明治,大正,昭和元年〜,昭和6年〜,昭和11年〜,昭和14年〜,昭和16年〜,昭和21年〜,昭和26年〜,昭和29年〜,昭和31年〜,昭和33年〜,昭和35年,昭和36年,昭和37年,昭和38年,昭和39年,昭和40年,昭和41年,昭和42年,昭和43年,昭和44年,昭和45年,昭和46年,昭和47年,昭和48年,昭和49年,昭和50年,昭和51年,昭和52年,昭和53年,昭和54年,昭和55年,昭和56年,昭和57年,昭和58年,昭和59年,昭和60年,昭和61年,昭和62年,昭和63年〜,その他(不明),平成の歌
昭和47年
目次
哀愁のページ,愛の休日<Holidays>,愛の挽歌,青い麦,赤いキッス,あしたはきっと,あなたが帰る時,あなただけでいい,あなたの灯,あなたへの愛,あの人の手紙,雨〔雨にぬれながら〕,雨に消えた恋,雨のヨコハマ,ある女の詩,漁火恋歌,怨み節,おきざりにした悲しみは,落葉のメロディー,男の子女の子,おやじの海,折鶴,おんなの海峡,女のねがい,女のみち,傘がない,喝采,悲しみの町,紙飛行機,かもねぎ音頭,かもめ町みなと町,カレーライス,学生街の喫茶店,北国行きで,北信濃路絶唱,来た道・寄り道・帰り道,君を恋うる唄,京都から博多まで,京のにわか雨,くちづけ,狂わせたいの,黒いカバン,黒の舟唄,ケンとメリー〜愛と風のように〜,恋唄,恋の町札幌,こころの炎燃やしただけで,この愛に生きて,御案内,ゴッドファーザー愛のテーマ<Speak Softly Love Theme from the Godfather>,サイクリング・ブギ,放浪船,さそり座の女,さなえちゃん,さよならをするために,サラリーマン小唄,サルビアの花,潮風の吹く町,春夏秋冬,昭和放浪記,純潔,城ケ島慕情,じんじんさせて,人生が二度あれば,瀬戸の花嫁,せんせい,宗右衛門町ブルース,そして神戸,太陽がくれた季節,太陽のくちづけ,たどりついたらいつも雨降り,旅の宿,だからわたしは北国へ,だれかが風の中で,ちいさな恋,小さな体験,地下鉄にのって,鉄橋をわたると涙が始まる,通りゃんせ,友達よ泣くんじゃない,同級生,どうにもとまらない,何とかなれ,2時間35分,虹をわたって,にんじん,八月の濡れた砂,ハチのムサシは死んだのさ,初恋のメロディー,波止場町,春だったね,バス・ストップ,日蔭者,東へ西へ,ひとりじゃないの,一人の道,ひなげしの花,ひまわりの小径,秘密,ふたりの日曜日,古いお寺にただひとり,星降る街角,ぼくの好きな先生,ポスターカラー,マキシ―のために,まごころ[ぼくが心を],待っている女,耳をすましてごらん,芽ばえ,雪あかりの町,許されない愛,夜明けの停車場,夜汽車,恋の追跡(ラブ・チェイス),りんどうの花,れんげ草,別れてよかった,別れの旅,わたしが望むのは,私は好奇心の強い女,私は忘れない,Holidays,Speak Softly Love Theme from the Godfather
哀愁のページ(2016.9.21)
昭和47年,詞:有馬三恵子,曲:筒美京平,唄:南沙織
冒頭に「Say! Do you know what loneliness?」と始まる台詞が入る。歌は「秋の風が吹いて舟をたたむ頃」と始まる。
唄の記憶はあまりないが,冒頭の台詞はよく覚えている。音源は探せばある筈なのだが再生装置が壊れていて,いつか自分で修理しようと思っているがまだ果たせないでいる。
歌詞を読んでみると,「さよならするたびに きれいな花びらにかわるのね」と『恋はするほど艶がでる』1)と同じような内容が使われているがこの歌の雰囲気は昔ながらの歌謡曲ではない。どこか開き直りのような印象を受ける。
南沙織のこの前のシングル『純潔』2)は聴き覚えがあるが自分では(上手下手にかかわらす)唄えないレベル,次のシングルは『早春の港』3)でこちらはタイトルしか記憶にないレベルなので南沙織はあまり聴いていなかったのだろう。
1)「恋は神代の昔から」(昭和37年,詞:星野哲郎,曲:市川昭介,唄:畠山みどり)
2)「純潔」(昭和47年,詞:有馬三恵子,曲:筒美京平,唄:南沙織)
3)「早春の港」(昭和47年,詞:有馬三恵子,曲:筒美京平,唄:南沙織)
愛の挽歌(2016.1.18)
昭和47年,詞:橋本淳,曲:筒美京平,唄:つなき&みどり
「古いピアノがある 店の片隅で」と始まる歌。
何度も聴いたはずだが,「安い真珠の指輪を 愛のあかしに贈られ 今さらあとへはひけない」の箇所が強く印象に残っているだけで全体の詞がどのようなストーリーだったのか記憶にない。今,詞を読んでもストーリーが解らないので当時も解らず,従って記憶に残らなかったのだろう。タイトルが「挽歌」だし,歌詞にも「あの人に別れ」とあるので別れの歌のような気がするのだが「幸せにおぼれたい」というのはどういうことなのだろうか。私の思考回路とは別の回路の歌だ。
私がこの歌を聞いた時の最初の感想は,『えっ,三原綱木と田代みどりがデュエット?』というものだった。今回これを書くために歌詞などを確認している最中に,当時三原綱木と田代みどりは婚姻関係にあったことを初めて知った。いまさらながらの驚きだ。当時は芸能誌を読んだり,芸能ゴシップ番組を観ることなかったからという訳ではないだろう。何故今まで知らなかったのか不思議だ。それだけ私にとっては意外なカップルということだ。
青い麦(2020.7.30)
昭和47年,詞:有馬三恵子,曲:加瀬邦彦,唄:伊丹幸雄
「君に会えた日から 僕は恋のとりこ」と始まる。
「長い髪をなびかせ 君はそよ風みたいさ」と昔ながらの比喩だが,昔なら人目を忍んで暗がりでというところを「二人の恋には 日向がにあうよ」と開放的になっている。それだけ若い人向けということなのだろう。
赤いキッス(2017.8.4)
昭和47年,詞:阿久悠,曲:小林亜星,唄:はしだのりひことエンドレス
「赤いキッスは どなたもどなたも経験できますです」と始まる歌。
ケチャっプのCMソングだが,耳に残る。
あしたはきっと(2019.2.6)
昭和47年,詞:いとうたかお,曲:いとうたかお,唄:いとうたかお
「あしたはきっと 帰るんだ かわいいあの娘の 住む町に」と始まる歌。
あしたの一番列車で帰るんだと遠足前夜のようなウキウキした気分の歌。
しかし,帰るんだ帰るんだと言っているだけで歌は終わってしまう。ひょっとしたら結局は帰ることが出来なかったのではなかったと思うほどだが,おそらくは他のことには気が回らない程明日の帰郷を楽しみにしていたときの曲なのだろう。
詞にこんな言葉を入れたらもっと売れるかもしれないなどということは一切眼中になく,そのときの思いだけを並べているようだ。
もし,これが帰ろう帰ろうと思っていながら帰ることが出来ない歌なら悲しすぎる。
あなたが帰る時(2014.11.13)
昭和47年,詞:千家和也,曲:浜圭介,唄:三善英史
「あなたが帰る時 船を選ぶなら」と始まる歌。
2番は「汽車を選ぶのなら」でそれぞれ「港」「ホーム」で待つと言っている。姿が見えたら「初めて泣くでしょう」というのだが,なぜ泣くのか私にはよく解らない。うれし泣きかもしれない。これまで苦労に耐えつつ泣くのをこらえてきたのがこらえきれずに泣いてしまうという雰囲気だ。しかし三善の声は透明で,当事者というより,傍らから見ている第三者の声のようだ。喜びにあふれる訳でもなく,悲しみにくれるわけでもなく,淡々と唄っているように感じる。曲がそのように作られているのかも知れない。
あなただけでいい(2018.10.16)
昭和47年,詞:安井かずみ,曲:平尾昌晃,唄:沢田研二
「あなただけでいい 何もなくていい」と始まる歌。
沢田は愛に溺れ,破れる歌を何曲も唄っているが,これはその初期の歌。昔なら男は天下・国家を論じるもの,あるいは青年は人生を考察し悩むものだったのが,愛に溺れる青年が市民権を得だしたのは時代だろう。
「あなただけでいい それで死んでいい 幸せには出来なかった」と言っているが,死ぬ方はそれでいいかも知れないが,残された方はどうなるのか考えているのだろうか。おそらく「死んでいい」は口先だけの言葉だろう。男の覚悟ある言葉とは思えない。
しかし,『命をかけた恋』1)などという修辞はこの時代に始まったものではない。昔も今も本質は大きく変化していないということだろうか。
1)「無情の夢」(昭和11年,詞:佐伯孝夫,曲:佐々木俊一,唄:児玉好雄)
あなたの灯(2017.1.29)
昭和47年,詞:山口洋子,曲:平尾昌晃,唄:五木ひろし
「山のむこうに またたく灯 あなたの灯」と始まる歌。
山口の詞に平尾の曲,安心して聴いて居ることができる。演歌の分類にはいるのだろうが,私にとっては典型的な演歌というより典型的な歌謡曲の一種だ。
「ああ もう雪が降る」とサビに入っていくあたりからなど,このような雰囲気の寄せ集めが私を形作っているのだろう。
あなたへの愛(2017.6.21)
昭和47年,詞:安井かずみ,曲:加瀬邦彦,唄:沢田研二
「あなたが言いだせば 悲しく聞こえる」と始まる歌。
破局の歌。「愛を引き留める ああ 鎖があるなら あああ 二人つながれて ああ どこまで行きたい」が繰り返されるが,最後は疑問文ではなく『どこまでも』の意だろう。
沢田研二が好きだった訳ではないが,GS出身で最も成功した歌手は彼だろう。
あの人の手紙(2019.4.29)
昭和47年,詞:伊勢正三,曲:南高節,唄:かぐや姫
「泳ぐ魚の群れに 石を投げてみた 逃げる魚達には 何の罪があるの」と始まる歌。
「戦場への招待券という ただ一枚の紙きれ」を受け取り,あなたは「今は戦いの中」。
「ある日突然帰ってきた」「でもすぐに時は流れて あの人は別れを告げる」「もうわかっているの」「ありがとう」「昨日 手紙がついたの あなたの 死を告げた手紙が」。
アルバム『はじめまして』の中の一曲だが,シングルが発売されているのかどうかは知らない。
フォークブーム初期の主要テーマは反戦・厭戦だった。この詞がいつ出来たのか知らないが,レコーディングより前だということは確かだ。時代の雰囲気が伊勢にこのような詞を書かせたのだろう。しかし,周囲がこのような詞を書かせたのだとしても,最終的に個人で結果を受け止めて行くというのが伊勢らしいと言えるのかも知れない。
雨(2013.4.10)
昭和47年,詞:千家和也,曲:浜圭介,唄:三善英史
「雨にぬれながらたたずむ人がいる」とはじまる歌。でだしの高音が耳に残る歌。「じっと耐えるのがつとめと信じてる」が三度も繰り返され,自虐的な昭和を象徴するような歌で,第14回日本レコード大賞新人賞を受賞曲した。
雨の中で,約束を信じて待っているが相手は来ない。当時は携帯電話などという便利なものはなかったから,どちらかが自宅に居ない限り連絡はつかないので待ち合わせの場所で会えなければただひたすら待つしかない。いまのように携帯電話で常時連絡できるのは便利だが,風情がない。この歌の場合,相手に来る気があったのかどうかは判らないが,『君の名は』1)をはじめ昭和中期の幾多のメロドラマでは『すれちがい』があったからこそのヒットであっただろう。
1) 菊田一夫:「君の名は」(NHKラジオ連続ドラマ,昭和27年)
雨に消えた恋(2018.4.11)
昭和47年,詞:千家和也,曲:筒美京平,唄:野口五郎
「雨がひとしずく ガラス窓をはう」と始まる歌。
「君はもう 君は還らない 泣いて叫ぶ 僕のこの手に」と叫んでいて,少し可愛そうな気もするが,今となってはもう遅い。もっと前に何とかすべきだったのにと冷たく突き放すしかない。
雨のヨコハマ(2017.8.17)
昭和47年,詞:橋本淳,曲:筒美京平,唄:欧陽菲菲
「赤い車をのり棄てて ひとり来ました港町」と始まる歌。
私の中では唄おうとすると途中から『雨の御堂筋』1)になっていきそうな曲。
1)「雨の御堂筋」(昭和46年,詞:林春生,曲:ザ・ベンチャーズ,唄:欧陽菲菲)
ある女の詩(2019.5.25)
昭和47年,詞:藤田まさと,曲:井上かつお,唄:美空ひばり
「雨の夜来て ひとり来て わたしを相手に 呑んだ人」と始まる歌。
「死ぬほど好きと言いながら いつか遠くへ消えた人」ということで,昔ながらの内容の演歌。あとはひばりの歌唱力勝負か。
唄の随所に昔ながらのひばりの特徴がでていて,昔からのひばりファンは満足できるだろうが,初めて聴く若い人は詞も曲も古臭く感じるのではないか。
漁火恋歌(2015.6.22)
昭和47年,詞:山上路夫,曲:平尾昌晃,唄:小柳ルミ子
「誰にも言わずに裏木戸をぬけて」と始まる歌。
曲は古い印象を受けるが何の文句もない。しかし,詞は山上らしくなくよく解らない。私にとっては,小柳ルミ子が唄った歌でなければ忘れてしまう歌だろう。
「やさしく胸に抱かれたことも 今では帰らぬ夢なのね」とか「私があの日願ったことも 今ではかなわぬことなのね」とかあるので,これからは逢えない悲しみを歌った歌なのだろうが,「好きなあなたが烏賊つる小船ヨー」とあるので,彼は今,漁に出ているだけではないのか?彼が心変りしたのだろうか,親から付き合いを禁じられでもしたのだろうか。どうも状況が理解できず消化不良になる詞だ。
怨み節(2015.9.29)
昭和47年,詞:伊藤俊也,曲:菊池俊輔,唄:梶芽衣子
「花よ綺麗とおだてられ」と始まる歌。
梶芽衣子主演の東映映画『女囚さそり』シリーズの主題歌。。
最後の「馬鹿な バカな 馬鹿な女の 恨み〜ィ節」のフレーズが印象的。
