明治,大正,昭和元年〜,昭和6年〜,昭和11年〜,昭和14年〜,昭和16年〜,昭和21年〜,昭和26年〜,昭和29年〜,昭和31年〜,昭和33年〜,昭和35年,昭和36年,昭和37年,昭和38年,昭和39年,昭和40年,昭和41年,昭和42年,昭和43年,昭和44年,昭和45年,昭和46年,昭和47年,昭和48年,昭和49年,昭和50年,昭和51年,昭和52年,昭和53年,昭和54年,昭和55年,昭和56年,昭和57年,昭和58年,昭和59年,昭和60年,昭和61年,昭和62年,昭和63年〜,その他(不明),平成の歌
昭和60年
愛人,碧い瞳のエリス,赤い鳥逃げた,熱き心に,あなたを・もっと・知りたくて,あの娘とスキャンダル,雨の西麻布,今だから,浮草情話,大阪暮色,堕ちないでマドンナ,落葉のクレッシェンド,男船[荒れて荒れて],俺たちのロカビリーナイト,かくれ宿,悲しみにさよなら,神様ヘルプ!,仮面舞踏会,空想Kiss,恋におちて-Fall in Love,サイレンスがいっぱい,さよなら港[忘れちゃいやよ],SAND BEIGE‐砂漠へ−,シャイニング・オン君が哀しい,白い炎,シンデレラ・エクスプレス,シンデレラは眠れない,スクール・ガール,ステキな恋の忘れ方,セーラー服を脱がさないで,早春物語,そして・・・めぐり逢い,卒業[校舎の影],卒業[制服の胸のボタンを],卒業−GRADUATIOM−[緑の木々のすき間から],SOLITUDE,たそがれ,タッチ〔呼吸を止めて1秒〕,ダンシング・ヒーロー(Eat You Up),ダンスで夏を抱きしめて<You Gotta Chance>,翼の折れたエンジェル,天使のウインク,常夏娘,道頓堀人情,夏ざかりほの字組,涙の茉莉花(ジャスミン)LOVE,なんたってアイドル,にくまれそうなNEWフェイス,熱視線,HEART OF RAINBOW〜愛の虹を渡って,波止場しぐれ,母のいない故郷,Bye Bye
My Love(U are the one),BE BOP HIGHSCHOOL,ff(フォルティシモ),二人の夏物語,フレンズ,ブルー・パシフィック,ボーイの季節,BOYのテーマ,望郷じょんがら,ミ・アモーレ,メロディ(Melody),もう逢えないかもしれない,Young Bloods,You Gotta Chance,ヨイショッ!,Lucky Chanceをもう一度,RAIN DANCEがきこえる,恋愛症候群−その発病及び傾向と対策に関する一考察−,Romanticが止まらない,WE ARE THE WORLD
愛人(2020.2.16)
昭和60年,詞:荒木とよひさ,曲:三木たかし,唄:テレサ・テン
「あなたが好きだから それでいいのよ」と始まる歌。
「この部屋にいつも 帰ってくれたら わたしは待つ身の 女でいいの」。
『たまには 来て』でないところに独占欲を感じる。
「めぐり逢い少しだけ 遅いだけなの」とは言っているが,本当にそれだけの差だと思っていつつ,現在の境遇に満足できるのだろうか。恐らくは,現在の立場の差がタイミングの差からだけ生じているとは思ってはいないのだろう。しかし,諸般の事情の差をあえて無視し,タイミングの差しかないと自分に言い聞かせているのではないか。だからこそ「いつも帰って」というようなことが言えるのだろう。
碧い瞳のエリス(2018.10.27)
昭和60年,詞:松井五郎,曲:玉置浩二,唄:安全地帯
「なくした夢は碧い海の色」と始まる歌。
歌詞を論理的に解釈できないので,ファンタジーだろう。理解しようとせず感じろということらしい。曲から何か悲しいことは伝わって来る。そしてその悲しみを受け止めてくれる何か(誰か?)がそこに居ることも。
意味が解らないのにフラストレーションを感じない歌詞は珍しい。
赤い鳥逃げた(2019.5.9)
昭和60年,詞:康珍化,曲:松岡直也,唄:中森明菜
「痛むのがいつでもやさしい心なら やさしさ どこに捨てましょうか」と始まる歌。
歌詞はなんとなく私には合わない。思考プロセスが理解できないのだ。逃げた赤い鳥は何を象徴しているのか解らない。おおきな背中のあなたなのだろうか。それをカゴに入れておこうとしたのか?
曲も私には新しすぎるようだ。誰かが昔の流行歌はサウンドが薄いと言っていたのを聴いたことがある。確かに昔のレコードを聴くとサウンドが薄いと感じることも少なくないが,その分,歌手の唄がよく聞こえる。歌手が歌詞を伝えようと努力していたこともあるだろう。確かに新しい(昭和末期の)曲はサウンドが厚いと感じるが,唄がサウンドに負けていると感じることも少なくない。中森の唄もサウンドに負けているように感じる。
熱き心に(2012.3.12)
昭和60年,詞:阿久悠,曲:大瀧詠一,唄:小林旭
「北国の旅の空」で始まるコーヒーのCMソング。第28回日本レコード大賞金賞・作詞賞・特別選奨受賞。
好きな歌の一つなのでカラオケでも唄いたいのだが,私には上手くリズムがとれない難しい曲だ。高音部は声を出すだけでも難しい。
昭和60年からニューヨークで働いていたのでこの年の歌でリアルタイムで聴いたものはほとんどない。米国ではテレビもラジオも持っていたが,音楽番組は観たり聴いたりしなかった。コンサートもいろいろあったが行かなかった。何をしていたのだろう。
米国では仕事一筋,空いた時間には中国語を習い,「おしん」を観ていた。
日本で仕事をしていたときと予算の桁が異なるため,休む暇がなかったというか,休む間を惜しむという感じだ。例えばASA3000のポラロイドフィルムだ。(ASA30000だったような気もするが,長い間使わないので忘れてしまった。)確か1箱3000円くらいしたと思う。600円だったかもしれない。日本では,高価なので,普段はASA400のまあ高感度だが普通のロールフィルムを使っていた。オシロスコープの画面を撮るのだが,高速で暗く肉眼では見えない。ポラロイドならその都度結果が判り,実験条件の設定にフィードバックできるのだが,ロールフィルムの場合はとりあえず条件を変えて実験しながら1本のフィルムを撮影し,現像してみて初めて結果がわかるのだ。場合によっては全く見当はずれの条件で実験をしていることもあり,ごく稀には現像に失敗するなどということもある。それが米国では1日に10箱ちかいポラロイドフィルムの使用が可能で,実験の能率が全く異なる。日本でやっていた実験と米国でやった実験は,違う実験だから直接比較はできないが,分光測定なども能率が全く違った。日本ではモーター駆動の普通のモノクロメータを使っていたが,米国では新旧のOptical Multi-channel Analyzer があり,ポリクロメータとの併用で瞬時にスペクトルが測定できる。(誰も使わないので)自由に使っていた古いタイプはデータを外部媒体に移すことができなかったような気がする。レコーダに出力することはできたと思うが,デジタル表示されたデータを読んでノートに記録した記憶がある。実はこの実験を中国人と一緒にやっていて,その中国人から中国語を学んだのだ。私は日本語を教えた。といってもまずはこの数字データを読むのを中国語とか日本語で読むだけだが。新しいほうのOMAはフロッピードライブ付きでフロッピーディスクにデータを保存することができた。
主たる実験装置はレーザだったが,これは全ての主要部品のスペアを保有しており,具合が悪くなったときは自分で直ぐに修理(交換)することができた。日本なら修理依頼で少なくとも日を単位とする時間を要し,経費を考えると週や月単位で実験が止まる場合も珍しくはなかった。
要するに,素晴らしい実験環境だったので少しでも長く実験をしたいと思っていた。
英語は大して上達しなかったが,中国語は大いに上達した。中国語は0からスタートだったから僅かな能力向上でも伸び率は大きかったということであるが,英語は元のレベルが高かったから上達分が少なかったわけではなく,元のレベルも低く,伸び率も少なかったということだ。
「おしん」はたまたまテレビで放映されていた。朝の連続ドラマは,日本では通勤のために家を出てしまっている時間に放映されており,観た事がなかったが,米国での「おしん」は夜放映されていたので,初めて観た。
昭和61年に帰国したとき,テレビから流れていて印象に残ったのがこの「熱き心に」だ。
あなたを・もっと・知りたくて(2014.10.18)
昭和60年,詞:松本隆,曲:筒美京平,唄:薬師丸ひろ子
「ベルが鳴るあなたの部屋で」と始まる歌。
ベルは電話のベルでこのころはプッシュホンが増えてきていたので電子音だろう。その前の600型までは本当にベルが鳴っていた。電話を掛けたほうが聞いているのはリングバックトーンと呼ばれる呼び出し中を表す音だ。何回も呼び出し音が鳴るが相手は出ない状況だ。「いま何してるの いま何処ににるの」と思い,そして最大の関心事「愛している人は誰ですか」で終わる。松本の詞の中でも昭和の気分が色濃く出ている詞だ。『元気ですか』1)の雰囲気もあるが,(私にとって)残念なのは筒美の曲が平成っぽくなってしまっていることだ。中島みゆきならもっと深刻な曲になり,唄も昭和っぽくなっただろうに。
