明治,大正,昭和元年〜,昭和6年〜,昭和11年〜,昭和14年〜,昭和16年〜,昭和21年〜,昭和26年〜,昭和29年〜,昭和31年〜,昭和33年〜,昭和35年,昭和36年,昭和37年,昭和38年,昭和39年,昭和40年,昭和41年,昭和42年,昭和43年,昭和44年,昭和45年,昭和46年,昭和47年,昭和48年,昭和49年,昭和50年,昭和51年,昭和52年,昭和53年,昭和54年,昭和55年,昭和56年,昭和57年,昭和58年,昭和58年,昭和60年,昭和61年,昭和62年,昭和63年〜,その他(不明),平成の歌
昭和55年
目次
哀愁でいと,愛の園[希望にあふれ],愛はかげろう,漂泊者,青い珊瑚礁,雨の慕情,Yes-No,一恵,いまのキミはピカピカに光って,Eighteen,大阪しぐれ,奥飛騨慕情,おまえに惚れた〔俺にきめろよ〕,重いつばさ,おれでよければ,帰ってこいよ,風は秋色,乾杯,唇よ熱く君を語れ,狂った果実〔ひとしきり〕,恋[愛することに],恋の綱わたり,恋のバッド・チューニング,恋人がサンタクロース,恋人よ〔枯葉散る〕,防人の詩,出港SASURAI,さよならの向う側,倖せさがして,Shadow City,謝肉祭,蜃気楼,ジェニーはご機嫌ななめ,THIS IS A SONG FOR
COCA-COLA,順子〔離れない離さない〕,昴,人生の空から,Down Town,ダンシング・オールナイト,トウナイト,とまり木,道化師のソネット,How manyいい顔,裸足の季節,ハッとして!Good,HAPPY BIRTHDAY,花〜すべての人の心に花を〜,バスルームから愛をこめて,万里の河,パープルタウン,パープル・モンスーン,人として,ひとり上手,風雪ながれ旅,ふたり酒,不思議なピーチパイ,ふたりはひとり,Hey Lady優しくなれるかい,ペガサスの朝,街が泣いてた,みちのくひとり旅,南回帰線,RIDE ON TIME,ランナウェイ,ロックンロール・ウィドウ,私はピアノ
哀愁でいと(2016.9.4)
昭和55年,詞:Andrew J. Ditaranto/小林和子,曲:Gui Hemric,唄:田原俊彦
「赤い薔薇投げ捨て それで終わりにしようぜ」と始まる歌。
私には歌詞がほとんど聞き取れない。そもそも十分に声が出ていない感じを受けるし,発音の際のアクセントが曲に引きずられているように感じる。もちろん,曲のアクセントに対応して声にもアクセントをつけるべきなのかもしれないが,以前の歌手は曲のアクセントよりも言葉の解りやすさを重視していたように感じる。もともと日本語の強弱アクセントはそれほど明瞭ではないが,その日本語の発音の際に顕著な強弱アクセントをつけられると聞きにくい。もっと前なら,日本語の高低アクセントに合わせてメロディーを作った作曲家もいるようだ。
歌詞を読んでみても詞の流れが理解できないので,これなら聞いて解るわけがない。
曲自体はリズムがはっきりしていてダンス音楽などには悪くなさそうだが,全体として私好みの歌ではない。トシちゃんファンが観るためのアイドルソングだろう。
愛の園(2023.9.17)
昭和55年,詞:山川啓介・スティービーワンダー,曲:スティービーワンダー,唄:西城秀樹
「希望にあふれ 生きる喜び幸せに 満ちて」とはじまる。
詞も曲も童謡のように優しい歌だが,詞に使われている言葉が大人の言葉だ。
愛の園とは地球のことで「地球が生まれたころの 青い空と海」のために「力あわせて 明日の種をまく」という歌。
サステイナブルというような現状維持ではなく清く美しかった時を取り戻そうというのだろう。
愛はかげろう(2013.10.20)
昭和55年,詞:三浦和人,曲:三浦和人,唄:雅夢
「窓ガラス流れ落ちてゆく雨を」と始まる歌。
優しい声で唄われている女歌だが,私には女心は解らない。しかし,別れた女性が「部屋の片隅 貴方の影 今もゆれてる」などと唄っているんじゃないかと想像している男の気持ちは解らなくはない。
「愛はかげろう」とはどういう意味だろう。「かげろう」が気象現象ならば,実体はあるがはっきりとは形が見えないという意味だろうから,愛の実体があるのに愛の形がはっきりとは見えないという意味になる。「かげろう」が昆虫ならば成虫の短寿命を短かった愛の寿命の比喩として使ったのだろう。「愛はかげろう つかの間の命」とは符合する。しかし昆虫の「かげろう」には長い幼虫期間がある。この愛には長い愛以前の期間はあったのだろうか。歌詞からは幼虫期間の様子が全く伺えない。また,「つかの間の命 激しいまでに 燃やし続けて」というのも,かげろうの成虫のイメージならもっと弱弱しいものだと思う。「つかの間の命 激しいまでに 燃やし続けて」という言葉には蝉のほうがぴったり来る。
しかし,愛の比喩として蝉は合いそうもない。「かげろう」は燃え上がるのなら気象現象だろうし,はかないものなら昆虫ということで,両方を表しているから仮名でかいてあるのだろう。
などと,思いつくまま書いていたら,昔流行ったナンセンス-クイズを思い出してしまった。『鯉がはくパンツは何色でしょう?』1)
1) 答:こいははかない。
漂泊者(2017.5.16)
昭和55年,詞:甲斐よしひろ,曲:甲斐よしひろ,唄:甲斐バンド
「世界中から声がする 立ち上がる時だと叫んでる」と始まる歌。
タイトルはこれで「アウトロー」と読ませている。
「世の中すらさえも 信じられなくなりそうさ」などと言っているが,拗ねているだけではないのか。「アウトロー」という言葉から私が受けるイメージは西部劇のニヒルなガンマンなどだが,この歌詞からはそのような印象を受けない。「漂白者」という言葉のほうがぴったりの印象を受ける。
曲も,フラストレーションが溜まっているのだろうと感じる。詞と曲を合わせて受ける印象はイライラした根無し草だ。
青い珊瑚礁(2012.3.18)
昭和55年,詞:三浦徳子,曲:小田裕一郎,唄:松田聖子
「あゝ私の恋は南の風に乗って走るわ」という曲。第22回レコード大賞新人賞。一粒300メートルというおまけ付きキャラメルを出しているお菓子メーカーのアイスクリームのCMに使われていた。
平成元年のことだが,あるマスコミのカメラマンが沖縄の珊瑚に傷をつけた。自分で傷をつけておきながら,「こんなことをする人間が居る」と報道した。自作自演の捏造記事だ。・・・犯行は現実に実行されているので事件の捏造とは言わないかもしれない。