当時,私は計算をしていた。研究室内で行われていたCO2レーザ光の高速検出に関する実験を,効率よく行うためと他の応用への可能性を検討するため,理論?計算をしていた。とはいえ理論をまともに勉強したわけではなく,仮のモデルを考え,解らないところは未知パラメータとして,実験結果と合うようにパラメータを決め,その結果予測される温度特性の計算結果と実験結果が一致するかどうか調べるようなことをしていた。ところが結果を学会で発表したとき,実験結果に合わせてパラメータを決めれば,実験結果と計算結果が一致するのは当然だと指摘されてしまった。私にもパラメータを決めるときの実験と,このパラメータを使って予測した実験は異なる実験なので,提案したモデルは正しいという言い分はあったのだが,理論屋に対するコンプレックス(もちろんinferiority complex)もあったこともあり,このパラメータを計算で求めたいと思って,もう少し基本的な式から計算しようとしていた。
この計算の手始めとして6行6列のエルミート行列の固有値を求めることを始めた。各行列要素はx, y, zの2次関数なので・・・とにかく私には簡単ではなかった。
何とかならないかと式を眺めていたがどうにもならず,(簡単に結果が得られるなら,既に誰かが論文として発表していただろう),全部展開してみようをした時期がある。式が長くなるのでA4の紙などには書ききれず,電子計算機のラインプリンタ出力用紙の裏で計算していた。何日も何日も計算を続け,計算用紙は何10ページにもなったが結局どうにもならなかった。この計算をやりながら「馬鹿な バカな 馬鹿な」男の とつぶやいていた。真面目さが足りなかったのか,この計算は最後までまとまらず,最後にはx, y, zに数値を与えて電子計算機で数値計算を行い,未計算の引数の値に対しては区分的に補間することで数値としての結果を得ることで妥協した。
なお,物理系の書籍などに『簡単な計算により』などと書いてあることがよくある。この意味は(著者が知っている)普通の方法で計算すればいつかは結果に到達するが,長くなって面倒なので記載は省略するという意味であることが多い。私のような凡人では計算用紙を数ページ使わないと結果に到達しないということは普通である。
ただし,毎日毎日同じような計算を続けていると,式の変形に関してのヒラメキが鋭くなることは実感した。囲碁の定石のようなものが次第に蓄積され,計算の先どのような形になりそうかが見えてくるようになるのだ。前述の物理系書籍の著者にとっては定石通り石を並べるだけという,本当に簡単な計算なのであろう。
おきざりにした悲しみは(2018.3.17)
昭和47年,詞:岡本おさみ,曲:吉田拓郎,唄:よしだたくろう
「生きてゆくのは あゝ みっともないさ」と始まる歌。
これは自分のことを自虐的に言っているのだろう。開き直っているとも言える。若いときにこのような歌を聴いて育った世代が大人になってから日本は駄目になったのではないか。もっと夢や希望や信念をもって生きてほしい。
「政など もう 問わないさ 気になることと言えば 今を どうするかだ」とこれまで政治に関心を持ち,種々の活動をしてきて挫折したようなことを言っているが,実はこれまでもその時その時をどうするかで生きて来たのではないかと感じてしまう。
生きることに懸命でなくても生きて行ける豊かな時代になった。これまでも,とりあえず今をなんとかすれば明日は明日でなんとかなるだろうと生きて来たのではないか。しかしさすがにそれではカッコ悪いと思って「おきざりにした あの生きざまは」など過去には違う生き方をしていたかのような言い方をしているように感じる。
そもそも「生きざま」などという言葉は聞いたことがなかった。
落葉のメロディー(2018.4.3)
昭和47年,詞:橋本淳,曲:筒美京平,唄:小林麻美
「落葉を雨がぬらすような それは冷たい午後でした」と始まる歌。
アイドルソングだとは思うが,「どうして人は恋するのでしょう」など,私の小林のイメージとよく合っている。詞と曲もマッチしていると思う。
男の子女の子(2017.11.17)
昭和47年,詞:岩谷時子,曲:筒美京平,唄:郷ひろみ
「君たち女の子 僕たち男の子 ヘイヘイヘイ ヘイヘイヘイ おいで遊ぼう」と始まる郷ひろみのデビュー曲。
初めて郷の歌声を聞いたときこれが歌手の声かと驚いたが,考えてみるとそれ以前にも森進一や青江三奈などにも驚いたので,私には歌手とはこのような発声で唄う人というある種の先入観があったのだろう。郷はその後もあの声で,次第に甘みはとれてきたが,長い間活躍している。
声の甘みについて書いたが,私にとって甘い声というのは神戸一郎のような声だ。三條正人なども甘い声に入る。ただ,普通の甘い声というのは白砂糖系の甘さなのだが初期の郷の声は黒砂糖系の甘い声だった。
そういえば初期の佐川ミツオも甘い声といえそうだが,甘い声というより甘え声というほうが良いかもしれない。
おやじの海(2018.4.15)
昭和47年,詞:佐義達雄,曲:佐義達雄,唄:村木賢吉
「海はヨ〜 海はヨ〜 でっかい海はヨ〜」と始まる歌。歌声は民謡風というか若干訛があるようだ。
この年には500枚を自費制作しただけだが,昭和52年から有線放送で話題になりはじめ,昭和54年には大ヒットとなり,全日本有線放送大賞最優秀新人賞を受賞した。
折鶴(2017.10.10)
昭和47年,詞:安井かずみ,曲:浜圭介,唄:千葉紘子
「誰が教えてくれたのか 忘れたけれど折鶴を」と始まる歌。
2番は「誰に教わったわけじゃなく 忘れられない面影を」と陳腐な修辞だが,それがまた悪くない。小さな「夢」を持って静かに明るく生きて行く。やはり私は定型詩のほうが好きなのだろう。
ところで,テレビか何かの外国人インタビューで,日本人の老若男女誰もがラジオ体操ができ,折鶴を折ることができることに驚いたというのを聞いたことがある。確かに,どちらもかなり複雑ではあるが,ラジオ体操は運動音痴の私でも形だけの真似はできるし,それなりの運動量になる。また,折鶴は願いを込めて折るのに適当な複雑さで出来上がりの形も悪くない。このような文化が継承されていくことを願う。
おんなの海峡(2019.7.18)
昭和47年,詞:石本美由起,曲:猪俣公章,唄:都はるみ
「別れることは 死ぬことよりも もっと淋しい ものなのね」と始まる歌。
「汽車から船に のりかえて 北へながれる」とあるのでこの海峡とは津軽海峡か。
昭和36年に建設が始まった青函トンネルが開通して本州と北海道が鉄道で繋がったのは昭和63年だ。それまでは青森から函館へは青函連絡船に乗り継ぐ必要があった。
再び逢うことはないと心に決めてもなお残る未練。演歌の世界を演歌で唄っている。
いろんな歌の歌詞について,解らないとかおかしいとか文句をつけている私だが,『死んだ経験がないのに,別れる方が淋しいとどうして解るんだ』などと文句は付けない。演歌とはそういうものだと思っているので絶賛はしないが許容する。
都はるみの唄は初期の唄に見られる力み,所謂はるみ節が抑えられている。このほうが哀しみ・淋しさがよく現れていると思うが,はるみ節を聴きたいとも思う。
女のねがい(2017.12.25)
昭和47年,詞:並木ひろし,曲:並木ひろし,唄:宮史郎とぴんからトリオ
「花にも生命があるように 咲いて散るよりつぼみでいたい」と始まる歌。
世の中の多くの人が典型的な演歌だと思うだろうと,これは私が思うのだが,そのような歌だ。もちろん演歌には他の種類のものもあるのだが。
声を聞くだけであのぴんからの顔が目に浮かぶ。
女のみち(2012.2.7)
昭和47年,詞:宮史郎,曲:並木ひろし,唄:宮史郎とぴんからトリオ
ダミ声で「わぁ〜たしぃがぁささぁげぇたぁそぉのぉひぃとぅにぃ〜」と唄い出し,1番,2番,3番とも「こぉれがおんなぁのーぉ〜みちぃなぁらぁばぁー」で終わる歌。私にとっては歌詞に感情移入はできないが,声のインパクトが強い歌だ。この意味で殿さまキングスの「なみだの操」1)と双璧をなすが,「女のみち」のほうが強烈だ。歌には泥酔したときには唄いにくい歌がある。この歌はろれつがまわらないほど酔っ払っても唄えそうだが,若い人より年配の人に似合うだろう。それもおばちゃんよりおっさんに。
この歌に戦争の影は全くないが,この年,グァム島で旧軍の兵であった横井庄一さんが発見され,救出された。横井さんにとってはずっと戦争が続いていたのだ。また,この年,ようやく米国から沖縄の施政権が返還された。沖縄は先の大戦で大変な犠牲を払った。沖縄に対しては種々の想いが交錯し,一つにまとまらない。
1)千家和也:なみだの操
女のみち(2014.3.11)
昭和47年,詞:宮史郎,曲:並木ひろし,唄:宮史郎とぴんからトリオ
「私がささげたその人に」と始まる歌。
イメージ的には殿様キングスに輪をかけたド演歌だ。もちろん実際にも演歌だが。まず,見た目のインパクトが強いのに,女歌であることが衝撃である。どこかで呼び込みでもしていそうなダミ声のようだが,これは見た目の印象に引きずられているようで,顔を見ずに声だけ聞いていると,普通の声の部分もかなり多い。
詞では「二度と来ないでつらいから」と言っているが,最後には「心の灯がともる」,「二度とあかりをけさないで」と灯りが見えているようだ。要するに,何とかかんとか言ってもどうもハッピーエンドのような印象を受ける。
ハッピーエンドというのは私の誤解かもしれないが,なんとか新しい「みち」をみつけたのだろう。悲しみだけ,怨みだけなどという演歌が多く記憶に残る中,最後には何とか希望の灯を見つける,このような歌も悪くないと感じる。
傘がない(2012.4.24)
昭和47年,詞:井上陽水,曲:井上陽水,唄:井上陽水
「都会では自殺する若者が増えている」とはじまり,一転して「傘がない」「君に逢いに行かなくちゃ」と個人的な些細な問題に話題が変っている。この歌詞の解釈にはいろいろあるようだが何が正しいのかは知らない。社会的問題を見て見ぬ振りをして君に逢いに行くために傘をさがしていることが良いといっているのか,それで良いのかと問いかけているのか,それではダメだろうと言いたいのか,良くはないが仕方がないというのかが解らないのだ。
70年安保をはじめとする種々の問題を種に吹き荒れた大学紛争の嵐もほぼ収まり,最後に過激なグループだけが残ったが,昭和47年2月,連合赤軍が軽井沢の浅間山荘に立て籠もるという事件が起きた。連合赤軍内部のリンチ殺人事件も明るみに出ている。
ベトナム戦争反対の運動が激しかった頃の反戦フォークというのは明瞭なメッセージ性があった。(戦争で)こんな悲惨なことが起きてるよ(だから戦争やめて)というタイプが多かったように思う。
この歌詞の曖昧さが他者からの非難を避ける「傘」になっているのだろうか。
この歌は「唐獅子牡丹」1)「昭和ブルース」2)から「『いちご白書』をもう一度」3)の間に入る歌だろう。
1)水城一狼:「唐獅子牡丹」(昭和40年,曲:矢野亮,唄:高倉健)
2)山上路夫:「昭和ブルース」(昭和44年,曲:佐藤勝,唄:ザ・ブルーベル・シンガーズ)
3)荒井由美:「『いちご白書』をもう一度」(昭和50年,曲:荒井由美,唄:バンバン)
喝采(2012.8.21)
昭和47年,詞:吉田旺,曲:中村泰士,唄:ちあきなおみ
第14回日本レコード大賞大賞・歌唱賞受賞曲。
「いつものように幕が開き」とはじまる。ステージにいるとき訃報が届く。「あれは三年前」引き止めるのを振り切って別れてきた。私の悲しみを知ってか知らずか「いつものように幕が開く」。
悪い歌じゃないとは思うが,レコード大賞は別の歌にいってもよかったのではないかとも思う。この頃はニューミュージックがポピュラーになる一方,ド演歌もでたりして従来の歌謡曲にはなかなか苦しい時代だったように思う。ちあきなおみがカバーした他の歌手のヒット曲を聴くとなかなかいい。彼女が隠れた名歌手になってしまったのは,良い曲にめぐり会ったのが少し遅かったのだろう。
この年,浅間山荘事件。連合赤軍のリンチ殺人も明るみにでる。
悲しみの町(2017.10.23)
昭和47年,詞:石坂まさを,曲:浜圭介,唄:藤圭子
「女心をこなごなにして あなただけはと つくしてみたが」と始まる歌。
このころには既に藤圭子の衝撃は薄れてきていたように思う。詞も怨歌ではあるが怨念のこもり方が初期の歌よりも薄まっているように感じ,曲の仕上がりもやや軽快に感じる。
初期の曲ほどにはヒットしなかった。
紙飛行機(2017.2.19)
昭和47年,詞:井上陽水,曲:井上陽水,唄:井上陽水
「白い紙飛行機 広い空をゆらりゆらり」と始まる歌。
私自身は陽水に関心はなかったのだが,近くに陽水ファンがいて,いろいろ聴かされた。恐らくこの曲も何度も聴いたことがあるのだろう,耳に残っている。
陽水のなかでは「紙飛行機」は何かのメタファーなのだろう。恐らく自己または他者なのだろうが,自己だとすればあまりにも自己分析ができておらず,他者ならばその相手との関係(関心)が希薄すぎるように感じ,どちらであると言われても納得できないし,別の何か(例えば社会)なのかも知れないが,いろいろと考えても私には理解できない。
詞が言葉通り「紙飛行機」の歌なら,わたしは『もっと飛べ』と思うこともあるだろうが,紙飛行機を擬人化して感情移入するのではなく,飛行距離や飛行時間を伸ばす技術的研究対象としてだ。
かもねぎ音頭(2016.10.22)
昭和47年,詞:吉岡オサム,曲:レオ,唄:中川レオ
「銀座八丁ネオンがともりゃ 客がくるくるミニクラブ」と始まる歌。
「カモがネギしょってやってくる じゃんじゃん飲ませろ 酔わせて放り出せ」と,銀座のクラブとはこんな所かと,行ったことのない私などビビッてしまいそうな歌詞なのでクラブの営業妨害にならないのかと心配するほどの歌詞だ。
『盛り場ブルース』1)では銀座・赤坂・六本木と歌われており,私はどこも訪れたことはあるが飲むために行ったわけではない。そういえば南・曽根崎・北新地でも飲んだことがない。さすがに,栄・今池・広小路で飲んだことが無いわけではないが,主たる活動範囲は徒歩圏内だった。