昭和の中期までは個人の家庭で電話を引いている家庭は少数だった。昭和の後期には電話はかなり普及していたが,一家に一台の時代だろう。家に電話をしても目指す相手が電話口にでるかどうかは不確実,大抵はその家の両親のどちらかが出ることが多かったので電話をするにも緊張した。独り暮らしの人が電話を引きだしたのは昭和の末期だろう。
1)「元気ですか」(昭和53年,詞:中島みゆき,朗読:中島みゆき,アルバム:「愛していると云ってくれ」収)
あの娘とスキャンダル(2015.3.29)
昭和60年,詞:売野雅勇,曲:芹澤廣明,唄:チェッカーズ
「あの娘とスキャンダル」と始まる歌。
昭和の気分は残っているが,昭和も終わりだと感じさせる曲。
「悪いのは俺の方さ」と言っているのは昭和の香がするが,これは口先だけで本当に「悪い」とは思っていないのだろう。悪いことはしないのが昭和の精神だ。昭和の人間は「悪い」ことはしてはいけないと知っているので,悪いことをする時は黙ってする。
「お前はあいつのステディーガール」と知りつつのスキャンダル,「サヨナラが最後の優しさになるなんて」と訳の解らないことを言う。これも口先だけの「サヨナラ」のようだ。歌詞には全く共感できない。『誠』が感じられない。
雨の西麻布(2021.11.30)
昭和60年,詞:秋元康,曲:見岳章,唄:とんねるず
「2人の西麻布」と始まる。
男女の別れの歌。
「そして 女は泣き出して」「遊び(遊び)なのね(なのね)」・・・・。
「愛の出口 つのる想い 雨の西麻布」ということだが,西麻布というのはたまたまなのだろう。これが「大人の物語」らしい。
戦後教育の結果がこれか。あるいは教育とは関係ないか。
今だから(2019.8.21)
昭和60年,詞:松任谷由実,曲:小田和正,唄:松任谷由実・小田和正・財津和夫
「今だから わかる あの夏の海の眩しさ」と始まる歌。
最後の「今許す すべて 限りある愛の行方 輝いたから 戻れないから それぞれの明日へ向かおう」というのが全てだろう。
歌詞情報のなかには作詞・作曲として唄っている3人の全てが列挙してある例もあるが,「涙も季節も 二人を包んだすべてがたまらなく好き」などから受ける私の印象はユーミンの詞だ。
曲もユーミンではないかと感じるが,小田と聞くとそうかも知れないとも思える。財津の曲とは思えない。
これら3人と私の感性を比較すること自体がおかしいが,それでもあえて比べると松任谷の感性が最も私から遠いところにあるように思う。私などが思いもよらない言葉を選択し,思いもよらない音を選択するように感じる。ただ,ブッ飛び方がやや弱く,常識的?になっているような感じもうけ,3人の共作なのかという気もする。
浮草情話(2014.10.27)
昭和60年,詞:荒川利夫,曲:山口ひろし,唄:森若里子
「この目に見えない運命の嵐」と始まる歌。演歌の定義は知らないが,典型的な演歌だと感じる。森若の声は島倉千代子の若いころの声を少し太くしたような,島倉と同じような高音だ。島倉の声は年齢と共に太さを増すだけではなく艶が出てきたが,森若の声は後の島倉の声に比べると艶が少ない。もちろん声の艶の有無は良し悪しとは無関係で,歌と合うかどうかが問題だ。
この頃は昔の歌謡曲のような曲は私が積極的に聴かなかったせいかほとんど記憶になく,流れている歌は平成の歌に繋がるメッセージ性の少ない歌か,一部特定の人向けのこのような歌に分けられてしまったように感じる。
浮草情話(2017.2.4)
昭和60年,詞:荒川利夫,曲:山口ひろし,唄:森若里子
「この目に見えない 運命の嵐」と始まる歌。
歌詞からは雰囲気は感じるが具体的な内容は伝わって来ないので,特に歌詞に共感を覚える訳ではないし,曲に興奮したり,聴き入ったりすることもない。ただ,呑み屋かなんかで大きすぎない音量でBGMとして流れていれば心地よい曲。
大阪暮色(2016.8.1)
昭和60年,詞:浜圭介,曲:浜圭介,唄:桂銀淑
「西陽でやけた たゝみの上 あの人がくれた花瓶」と始まる歌。
「騙された私が あほやねん」と昭和の香の歌謡曲だ。
1番と3番に「北の新地に雨が降ります」とおなじフレーズが現れるが,このフレーズは私にはザ・ピーナッツ1)を思い出させる。せっかく2番では「淀川」を登場させているのだから2度も北新地の雨を登場させることはないだろう。
詞は「好きやねん」と「あほやねん」だけが大阪風で,他は標準語だ。無理して大阪の歌を書いている印象を受けるが,無理する必要はないのにと,私にはイタい関西弁に聞こえてしまう。
1)「大阪の女」(昭和45年,詞:橋本淳,曲:中村泰士,唄:ザ・ピーナッツ)
堕ちないでマドンナ(2016.3.19)
昭和60年,詞:佐藤ありす,曲:佐藤健,唄:田原俊彦
「この手に堕ちないでマドンナ」と始まる歌。
「今夜 僕のプラトニックくじけそうだぜ」などとプラトンを読んでいるとは思えない軽薄そうな言葉づかいだ。
唄っている映像を見ても,唄を聴かせようとしているとは思えない。全力で唄っても聴かせることができないと思っているのか,声にエネルギーのすべてを注ぐのではなく,振り付けにエネルギーを取られているようだ。ラジオで聴く歌ではなく,ステージパフォーマンスを観て感じる歌なのだろう。
落葉のクレッシェンド(2025.4.24)
昭和60年,詞:秋元康,曲:後藤次利,唄:河合その子
「落葉のクレッシェンド 切ない瞳の中に ヒラヒラ 落葉のクレッシェンド 涙を隠してた」と始まる。
「落葉のクレッシェンド」とは何か不明だが,まあ,別れの歌だ。「落葉」は樹と別れるということなのだろう;
「初めて恋を知ったの だけど 何も言えなかった ごめんね 素直じゃなくて」と言いながら,「落葉の1人言 SAYONARA つぶやいた」と自分から別れているようなのだが,「あなたに貰った イヤリング 今すぐ 外せはしない」と未練もあるようだ。
結局,私には正確な状況把握はできず,雰囲気しか感じ取れないが,アイドルソングということだろう。
男船(2013.5.7)
昭和60年,詞:やしろよう,曲:市川昭介,唄:神野美伽
「荒れれ〜ぇて〜ぇ荒れれてー牙むく北海しぶきーぃ」と始まる歌。第27回日本レコード大賞金賞受賞。
この当時,超多忙で歌を聴くのも車を運転しているときだけという感じで,あまり歌を聴いていない。聴いていないから好きな歌が少ないのかもしれないし,好きな歌が少なかったから聴いていなかったのかもしれない。
このころ,演歌人気は下火になっていたと思う。年配者の歌と思われていたのではないか。この歌で歌われているのは漁師の世界である。このような世界は鳥羽一郎に任せておけばいいと思うのだが。まあ,若い演歌歌手が出てくるのは悪いことではない。
「未練きっぱり波間に捨てる」と言っているが,「未練」に共感できる要素が見つけられないので単なる漁師の歌になっているように感じる。もちろん単なる漁師の歌だから良くないというわけではない。
男船(2017.3.1)
昭和60年,詞:やしろよう,曲:市川昭介,唄:神野美伽
「荒れて 荒れて牙むく北海しぶき」と始まる歌。
詞も曲も,昔ながら?の演歌調歌謡曲。
漁師の歌で,曲の主題には馴染があるが,自分の生活では馴染がない世界なので,私にとってはBGMとして流れていると心地よい歌だが積極的に聴こうという歌ではない。
俺たちのロカビリーナイト(2017.3.27)
昭和60年,詞:売野雅勇,曲:芹澤廣明,唄:チェッカーズ
「ドラム叩いてた路地裏(ダウンタウン)のクラブは今」と始まる歌。
タイトルどおり,懐かしいロカビリーに聞こえる曲。
「あの頃はみんな不良少年(ロカビリー)とよばれてたね」とあるように昔の不良少年の歌。「バイク飛ばしたのさ お前一人命消したと聞いて…」とあるがチェッカーズは別の歌でも『仲間がバイクで死んだのさ』1)などと唄っており,私は知らないが,何かそのようなことがあったのだろうか。
化粧品のイメージソングとして使われた。
そういえば,ロカビリーが流行ったのは昭和30年代だろう。昭和30年代は,都会ではどうだったかは知らないが,ロカビリーが好きだなどと言えば素行不良と見られていたように思う。流行歌を子供が唄うことも好ましくないと考えられていたように思う。Gパンを穿いていたりするとPTAから白い眼で見られていたのではなかろうか。この当時は後の暴走族はまだなかったがバイクは人気だった。カミナリ族というのは既にいたかもしれない。
ということで,この歌は30 年近く前のことを思い出している歌なのだろうか。「俺だけひとり20歳を超えたよ」とあるので,数年前の思い出なのかとも思ったが,20歳を超えて何年経ったかは示されていないので,どちらかは不明だ。
1)「ギザギザハートの子守唄」(昭和58年,詞:康珍化,曲:芹澤廣明,唄:チェッカーズ)
かくれ宿(2016.9.1)
昭和60年,詞:池田充男,曲:青山八郎,唄:大月みやこ
「枕のしたを流れゆく 川の瀬音が身にしみる」と始まる歌。
