明治,大正,昭和元年〜,昭和6年〜,昭和11年〜,昭和14年〜,昭和16年〜,昭和21年〜,昭和26年〜,昭和29年〜,昭和31年〜,昭和33年〜,昭和35年,昭和36年,昭和37年,昭和38年,昭和39年,昭和40年,昭和41年,昭和42年,昭和43年,昭和44年,昭和45年,昭和46年,昭和47年,昭和48年,昭和49年,昭和50年,昭和51年,昭和52年,昭和53年,昭和54年,昭和55年,昭和56年,昭和57年,昭和58年,昭和59年,昭和60年,昭和61年,昭和62年,昭和63年〜,その他(不明),平成の歌
昭和58年
蒼いフォトグラフ,艶姿ナミダ娘,あなた[愛するために],UNバランス,家路,うふふふ,エスカレーション,越冬つばめ,エル・オー・ヴィ・愛・N・G,大阪ブルース,お久しぶりね,おまえにピタッ!,想い出がいっぱい,オールナイトで朝帰り,俺の出番はきっと来る,女の港,悲しみがとまらない,ガラスの林檎,君に胸キュン,CAT’’S EYE,禁区,ギザギザハートの子守唄,ギャランドゥ,クリスマス・イブ,GOOD-BYE青春,恋はご多忙申しあげます,恋吹雪,細雪,Summer Suspicion,さらば・・夏,Sing a Song,シャワーな気分,Sweet Memories,すこしだけやさしく,そんなヒロシに騙されて,ZOKKON命,ためいきロ・カ・ビ・リー,探偵物語,だんな様,天国のキッス,時をかける少女,トワイライト−夕暮れ便りー,夏色のナンシー,浪花恋しぐれ,1/2の神話,紐育物語,初恋〔五月雨は緑色〕,春なのに,半分少女,瞳はダイアモンド,秘密の花園,ピエロ,釜山港へ帰れ,Hey! Bep-pin,僕笑っちゃいます,ボディ・スペシャル・II,ボヘミアン,待ちわびて,まっ赤な女の子,真夏の一秒,ミッドナイト・ステーション,め組のひと,メリーアン,もしも明日が,矢切の渡し,漁歌,ワインレッドの心,FLASH DANCE・・・WHAT A FEELING
蒼いフォトグラフ(2019.7.11)
昭和58年,詞:松本隆,曲:呉田軽穂,唄:松田聖子
「光と影の中で 腕を組んでいる」と始まる歌。
大ヒットメーカーの松本には申し訳ないが,私とは感覚が違う。「蒼いフォトグラフ」とは何だろう。「荷物 肩の上に抱えて」とはどういうことだろう(肩の上なら普通は担ぐのでは?)。この「荷物」の使い方も陳腐の極みに感じる。「写真はセピア色に 褪せる」というのはモノクロの写真だろうが,「蒼い」とはどういう意味なのだろう。「一度破いてテープで貼った」「フォトグラフ」も普通に言えば『写真』だろう。なぜ「フォトグラフ」などというのか理解できない。
呉田(ユーミンの筆名)の曲の仕上がりも,高音部は音の跳びなどのユーミンらしくいいと思うのだが,低音部は松田の声と合っていないように感じ,完成度はイマイチに感じる。
艶姿ナミダ娘(2019.10.4)
昭和58年,詞:康珍化,曲:馬飼野康二,唄:小泉今日子
「艶姿ナミダ娘 色っポイね」と始まる歌。
「ダーリン ダーリン ダーリンMy Love」の箇所がやや印象的か。
この頃のアイドルソングとしては珍しく耳障りでない。恐らく曲が私の好みにあっているのだろう。
このように書くと自分の好みも解らないのかと思われるかもしれないが,好き嫌いは解ってもなぜ好きなのかあるいは嫌いなのか理由を分析できないと言う意味だ。
詞に感動する箇所はないし,小泉を見ているだけでハッピーというようなKYON2ファンでもない。結局曲が好みに合うのだろうと考えた。
あなた(2021.4.22)
昭和58年,詞:安麻呂,曲:五木ひろし,唄:五木ひろし
「愛するためにめぐり逢えたのに」と始まる。
しかし,結局は「ひとりぼっちになりました」,「いつか何処かでまためぐり逢えるでしょうか」という状態になってしまう。
一人で淋しく老いてゆく姿がみえるようだ。悟りを開いているようには見えない。
このような人物像がみえるような詞を書くというのは凄いと言えば凄いが,もう少し救いのある詞にしてもよいのではないか。
UNバランス(2014.8.9)
昭和58年,詞:売野雅勇,曲:筒美京平,唄:河合奈保子
「うなじに触れた西風(あき)のせつなさ」と始まる歌。
アイドルの歌だろう。河合の唄はアイドルにしては声もでており上手いほうだと思うのだが耳からは歌詞の内容が伝わってこない。歌詞を読むと意味は伝わるので曲と詞のマッチングが悪いのかも知れない。恐らく詞の内容を唄で伝えようとする意図が少ない曲なのだろう。平成の歌にはこのような歌が多い気がする。おそらくこの歌は平成の歌に向かう過程の歌で,意味が伝わるように歌詞は書いたが,あまり露骨に意味を伝えないように曲と組み合わせたのだろう。
「UNバランス」などという何語か解らないような言葉は好きではない。
家路(2019.12.5)
昭和58年,詞:山川啓介,曲:木森敏之,唄:岩崎宏美
「ワイン・カラーのたそがれは ひとを子供に変えるわ」と始まる歌。
『聖母たちのララバイ』に続く,日本テレビ系『火曜サスペンス劇場』の主題歌第2弾。
歌詞を読んでみると月並みな歌詞のようにも思えるが,岩崎の唄を聴くと淋しさの中に愛が溢れているように聞こえる。詞や曲も悪くはないのだろうが,岩崎が唄ってこその歌だろう。岩崎の唄は一言一言がはっきり聞こえ,同じ詞を唄っても情感がより深く私には感じられる。
「お帰りなさい 私のところへ」「あなたは誰かに 寄り道をしただけ」など,岩崎以外が唄ったら違って聞こえるのではないか。その一番の原因は最後に「あの日のあやまちを」とあることだ。「あやまち」の内容が不明だが,歌手によってこの「あやまち」から想起される内容が異なり,その結果,全体の歌詞の意味や感情などが違って感じ取れるからではないだろうか。
う,ふ,ふ,ふ(2015.4.14)
昭和58年,詞:EPO,曲:EPO,唄:EPO
「うららかすぎる 日ざしのまやかしで」と始まる歌。
今どきの自立した強い女性の歌だと感じる。とはいえキャリヤ・ウーマンではない。
「毎日だれかに 見られることが ビタミンになる」ことから今どきの女性だと感じるのだ。
女性解放運動と,経済力の向上がこのような女性を生んだのだろう。もちろん一部にはこのような女性も昔からいただろうが,大衆のなかにこのような女性が出てきたのだ。トップランナーに引きずられ,大衆も惑わされる。過渡期には自由を謳歌する者もいるが,自由を持て余す者もいる。
過渡期が終われば一億総中流社会は壊れ,自由を失う者が登場する。格差社会の始まりだ。
エスカレーション(2015.7.14)
昭和58年,詞:売野雅勇,曲:筒美京平,唄:河合奈保子
「Wow wow wow 渚はイマジネーション エスカレーション」とのコーラスで始まる歌。本来の歌詞は「胸の鼓動を素肌に感じるくらい」と始まる。
歌詞に関してはもう完全に私とは別世代の歌だ。
曲は好きなタイプのひとつだ。しかし,この詞に共感する世代には曲が古いと感じられるのではないかと心配する。編曲(大村雅朗)で曲の印象が変わるだろうから,曲自体が私の好みにあっているのか編曲があっているのかは判らない。
越冬つばめ(2016.10.14)
昭和58年,詞:石原信一,曲;篠原義彦,唄:森昌子
「娘盛りを無駄にするなと」と始まる歌。