もちろん,東京で飲んだことが無いわけではない。『盛り場ブルース』の最後は渋谷・新宿・池袋だがここでは飲んだことがある。もっとも「クラブ」ではなかったが。
毎晩飲むためには,当時の私の経済力では『チャンチキおけさ』2)の世界しかなかった。
ところで,この曲だが,「音頭」と名前がついているが,私がイメージする「音頭」の倍速以上の高速で歌詞が流れて行く。「音頭」とは何かがまた解らなくなってしまった歌だ。
1)「盛り場ブルース」(昭和42年,詞:藤三郎/村上千秋,曲:城美好,唄:森進一)
2)「チャンチキおけさ」(昭和32年,詞:門井八郎,曲:長津義司,唄:三波春夫)
かもめ町みなと町(2017.7.15)
昭和47年,詞:山口洋子,曲:筒美京平,唄:五木ひろし
「渡り鳥とんで来て 秋になった 岬に小さな 灯が点る」
「渡り鳥」とは季節雇用者なのか定期航路の船員なのか。いずれにせよ定期的に来る男を待つ女の歌のようだ。詞の内容の割には軽快な曲だが,もっとしっとりした曲のほうが私の好みだ。
カレーライス(2019.9.7)
昭和47年,詞:遠藤賢司,曲:遠藤賢司,唄:遠藤賢司
「君も猫も僕も みんな好きだよカレーライスが」と始まる歌。
曲はボソボソと話すような系統のフォーク系。この曲ではとても踊れそうにないし,コーラスグループの持ち歌にもなりそうもない。演歌歌手が唄う曲でもないし,歌声喫茶でも選曲されないだろう。
詞は「じゃがいも・人参を切って」「玉ネギを切って」カレーライスを作っている情景描写だ。登場するのは君と僕と猫。カレーをつくっているのは君だ。何ということがない詞だが,途中に「僕は寝転んでテレビを見てるよ 誰かがお腹を切っちゃったって」という箇所があるのが一部で話題になった。これは三島由紀夫の割腹自殺のニュースだろうというわけだ。この辺りは若干歌詞を変え,他のニュースに変えて唄っている例もある。
私にはヒットしそうな歌とは思えないが,四畳半フォークの一つであるとも言える。三島事件を扱った歌ということで関心を持った者も少なくなかっただろうが,関連の詩として「とっても痛いだろうねえ」だけだ。これでは三島の信奉者も批判者も肩すかしだ。
学生街の喫茶店(2011.10.24)
昭和47年,詞:山上路夫,曲:すぎやまこういち,唄:ガロ
「君とよくこの店に来たものさ」でも「サヨナラも言わないで別れたよ君と」という曲。
「片隅で聞いていたボブディラン」というのだが,ボブディランは私の中では昭和30年代末のフォーク歌手だ。30年代には私は喫茶店などには行かなかったが,音楽喫茶などが流行っていたように思うので,そんな喫茶店もあったかもしれない。わたしよりは少し年代が上になるような詞の内容のようにも思うが,単に私が晩生(「おくて」と入力したらこのように変換された。ものは言い様だ。)だっただけかもしれない。
この当時は生涯で最も多く本を買っていた時代だった。ランダウ・リフシッツの理論物理学教程とか岩波の現代物理の基礎などである。しかし,物理の学生にランダウ・リフシッツが良いなんていう奴は素人だと言われ,(それだけではないが)理論屋への道をあきらめた頃だ。現代物理の基礎など,読むために買ったというより飾っておくために買ったようなものだ。
当時は,日曜日に洗濯物を干しながら,ロイ・ジェームスの「不二家歌謡ベストテン」を聴いていたように思うが,ロイ・ジェームスが「ガロ」を紹介しているのを思い出すことができない。曲のジャンルも若干この番組の中心からずれているようにも思う。しかし,イントロにある特徴的なスタッカート気味のリズムは何度も聞いたことがあるが何で聞いたのだろう。そういえば,「夜のヒットスタジオ」を観ることもあったように思う。当時,私の友人は誰もテレビを持っていなかったが,私は懸賞で当たった小さな白黒テレビを持っていた。しかし,この番組とも「ガロ」は合いそうにない。
北国行きで(2014.4.24)
昭和47年,詞:山上路夫,曲:鈴木邦彦,唄:朱里エイコ
「つぎの北国行きが来たら乗るの」と始まる歌。
いかにも山上らしい詞と,鈴木と聞けばなるほどと納得できるメロディー,それに朱里の発声。これらが集まってこの曲が出来ている。低音部はややハスキーではあるが真似して唄えそうな気がする。しかし「アー 何もあなたは知らないの」などという高音部はとても朱里のように声を出すことはできない。
別れの曲は多数あるが,「そうよ今度だけはほんとのことなの」と相手を残して去って行く者の歌のなかでは新しい女を表した秀逸の歌だ。『みちのくひとり旅』1)のような男はもっともポピュラーな立ち去る者だっただろう。もうひとつのポピュラーな関係と断とうとする者は『わたし祈ってます』2)の女だっただろう。
この歌や『逃避行』3)ではダメ男から去る女のイメージを感じる。昔はダメ男(に見える男)につくす女もいくつかあるパターンのひとつだったが,この時代には,ダメ男に未練を感じながらも毅然と別れるという強い女が増えてきたということだろうか。
1) 「みちのくひとり旅」(昭和55年,詞:市場馨,曲:三島大輔,唄:山本譲二)
2) 「わたし祈ってます」(昭和49年,詞:五十嵐悟,曲:五十嵐悟,唄:敏いとうとハッピー&ブルー)
3) 「逃避行」(昭和49年,詞:千家和也,曲:都倉俊一,唄:麻生よう子)
北信濃絶唱(2018.1.17)
昭和47年,詞:西沢裕子,曲:渡辺岳夫,唄:野路由紀子
「流れる雲は涙色 運命(さだめ)の風に流された」と始まる歌。
TBSのテレビドラマ「北信濃絶唱」の主題歌。
ドラマに関しては全く知らない。歌詞を読むと種々の困難の後にハッピーエンドとなるメロドラマのような印象を受けるが,「絶唱」というタイトルからは大江賢治の小説や関連映画1)・ドラマさらに関連の歌などが思い出される。こちらの「絶唱」ではヒロインの小雪とは死別になってしまうのだが。
野路の歌声を聴くと,最後がハッピーエンドで喜び一杯というより,安寧あるいは悟りの境地のようにも聞こえ,ひょっとしたら・・・とも思わせる。・・・これでもう,誰にも何にも邪魔されない・・・。
唐突だが,キリスト教では『死が二人を分かつまで』2)と誓うようだが,私の感覚では『たとえこの身は召されても 二人の愛は永久に咲く』3)のほうが心情に合う。この歌のタイトルにある『信濃』も『ふたりでゆめみた信濃路を』3)という歌詞を連想してしまう。
1)「絶唱」(昭和33年:小林旭・浅丘ルリ子,昭和41年:舟木一夫・和泉雅子,昭和50 年:三浦友和,山口百恵)
2)誓いの言葉「・・・良いときも悪いときも,富めるときも貧しきときも,病めるときも健やかなるときも,死がふたりを分かつまで,愛し慈しみ貞節を守ることを・・・」
3)「愛と死をみつめて」(昭和39年,詞:大矢弘子,曲:芹澤廣明,唄:青山和子)
来た道・寄り道・帰り道(2020.3.15)
昭和47年,詞:千家和也,曲:馬飼野俊一,唄:三田明
「降りしきる雨で 坂道は滑る」と始まる歌。
二人で歩いているようだ。「人眼につくから 抱いてやれないが」などと出てくる。
「明日も逢えると 知っているけれど まだ帰したくない」という歌。
当時の私には全く関係のない歌だった。自分と無関係でも,憧れたり,登場人物に感情移入して魅かれる歌もあるが,この歌は関係ございませんという歌だった。
君を恋うる唄(2020.5.19)
昭和47年,詞:千家和也,曲:曽根幸明,唄:内山田洋とクール・ファイブ
「頬ずりするよに降る雨に 寄り添う影法師」と始まる歌。
『そして,神戸』のB面。
「つないだ手と手」や「相合傘」で傍目には幸せに見えるかも知れないけれど,二人にはそれぞれ嘘や罪があり,「似た者同士」でいたわりあうしかない。
本人たちはこのことを自覚しているのだろうか。そうならば,嘘は知らないふりをしているのだろうし,罪は知って許しているのかもしれない。しかし,私にはドラマのナレーションのように,この詞が外部の観察者によって書かれているのではないかと思われてならない。そのせいで当事者の心の想いが強くは伝わって来ない。
京都から博多まで(2018.3.3)
昭和47年,詞:阿久悠,曲:猪俣公章,唄:藤圭子
「肩につめたい小雨が重い」と始まる歌。この辺りは誰が唄っているのだろうという感じだが,「京都から博多まで」とか最後の「行く女」など,いかにも藤圭子である。
しかし,詞は共感できない。『上海帰りのリル』1)や『君の名は』2)の時代ならいざ知らず,このころ会えないというのは相手に会いたいという気がないのだろう。それなのに「京都から博多まであなたを追って」行く気持ちは,観念ではそのようなこともあるかと理解できなくもないが安珍を追いかける清姫3)を見るようで,共感し感情移入することはできない。
1)「上海帰りのリル」(昭和26年,詞:東条寿三郎,曲:渡久地政信,唄:津村謙)
2)「君の名は」(昭和28年,詞:菊田一夫,曲:古関裕而,唄:織井茂子)
3)「安珍清姫伝説」の主人公。
京のにわか雨(2015.7.21)
昭和47年,詞:なかにし礼,曲:平尾昌晃,唄:小柳ルミ子
「雨だれが ひとつぶ頬に」と始まる歌。
「私には傘もない 抱きよせる人もない」という歌で小柳ルミ子5枚目のシングルである。前4曲は和風の曲だ。その中に『わたしの城下町』1)と『瀬戸の花嫁』2)という二大ヒット曲がある。作曲はすべて平尾昌晃だ。タイトルにある「京」はもちろん京都で,コンセプトとしては前4曲と同じく和風歌謡曲を目指しているようにも思われ,歌詞には「お寺の屋根」などと無理やり京都をイメージさせようとする言葉がはいってはいるが「人はみな家路を急ぐ」などと,ビジネス街のサラリーマンの様子を描写しているかのようだ。この曲の曲調も前4曲とは異なりポップス調になっている。「わたしの城下町」や「瀬戸の花嫁」は小柳の好みではなかったというような話を聞いたことがある。従って小柳はこのような曲のほうが好みだったのかもしれないが,曲の売れ行きは「私の城下町」や「瀬戸の花嫁」のほうがはるかに良かった。
小柳以外にも,人気のある歌が歌手本人の志向する音楽性とは異なる方向に向いて悩んだ歌手は少なくないと聞いている。傍目からは好きな歌を唄って人気歌手になって,うらやましいと思われていても,本人にはいろんな葛藤があるのだろう。
とりあえずポップス調の曲も出してはみたが6枚目は「漁火恋歌」3)とまた和風に戻った。
1)「わたしの城下町」(昭和46年,詞:安井かずみ,曲:平尾昌晃,唄:小柳ルミ子)
2)「瀬戸の花嫁」(昭和47年,詞:山上路夫,曲:平尾昌晃,唄:小柳ルミ子)
3)「漁火恋歌」(昭和47年,詞:山上路夫,曲:平尾昌晃,唄:小柳ルミ子)
くちづけ(2024.6.22)
昭和47年,詞:芦原みづほ,曲:鶴岡雅義,唄:鶴岡雅義と東京ロマンチカ
「くちづけ 頬にもう一度 くちづけ 髪にもう一度 くちづけ 君にもう一度 くちづけ それはすすり泣き」と始まる。
平成の歌に比べるとゆったりと歌われてはいるが,この時代,あるいはムード歌謡全盛だった少し前の歌と比べると,リズムがアップテンポだ。
「ああきっと明日も逢える」など,恋人を独占したいと言う願望を強く現わした歌。
狂わせたいの(2017.11.26)
昭和47年,詞:阿久悠,曲:都倉俊一,唄:山本リンダ
「ぼやぼやしてたら私は誰かのいいこになっちゃうよ」と始まる歌。
再デビューという訳ではないが従来から曲調をガラッと変えて衝撃の登場をした『どうにもとまらない』1)の次の曲である。この歌も衝撃的だった。歌詞を一言一言聴くというより,詞と曲をまとめて,全体で感じる曲だろう。
1)「どうにもとまらない」(昭和47年,詞:阿久悠,曲:都倉俊一,唄:山本リンダ)
黒いカバン(2020.6.18)
昭和47年,詞:岡本おさみ,曲:泉谷しげる,唄:泉谷しげる
「黒いカバンをぶらさげて歩いていると おまわりさんに 呼びとめられた」と始まる。
職務質問?に反抗してみる反権力ソング。
このようにささやかな抵抗をしてみても,世の中が変わるわけではない。権力に抵抗したぞという自己満足の歌かもしれない。
黒の舟唄(2015.2.9)
昭和47年,詞:能吉利人,曲:桜井順,唄:長谷川きよし
「男と女の間には ふかくて暗い河がある」と始まる歌。
暗い歌だ。サビの「Row & Row, Row & Row」の箇所など、音程も高くなっているのでもっと明るく聞こえてもよいと思うのだが,暗い。「ふりかえるなRow Row」と最後の「Row」の音が下がるために暗さが印象に残って終わっている。
長谷川はこの暗い歌を自然体で唄っており,諦観を感じる。
小川などは別として,日本の歌に登場する川や河は,抗いがたい運命,あるいは対岸へ容易に渡れないことの象徴として歌われていることが多いように感じる。
ケンとメリー〜愛と風のように〜(2016.2.10)
昭和47年,詞:山中光弘(補作詞:高橋信之),曲:高橋信之,唄:BUZZ
「いつだって どこにだって」と始まる歌。
カレッジフォーク系の歌で,私自身はこの歌に対して特段の思いはなく,ケン・メリと聞けば歌よりこの歌がCMに使われていた車・スカイラインが先に頭に浮かぶ。
運転免許を取ったばかりの頃は車の運転や,車を見るのが楽しみでモーターショーなどに出かけたが,この当時はそのような時期を過ぎていたし,徒歩だけで完結する毎日を過ごしていたので車が欲しいと思っていたわけではない。
免許を取る前,バス通学していたころ,バスに乗り遅れた時に近道を走る(歩く?)途中にプリンスの店があり,そこにスカイラインの看板があった。もちろんケンメリより前のモデルだ。スカイラインGTは昭和39年の第2回日本グランプリでポルシェ904に負けたが,次に開発したR380は日本グランプリで優勝し,速い車だという印象があった。プリンスが日産に吸収された後,今でも名前が残っているほどの人気車種だが,私は(自分の運転で)乗ったことはない。
