,かなり長めの通話だったが,一回の通話で月給の半分ほどかかった。国際電報もあったが,後に米国から日本へ一度打ったことがあるだけで,日本から米国へ打ったことはない。職場にはTELEXがあったが,使用規定がいろいろあり,使ったことはない。持っていたタイプライターは手動のものであり,職場には電動タイプライターがあったが,まだメモリー内臓になる前で,機能は手動とのものと全く同じだった。従って,キーのミスタッチがあった場合の修正がかなり面倒だった。英文タイプは自己流だが,練習のために本を数冊タイプで写したことがあり,タイピング速度だけは早い方だった。(実際,後に米国で,お前はまともな文章も書けないのに何でそんなにタイプが速いんだと驚かれたことがある。)ただ,英文がスラスラとは出来上がらないので,手紙を書くスピードはどうしても遅くなってしまう。もちろん,米国行きの前には日本での仕事の区切りをつけておく必要もあり,忙しかったのだ。

 

いまさらジロー(2013.5.19)

昭和59年,詞:杉本真人,曲:杉本真人,唄:小柳ルミ子

 「あれは確か二年前の雨降る夜に」と始まる歌。

 小柳ルミ子の歌は初期の平尾昌晃の曲のころはよく聴いたが,このころにはほとんど聴かなくなっていた。彼女の歌だけではなく,他の歌手の歌もこのころの歌は印象が薄い。それにしてもこの杉本の曲は平尾の曲となんと違うことか。詞も初期の安井かずみ,山上路夫などと雰囲気が大違いだ。この歌は元彼についての歌のようだ。

 「あたしを捨て他の女を愛したくせに」と言っているのでジローのほうから去っていったのだろう。久しぶりに会って,「今さらジロー好きだとジロー言わないでよね」というのは,ジローが言ったのだろうか,ジローに言われるんじゃないかと思っただけなのだろうか。

ジローが言ったのなら,「しゃぼん玉だね愛なんて」と壊れた愛は戻らないと否定の返事の歌だろう。しかし,ジローに言われるんじゃないかと思っているだけなら,彼女にはまだジローに対する想いが残っているが,意地を張っている歌のようにも思う。

詞から受ける印象は後者なのだが,私には何となく,この歌は女性の思いではなく,彼女の心がこのように揺れ動いていているだろうという男の願望を歌った歌のように感じられる。

 男の願望であれば良いが,男の妄信などであったりすると,種々の危険の種になりそうだ。世の中,どんどん複雑になってくる。

 

今さらジロー(2018.1.7)

昭和59年,詞:杉本真人,曲:杉本真人,唄:小柳ルミ子

 「あれは確か2年前の雨降る夜に」と始まる歌。

 「今さらジロー 好きだとジロー 言わないでよね」

 2年前に別れた「ジロー」に復縁を持ちかけられ,「あたしを捨て他の女(ひと)を愛し

たくせに」とは言っているが,心が揺れ動いている歌。

 デビューから15年弱,小柳もこのような歌を唄うようになったのか。

 

Woman”Wの悲劇より(2017.7.4)

昭和59年,詞:松本隆,曲:呉田軽穂,唄:薬師丸ひろ子

 「もう行かないで そばにいて」と始まる歌。

 角川映画「Wの悲劇」の主題歌。呉田軽穂は松任谷由実の変名。

 映画を観ていないからか,歌詞は十分には理解できないが,「もう愛せないというのなら 友だちでもかまわないわ」とあるので別れを予感した男女の話のようだ。「ああ時の河を渡る船にオールはない 流されてく」と,時の流れには抗することができないと諦めているようだ。いずれにせよ,私には共感できるほどには理解できない詞だ。

 曲も私に染み込んだ音符の配列とは異なるメロディーで,唄いにくそうだが,薬師丸は上手く唄っていて,アイドルソングの域を超えている。

 しかしながら結局のところ私には馴染めないタイプのニュー・ミュージックだ。

 

永遠に秘密さ(2019.4.17)

昭和59年詞:松本隆,曲:山下達郎,唄:近藤真彦

 「泳ごうよ 何もかもぬぎすて 渚へ」と始まる歌。

 たのきんトリオ1)の中では一番まともに唄っているように感じる近藤だが,スローな曲は合わないのではないか。もっとアップテンポな曲のほうが合っているように思う。音節の終わりがブツブツ切れているように感じるのは作曲者の意図なのだろうか。

 歌詞にある「作って秘密 酔わせて時間」などという表現は松本の好みかもしれないが,私の好みではない。

 この曲がインスツルメンタルなら,最近の曲はこんななのかと聴き流したかもしれない。

1)田原俊彦,野村義男,近藤真彦

 

おはん(2020.10.3)

昭和59年,詞:たかたかし,曲:岡千秋,唄:五木ひろし

 「だましてください さいごまで」と始まる。

 「死んでもあなたに つくしたい」という歌。

 このような女性が多いからこのような歌ができたのか,このような女性がいなくなったからこのような歌ができたのか解らない。あるいは昔からこのような女性はいなかったのかもしれない。

 死ぬまでだまし続けられれば,結局は騙されたことに気付かずに終わるのだからそれもいいかもしれない。

 

俺ら東京さ行ぐだ(2017.2.8)

昭和59年,詞:吉幾三,曲:吉幾三,唄:吉幾三

 「テレビも無ェ ラジオも無ェ 自動車もそれほど走って無ェ」と始まる歌。

 「俺らこんな村いやだ 東京へ出るだ」と田舎暮らしの無い無い尽くしと東京への憧れを歌っている。当時このような村があったかどうかは知らないが,ダイヤル直通の電話がない所はあった。市外局番に掛けると交換手が出て,そこで電話番号を告げると接続してくれるらしい。ダイヤルインが無い時代の代表番号のようなものだ。村には有線があると言っていたからもちろん電気は来ていたようだ。

 日本語ラップでヒットした最初の曲だろう。

 

顔に書いた恋愛小説(ロマンス)(2020.4.26)

昭和59年,詞:三浦徳子,曲:綱倉一也,唄:田原俊彦

 「さらさらこぼれる砂さえ 君にみとれてるよ」と始まる歌。

 タイトルは「恋愛小説」を「ロマンス」と読ませている。

 詞はアイドルソングではあるのだが,最初の方はメルヘンチックでトシちゃんっぽくない。途中からはトシちゃんらしいアイドルソングになる。しかし,私には歌詞が耳に残らないので実は歌詞はあまり関係ない。

 曲は最初から最後まで一貫してロック系のアイドル曲だ。この後も,男性アイドルグループの曲にはこのような曲がしばしばみられる。

 

飾りじゃないのよ涙は(2017.4.1)

昭和59年,詞:井上陽水,曲:井上陽水,唄:中森明菜

 「私は泣いたことがない」と始まる歌。

 昔の歌に比べるとやや早口で,なおかつ音域があっていないのかどうかは解らないが,前半は歌詞がよく聞き取れない。しかし「飾りじゃないのよ涙は HA HAN」からは強く印象に残る。

 もちろん私がカラオケなどで唄ったりすることはない。山口百恵なら唄うこともあるが。

 ところが,一度博多の中洲で飲んだとき,居合わせた客何人かとこの歌を大合唱したことがある。カラオケもないしピアノやギターで伴奏してくれる人もいない,唄うための店ではない。もちろん唄っていない客もいたのだが,酔った我々には関係ない、大合唱して迷惑をかけてしまった。『江戸の仇を長崎で』ではないが,九州での非礼をここでお詫びしておく。

 

風の谷のナウシカ(2014.12.9)