こう言って去って行く男を見送ると、「冬のつばめ」が「ついておいでと啼いている」。「ヒュルリ ヒュルリララ」という詞がこの箇所のメロディーと共に印象的。森昌子の代表曲といって良いだろう。
作曲の篠原義彦は円広志の本名である。
エル・オー・ヴィ・愛・N・G(2018.7.23)
昭和58年,詞:売野雅勇,曲:小田裕一郎,唄:田原俊彦
「I want you baby 知ってるぜ」と始まる歌。
歌詞を読んでみると何となく意味は解りそうな気がするが,聴いただけではこのような歌詞だということが解らない。一つは最初英語から入るので,頭が英語脳になって,聞き取りにくい言葉を何とか英語でとらえようとするからだろう。田原の唄は語尾がはっきりしないように感じる。ステージでの運動量が関係しているのかもしれない。日本語はほとんどの単語が母音で終わるので,最後の母音が短かったり,弱くてよく聞こえず,子音で終わっているように感じると日本語とは感じないのではないか。などと考えて改めてタイトルを見ると,日本語のような形をした英語だ。もっとも,タイトルを日本語で読んで,英米人に意味が伝わるかどうかは不明だが。
歌詞は聞き取れないが,読んでみると私に対するメッセージは何もないようだ。私に伝えたいことが無いから,私に解らなくてもいい,むしろ解らないようにしているのだろう。
大阪ブルース(2016.4.6)
昭和58年,詞:水木かおる,曲:鈴木邦彦,唄:青江三奈
「あんな男と言いながら あんな男が忘られぬ」と始まる歌。
『あっ,青江三奈だ』という唄。まあ,彼女の唄は皆そうだが。
最後に「大阪ブルース」と出てくる以外に大阪らしさはない。言葉も標準語のようだ。
『恍惚のブルース』1)から始まり『伊勢佐木町ブルース』2)や『長崎ブルース』3)など数々のブルースを唄ってきた青江と『東京ブルース』4)や『博多ブルース』5)などの作詞をした水木の組み合わせで,新たな歌を企画したとき,「大阪」はどうだということになったのではないか。『大阪ブルース』5)は過去にもあったが,それほどのヒット曲でもなく,青江も水木も関係していなかったので「大阪ブルース」でいいんじゃないかということになったのではなかろうか。
あるいは,大阪のご当地ソングが欲しいなぁ。ブルースがええんちゃうか。誰に唄わせたらええやろか。そら,青江美奈やろ。作詞は?水木ならいけるんちゃうか。水木って水木しげるか?あほ,水木かおるに決まっとるやろ。などという展開だったのではなかろうか。
1) 「恍惚のブルース」(昭和41年,詞:川内康範,曲:浜口庫之助,唄:青江三奈)
2) 「伊勢佐木町ブルース」(昭和43年,詞:川内康範,曲:鈴木庸一,唄:青江三奈)
3) 「長崎ブルース」(昭和43年,詞:吉川静夫,曲:渡久地政信,唄:青江三奈)
4) 「東京ブルース」(昭和39年,詞:水木かおる,曲:藤原秀行,唄:西田佐知子)
5) 「博多ブルース」(昭和39年,詞:水木かおる,曲:藤原秀行,唄:西田佐知子)
6) 「大阪ブルース」(昭和42年,詞:なかにし礼,曲:吉田正,唄:奈美悦子)
お久しぶりね(2013.11.2)
昭和58年,詞:杉本真人,曲:杉本真人,唄:小柳ルミ子
「お久しぶりねあなたに会うなんて」と始まる歌。
本当に久しぶりに小柳ルミ子の唄を聴いたような気がするが,「少しは私も大人になったでしょう」どころが,『私の城下町』1)の頃と比べると別人だ。「今でもほんとはすきなのと」なんていってるが,本心はどうだかと疑いたくなる。私の勝手だが,やはり『瀬戸の花嫁』2)の時代のほうが好きだ。
1) 「私の城下町」(昭和46年,詞:安井かずみ,曲:平尾昌晃,唄:小柳ルミ子)
2) 「瀬戸の花嫁」(昭和47年,詞:山上路夫,曲:平尾昌晃,唄:小柳ルミ子)
おまえにピタッ!(2024.5.18)
昭和58年,詞:翔,曲:翔,歌:T.C.R.横浜銀蠅R.S.
「ピタッ ピタッ ピタッ! Mr. シンデレラ お前の事さ」と始まる。
「Mr. シンデレラ 男まさりの Mr. シンデレラ おまえのあだ名」ということらしい。
私が,自分ではもう子供ではないと思っていた子供のころなら,きっと好きだったと思うような曲。このような曲に魅かれていた時代もあったが,昭和60年頃はすでにそのような年齢を通り過ぎていた。とはいえ,このような音の中にいると気づかぬうちに身体でリズムをとっていたかもしれない。
同じようなロックでも昭和のロックは歌詞が聞き取りやすいように感じるのは気のせいか,あるいは選曲のせいか。
想い出がいっぱい(2016.12.11)
昭和58年,詞:阿木燿子,曲:鈴木キサブロー,唄:H2O
「古いアルバムの中に 隠れて想い出がいっぱい」と始まる歌。
「大人の階段昇る 君はまだシンデレラさ」の箇所が印象に残る。
男歌のようだが,タイムマシンで過去の自分に会った,あるいは過去の自分を見ているような上から目線というか,保護者目線というか,対等な人間とは見做していないような印象がある歌詞だ。男目線的な歌詞は「少女だったといつの日か想う時がくるのさ」だろうか。俺の良さが解らないとは,お前はまだ子供だ,後で後悔するぞと言いたいのだろうか。
曲はニューミュージックのように感じる。ニューミュージックの定義は知らないのだが。
歌唱はフォークソングが一般的になる前なら素人の唄とされたものだろう。フォーク,GS,アイドルソングが出た後はそのような歌唱が親しみが持てて良いのだろう。デュエットでも,ザ・ピーナッツなどとは違う土俵の上で勝負というより,勝負していない。
オールナイトで朝帰り(2020.3.10)
昭和58年,詞:三浦弘,曲:三浦弘,唄:三浦弘とハニー・シックス
「惚れて惚れられ 惚れられ惚れりゃ どんなブスでも 可愛いものさ」と始まる歌。
「イチャイチャ」「デレデレ」「ドキドキ」「ウキウキ」「ソワソワ」で,「さよなら言えずに オールナイトで朝帰り」と終わる歌。
内容が無い歌だと思うが,このような内容の無さが求められる状況もあるだろう。いつもいつも深刻で重い話題だけでは疲れてしまう。
俺の出番はきっと来る(2017.2.13)
昭和58年,詞:はぞのなな,曲:斎藤正毅,唄:米倉ますみ
最初に一節「花の舞台の幕が開く」とあり,「筋は一本 根性だけは どこの誰にも 負けないが」と始まる歌。
前奏から演歌全開である。
「意地と情けの天びん棒で」と歌詞も古風だが曲も古風で若い人には無視されるだろうが年配の人の一部には,『これこれ こんな歌を待っていた』というような歌だ。
女の港(2017.3.10)
昭和58年,詞:星野哲郎,曲:船村徹,唄:大月みやこ
「口紅が 濃すぎたかしら 着物にすれば よかったかしら」と始まる歌。
港から港へと男を追う女の歌。
さすが星野と船村というべきか,昭和30年代の歌謡曲の雰囲気を十二分に残している。
20年前なら歌謡曲の王道だっただろうが,この時代には一部のマニア向けの歌になっていたのではないか。
悲しみがとまらない(2016.5.29)
昭和58年,詞:康珍化,曲:林哲司,唄:杏里
「I Can't Stop The Loneliness こらえ切れず 悲しみがとまらない」と始まる歌。
友だちに彼を紹介したら彼を奪われたという歌。