詞は『天城越え』1)の前段階なのだろうか。『伊豆の踊子』2)関連の歌は何曲かあるが,もっと前にも『湯の町エレジー』3)などという歌もある。大きくヒットしたのは,時代の影響だろうか,より想いが激しくなった『天城越え』だが,その前にこのような歌があったということだ。
伊豆は頼朝の頃は流刑地だったようだが,昭和の頃は何となく文学者が逗留した場所というイメージがある。戦後,高度成長期までは関東エリアからの新婚旅行地だったというイメージもある。昭和になってから交通の便がよくなったことと関係があるのだろう。
1)「天城越え」(昭和61年,詞:吉岡治,曲:弦哲也,唄:石川さゆり)
2)「伊豆の踊子」(川端康成,金星堂,昭和2年)。田中絹代,美空ひばり,鰐淵晴子,吉永小百合,内藤洋子,山口百恵などで映画化されているし,テレビドラマにもなっている。いくつかの主題歌が有名。
3)「湯の町エレジー」(昭和23年,詞:野村俊夫,曲:古賀政男,唄:近江俊郎)
悲しみにさよなら(2019.6.5)
昭和60年,詞:松井五郎,曲:玉置浩二,唄:安全地帯
「泣かないでひとりで ほゝえんでみつめて」と始まる歌。曲の終了までに,このフレーズが何度も繰り返される。
曲は玉置らしく,BGMとしては心地よいが自分で唄う気にはなれない。これは,音が跳ぶところが難しそうだということもあるが,詞が私の状況と合わないからのほうが大きい。過去にこのような状況になったことはないし,妄想やシミュレーションでもこのような状況はない。要するに私と別世界の歌だ。
神様ヘルプ!(2014.11.29)
昭和60年,詞:康珍化,曲:芹澤廣明,唄:チェッカーズ
「力まかせアスファルトを蹴とばしたぜ」と始まる歌。当時ほとんど歌を聴く余裕がなかったからか,この歌は「神様ヘルプ!ヘルプ!ヘルプ!ヘルプ!」と「ヘルプ」を連呼するあたりの記憶があるだけで全体的な記憶がほとんどない。
ロックとは何かいまだに解らす,ロックと言われる曲の中にも好き嫌いがあり,ロックと銘打ってなくてもこれはロックじゃないかと私が感じる曲もある。この曲は私が好きなタイプのロックだ。
残念ながら詞が私好みでない。歌われている心情は昔ながらの歌謡曲のテーマの一つだが,使われている言葉が新しい。詞と曲のマッチングも私好みではない。恐らく,最初に歌を聴き始めたのがこの時代の人たちにはこのような曲がスタンダードになっていくのだろう。
一部の才能ある人々が,自分が聴いて育った歌と違う,新しい歌を作っていく。私のような凡人は,最近の歌はつまらないと言いながら思い出に浸りつつ若者に乗り越えられていくのだろう。
仮面舞踏会(2014.9.5)
昭和60年,詞:ちあき哲也,曲:筒美京平,唄:少年隊
「SHYな言い訳仮面でかくして」と始まる歌。そうそう,その前に「LaLaLa・・・」がある。
少年隊も歌手というよりアイドルだろう。アイドルにしては歌が上手いほうだ。ただ,歌詞は軽薄に聞こえる。
このころからいじめ問題が深刻化し,新人類と呼ばれる若者が現れた。バブルの最中のことである。
空想Kiss(2015.5.4)
昭和60年,詞:松本隆,曲:筒美京平,唄:C-C-B
「見つめりゃ心が痛くなる」と始まる歌。
うーん,ストーカーの歌ではないか。伝統的歌謡曲なら,好きあっていながら別れた,あるいはなぜかは解らないけど去って行った者を独りで想う心が歌になっていたと思うのだが。
この詞ではまともに声を出して唄えないのも解るが,ロックというのはもっと声を出して唄うものではないのだろうか。ロックとは何かを知らないので,これはロックではないのかもしれない。J-POPというのもよく解らないが,J-POPと言えるのかも知れない。彼らがこのような歌を好んで唄っていたのかどうかは不明だ。ひょっとしたら無理やり唄わされていたのかもしれない。
このような歌がストーカーに市民権?を与えたのかもしれない。昔も待ち伏せなどのストーカー行為をする者はいたが,犯罪にまで発展することはあまりなかったのではないか。ストーカー(またはこれに相当する言葉)と名付けて注意しなければならないようなことはなかったと思う。
世代が違うと言えばそれまでだが,ついていけない。
恋におちて-Fall in Love(2016.5.3)
昭和60年,詞:湯川れい子,曲:小林明子,唄:小林明子
「もしも願いが叶うなら 吐息を白いバラに変えて」と始まる歌。
平明な唄い方で,歌詞も日本語の箇所は聞き取りやすい。残念ながら英語の箇所は聞き取れないが私のヒアリング能力のせいだろう。
英語を話すときと日本語を話すときでは人格が変わるというような話を聞くが,『愛してる』などという言葉を口に出すのは気恥ずかしくても,『I love you』,『je te aime』,『ich liebe dich』,『ti amo』,『te amo』,『我愛你』,『mahal kita』など,日常使わない言葉なら臆面もなく口に出せるということだろうか。
湯川でも「find out where I am, I am not livin’ in your heart」とか「three loving hearts are pullin’ apart of one」は日本語より英語の方が言いやすかったのかもしれないが,私は聞き取れない英語の歌詞より日本語の歌詞のほうが好きだ。
小林の平明な唄い方というのは,私が思う『歌手』の発声ではないという意味だ。シンガーソングライターの中には似た唄い方の一群が居る。もちろん私よりはるかに上手く唄うのだが,その中でも私には好き嫌いがある。小林は口先というか,舌先で唄っているように聞こえるが嫌いじゃない唄い方だ。
サイレンスがいっぱい(2018.8.31)
昭和60年,詞:康珍化,曲:林哲司,唄:杉山清貴&オメガトライブ,
「夕暮れの背中から 星ふる夜が降りてきて」と始まる歌。
「好きな人を愛せばいい 君が決めた事だから」と「君送る夜」の歌だ。「どんなに君を 愛していたか かくしとおすよ」と誓いながら。
この別れが義理と人情,あるいは生活のためということなら演歌の世界だろう。僕は潔く身を引く。悲劇の主人公を演じているつもりだろうか。この時代なら,おそらく女神の前髪を掴まなくてはいけなかったのだろう。相手は君の優柔不断さに愛想がつきたのかもしれない。相手が最後の賭けにでた可能性は考えないのか。いずれにせよ幸運の女神には後ろ髪は無い。これを教訓として成長して欲しい。
曲も歌唱も新しい感じを受け,聴いただけではこの詞のような思いはあまり伝わって来ない。新しく異質であっても私に思いが伝わりやすいのはユーミンやオフコースまでか。
さよなら港(2017.4.20)
昭和60年,詞:たかたかし,曲:市川昭介,唄:松原のぶえ
「忘れちゃいやよ また来てね」と始まる歌。
タイトルも港だが歌詞にも「駈けて桟橋ヨー 後追いかける」とあるように,昔ながらの日本調歌謡曲の定番である港での別れの歌。
このような詞の歌は新規性が感じられないので耳を傾ける必要がなく,メロディーは私の身体に浸みこんでいるので,流れていても空気のように意識に上らないような曲である。
SAND BEIGE−砂漠へ−(2019.11.22)
昭和60年,詞:許瑛子,曲:都志見隆,唄:中森明菜
「サハラの夕日を あなたに見せたい さよならを私から 決めた別離の旅なのに」と始まる歌。
「アナ アーウィズ アローホ」などと意味不明な言葉が出てくるが,エジプト方言(アラビア語)で「私は〜ヘ行きたい」という意味らしいので,Nileと続けばナイルに行きたい,Sand Beigeと続けばベージュの砂,即ちサハラ砂漠へ行きたいということだろう。
同様に「マアッサラーマ」は別れの挨拶らしい。元の意味は『平安とともに』ということになるらしいが,日本語の『さようなら』が元をただせば「左様ならば」と次に続く言葉で全体の意味が決まるが,普通は「さようなら」だけを言って別れの言葉とするように,習慣的に別れの挨拶として使われるようだ。
詞は個々の言葉が論理的につながっているわけではないが,全体として寂し淋しさ・後悔・不安等の複雑な感情が伝わって来ると同時に,明菜の唄も何となく異国情緒を感じさせ,悪くない。
ただ,共感できる点はほとんど無いので,訪れたことのない地から届いた絵葉書を見ているような感覚だ。
シャイニング・オン君が哀しい(2014.9.14)
昭和60年,詞:千沢仁,曲:千沢仁,唄:LOOK
「シャイニン・オン 星も見えない夜に」と高音全開で始まる歌。始まりは唄というよりシャウトと呼ぶべきかもしれない。しばらく休んで「消えた淡い秘め事に」からが1番の歌詞なのだろうか。きれいなというと少し違うのかもしれないが,高音が印象的である。これに対して低音は詞が聞き取れない。聞き取れる必要はないという作曲意図があるのかもしれないが,私は聞き取れるほうが好きだ。歌詞の一部に英語が使われており,これも聞き取りにくさを増しているように感じる。
好みではない部分があるとはいえ,悲しみをこのような曲にのせるのは嫌いではない。
白い炎(2015.6.3)
昭和60年,詞:森雪之丞,曲:玉置浩二,唄:斉藤由貴