昭和59年,詞:松本隆,曲:細野晴臣,唄:安田成美

 「金色の花びら散らして」と始まる歌。

 松本隆もこのような歌詞を書いてくれれば私にも解るのだが。細野晴臣の曲は偉大なるマンネリを好む私でもやや単調すぎるのではないかと思う曲になっている。おそらく,ターゲットとして想定している年齢層が他の歌と異なるのだろう。安田の自然体の歌唱とともに,雰囲気が出ている。

 メルヘンチックな歌だが,自分で唄うなら古い童謡を選択する。

 

風のマジカル(2019.8.24)

昭和59年,詞:湯川れい子,曲:NOBODY,唄:小泉今日子

 「Green, Green, Green 春の風がささやくわ」と始まる歌。

 「一年たって気がつくなんて バカね」というのは,気付いたのは自分だろうか相手だろうか。なぜ「だから」かはよく解らないが「だから大きな声でいえる 世界中で君だけが好き」と続く。

「少年はアポロになるのね」というのもよく解らない。理解できない箇所が何箇所かあるので全体でもよく意味が解らないが,幸せそうな雰囲気は伝わって来る。アイドルソングだからそれでいいのかもしれない。湯川はもっと論理的な詞を書くのだろうと思っていたのだが。

 曲で印象に残るのは何度も挿入される「Spring Time」の箇所のメロディーだ。これにより全体が浮き浮きするような曲になっているのかもしれない。

 

喝!(2019.1.25)

昭和59年,詞:売野雅勇,曲:後藤次利,唄:シブがき隊

 最初に「喝! 喝! 喝! 喝!」とあって,「渚にBikeたおして お前探してるよ」と始まる歌。

 別れた後に自分の『恋心』に気付くというのは昔からある話だが,この歌ではその相手が去年「真心もてあそんでサヨナラした」相手だという。去年逢った渚に来て探しているのだろう。「泣いて済めば御の字さ」などと自分が悪かったという自覚はあるようだが,考えが甘い。犯罪者の人権とか,間違いを犯した者に更正の機会をなどという世間に甘やかされ過ぎたのだろう。

 真心をもてあそんだ程度で犯罪者呼ばわりはとんでもないという人がいるかもしれないので加害者と言っておこう。加害者は反省しているのかもしれない。しかし反省だけならサルでもできる。被害者が姿を消したのは,いつまでも怨んでいても進歩がないので,全て忘れて新しい人生を前向きに生きて行こうとしているのだろう。もう二度と逢いたくないというのに,捜し出して独りよがりの償いをしようとする。これはストーカーの始まりだろう。

 加害者としては過ちだったと気づいたなら,その思いを心に抱き,今後誠実に生きて行くしかないだろう。

 

哀しくてジェラシー(2013.3.17)

昭和59年,詞:売野雅勇,曲:芹澤廣明,唄:チェッカーズ

 「濡れた瞳 ah han han」と始まる歌。このような曲は嫌いではないが,詞は何を訴えたいのかわからない。歌手の音域と曲の音域が合っていないのか,前半は声が出ていないので何を言っているのかわからない。歌詞を見ても内容が理解できないので,物理的にある程度声が聞こえても聞き取れないのだろう。「男と女はすれ違い」以降は聞き取れるのだが,やはり意味が十分には解らない。歌詞を聴くということをしなければ,この曲は好きなタイプの曲の一つである。

 

騎士道(2020.3.4)

昭和59年,詞:阿久悠,曲:つのだ☆ひろ,唄:田原俊彦

 「乙女よ きみの微笑みなら 光も恥じ入るだろう」と始まる歌。

 阿久の詞としてはオリコン一位を獲得した最後の詞らしい。一位とはいえ,素晴らしい詞だと感じる訳ではない。軽薄と感じないわけではないが,まあ普通だ。曲に関しても,「きみの」の「の」にアクセントがあるように聞こえるなど,アクセントに違和感を持つ箇所が少なくなく,私が好むタイプではない。ただ,歌詞を聴こうとせずに曲だけを聴いているとそれほど拒否感は無いので,歌詞と曲とのバランスが私好みではないのかもしれない。

 オリコン一位はトシちゃん人気によるものだろう。

 

北ウイング(2019.2.21)

昭和59年,詞:康珍化,曲:林哲司,唄:中森明菜

 「Love Is The Mystery 私を呼ぶの」と始まる歌。

 北ウイングというのは当然成田空港の北ウイングだろう。成田空港は昭和53年に開港したが,反対派の活動は収まらず,昭和60年には三里塚で反対派の一部と機動隊が衝突した。

 歌はそのような闘争とは無関係で,恐らくロンドンにいるのだろう彼のもとへいくために夜間のフライトに乗るというだけの歌だ。明示はされていないがこれまでいろいろあり,「いちどはあきらめた人」なのにこのようになるとは。ということで「Love is the mystery」と歌になったというわけらしい。

 自分にもそのような経験があれば感情移入できるかもしれないが,残念ながらそのような経験はない。

 

北の蛍(2012.8.1)

昭和59年,詞:阿久悠,曲:三木たかし,唄:森進一

 「ホーホー蛍翔んで行く」という歌。「山が泣く風が泣く」と始まる。この年のレコード大賞は「長良川艶歌」1)だが,私は「北の蛍」のほうが好きだ。

「胸の乳房をつき破り赤い蛍が翔ぶでしょう」の箇所など森進一節全開の歌だ。歌詞だけを見ても内容を論理的に理解できないのだが,森の歌を聴くと,この女の意味不明な情念が伝わってくる。

1)      「長良川艶歌」(昭和59年,詞:石本美由起,曲:岡千秋,唄:五木ひろし)

 

君が嘘をついた(2020.5.14)

昭和59年,詞:小田和正,曲:小田和正,唄:オフコース

 「いま 君らしくない 言葉をきいた」と始まる。

 「君の言葉も心も いま この僕の中で 音をたてて崩れ始めてる」。

 気が付いてしまったら「君のことが 信じられない」。

 「君が涙を流してる」というのは現実だろうか心象風景なのだろうか。君が泣いていようといまいと,泣きたいのは僕のほうだ。「あの頃の 君に会いたい」。

 

君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね(2016.11.7)

昭和59年,詞:中原めいこ・森雪乃丞,曲:中原めいこ,唄:中原めいこ

「ドライなシェリーちょっと誘われて 灼けつく恋の食前酒(アペリティフ)」と始まる歌。某化粧品のCMソングである。

「気分は2秒ごとに浪漫(ロマン)か愛人(ラマン)なの」とか「果実大恋愛(フルーツ・スキャンダル)」など,歌詞を見なければ意味の解らないカタカナ語や「fall in love」と英語まで入っている。アップテンポの曲で歌詞は早口言葉のようで私には十分聴き取ることはできないが,vocalも楽器の一種だと思えば曲自体は聴いて居て心地よい。従って,私にとってこれは歌ではなく曲だ。

そもそもキウイ・パパイア・マンゴーなど私には馴染がなかった。まあ私はバナナ世代だから仕方がない。中原めいこと聞いても『中原ひとみ?』『中村メイコ?』と聞き直すレベルなのだから。

fall in love」と言う言葉は以前から知っていた。知ったきっかけは何か記憶にないので,辞書でも調べたのだろう。この言葉は忘却の彼方にあったのだが,この言葉が意識に上ったのはお笑いコンビ「フォーリンラブ」の登場以後だ。二人のコントの締めが「Yes, fall in love」だった。最近ではテレビCMで,テニスの得点をコールするときに「イエス,フォーティラブ」とこのコントが復活?しているのを観てまた思い出した。

 

君のハートはマリンブルー(2020.6.5)