後に車が不可欠な生活になり,走る車や走らない車,いろいろな車に乗った。自分で運転しない場合も含めれば何車種乗ったか解らない。
自分で運転した車で早く走る車はジャガーだった。ニューヨークでレンタカーを借りたとき,車種は特に指定せず,スポーツタイプの車を希望したら出て来たのがジャガーだったのだ。アメリカ暮らしの際,せっかくだからとシボレーのモンテカルロという車に乗っていた。日本では入っていけない道路がたくさんあるかなり大きな車だ。これもエンジンが大きいので走り出すといつの間にかスピードが出るという車だったが,全体がフカフカで加速感がほとんどない車だった。しかし,ジャガーはアクセルを軽く踏むだけで私が過去に感じたことのない加速感だった。もっとも,本当に走る車でフル加速をした経験がないので本当に速いのかどうかは解らない。アクセルをベタ踏みした経験は360tの軽四に乗ったとき(このときは車が壊れるのではないかいう音がしたが)とジーゼル車に乗っていたとき(このときは後ろの車に煙幕をあびせていた)だけだ。
恋唄(2018.4.7)
昭和47年,詞:阿久悠,曲:鈴木邦彦,唄:内山田洋とクールファイブ
「ほんのみじかい夢でも とてもしあわせだった」と始まる歌。
前川清の歌だが,前川らしさが薄いようだ。と書いて気付いたが,私が前川らしいと感じるのは彩木雅夫の曲を前川が唄った場合かも知れない。
「何ゆえに結ばれないか」「せつないだけの恋唄」と馴染のある結実しない恋の歌だが,メロディー・・・というより唄い方が変わったような気がする。
恋の町札幌(2020.7.10)
昭和47年,詞:浜口庫之助,曲:浜口庫之助,唄:石原裕次郎
「時計台の 下で逢って 私の恋は はじまりました」と始まる。
裕次郎にはめずらしい女歌である。最初は「はじめて恋を 知った私」と具体的な恋を歌っていたのが,最後には具体的な恋はどこかへ行ってしまい,「恋人なのね ふるさとなのね」と札幌を恋する歌に変ってしまっている。というより,恐らくは札幌を恋する歌を作ることが目的だったのだろう。
こころの炎燃やしただけで(2018.8.20)
昭和47年,詞:なぎはるお,曲:筒美京平,唄:尾崎紀世彦
「君のひとみぬらす 涙 真実(まこと)ならば」と始まる歌。
なぜか解らぬが破局らしい。それでも「I love you」と音楽劇のように朗々と歌い上げる。破局の原因も不明だが,恐らく本人もなぜこのようになったのか解らないのだろうから,それはそれでいい。
最も理解できないのは「心の炎 燃やしただけで」だ。タイトルにもなっており,重要な言葉なのだろうが,全く理解できないのが「だけで」だ。作詞者は「心の炎 燃やしただけ」では「I love you」という想いは沸いてこないのが普通のようなのだが,何が不足なのか。
違和感のある歌詞を朗々と歌い上げられても戸惑いを感じるばかりだ。
この愛に生きて(2018.3.23)
昭和47年,詞:阿久悠,曲:彩木雅夫,唄:内山田洋とクールファイブ
「あのひとを愛してはいけないと云われ 旅に出て忘れようと悩んでもみたが」と始まる歌。前川清の歌といっていいほど前川が前面に出ている。
前川の唄は聞いてすぐわかる独特な声だが,彼は声で唄うだけでなく,顔でも唄ってるように感じるのは私だけだろうか。(同じように顔でも唄っていると私が感じるのは布施明だ。)
御案内(2020.11.1)
昭和47年,詞:伊豆丸礼子,曲:伊豆丸礼子,唄:ウィッシュ
「今日お葬式をします どうぞ涙は流さないで」と始まる。
死別の歌は少なくないが,この出だしのような歌は他に知らない。聴く者を驚かせるのに十分だが,少し聴いていると「私の愛が死んだのです」ということで,そういうことかと納得する。納得はするが,このような形で人を驚かすのは賛成できない。
こころの傷が大きいのは解るが,その傷を周囲にまき散らすことはないだろう。
サイクリング・ブギ(2022.4.29)
昭和47年,詞:つのだひろ,曲:加藤和彦,唄:サディスティック・ミカ・バンド
「Let’s Go Doughnut!! 赤いチェックのシャツをなびかせ」と始まるようだが,実の所,聞き取れない。詞は聞き取れないが,曲は嫌いじゃない。ブギとは何かは知らないが,ブギと称する歌はいくつか知っていて,どれも嫌いじゃない。ということは私はブギは嫌いじゃないということらしい。自分のことすらよく解らないというのは・・・。
放浪船(2016.11.21)
昭和47年,詞:阿久悠,曲:猪俣公章,唄:森進一
「別れ歌きく桟橋は 縁を切るひと すがるひと」と始まる歌。
タイトルは「さすらいぶね」と読ませている。
阿久悠にしては古めかしい詞だ。桟橋,波止場,船というのは昭和40年ころまでは歌謡曲の定番だったが,新幹線ができ,高速道路ができ,歌謡曲で船と言えば漁船が中心になった。当時,このような歌を唄わせて合いそうなのは森進一くらいだったかもしれない。
さそり座の女(2011.11.21)
昭和47年,詞:斎藤律子,曲:中川博之,唄:美川憲一
「いいえ私はさそり座の女」「地獄のはてまでついて行く」と,悪女の深情けを思わせるこわい歌だ。
このころ,理論はあきらめていたのだが,計算屋にでもなろうかとも思い,また実験屋になろうかとも思い悩んでいた。当時,研究室内では,物理学の士農工商の話題が出ていた。誰も考え付かなかった理論を作り出す研究者が士,従来の理論で説明できない実験をする研究者が農,知られている実験結果を説明できる新理論を作り出す工,理論的に予測される実験をして,予測どおりの結果を得る実験屋が商というわけだ。
最初は何も知らないので士とか農を目指すのだが,敵を知り己を知るにつれ・・・。まあ生活もあるし・・・,論文が書けないと就職もできない。分野によっては銅鉄主義とか絨毯爆撃法が有効な分野もあった。銅鉄主義の元のニュアンスは知らないが,基本は銅でやられた結果を見て鉄でもやってみようというやり方である。
銅鉄主義のひとつは,ある目的のためにより適した材料を探す研究である。絨毯爆撃法はこのような場合に金,人,時間を大量に投入して考えられる全ての材料をしらみつぶしに試してみる方法で,大企業の研究所などがこれをやった分野はペンペン草も生えない(事業にはなるだろう。しかし,新たな論文を書く種は全て摘み取られてしまっている。)と言われていた。大学では少ない金,人,時間でやらざるを得ないので好結果が得られそうな材料を予測して,またはとりあえず予算範囲で可能なところから始めるのだが・・・)。私がいた研究室では,銅鉄主義という用語は,他所の論文を見て,似たようなことを違う材料でやるというようなオリジナリティの低い研究というニュアンスで使われていた。
銅鉄主義のもう一つの形は物性定数のデータベース作成になるような研究である。特殊な測定技法を確立すれは,あちらこちらから測定依頼が来るようになり,一部の人からはその分野では第一人者と尊敬されるようになる。
で,話は戻るが,当時は重力波が話題になっており,この研究をやってみようかなどとも考えていた。士農工商で言えば農に近い分野だ。最終的には重力波通信を目指すと言う訳だ。結局,種々の理由で理論や計算は止め,市販されていない結晶を使って新しい波長可変レーザを作る実験研究をやることに決めた。
当時,結晶育成用に「思〜い込ん〜だら,命,命,命がーけーよ」と鼻歌を歌いながら結晶成長用の電気炉を作っていた。細かい作業は鼻歌どころか,息も止めてやるのだが。
さなえちゃん(2015.10.20)
昭和47年,詞:仲井戸麗市,曲:仲井戸麗市,唄:古井戸
「大学ノートの裏表紙に さなえちゃんを描いたの」と始まる歌。
さなえちゃん以外も描いているようで,何種類もの歌詞があるというより,2番以降は即興で唄われていたという話もある。
「大学ノート」は今でもあるのだろうか。私の大学生時代のノートは大学ノートもあるが,ルーズリーフに書いたものもある。当時は卒業に必要な単位数が今より多く,日に何科目もあるのが普通だったので,1日の授業をすべて1冊のルーズリーフにノートをとり,後で科目ごとにまとめていた時期があった。
その後,大学ノート風だが,見た目がオシャレなキャンパスノート1)などが出て来た。
1)キャンパスノートの発売は昭和50年。
さよならをするために(2017.7.31)
昭和47年,詞:石坂浩二,曲:坂田晃一,唄:ビリー・バンバン
「過ぎた日の微笑を みんな君にあげる」と始まる歌。
タイトルと哀調を帯びたメロディー,それに唄い方から,最初は恋人と「さよなら」する歌かと思った。しかし,歌詞を読み返してみるとどうも新しい恋人ができたらしい。それなのになぜ悲しそうなのか。今でも想いが残っているからだ。「胸に残る思い出と さよなら」したいと,新しい別な交際を始めてみたという歌なのだろう。
サラリーマン小唄(2016.3.5)
昭和47年,詞:木下龍太郎,曲:白石十四男,唄:大月みやこ
「小唄自慢は社長さん 浪花節なら専務さん」と始まる歌。
当時は職場の宴会がよくあった。宴会では何か芸を見せることを要求されることが多かった。全員に要求されるのだ。歌詞にもあるように「義理で手拍子 平社員」というわけだ。
「仲人マニアの常務さん ゴルフゴルフの部長さん」ともあるので当時はまだ仲人が一般的だったということは見合い結婚が少なくなかったということだ。しかしゴルフは当時からポピュラーだったことが解る。
もちろん平社員もやるのだ。
歌を唄うことでも許されたが,カラオケ(8トラックカセットテープ式)ができたのが昭和46年だ。普及にはもっと時間がかかった。レーザディスクを使った映像が出るカラオケは昭和57年にようやく登場だ。それまでは歌詞本を見ながら唄っていた。
サルビアの花(2017.11.4)
昭和47年,詞:相沢靖子,曲:早川義夫,唄:もとまろ
「いつもいつも思ってた サルビアの花を あなたの部屋の中に」と始まる歌。
作詞者は知らないが,名前から判断すれば女性だろう。教会から「出てきた君は」「ほほをこわばらせ 僕をチラッと見た」という男性目線の歌だ。
ベンジャミン1)なら花嫁と共に逃走するのだろうが,この男は「泣きながら 君のあとを追いかけて」と軟弱だ。私なら泣くかもしれないがあとを追いかけはしないだろう。作詞者はなぜこのような詞にしたのだろう。「あとを追いかけて」欲しいと思ったのだろうか。花嫁はなぜ「ほほをこわばらせ」たのだろう。理解できない点が多い。
1)
「ベンジャミン・ブラドック」:昭和42年のアメリカ映画「The Graduate」(邦題:「卒業」)でダスティン・ホフマンが演じた主人公の名前。
潮風の吹く町(2017.3.17)
昭和47年,詞:なかにし礼,曲:浜圭介,唄:森田由美恵
「ふるさとは 遠い北の果て 潮風の吹く町」と始まる歌。
「帰ろうと思いながら 二年が過ぎた」という歌である。2番は「四年が過ぎた」だが3番では「夜汽車にのった」と終わる。
故郷で苦労をしている母親を思い,帰ろう帰ろうと思っているうちに2年,4年と過ぎてしまったというのだが,なぜ帰らなかったのだろうか。夢が達成できるまではと頑張っていたのだろうが,ついに夢破れて帰るようだ。最初の自己評価が甘かったか,根性がなかったか,運がなかったか(運も実力のうちだが)など考えられるが,変な道に落ち込まずに帰郷するのはハッピーではないがワーストでもないエンドだ。
もっと以前にも,錦で飾れるまでは故郷に帰ることはできないというような歌があったように思うが,この歌のように失意のまま帰る歌は記憶にない。以前は故郷を後にしたからには戻るべき場所はなかったのだろう。それがこの時代には戻ってきた者を受け入れることができるほど豊かになったということではないだろうか。豊かと言っても母親の「荒れた手」や「乱れた」「髪」,「凍る井戸水汲みながら」などという詞から判る程度の生活なのだが。
子供の頃,同級生が一家で南米に渡った。帰ることは全く考えない移民だ。バラ色の未来に関する宣伝はあっただろうが,宣伝を真に受けていたわけではないだろう。苦労は覚悟して行ったが,苦労の程度が想像と全く違っていたとしても帰る場所はなかった。
春夏秋冬(2017.12.7)
昭和47年,詞:泉谷しげる,曲:泉谷しげる,唄:泉谷しげる
「季節のない街に生まれ 風のない丘に育ち」と始まる歌。
泉谷が学園紛争とどのようにかかわりあったか知らないが,この歌は急速に終息した学園闘争と関係があるだろう。泉谷が闘争に積極的に参加していたのなら,大した成果を得ることもなく終息してしまったことに対する挫折感と転向せざるをえない挫折感を歌ったのかも知れない。闘争の好意的傍観者であったなら密かな期待が見事に裏切られ,やはり駄目だったかという諦め感かもしれない。既得権益擁護の立場ではなかっただろう。
希薄な人間関係に満足できず,正義の名の下に連帯を強めることができると信じ,早急に正義を実現しようと闘ったが,社会の網は強く張り巡らされており,あえなく敗れてその網に組み込まれて行く。そのようなときにできた歌だろう。
昭和放浪記(2017.8.31)
昭和47年,詞:阿久悠,曲:小林亜星,唄:水前寺清子
「女の名前は花という」と始まる歌。
阿久と小林のコンビでこのような演歌になるとは意外だった。この意外なコンビは後に『北の宿から』1)を生んでいる。
1)「北の宿から」(昭和50年,詞:阿久悠,曲:小林亜星,唄:都はるみ)
純潔(2018.2.6)
昭和47年,詞:有馬三恵子,曲:筒美京平,唄:南沙織
「嵐の日も 彼とならば お家が飛びそうでも」と始まる歌。
「恋は大事ね」と何度も出てくるのでこれが有馬の主要テーマか?