「迷子の恋を抱きしめて さまよいあるく墨絵の街」と始まる歌。
フジテレビ系テレビドラマ『スケバン刑事』1)の主題歌。ドラマは観ていないし,歌もリアルタイムでは聴いていない。乙女チックな歌詞だが,夢見る乙女ではなく,「かなしい女の子」だ。『スケバン刑事』のイメージとギャップを感じる。
この詞からは,なぜか『STRAY SHEEP』という言葉が思い浮かぶ。
1)「スケバン刑事」(和田慎二,花とゆめ、昭和50年(昭和51年1号)-昭和57年)
シンデレラ・エクスプレス(2018.4.21)
昭和60年,詞:松任谷由実,曲:松任谷由実,唄:松任谷由実
「ガラスに浮かんだ街の灯に」と始まる歌。
「今 魔法が消えるように列車出てくけど」とシンデレラが魔法の解ける前に帰らなければならないように,最終列車で帰らなくてはならない遠距離恋愛の歌。
昔は遠距離恋愛と言えば,月を観ては相手も同じ月を観ているだろうかと想いをはせるくらいしかなかったが,新幹線がポピュラーになり東京−大阪程度の距離なら週末に逢いに行けるようになった。しかし幸せな時間は束の間,最終列車では帰らないといけない。
バブリーな時代だったから,運賃は苦にならなかったのだろう。バブルは遠距離恋愛の形態も変えたのだ。
JR東海はこの曲をモチーフとして平成2年に東海道新幹線のCMを流していた。これに先立ち平成元年には荻野目慶子によるテレビドラマ(単発)が作られている。
シンデレラは眠れない(2016.5.12)
昭和60年,詞:高見沢俊彦・高橋研,曲:高見沢俊彦,唄:THE ALFEE
「優しくて哀しくて涙が溢れるのは何故・・」と始まる歌。
昭和の歌として挙げるには昭和性が感じられない歌だ。あるいは昭和末期の歌というべきかもしれない。いろんな意味で私の予想を裏切る歌。
「シンデレラ」と聞くと私には一人のイメージしか浮かばないのだが,この歌詞には私のイメージの「シンデレラ」に合致するところが一つもない。
「雨の日はアンブレラ」などという,私には程度の低いオヤジギャグに聞こえるフレーズが繰り返されるのにも呆れてしまう。また,「All Night Long」などと英語入りなのも気に入らないが,これだけがかすかに「シンデレラ」を意識しているのではないかと感じられるところも,私の感性には合わない。さらにコード進行だ。私の耳に馴染んだコード進行から,次の和音をなんとなく期待してしまっているのに見事に裏切られる。
要するに私が心地よく聴くことができない歌だ。
スクール・ガール(2020.9.21)
昭和60年,詞:松本隆,曲:筒美京平,唄:C-C-B
「スカートを派手めにひきずって」と始まる。
「悲しきSchool Girl 大人が僕らを引き裂いた」と引き裂かれたと感じている者の歌だが,松本は世代的には引き裂くほうの世代ではないか。もっとも松本も何年か前は引き裂かれる立場の年齢であり,引き裂かれる者の気持ちを分っていたのかもしれない。
いずれにせよ引き裂いたほうは適切に指導したと思っていて引き裂いたとは感じていないかもしれない。
最終的に状況はぼんやりとしか解らない。しかし,解らないことがこの時代の歌の特徴の一つだ。
ステキな恋の忘れ方(2017.4.25)
昭和60年,詞:井上陽水,曲:井上陽水,唄:薬師丸ひろ子
「青くたそがれた頃 恋に気がついた夜」と始まる歌。
タイトルから「恋の忘れ方」が歌われているのかと思うと,そうではなくて「あなたに聞いてみたいのは ステキな恋の忘れ方」とあるように,「恋の忘れ方」を教えて欲しいという歌だ。「ステキな恋の忘れ方」を知りたいとこの歌をわざわざ聞いた人は期待をうらぎられるだろうが,そのような方法を簡単に歌で知ろうと思ったのがあまかったことを知るだろう。歌詞に「それとも愛は この胸に 刻まれたの?」とあるが「刻まれた」のだろう。刻まれてしまったら簡単に忘れる方法はない。
この歌は薬師丸ひろ子と柴田恭兵主演の東映映画「野蛮人のように」の主題歌であり,家電(テレビ)のCMにも使われた。
セーラー服を脱がさないで(2018.8.6)
昭和60年,詞:秋元康,曲:佐藤準,唄:おニャン子クラブ
タイトルどおり「セーラー服を脱がさないで」と始まる歌。
社会の実情が先にあり,それに合わせてこのような歌が作られるのか,このような歌が流行することにより社会が変わるのか解らない。秋元はどのような意図でこのような詞を書いたのだろうか。
同じ内容を表現するにも表現方法があるだろう。このような即物的表現は日本文化破壊ではないか。それともおニャン子ファンには文学的表現では理解できないと思ったのだろうか。
早春物語(2013.7.6)
昭和60年,詞:康珍化,曲:中崎英也,唄:原田知世
「逢いたくて逢いたくて逢いたくてあなたにすぐに」と始まる歌。最後まで数えると「逢いたくて」が27回出てくる。
当時はあまり歌を聴いていなかったのでこの歌を聴いた記憶もないが,今聴いてみて,嫌いな曲じゃない。曲は単調に感じるが,その単調さが一途な気持ちを表しているようでいい。
原田はこの曲でNHKの紅白に出ているらしいが記憶にないので,このころは紅白すら観ていなかったのだろう。一時期,何とか年内に年賀状を投函しなければと大晦日に年賀状を書いていたような記憶があるが,この頃ではないだろうか。
そして・・・めぐり逢い(2020.5.13)
昭和60年,詞:荒木とよひさ,曲:中村泰士,唄:五木ひろし
「語りあかせば 尽きないけれど」と始まる。
「ふたり暮らした あの部屋の」とあるので同棲していたのだろう。しかし,別れてから「ひと春 ふた春」経って,「そして・・・めぐり逢い」。「いまでも 愛しているよ」という歌なのだが。
男はいつまでも過去をひきずるという歌なのだろうか。
「あの頃より綺麗に なったみたいだね」というのはどういう心境なのだろう。相手が現在幸せそうで良かったと純粋に喜んでいるのだろうか。複雑な思いあるように感じるが,「子供すぎてた あの頃は」と過去を反省していることは解る。
卒業(2015.1.12)
昭和60年,詞:尾崎豊,曲:尾崎豊,唄:尾崎豊
「校舎の影 芝生の上 すいこまれる空」と始まる歌。
昭和は終わったと感じさせる歌。若者が感じる訳のわからない閉塞感。「ピンボールのハイスコア―競い合った」とか「何でも大げさにしゃべり続けた」というのは私が若いころもあった。今でも形は微妙に違うが同じようなことはあるようだ。しかし「夜の校舎窓ガラス壊してまわった」というのは私の世代と決定的に違う。私の時代にも校舎の窓ガラスが割られることはあったが,割った人間は仲間内ならいざ知らず,世間に向けて公言することはなかった。つまり,この歌詞のような感情や行動があったとしてもおおっぴらに唄われることがなかった。「ガラスを壊してまわった」ことは昔も今も犯罪行為であり,このために迷惑を受ける他の生徒のことを考えていない。他の生徒全体に対し恨みを抱いていたのかも知れないが,恨む相手が違うだろう。
以前は意に沿わぬことがあっても『みんな私が悪いのよ』とか『運命』とかで諦めることが多かった。演歌の世界だ。それが次第に我慢に我慢を重ねたがついに『堪忍袋の緒が切れ』るのは仕方がないという考えになってくる。浅野内匠頭や明智光秀の行動もこのような観点から解釈する説がでたりする。さらに進んで,我慢などせず最初から『悪いのは私じゃない』と変わってきて,『悪い社会を変えなければ』となり,目的が正しければ経過は問わないという2・26の青年将校のような考えが復活してきた。この頃にはどのような考えを公言してもよいと感じられる時代になっていたのだろう。
これは教育の犠牲ではないか。学校を卒業して学校の束縛から逃れても社会の束縛からは逃れられない。自由とは何かが教えられて来なかったのだろう。窓ガラスを壊してまわることは自由の発現ではない。
また,本当の自分などというものを探し求める者がいる。「本当の自分」というのは今現在の自分自身なのだが,現在の自分は仮の姿でどこかに「本当の自分」があると思わせてしまう教育だったのだろう。
卒業(2012.7.21)
昭和60年,詞:松本隆,曲:筒美京平,唄:斉藤由貴
「制服の胸のボタンを」と始まる歌。
私自身が次第に歳をとり,このような歌詞に共感できなくなってしまった。松本隆はほぼ私と同世代なのだが。「制服の胸のボタン」などというのは私の世代ではなかったと思う。私が関係なかっただけかも知れないが,バレンタインのチョコレートなど,関係なくても話だけは伝わってくるものだ。従って時代は私の学生時代よりかなり後ではないかと思うのだが,「机にイニシャル彫る」というのは大昔でないとできなかったのではないだろうか。確かに,中学の初めころ使った机には種々の落書きが彫ってあったが,中学の終わりには簡単には彫れない材質の机に変えられていた。
「東京で変わってくあなた」などと聞くと「木綿のハンカチーフ」1)を思い出す。
卒業式で何の感傷も抱かないというのは「冷たい人といわれそう」だが,「もっと哀しい瞬間に涙をとっておく」のは美学の問題だ。私に言わせれば,こんなところでツッパルより,素直に涙を見せるほうが可愛く見える。そういえばこれより少し前に「嘘泣き○○」と有名だった人がいる。