昭和59年,詞:康珍化,曲:林哲司,唄:杉山清貴&オメガトライブ

「季節外れのBUSが一台 すれちがう 海が見える道」とはじまる。

淋しげに聞こえる歌。

「危険な恋に 走ったあとで 疲れて君は 帰るのさ 僕の胸に」とあるがどういう心境なのか理解できない。『君の一時の過ちなど気にしない』というような意味しか思いつかないのだが。歌詞の他の部分からは君に戻ってきて欲しいというようにも感じるし,すでに戻ってきているようにも感じる。ただ,君はまだ過ちのことを気にしているようだけど,気にしなくていいんだよというメッセージか。

女性が自分の過ちを気にして,戻って来れないとか,戻って来たとしても昔通りには戻れないとか,待つ身の男性が思っているという歌詞のようだが,この解釈は正しいのだろうか。自分は寛容な男だから,過ちは気にせず戻っておいでというようなメッセージを感じるが,女性にはそのような気はさらさらなく,自己中・勘違い男の歌ではないのだろうか。

 

ケジメなさい(2016.3.28)

昭和59年,詞:売野雅勇,曲:馬飼野康二,唄:近藤真彦

 「ケジメ ケジメのないあなた」と始まる歌。

 まっちファンには申し訳ないが,私にはどこがいいのか解らない歌。オリコン1位をとっているし,人気があったのは確かだ。

 「心臓(こころ)にナイフ突きつけたいよ」をはじめとして,いろんな感情の表現が私には違和感満載で,全く共感できない歌だ。

 

恋の予感(2017.6.14)

昭和59年,詞:井上陽水,曲:玉置浩二,唄:安全地帯

 「なぜ なぜ あなたは きれいに なりたいの?」と始まる歌。

 陽水の頭のネジは私の頭のネジと違う場所に締められているのだろう。陽水の発想は私には全く理解不能だ。ヘアスタイルは異なるが,頭の形は似たようなものだからネジの締め具合や締め位置が違っていても何となく共感できる詞の場合もあるし,予想外の発想に関心することもあるのだが,この詞は全く理解できない詞だ。

 理解できない理由のキーワードだと思えるのが「あなた」だ。「あなた」との関係が判らない。私の感覚では「あなた」に好意以上のものを持っていそうなのだが,そうだとするとこの歌詞はあまりにも自己中心的に感じる。私の解釈の誤りだろうが,繰り返し聴く気になれない。

 

最愛(2015.1.23)

昭和59年,詞:中島みゆき,曲:中島みゆき,唄:柏原芳恵

 「メッセージをお願いします 今 出てゆくあの船に」と始まる歌。これはイントロと言うべきか。「二人が乗っています」からが1番の始まりだろう。

 メッセージは「ワタシハ他二好キナ相手ガ沢山イマス・・・」だからそこに一緒にいる相手を幸せにしてあげてくださいというものだ。

 でも,歌詞は二番目・三番目に好きな人をそれなりに愛することはできるだろうけれど「一番に好きだったのは」「死ぬまで貴方」と中島ワールド全開だ。

私はこの歌を中島が唄うのを聴いたことはないが,柏原より中島のほうが合うと思う。ただ,意図的にそうしたのかも知れないが曲は淋しげではあるが明るさも感じられる。中島自身が唄うつもりなら,もっと恨み節にしたのではないだろうか。恐らく中島は恨み節にはしたくなかったのだろう。柏原に唄わせることにより恨み節にならずにこらえている。

 

酒場すずめ(2016.12.6)

昭和59年,詞:山田孝雄,曲:四方章人,唄:村上幸子

 「涙という木に止まった鳥は 人のやさしさ忘れない」と始まる歌。

 「ちゅんちゅん ちゅんちゅん」の繰り返しが印象に残る。

 酒場は酒を飲ませる店である。酒が飲める店はレストランなど各種あるが酒場というともう少しイメージが限定される。酒を飲ませても,角打ちでは酒場と呼ばないだろう。料亭も酒場のイメージではない。キャバレー,クラブ,スナック,居酒屋が最も酒場のイメージに寄っている。ビアガーデンも酒場に近いが少しちがう。酒場は洋風と和風に別れる。和風酒場には赤提灯がよく似合う。

 この歌は和風酒場の歌だろう。仕事着・・・くたびれた背広,中には作業着も・・・の客が目に浮かぶ。

 

サザン・ウインド(2019.11.28)

昭和59年,詞:来生えつこ,曲:玉置浩二,唄:中森明菜

 「あいさつするのよ 海風に 自然に体が リズムとる」と始まる歌。

 これはもう,世界が違う。

 場所はシーサイドの高級ホテルだろうか。

 バブル突入直前のこの時期,この歌のような状況は珍しくなかったのかもしれない。しかし,この頃私は既に若くはなかった。バブル経済本流から外れた私のような者でも少しはおこぼれが回ってきて以前に比べて経済的には楽になったが,自前でこの歌のような生活はとてもできなかった。無理しても若さだけはどうしようもなかった。

 もちろん,若い頃にはビーチやプールにも行ったが,雰囲気が大分違う。まる子が行くプールと花輪君が行くビーチ位の差がある1)。まともなホテルに行くのは結婚式くらいで,フレンチのコース料理など,緊張で何を食べたか解らないほどだった。私が若かった頃というのは日本が総中流社会だと言われていた時期である。学生レジャーの代表が酒・麻雀・パチンコだった時代からドライブ・スキー・海外旅行(これは少しハードルが高かったが)などがポピュラーになりつつあった時代だ。

 要するに,この歌の世界は私のような青春を過ごした者にとっては映画の中の世界で,入り込める世界ではないということだ。

1)「ちびまる子ちゃん」(原作:さくらももこ)の登場人物「まる子」は庶民代表,「花輪君」は金持ち代表として私が選んだ。

 

サヨナラは八月のララバイ(2024.4.13)

昭和59年,詞:売野雅勇,曲:NOBODY,唄:吉川晃司

 「海岸道路振り向かずに行くよ 君の知らないGood-bye決めたのさ」と始まる。

 「まだ君を好きな気持ち嘘じゃない」と言いながら別れようとしている。20年前なら好きだから別れた1)らしいが,ここでは好きだけど別れるとなっている。好きだけど別れる歌はこれまでに多数ある。以前の歌は,義理には勝てずに別れる,定めに負けて別れる,そのほかいろんな別れがあったが全て泣く泣く別れたものだった。顔で笑っても心で泣いて別れたものだ。

 ところが,この歌から感じる雰囲気は,顔で泣いて心で笑ってというと言い過ぎだが,好きだけど別れることに対して悲しみは感じていないようだ。季節が変わり衣替えをするように夏物とはサヨナラする。そんな雰囲気の歌だ。

 歌声が若干巻き舌の発声に聴こえるのは,私の好みではない。

1)     「霧子のタンゴ」(昭和42年,詞:吉田正,曲:吉田正,唄:フランク永井)

 

The Stardust Memory(2020.5.11)

昭和59年,詞:高見沢俊彦・高橋研,曲:高見沢俊彦,唄:小泉今日子

 「Stardust Memory 忘れないでいて 星屑が 舞い降りてくるこの夜を」と始まる歌。

 星空の下で別れる歌のようだ。「泣き顔を見せたくないから 星空みつめてて」などという歌詞がある。その割には悲しそうな歌ではない。

 歌としてはアイドルソング。             

 

下北漁港(2016.5.19)

昭和59年,詞:星野哲郎,曲:船村徹,唄:鳥羽一郎

 「生まれたときから吹いていた」と始まる歌。

 漁師の歌だ。「イカ釣り舟に命あずけた」という歌詞は体験したことが無いので想像するだけだ。

 「横に倒した五合徳利 マイク代わりにだきしめて」というのは若干違和感を持つ。私が良く呑みに行っていたころはまだカラオケが無かったからマイクが無いのが普通だった。酔って唄っている人間は少なくなかったが,マイクもどきを持って唄う姿は記憶にない。『小皿たたいて』1)なら珍しくなかったが。時代かも知れない。