「聞かないで 過ぎた事など」や「愛された時 その時が初めての恋」などとあるが有馬は「純潔」とはこういう意味だと言いたいのだろうか。
この年の紅白で南はこの歌を唄っている。
城ヶ島慕情(2020.5.29)
昭和47年,詞:山上路夫,曲:鈴木邦彦,唄:にしきのあきら
「波は冷たい 日暮は近い ひとりたたずむ 岬のはずれ」と始まる。
思い出の城ケ島にやって来てはみたが,「どこに帰ろう これからひとり」という歌。
この三人の歌としては私の評価は低い。別れが原因で茫然自失しているようだが,山上ならもうすこし何とかなるのではないか。曲もにしきののイメージチェンジのための曲かと思うほどにしきのに合わない。詞・曲・歌唱はバランスが取れているというかそれなりにマッチしているように思うが,これがにしきのあきらに全く似合っていない。
じんじんさせて(2014.6.3)
昭和47年,詞:阿久悠,曲:都倉俊一,唄:山本リンダ
「一人二人恋の相手は星の数」と始まる歌。
阿久悠の詞は面白いと感じる詞が多いのだが,この詞はこれと言ってインパクトのある言葉がない。唯一「心がじんじん しびれてみたい」という箇所だけが面白みを感じる箇所だ。それに比べて都倉俊一の曲は聴いていて心地よい。聴き慣れて身体に浸み込んだリズムに変化の乏しいメロディー,偉大なる陳腐といってよい曲の一つだ。
陳腐な歌と意外性(少し,慣れてしまったが)を持った山本リンダの歌唱の組みあわせが面白い。
人生が二度あれば(2018.3.10)
昭和47年,詞:井上陽水,曲:井上陽水,唄:井上陽水
「父は今年二月で六十五 顔のシワはふえてゆくばかり」と始まる歌。
両親を見て,「人生が だれの為にあるこか わからない」という歌で,「人生が二度あれば」と繰り返しているが,二度あればどうしたいのかは何も述べない。
時計を巻き戻すことができないからこそ,生まれ変わることがあったとしても前世の記憶を失っているからこそ人生は魅力的なのではないか。
瀬戸の花嫁(2011.10.3)
昭和47年,詞:山上路夫,曲:平尾昌晃,唄:小柳ルミ子
「瀬戸は日暮れて,夕波小波」という歌い出し。レコード大賞歌唱賞。当時の結婚披露宴でもよく歌われていた。
部屋にポスターを貼る程度のファンだったが,彼女も現在では大きく変わった。
当時,共同トイレで4畳半がいくつか並んだところの一部屋に住んでいた。洗面所も共同で炊事はできない。風呂も銭湯に行く。向かいの部屋(私の部屋から2・3歩の距離)に住んでいた学生は,毎朝タイマーでステレオをONにして目覚まし代わりに使っていた(という印象)。バッハが多かったように思う。その彼は英語の歌を聞きながらその歌詞をタイプできるとの話だった。その話に刺激を受け,ポータブルの英文タイプライターを買った。タイプライターの本1)を買ってasdfasdfasdfasdf・・・と練習した。手動のタイプライターなので各キーのタッチ強度が等しくないと印字に濃淡ができる。
話は跳ぶが,昔,家に電気オルガンがあり,最初は「バイエル」などを自己流で弾いていたのだが,えいやっと途中を飛ばして「エリーゼのために」を弾いていた(つもり)。あるとき他所でピアノに触れる機会があり,弾いてみたら思っているように音がでなかった。薬指と小指の力が弱く,他の指に比べて明らかに音が弱く,タイミングも微妙に遅れる。
閑話休題。タイプ練習で薬指と小指が強くなったがその後ピアノには触ったことがない。教則本の練習では面白くないので英会話の本を何冊かタイプで写した。半導体関係の薄い本も写したが,数式と図は手書きになったので1冊丸々というところまではいかなかった。当時ゼロックスコピーはあったが高くてほとんど利用できなかった。
この練習のおかげでその後電動タイプの時代にタイピストと競争してほぼ同じ速度で打てた。正確にはミスストロークの数で負けたのだが。その後の米国滞在中も,「ろくに話もできないのに,タイプだけ何でそんなに早いんだ」と言われた。
1)百瀬泰男:30日でうてる英文タイプの初歩(日本文芸社)
せんせい(2012.10.17)
昭和47年,詞:阿久悠,曲:遠藤実,唄:森昌子
「淡い初恋消えた日は雨がしとしと降っていた」という唄。「せんせい せんせい それはせんせい」と終わる。
「慕いつづけたひとの名は」と言っているが,ここで「の名」を入れたのにはいろんな意味が考えられる。文を素直に解釈すれば相手の本名がどのような表記かは不明だが「せんせい」である場合,あるいは「千世」とか「陝西」とかいう名で通称「せんせい」,更には物知りだったりしてあだ名が「先生」ということもあろう。しかし,歌詞全体から受ける印象は離島の教師が任期を終え島を離れる場面である。ではなぜ「慕い続けたその人は」としなかったのだろうか。昭和47年当時どうだったか記憶がないが,少なくとも阿久悠が子供だった頃は教師と生徒の恋愛はタブーであり,このような歌を中学生に唄わせるうしろめたさから『慕い続けたそのひとは先生』とあからさまに書くことをためらい,「慕い続けた人の名はせんせい」と微妙にぼかそうとしたのではないだろうか。
昭和30年代では,学校の先生は恐い存在だった。体罰も珍しくなかった。従って児童・生徒は教師のいうことに(表面的には)従い,PTAからクレームが来たという話は聞いたたことがない。隣の中学のグループと集団で喧嘩をするというようなグループもあったが,そのようなグループのメンバーでも教師の前ではそれなりに大人しくしていた。「男女7才にして席を同じうせず」の雰囲気がまだ残っており,「不純異性交友」という言葉があった。これに違反して停学・退学になる生徒もいた。
昭和40年代になると状況がかなり変わる。たとえば,教師の指導にクレームをつける親が出てきた。中には授業に対してもクレームをつける親がでる。私が聞いた例では親から「体育の授業で膝の屈伸をやらされ,筋肉痛でトイレに行けない・・・」というクレームがあったとか。当時,便器はほとんど和式だったと思う。学校での体罰は減る。教師に暴力を振るう生徒が出現する。・・・クラブ活動で先輩のしごきが問題になる。
体罰を加えなくなって教師の質が低下したのか,教師の質が低下したから体罰を加えさせなくなったのか。教師や親は怒ってはいけないが叱ることはしなければならない。現代のことは良く知らないが,ひょっとしたら九九がいえるまで帰さないとか,書けなかった漢字を100回書かせるなどというのも体罰の一種と見なされているのかもしれない。
宗右衛門町ブルース(2015.8.17)
昭和47年,詞:平和勝次,曲:山路進一,唄:平和勝次とダークホース
「きっと来てねと泣いていた」と始まる歌。
1番2番3番で微妙に歌詞は違うが,1番で言えば「なぜに泣かすか 宗右衛門町よ さよなら さよなら 又来る日まで」の箇所が印象的。元歌である「さよなら さよなら さようなら」1)を残したというべきなのであろうか。私はどちらかというと北原謙二のほうが好きだが,この歌も嫌いではない。
ジャンルで言えばムードコーラスなのだろうか。ムードコーラスの中では演歌方向の端に位置するだろう。:
1)「さよなら さよなら さようなら」(昭和37年,詞:星野哲郎,曲:山路進一,唄:北原謙二)
そして,神戸(2014.12.25)
昭和47年,詞:千家和也,曲:浜圭介,唄:内山田洋とクール・ファイブ
「神戸 泣いてどうなるのか」と始まる歌。「捨てられた我身が」と続くので失恋の歌,かつ,「誰かうまい嘘のつける 相手捜すのよ」と終わるので女歌なのだろうが,途中に「眼についた名もない花を踏みにじる」などとあり,この女の気性が知れる。深窓の令嬢というわけではなさそうだ。
この歌を聴くと唄っている前川清1)の姿・顔が目に浮かぶ。コーラスグループの歌を聴いてメインボーカルの顔が目に浮かぶのは他には三条正人2)くらいだ,と思ったが,宮路オサム3)など次々と思い出してくる。どうもコーラスグループはメインボーカルの顔がアップで抜かれることが多いからでないかという気がしてきた。
1)内山田洋とクールファイブのメインボーカル。
2)鶴岡雅義と東京ロマンチカのメインボーカル。
3)殿様キングスのメインボーカル。
太陽がくれた季節(2012.6.18)
昭和47年,詞:山川啓介,曲:いずみたく,唄:青い三角定規
「君は何を今見つめているの」とはじまる,村野武範・酒井和歌子ほかのテレビドラマ「飛び出せ!青春」の主題歌。第14回日本レコード大賞新人賞。
「青春は太陽がくれた季節」ということで「青春」の歌だ。仲間と共に青空の下で燃え尽きよう・・・尽きてはいけないので歌詞は「燃やそうよ二度とない日々を」だ。
このような学園青春ドラマはこれまでに多数放映されているが,仲間との連帯をうたった歌でヒットした曲1)はあまり思い出さない。「贈る言葉」2)などは大ヒット曲だが仲間との連帯ではなく個人的な想いの歌だ。卒業に際し仲間のことを歌う歌はいくつかある。「高校3年生」3)は「道はそれぞれ別れても」と別れが目前の歌だ。卒業に際し,個人的な想いを歌う歌はもっと多い。しかし,現在進行形というか「君も今日からはぼくらの仲間」と未来に向かって明るく歌うこの歌は数少ない貴重な歌だ。
1) 「青い山脈」(昭和24年,詞:西條八十,曲:服部良一,唄:藤山一郎・奈良光江)などはヒットしたが,仲間との連帯が「今日もわれらの」という程度しか歌われていない。
2) 「贈る言葉」(昭和54年,詞:武田鉄矢,曲:千葉和臣,唄:海援隊)
3) 「高校3年生」(昭和38年,詞:丘灯至夫,曲:遠藤実,唄:舟木一夫)
太陽のくちづけ(2018.2.19)
昭和47年,詞:山口あかり,詞:森田公一,唄:栗田ひろみ
「オレンジさっくり噛んだとき 風がちいさなくしゃみした」と始まる歌。
アイドルが歌を唄ったという歌。このような唄を聴くと浅田美代子を思い出す。
たどりついたらいつも雨降り(2020.4.15)
昭和47年,詞:吉田拓郎,曲:吉田拓郎,唄:モップス
「疲れ果てていることは 誰にもかくせはしないだろう」と始まる歌。
「アー このけだるさは何だ」が印象的。
どこへ行っても,即ち,何をしても快適とは感じられないフラストレーションの歌だろう。
生きるのに精一杯の時代にはこのようなフラストレーションは無かったのではないだろうか。この時代でも,普通に働いていれば,疲れて帰った後は寝るだけ,毎日が充実しているかいないかなど考えることもなかっただろう。しかしこの頃は既に経済状況が終戦直後に比べてはるかに改善されており,誰かに寄生して生きることもはるかに容易になっていた。こうして生活に余裕ができると,何かをやってみようと思うこともある。しかし生活が懸かっていないから努力も中途半端なら満足も中途半端。これは自分の居場所じゃないとフラストレーションが溜まる。
自分探しなどと称してフリーターをやっていても生きられる世の中になって,このようなフラストレーションを感じる余裕ができてきたのだろう。
旅の宿(2014.7.11)
昭和47年,詞:岡本おさみ,詞:吉田拓郎,唄:よしだたくろう
「浴衣のきみは尾花(すすき)の簪」と始まる歌。
『結婚しようよ』に続く曲だが,『結婚しようよ』がオリコン3位が最高なのに,この曲はオリコン1位(5週連続)を獲得している。この曲のほうがよく売れたのだ。歌としては『結婚しようよ』が歌謡曲っぽいのに比べると,Bob Dylanがフォークの代表ならば確かに「旅の宿」のほうがフォークっぽい。私は歌謡曲のほうが好きだから『結婚しようよ』のほうがどちらかというと好きだが,「旅の宿」の字余り歌詞にこの曲をつけるオリジナリティには脱帽だ。
だからわたしは北国へ(2016.6.9)
昭和47年,詞:林春生,曲;筒美京平,唄:チェリッシュ
「朝はまだ眠ってる」と始まる歌。
「恋の戦争に敗れた乙女は」「北国へむかうの」という歌。
歌詞には「悲しくて」とあるが曲はそれほど悲しみを表しているとは感じられない。冒頭の歯切れの良いメロディーが原因だろうか松井悦子の澄んだ声が原因だろうか。
筒美の曲としては異質な感じをうけるのだが,チェリッシュにはこの路線が合っていたのだろう。次の『ひまわりの小径』1)ではこの路線の微修正で大きくヒットしている。
1)「ひまわりの小径」(昭和47年,詞:林春生,曲:筒美京平,唄:チェリッシュ)
だれかが風の中で(2015.9.8)
昭和47年,詞:和田夏十,曲:小室等,唄:上條恒彦
「どこかでだれかが きっと待っていてくれる」と始まる歌。
フジテレビ系テレビドラマ『木枯し紋次郎』の主題歌。
詞には「こころはむかし死んだ」「痛みは生きているしるしだ」などに紋次郎のニヒルさが示される一方,最後の「きっとおまえは風の中で待っている」で心の底に秘めた思いも滲み出ている。私が感じるこの詞のイメージだと演歌っぽくなるか,または反戦フォークっぽくなりそうなのだが,上條は全体を雄大に朗々と歌い上げている。この上條の唄を聴くと雄大な自然の中に独り立つ男が目に浮かぶ。