この会社に気に入らないことがあれば,この話を持ち出せばよいだろう。この会社は,事実がどれだけ誇張されていようと,あるいはごく一部の構成員が犯した過ちでも,いつまでも全員で謝罪し続けるべきだと考えているようなので,犯人が特定されているこの事件では当然,未来永劫謝罪するだろう。
ところで,この珊瑚の傷だが,元の傷はたいしたことがなかったが,事件発覚後マスコミが殺到し,そのためについた傷のほうがはるかに大きかったらしい。
雨の慕情(2015.8.29)
昭和55年,詞:阿久悠,曲:浜圭介,唄:八代亜紀
「心が忘れたあのひとも 膝が重さを覚えてる」と始まる歌。
第22回日本レコード大賞ほか数々の賞を受賞している。
「雨々ふれふれもっとふれ 私のいい人つれて来い」と何度も繰り返されるのが印象的だが詳細な事情は不明な歌だ。歌詞に共感するより,雰囲気に浸る歌だろう。歌手に具体的な想いがあるので,その雰囲気が滲み出るのだろう。
『舟歌』1)が男歌であるのに対し,これは女歌で二つの歌は対になっているようだ。
1)「舟唄」(昭和54年,詞:阿久悠,曲:浜圭介,唄:八代亜紀)
Yes-No(2015.7.5)
昭和55年,詞:小田和正,曲:小田和正,唄:オフコース
「今なんていったの?」と始まる歌。
オフコースの高音は心地よい。歌手の声ではないと思うがフォーク系の歌だと考えればこのような声は十分アリだ。私にとってはニューミュージックの一種だ。小田の曲の展開はいつも私の予想を裏切り,新鮮に聞こえる。
ただ,歌詞は他人とのコミュニケーションがとれない若者を歌っているようで気に入らない。「君を抱いていいの」「好きになってもいいの」と「?」はついていないが疑問文だ。「ことばがもどかしくて うまくいえないけれど」というのは言語能力の不足を自分で認めているのだろう。歌詞が気に入らないというより,歌詞で歌われている人物が気に入らないのだが。
「君を抱いていいの」などと質問するものではないだろう。自問かもしれないが,空気が読めないのかと言いたい。KYは平成19年の流行語だが,この頃から言外のコミュニケーションが苦手な若者が増えてきていたのだろう。
「好きになってもいいの」と自他の区別もついていない。『好きになる』のは許可されて好きになるものではない。もちろん自分が『好き』だから相手に何をしてもよいというわけではない。相手は自分のことを『嫌い』である可能性もある。好き嫌いは感情なので理性でコントロールできるものではないが,行動は理性でコントロールすべきものである。妄想を抱くことがあるかもしれないが,現代社会では想うだけなら何を想ってもよいことになっているようだ。宗教の多くは想うことだけでもいけないとしているようだが,実社会では口に出すなどして周囲に知られなければ許容されているのだろう。「好きになってもいいの」は自問であっても相手に対する質問であっても,自分が好きになれば当然見返りがあると期待しているかのようだ。昔なら『好きになってしまい』その結果苦しむということが多かった。それでも『好きになってしまう』のだ。この歌の主人公は苦しみたくないので事前に結果を知りたいようだ。自分が好きになったら相手も当然これに応えるべきだとの短絡的考えはストーカーの源だ。
昔からこのようなテーマを扱った文学が多数ある。本を読まなくなったことが短絡思考とコミュニケーション能力衰退の原因ではなかろうか。
ひょっとしたら,相手が言語も文化も異なる外国人で,その外国語が自在に操れないし、身振り手振りもよく理解できないという歌なのだろうか。
一恵(2018.10.1)
昭和55年,詞:横須賀恵,曲:谷村新司,唄:山口百恵
「一期一会 いくつかの出逢いの中で それぞれに心を知りました」という台詞から始まる。
横須賀恵というのは山口が作詞の際に使ったペンネーム。
「現(うつつ)の心 届かぬままの」というのは本心だったのだろうか。
山口は結婚の為に引退を表明し,この年の10月5日にファイナル・コンサートを行った。10月15日にはホリプロの20周年記念式典があり,これを最後に完全引退した。
この歌は結婚式の日11月19日に発売されており,引退後の作品ともいえるし,文字通り引退の歌とも言える。ジェケット裏にはデビュー曲以来31枚のシングルのジャケットが乗っている。
これまでのレコードのジャケット写真,横須賀恵というペンネーム,最後の曲の作曲者に谷村を選んだこと,この歌のタイトルなどに,公私にわたるいろんな思いがつまっているのだろう。
一度引退した後,活動を再開した芸能人は少なくないが,彼女は引退後芸能活動はしていない。
いまのキミはピカピカに光って(2014.10.23)
昭和55年,詞:糸井重里,曲:鈴木慶一,唄:斉藤哲夫
「いまのキミはピカピカに光って」と始まる歌。
某社の一眼レフカメラのCM曲。宮崎美子のTVCMはよく覚えているのだがこの歌のほうは印象が薄い。当時の宮崎は大学3年生だった。
私の周囲には写真を趣味とする人間が大勢いて,いろんなカメラについて講釈を聞かされた。それらの影響を受け他社の製品ではあるが,私も一眼レフを買った。写真好きの多くはモノクロ写真を撮っていた。一度に何本ものフィルムを撮り,現像ベタ焼きして良いものだけを引伸ばす場合が多かったようだ。わたしのような素人はカラーでシャッターチャンスを逃しながら厳選して撮影し,全ての写真を写真屋に頼んでサービスサイズの写真にプリントしてもらっていた。写真屋に依頼すると金がかかるので多数枚撮ることは経済的に困難だ。ただ,当時カラー写真の現像・焼付けの装置と薬品は高価であり個人で持っている人は私の周囲では知らない。モノクロ写真の現像・引伸・焼付の装置はそれほど高価ではなく,個人でも持っている人は結構いた。一度に何100枚も撮る人は自分でやらないと経済的に持たなかったのだ。
このCMの会社のカメラは父が古い二眼レフと露出計外付の一眼レフを持っていた。父は他社のコンパクトカメラも持っていた上にモノクロ写真の現像・引伸・焼付の設備を持っていたが,暗室がないため,これらを使う時には狭い家の中で一部屋締め切って独占し,家人の不評を買っていた。