 また「五合徳利」というのも珍しい。私が良く通った店の徳利は大と小で,小は7勺くらいしか入ってなかったのではなかろうか。また,しばしば通った別な店ではコップで出て来た。皿を敷いてその上にコップを載せ溢れるまで注いでくれた。土産物屋などで5合徳利もみたことはあるが,あれをマイクに見立てるのは無理があるように思う。

 曲は前奏から私の血肉となっている演歌の編曲,文句のつけようがない。

1)「チャンチキおけさ」(昭和32年,詞:門井八郎,曲:長津義司,唄:三波春夫)

 

少年ケニア(2017.4.26)

昭和59年,詞:阿木燿子,曲:宇崎竜童,唄:渡辺典子

 「なにかを叫びだしたくて ウズウズしてる」と始まる歌。

 「口移しにメルヘン下さい」「勇気と愛の重さについて たまには本気で語ってください」と,何やらメルヘンチックな口調で若者のフラストレーション,特にそのかなえられていない欲求が何かすら自覚できずにいる若者の気持ちを歌っているような感じを受ける。

 曲は何となく私には『モスラの歌』を思わせ,ジャングルのイメージがある。私にはケニアにジャングルのイメージはないが,昔の『少年ケニヤの歌』1)でも『アフリカだ ジャングルだ』と唄っているのでケニアもジャングルのイメージなのだろうか。

 角川アニメの主題歌らしい。

1)「少年ケニヤの歌」(昭和28年,詞:井田誠一,曲:いずみたく,唄:ビクター児童合唱団)

 

時間の国のアリス(2017.7.25)

昭和59年,詞:松本隆,曲:呉田軽穂,唄:松田聖子

 「鳶色のほうき星 街角を客船が通り過ぎるわ」と始まる歌。

 ファンタジーだからだろうが詞の意味がよく解らない。「Fairy Girl」と詞に英語が入るが,歌を聴いただけでは私には聞き取れない。

 「誰だって大人にはなりたくないよ」と他人が全て自分と同じ考えだと決めつけているのも好感は持てない。子供の頃の私は早く大人になりたいと思っていた。

 曲に関してだが,私は松田聖子は高音域が好みなので,もっと低音域を減らした曲のほうが好みだ。

 

十戒(1984) (2020.7.20)

昭和59年,詞:売野雅勇,曲:高中正義,唄:中森明菜

 「愚図ねカッコつけてるだけで」とはじまる。

 「優しさは軟弱さの言い訳なのよ」とズバリ指摘して,「坊やイライラするわ」と「やわな生き方」の「坊や」に「発破かけたげる」という歌。

 軟弱な男が増えてきた時代の歌。

 男性と女性の比較では,力学的な瞬発的力以外は女性の方が強いのではなかろうか。平均寿命を見ても女性の方が長い。これを補うために男には強くなれ強くなれと教育してきた。男として生まれるのではなく,社会的教育により次第に男へと成長していったのではないか。それが,『男の子なんだから泣いたらダメ』などというのがジェンダー差別を助長するというような声が強まるに従い男女の教育区別が減ってきて,男子の本来の軟弱さが目立つようになってきたのではなかろうか。

 

ジュリアに傷心(2012.9.26)

昭和59年,詞:売野雅勇,曲:芹澤廣明,唄:チェッカーズ

 「キャンドル・ライトがガラスのピアスに反射けて滲む」という軽やかな出だしの歌。歌詞にはところどころ英語がちりばめられているようで細かいことは解らないのだが,何となくいろいろ思い出があるジュリアを失ったという雰囲気が伝わってくる。

 曲は,哀しみを感じさせず,昔,これがロックだよと教えてもらったリズムで馴染みがある。歌唱法も昭和末期の歌唱法のように感じる。

 ステージ衣装は昭和の衣装ではないだろう。

 全体としては哀しみでも恨みでもなく,自己の反省も全くない。年寄りには理解できない歌だが聴いていて心地は良い。

この歌くらいが昭和と平成の分かれ目になるのだろうか。

 

STARSHIP〜光を求めて〜(2017.8.11)

昭和59年,詞:高見沢俊彦・高橋研,曲:高見沢俊彦,唄:THE ALFEE

 「Star ship – Ride on with me, my little girl」とのコーラスで静かに始まる歌。

 ところが「輝きを失くした 愛の光求め」からは私が思う所のロックだ。

 高音部が長く続いて私にはとても唄えないが,若い人にはこのような曲もありかと思う。しかし当時の私も若くはなく,このような歌を聴く年代は過ぎていた。

 

前略,道の上より(2020.7.7)

昭和59年,詞:SEPIA,曲:GOTO,唄:一世風靡セピア

 「素意や 素意や」というのが数回繰り返された後,「咲きほこる花は散るからこそ美しい」と始まる。

 「海を潜るには 息を止めなきゃ潜れない」などとひょっとしたら高尚な禅問答ではないのかと思うような歌詞と,全国のよさこい祭りで使われそうな曲の組み合わせ。

ここでいう『よさこい』は土佐の『よさこい』ではなく,平成4年に札幌でYOSAKOIソーラン祭りが開催されて以後,全国で開催されるようになった『よさこい』のことだ。この曲のほうが遥かに古いので,『よさこい』で踊り易いとこの曲のような雰囲気の曲が使われたのではなかろうか。

 

そして僕は途方に暮れる(2018.9.5)

昭和59年,詞:銀色夏生,曲:大沢誉志幸,唄:大沢誉志幸

「見慣れない服を着た君が今でていった」と始まる歌。

「君が心に決めたことだから そして僕は途方に暮れる」とただ見送るだけ。今まで何をしていたのだろう。昭和末期には突然女性に去られ,為す術もなく呆然とする男性の歌が増えたような気がする。

カップ麺のCMにも使われたが,これからはカップ麺を食べて行くということだろうか。

 

DUNK(男区)(2021.3.30)

昭和59年,詞:松本隆,曲:筒美京平,唄;小泉今日子

 「長い学ランひきずり 硬派振るのもいいけど」と始まる。

 詞も曲も,アイドル・ソングということなのだろう。

 「まるで花の応援団1」」のような「ハードなLooking」だが「いがいにToo shy 純情ね」という詞は解りやすいが私には共感できない。最後は「Dunk Dunk 押忍 押忍 I Love You」だがここは雰囲気しか解らない。アイドル・ソングは深く考えずにステージを観るべきなのだろう。

1)      「花の応援団」:昭和50年から週刊漫画アクションに連載されていたギャグ漫画。どおくまんの出世作。

 

チャールストンにはまだ早い(2015.3.1)

昭和59年,詞:宮下智,曲:宮下智,唄:田原俊彦

 「小粋な白いプードル連れ」と始まる歌。

 この時代の流行犬はプードルだったかと思い出させる。「跳ねたまつげに輝くリップスティック」と聞くとバブリーな時代を思い出す。

 「チャールストン」が何度か登場するが,私はダンスのチャールストンしか知らないのでダンスの話だと思っていたが,1番の「チャールストン」はカクテルの名前だという説もあるようだ。作詞者の意図は知らないが「キャフェ」で飲むような飲み物なのだろうか。2番では「黄昏の街角でチャールストンを踊りたい」とあるのでダンスであることは決定的だ。

 田原俊彦はたのきんトリオの中ではアイドル度が最も高い。野村義男は音楽性が最も高い。近藤真彦はオールラウンダーとの印象だ。タノキン共同での活動は昭和58年に終了している。

 

津軽平野(2016.6.30)

昭和59年,詞:吉幾三,曲:吉幾三,唄:千昌夫

 「津軽平野に雪降る頃はよ」と始まる歌。

 ご当地ソングの一つと言っても良いだろう。

 私の両親は雪国の出身だが,私自身は雪国育ちではないのでこの歌は観念としてしか理解できず,共感する箇所はない。もちろん経験したことでなくても,観念で理解して共感する歌や小説も少なくないのだが。