この曲の一部には悲しみ・淋しさを感じさせるフレーズもあるが,明るく聞こえるところも少なくなく,この歌詞のシチュエーションに対して全体として曲が明る過ぎるように感じる。詞に関してはこのような料理の仕方もあるかとは思うが,曲はちょっと違うのではないか。
中島みゆきなら同じ素材でもっと私好みに料理してくれたのではないかと思う。
ガラスの林檎(2014.9.21)
昭和58年,詞:松本隆,曲:細野晴臣,唄:松田聖子
「蒼ざめた月が東からのぼるわ」と始まる歌。
松本・細野とくれば私には合わない曲だろうと思いきや,意外に嫌いでない曲になっている。松田の歌唱はまだアイドルの歌唱だが,歌詞は聞き取りやすく嫌いじゃない歌唱だ。
残念ながら自分でカラオケを唄おうとは思わないが最後の繰り返しにもある「ガラスの」の箇所など,なかなかいい。
君に,胸キュン(2017.1.20)
昭和58年,詞:松本隆,曲:YMO,唄:YMO
「君に胸キュンキュン浮気な夏が」と始まる歌。
松本隆は私好みの詞を書くこともあるが,多くは私の好みから外れる。この歌も多くのほうに属している。しかし,若い人には受けるのだろう。
「まなざしのボルテージ 熱くしながら」・・・『ボルテージは電圧の単位だから高くしながらだろう?』,「愛してるって」・・・『恋してるっての間違いじゃないか?』などとツッコミたくなる私などはリスナーとしてのターゲットに入っていないのだろう。
「胸キュン」って何だ?と思っているうちにこの言葉は市民権を得たようだ。『キュンキュン』などという擬態語?も認知されている。これ以前に「キュン」という言葉はあまり使われていなかったように思う。『キョン』ならばこまわりくん1)が『八丈島のきょん』を紹介していたし,『KYON2』と呼ばれた小泉今日子のデビューは昭和57年だ。
曲というか,唄にも魅かれない。編曲にもよるのだろうが。
化粧品のCMに使われた。
1)「がきデカ」(山上たつひこ,「週刊少年チャンピオン」昭和49年〜平成2年)の主人公。
君に胸キュン(2019.11.5)
昭和58年,詞:松本隆,曲:細野晴臣,唄:イエロー・マジック・オーケストラ
「君に胸キュンキュン 浮気な夏が ぼくの肩に手をかけて」と始まる歌。
テクノ歌謡というジャンルがあるなら,その草分けがYMOかもしれない。私は好きになれないが,このような歌もあったという記録だ。オリコン2位,ザ・ベスト・テンでは3位が最高位だから世間からはそれなりに評価されているのだろう。私が新しいものについて行けないということなのかもしれない。
CAT’S EYE(2020.1.4)
昭和58年,詞:三浦徳子,曲:小田裕一朗,唄:杏里
「都会(まち)はきらめく passion fruit ウインクしてる everynight」と始まる歌。
「見つめる Cat’s Eye magic play is dancing」とか「妖しくCat’s Eye magic play is dancing」とか同様なフレーズが何回も繰り返され印象に残る。
日本テレビ系アニメ『キャッツアイ』のオープニングテーマ曲。
アニメの視聴者が歌詞を理解したかどうか疑わしいが(私は聴いただけでは理解できなかった),「キャッツ アイ」という言葉は耳に残り,斬新でカッコいいアニメ・ソングだという印象だった。私には歌詞の意味など重要ではなかった。
三浦と小田は松田聖子の歌を沢山作っているという印象を持っているが,この歌のようなのも作るのかとやや驚きだ。
禁区(2020.2.1)
昭和58年,詞:売野雅勇,曲:細野晴臣,唄:中森明菜
「私からサヨナラしなければ この恋は終わらないのね」と始まる歌。
「私からサヨナラを 言わせるつもり・・・・それはちょっとできない相談ね」という歌だが,私には表面的な事象しか理解できない。表面的な理解からは,どっちもどっち,それぞれご勝手にという感想だ。
それにしても,日本人はいつからこんなに卑怯になったのだろう。戦後しばらくは『こんな女に誰がした』などというような例外もなくはなかったが,多くは『みんな私がわるいのよ』と言っていたように思う。もはや戦後ではないと言われるようになって,責任回避の言辞が増え,『他人が悪い』と言いだしたように感じる。
ギザギザハートの子守唄(2012.1.22)
昭和58年,詞:康珍化,曲:芹澤廣明,唄:チェッカーズ
「ちっちゃな頃から悪ガキで」で始まりサビの部分は「あぁわかってくれとは言わないがそんなに俺が悪いのか・・・」となる。歌詞では仲間がバイクで死んだらしいが,いくらガードレールに花を飾っても戻ってくることはない。
昔から悪ガキ振ってみたいというのはあるのだろう。江戸時代を背景とした時代劇ですらそのような若者がでてくることがある。これは時代劇が現代の問題について時代設定を変えて劇化しているという面もあるのだろうが,室町時代以前を背景とした時代劇ではこのような若者はあまり出てこないようだ。悪ガキ振っていることが続くと本物のワルになる。できるだけ早く悪ガキ振ることから卒業すべきだ。
近年の問題は,悪ガキ振るという意識が無いまま,即ち,自分の行為が悪いことだと認識せずに悪業を行う輩が増えてきたことのように思う。他人に迷惑をかけておきながらその意識がない人間が増えているように思う。それに,程度・限度というものを知らない者が増えているようだ。
子供の頃の集団での遊びが減り,他人の痛みが解らなくなっているのではないか。また,読書量が減り擬似体験もゲームだけで,知識・情操とも十分に育まれていないのではないか。
この年,任天堂から「ファミリーコンピュータ」が発売された。読書時間がますます短くなると同時に,何でもリセット可能という考えが広まってきたのではないか。やり直しが効かないものもあるのに。
ギャランドゥ(2018.5.20)
昭和58年,詞:もんたよしのり,曲:もんたよしのり,唄:西城秀樹
「くやしいけれど お前に夢中 ギャランドゥ ギャランドゥ」と始まる歌。
秀樹の歌唱までもんたの歌唱に似ている。『傷だらけのローラ』1)などに比べると喉を絞って発声しているように感じる。秀樹レベルでも作曲者による歌唱指導があるのだろうか。
「ギャランドゥ」に関しては発売当初から質問が殺到したらしいが,作詞者は(架空の)女性の名だと言っているらしい。
第25回日本レコード大賞金賞。
1)「傷だらけのローラ」(昭和49年,詞:さいとう大三,曲:馬解野康二,唄:西城秀樹)
クリスマス・イブ(2016.12.24)
昭和58年,詞:山下達郎,曲:山下達郎,唄:山下達郎
「雨は夜更け過ぎに 雪へと変わるだろう」と始まる歌。
「きっと君は来ない ひとりきりのクリスマス・イブ」,「まだ消え残る 君への想い」という歌。
昭和63年にJR東海のCMで使われてヒットした。
私はキリスト教系の幼稚園に通ったとはいえ,弟は神道系の幼稚園に通い,どちらも信者だったからという訳ではない。単にその当時住んでいたところから近かったというに過ぎない。
もちろん,私は幼稚園で正しい?クリスマスの知識を学んではいたが,実感としてはサンタクロースの日という認識だったように思う。
高度成長期には,クリスマスも関係なく仕事?をしていたように思う。年末の仕事?のひとつが職場の忘年会だ。クリスマス・イブの夜には山と積まれたクリスマス・ケーキを買って家路を急ぐほろ酔いサラリーマンのイメージがある。職場の付き合いも外せないが,それでもなんとか早く帰って家庭でクリスマスを楽しむという状況だった。