この年,「卒業」2)というタイトルの曲が複数発表された。これらの歌手には熱狂的なファンもいるようだが,世代が違うせいだろう,私には歌が上手な素人が歌っているように聞こえる。もっとも,フォーク時代の幕開け以来,素人っぽい歌が次第に多くなってきており,この頃にはアイドルタレントが唄うということが普通のことになって,昔風の歌手の割合が非常に減ってしまった。
3曲の「卒業」の中ではこの斉藤由貴の歌が私の感性に最も合う。
1) 「木綿のハンカチーフ」(昭和50年,詞:松本隆,曲:筒美京平,唄:太田裕美)
2) 「卒業」(昭和60年,詞:秋元康,曲:林哲司,唄:菊池桃子),「卒業」(昭和60年,詞:尾崎豊,曲:尾崎豊,唄:尾崎豊)
卒業-GRADUATION-(2016.10.3)
昭和60年,詞:秋元康,曲:林哲司,唄:菊池桃子
「緑の木々のすき間から 春の陽射しこぼれて」と始まる歌。
「4月になるとここへ来て 卒業写真めくるのよ」とあるので,過去の卒業の思い出の歌だ。感傷的な詞ではあるが,卒業式には似合わない。曲はどうも私にはピンと来ない。歌唱表現にも関係がありそうだ。詞には幸せだった時期の回想から始まっているが,現在はその幸せが失われているので,回想箇所を楽しく唄うか悲しく唄うか迷っているようだ。
SOLITUDE(2019.12.24)
昭和60年,詞:湯川れい子,曲:タケカワユキヒデ,唄:中森明菜
「25階の非常口で 風に吹かれて爪を切る」と始まる歌。
「好きとか嫌いの問題じゃなくて いつか馴れ合う気安さがイヤなの」と言って別れるようだ。刺激が続くことを求めているのか?「誰もみなストレンジャー 初めは他人 想い出はいらないわ」と超ドライである。
昔もこのような女性はいたのかもしれないが,歌になったのはこれ以前には記憶にない。私が思い出す歌に登場する女性はもっとウエットな女性がほとんどだ。この歌の女性は新しい女性かもしれない。しかし,湯川は私より一回り程上の世代だ。私が世間から取り残されているのだろうか。
この歌は第11回全日本歌謡音楽祭金賞,最優秀歌唱賞ほかを受賞している。審査員の意識も変わっているのだろう。次々と新しいものに高評価を与えないと業界の商売があがったりだから当然だ。
私はもちろん業界人ではないから(単に頭が固いだけかもしれないが)好きなものは決まっている。やはり自分の青春時代の歌が良い。これだから時代に取り残されるのだろう。
たそがれ(2023.1.17)
昭和60年,詞:小田和正・Randy Goodrum,曲:小田和正,唄:オフコース
「夕陽が落ちる ビルを横切って やがてみんな 見知らぬ人になる」と始まる。
「あの終わりのことばも 最後の夜も 今では もう 遠く 時の彼方」と過ぎたことを想い出しているようではあるが,結論は「愛はたそがれ すべては夢うつつ」ということらしい。
解りやすい詞。よく考えると解らない点も少なくないのだが,解ったような気にさせる詞だ。
タッチ(2014.5.9)
昭和60年,詞:康珍化,曲:芹澤廣明,唄:岩崎良美
「呼吸を止めて1秒 あなた真剣な目をしたから」と始まる歌。
詞もわかる気がするし,曲もすてきだと思うのだが,詞と曲の組み合わせが私には早口言葉のようでついていけない。昔の歌を聴くとかなりスローテンポの曲が多い。世の中の時の流れと同じく,すべてがテンポアップしているのだろう。
パソコン機能の進歩など,最初はついていけたのだが今では技術の先端からかなり遅れてしまった。年齢のせいで時代にも,音楽にもついていけなくなっているのだろう。
ダンシング・ヒーロー(Eat You Up) (2019.7.3)
昭和60年,詞:BAKAERANTHONYRICHARD(GB1),曲:KYTEANGELINAFIORINA,唄:荻野目洋子
「愛してるよ….なんて誘ってもくれない キャンドル・ライトが素適な夜よ」と始まる歌。
原曲は英国のAngie Goldがこの年に発売した『Eat You Up(邦題:素適なハイエナジー・ボーイ)』。
バブル時代のディスコ・ミュージックということで,「今夜だけでもシンデレラ・ボーイ」などという歌詞も深く考える気もせず,身体で聴くだけなのだろう。
何もなければそのまま消えて行く歌だったのだろうが,平成29年,大阪府立登美丘高校ダンス部がコンテストでこの曲を踊って注目された。平野ノラのバブリー期を模した芸もそれなりに認知されてはいたが,大きくブレークしていたわけではない。それが登美丘高校のダンスで使われ相乗効果により爆発的にブレークした。
バブル期の経験者は平成の時代も『昔は良かったが,あれは異常だ。世の中はこんなものだろう。仕方がない。』と過ごしたのだろう。しかしバブル期未経験者は,好景気というものが実感できず,閉塞感だけを感じ,話に聞くバブル期に憧れを感じていたことも再ブレークの理由の一つだろう。
翼の折れたエンジェル(2016.11.2)
昭和60年,詞:高橋研,曲:高橋研,唄:中村あゆみ
「ドライバーズ・シートまで 横なぐりの雨」と始まる歌。
当時聴いた歌ではない。私は日本にいなかったかもしれない。
伝統的な歌手の歌唱法ではないように感じるが,嫌いではない歌声だ。曲も嫌いではない。詞は私には気障に感じられ好きなタイプの詞には入らないが,嫌いだというほどではない。しかし総合的には聴きたい曲には入らない。詞の私がイメージするアクセントと曲のアクセントが一致しておらず,歌唱も曲に合わせているようで聴いていると強い違和感があるからだ。詞と曲がミスマッチだというのが私の感想だ。
天使のウインク(2012.11.11)
昭和60年,詞:尾崎亜美,曲:尾崎亜美,唄:松田聖子
「約束を守れたなら願いを叶えてあげる」と始まる歌。ある乗用車のイメージソングだった。
この当時はいろいろと忙しく,歌謡曲を聴いている暇もなかったので覚えている歌も極めて少ない。私の好みにあう歌が少なかったことも理由のひとつだ。この歌も「I love you I love you」というところと「I don’t know I don’t know」というところくらいしか聞き覚えがない。まあ,歌詞に英語が入っていても,この程度ならそれほど違和感はない。
私の若い頃は『三十路』というのが年代の分岐点だった。三十過ぎたら同世代というわけだ。この分類で行けば,現在の尾崎亜美は私と同世代だが,当時の尾崎亜美は若者世代,私はオジサンオバサン世代とわかれていた。もっとも,現在の私は三十過ぎたら同世代と思っているが,当時は五十六十オジイサンと感じていた。
さて,この歌だが,メルヘンチックなファンタジーにこのようなアップテンポのメロディーをつけるというのは全く私の想像外で,感性の違いを思い知らされる。
常夏娘(2019.3.17)
昭和60年,詞:緑一二三,曲:幸耕平,唄:小泉今日子
「常夏のお嬢さん 気分はいかが」と始まる歌。
榊原郁恵1)を思い出す。曲の印象が似ていると感じるほかに,KYON2が同系統のアイドルだと私が感じていることが理由だろう。
詞は単語を並べたかのように感じる。『よこはま・たそがれ』2)は本当に単語を並べただけだが斬新に感じた。一方こちらは助詞などの付属語も含まれ,文に近い単語の並びだが,単語の選定が,思いついた言葉を並べたという印象を受け,中途半端になっているように感じる。また「パラダイス」がお気に入りなのか複数回登場するが,安易すぎないか。
1)「夏のお嬢さん」(昭和53年,詞:笠間ジュン,曲:佐々木勉,唄:榊原郁恵)
2)「よこはま・たそがれ」(昭和46年,詞:山口洋子,曲:平尾昌晃,唄:五木ひろし)
道頓堀人情(2017.1.1)
昭和60年,詞:若山かほる,曲:山田年秋,唄:天童よしみ
「ふられたぐらいで泣くのはあほや」と始まる歌。
タイトルは「とんぼりにんじょう」と読ませている。
「負けたらあかん 負けたらあかんで東京に」と東京に敵意を持っているようだが理由は不明だ。ふられた相手が東京者か,恋敵が東京者なのだろうか。
「三吉魂あんたにあれば うちが小春になりもしよう」と振られ男の心の隙に割り込もうとしている女の歌のようにも聞こえる。振られたことと三吉魂の関係がよく解らない。三吉・小春と並べば,坂田三吉のことだろう。そうすると「ふられた」とは色恋沙汰ではなく,振り飛車なのだろうか。・・・これは考え過ぎだろう。
「うちが小春になりもしよう」は半分本気,半分冗談,振られ男を元気づけようとする歌と解釈するのが妥当だろう。
夏ざかりほの字組(2016.6.24)
昭和60年,詞:阿久悠,曲:筒美京平,唄:Toshi & Naoko
「ほの字だね これで通じるだろう」と始まる歌。
Toshiは田原俊彦,Naokoは研ナオコだ。これが阿久悠と筒美京平によってつくられたとは思えない。どこがと問われても的確に指摘できないが,要するに私の好みに合わないということだ。
「シャバダ ドゥワ−」とは何だ。『11PMのテーマ』1)を借用したのか?