大学の研究ではすべてモノクロ写真で,自分で撮影・現像・引き伸ばし・焼き付け・反転など自分でやっていた。通常のカメラでの写真の他,顕微鏡やオシロスコープ画面,X線回折などすべてフィルム撮影だった。反転というのは,撮影してできるのはネガなので,直接スライドにはならないので,スライドにするために白黒反転する作業だ。スライドを作るためにはフィルムの着色もした。白地に黒の図などをカメラで撮影してそのフォルムをスライドに使うと黒地に白い図として投影されるので白黒反転してからスライドにするのだが,例えばネガフィルムを青く着色してスライドに使うと青地に白の図の形で投影される。一時流行した。
スライドはその後OHPにとって代わられ,さらにパソコンに接続したプロジェクターになって今に至る。ここで使用されているソフトウェアはほとんどがパワーポイントだ。
なお,私が初めて学会発表したときは掛け図だった。B0の用紙に図などを描き,掛け図かけに数枚重ねて止めておく。話の進行とともに,上から一枚づつ剥いでいくというスタイルだった。
OHPの時代でも変遷がある。OHPシートに手書き,あるいは写真をOHPシートサイズのフィルムに焼き付けるという時代から,複写機で出力できるOHPシートが登場,さらにカラー複写機が登場してカラーのOHPシートが手軽にできるようになった。同時にカラープリンターとソフトウェアの進歩によりカラー原稿をパソコンで簡単につくることができるようになった。途中,パソコンモニターの一種に透過型液晶モニターが登場した。このモニターをOHPプロジェクターの上に置き,パソコンに接続すると,パソコン画面がOHPシート代わりのモニター上に出力され,これがプロジェクターによりスクリーンに投影されるというものだが,あまり普及しなかったように思う。
今では大型プリンタもあるので,大きなポスターもパソコンで原稿を作ればそのままポスターサイズでプリントできる。
Eighteen(2020.12.2)
昭和55年,詞:三浦徳子,曲:平尾昌晃,唄:松田聖子
「夢の中にでてきた あたたはとても素敵」と始まる。
「私は遠くでいつも見ているの」というのが実際だが,夢の中では・・・。
「恋するハート私はeighteen」という歌だ。
昔は,自分の想いが強いので夢に現れるのではなく,相手の想いが自分の夢に現れると考えられていたとか。
うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふものは頼み染めてき(小野小町)
大阪しぐれ(2012.11.16)
昭和55年,詞:吉岡治,曲:市川昭介,唄:都はるみ
「ひとりで生きてくなんてできないと」と始まり,北新地,堂島,曽根崎が歌われる第22回日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞曲。
「おもいでばかり」にすがっておらず,忘れてしまったほうが良いとアドバイスしてあげたいが,「ひとつやふたつじゃないのふるきずは」と聞くと性格的に問題があるのではないかと思ってしまう。「つくし足りないわたしが悪い」と自虐的だが,このような性格が多くの古傷を持つ身になってしまった原因だろう。「つくしたりない」という心根はいじらしいが『これだけつくしたのだから』と代償を求めるようにも聞こえる。払った代価が足りなかったから・・・というように聞こえ,「もっと尽くせばよかったわ」1)と同類ということだ。無償の愛は美しい。これ以上尽くしてもダメなものはダメだろう。ひょっとしたら押し付けられる好意が相手の重荷になったのかもしれない。
1) 「大阪の女」(昭和45年,詞:橋本淳,曲:中村泰士,唄:ザ:ピーナッツ)
奥飛騨慕情(2013.1.13)
昭和55年,詞:竜鉄也,曲:竜鉄也,唄:竜鉄也
「風の噂さに一人来て」と始まる歌。第23回日本レコード大賞ロングセラー賞受賞曲。
地味な歌である。ロングセラーということが,爆発的人気ではなかったが,じわじわと広がっていったということである。40代半ばのオジさんが「抱いたのぞみのはかなさを」歌ったのだ。
イメージ的には「湯の町エレジー」1)を想起させるが,湯の町エレジーではサビは「あ〜ぁああ〜ぁあはつこいの〜」となるのに,このうたではもっと地味に「あぁあーあぁおくひだに」とくる。私の語感では「初恋の君」と「奥飛騨に雨」とでは奥飛騨のほうが地味だということだ。諸般の事情により抑制した表現しかできない。そのような状況に置かれた人が多かったということだろうか。
1) 「湯の町エレジー」(昭和23年,詞:野村俊夫,曲:古賀政男,唄:近江俊郎)
奥飛騨慕情(2014.1.7)
1年前にも書いていた。書いた印象が薄かったのだろう。
昭和55年,詞:竜鉄也,曲:竜鉄也,唄:竜鉄也
「風の噂に一人来て 湯の香恋しい奥飛騨路」と始まり「あゝ奥飛騨に雨がふる」と終わる。テーマ,詞,メロディ,歌唱法どれをとっても典型的な演歌だと感じる歌である。まあ,歌唱法はもっと演歌っぽい歌手が何人もいるが。典型的ということは悪く言えば陳腐であり,インパクトが無いということにもなる。『さざんかの宿』1)も似たテイストの歌だが,好き嫌いで言えば私は僅差で『さざんかの宿』に軍配を上げる。
1) 「さざんかの宿」(昭和57年,詞:吉岡治,曲:市川昭介,唄:大川栄策)
おまえに惚れた(2019.1.23)
昭和55年,詞:たかたかし,曲:徳久広司,唄:美空ひばり
「俺にきめろよ まよわずに 言って振り向きゃ ついてくる」と始まる歌。
「惚れた(惚れた)」と掛け合いがあるのが印象に残る。
「あなた躰に悪いわと 水でお酒を割って出す」というのも『水で薄めやがって』と思うのでなく,言葉を素直に受け取って「女房をきどる 今夜のおまえに惚れた」と言っているのだから,『ハッピーでよござんしたね,ご勝手にどうぞ』と言いたくなる。
まあしかし,同じ酒を飲むのなら,このように安らかな気持ちで飲みたい。
おれでよければ(2017.1.4)
昭和55年,詞:四方章人,曲:四方章人,唄:秋庭豊とアローナイツ
タイトルどおり「おれでよければ」と始まる歌。
「今でもひとりだってね」「俺でよければ 一緒に暮らさないか」という歌。
「もしもあの時勇気があれば」とあるので,よくは解らないがそういうことなのだろう。あの時以降もずっと想い続けてきたのだろうか,あるいは噂を聞いてあの時を思い出したのだろうか。
昭和の香りがする詞のムード歌謡曲だ。
重いつばさ(2017.6.8)
昭和55年,詞:川崎洋,曲:岸田智史,唄:岸田智史
「いらない もういらない ことばだけの やさしさは」と始まる歌。