 この歌を吉幾三が唄ったのも聴いたことがあるが,私はどちらかといえば吉の唄のほうが好みだ。

 

つぐない(2018.12.28)

昭和59年,詞:荒木とよひさ,曲:三木たかし,唄:テレサ・テン

 「窓に西陽が あたる部屋は いつもあなたの 匂いがするわ」と始まる歌。

 「あすは他人同志になるけれど」というときの心境が歌われている。

 「愛をつぐなえば 別れになるけど」というところが別れの理由なのだろうが,この理由が解るようではあるがはっきりとは解らない。普段から意味不明な歌詞にクレームをつけている私だが,このような解らなさはいろんな想像が出来るので良いのではないか。私がどのような歌詞なら解りにくさを容認するかは私自身でも解らない。

 別れに際し,このように物分かりのよい?女性だったらいいのにという男性の願望の唄かもしれない。

 

天国にいちばん近い島(2017.1.6)

昭和59年,詞:康珍化,曲:林哲司,唄:原田知世

 「いつも私の事だけずっと 思っててくれなくていいの」と始まる歌。

 原田主演の同タイトル映画の主題歌。

 詞からは何となくハッピーそうな雰囲気を感じなくもないが,私の想像する天国(具体的なイメージはないのだが)とはどこか違うと感じる。歌だけを繰り返し聴きたくなることはない。私はこの映画を観ていないが,映画と一体になってその良さが解る歌なのだろう。

 

東京砂漠のかたすみで(2020.6.14)

昭和59年,詞:なかにし礼,曲:浜圭介,唄:黒沢年男・叶和貴子

 「夜の寒さを 酒でまぎらす 穴のあいた 俺の心よ」と始まる。

 「愛に飢えてる すきま風なら 私の手で 止めてあげたい」と続く。

 「似たもの同志の二人なら 同じ色の花を咲かそう」とさすがなかにし礼,私にもイメージが湧く詞になっている。昔はこのように傷口をなめ合うような詞が少なからずあった。

 

泣かないで(2013.7.18)

昭和59年,詞:今野雄二・宮原芽映,曲:たちひろし,唄:舘ひろし

 「消し忘れた煙草回り続けるレコード」と始まる歌。

 きっと舘ひろしはこんな歌が好きなんだろう。私としては演歌を期待したのだが。

 

長良川艶歌(2013.5.30)

昭和59年,詞:石本美由起,曲:岡千秋,唄:五木ひろし

「水にきらめくかがり火は」とはじまる歌。第26回日本レコード大賞大賞受賞曲。

悪い歌ではないとは思うが,五木ひろしの歌唱は初期のほうが好きだ。年を経て五木の歌唱力は向上しているのだろうが,この歌に関してはもっとさらっと唄ってもらったほうが,私は好きだ。

この年は,結構演歌系のヒット曲がでているような気がする。例えばこのレコード大賞の各賞にノミネートされた歌手として,五木ひろしのほか,細川たかし,テレサ・テン,岡田有希子,高橋真梨子,都はるみ,中森明菜,森進一,河合奈保子,柏原芳恵,松田聖子,チェッカーズ,小林幸子,安全地帯などだ。アルバム賞などだと,ニューミュージック系のオンパレードだ。しかし,たまたま私が視聴していた番組のせいかどうかは判らないが,強く印象に残っているのはチェッカーズだ。

 

渚のはいから人魚(2019.12.29)

昭和59年,詞:康珍化,曲:馬飼野康二,唄:小泉今日子

 「渚のはいから人魚 キュートなヒップにズキンドキン」と始まる歌。

 当時のアイドル・ソングとしてはアップテンポだが,やはりアイドル・ソングだろう。

 アイドル・ソングには軽薄さを感じるものが少なくないが,「何もしないと あなた誓うの?」とか「口説かれちゃったら 大きくNG ちいさくOK」などこの歌にも若干の軽薄さを感じる。

 ただ,「男の子って すこし悪い方がいいの」とか「女の子って すこしダメなほうがいいの」などは昔ながら?の男女イメージではないか。性差は成長過程で作り込まれるという主張が強くなっている。時代は進み,ダメ男やちょい悪おんなの株も上がっているのではないか。と思ったが,ダメ男に母性本能を刺激されたり,ちょいワル女というか小悪魔に魅せられることは昔からあったように思う。要するに人の好みは様々ということだ。

こういう言葉を聞いて『ちょいワルおやじ』を目指す者も出てくるかもしれないが,目指してそうなるのではダメなようだ。天然だからいいのであって,意図的に演じると演技過剰になったり独りよがりになったりする。簡単にはいかないものだ。

アイドルの真似をしてもアイドルになれるとは限らない。

 

浪花節だよ人生は(2012.5.30)

昭和59年,詞:藤田まさと,曲:西方章人,唄:細川たかし

 123番がそれぞれ「飲めといわれて素直に飲んだ」,「嘘は誰かが教えてくれる」,「咲いて萎んですてられました」とはじまり,「浪花節だよ女の女の人生は」と終わる。第26回日本レコード大賞最優秀歌唱賞曲である。

 Wikipediaによれば,この曲は昭和51年の小野由紀子盤が初出とのこと。その後10人以上(16人?)がカバーして,中国語圏でも10人(以上?)の歌手が歌っているらしい。木村友衛はこの曲でレコード大賞特別賞を受賞,水前寺清子は紅白歌合戦でこの曲を唄っている。

 歌詞は,馬鹿な女の話である。「馬鹿」という言葉に異常に反応されると困るのだが,「花よ綺麗とおだてられ」1)と同じ意味の「馬鹿」である。梶芽衣子は自嘲気味な冒頭から次第に怨みに変っていくがこの歌は違う。この女の人生が浪花節だというのがよくわからない。浪花節というのは義理と人情の世界なのではないだろうか。もちろん「佐渡情話」のようなものもあるが,「清水次郎長伝」「天保水滸伝」あるいは「赤穂義士銘々伝」のようなもののほうが主流ではないのだろうか。わからない点はあるが,最後のこのフレーズがあるため,この歌には諦観が感じられる。

 曲はアップテンポで明るく,このメロディーと詞の最後の1フレーズで暗くも解釈できそうな歌詞を諦観の歌に変えている。

1)「怨み節」(昭和47年,詞:伊藤俊也,曲:菊池俊輔,唄:梶芽衣子)

 

涙のtake a chance(2015.4.5)

昭和59年,詞:荒木とよひさ,曲:福島邦子,唄:風見慎吾

 「頬にこぼれる涙の理由は」と始まる歌。

 曲に比べて声が重く感じる。歌を聴かせるのではなくダンスを見せる曲なのだろう。ダンスはキレがあり,なかなか見ることのできないレベルのように感じる。ダンスだけで十分勝負できるだろう。あの動きと共に唄うことができるだけで脱帽だ。動きの分,声に張りがないのではないだろうか。

 詞は英語が随所に入っており,私には何が言いたいのか理解できない。

 

涙のリクエスト(2012.1.10)

昭和59年,詞:売野雅勇,曲:芹澤廣明,唄:チェッカーズ

 「涙のリクエスト最後のリクエスト」という曲。

 歌詞の様子では公衆電話に10円入れてリクエストの電話を入れるようである。また,銀のロケットが思い出のプレゼントだったらしい。時代を感じる。

 昭和57年から公衆電話にテレホンカードが導入されたが,この頃はまだコインを使うほうが一般的だったのだろうか。今ではテレホンカードは磁気カードからICカードに代わり,携帯電話の普及により公衆電話自体が姿を消しつつある。