1)「11PMのテーマ」(昭和41年,曲:三保敬太郎)。日本テレビ・読売テレビの交互制作で昭和40年から平成2年まで放映された夜のワイドショー「11PM」のオープニングとエンディングで使われた。三保の即興作曲とのことだから詞も三保かと思ったが,オリジナルを唄ったのが増田順平・増田睦美で,「イーサバダバ」と唄っているらしい。次に歌ったのが岡崎広志と伊集加代で「パーサバダバ」と唄っているそうだ。昭和52年には女性トリオ「あらん・どろん」が「ウィシャバダバ」のタイトルでカバーしてこれが一番有名らしい。
涙の茉莉花(ジャスミン)LOVE(2017.5.13)
昭和60年,詞:T2,曲:後藤次利,唄:河合その子
「このまま瞳を閉じて あなたとFall in Love Again」と始まる歌。
アイドルソングだろう。河合はおニャン子クラブの会員番号12番。
どういう事情か不明だが相手は別れを告げて外国に行ってしまったようだが,別れを告げられた以上仕方ないではないか。彼が戻って来るのを待っているのか,外国まで探しに行くのかよく解らない歌詞の上に曲調もどちらかはっきりしろと言いたくなる曲調だ。
なんたってアイドル(2019.9.22)
昭和60年,詞:秋元康,曲:筒美京平,唄:小泉今日子
「なんたってアイドル なんたってアイドル」と始まる歌。まあこれはイントロとも言えるので,実際の歌は「赤いコンバーチブルから ドアをあけずに飛びおりて」と始まるというべきだろう。
アイドルの実態というのを知らないが,漠然とこんなもんだろうと思うような内容だ。秋山はアイドルの実態をよく知っているだろうから本当のことかもしれない。
しかし,私が感じるのは日本語の変化だ。
そもそもアイドルなどというのはスターと同じく自称する者ではなかったのではないか。俳優というのは舞台俳優でも映画俳優でも職業といえるだろうから,それで生計を立てようとしているのなら自称できるだろうが,映画スターと言えば人から与えられる称号ではないのか。アイドルも最初は他から与えられる称号だったと思う。グラビアアイドルなどという言葉が出来たころからアイドルの意味が変質してきたのではないか。(昔はピンナップガールではなかったか?)バラエティーに出演するアイドルをバラドルと呼んだりするようになったのだ。そのうちに『スターにしきの』などというのも現れたが,これも最初は『とんねるずの生でダラダラいかせて』内でスター神田正輝の対抗キャラとしての裏スターというのが最初だから他からそう呼ばれたのだ。まあ今では何の芸も持たない『芸人』や才能のかけらも見えない『タレント』がいるのだから音楽では食えない『ミュージシャン』がいても何の不思議もない。言葉の意味が変質してきているのだ。・・・ミュージayンは画家や小説家などと同じで昔から自称で来た言葉かもしれないが。
にくまれそうなNEWフェイス(2020.3.31)
昭和60年,詞:安藤秀樹,曲:NOBODY,唄:吉川晃司
「何ひとつわかってないね 泳いだ視線」と始まる歌。
曲は私の好みとは言えないし,詞は読んでみても論理的とは感じられず,そのせいもあるだろうが何を言っているのか聞き取れない。
そもそも,マイクにかじりついているのは唄ではないというのが私の考えだ。マイクなしで伝えられてこそ唄だろう。まあ,マイクにかじりついても歌詞が聞きとれれば歌ではある。私が好きな歌の中にもこのような歌が無いわけではない。歌詞が解らなくても曲の一部として聴き,全体として嫌いでない曲もある。しかし,これはどれでもない。
もちろん,私には個人的な知り合いの歌手はいないので,私が歌手の好き嫌いを述べても歌手個人についてではない。歌が好きか嫌いかということだ。
吉川に関して言えば,テレビドラマなどでは好感をもって観ている。
熱視線(2020.1.19)
昭和60年,詞:松井五郎,曲:玉置浩二,唄:安全地帯
「これっきりだなんて 決して言わせない 何をおびえ泣くの」と始まる歌。
「何を」「おびえ」「涙」「なんか」などの3音の言葉の3音目にアクセントそれも強勢と高低アクセントの併用になっている。このような語尾にアクセントを置く話し方は学生活動家のアジ演説を思い出させる。その後,この語尾アクセントはブリッコ女に広がったように思う。こちらでは高低は小さくなったが,強勢はやはり語尾にある。強さだけでは上手く発音できないから母音を補って強く発音する。『私ってぇ,○○じゃないですかぁ。』という具合だ。
これだけでも気に入らないのだが,繰り返される「いますぐに あなたのままで 燃える恋に 身を投げて」とはどういう意味だ。この男は,女が分別をもとうとすると,そんなことは考えずに,今を楽しもうと言っているように感じる。責任を取る気も覚悟も全くなくだ。私の解釈が誤りであることを願い。何と言っても,ザ・ベストテンでは1位を獲得しているのだから。
HEART OF RAINBOW〜愛の虹を渡って(2019.10.25)
昭和60年,詞:売野雅勇,曲:芹澤廣明,唄:チェッカーズ
「Long long way home 夜空染める虹に腰かけて」と始まる歌。
「二人そばにいるだけで 幸せだったと あの頃ずっと 分らなかった」。「愛を棄てて夢選んだこと」を後悔しているのだろう。よくある話だ。この状況を,いかに詞・曲・唄で纏めるかで演歌の出来が決まる。もっとも,このような状況が演歌に合うというのは私の勝手な思い込みで,フォーク系の一部にもこのような状況は歌われているし,ジャンルは問わないのだろう。この歌はバラードか。私はバラードとは何かをよく知らないので,ひょっとしたらとんでもない的外れなことを言っているかもしれない。
私はよく歌詞に文句をつけているので「夜空染める虹に腰かけて」など,虹の発生メカニズムを説明して『夜空に虹は現れない』とか『虹に腰かけ』ることはできないなどと文句を言うんじゃないかと期待する人が居るかもしれないが,これはメルヘンだ。メルヘンでは通常の物理学が成り立たないのは私も知っているので,このようなところに文句はつけない。
歌詞への文句は挿入されている英語だ。「Miss you darling」とは何だ。日本語で言わない理由は何だ。日本語への直訳では日本語に馴染まないと感じたのだとすれば,その日本語感覚には同意する。夏目漱石は教師時代に,『I love you』の訳を尋ねられて『月が綺麗ですね』と答えたそうだ。状況や前後関係からそれで意味が通じ,日本語としてより自然だということだ。作詞家ならこれくらいのことはして欲しい。
「Heart of Rainbow」の意味も理解できない。
曲は可もなく不可もなくだが,歌手の選定はミスではなかろうか。ソロ歌手に唄わせるべきだったと思う。まあ,ムードコーラスグループならあり得るかもしれないが。メンバーがうろつき回っていては淋しげな歌の雰囲気が台無しだ。また,唄から受ける印象が力強さだ。もちろん演歌でもサビの部分で力が入ることはあるが,この歌は力強すぎると感じる。そんなに力強いなら,泣きごとなど言っていずに,夢に向かって突き進めばよいのだ。
波止場しぐれ(2018.1.24)
昭和60年,詞:吉岡治,曲:岡千秋,唄:石川さゆり
「波止場しぐれが降る夜は 雨のむこうに故郷が見える」と始まる歌。
港のネオン街で働いているようで,昔の演歌の定番だが,イメージが古すぎるように感じる。それに,石川には旅をしている歌の方が似合うと思う。
母のいない故郷(2016.6.29)
昭和60年,詞:新本創子,曲:新本創子,唄:鳥羽一郎
「母のいない故郷は 風の村」と始まる歌。
故郷へ帰ってきたが母はいない。「無人駅」というのだから都会ではないだろう。
村人の後ろ姿に母の思い出を重ねる。
詞には書かれていないが,母がいるうちに帰って来られない事情があったのだろうか。淡々と故郷の現状が綴られているがそれが余韻を持たせている。
Bye Bye My Love ( U are the one) (2019.7.28)
昭和60年,詞:桑田佳祐,曲:桑田佳祐,唄:サザンオールスターズ
(はっと見りゃ湘南御母堂・・)とあってから「華やかな女が通る まぼろしの世界は」と始まる歌。