「つばさは重い重いけれど」「羊の群れから 飛び出したいのだ」と羊に翼があるような比喩にすこし違和感を持つが,まあいいだろう。
「どうしようもない きのうを 持ってしまったが どうにかできる あしたが あしたがあるさ」と前向きな所はよい。とはいえ,深く後悔しているときに気分を前向きに帰るにはややインパクトが弱い気がする。「あしたがあるさ」というのが,本来は自分で奮い立つ意欲を示しているのだろうが,他人事として楽天的に慰めているように感じてしまう。
帰ってこいよ(2013.5.14)
昭和55年,詞:平山忠夫,曲:一代のぼる,唄:松村和子
「きっと帰ってくるんだと お岩木山で手を振れば」と始まる歌。三味線を弾きながら歌うという歌謡曲界では珍しい登場である。歌唱は演歌なのだろうがやや民謡調という感じである。第22回日本レコード大賞新人賞を受賞した。
東京に出て行ってしまった幼馴染の娘を想う男歌である。「お前の嫁に欲しかったねと おふくろ今夜もひとりごと」
故郷を出て東京へ行ってしまった恋人を想う歌は昔から沢山ある。守屋浩は『僕も行こうあの娘の住んでる東京へ』1)と唄ったが田舎から東京へでるということは一大決心を要した。その後新幹線ができ,次第に東京への時間的・経済的距離も短くなっていった。マイ・ペースは『東京へはもう何度も行きましたね君の住む美し都』2)と唄っている。
昭和55年というと,もうこのような話はないかと思うと,そんなことはない。まだあるのだ。
お岩木山と聞くと『お岩木山のてっぺんを』3)という美空ひばりを思い出す。リンゴの故郷青森だ。東北新幹線もまだない。一応,昭和57年には大宮−盛岡の営業が始まり,昭和60年には上野まで,平成3年には東京まで延長されたが八戸までは平成14年,青森まで延長されたのは平成22年だ。青森から東京までは遠かっただろう。もちろん携帯電話もない時代だ。
1) 「僕は泣いちっち」(昭和35年,詞:浜口庫之助,曲:浜口庫之助,唄:守屋浩)
2) 「東京」(昭和49年,詞:森田貢,曲:森田貢,唄:マイ・ペース)
3) 「リンゴ追分」(昭和27年,詞:小沢不二夫,曲:米山正夫,唄:美空ひばり)
風は秋色(2015.8.3)
昭和55年,詞:三浦徳子,曲:小田裕一朗,唄:松田聖子
「ラララララ オー ミルキィ・スマイル」と始まる歌。
やはり松田聖子は高音が良い。歌詞はそれほど私の心には訴えかけるものがない。しかし,松田聖子には合っているのではないか。そもそも松田聖子には私が共感できるようなイメージがない。メッセージには共感できないが,自分の気分が良いときには聴いていて心地よい。気分が普通のときは聴くと少しは元気が出る。気分が落ち込んでいるときには聴くとうるさいと感じるかもしれない。私にとってはそれが松田聖子だ。
無事・平穏が幸福な状態の一形態だとすれば,松田聖子の歌は幸福なときに聴く歌だろう。当時が幸福な時代だったことを表しているのかもしれない。
乾杯(2016.5.17)
昭和55年,詞:長渕剛,曲:長渕剛,唄:長渕剛
「かたい絆に想いをよせて 語り尽くせぬ青春の日々」と始まる歌。
「遥か長い道のりを歩き始めた君に幸せあれ!」という歌だ。
「キャンドルライトの中の二人」とか「信じた愛に背を向けるな」などとあり,結婚の祝福の歌だろうが,雰囲気としては結婚以外でも各種新生活のスタートを祝福し応援する歌のようにも聞こえる。
アルバム中の曲だったが,シングル発売の昭和63年にヒットした。
詞を単語に分解すれば,陳腐な単語が並んでいるようだが,儀式的な場には伝統的な言葉が似合う。少しだけ新しい単語を加え,単語の並べ方を工夫することにより新鮮さを出すことができる。詞もメロディーも素適な曲だ。
長渕剛の唄は,私には歌の上手い素人の唄のように聞こえる。現代では素人っぽい歌手が増えているので,私のプロ歌手のイメージが古いのだろう。この曲に関しては唄い手がプロであろうとアマチュアであろうと気にならないので,総合的に見て良い曲だ。
唇よ,熱く君を語れ(2014.6.21)
昭和55年,詞:東海林良,曲:渡辺真知子,唱:渡辺真知子
「南風は女神 絹ずれの魔術」と始まる歌で,某化粧品CMソング。何度もでてくる「唇よ」というフレーズが印象的であるし,最後の「Oh, Beautiful and Free 唇で語れ 明日を」という箇所も印象に残る。
ただ,熱く明日を語れというメッセージは判るのだが,語るべき内容が全く見えない。「愛に堕ちてみろよ」などとあるが「愛」について熱く語れということであろうか。「愛」について熱く語るとすればキリスト教の宣教師のようにも聞こえるが全体から受ける感じはキリスト教とは無関係だ。
10年以上前には,大学紛争関連で熱く語る者はいくらでもいたのだが。
狂った果実(2018.1.28)
昭和55年,詞:谷村新司,曲:堀内孝雄,唄:アリス
「ひとしきり 肩濡らした冬の雨」と始まる歌。
すさんだ心の若者の歌。谷村にもこのような時期があったのか,あるいは悪ぶっているだけなのだろうか。同じ『狂った果実』でも石原裕次郎のほう1)は社会一般に比べて金持ちのドラ息子という印象で自分とは別世界の出来事に感じる。一方,アリスのほうは社会的な落ちこぼれという印象だ。社会的に不遇でも,這い上がろうと努力しているなら,あるいは悟りの境地にいるようなら理解はできるが,これは精神的にも落ちつつあるようで共感できない。
1)「狂った果実」:日活映画(石原裕次郎,津川雅彦,北原三枝)(昭和31年),原作:石原慎太郎
恋(2016.5.8)
昭和55年,詞:松山千春,曲:松山千春,唄:松山千春
「愛することに疲れたみたい」と始まる歌。
待ちくたびれて,去ることを決意し,男がいない間に出ていく女の歌。
シチュエーションは違うが二人の関係は『逃避行』1)の関係と似ている気がする。
松山千春の唄は上手い。というよりマイクの使い方が上手いように見える。マイクを使っても上手く唄えない歌手もどきに比べると私のような素人には上手く聞こえる。しかし私の好みは唄の上手下手には直接関係していないようだ。
1)「逃避行」(昭和49年,詞:千家和也,曲:都倉俊一,唄:麻生よう子)
恋の綱わたり(2018.9.3)
昭和55年,詞:福田陽一郎,曲:三木たかし,唄:中村晃子
「しがみつけば 綱わたりは終わります」と始まる歌。
TBS系連続ドラマ『離婚ともだち』の挿入歌。ドラマは観ていないが不倫ドラマらしい。これを聞くと歌詞からだけでは解らない状況もよく判るようになる。