 ロケットというのも今はどうなのだろう。ペンダントに写真を入れて持ち歩かなくても携帯電話に何枚も写真を保存でき,いつでも見ることができる。

 やはり,古き良き時代の歌だ。

 

2億4000万の瞳−エキゾチック・ジャパン−(2014.4.7)

昭和59年,詞:売野雅勇,曲:井上大輔,唄:郷ひろみ

「見つめ合う視線のレイザー・ビームで」と始まる歌。国鉄のキャンペーンコマーシャルソング。「億千万億千万」とところどころに入るコーラスと郷の「ジャパン」と唄う箇所の「ぱ」の発音が印象的。

恐らく,この年の日本の人口は1億2000万人だったのだろうが,赤ん坊から老人まで全員が「愛の夢を見ずにいられない」ということか。

そういえば『日本の人口一億で〜』というCMソングがあった。こちらのほうは『そのうち半分男性で〜』と徐々に限定されていった。まあ曲としては単調だが,歌詞の論理性では昔のこのCMのほうが勝っていると思う。こちらは更に『そのまた半分独身で〜』と続く,髪用のリンスのCMである。

 

NEVER(2019.7.6)

昭和59年,詞:Dean Pitchford, Michael Gore, 松井五郎,曲:Dean Pitchford, Michael Gore,が唄:Mie

 「傷つき こわれた時が 強くなるチャンスだから」と始まる歌。

 「Never never never ever」が何度も繰り返され印象に残るが,この箇所のインパクトが強すぎ,『ネバネバネバ』と納豆でも混ぜているようで他の歌詞が耳に入って来ない。

 ピンク・レディーのイメージを壊すためなのだろうが,壊し過ぎではないか。

 

ピンクのモーツァルト(2019.6.9)

昭和59年,詞:松本隆,曲:細野晴臣,唄:松田聖子

 「水晶の熱い砂爪先立って」と始まる歌。

 松本の詞はよく解らない。二人で水遊び(火遊び?)しているようだが,ただそれだけなのではないか。「ピンクのモーツァルト」とは何のことなのかが解らないので全体が解らないのだ。

 火遊びの歌だと解釈すれば,「ピンクのモーツァルト」も漠然とイメージを感じ取ればよいのだろう。しかし,そうだとするとこの歌を松田に唄わせる意図は何なのだろうか。清純派イメージから脱したいという松田の求めがあったのだろうか。

 

ふたりの愛ランド(2015.5.10)

昭和59年,詞:チャゲ,松井五郎,曲:チャゲ,唄:石川優子とチャゲ

 「夏が噂してるわ あなたのことを」と石川の唄から始まる歌。ふたりで唄う「夏 夏ナツ ナツ ココ夏 愛 愛 アイ アイ 愛ランド」という個所などが印象に残っている。某航空会社の沖縄キャンペーンソング。

 ところで,歌詞に出てくる「ピンボールみたいで 気がおけないの」だが,「ピンボール」が昔ゲームセンターにあったようなあれなら,なぜ「気がおけないの」か理解できない。これだけではない。全体として雰囲気は感じるが真に意味するところは解らない。昭和も後期になるとこのように歌詞の意味が解らない歌が増えてきたような気がする。

 

ふられ気分でRock’nRoll(2014.5.17)

昭和59年,詞:TOM,曲:TOM,唄:TOMCAT

 「凍るアスファルト急な坂」と始まる歌。

 曲はロックンロールというだけあってリズムはわたしの身体に合うし,メロディーも心地よい。しかし,詞はまったく解らず,ほぼ平成の歌と言っていいだろう。BGMとして聴くのはいいが,詞に共感して聴くことはできないし,唄うこともできない。世代ギャップを感じる歌である。

 

振られ気分でRock’n’ Roll(2019.5.13)

昭和59年,詞:TOM,曲:TOM,唄:TOMCAT

 「凍るアスファルト 急な坂 息もつかず思いきりかけあがる」と始まる歌。

 作詞・作曲はTOMの本名である松崎淳美となっているものも見たことがある。

 タイトルどおりの典型的ロックのリズムだが,メロディーラインの音の跳びは今までに聴いたことがないものでかなりの違和感を持つ。

 詞は強い印象が残るわけではないが,まあロックとしては普通ではないか。

 歌唱は明瞭発声で聞き取りやすいのだが,メロディーの異常な跳びが原因で聴いただけでは意味がすんなり入って来ない箇所もある。

 ロックンロールとしては異端だとは思うが,第28回ポピュラーソングコンテストでグランプリ,第15回世界歌謡祭グランプリ受賞なので,私の評価に客観性があるとは言えないかもしれない。

 

プロフィール(2022.1.2)

昭和59年,詞:売野雅勇,曲:井上大輔,唄:倉沢淳美

 「平凡すぎる女の子 あなた嫌いですか あなた退屈ですか・・・」という台詞から始まる。

 唄もほぼ同じ意味で「振り向けばそこにいるような女の子・・・ あなた嫌いですか 嫌いですか」と始まる。タイトルはプロフィールとなっているが,実際には年齢と身長しか紹介されていない。途中で「ATSUMI  ATSUMI」と名前が連呼されるのが印象的。

 しかし,アイドル・ソングとしか言いようがない。

 

星屑のステージ(2013.1.18)

昭和59年,詞:売野雅勇,曲:芹澤廣明,唄:チェッカーズ

 「胸に頬をうずめ泣いていたねあの日」と始まる歌。かろうじてGSの面影を残し,昭和の歌の雰囲気を漂わせている。まもなく平成の歌へと変わる直前の歌のように感じる。

 歌詞に英語が入るのは好きではないのだが,この歌で印象に残るのは「cry cry crying」という箇所で,このくらいなら仕方がないかと思ってしまう。

 昭和34年からこの年まで25年にわたって続けられた北朝鮮への帰還事業が終了した。種々の事情で滞日していた在日朝鮮人を北朝鮮へ帰す事業である。北朝鮮が地上の楽園であるとの宣伝に乗せられ,7000人近い日本人配偶者らを含む10万名弱が北朝鮮へ渡った。北朝鮮が地上の楽園ではなかったことが,帰還した人々には恐らくすぐに,日本に残った人々にはその後次第に明らかになってきた。北朝鮮が地上の楽園だと宣伝した個人・団体・政党・マスコミなどはその後どのような対応をとったのだろうか。

 横田めぐみさんは昭和521115日に北朝鮮に拉致されている。北朝鮮が地上の楽園だと宣伝して多くの人々を北朝鮮に送った人々はどのように考えているのだろう。

 

星空のディスタンス(2012.11.21)

昭和59年,詞:高見沢俊彦・高橋研,曲:高見沢俊彦,唄:THE ALFEE

 「激しい風が今心に舞う」と始まる,グループサウンズ,フォークソング,それにクリスタルキングもどきが混じりあったような歌で,昭和後半の歌から演歌を引いたような歌。平成の歌への橋渡しになっている歌のひとつだろう。

 「500マイル」というのが何故出てきたのか解らず,「500マイル」1)以外に連想するものがない。「カシオペアを見上げ夢を語る」というのは珍しいのではないか。私は北極星を探すのに使う以外カシオペア座に思いを馳せることはない。ギリシア神話でのカシオペアはアンドロメダの母親だがどのような夢をカシオペアに語るのだろうか。私ならやはり月だろう。個人的にはオリオンに思い入れはあるが,普通は流れ星,月,金星などが何らかの思いを込めて見上げる星ではないだろうか。南十字星などは日本では見ることができないので別な感激はあろう。ケンシロウ2)なら北斗七星に思い入れがあるかも知れないが。

 まあ,私にとってこの歌は特に好きだという訳ではないが,聞き苦しい歌でもない。

1)      500 miles」(昭和37年,詞:?,曲:?,唄:Peter, Paul and Mary)昭和36年のHedy Westの歌があるという話を聞いたが,私はその歌を知らない。もっと古いRamblin’ Jack Elliotの「900 miles」という歌が元だという話もあるようだ。