桑田の歌の多くがそうだが,音声は確かに聞こえるのだが歌詞が耳に入って来ない。ひとつには英語の部分で私の脳が直ちに英語モードに切り替わらないことと,もっと大きな理由は因果関係が私にはよく理解できないままに話が進んで行くことがその理由だろう。例えば「俺は泣きつづける」というのは前後とどのような関係にあるのだろう。
解らない歌は何度も聴こうとは思わない。
BE-BOP-HIGHSCHOOL(2023.3.28)
昭和60年,詞:松本隆,曲:筒美京平,唄:中山美穂
「何処にいるの? 私のBoy friend まさか目の前のこの人じゃ ないんでしょうね」と始まる。
歌としてはアイドル・ソングだろう。
「つきあってあげるの 仕方無くだから誤解しないでね」などと言っているが,堤防でまどろんでいるのを見ていると,「寝言で愛してるだって」「聞かなかったことにしておくわ」などと言いながら「おやすみ私のsteady-boy 大きなBaby」と進行していく。
堤防でこのような光景を見たら,自分もカップルなら微笑ましく眺め,自分が一人なら『バカが,家でやれ』と毒づくかもしれない。娘の親なら後で娘を呼んで『あんな男と付き合うのは許さん』と叫んで娘に嫌われるかもしれない。
同じ状況を見ても感想は様々だが,当人同士はまだ自分たちの幸せに気付いていない可能性もある。幸せを感じてはいるのだが,将来もっと大きな幸せが来るはずと考えている可能性だ。今が人生で最も幸せな時かも知れないのに。
ff(フォルティシモ)(2016.12.1)
昭和60年,詞:松尾由記夫,曲:蓑輪単志,唄:ハウンド・ドッグ
「おまえの涙も俺を止められない いまさら失うものなど何も無い」と始まる歌。
詞は何と言おうか・・・,自分にはとてもこのような気分にはなれないが,憧れのようなものはある。曲は私には平凡に聞こえる。マンネリ演歌は私の好みだが,平凡なロックはやや好みから外れる。やはりロックは激しいほうが良い。
歌唱に関しては歌で何かを伝えようとしているようには感じられす,自己満足の歌唱のように感じる。私のカラオケなど,自己満足の極みだが,私は金を払って唄っているのだ。
自己満足のようには聞こえるが,内なる思いを外に出すという意味ではそれでよいのかも知れない。もちろんそのように唄いたい人もいるので,そのような人にこのような曲を提供することは意義がある。私もたまにはこんな歌を唄ってみたくなるかも知れない。
この曲はカップ麺のCMに使われていた。
二人の夏物語(2014.6.18)
昭和60年,詞:康珍化,曲:林哲司,唄:杉山清貴&オメガトライブ
「流れ星にみちびかれ出会いは夜のマリーナ」と始まる歌。「JALPAK’85」CM曲。
この歌で伝えたいメッセージというのが聞き取れない。歌詞を伝えようという気がないのだろう。「ふたりの夏物語」だから,二人だけの世界に閉じこもっているということで他人は全く見えていない。他人にメッセージを伝えようとするメッセージソングではないのだ。
心の底から湧きあがった感情を表現しているのでもないようだ。人生に対する思いがいかにも軽く感じられる
ふたりの夏物語-NEVER ENDIMG SUMMER(2019.4.13)
昭和60年,詞:康珍化,曲:林哲司,唄:杉山清隆&オメガトライブ
「流星にみちびかれ 出会いは夜のマリーナ」と始まる歌。
軽快な曲で嫌いではないが,捜して聴こうというほどでもない。
詞は「マリーナ」という言葉で,私には無関係だと感じられる詞だ。昭和40年代の終わり頃ならヨットが好きな友人がいて,共同でヨットを購入しようと誘われたこともあったのだが,私は関心が無く,無視していた。その頃は収入のほとんどを酒と書籍につぎ込んでいた。それでも昭和50年頃までなら,海水浴には行ったのでビーチには行ったがマリーナには縁がなかった。もっと昔の話なら,流行歌に波止場が頻繁に登場していたので波止場は耳に馴染んだ言葉だった。
10年後のこの頃も山や海へ行くことがあったが,それは研究室の学生とであり,友人と遊びに行くというよりも保護者として引率するという感じで,当然ながらこの歌のような出会いとは無縁だった。(より正確に言えば,引率するというより,連れて行ってもらうという感じだっただろうか。)
結局,マリーナなどというところは生涯無縁な場所であり,その上年齢的なものがこの歌を私と無縁のものにしているのだろう。
フレンズ(2015.2.22)
昭和60年,詞:NOKKO,曲:土橋安騎夫,唄:レベッカ
「口づけをかわした日は ママの顔さえも見れなかった」と始まる歌。
詞としては昭和歌謡でもお馴染みの感情を「見れなかった」などと『ら抜き』表現を使い平成に近づいている。当時聴いた記憶はないのだが,曲は昭和ロックと言う感じで耳に馴染む。もちろん昭和ロックというのは古臭いとけなしているのではない。耳に心地よいと言っているのだ。
最近の私の歌の価値判断は自分がカラオケで唄えるかどうかだ。聴くには心地よいが残念ながらこの歌は私には唄えそうもない。
ブルー・パシフィック(2019.2.17)
昭和60年,詞:売野雅勇,曲:芹澤廣明,唄:チェッカーズ
「海を見て泣いてたね サヨナラが切り出せず・・・」と始まる歌。
「夏か來るたび逢いたくて」の一言で,何年か前の夏の想い出だと解り,その後も彼女を超える相手は現れなかったということが解る。
悪くはないが,特長も感じられない。チェッカーズにしては月並みな歌だというのが私の印象だ。
ボーイの季節(2013.3.5)
昭和60年,詞:尾崎亜美,曲:尾崎亜美,唄:松田聖子
「革のカバンひとつだけなの」と始まる歌。聖子ちゃんファンには申し訳ないが,私はこのころ松田聖子の歌はほとんど聴かなかった。○○泣き聖子と呼ばれた泣き顔が私の好みではなかった。私の先輩が「女は泣きゃいいと思ってやがる」と言っていたのを思い出す。場面は松田聖子とは関係がないのだが。
今この歌を聞いてみると,この歌は平成の歌ではなく,昭和の歌である。もちろん私は昭和の歌のほうが好きだ。歌詞は平成の歌のようだ。どのような意味があるのか英語が入っているのは気に入らないが,尾崎亜美だから仕方ないとも言えよう。しかし曲も歌い方も昭和の歌だ(末期ではあるが)。
私にとって,松田聖子のザ・ベストは『青い珊瑚礁』1)だ。
1) 「青い珊瑚礁」(昭和55年,詞:三浦徳子,曲:小田裕一郎,唄:松田聖子)
BOYのテーマ(2017.6.5)
昭和60年,詞:秋元康,曲:林哲司,唄:菊池桃子
「Lonely Romancer 出会いはミステリー」と始まる歌。
最初から何を言っているのか解らない。歌詞を見ると何となく意味が想像できるような気もするが,なぜ歌詞のところどころに英単語を挿入するのだろう。東映映画「テラ戦士ΨBOY」の主題歌だそうだから,映画を観た人には良く理解できるのかもしれないが,私には何となく英語を使う方が恰好いいと思っているとしか考えられない。
詞と曲を比較すると,私には曲のほうが圧倒的に好ましい。
お菓子のCMに使われた。
望郷じょんがら(2017.6.10)
昭和60年,詞:里村龍一,曲:浜圭介,唄:細川たかし
「津軽は雪ん子 舞い飛ぶ頃よ」と尺八をバックにしたスロースタートだが,「爺さまが叩くじょんがら節の」からは一転してアップテンポの津軽三味線をバックにした8ビートの曲になる。
十九才で東京に出て,「帰るに帰れぬ土産もなしに」と昔ながらの歌詞である。
東海道新幹線の東京-新大阪間が開通したのが昭和39年,その後徐々に西に向け延伸し,博多まで山陽新幹線が開通したのは昭和50年である。九州方面は時間的距離は短くなったとはいえ,当初は人々の収入に比べて運賃が高く,誰もが気軽に往復できる距離ではなかったが,次第に収入が増えるにつれ,東京-九州間は近くなっていた。
ところが,東北新幹線は大宮−盛岡間で暫定開業したのが昭和57年,昭和60年には上野-大宮間が開業したが新青森まで延伸されたのは平成22年になってからだった。東北までの距離は当時もまだ遠かった。
ミ・アモーレ(2019.1.20)
昭和60年,詞:康珍化,曲:松岡直也,唄:中森明菜
「あなたをさがしてのばした指先が 踊りの渦にまかれてく」と始まる歌。
曲は嫌いなタイプじゃないが,詞と一緒に考えるともう少しキーが高い方がよいのではないかと思う。しかし私が唄う訳ではないのでどちらでもよい。歌詞は私の知らない世界の話なので私にとっては詞の内容抜きで曲を聴く歌。そうだとするともう少しキーが高い方が私の好みだ。