「あなたが幻(み)たのはだれ? おそれている人だった」とか「あなたに聞こえたのは おそれている声だった」など,そういうことかと合点するし、タイトルの「綱わたり」の意味も解る。「疑いながら手をつなぐのはイヤよ」と本気のようだ。
『幸せに逢いたくて 旅に出た私よ』1)と唄っていた中村もこのような歌を唄うようになったかと時の流れを感じる。
1)「虹色の湖」(昭和42年,詞:横井弘,曲:小川寛興,唄:中村晃子)
恋のバッド・チューニング(2015.10.10)
昭和55年,詞:糸井重里,曲:加瀬邦彦,唄:沢田研二
「Bad Bad Bad Tuningずれてるほうがいい」と始まる歌。
「気持がいいからこのままで恋のBad Bad Bad Tning」と歌詞にあるが,この感覚は理解できない。糸井は「ちょっとずれてる周波数」で何を言おうとしているのだろうか。私はチューニングのずれた楽器の演奏を聞くと気持ち悪くなるし,ラジオなどの電波のチューニングでもチューニングがずれると不快な音になる場合が多い。もっとも,自分が唄っているときは音が外れていても気付かずに,自分だけは気分よく唄っているが。
糸井は和音に非和声音を加えると刺激があってよいなどというつもりなのだろうか。しかし,チューニングが悪い場合はその音を出すたびにずれた音がでるので聴くに堪えないものになるだごう。楽器によっては演奏により音の周波数を制御できる楽器もあるが,これも基本は正しいチューニングと演奏技術により必要に応じて音の周波数を変化させるものだ。
私の感性では恋のバッド・チューニングは心の波長が異なるのだから,将来性格の不一致で別れることになるだろうことは明らかだ。
恋人がサンタクロース(2016.12.23)
昭和55年,詞:松任谷由実,曲:松任谷由美,唄:松任谷由実
「昔 となりのオシャレなおねえさんは クリスマスの日 私に云った」と始まる歌。
そのおねえさんは「ある日 遠い街へと サンタがつれて行った」。今日は「背の高いサンタクロース 私の家に来る」と,本来のクリスマスとはあまり関係がない,当時の日本のクリスマスの歌。
恋人よ(2011.10.26)
昭和55年,詞:五輪真弓,曲:五輪真弓,唄:五輪真弓
「枯葉散る夕暮れは」で始まる名曲。レコード大賞金賞。しかし唄いにくい。私が音痴なだけといわれそうだが。
後日だが,ある衝撃的なことを告げられた後に「そしてひとことこの別れ話が冗談だよと笑ってほしい」というフレーズが何度も胸に去来した。それまでに宗教関係の本もいくらかは読んでいて,悟りをひらいたとまではいかないにしてもある程度修養していたつもりだったが,まだまだ煩悩の塊だということを再認識した。
防人の詩(2015.12.16)
昭和55年,詞:さだまさし,曲:さだまさし,唄:さだまさし
「おしえてください この世に生きとし生けるものの」と始まる歌。
東映映画『二百三高地』の主題歌。二百三高地は日露戦争の激戦地である。
「すべての生命に限りがあるのならば 海は死にますか 山は死にますか 春は死にますか 秋は死にますか ・・・」という歌で,万葉集の巻16第3852番に基づいているとのことだが,万葉集では『死ぬからこそ海は干上がり山は枯れるのだ』と答えまで示されているのに対し,さだは答えを明示していない。
仏教では生老病死の四苦に愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦の四苦を加えて四苦八苦という。この歌の歌詞でも前の四苦に関しては触れられているが,後の四苦に関してはあからさまには触れられていない。「愛は死にますか」という問いかけはあるが,愛別離苦を意識したものではなく,すべてのものは)死ぬべき運命にあるのかという問の一つなのだろう。
多くの宗教では死や破壊の後に再生があるとしてこれを救いとしているように思うのだが,さだの歌では疑問の提示のみで終わってしまっている。
私はこの映画を観ていないのでこの映画が日露戦争肯定の立場から描かれたものか否定の立場から描かれたものか知らない。さだの歌もまたこの戦争を肯定しているのか否定しているのか明確ではない。映画が正しく史実を伝えていれば,観客が自主的に判断すべきものだろうから,さだが自身の立場を明確にしなかったことは賢明だったと思う。何となくさだの心情が透けて見えるような気もするが,私の心情によるものかも知れない。
出航SASURAI(2018.12.26)
昭和55年,詞:有川正沙子,曲:寺尾聰,唄;寺尾聰
「ひとつ またひとつ 港を出て行く船」と始まる歌。
第一印象は抑揚の少ない歌だということだ。
「自由だけを追いかける 孤独と引き替えにして」とあるが,わたしにはその心境が判らない。『人は皆 一人では 生きて行けないものだから』1)の方が真実ではないかと思う。孤独と引き替えにしか得られない自由というのは社会性のない自由,即ち自己本位の身勝手というものではないのか。
1)「ふれあい」(昭和49年,詞:山川啓介,曲:いずみたく,唄:中村雅俊)
さよならの向う側(2014.4.3)
昭和55年,詞:阿木耀子,曲:宇崎竜童,唄:山口百恵
「何億光年輝く星にも寿命があると」と始まる歌。
阿木・宇崎・山口トリオ最終曲としては残念な歌だと私は感じる。山口百恵の歌としては引退後,結婚式当日にも自作の詞による『一恵』1)がリリースされているが,現役時代に発売されたシングルとしてはこの「さよならの向う側」が最後の曲になるので,一世を風靡した阿木・宇崎コンビの曲になったのだろうが,阿木らしい詞とは思えず,曲も宇崎らしくないように感じる。それに,「光年」は光が1年間で到達する距離で,1光年≒9500兆メートルなのだが,「何億光年」というのが時間のことを言っているように聞こえる。出だしから違和感があり,歌に入り込めないのだ。
キャンディーズがキャンディーズらしい歌2)で終わったように3),阿木・宇崎・山口トリオもこの三人らしい歌で終わって欲しかった。
1) 「一恵」(昭和55年,詞:横須賀恵,曲:谷村新司,唄:山口百恵)
2) 「微笑がえし」(昭和53年,詞:阿木耀子,曲:穂口雄右,唄:キャンディーズ)
3) 山口百恵の場合と同様,その後にもシングルが出ている。「つばさ」(昭和53年,詞:伊藤蘭,曲:渡辺茂樹,唄:キャンディーズ)
倖せさがして(2016.2.19)