2)      「北斗の拳」(昭和58年〜,週刊少年ジャンプ,原作:武論尊,作画:原哲夫)

 

まつり(2017.5.19)

昭和59年,詞:なかにし礼,曲:原譲二,唄:北島三郎

 「男は祭りを そうさ かついで 生きてきた」と始まる歌。

 「燃えろよ 涙と汗こそ 男のロマン」「これが日本の 祭りだよ」とある。日本精神は一言で語れない種々の面があるが,その一面を歌っているといえよう。

 和太鼓は心の中に眠っている原始的な感情にを揺り起こす

 なお,作曲の原譲二は北島三郎のペンネームである。

 

ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY) (2018.11.30)

昭和59年,詞:桑田佳祐,曲:桑田佳祐,唄:サザンオールスターズ

 「夢に見る姿の良さと美形のBlue Jean」と始まる歌。

 流行を追う女性を「みな同じそぶり」とか「教えられたままの仕草に酔っている」などと批判的に見ているのかと思うと,「誰かと似た身なり」とか「街でよく見るタイプの君よ」と,よくある話とどうも肯定しているようだ。それどころか「You should know she’s breaking un my heart」などと言っている。

 なぜ英語を使わなくてはならないのかと思うのだが,照れ隠しかもしれない。

 

娘よ(2014.6.25)

昭和59年,詞:鳥井実,曲:松浦孝之,唄:芦屋雁之助

 「嫁に行く日がこなけりゃいいと」と始まる歌。

 その日が来てしまった歌である。娘を嫁に出す父親の気持ちはこんなものかと想像するだけだ。最後は「ついて行くんだ信じた人に」と終わっているということは,親が選んだ相手ではなく,娘が見つけた相手だろう。

 最近ではいつまでたってもその日が来ないケースも増えてきたようだ。これはこれで心配で,どうしたらいいのかわからなくなってしまうのではないか。

 

迷宮のアンドローラ(2019.3.21)

昭和59年,詞:松本隆,曲:筒美京平,唄:小泉今日子

 「夢なの? 夢じゃない」と始まる歌。とはいえ,この箇所のメロディーは他と全く異なるのでプロローグとしての付録だろう。歌は「車を飛ばして 天文台へ」から始まるといって良いだろう。

 詞はファンタジーかSFか。

 「夢なの?」と言っているが,私の見る夢は多くが悪夢で「夜空を駆けめぐる 瑠璃色」の夢など見たことが無い。私が思うファンタジーは小さな妖精などが出てくるイメージで,もっとホンワカとした感じなので,曲調も含めファンタジーには感じられない。かといってScientificと感じられる箇所もない。

 「迷宮」と聞くとミノス宮殿を思い出し,名前が似ているような気がしてアンドロメダの縁者かなどとも思ってしまうが関係は無さそうだ。

 結局,思いついた言葉を並べただけのように感じられる。「幻だけ Science まなざしだけ Silence」などその典型ではなかろうか。

 私がこのように感じても,この曲はオリコン・チャート一位を獲得しているのだから私の感性は世間とかなりずれてきていたのだろう。

 

メイン・テーマ(2016.8.6)

昭和59年,詞:松本隆,曲:南佳孝,唄:薬師丸ひろ子

 「時は忍び足で心を横切るの」と始まる歌。角川映画「メイン・テーマ」の同名主題歌。

 松本隆の詞はよく解る詞と解らない詞がある。恐らく私の感性は同時代の人々のなかで古いほうに寄っているのだろう。松本は私と同世代といっていいほどの年齢差しかないが,彼の感性の幅の古いほうの端が私の感性と重なり,理解できるのかもしれない。しかし,松本は時代と共に変化していくのに対し私はある時点で止まってしまっている。それで松本の詞の多くは私が理解できないものになってしまった。この歌の詞も私にはよく解らない。

薬師丸はアイドルなのだろう。映画スターというには私の印象では若すぎる。従って唄う映画スターではないと思う。アイドル歌手とも一線を画する歌の上手さだが,歌手の唄とも少し違う。理解できない詞を解ったような気にさせる歌唱が薬師丸の唄だ。このように感じるのは編曲のせいもあるのだろうとは思う。

少なくないアイドル歌手が,唄を聴かせるための編曲に耐えられるほどの歌唱力を持っていないのではなかろうか。

 

夫婦坂(2011.12.31)

昭和59年,詞:星野哲郎,曲:市川昭介,唄:都はるみ

 都はるみは「この坂を越えたならしあわせが待っている」というヒット曲が出ているこの年「普通のおばさんになりたい」とか言って引退した。おかげで紅白歌合戦で生方アナは後々まで語り継がれるミス1)を犯してしまった。しかし,このミスはちょっとした言い間違いで大した問題ではない。美空ひばりも都はるみも大歌手であり,生方アナも歌謡番組のベテラン司会者というだけだ。

1)都はるみのステージで,「みそら・・・」と言って絶句。

 

もしかして(2020.5.26)

昭和59年,詞:美樹克彦,曲:美樹克彦,唄:小林幸子

 「もしかして・・・もしかして 笑わないで くれるなら この気持ち 打ち明ける」とはじまる。「お酒の力を かりてでも」と続く。

 女性が酒の力を借りて「今夜こそ 私のわがままを 聞いて」と要求する歌。時代が変わったのだろうか。それとも,昔も水面下ではこうだったのだろうか。最近はそれが水面に現れるようになっただけかも。

 

もしかしてPARTU(2020.6.25)

昭和59年,詞:榊みちこ,曲:美樹克彦,唄:小林幸子/美樹克彦

「もしかしてもしかして 私の他にも 誰か いい女(ひと)が いるのなら」と始まる。

ソロ活動をしている男女の歌手がデュエット曲を出すのは,カラオケ需要を期待してのことだろう。飲み会で狩人のような男性デュオの曲を唄うと,よほど上手くないと受けないだろう。ピンクレディーなどの女性デュオの曲は華があるが男性には唄えない。(もちろんAKB48などを唄う男性がいることも知ってはいるが。)普段から男女のデュオとして活動しているグループはどうだろうか。さくらと一郎では暗すぎる。ヒデとロザンナでは明るすぎる。チェリッシュくらいならいいのだが,カーペンターズと同じく男性がどこで唄っているのか解らない。酔って唄うにはもっと目立ちたい。結局,裕次郎の銀恋を始めとして,普段はソロ同士のデュエットが人気曲になっている。デュエットもどきで男性グループと女性歌手という組み合わせも人気が高い。

この曲は原曲の『もしかして』発売から半年後の発売。

 

モニカ(2015.7.8)

昭和59年,詞:三浦徳子,曲:Nobody,唄:吉川晃司

 「真夜中のスコールBackミラーふいにのぞけば」とはじまる歌。詞は聴かせるように書かれていないのではないか。また,発音も私が習った音楽の授業なら,きっと良い点は得られないような日本語とは聞こえないような発音だ。結局歌詞を見ないと何を言っているか解らない。

 「赤い電話Boxの中から」というのは日本ではないのだろうか。「Backミラー」で見たのだからSea Side Avenueに居たはずなのに,「 Streetの向こう側では忘れ去られたビート・パラソル」とStreetが海岸に沿っているかのようだ。あるいはこの街ではStreetAvenueは直交していないのだろうか。何から何まで解らない。結局「君たちにさよなら」だけ解った。

 理解できない歌だが,曲は好きなタイプだ。ビートの効いた単調な曲は嫌いじゃない。

 

桃色吐息(2015.6.9)