メロディ(Melody) (2018.9.28)
昭和60年,詞:桑田佳祐,曲:桑田佳祐,唄:サザンオールスターズ
「君が涙を止めない」と始まる歌。「Oh my hot strawberry woman Don’t you go」と続くようだが,私の脳はすぐには英語脳に切り替わらないので聞き取れない。もっとも桑田の歌は日本語でも日本語と気付くのに少し時間を要するが。
何が言いたいのか聞き取れないので歌詞を読んでみると,感じたとおり別れの歌のようだが,別れの原因は読んでも解らない。互いにひと夏だけの関係と思っていたようにも感じられる。にもかかわらず甘い言葉の羅列。しかし全体としては感覚だけで論理はない。息を吐くようにこのように実体が感じられない言葉を吐きだしているようだ。
私には到底理解できない。理解するのではなく感じる歌なのだろう。
もう逢えないかもしれない(2018.12.23)
昭和60年,詞:康珍化,曲:林哲司,唄:菊池桃子
「日差しがひとつ弱まるたびに ふたりの心ももろくなるね」と始まる歌。
理解できない歌。解ったのは何度も繰り返されている「もう逢えないかもしれない」ということだけだ。これは単純未来ではなく意志未来だろう。
「一度も好きとは言えずに ごめんね」とのことだが「クルミの枝にそっと小さく彫ったあなたの名前」というのだから好意は抱いていたのだろう。にもかかわらず「好きとは言えず」というのは慎み深かったからではなく,いつかは別れることになるということが解っていたからだろう。他人の心をもてあそんでおいて「ごめんね」で済まそうとしている以外思いつかない。
Young Bloods(2013.1.7)
昭和60年,詞:佐野元春,曲:佐野元春,唄:佐野元春
「静かな冬のブルースに眠る」と始まる歌。ほとんど聴いたことがない曲だが,曲自体は悪くない。このような曲を聴きたくなる気分のときもある。詞も全体的には悪くないとは思うのだが,英語?やカタカナ語の箇所は,なぜここを英語にするのか,あるいはカタカナ語で表現するのか全く理解できない。もともと詩を散文として論理的に理解しようというのが間違いなのだろう。
唄い方は私の好みではない。『嫌いで結構』と言われて終りだと思うので,これで終わる。
You Gotta Chance〜ダンスで夏を抱きしめて~(2018.11.25)
昭和60年,詞:麻生圭子,曲:NOBODY,唄:吉川晃司
「淋しげなRadioから あの夏が聴こえる」と始まる歌。
理解できない歌。詞が聞きとれないので歌詞を読んでみたが,やはり私には理解できない。理解できない内容だから聞き取れないのだろう。ただ,自己中心的で相手の気持ちなど全く眼中にない詞のように感じられる。私のような者は相手にしていないのだろうが,私から見れば自己満足だけの歌だ。
ヨイショッ!(2014.7.22)
昭和60年,詞:ちあき哲也,曲:長沢ヒロ,唄:近藤真彦
「やいやいやい 元気がないぜ」と始まる歌。
たのきんトリオでは歌手として近藤が一番上手いと思うが三人とも歌手よりアイドルだろう。とはいえこの曲も当時聴いたことはなく,今聴けば,私の年齢のせいもあるだろうが軽薄そうな歌詞に共感できない。「ムカつく」「く・た・ば・れ」などの言葉は昔からあったと思うが使う時と場所が昔と変わってしまった。
Lucky Chanceをもう一度(2018.7.16)
昭和60年,詞:松本隆,曲:筒美京平,唄:C-C-B
「Pinkの薔薇の束を 背中に隠しながら」と始まる歌。
歌詞が聞き取れないので理解できない。詞を読んでみても,何となく雰囲気は解らないでもないがはっきりとは解らない。曲のせいか歌唱法のせいか解らないが,耳で聴くと全く解らない。私にはお手上げの歌だ。
このようにして私は時代に取り残され,世代間のギャップが生まれてくるのだろう。
RAIN DANCEがきこえる(2024.3.9)
昭和60年,詞:安藤秀樹,曲:佐藤健,唄:吉川晃司
「走りぬけてく レイニーストリート 心は雨にうたれてく」と始まる。
平成の曲は聞いただけでは解らない曲が多いが,この曲も平成の曲に聞こえるほど解らない。リズムだけははっきりしているが,歌詞もよく聞こえない箇所があるし,聞こえてもよくわからず,心に残らない。ただ,別れた後の寂しさを唄っていることは解る。解るが,自分の気持ちだけを歌っているように感じ,自己中心的な印象を受ける。
恋愛症候群―その発病及び傾向と対策に関する一考察―(2021.3.8)
昭和60年,詞:さだまさし,詞:さだまさし,唄:さだまさし
「恋と呼ばれる一過性の発情症候群における」とはじまり、延々と続くのではないかと思うほど長い歌。
最初は血液型別に恋の症状を列挙する。このあたりはコミック・ソングだ。
しばらく症状の進行がコミカルに唄われるが終盤には「恋」の「消え方」が説明される。
「ひとつは心が枯れてゆくこと そしてもうひとつは 愛というものに形を変えること」。
そして最後に「恋」と「愛」が説明される。
「相手に求め続けてゆくものが恋 奪うのが恋 与え続けてゆくものが愛 変らぬ愛」という訳だ。
曲はさだ流のよく解らない曲だが,詞は文字通り昭和の詞だ。
Romanticが止まらない(2012.9.13)
昭和60年,詞:松本隆,曲:筒美京平,唄:C-C-B
第20回日本レコード大賞金賞。わたしのような年寄りには歌詞はさっぱり耳に入らないがメロディーは心地よい。そもそも「Romantic」の意味が解らない。このような用法が日本語を乱すのだといいたくなる。
「長いキスの途中で首飾りを外した」のはいいが,結局良く解らない。突然「青いハイヒール」などが出てきてもチンプンカンプンだ。「青いゴムゾーリ」1)のほうが哲学的だ。
「遊びなの」と聞かれて「言葉では答えない」で「Hold me tightせつなさは止まらない」というのはどういうことなのか。主客が逆転しているのではないか。大瀧秀治2)のように『解らん,お前の唄は解らん』と言ってやりたい。
1) 「青いゴムゾーリ」(昭和42年,詞:長沢ロー,曲:シナ・トラオ,唄:バーブ佐竹)
2) 大瀧秀治はキンチョーのCMで岸部一徳に向かって「つまらん,お前の話はつまらん」と言っていた。
WE ARE THE WORLD(2020.4.24)
昭和60年,詞:Lionel Richie/Michael Jackson,曲:Lionel Richie/Michael Jackson,唄:USA for AFRICA
「There comes a time when
we heed a certain call」と始まる歌。
「We are the world, We are the children We are the ones who make a brighter day」と何度も繰り返される。
マイケル・ジャクソンを始め,45人が集結して唄ったアフリカの飢餓救済のためのチャリティ・ソング。集まった歌手にはクインシー・ジョーンズ、 シンディ・ローバー,スティーヴィー・ワンダー,ダイアナ・ロス,ハリー・ベラフォンテ,ビリー・ジョエル、ボブ・ディラン,ポール・サイモン,ライオネル・リッチ―,レイ・チャールズなど私でも名前を知っているほど古い歌手から若い歌手までが含まれている。
世界が一つになることが理想?とされたのは20世紀になってからだろう。国際連盟が最初の試みだったがあえなく失敗した。国際連合も世界は一つとは言い難い。宇宙船地球号という言葉が最初に使われたのは19世紀だそうだ。しかし,人類全体の危機が訪れないと呉越同舟とはいかないようだ。核の危機では米ソの話し合いは行われたようだが,にらみ合ったままのように感じられる。地球温暖化を人類の危機と捉えて,世界が一つにまとまることができるだろうか。もっと短期的に結果が予測できる宇宙人の地球侵略でもなければ世界で力を合わせて対抗しようということにはならないのではないか。そんなときでも宇宙人の側に寝返る者がいるのではないかとも思ってしまう。全滅するより一部でも生き延びる方が良いというのが多様性支持の人々の考えなのかもしれないが。
新型コロナウイルスは世界共通の敵と見做して世界が力を合わせてこれと闘うことが期待されるが,既に人類内部の歩調が乱れ乱れている。
AIはこのような問題に,何らかの指針を与えてくれるのだろうか。