それが昭和末期になると,クリスマスは恋人と二人きりで過ごす日になっていった。忘年会の幹事も,クリスマスを外して予定を組むようになる。そのような時代の歌だ。
これは,個人の自由意志尊重ということで恋愛結婚が多くなってきた時期と一致しているようだ。これまでは周囲から見てそれなりの組み合わせでお見合いをして,結婚に積極的な者も消極的な者も破れ鍋なら綴じ蓋と一緒にさせられてきた。それが自由競争となり,結果は弱肉強食の時代に入った。自分が破れ鍋だと自己評価できないので,綴じ蓋では我慢できないのかもしれない。勝ち組と負け組が分離しだすのがこの頃だろう。
後に,経済的にもグローバリゼーションと歯止めなき新自由主義により勝ち組と負け組の二極化が進行する。
勝ち組はルールに基づいての競争の結果だという。
私が麻雀をしたのは人生のうちで短い期間だけである。しかし,その短い期間でも麻雀のルールは何度も変化した。同じメンバ−でもルールにより結果の浮き沈みの幅は異なる。全メンバーに同じルールを適用しても結果が公平になるとは限らない。強い者がより多く勝つルールも存在するのだ。
GOOD-BYE青春(2018.10.9)
昭和58年,詞:秋元康,曲:長渕剛,唄:長渕剛
「GOOD-BYE青春 いい事なんかなかった季節に」と始まる歌。
『青春時代が夢なんて あとからほのぼの思うもの』1)は真理だろう。この歌は『青春時代のまん中は 道にまよっているばかり』1)ということを別の表現で表している。
おにゃん子系の秋元の詞には私が疑問に思う詞も少なくないが,このような詞を書くこともあるのかと驚いた。長渕の曲も,ノーブレス(ワンブレス?)で多くの言葉を一気に唄い,青春のフラストレーションがよく表れている。なにより,秋元・長渕のコンビでこのような歌ができたということが驚きだが,二人にとってはその才能の一部を出しただけで,とりたてて何かいうほどのことはないのだろう。
とはいえ,私が自分で唄うにはこの歌は感覚が新しすぎる。
1) 「青春時代」(昭和51年,詞:阿久悠,曲:森田公一,唄:森田公一とトップギャラン)
恋はご多忙申し上げます(2018.8.14)
昭和58年,詞:桑田佳祐,曲:桑田佳祐,唄:原由子
「夏の終りはいつでも 気がかりなまま 秋の色かな」と始まる歌。
歌詞の意味が十分伝わるとは言えないが,雰囲気は伝わってきて聴いていて感じは良い。私の英語力不足もあるのだろうが,英語の箇所の多くが真意を理解できない。日本語?の箇所ですら,「愛・視点・ルール」と意味不明だが,『愛してる』というような雰囲気は伝わって来る。個々の単語を分析的に理解しようとせず,雰囲気を感じるための歌なのだろう。
恋吹雪(2018.9.10)
昭和58年,詞:吉岡治,曲:市川昭介,唄:大川栄策
「あなたが浴びる湯の音が せせらぎみたいに聴こえます」と始まる歌。
詞も曲も唄い方も『さざんかの宿』1)と極めて似ていると感じる。前曲のヒットを承け,二匹目の泥鰌を狙ったのだろう。泥鰌は獲れたようだが一匹目よりは小さかったようだ。
それにしても違う歌なのにこのように似せられるという関係者の技術に驚くが,あまりにも似すぎていて新鮮味が感じられないというところか。
1)「さざんかの宿」(昭和57年,詞:吉岡治,曲:市川昭介,唄:大川栄策)
細雪(2014.4.16)
昭和58年,詞:吉岡治,曲:市川昭介,唄:五木ひろし
「泣いてあなたの背中に投げた」と始まる歌で第25回日本レコード大賞特別金賞。
大ヒット曲がでてもその後唄い方が変わっていく歌手が多い。五木に関しては私は昭和40年代後半の唄い方が好みだ。
昭和58年,この前後音楽を聴くのはカーラジオくらいだった。私が聴いていた番組ではこの曲はあまりかからなかったように思う。何度も聴いたことがある曲ではない。
Summer Suspicion(2015.5.16)
昭和58年,詞:康珍化,曲:林哲司,唄:杉山清貴&オメガトライブ
「なぜ外したのさ 僕があげた銀の指輪」と始まる歌。
女に捨てられる男の歌なのだろうか。大人の男とは思えない歌。
親たちが戦後の苦しい時期を懸命に育てたことにより,苦労知らずに育ち,読書もしないので種々の疑似体験もない。精神的に大人になっていない男の歌ではなかろうか。
サマー・サスピション(2019.8.29)
昭和58年,詞:康珍化,曲:林哲司,唄:杉山清貴&オメガトライブ
「なぜ外したのさ 僕があげた 銀の指輪いつ」と始まる歌。
「ハンドル持つ細い肩が震えてたね」とドライブの回想だ。「僕と誰をくらべてるの つのるジェラシーに灼かれて」と誰か新しい相手ができたに違いないと思い込んでいるようだが「君はまつげぬらしながら」と気付いたなら,もっと涙の意味を考えるべきではないか。
昔は『涙は女の武器』と言われた時代もあった。女性の力が強くなっていくに従ってこのような言葉はすたれて行った。うそ泣き○○との異名があった有名歌手の時代がこの言葉が生きていた最後の時代ではなかろうか。その後,人前で泣く男が増えたようにも感じる。
「愛の迷路へとアクセル」と間違った道に入り込もうとしていると思い込んでいるようだが,涙はよくよく考えた上の結果であることを示しているように思う。この男は頭に血が上り,自分のことは冷静に観察できていないようだし,相手の事情を考えることもないようだ。要するに自己中の子供なので,大人の自分としては一緒にはやっていけないから,心は残るけれど別れようというのではないか。
「夏が来て 愛はひびわれる」というのは珍しい。夏に始まり秋に終わる愛の歌は沢山がるが。
さらば・・夏(2019.8.4)
昭和58年,詞:岩谷時子,曲;Paul Anka,唄:田原俊彦
「美しい夏の日をありがとう」と始まる歌。
俊ちゃんと言えば踊って唄うアイドルだが,ダンスに比べて唄の評価は低かったように思う。しかし,この歌を聴く限り,他のアイドルと同等に唄っている。唄い易そうには聞こえない歌なのに,きちんと唄っているように私には聞こえる。他の唄の中には私が聞いても評判どおりの唄もあるので,この歌は俊ちゃんに合っているのかも知れない。このような発声は音楽学校では教えていないのではとは思うが,アイドルなので個性ととらえるべきなのだろう。
詞の内容に関しては気にしないことにしよう。アイドルに唄わせるためにとりあえず書いたという印象で,深い思いというのは感じられないが。
Sing a Song(2014.11.4)
昭和58年,詞:松山千春,曲:松山千春,唄:松山千春
「心の中はのぞけないのなら あふれる愛はこの唄」と始まる唄。「Sing a Song」と何度も繰り返される。某清涼飲料水のイメージソングである。
メロディーは悪くないが私には歌詞が理解できない。唄っているだけではだめじゃないかと思うのだが。唄って暮らせる豊かな時代の歌なのだろうか。
シャワーな気分(2019.4.22)
昭和58年,詞:三浦徳子,曲:筒美京平,唄:田原俊彦
「だけ だけ きみだけが好き」と始まる歌。
感じるのは軽薄な歌だということだけだ。振り付けもどこがいいのかと思うが,いいと思う人たちにはいいのだろう。私にはそのような人たちの気持ちが理解できない。
私とは別世界の歌だから私がとやかく言うことはない。
Sweet Memories(2015.8.11)