誰かが風の中で(2018.9.17)
昭和47年,詞:和田夏十,曲:小室等,唄:上條恒彦
「どこかで だれかが きっと待っていてくれる」と始まる歌。
フジテレビ系ドラマ『木枯し紋次郎』の主題歌。
「こころはむかし死んだ」とか「痛みは生きているしるしだ」など,紋次郎の雰囲気がよく表れている。
ちいさな恋(2017.4.10)
昭和47年,詞:安井かずみ,曲:浜口庫之助,唄:天地真理
「たまに会えない日もあるけれど それでもわたしは待っている」と始まる歌。
天地は小柳ルミ子,南沙織とともに新三人娘と呼ばれていた。このころから歌謡界にアイドル登場という気がする。当時の私の印象は,おにぎらずが好きな人は天地を,たまごかけごはんが好きな人は小柳を,バターライスが好きな人は南を推したように思う。もっとも,当時はおにぎらずは無かったが,天地を推す人は多かった。わたしにとっては天地の声は若干好みから外れていた。
ところで,歌詞だが,私にはこの気持ちは理解できない。
小さな体験(2016.12.20)
昭和47年,詞:岩谷時子,曲:筒美京平,唄:郷ひろみ
「どうしてそんなにきれいになるの ぼくだけの君でいてほしいのに」と始まる歌。
私は郷ひろみファンではないので聴かないが,アイドルソングとしてよくできた歌だと感じる。郷ひろみの2枚目シングルだが,私がプロデューサーならデビュー曲より出来が良いとイチオシでいく曲だ。もっとも,当時の私がこの歌を積極的に聴くことは全くなかった。もちろん私は購買層としては対象外だっただろう。
地下鉄にのって(2017.9.15)
昭和47年,詞:岡本おさみ,曲:吉田拓郎,唄:猫
「ねえ君 何話してるの だからさ 聞き取れないよ」と始まる歌。
状況はよく解る。誰かの説によると場所や状況があまり特定され過ぎる詞は良くないらしいが私は好きだ。場所は新宿に向かう地下鉄の中。赤坂見附を過ぎたばかりらしい。列車の騒音で会話相手の声がよく聞き取れないという状況だ。聞き取れないから「もっとそばにおいで」と言っているようだ。地下鉄の中のカップルが目に見えるようだ。
共感できるかと言えは,当人には共感できないが,傍観者には共感できる。『微笑ましい』と暖かい目で見守る傍観者ではなく『目障りな奴らだ,さっさと降りろ』と心の中で毒づく傍観者だが。
鉄橋をわたると涙が始まる(2015.11.12)
昭和47年,詞:丹古晴己,曲:叶弦大,唄:石橋正次
「鉄橋をわたると君の家が見える」と始まる歌。
「汽車」に乗って,「愛をすてて」独りで故郷を離れる歌。列車の速度はそれほど速くない感じだ。昭和40年以前,新幹線が開通する前の印象を受けるのは『夜明けの停車場』1)を思い出すからだろう。停車場,汽車,鉄橋などという言葉を聞けば明治生まれの祖父を思いだす。
1)「夜明けの停車場」(昭和47年,詞:丹古晴己,曲:叶弦大,唄:石橋正次)
通りゃんせ(2019.10.12)
昭和47年,詞:ケメ・門谷憲二,曲:ケメ,歌:ケメ=佐藤公彦
「五月雨(さみだれ) 五月(ごがつ)よ 来るがよい 実らぬ恋も あるがよい」と始まる歌。
「かあさま たおれた台所 今じゃわたしが おさんどん」と苦労も多いようだ。おまけに「憎い八卦見言いおった 30過ぎまで嫁がずと」とまで言われてしまう。この女歌を淋しげな声で淡々と唄う。
その後婚姻年齢がどんどん上がってきたが,当時は『25日のクリスマスケーキ』という言葉が生きていた時代だ。
友達よ泣くんじゃない(2019.3.5)
昭和47年,詞:阿久悠,曲:鈴木邦彦,唄:森田健作
「友達よ泣くんじゃない 今はつらいけど」と始まる歌。
悩んで(?)いる友達に向かっての歌だ。森田健作のキャラなら,もっと直接的な行動にうつしそうだが,「話してあげるから」とか「見つめてあげるから」くらいしか言えないのは阿久悠が常識人だからだろうか。言葉で寄り添うことくらいしかできないのは平凡な大人だからだろう。
同級生(2015.3.15)
昭和47年,詞:阿久悠,曲:遠藤実,唄:森昌子
「朝の改札ぬけた時 何気ないように待っていた」と始まる歌。
花の中三トリオ1)の中で,私は森昌子が一番歌が上手いと思っていた。私が歌と聞いて思い浮かべる歌に合っていたということだろう。
私の周囲には桜田淳子ファン・山口百恵ファンを公言している者はいたが森昌子ファンを公言している者はいなかったように思う。他の二人の歌に比べ,いかにも昔ながらの流行歌,それも藤圭子の登場以来新たに演歌と名付けられた系統の歌のように聴こえ,その上演歌は年寄りのものという雰囲気があったため,森昌子ファンとは公言しにくかったのだろう。桜田と山口は後にアイドルとよばれるようになる路線だったように感じる。
1) 森昌子,桜田淳子,山口百恵。この年はまだ中二で花の中三トリオではなかった。森以外の二人のデビューは中三になってからである。
どうにもとまらない(2013.9.28)
昭和47年,詞:阿久悠,曲:都倉俊一,唄:山本リンダ
「うわさを信じちゃいけないよ」と始まる歌。
山本リンダイメージチェンジ後のヒット曲である。好き嫌いは別にして,山本リンダの変貌ぶりは衝撃的だった。前の大ヒット曲は『こまっちゃうな』だが,それから月日が経ったとはいえ,詞の主人公が変わった。『デイトにさそわれて どうしよう』と言っていたのが「恋する気分がもえて来る」などと変わった。曲も変わった。歌唱法・発声も変わった。衣装も変わり,化粧も変わった。そして衝撃的な振り付けだ。阿久と都倉のコンビなのか,二人をまとめるプロデューサがいるのか知らないが,脱帽する。
1) 「こまっちゃうナ」(昭和41年,詞:遠藤実,曲:遠藤実,唄:山本リンダ)
何とかなれ(2019.12.13)
昭和47年,詞:仲井戸麗市,曲:仲井戸麗市,唄:古井戸
「やせがまんばかりで もう半年過ぎたが」と始まる歌。
「頭の中で今夢がくずれだした 何とかなれ」というのだが,努力せずに「何とかなれ」と念じるだけではどうにもならない。シャウト気味の唄声は軽薄にしか聞こえない。三日坊主ではなく半年耐えたのなら大したもんだとでも言って欲しいのだろうか。普通は三年は頑張るものだろう。
平成17年,テレビアニメ『闘牌伝説アカギ〜闇に降り立った天才〜』のオープニングテーマに使われたらしい。原作は福本伸行の同タイトルの漫画らしいがアニメも原作も知らない。漫画は半荘6回の勝負を20年かけて雑誌に連載するような漫画らしいので,ほとんど何も考えず,不要な牌は捨てるという私の麻雀とは質が違う麻雀なのだろう。
2時間35分(2020.8.8)
昭和47年,詞:忌野清志朗,曲:肝沢幅一,唄:RCサクセション
「Who, 君と話した 長い長い電話 2時間35分」と始まる歌。
一昔前なら曲も歌唱も素人とされただろう歌。昭和40年代になるとこのような歌が現れ,この頃では市民権を得ていた。
歌詞は電話時間の新記録が出たというだけのことだ。当時はこれで「二人の愛が確かめられた」と感じたらしい。当時は個人電話はなく,せいぜい家族に一台という程度の電話普及率だったので,長電話は控えるのがマナーだった。
長電話に対する感覚が,その後大きく変化し,更にメールやSNSの発達により電話に対する感覚は二転三転する。後の時代の人にはこの時代の電話に対する感覚は理解できないかもしれない。
虹をわたって(2018.12.12)
昭和47年,詞:山上路夫,曲:森田公一,唄:天地真理
「虹の向こうは 晴れなのかしら あなたの町の あのあたり」と始まる歌。
「小さな傘が 羽根になるなら」のあたりはメリー・ポピンズ1)を思い浮かべているのだろうか。
松竹で同名の映画が作られ,沢田研二・萩原健一と共に天地も出演している。
1)「Mary Poppins」Julie Andrews主演のディズニー映画(昭和39年)。傘で空を飛ぶが傘が羽根になったわけではない。
にんじん(2019.6.22)
昭和47年,詞:友部正人,曲:友部正人,唄:友部正人
「ダーティハリーの唄うのは 石の背中の重たさだ」と始まる歌。
「どうして君は行ってしまうんだい」という歌だが,君に問いかけるという唄というより独り言をつぶやいているようだ。話の脈絡もない。隣に座った酔いつぶれる寸前の見知らぬ男の言葉のようで,関心が持てない。当時のフォークと呼ばれているもののなかにこのような歌のジャンルがあったようにも思う。
このころ一番多くの種類の歌が世の中に溢れていたのではないだろうか。ひょっとするといつも多様な歌は世に溢れていたが,私はその一部しか聴いておらず,当時の私の交友関係のせいでそれまで聴くことのなかったジャンルを聴くようになったのかもしれない。
八月の濡れた砂(2017.5.3)
昭和47年,詞:吉岡オサム,曲:むつひろし,唄:石川セリ
「あたしの海をまっ赤に染めて 夕日が血潮を流しているの」と始まる歌。
日活映画「八月の濡れた砂」の主題歌。
私がイメージする歌手の歌ではない。しかしこの映画を観てはいない私にも映画のシーンが想像できるようで,映画主題歌としては雰囲気がでている。歌詞が解りやすいのがよいし,歌唱も歌詞の雰囲気がよく出ていると感じる。
ハチのムサシは死んだのさ(2013.8.9)
昭和47年,詞:内田亮平・むろふしチコ,曲:平田隆夫,唄:平田隆夫とセルスターズ
「ハチのムサシは死んだのさ」と始まる歌。「お日様に試合を挑んで負けたのさ」というだけのことのようだ。
私の記憶も混乱して,印象では,ロッキード事件裁判の際に榎本証人の証言で(それだけではないだろうが)被告が決定的に不利になったのだが,そのときの証人の言葉が『蜂の一刺し』ということで流行語になった。これが背景にあるのかと思ったが,この裁判は昭和56年のことだ。
昭和45年から46年にかけて『みなしごハッチ』がフジテレビ系で放映されている。ハッチは蜜蜂の子だから,この頃,蜂は流行してはいたが関係あるかどうかは解らない。
風車に挑むドン・キホーテのような印象も受けるが,関係ないだろう。
学生運動の挫折や先の大戦での敗戦などを論じる人々もいるようだが,歌詞はともかく,メロディーは私にはレクイエムには聞こえない。
発表された歌をどのように解釈するかは聞いた人の自由だろう。私は,この歌を,たまたま畑で蜂の死骸を見つけて想像を膨らませた歌だと聴いている。
初恋のメロディー(2017.9.27)
昭和47年,詞:橋本淳,曲:筒美京平,唄:小林麻美
「これが最後の接吻(くちづけ)なのに あなたは何をためらうのかしら」と始まる歌。
小林麻美のデビュー曲だが,私には詞がどのような感情を歌ったものかよく理解できない。「お別れドライブ」が終わろうとしているところのようだが,「すてられたのは」と相手の都合で「愛の終わり」になるというのに「くやしい」とか「悲しい」とかの感情が記されてはいるがどちらも「けれど」と続いているので悔しさや悲しさは表面的なものとしか伝わって来ない。かといって『幸せになってね わたし祈ってます』1)という雰囲気でもない。
このとき小林は18才。私が感じる違和感の元はタイトルに使われている「初恋」という言葉から受けるイメージが作詞者と私で異なるからなのかもしれない。
1)「わたし祈ってます」(昭和49年,詞:五十嵐悟,曲:五十嵐悟,唄:敏いとうとハッピー&ブルー)
波止場町(2019.4.2)
昭和47年,詞:阿久悠,曲:猪俣公章,唄:森進一
「肩で泣くような 別れなど したくないわと 言ったのに」と始まる歌。
阿久悠もこのような詞を書くのか,と思ったが,森進一の過去の歌に合わせて適当に書いたのではないか。新鮮味を感じない。
曲は猪俣・森の昔の曲のイメージのままで,昔の路線に戻ったらまたヒットするとでも思ったのだろうか。確かにこの路線は安定感があるが,マンネリ感も受ける。
「函館 横浜 高松 鹿児島」とご当地ソングが流行った時代よもう一度ということだろうか。
春だったね(2021.5.18)
昭和47年,詞:田口淑子,曲:吉田拓郎,唄:よしだたくろう
「僕を忘れた頃に」と始まる。
私にはよく解らないが,ロックだろう。詞と曲との間にギャップがあるように感じるが,拓郎はこんな曲が合うと思ったのだろう。あるいは後から田口がこんな詞が合うと詞を付けたのかも知れないが。
詞は,自分のことなど忘れただろう女性を忘れられない男性の想いを歌ったもの。いまならストーカーと呼ばれそうな気もする。しかし、別れた事情が全く不明なため感情が揺さぶられることがない。
バス・ストップ(2016.9.20)
昭和47年,詞:千家和也,曲:葵まさひこ,唄:平浩二
「バスを待つ間に 涙を拭くわ」と始まる歌。