昭和55年,詞:たかたかし,曲:木村好夫,唄:五木ひろし
「あなたのために 生まれてきたのと」と始まる歌。
「さがしていたんだよ」という言葉が何度も繰り返される。
懐メロ番組などで昔の持ち歌を唄う歌手の中に,昔と唄い方が変わった歌手がいる。懐かしいと思うのは昔の歌い方なのに,勝手に変えられるくらいなら,上手いもの真似のほうが良いとも言える。大抵,容姿も昔に及ばない歌手が多い。
歌手によっては現役をずっと続けていてもデビュー曲(最初のヒット曲)から次第に歌唱法が変わってくる歌手がいる。五木ひろしも若干歌唱法が変わってきているように感じる。私は以前の唄い方のほうが好きだ。
Shadow City(2015.11.23)
昭和55年,詞:有川正沙子,曲:寺尾聰,唄:寺尾聰
「見下せば 知り尽くした都会は雨」と始まる歌。
曲の長さに比べて詞が短く,歌というより曲と言うべきかもしれないと思う。歌詞から受ける印象は自分自身へのつぶやきだ。心の中から溢れ出る思いではなく,心の動きを醒めた意識で観察しているようだ。
謝肉祭(2015.2.25)
昭和55年,詞:阿木耀子,曲:宇崎竜童,唄:山口百恵
「愛して愛して祭りが始まる」と始まる歌。
この歌が発売された当時,『魅せられて』が大ヒットしており,話題性は小さかったように思う。話題はこの歌の発売直前に発表された山口百恵と三浦友和との婚約に集まった。
ジプシーの祭(祭のジプシー?)の歌である。歌詞の中で「ジプシー ジプシー」と何度か連呼される。この言葉が差別用語だとして平成の一時期,山口のアルバムからこの曲が除外されていた時期があるそうだ。
私には「ジプシー」が差別用語だという認識はないが,当人たちがこのように呼ばれたくないというのならそれを尊重すべきだろう。ここに何度か記載してしまったが,代替語を思いつかなかったためで,不快を感じられた方が居られれば謝罪したい。
この曲は山口百恵には合わないというのが私の感想だ。中森明菜のほうが合いそうな気がする。
1)「魅せられて」(昭和54年,詞:阿木耀子,曲:筒美京平,唄:ジュデイ・オング)
蜃気楼(2015.4.2)
昭和55年,詞:天野滋,曲:山下美智夫,唄:クリスタルキング
「真夏の海はForeever」と始まる歌。
このころからだろうか,歌に好き嫌いが激しくなってきた。以前はどんな歌も好きだったが,好きでも嫌いでもない歌が次第に増えてきて,中には嫌いなタイプの歌も現れ始め,次第に歌に無関心になってきた。
この歌など好きでも嫌いでもない歌の代表だろう。一般的に言えば声・歌詞がよく聞き取れない歌唱は好まず,声が出ている歌唱はシャウトも含めて好む傾向にある。少年少女合唱団が一生懸命に唄っている姿なども好ましく見る。
唄うのにどれだけの力を割いているのかが気になり,ダンスのついでに唄っているような唄やマイクにかじりついて口先だけの発声というのは好みではない。この歌は一生懸命に唄っている感じは伝わってくるが,詞が身体に浸みこんでこない。
ジェニーはご機嫌ななめ(2014.7.27)
昭和55年,詞:沖山優司,曲:近田春夫,唄:ジューシィ・フルーツ
「きみとイチャイチャしてるところを」と始まる歌。
二人称に「君」を使っているので男歌かとも思うがどうも女歌らしい。もっとも,与謝野晶子も二人称に「君」を使っているが。女性が『あぁ〜らわが君』などというのは落語の『たらちね』の世界のようだ。最近の女性が使う「君」はこの「君」とは違うだろう。ジェンダー教育などを受けた,中性的な我儘女の歌なのだろう。昭和の歌でありながら,昭和世代には理解できない歌だ。
歌唱の独特の声とテクノポップス系の曲が特徴というべきなのだろう。歌詞が聞き取れなくて幸いだ。
ジェニーはご機嫌ななめ(2018.10.30)
昭和55年,詞:沖山優司,曲:近田春夫,唄:ジューシィ・フルーツ
「君とイチャイチャしてるところを 見られちゃったわ」と始まる歌。
従来の歌と違うという意味でこれこそニュー・ミュージックだろう。これと比較するとユーミンなどは十分に従来通りの歌と言える。この歌はどちらかというとラップ調で新しい表現法を捜していたらこんな風になったということか。オッペケペー節が忘れ去られた現代に甦ったということか。
THIS IS A SONG FOR COCA-COLA(2018.8.8)
昭和55年,詞:島崎政樹,曲:矢沢永吉,唄:矢沢永吉,
「揺れる髪 切なく 踊ろうよ 南風」と始まる歌。
清涼飲料水のCMソング。
歌詞中「I say come on in coke」というフレーズが何度か現れるが,私としては長く使われていた『スカッとさわやか』1)のほうが耳に馴染んでいて商品イメージと一体化している。
1) 「コカ・コーラの歌」(昭和37年,詞;K.Nanamura,曲:N.Miyazaki,唄:Crazy Ken Band)
順子(2014.12.4)
昭和55年,詞:長渕剛,曲:長渕剛,唄:長渕剛
「離れない離さない離したくない君」と始まる歌。
このように言ってはいるが,「終わりさみんな終わりさ」と破局の歌だ。どうも二股かけられていたらしい。男が二股かけられて,それでも「順子 君の名を呼べば」と何度も繰り返す時代になったのだ。
私の世代で「ジュンコ」と書いた文字を見ればデザイナーを思い出してしまうが,「ジュンコ」と聞けば『純子』1)を思い出す。
1)「純子」(昭和46年,詞:遠藤実,曲:遠藤実,唄:小林旭)
昴(2014.2.14)
昭和55年,詞:谷村新司,曲:谷村新司,唄:谷村新司
「眼を閉じて何も見えず哀しくて目を開ければ」と始まる歌。
良い歌で谷村新司の代表作の一つだとは思うのだが,私は『チャンピオン』1)などのほうが好きだ。というのも,歌詞が私にとって言語明瞭意味不明瞭だからだ。一つの理由は私が「昴」に対して何の思いも持たないからに違いない。「砕け散る宿命の星」や「さんざめく名も無き星」が何を表しているのか,いろいろと思い巡らしてみても共感できる比喩の対象が無い。意味のわからないところが哲学的で良いとも言えるが,詞の好みの問題では(作曲は堀内だが)『秋止符』2)のほうが解り易くて好きだ。
「昴」が代表曲とされるのはアリス時代の曲を除いてという意味合いかもしれない。
1) 「チャンピオン」(昭和53年,詞:谷村新司,曲:谷村新司,唄:アリス)
2) 「秋止符」(昭和54年,詞:谷村新司,曲:堀内孝雄,唄:アリス)