昭和58年,詞:松本隆,曲:大村雅朗,唄:松田聖子
「なつかしい痛みだわ」と始まる歌。
松本隆は多くのヒット曲を作詞している作詞家だが,その作品の多くが私の感性に合わない。理解できないのだ。多作な作詞家は何人もいるが,私が理解できるのは阿久悠くらいまでだろうか。
元彼と会っている歌なのではないかと想像するのだが,松田聖子,あるいは一般に世の中の女性の心の内面はこのようなものなのだろうか。あるいは元カノに会って冷たくされ,きっと彼女はこう思っているに違いないという男性の願望を歌ったものなのだろうか。後者だとすればあまりにお気楽過ぎる。私にはどちらも違っているように感じられ,それじゃあ何だと問われると,解らないとしか答えようがない。
歌詞の一部が英語になっているのも私の好みではない。
すこしだけやさしく(2019.6.14)
昭和58年,詞:松本隆,曲:大瀧詠一,唄:薬師丸ひろ子
「少しだけ優しくしてあげる もしも心にけがをしたなら」と始まる歌。
『探偵物語』1)のB面曲。映画の主題歌でなければこちらをA面にした方が良いのではないかと思うほどの曲。『探偵物語』のほうが複雑な女性っぽく,『すこしだけやさしく』のほうはとにかく明るい。前者の方が影を感じるので『探偵』にふさわしいと考えられたのだろう。後者は,歌詞だけでいえば明るいだけの歌詞ではないかもしれないが,薬師丸の唄が内面からの明るさが溢れ出ている。
松本も,このように解りやすい詞を書いていればもっと好きになれるだろうが。
そんなヒロシに騙されて(2013.12.13)
昭和58年,詞:桑田佳祐,曲:桑田佳祐,唄:高田みづえ
「おまえが好きだと耳元でいった」と始まる歌。もとはサザン・オールスターズの歌らしい。私はサザンはほとんど聴かないのでサザンが唄ったのは知らない。発表年は同じ年である。桑田の曲だと思って聴けば,好きなほうだろうが,高田みづえの歌としては『硝子坂』のほうが好きだ。
米国で一時一緒に仕事をしていた中国人が高田みづえを絶賛していた。ルックスをである。彼の日本に関する知識は,『おしん』・『一休さん』。あとは『山口百恵』を知っていた。歌では『北国の春』の中国語版を知っていた。私は彼に日本語を教え,彼からは中国語を教えてもらっていた。
ZOKKON命(2016.8.12)
昭和58年,詞:森雪之丞,曲:水谷公生,唄:シブがき隊
「あの娘いわゆるつまみぐいさ(Baby泣くな)」と始まる歌。
タイトルはゾッコン・ラブと読ませるらしい。第25回日本レコード大賞・ゴールデン・アイドル賞受賞。ではあるが,私の好みに合う部分が全く無い歌。レコ大も私から遠く離れてしまった。
ためいきロ・カ・ビ・リー(2019.5.18)
昭和58年,詞:松本隆,曲:筒美京平,唄:近藤真彦
「ギラリ熱いぜ 太陽のリズム」と始まる歌。
曲はまあまあ。私がイメージするロカビリーは日劇ウエスタンカーニバルに出演していたロカビリー三人男1)だ。このイメージと少し違うが,リズムは当然ロックだし,メロディーラインは筒美が作ればこんな風になるのかもと納得できる。
詞は私の好みではない。最も気になるのが挿入されている英語だ。普段から会話の中に英語を交えるのを聞くと好印象を受けないのだが,なぜ会話に英語を交える人がいるのだろうか。英語が恰好いいと思っているのかも知れないが私にはとてもそうは思えない。
また,「熱いぜ」とか「ベルが鳴るぜ」というのはどの地方の言葉か知らないが,私の周囲にこのような言葉を使う人間はいたことが無いので親しみが持てない。
あとは単語と単語の繋がりが私には不自然に感じられる。これは作詞者の意図的な用法かもしれないのだが,私には違和感しか残らない。
唄はマッチの雰囲気が十分でており,マッチファンには楽しめるのだろうが,私には合わない。
1)平尾昌晃,ミッキー・カーチス,山下敬二郎
探偵物語(2014.5.26)
昭和58年,詞:松本隆,曲:大瀧詠一,唄:薬師丸ひろ子
「あんなに激しい潮騒が」と始まる唄。
「夢で叫んだように」からが私にとっては薬師丸ひろ子らしく聞こえる。この歌の一番の特徴は「きっと・・・・」の箇所だろう。大瀧の曲はあまり聴いていなくてファンには申し訳ないのだが,ボソボソと何か唄っていたかと思うと印象的なサビが現れ,リズムが変わる箇所が特に印象的という曲が多いような気がする。曲としての抑揚が目立つ曲だと思う。曲の展開を聴く者に予想させないという意図を持っているようにも感じられるが,イージーリスニングとして聴くには,『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』のドラマのような偉大なるワンパターンのほうが私の好みだ。私の感性の芸術性が低いのかもしれない。
だんな様(2016.7.7)
昭和58年,詞:鳥井実,曲:岡千秋,唄:三船和子
「つらい時ほど心のなかで 苦労みせずにかくしていたい」と始まる歌。
「私の大事なだんな様」と何度も繰り返されるのでその部分だけ自然に覚えてしまう。
「男らしさに涙が出ます」の箇所ではどのような「男らしさ」かが解らないので好みか好みでないかもわからない。ということは私はこの歌に関心が薄いということだ。
天国のキッス(2015.6.15)
昭和58年,詞:松本隆,曲:細野晴臣,唄:松田聖子
「Kiss in blue heavenもっと遠くに」とのイントロから始まる。1番の歌詞,2番の歌詞という風に分けるとすれば,1番は「ビーズの波を空に飛ばして」と始まるのだろう。
松本の詞は場所がわからない詞が多いような気がするが,この詞でも具体的な場所は想像できない。ただ,歌詞の中に「おしえて ここは何処?」とあり,この歌では解らないことが本質であることが解る。
細野の曲は平凡に聞こえる。もちろんけなしているのではなく,私が言葉を知らないから平凡と記したが,このような曲のほうが私は好きだ。なんとなく,細野は私がついていけない奇想天外な曲を書くというイメージがあったのだが。ただ,低音域は松田の声の良さが生かされていないように感じる。伸びのある高音をもっと聴きたい。
時をかける少女(2014.12.16)
昭和58年,詞:松任谷由美,曲:松任谷由美,唄:原田知世
「あなた私のもとから突然消えたりしないでね」と始まる歌。
歌声は幼い。原田知世は歌手というよりアイドル,アイドルの中でも映画系のアイドルだろう。薬師丸ひろ子や渡辺典子と共に角川映画の印象が強い。
歌声が幼いにも関わらず,詞には大人の香が漂う。このような幼い声の主なら使わないだろう言葉が随所に現れる。思わず松任谷の自分の言葉が詞に入ったのか,あるいは意図的に使って「時をかける」ことを表そうとしたのか解らない。
曲は松任谷ワールドの曲だ。昔の歌謡曲やフォーク・ソングに馴染んだ耳には新鮮な違和感を覚える音の跳躍がある。聴き慣れるとこの音の跳躍が松任谷の魅力になっている。
トワイライト−夕暮れ便り−(2019.3.26)
昭和58年,詞:来生えつこ,曲:来生たかお,唄:中森明菜
「こめかみには夕陽のうず てりかえす海 太陽にそまる」とはじまる歌。
「元気です 一行だけ したためて ポストへ落とす」。これだけで「感じますか 届きますか このたそがれと 恋ごころまでも」と言っているが,これだけでは届かないだろう。これだけで想いが届くと考えるのは中森明菜らしくない。この一行だけでは不十分だと思いもっと書き足すだろう。