二人でバスを待っているようだ。しかし「独りで帰る道がとても辛いわ」とあるので帰りは独りになることが解っている。「何をとり上げても私が悪い」と昭和テイストの歌詞だ。やさしい歌声も良い。曲の出だしは歌詞の雰囲気をよく表していると感じる。歌詞は最後まで同じ雰囲気だが,曲の最後は元気を取り戻し,人生の再出発に向けたエネルギーを感じる。最後の詞と曲のミスマッチが心の中を表しているようで悪くない。
日蔭者(2020.8.18)
昭和47年,詞:藤田まさと,曲:吉田正,唄:鶴田浩二
「日蔭に咲く花にも 生きる喜びがございます。」と始まる台詞の後,「庭の隅っこ 木の根っこ」と歌が始まる。
「おふくろ様よ ごかんべん 自分でまいた 種の始末は きっとする」などと藤田が鶴田の為に書いた詞と思えば期待通りではあるが,工夫が少ないようにも感じる。まあ,期待外れよりは期待通りの方がよい。期待以上というのはなかなか難しいのだろう。
東へ西へ(2011.10.30)
昭和47年,詞:井上陽水,曲:井上陽水,唄:井上陽水
「昼寝をすれば夜中に眠れないのはどういうわけだ」と愚問で始まる歌といったら陽水ファンは怒るだろう。「目覚まし時計は母親みたいで心が通わず」などといっているが「明日は愛しいあの娘に逢える」そのために眠れず目覚ましをセットしているんだろうから,もっと違う感情があっても良いと思う。
「床に倒れた老婆が笑う」というのはどういう状況だ。おそらく,老婆といっても今の私くらいの年齢ではないのだろうか。自分では若いつもりでいるので倒れてしまって照れ笑いということではないか。本当に年老いていたら笑い事ではない。自分ではまだまだ若いつもりでいても,若い人から見れば老人に見えるのだろう。
良くわからない歌だが,そこが良いという人がいるのかもしれない。
ひとりじゃないの(2013.11.12)
昭和47年,詞:小谷夏,曲:森田公一,唄:天地真理
「あなたがほほえみを 少しわけてくれて」と始まる歌。
「ひとりじゃないって すてきなことね」と,「ふたりの 旅のはじまり」を喜んでいる歌で,ハッピー全開。たまにはこのような歌もいい。天地真理の声には少し艶が足りない気がするが,そこがいいと言う人もいるのだろう。
心が浮き立っていれば,何をしても,何を見ても素敵に感じられる。このようなことを考えると唯物論より唯心論に軍配を上げたくなる。
一人の道(2020.7.22)
昭和47年,詞:今江真三郎,曲:茶木みやこ,唄:ピンク・ピクルス
「ある日走ったその後で 僕は静かに考えた」と始まる。
円谷幸吉の遺書に触発されて作られた曲。
円谷は昭和39年の東京オリンピックのマラソンに出場し,競技場には2位で戻ってきたのだがトラックで抜かれ銅メダルに終わった。銅メダルとはいえ,このときの記録は自己最高タイムだし,国立競技場で掲揚された唯一の日章旗が円谷のマラソンだったのだ。昭和43年のメキシコオリンピックを目指すが,種々の理由により直前に自殺した。後に自殺の原因というのがいろいろ論議されるが,遺書はほとんどが食べ物に関するお礼で,自殺の理由としては『もうすっかり疲れ切ってしまって走れません』とだけある。この『疲れ切った』原因が後にいろいろ論議されたのである。
円谷の遺書はその後何度も折に触れ紹介されている。それだけ印象に残る内容なのだ。
なお,ピンク・ピクルスなどと聞くと,私にはパンク・ロック・バンドのように聞こえるが,実際はフォーク・デュオである。
ひなげしの花(2013.2.8)
昭和47年,詞:山上路夫,曲:森田公一,唄:アグネス・チャン
「丘の上ひなげしの花で」と始まる歌。「うらなうのあの人の心」と古典的な花占いだ。
発音のせいもあるのかもしれないが,一度聞いただけで憶えてしまう独特な声だ。
いわゆる地声と余所行きの声というのがある。内輪の人間と話すときの声と他人と話すときの声だ。昔の電話は,話してみるまでは相手が誰か判らなかったので余所行きの声で出る人が多かったように思う。ほとんどが地声より高い声になっている。特に女性にその傾向が強い。地声より低い声で電話の応答をする男性を一人だけ知っている。彼に電話をかけると,「はい,○○です。」とドスの効いた一声があり,その後普通の声に戻るという具合だった。そういえば,もう一人,米国で中国人に電話したとき,低い声で「Wei」と出られたことがあった。言外に「お前だれや」という雰囲気を漂わせていた。
アグネスの歌は余所行きの声で唄っているように聞こえるのだが,彼女が話しているのを聞いても同じ声のようだ。歌手が歌を唄うときに話し声とは違う声を使うのではなく,余所行きの話し声で唄っているように聞こえるので異質に感じるのだ。
ところでこの歌にでてくる花占いだが,どのようにやるのだろうか。花びらを1枚づつちぎりながら,「来る,来ない,帰らない,帰る」などと言っているような気もするが,ひなげしの花の花びらはそれほど数が多いわけではないのでほとんど最初から結果が判ってしまうのではないか。「愛してる愛してない」などというのは最初にどちらから始めるかで結果は見えてしまっている。
アグネスは香港出身である。香港の花占いは私の知らないやり方でやるのかもしれない。
ひまわりの小径(2012.12.14)
昭和47年,詞:林春生,曲:筒美京平,唄:チェリッシュ
「あなたにとっては突然でしょう」と始まる歌。「恋は風船みたいだからはなさないでね」と思ってはいるが,「交わす言葉もなくて」というのは黙っていても愛を感じて充実しているというのではなく,なんとなく別れの予感が・・・という哀しい歌であるが,松井悦子の声は爽やかである。この声に控えめに松崎の声が重なる。チェリッシュの歌は歌声の爽やかさに特徴がある。
松崎好孝は名古屋市,後に松崎の妻となる悦子は春日井市の出身である。
この年,沖縄が返還され沖縄県となった。田中首相は中国を訪問し,ジャイアントパンダが上野動物園で公開され,大人気となった。
秘密(2020.6.30)
昭和47年,詞:千野豊彦,曲:鶴岡雅義,唄:鶴岡雅義と東京ロマンチカ
「シャランララララ パラパ」というようなコーラスがあり,「可愛い人さ どこが可愛いの 泣かせる人さ 惚れているんだろう」と始まる。
「それは秘密さ」ということらしい。「恥らいながら 目を閉じて 許してくれた」などとあって「みんな 聞きたい 内緒話」という訳だ。
軽快な曲で,コミカルな雰囲気もあり,ロマンチカのムード歌謡とは一味違う。
東京ロマンチカのように聞こえないのは,三條正人の唄い方が変わったのかも知れない。歌手の中には途中で唄い方を変える歌手がいる。山本リンダなどは古い歌を新しい歌唱法で唄うのを聴いたことがないので気にならないが,千昌夫や五木ひろしなどが初期の唄を違う歌唱法で歌うのを聴くと違和感を覚える。
ふたりの日曜日(2014.8.18)
昭和47年,詞:山上路夫,曲:平尾昌晃,唄:天地真理
「バスは朝日の中をどこへ走るの」と始まる歌。
日曜日にバスに乗って「あなた待つ街へ向かう」途中の気分を歌っている。日曜日にしか会えないようだから1週間ぶりだ。携帯電話はもちろんないが,固定電話での連絡も簡単ではない状況でもうじき逢える期待と喜びにあふれた曲。
後輩に天地真理の大ファンがいた。
古いお寺にただひとり(2015.4.23)
昭和47年,詞:山上路夫,曲:鈴木邦彦,唄:チェリッシュ
「古いお寺にひとりきたのよ」と始まる歌。
松井悦子は恐る恐る唄い出し,高音部は出ない声を無理して出そうとしていると感じる。もちろん松井は唄うことを恐れているわけではないし,高音も楽に出すことができ,意図的にあのような唄い方をしているのだろう。
星降る街角(2015.12.5)
昭和47年,詞:日高仁,曲:日高仁,唄:敏いとうとハッピー&ブルー
「星の降る夜は あなたと二人で踊ろうよ」と始まる歌。
この箇所や「ああ恋の夜」の箇所のメロディーが何度も繰り返されて印象に残る。
昭和52年に再録音のほか何度も再録音されている。
ムードコーラスというにはややアップテンポだが,歌詞に思い入れをするような箇所もなく,かといってイラッとする箇所もなく,何となく聴いていてもマア心地よいという点でムード歌謡の一形態だろう。
ぼくの好きな先生(2020.6.9)
昭和47年,詞:忌野清志郎,曲:肝沢幅一,唄:RCサクセション
「たばこを吸いながらいつでもつまらなさそうに」と始まる。
この先生は美術の先生のようだ。あと,当時はたばこに対して寛容な社会だったことがわかる。
好きな先生がいるということは良い学校だということだ。しかし,生徒に好かれようと生徒に迎合しても好かれる先生になれるわけではない。
結局,この歌は何なんだろう。
先生,僕は貴方が大好きですと先生に告白する際に捧げる歌ではない。うちの学校にはこんな先生がいるよと紹介する歌でもない。こんな先生がいたらいいという希望の歌でもない。こんな先生がいて,実は僕はその先生が好きなんだという思いだが,誰かにこれを訴えたいわけではなさそうだ。恋をして溢れる想いを歌にしたというわけでもない。結局,自分自身に向けた独り言のような歌。
ポスターカラー(2020.5.3)
昭和47年,詞:仲井戸麗市,曲:仲井戸麗市,唄:古井戸
「こんな小さなポスターカラーで 何を描こうか」と始まる歌。
どうも過去の記憶のようだが,脈絡なく,個人的な話が続く。「こんな小さなポスターカラーで 君を想い出しました」と突然終わってしまう。作者内では完結しているのだろうが,これまで話がどう展開するのだろうと期待して聴いていたリスナーは中途半端で放り出され,これまでの時間を返せと言いたくなる。
マキシーのために(2020.1.9)
昭和47年,詞:喜多粂忠,曲:南こうせつ,唄:かぐや姫
「マキシ― それがお前のあだ名さ」と始まる歌。
夢破れて自殺した女性の為に書かれた歌が元歌らしい。その女性は『ピラニア』と呼ばれた活動家だったとか。大学紛争の余波が残っていた時代だ。
レコード化に当たり,名前を「マキシ―」と変えたようだ。
「お前は馬鹿な女さ」「夢をみたことがあったろう」「俺は明日旅に出るぜ」「お前のせいじゃないのさ」「お前ほど遠くには行けないが」などのことばに,この女性に対する想いが滲み出ている。
まごころ(2019.11.12)
昭和47年,詞:阿久悠,曲:鈴木邦彦,唄:堺正章
「ぼくが心を 今うち明けてみても それをよろこぶ あのひとじゃないさ」と始まる歌。
「愛していると言えば それで全てを失ってしまう」。本当にそのような状況なのか,そう思い込んでいるだけなのかは詞からは解らない。
何らかの強い劣等感があるのか,倫理的問題があるのか,いろんな状況が考えられるが阿久は何も説明していない。説明しないことで状況が限定されず,より多くの共感が得られるという考えかもしれないが,状況が不明なためインパクトが弱くなってしまっているのではないか。
結局「今日もためいき ついているぼくさ」となっている。
一歩進もうとすると,今の関係すら壊れてしまうのではないかという恐れ。よくあることとまでは言わないが,珍しいことでもないのではないか。私としてはもっと詳しく状況を知りたい。
待っている女(2018.11.14)
昭和47年,詞:山口洋子,曲:藤本卓也,唄:五木ひろし
「消え残る 街灯り 女は待ってる」と始まる歌。
夜の路上で誰かを待っている風に見える女性をウォッチングしている歌。
「あの人は来ない」「恋は終わりか」などとあるので作詞者はこの女性の状況を承知しているらしいが,聴いている私には事情が判らない。観察者の視点からの歌だから待っている女の状況は解らなくても良いのかも知れないが,観察者がどのような思いで観察しているのかもわからない。たまたま目についたのだろうか,それとも以前からストーカー行為をしていたのだろうか。声を掛けようと思っているのか・・・全く分からない。曲の調子は待っている女の気持ちではなさそうだが,観察者の思いだとしてもどのような思いだとこのような曲調になるのだろうか。詞はともかく,曲は五木に合っているとは感じられない。
耳をすましてごらん(2013.12.19)
昭和47年,詞:山田太一,曲:湯浅譲二,唄:本田路津子
「耳をすましてごらん あれははるかな海のとどろき」と始まる歌。
NHK朝の連続テレビ小説「藍より青く」の主題歌。歌詞には「生きるの強く ひとりではないから」とあり,愛する人と一緒なら,困難も乗り越えられるという歌のようにも聞こえるが,ドラマの設定では,主人公の夫は長男が生まれる前に戦死している。「ひとりではない」というのは子供が残されたということだ。「時はすぎ 人は去り 冬の世界を歩むとも」と幾多の困難をさりげなく示しながら「生きるの強く あの愛があるから」と終わる。
悲しい歌だが,強い女の歌でもある。本田路津子の声は美しい。美しすぎてこの歌がハッピーな愛の賛歌のように聞こえてしまう。私なら(作詞・作曲の能力はないが)演歌じたてにしそうなテーマでこのような曲に仕立て上げるとは驚きだ。強く明るく生きていく女性を表しつくしたこの曲の素晴らしさを耳にすると,ワンパターンな自分が情けなくなる。