昭和59年,詞:康珍化,曲:佐藤隆,唄:高橋真梨子

「咲かせてさかせて桃色吐息」と始まる歌。

高橋の唄はペドロ&カプリシャスで唄った『ジョニィへの伝言』や『五番街のマリーへ』で馴染があったが,これは雰囲気の異なる歌だ。宝石のCMソングとして使われたらしいがそのCMは覚えていないので,歌のインパクトの方が大きかったのだろう。曲が,編曲によるのだろうが特にリズムが私好みの曲の一つだ。

歌詞は論理が通っているようでありながら,よくは理解できないという,メッセージ重視から雰囲気重視へと移行する過渡期のような詞だと感じる。

「あなたに抱かれて こぼれる華になる」という雰囲気は感じるし,「だれも愛の国を見たことがない」や「金色 銀色 桃色吐息 きれいと言われる 時は短すぎて」という気持ちも感じる。『わが身世にふるながめせしまに』1)というところだろう。

1)小野小町「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに(古今集)」

 

ヤマトナデシコ七変化(2018.11.1)

昭和59年,詞:康珍化,曲:筒美京平,唄:小泉今日子

 何度も繰り返される「純情・愛情・過剰に異常」というフレーズから始まる歌。

 「どことなく 浮気なとこが あなたにも 魅力でしょ」などというのは時代だろうか。

 「まわり道 最初の人に 帰る日も あるでしょう」などと自分だけの都合を考えていても,相手のいることだから。昔から,逃がした獲物は大きく,幸運の女神には後髪はないと言われているのを知らないのだろうか。

 筒美の曲も,以前は私の気分にピッタリだと思っていたのだが,徐々に進化しているようで,ついて行けなくなってきていることに気付く。

 

雪にかいたLOVE LETTER(2018.8.9)

昭和59年,詞:秋元康,曲:林哲司,唄:菊池桃子

 「あなたにつたえたいの この胸のときめき」と始まる歌。

 一方的な想いを伝えられずに,「レンガの石畳 雪の上に」指で想いを書くというアイドルソングだが,わたしなどがコメントする立場にない。

 

ゆけ!ゆけ!川口浩!!(2023.5.2)

昭和59年,詞:嘉門達夫・青木一郎,曲:嘉門達夫,唄:嘉門達夫

 「川口浩が洞くつに入る カメラマンさんと照明さんの後に入る」と始まる。

 テレビ朝日系の『川口浩探検隊シリーズ』を歌った歌。

 番組は人類未踏の洞窟やジャングルを探検するものだ。「何かで磨いたようなピカピカの白骨が転がる」洞窟を進むと,ヘビが「しっぽから落ちて」来たり,「動かないサソリが襲って来たり,次は毒グモ」だ。「さらに未開のジャングルを進む 道には何故かタイヤの跡がある」。

 「こんな大発見をしながら けっして学会には発表しない 川口浩の奥ゆかしさに 僕らは思わず涙ぐむ」という歌。最後は「ゆけゆけ川口浩 ゆけゆけ川口浩 ゆけゆけ川口浩 どんとゆけ!!」と終わる。

 

流氷子守唄(2016.9.6)

昭和59年,詞:池田充男,曲:曽根幸明,唄:山川豊

 「やけつく火の酒を 呷(あお)れば思い出す」と始まる歌。

 「あいつがいない九十六屯(くんろく)に 今度は俺が乗る」と吹雪の中を出港していく。

 比較対象としては不適切かもしれないが,戦艦大和は満載時73,000トン近かった。海上保安庁の2030m級の巡視艇での排水量が100 t程度のようだ。以前友人が乗っていた船でオホーツクに出て行くようだが,巡視艇のようなものだろうか,それとも漁船なのだろか。友人がなぜ今いないのか,その船だけはなぜ残っているのかやや疑問だがいろんなことがあったのだろう。

 印象としては亡き友の歌,男と男の友情の歌なのだが,タイトルは子守唄だ。友人の子だろうか自分の子だろうか,あるいは友よ安らかに眠れという歌なのだろうか。理解できない分,感情移入できない。

 

Rock’n Rouge(2014.8.1)

昭和59年,詞:松本隆,曲:呉田軽穂,唄:松田聖子

 「グッと渋いSPORTS CARで」と始まる歌。

 松田聖子はアイドルから歌手になった数少ない元アイドルだとおもう。この歌の松田は私にとっては歌手ではないがアイドルの中では歌が上手い。ただ,曲のせいもあるだろうが,唄がリズムに負けていて歌詞が十分耳に届かない。歌詞と曲の相乗効果だろうか,外国語の歌を聴いているようだ。

 

Rock’n Rouge(2018.7.19)

昭和59年,詞:松本隆,曲:呉田軽穂,唄:松田聖子

 「グッと渋いSPORTS CARで 待たせたねとカッコつける」と始まる歌。

 わたしには「PURE PURE LIPS」など,何のことか理解できないが。

 アイドルソングとしては詞・曲・歌手のバランスはとれているように思う。心の内を訴えかける歌としては全体的に軽薄そうな感じを受けるが,「髪にグリース光らせて」「1ダースもいるGIRL FRIEND」などと言っている男が相手なのだからこれでいいのかもしれない。バブリーな時代なのだろう。

 

六本木心中(2018.10.3)

昭和59年,詞:湯川れい子,曲:NOBODY,唄:アン・ルイス

 「だけど こころなんて お天気で変わるのさ」と始まる歌。

松本隆や売野雅勇の詞についていけないことは十分自覚していたが,湯川れい子よお前もかと言いたくなる。もちろん私が湯川をお前呼ばわりして良いはずはない。ただ,湯川は私が松本や売野の詞を知るずっと前からテレビなどで見ており,私より古い世代の人だと思っていたのに私など到底ついて行けない先に進んでしまっているという衝撃からの言葉だ。

私には唄を聴いても,感情が伝わって来ないどころか内容すら理解できない。他の歌手のカバー盤も聴いてみたが同じだ。歌詞を見ながら聴いて初めて今この箇所を唄っているんだということが解る。加齢により耳が悪くなっていることもあるのだろうが,聞き取れない理由の一つは歌詞と曲とのマッチングの問題で,それより大きな問題は歌詞に現れる言葉の種類や並びが私の予想できないものだからだろう。

平成の歌には私が理解できない歌が増え,次第に歌を聴かなくなった。

 

忘れていいの―愛の幕切れ―(2020.4.4)

昭和59年,詞:谷村新司,曲:谷村新司,唄:小川知子with谷村新司

 「忘れていいのよ 私のことなど 一人で生きるすべなら知ってる」と女声で始まる歌。

 しかし,「指先の冷たい女は 臆病者だから 一人じゃ生きてゆけない 手を振る貴方に心は乱れる」と男性が唄っている。本心は御見通しということだ。

 実際,「行かないで」と唄い,最後には二人で「涙あふれても 逃げない バスが行くまで」と痩せ我慢であることを隠さなくなっている。

 二人共,別れたいとは思っていないようだが,別れることに同意しているようだ。何が原因だろう。

 

THE NEVER ENDING STORY(2019.9.26)

昭和59年,詞:Keith Forsey,曲:Giorgio Moroder,唄:Limahl

 「Turn around  Look at what you see  in her face」と始まる歌。

 同タイトル映画の主題歌。映画は観ていないし,原作も読んでいない。歌詞もネタバレを避けるためかストーリーが解るようには書かれていないようだ。ただ,感じの良い曲だし,TV で流れていたプロモーションフィルムで観たごく一部から想像すると活劇ファンタジーなのではないかと思う程度だ。

 当時の私は,どんどん私の好みから外れて行く商業的な歌を聴くことはあまりなかった。とは言え,惰性で,ラジオの歌謡ベストテン系の番組は毎週留守録していた。一度も聞いていないカセットテープが山ほどあったはずだが,いつの間にかどこかへ行ってしまった。