曲も優しすぎる気がする。要するに来生姉弟はメルヘンチックで優しすぎ,詞・曲共に中森明菜には合わないのではないか。
夏色のナンシー(2013.7.28)
昭和58年,詞:三浦徳子,曲:筒美京平,唄:早見優
「恋かな Yes! 恋じゃない Yes!」と始まる歌。
ある清涼飲料水のイメージソングで歌詞には英語も混じる。早見優はバイリンギャルであり,英語の詞もそれほど気にならない。私の中で,歌手・アイドル歌手・アイドルと分類するならアイドルである。もっとも印象に残っているのが「Yes!」の箇所だ。
早見優は『花の82年組』1)の一人であるが,その中で歌をメインの活動の場としたのは中森明菜だろうか。
私にとってこの清涼飲料水のCMソングでのベストは『スカッとさわやか・・・・』2)という歌である。音楽的評価は判らないが,商品名のインパクトが十分に強い。
1) 他に松本伊代,堀ちえみ,小泉今日子,三田寛子,石川秀美など
2) 「コカ・コーラの歌」(詞:中村和夫,曲:宮崎尚志,)歌唄は時代によってスリーバブルズ,ピンキーとキラーズ,クレイジーケンバンド,倖田來未など。
浪花恋しぐれ(2013.1.28)
昭和58年,詞:たかたかし,曲:岡千秋,唄:都はるみ・岡千秋
「芸のためなら女房も泣かす」と岡が唄う。1番を唄い終わり,「そりゃわいはアホや・・・酒買うてこい!」と台詞まで言い切った後が都はるみの出番だ。はるみの2番の後にも台詞がある。「・・・遊びなはれ酒ものみなはれ・・・」。春団治の歌である。当然,初代桂春団時と呼ばれている明治10年生まれの上方落語家のことであろう。
春団治語録のなかに『自分の金で酒呑むようでは芸人の恥』というのがあるらしい。この歌の台詞で「酒買うてこい!」というのと矛盾するようだが,どちらも十分ありうることだと思う。何しろ破天荒な人物だったらしい。大阪弁でいう「やたけた」「ごがりん」「すかたん」全てがあてはまる人物だったとWikipediaにある。
なぜこの年にこの歌がヒットしたのかはわからない。春団治は昭和19年に胃癌で亡くなっている。本人は苦しみながらも『わいも依願免官やなあ』などと言っていたらしい。死語39年なので没後40年という記念なのだろうか。生誕だと105年ということになるが。
岡を始めてテレビで観たときには,春団治というより阪田三吉1)に近いと感じた。もちろん私はどちらも知らないのだが,ただ何となく感じたということだ。
1) 坂田三吉とも。棋士。『王将』のモデル。
1/2の神話(2019.2.26)
昭和58年,詞:売野雅勇,曲:大沢誉志幸,唄:中森明菜
「秘密だと念おされ あなたにうなずけば」と始まる歌。
最後の「いいかげんにして」というのが印象に残る。
とはいえ,他にはあまり印象が無い。詞は散文的に感じる。おまけに自分のことを「純ね」などと言っているところも好きになれない。さらに,声を抑えてうたっている箇所は伴奏に負けて何といっているのかよく聞き取れない。
結局,全体としては私の記憶に残らない歌になっている。
紐育物語(2016.9.12)
昭和58年,詞:松本隆,曲:細野晴臣,唄:森進一
「スーツ・ケースに腰をおろして マイアミゆきのバスを待つのさ」と始まる歌。
これより少し後,私はニューヨークで仕事をしていた。職場はマンハッタンのアップタウンにあった。赴任前に日本で買ったマンハッタンの観光地図にはセントラルパーク以北の記載がなかった。旅行者が行くべきところではないとされていたようだ。そのような地で,地べたを這うような生活をしているとこの歌詞のように「摩天楼に灯がともる」などのような感想は持てない。そもそも上を見上げて摩天楼などと思わない。摩天楼を感じるのはマンハッタン上空を飛ぶ飛行機から見下ろすときか,ハドソン川対岸のニュージャージーから眺めるときくらいだ。マンハッタンの中でも高層にあるホテルの窓からでも眺めれば摩天楼を感じるのかもしれない。蟻には巣の近くにある住宅が平屋か2階建かなど関係ないのではないか。
マイアミに行くなら普通は飛行機だと思うが,バスを選択しているようだ。私も時間があればバスや列車を選択するかも知れないが,1800kmほどあり,これは東京・沖縄間よりも遠く,かなり遠い。
歌詞に共感する箇所はない。曲も演歌とは程遠い。
初恋(2012.12.1)
昭和58年,詞:村下孝蔵,曲:村下孝蔵,唄:村下孝蔵
「五月雨は緑色」と突然何を言い出すのかといぶかりたくなる出だしの歌。「好きだよと言えずに初恋は」が繰り返され,「遠くで僕はいつでも君を探してた」も繰り返される。
『First Love is Puppy Love.』という言葉を何かで読んだことがあるが,First LoveとPuppy Loveを区別するとすればこの歌はPuppy Loveの歌のように思う。日本語の『初恋』は意味が広いのでどちらでも良いが。と書いたところで嘘を書いていないか不安になったので,新解さん1)に尋ねてみると『初恋:少年少女時代の,うたかたと消えた恋』とのことである。成就したものは初恋とは言わないようだ。
なるほど『うたかた』か。だから『かつ消えかつ結びて久しくとゞまりたる例なし』2)なのか。納得納得。『ひとつ消えてもまたできる』3)のは『世中にある人と栖とまたかくのごとし』2)というわけか。
いすれにせよ,初恋は後から思い出すものだ。そして,思い出すときは淋しいときだ。と思うのだが,それにしてはこの曲は元気が良い。もう少しノスタルジックな曲にしても良かったのではないかと思うが自分ではとてもできないので他人の歌を聴くしかない。
1) 新明解国語辞典:(三省堂)ここで引用したのは第5版。金田一京助の名が記されているがこの項目の執筆は彼ではないだろう。昭和18年に金田一京助明快国語辞典というのが出版されている。その新版ということで金田一の名がつけられているのだろう。昭和47年に山田忠雄を主幹編者として新明解国語辞典として内容を一新したものが出版された。従って,山田忠雄他編:金田一京助新明解国語辞典とすべきものかも知れない。
2) 鴨長明:「方丈記」(建歴2年)
3) 「恋は神代の昔から」(昭和37年,詞:星野哲郎,曲:市川昭介,唄:畠山みどり)
春なのに(2012.8.9)
昭和58年,詞:中島みゆき,曲:中島みゆき:唄:柏原芳惠
「春なのにお別れですか」に続いて「春なのに」が何度も繰り返されるのが印象的。
「会えなくなるねと」いわれて「卒業だけが理由でしょうか」と相手の言葉を深読みしてしまう中島みゆきらしい詞だが,彼女にしては,悲しみの表現が抑制された詞のひとつだ。抑制はいいのだが,メロディーまで抑制されてしまい,前半の歌詞がよく聞き取れない。言いたいことがはっきり言えない心の動きをメロディーで表しているのかも知れないが,年寄りにはボソボソと何を言っているのか聞こえず,せっかくの歌詞が生きていないように思う。出だしの音が柏原芳恵には少し低すぎるのかもしれない。
「記念にくださいボタンをひとつ」は精一杯の心の叫びなのだろう。このあたりから詞がはっきり聞こえ始める。「春なのに 春なのに ため息 またひとつ」
春は別れの季節だから,春だから 春だから ため息 またひとつ ではないかと思うのだが。春は出会いの季節でもある。想い出を胸にしまえば,新しい青春が再び始まる。