芽ばえ(2014.10.1)
昭和47年,詞:千家和也,曲:筒美京平,唄:麻丘めぐみ
「もしもあの日あなたに逢わなければ」と始まる歌。
麻丘はアイドル歌手だろう。この当時の歌うアイドルは後のアイドルよりも真面目に唄っていた。最後の「もうあなたのそばを離れないわ」の箇所など,きれいな高温がでている。歌唱中の振り付けもあるが,時々膝を曲げるだけのシンプルなものだった。
この歌は麻丘のデビュー曲で,第14回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞している。
曲としてはポップスだが,詞は少女演歌歌手に与えてもよいような詞だ。
雪あかりの町(2016.1.4)
昭和47年,詞:山上路夫,曲:平尾昌晃,唄:小柳ルミ子
「角巻で泣きそうな 顔をかくして歩くのよ」と始まる歌。
「あなたに今日も手紙をだすのよ」とあり,主たる通信手段が郵便だった時代の歌だ。
「今日ものぼりの汽車がゆく」と後を追いたい気持ちはあるのだが「ひとりっ子だからこの町出られない」と家を継ぐことを当然と考えている。
彼を追いかけたほうが幸せになるのだろうか,持ち込まれた縁談を受け平凡な生活をするほうが幸せになるのだろうか,これは誰にも解らない。この頃までは後者が多かったのだろう。しかし,社会は前者を奨励するようになる。社会全体が自由の名の下に弱肉強食化した結果が現在だ。
許されない愛(2016.7.17)
昭和47年,詞:山上路夫,曲:加瀬邦彦,唄:沢田研二
「忘れられないけど 忘れようあなたを」と始まる歌。
「遠くで 僕は幸せを ひとり祈るだけ」と言っていながら,最後には「どこかに奪って 逃げて行きたい」と終わる。
沢田研二がソロになって最初のヒット曲ではないだろうか。昭和46年にザ・タイガースが解散し,その後,元テンプターズのショーケンらと共にPYGというバンドに加わっていたが同年末にはソロ活動を開始した。この頃はまだ私にはタイガースのジュリーの印象が強く残っていた。
夜明けの停車場(2014.1.25)
昭和47年,詞:丹古晴己,曲:叶弦大,唄:石橋正次
「夜明けの停車場にふる雨はつめたい」と始まる歌。
タイトルにも入っているが,でだしから「停車場」などという死語ではないかというような言葉が入っており,『何だろう?』と思ってしまう。たしかに啄木1)の世代なら「停車場」と言ったのだろう。私の祖父母なら「停車場」と言っても違和感はないが,私の両親は『駅』と言っていた。もちろんこの停車場は鉄道の駅だろう。このトリオで『鉄橋をわたると涙がはじまる』2)という歌があるが,この曲の続編だろう。
理由はよく解らないが,2番では「一駅すぎるたび」と「停車場」が「駅」になっている。もちろん言葉の音節数を調節する目的もあるのだろうが,「停車場」と聞くと「駅」より時代の流れに取り残された・・という感じがつよい。
自分でもなぜか解らないのに「さよなら告げる」というのだ。「君には罪はない」と言われても「さよなら」を告げられたほうは納得できないだろう。
『義理と人情を秤にかけりゃ』3)とかはっきり言わなくても『俺は男とつぶやきながら』4)ならば何かの理由があり,ひとり行くのだろうと想像はつくが,この歌では「なぜか」と自分でも理由が解っていないようなのに「ひとりで旅に出る」。結局,相手に対して真剣に向き合っていないのではないか。
1) 石川啄木:「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」(一握の砂,煙二の冒頭の歌)
2) 「鉄橋をわたると涙がはじまる」(昭和47年,詞:丹古晴己,曲:叶弦大,唄:石橋正次)
3) 「唐獅子牡丹」(昭和40年,詞:水城一狼・矢野亮,曲:水城一狼,唄:高倉健)
4) 「みちのくひとり旅」(昭和55年,詞:市場馨,曲:三島大輔,唄:山本譲二)
夜汽車(2015.5.23)
昭和47年,詞:橋本淳,曲:筒美京平,唄:欧陽菲菲
「希望という名の 夜汽車にゆられ」と始まる歌。
昭和45年に岸洋子の唄でヒットした『希望』(詞:藤田敏雄,曲:いずみたく)という歌に出だしが似ている。こちらは『希望という名の あなたをたずねて 遠い国へと また汽車に乗る』なのだが「希望という名の」が同じで結局「汽車」に乗るので似ていると感じるのだろう。メロディーはかなり違うのだが,歌詞に引きずられて混同しそうになる。まあ,混同しそうになるのは私の才能のせいだろう。どんな歌をカラオケで唄っているときでも,勝手に変曲していることが珍しくない。無伴奏だと途中で別の曲に変っていることもある。
この二曲は私の頭の中で似てはいるとはいえ,聴けばすぐ区別はつく。欧陽菲菲の歌唱(日本語の発音)に特徴があるからだ。アグネス・チャンや欧陽菲菲はその独特な歌唱も魅力の一つになっているのだろう。
橋本のこの詞は「愛するあなたに すてられたから」「希望という名の 夜汽車にゆられ」「何処まで行くの」となっているが,私が夜汽車の名を選ぶなら『絶望』とするだろう。これを橋本は「希望」としている。「希望」になる理由を論理的に推論できないが,並べてみると「希望」のほうが良く思える。欧陽菲菲の歌声を聞くと,「希望」のほうが遥かに良い。これは論理ではない。
恋の追跡(ラブ・チェイス)(2019.1.9)
昭和47年,詞:橋本淳,曲:筒美京平,唄:欧陽菲菲
「にげるあなたを止めて! 恋の終わりを止めて!」と始まる歌。
当時としてはやや普通よりアップテンポかと感じたが,最近の曲と比較すると十分スローテンポだ。最大の特徴は,センテンスの最後で,ため息のように息が抜ける歌唱法だろう。欧陽菲菲の代表曲のひとつだ。
りんどうの花(2016.4.15)
昭和47年,詞:岩谷時子,曲:いずみたく,唄:由紀さおり
「むささき淡いりんどうは あなたと摘んだ恋の花」と始まる歌。
詞も曲も奇をてらったところがなく,言葉を換えれば月並みだが,好きなタイプの歌だ。しかし,あまり聞かないようなのでヒットしなかったのではないか。
れんげ草(2013.6.12)
昭和47年,詞:安東久,曲:安東久,唄:ビリー・バンバン
「山のふもとの小さな村に」と始まる。詞もメロディーも昭和中期をイメージさせる曲。
最近レンゲ畑をあまり見ないが昭和中期まではそこら中にあった。レンゲの花は肥料・除草および牛の飼料用として用いられた。夏の終りに水田に種をまくと翌春一面のレンゲ畑になる。耕作用に牛を使っていた時代は,牛が食べた。根には根粒がつき,これが窒素肥料となる。鋤をつかったり,後には耕運機で花ごと田んぼへ鋤きこむと肥料になる。除草に関するメカニズムは私には十分説明できないが,関心があれば調べることはできるだろう。
昭和人間にとって,十分に良い歌だと思うが,花はレンゲでなくても良かったのではないかと思う。私の好みなら,名も知らぬ白い花とか,道端にひっそりと咲いている花のほうが好みだ。レンゲは菜の花と同じで絨毯のようにあまりにも多く咲きすぎていた。あまりにの豪華すぎる。このような歌ならすみれ草だろう。
『山路来て なにやらゆかし すみれ草』(芭蕉)
別れてよかった(2016.8.21)
昭和47年,詞:なかにし礼,曲:川口真,唄:小川知子
「別れてよかったわ あなたみたいな人と」と始まる歌。
最初は自由になってよかったことをあれこれ挙げているが,最後には「泣いてなどいない」「雨が頬をぬらすだけよ」とか「タバコが目にしみるだけよ」と心情が溢れてきている。
私には小川知子は気が強そうに見えた。本心を隠して強がりを言いそうな雰囲気を感じていた。なかにし礼はどのような気持ちでこの詞を書いたのか知らないが,私には小川によく合った詞だと思われる。最後に弱さを少しだけ見せるところはなかにしの優しさだろう。但し,このような強がりは私の好みにはやや合わない。
別れの旅(2023.7.10)
昭和47年,詞:阿久悠,曲:猪俣公章,唄:藤圭子
「夜空は暗く 心も暗く」と始まる唄。
「愛の終わりの 旅に出る二人」の歌だ。
「終着駅の 改札ぬけて それから後は 他人になると云う」そのような旅だ。
「二年ありがとう しあわせでした・・・」
阿久よりも猪俣が好みそうな詞だ。阿久は猪俣と藤に引き擦られてこのような詞になったのではないか。藤がこのような詞を望んだかどうかは知らないが,周囲はこのようなイメージを藤に与えようとしたのだろう。
わたしが望むのは(2020.2.6)
昭和47年,詞:中山ラビ,曲:中山ラビ,唄:中山ラビ
「そんなこといったらよくないよ カッコよくしたから 女の子が むらがって」と始まる歌。
「わたしが望むのは素直に育った肉体(からだ)」からはじまり,あなたに望むことが続く。
1番2番3番とも「そんなこといったらよくないよ」と始まる。金,特にアブク銭に対しては否定的なようだが,金を持ったうえで権利や平和などを声高に主張するのも否定しているようだ。望みは今日を充実して生きることのようだ。学園紛争の顛末を見たことが影響しているのだろうか。
私は好奇心の強い女(2019.8.11)
昭和47年,詞:神部和夫,曲:神部和夫,唄:シュリークス
「私は20才の嫁入り前の女の子 いつも街で男をあさるのよ」と始まる歌。
以前にはこのような「女の子」はいたかも知れないが,自分から公言することはなかっただろう。
ウーマンリブ運度はベトナム戦争に対する反戦運動と共に盛んになった、日本で盛んになったのは米国にやや遅れ,1960年代後半の全共闘運動の頃からだろう。女性の性の解放に関してはやや遅れ,中ピ連1)が結成されたのが昭和47年,エリカ・ジョングの『飛ぶのが怖い』が出版されたのが昭和48年だ。このような時代背景を考えると,この歌はかなり流行の先端を行っていたということだ。しかし,詞からは軽薄さだけが感じられ,思想的な深味は感じられない。
中ピ連を母体として結成された日本女性党は昭和52年の参議院選挙に10人の候補者を擁立したが全員落選した。時代に先走り過ぎ,かつ公約が過激すぎたことが原因だろうが,その後過激な運動は下火になる。
1)中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合。
私は忘れない(2018.3.29)
昭和47年,詞:橋本淳,曲:筒美京平,唄:岡崎友紀
「北国の青空に さよならを告げるのがつらいわ」と始まる歌。
最後の「涙がこぼれそう」(2番は「涙がとまらない」)の箇所など,私好みの歌なのだが,私の中では岡崎とはマッチしない気がする。岡崎なら「あの人の倖せを私は祈る」というより,倖せを祈られるほうが似合っている。
昔はスターとか歌手はいた。唄うスターもいたし,歌手が映画や芝居にでることもあった。岡崎友紀は吉沢京子と共にアイドルの元祖に近いのだろう。
Holidays<愛の休日>(2017.5.27)
昭和47年,詞:Jean-Loup Dabadie,Michel Polnareff,曲:Michel Polnareff,唄:Michel Polnareff
「Holidays, oh holidays」と始まる歌。後はフランス語だ。邦題は「愛の休日」
Polnareffに関しては雑誌等で人気があるのは知ってはいたが,その風貌から,私には合わないと決めつけて聴いたことがなかった。しかし,あるとき知人に勧められて聴いて,歌手を見た目で判断していたことをおおいに反省した。美しい歌声だ。歌声の美しさにもいろいろあるが,澄んだ(澄みきってはいないが)高音が素晴らしい。曲調も悪くない。
詞の意味は聞き取れないし、辞書片手に歌詞を調べてもよく解らない。いろんな解説をみると,反戦歌あるいは厭戦歌のようだが,直訳からはすぐには何が言いたいのかよく解らなかった。「l’avion」を単に飛行機と訳すと意味がよく解らないが,爆撃機などの軍用機と解釈すると反戦歌としての意味が鮮明になる。戦争反対を声高に叫ぶのではなく,静かに空中から見下ろして,いろんなことを考えている。
この後,人を見た目で判断することが少なくなった。
Speak Softly Love Theme from the Godfather<ゴッドファーザー愛のテーマ>(2018.6.14)
昭和47年,詞:Larry Kusik,曲:Nino Rota,唄:Andy Williams
「Speak softly, love so no one hears us but the sky」と始まる歌。
映画「ゴッドファーザー」のテーマ曲。
日本では千家和也の詞を尾崎紀世彦が唄っている。こちらは「広い世界の片隅に やがて二人の朝が来る」という詞になっていて,意訳になっている。
尚、唄のないインスツルメント・バージョンでは曲のタイトルから冒頭の「Speak Softly」が外れているが,唄の有無にかかわらす邦題は「ゴッドファーザー愛のテーマ」らしい。