人生の空から(2016.10.6)
昭和55年,詞:松山千春,曲:松山千春,唄:松山千春
「深く耳をすませば 朝一番の汽笛」と始まる歌。タイトルは「たびのそらから」。
「君に送る便りは 力まかせのなぐり書き」とあり,そのような時代だった。
「もう一度会えたらいいね」と終わる最後の部分が印象に残っているが,当時松山千春を好んで聴くことはなかった。
Down Town(2016.11.5)
昭和55年,詞:伊藤銀次,曲:山下達郎,唄:EPO
「七色のたそがれ降りてきて 風はなんだか すずし気」と始まる歌。
自分で唄おうという歌ではないが,聴いているとなんとなく気分が向上してくる嫌いではないタイプの歌。
ただ,「DOWN TOWNへ くり出そう」と言われても,当時の私はそのような時間はとても持てない忙しい時を過ごしていた。
ダンシング・オールナイト(2013.7.13)
昭和55年,詞:水谷啓二,曲:もんたよしのり,唄:もんた&ブラザーズ
「甘い時はずむ心」と始まる歌。森進一とはまたちがう独特のハスキーボイスで,演奏というか舞台というか,マイクの使い方によって歌詞が聞き取れない場合もあるが「Dancin’ all nitgth言葉にすれば Dancin’ all night 嘘に染まる」という箇所だけはいつも良く聞き取れる。
言葉にすれば嘘に染まるというのはある意味で真実である。この3次元の世界を写真に撮って2次元に切り取れば元の3次元世界を忠実に再現することはできない。ある方向から観た真実を切り取っているのである。言葉は音の1次元配列であり,このようなものでは到底複雑な3次元世界あるいは更に高次の心理世界を正確に描写することはできない。抽象化された既存の言葉に無理矢理あてはめる段階で言葉が持つ別な意味が付与されてしまう。嘘に染まってしまうということだ。「独り言吐息ひとつそれだけで崩れてしまう」と「知らず」とは言っているが,実は知っているのだろう。不用意に発する言葉が全く違う意味に受け止められてしまう恐れを知っているからこそ踊り明かすのだ。
このような曲はあまり聴かないのだが,それでも,このような曲の中ではこの曲は好きなほうだ。
私は音楽的には原始的にできているのだろう,単調なリズムが心地よい。好きだとは言えないのだが,激しい8ビートには身体の血が騒ぐ。このような気分を言葉にすれば嘘に染まってしまう。
トウナイト(2021.7.8)
昭和55年,詞:湯川れい子,曲:井上忠夫,唄:シャネルズ
「土曜の夜は お前を抱いて 渚で眠りたい」と始まる。
このような歌詞が少しはあるのだが,ほとんどが「Tonight」の連呼だ。要するに詞で言いたいことは最初のフレーズで尽きているようだ。
曲はノリのよい曲で,好きなタイプの曲だ。いつでも聴きたいという訳ではないが。
とまり木(2017.3.4)
昭和55年,詞:たきのえいじ,曲:たきのえいじ,唄:小林幸子
「そぼふる雨なら防げるけれど 冷たい心は隠せない」と始まる歌。
「やせた女の とまり木に 背中をむけた にくい人」という歌で,詞も曲も当時としてもやや古いタイプの歌謡曲といえるだろう。ニュー・ミュージックにはついて行けず,アイドル・ソングは歌ではないと感じる私のような人間には聴いていて心地よい歌。
道化師のソネット(2015.5.7)
昭和55年,詞:さだまさし,曲:さだまさし,唄:さだまさし
「笑ってよ君のために 笑ってよ僕のために」と始まる歌。
「哀しみという荷物を積んで 時の流れを下ってゆく 舟人」とある。これを聞くたびに徳川家康の『人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し』という言葉を思い出す。
家康は信長の命により,妻・築山殿と長男・信康を殺さなければならなかった。もちろん徳川家の公式?記録を鵜飲みにするわけではない。知られていない事情があったのかもしれないとも想像する。しかし家康の心に哀しみはきっとあっただろう。このような様々なことをまとめて『重荷』と言ったのだろう。このような『重荷』を背負っても一歩一歩前に向かって進まなければならないということだ。
一方,さだは「哀しみを せめて笑顔が救うのなら」と一時の救いを提案し「笑いながら話せる日がくるから」と歌っている。妻や息子を死罪にしたことを後になって「笑いながら話せる」とはとても思えないから,さだの「哀しみ」はもっとささやかな哀しみなのだろう。
さだからは「流れを下ってゆく」と何となく流れに身を任せているような印象を受ける。一方,家康からは『遠き道を行く』と困難に立ち向かって行く印象を受ける。これはさだと家康の器量の差だろうか。時代の差だろうか。
Ezra F. VogelのJapan as Number One: Lesson for Americaが出版されたのは昭和54年だ。生死にかかわるような深刻な苦しみ・哀しみが減って,人々の苦しみや悲しみに対する耐性が下がってきたのが昭和の後期なのだろう。
How manyいい顔(2014.9.9)
昭和55年,詞:阿木燿子,曲:綱倉一也,唄:郷ひろみ
「ジゴロを気取ったくわえ煙草を 真赤な爪が奪ってゆくよ」と始まる歌。
阿木耀子について個人的には全く知らないのだが,私の中ではこの歌詞で「ウーン 君ってまったく」と歌われている「君」のイメージが阿木だ。
郷ひろみはアイドル路線の歌手と私なら分類するが,このアイドル路線を何10年も続けているのだからすごい。元アイドルでも加齢と共に体型が大きく変わってしまった人たちが多いのに郷のパフォーマンスは衰えていない。
某化粧品会社の秋のキャンペーンソングらしいがNHKの紅白歌合戦でも唄っている。
裸足の季節(2016.3.23)
昭和55年,詞:三浦徳子,曲:小田裕一郎,唄:松田聖子
「白いヨットの影 渚を滑り」と始まる歌。
某化粧品会社のCMソングで松田聖子のデビュー曲。
ポスト百恵ということだったが,山口百恵とは貫録が違った。新人だから仕方ないのかもしれない。なんとなく,失敗しないように恐る恐る唄っているように感じた。後の松田聖子は高音がきれいに抜けて聞こえるのが特徴のひとつだと思うのだが,この歌ではまだ高音部が天井についているように(まだついていないはずだと思うのだが)感じる。もっとも山口百恵もデビュー曲では貫録など全くなく,歌唱も平板だったように思う。