半分少女(2022.2.22)
昭和58年,詞:橋本淳,曲:筒美京平,唄:小泉今日子
「あー 私のココロは 悲しくしく 泣いてるわ」と始まる。
「ゆうべはゴメンね おびえてしまったのよ」
「私をわかってくれない男の子 愛する人には 案外 臆病なの」というわけで「明日も少女ね 半分少女なのね」という歌。時代は変化しつつある。
この歌とは無関係だが,この年の流行語として『おしん,家康,隆の里』というのがある。3人とも長く辛抱した後に成功した。
瞳はダイアモンド(2013.3.29)
昭和58年,詞:松本隆,曲:呉田軽穂,唄:松田聖子
「愛したって言わないで・・・」とワンフレーズあったのち「映画色の街」と始まる。
松本隆の詞には私好みの詞もあるが,どちらかというと好みから外れるほうの詞が多いように思う。もちろんこの歌はヒット曲で世間の人々からは支持されている歌だ。私の感性が変わったというより,世の中が変わり,私が世の中についていけていないのだろう。
この詞では瞳や心や涙をダイアモンドにたとえられている。ダイアモンドは高貴ではあるが,硬く冷たいという印象を持っている。
この年,任天堂がファミリーコンピュータの発売を開始した
秘密の花園(2019.1.2)
昭和58年,詞:松本隆,曲:呉田軽穂,唄:松田聖子
「月灯り青い岬に ママの眼をぬすんできたわ」と始まる歌。
私にはプラス評価できる点が一つもない歌。良い歌も唄っているのだが,松田聖子に対する私の評価が上がらないのは,このような歌を唄うことにもある。まあ,彼女や関連スタッフは私の評価など気にしないだろうが。
何と言っても好みの問題なので彼女のファンからは私の耳?は節穴と思われても仕方ない。
ピエロ(2015.1.29)
昭和58年,詞:来生えつこ,曲:網倉一也,唄:田原俊彦
「グレーに煙った海を見て」と始まる歌。失恋の歌である。失恋の歌をこのようなメロディーにのせるのはどうかと思うが,田原の場合,唄で聴かせるというより,ダンスで魅せるということもあるのでこのようなリズムになったのではないか。
失恋の悲しみには演歌が合うと思う。もちろんロックで表現することもできる。どんなジャンルの音楽でも悲しみを表現できるだろう。しかし田原には失恋の悲しみは似合わない。来生は軽い恋愛ごっこの失敗の一つとして詞を書き,綱倉は遊びとしての恋愛ゲームの失敗として曲を書いたのではなかろうか。
ピエロの失恋の歌ならば『悲しきクラウン』1)に軍配を上げたい。
1)「悲しきクラウン」:原曲は『King of Clowns』(昭和37年,詞:Howard Greenfield,曲:Neil Sedaka,唄:Neil Sedaka)。伊東ゆかりをはじめとして何人かの歌手が和訳を唄っていたが詳細の記録が見つからない。
釜山港へ帰れ(2011.11.2)
昭和58年,詞:黄善友,曲:黄善友,唄:渥美二郎
「つばき咲く春なのにあなたは帰らない」で始まるK演歌である。元は兄弟の話らしいが日本語の歌詞は男女の話だろう。
上手く唄うのはいろいろあるのだろうが,とりあえずは唄っている途中で歌詞が余ったりすることがない唄いやすい歌である。
「トラワヨプサンハンへ逢いたいあなた」
Hey! Bep-pin(2020.10.16)
昭和58年,詞:森雪之丞,曲:後藤次利,唄:シブがき隊
「キスまで行けたら Gameは延長」と始まる。
「イカした女をモノにできなきゃ 男に生まれた意味がないのさ」という歌。
このような歌を唄うグループがアイドルになるのか,アイドルにこのような歌を唄わせるのか知らないが,そのような時代だ。
もっとも,中大兄皇子に『香具山は 畝傍雄雄しと 耳梨と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古も 然にあれこそ うつせみも 妻を 争うらしき』という歌がある。神代の昔から女性をとりあったのだから,このような歌があっても何の不思議もないか。
僕笑っちゃいます(2015.11.30)
昭和58年,詞:欽ちゃんバンド,曲:吉田拓郎,唄:風見慎吾
「電車の扉が閉まる瞬間 急に君だけ跳び下りたんだ」と始まる歌。
「僕僕笑っちゃいます・・・君の笑顔を 勝手に恋だときめてたなんて」と,失恋ソングだろう。激しい踊りはよくあれで唄える・・・唄えていないと評することもできるかも・・・と思うほどで,歌詞は失恋ソングだが,曲と唄は詞に合わないように思う。
ボディ・スペシャル・II(BODY SPECIAL II)(2018.12.5)
昭和58年,詞:桑田佳祐,曲:桑田佳祐,唄:サザンオールスターズ
「燃える君が妙にSexyで」と始まる歌。
曲は悪くないが詞が全く耳に残らない。
恐らくはわざと解らないように唄っているのだろう。裏(?)の意味を知っている仲間内だけが楽しもうという自分たちのための歌なのではないか。
ボヘミアン(2012.10.5)
昭和58年,詞:飛鳥涼,曲:井上大輔,唄:葛城ユキ
「ボヘミアン破れかけのタロット投げて」という歌だが・・・。曲と歌唱は昭和の歌だが飛鳥の詞は平成の詞に入りかけている。というのは私にとって詞はいまひとつだが,曲や歌唱は好きだということを意味する。
「また来る」の言葉残して立ち去った男の行方を占う女の歌だが,陳腐な状況を場面を変えて表現してみただけで内容は特に無いように感じる。葛城の歌唱は独特で,詞で設定された状況とあっているかどうかは別として,この種の歌の歌唱法としては斬新な手法で唄っており,なかなか良い。
待ちわびて(2017.4.5)
昭和58年,詞:水木れいじ,曲:浜圭介,唄:日野美歌
「あなたのやさしい腕まくら あれは遠い夢ですか」と始まる歌。
昭和40年,いや50年以前の歌謡曲では詞の一音一音を比較的長く唄っていた。もちろん『あなたに抱かれてわたしは蝶になる』1)などの例外はあったが。それが昭和60年を経て平成になるころから早口で唄う歌が増えたように思う。
この歌でも,最初の「あなたのやさしい」がかなり早口に聞こえる。途中からは従来の歌謡曲のペースになるので,これは移行期の歌ということなのだろうか。
1)「白い蝶のサンバ」(昭和45年,詞:阿久悠,曲:井上かつお,唄:森山加代子)
まっ赤な女の子(2023.6.5)
昭和58年,詞:康珍化,曲:筒美京平,唄:小泉今日子
「ちりちり ジリジリ Fallin Love In Summertime」というイントロのようなコーラスから入り,歌らしいのは「ぬれたTシャツ ドッキリ」と始まる。
「ストレートに あなたのことが好き」という歌らしいのだが,「浮気フワリ」「サーフボードの彼に ウインクして ついて行けるかしら」などと駆け引きを見せるなど「ストレート」でないところも見せている。
要するに,一途にあなたが好きという歌ではなく,随所に文学的修辞?を施したお遊びソングなのだろう。文学的修辞に?を付けたのは,そのような評価が正しいのかどうかよく解らないからだが,具体的には対句,縁語,脚韻などが使われているように思う。
真夏の一秒(2018.11.6)
昭和58年,詞:伊達歩,曲:後藤次利,唄:近藤真彦
「ブービーLADYお前だけ ブービーLADYはなさない」と始まる歌。
最初の「ブービーLADY」から,何のことか解らないので全体もよく解らない。LADYとわざわざ英語で書いているということは日本でオフィス・レディ,セールス・レディなととかって使われた日本語ではないことを強調しているのではと思うと,その後の歌詞は本来のLadyとは馴染みそうもない。そのまえの「ブービー」も私にはブービー賞のブービーしか思い浮かばない。世が世なら子爵令嬢だったということか。
他にも詞中でアルファベットで書かれている言葉が理解できない。いろんな言葉の中からその言葉を選んだ理由が,その言葉の意味が最適だからという理由ではないのではないか。
心の底から聴き手に伝えたいという内容がなく,その場・その瞬間の気分で思いついた言葉をそのまま並べているように感じてしまう。
ミッドナイト・ステーション(2015.3.7)
昭和58年,詞:松本隆,曲:筒美京平,唄:近藤真彦
「弾丸みたいにぶっとばすのさ」と始まる歌。
アイドルソングだろう。マッチが唄うからこそ人気がでる。
そもそも詞が理解できない。「ヘアピン・ロード」を「弾丸みたいにぶっとばす」ことができるのだろうか。ヘアピンカーブを回っているのを見て弾丸みたいと形容できるのだろうか。「青い瞳」「透き通る肌」から生じるイメージと「ビロードの髪」とがしっくりこない。私はこの詞の世界では異邦人だ。
め組のひと(2013.9.16)
昭和58年,詞:麻生麗二,曲:井上大輔,唄:ラッツ&スター
軽快なリズムにのせて「いなせだね夏をつれてきた女」と始まる歌。このような曲を聴いているのは心地よいし,歌詞を読んでみると特に悪いというわけではないのだが,曲に詞をのせラッツ&スターが唄うと私にはメッセージが聞き取れない。
曲としては嫌いじゃないのだが,歌は歌詞をリスナーに伝えるものだと考えている私にとって歌としてはあまり高く評価できない。しかし,平成の歌はこのような歌も沢山あるので,これが時代の流れなのだろう。詞に合わせてメロディーを作ると,メロディーに新規性が乏しくなるのだろう。結局私が時代の流れについていけないということか。
メリーアン(2014.7.3)
昭和58年,詞:高見沢俊彦・高橋研,曲:高見沢俊彦,唄:ALFEE
「夜露にぬれる森を抜けて」と始まる歌。「メリーアンメリーアンメリーアンWon’t you stay for me」と何度か繰り返される。紅白初出場を果たした曲。
詞もメロディーラインも私の好みの分類に入ると思うのだが,実際は私の好みの曲にはリストアップされていない。恐らくリズムが私に染みついたものと微妙に異なるからだろう。単純な4ビートあるいは16ビートなら心地よくついていけるのだが,どうもこの曲はもっと高度なリズムのようだ。このような曲についていければ平成の曲にもついていけるのだろう。
もしも明日が(2014.2.28)
昭和58年,詞:荒木とよひさ,曲:三木たかし,唄:わらべ
「もしも明日が晴れならば」と始まる歌。
愛する人に呼びかける歌だが,どう聞いても具体的な人ではなく,観念的な人だろう。夢に見ている白馬に乗った王子様のような存在のような気がするが,若いうちはこのような夢を持つのが良い。
自分自身では,昔から現在に至るまでこのような歌を唄おうという気分になったことはないが,このような歌を聴くのは微笑ましい。
矢切の渡し(2012.4.11)
昭和58年,詞:石本美由起,曲:船村徹,唄:細川たかし
「つれて逃げてよ」「ついておいでよ」という歌。ちあきなおみが昭和46年に出した曲。昭和58年には何人もの歌手がこの歌を唄った。細川たかしは昭和57年度に引き続きレコード大賞連続受賞である。中国に行ったとき買ってきたカセットテープのなかにこの曲と同じメロディーの曲があった。中国語の歌詞の意味は十分には理解できないが,漢字を見た感じでは歌詞は直訳ではなさそうだ。
この歌の歌詞からは親の許さぬ仲の二人が柴又から矢切の渡しを使って駆け落ちするような雰囲気だ。矢切の渡しは昼間しか運行していないと思うので,真昼間に駆け落ちということらしい。
矢切は伊藤左千夫の「野菊の墓」の舞台である。「野菊の墓」は15歳の少年が17歳の従姉と恋に落ち,親の意向で引き裂かれる悲しい話だが,駆け落ちすればよかったのにという作詞者のアドバイスなのだろうか。個人的には,渡辺淳一の「失楽園」のような大人の破滅的な恋の話より「野菊の墓」のような純愛悲恋の話により強く惹かれる。
昭和58年頃にこのような歌が流行ったというのは何故だろう。親の意向が通らなくなりつつあった時代の親世代の郷愁だろうか。そういえば,この年,NHKの朝の連続ドラマは「おしん」だった。
漁歌(2016.11.13)
昭和58年,詞:山田孝雄,曲:浜圭介,唄:北島三郎
「俺が網を引くのはよ 可愛い女房と子供によ 腹一杯飯を食わすためなんだよ」と始まる歌。
北の海での漁の歌が多い中,これは坊の岬,鹿児島県南端付近からの出港のようであり,東支那海の鰹漁だ。
坊の岬沖と言えば戦艦大和の最後の戦闘があった海域である。
ワインレッドの心(2012.6.10)
昭和58年,詞:井上陽水,曲:玉置浩二,唄:安全地帯
「もっと勝手に恋したり」と始まる。「今以上それ以上愛されるのに」というフレーズが印象的なCMソング。この会社は昭和33年,アンクルトリスを生み出した。このキャラクターには開高健なども関係している。このウヰスキーの名を付けたトリスバーというのも流行った。当時は子供だったので飲み歩くこともなかったが,アンクルトリスのテレビCMは覚えている。
このメーカーのウィスキーには他にレッド,ホワイトなどがあり,他社にはブラックなどというのがあった。これらの名前は当時高級品だったジョニーウォーカーの赤と黒やホワイトホースなどの名前と関係があるのかも知れない。そういえばオールドというのはオールドパーから来ているのだろうか。名前としては「山崎」などと日本語で勝負というのは自信を表しているようで好きだ。もっとも,私が好んで飲んでいたのはシーバスリーガルだ。昔は高かったので自分で買った記憶はほとんどないが,味が似ているような気がして,別の会社のロバートブラウンなどを,ちょっと高いなと思いながら飲んでいた。
ある先輩のところにはトリスのキングサイズが鎮座しており,別の先輩のところにはレッドの空き瓶が積みあがっていた。
なお,昔の私を知る人は信じないかもしれないが,私は酒に弱く,酒の味もよくわからない。訓練により付き合い程度に飲めるようになっただけだ。ただ,当時付き合っていたのは呑み助が多かった。昔の私を知る人は信じるだろう。酒は嫌いじゃなかった。
FLASH DANCE・・・WHAT A FEELING(2019.1.30)
昭和58年,詞:Giorgio Moroder/Keith
Forse/IreneCara,曲:Giorgio Moroder/Keith
Forsey/Irene Cara,唄:Irene Cara
「First when there' But a slow glowing dream」と静かに始まる歌。「All alone I have cried Silent tears full of pride」までこの曲調が続くが,曲調が変わって「Well I hear the music」となるところからはダンス・ミュージックで詞も元気を取り戻す。
身体を動かすことで生きていると感じることができるということか。