当時多くのアイドルが唄っているが歌手といえるほどのアイドルは少なかったように思う。松田聖子は数少ない『アイドルであり歌手でもある存在』になっていった。
ハッとして!Good(2014.5.13)
昭和55年,詞:宮下智,曲:宮下智,唄:田原俊彦
「パステルに染った高原のTelephone Box」と始まる歌。某社アーモンドチョコレートのCM曲として使われた。「ハッとしてグッときて パッと目覚める恋だから」のメロディーが印象的。恐らく印象的な歌詞とよくマッチしているからだろう。詞では更に「フッとした瞬間の」と撥音を含む擬態語が繰り返されている。
田原俊彦は歌手というよりアイドルだろう。
HAPPY BIRTHDAY(2024.9.9)
昭和55年,詞:さだまさし,曲:さだまさし,唄:さだまさし
「誰にだってひとつやふたつ 心に開かずの部屋がある」と始まる。
過去に何らかの不本意なことがあったのだろう。「HAPPY BIRTHDAY」と言った後で「昨日までの君は死にました おめでとう おめでとう 明日からの君の方が僕は好きです おでとう」と言っている。よほどの過去なのだろう。
「幸せなんて言葉もあるが 人それぞれに秤が違う」とまで達観しているのに何故そんなに過去を捨てたがっているのか。
花〜すべての人の心に花を〜(2013.3.11)
昭和55年,詞:喜納昌吉,曲:喜納昌吉,唄:喜納昌吉&チャンブルーズ
「川は流れてどこどこ行くの」と始まる歌。「泣きなさい笑いなさい」「いつの日かいつの日か花を咲かそうよ」と繰り返されるフレーズが印象に残る。
「花」というタイトルの歌がいろいろあるが,この喜納昌吉の歌自体にもいくつかのバーションがある。
別な歌で,『世界に一つだけの花』1)という歌があり,この歌にも複数のバージョンがあるようだ。どちらの歌でも「花」が象徴しているものは同じではないかと思うのだが,槙原は花が咲くのは当然のことと考えているようだ。その上で,「No.1にならなくてもいい」というメッセージだ。しかし喜納は「いつの日か花を咲か」せることを目指しているのだ。
時代の違いか地域の違いか解らないが,私には平成の歌は考えが甘いように感じられる。昔はそれこそ「花の咲かない枯れススキ」2)ということが十分ありえたのだ。
社会は変化するが人々の意識の変化は社会の変化と同時ではない。社会の変化を先取りした意識の持ち主も居るが,多くは社会が変化してもしばらくはその変化を意識できないのではないだろうか。
昔は,花が咲くかどうかわからなくても,No.1を目指したのではなかろうか。only oneになればいいなどといわれなくても,only oneであることは自明だったのではないだろうか。
1) 「世界に一つだけの花」(平成15年,詞:槇原敬之,曲:槇原敬之,唄:SMAP)
2) 「枯れ芒」(大正10年,詞:野口雨情,曲:中山晋平)。大正11年に「船頭小唄」と改題され,唄:中山歌子でレコード化された。
バスルームから愛をこめて(2016.12.4)
昭和55年,詞:康珍化,曲:亀井登志夫,唄:山下久美子
「From bath room with my love」と始まる歌。このフレーズだけが英語だが,この程度の英語ならまあ何とか解るのでよい。
「人魚みたいにきれいになるわ」「後悔したって知らないからね」と強がりをいってみたり「男なんてシャボン玉」と諦めようとしているが実は「お湯にもぐって あたし泣いたの」という歌。
当時,特に関心があったわけではなく,リアルタイムではあまり聴いていない。私が聴いていた放送ではあまり流されなかったのではないだろうか。
万里の河(2018.6.25)
昭和55年,詞:飛鳥涼,チャゲ,曲:飛鳥涼,チャゲ,唄:チャゲ&飛鳥
「遠く遠く何処までも遠く流れる河で」と始まる歌。
「どれだけ待てばいいのですか ああ届かぬ愛を」などが記憶に残る。
『僕の髪が肩までのびて』1)なら現実的だが,「せめてこの髪があなたの元へのびるくらい」というのは非現実的なので,いつまで待ってもダメだということが解っているということだろうか。
「届かぬ愛」と自覚していながらじっと待っている。「愛をさえぎるものは 深く冷たいこの河の流れ」ではなく,その消極性だろう。悲劇の主人公を気取っているだけでは自体は改善しない。
1) 「結婚しようよ」(昭和42年,詞:よしだたくろう,曲:よしだたくろう,唄;吉田拓郎)
パープルタウン(2015.1.19)
昭和55年,詞:三浦徳子,曲:八神純子,R.Kennedy,J.Conrad & D.Foster,唄:八神純子
「哀しみのヴェールをはずす 気まぐれなこの都会(まち)だけど」と始まる歌。
素晴らしい朝に「哀しみのヴェールをはず」し,「翼広げてhu hu hu」らしい。「Purple town Purple town」との繰り返しが印象的だが,もっと印象的なのは高音の「I love you more and more」の箇所だ。
歌詞にNew YorkとあるのでNew Yorkの未明だろう。
一般にニューヨークと言えばニューヨーク州ではなくニューヨーク市を指すだろう。ニューヨークはブロンクス,ブルックリン,マンハッタン,クイーンズ,スタデンアイランドと五つの区に分かれている。一般にニューヨークと聞いてイメージする摩天楼が聳え立つ区域はマンハッタンだ。
私は一時マンハッタンに通勤していたことがある。また、『春はあけぼの やうやう白くなりゆく山ぎは少し明かりて紫だちたる・・・』1)というような文を読んだこともあるし,実際このような色の夜明け前の景色を見たことも何度もある。未明にマンハッタンに居たことはないので,本当のところはどうか解らないのだが,マンハッタンで紫の夜明けというのは想像できない。
私のマンハッタンに対する印象は,薄汚い街というものだ。これは私が住んでいたニュージャージー州に比べると薄汚いという意味だ。ニュージャージ―からマンハッタンへはハドソン川を渡らなければならない。自宅を出てハドソン川を渡るにはジョージ・ワシントン橋を渡るかリンカーントンネルを通るかだが,私は高速バスでリンカーントンネルを通って42ndストリートのバスターミナルまで行き,そこから地下鉄でアップタウンまで通勤していた。利用できる路線は所謂A trainかNo. 1 trainだった。バスがトンネルを抜けてマンハッタンに入ると最初に眼に入る印象的な建物が,有名なスリー・ポインテッド・スター・マークの車のディーラービルだった。これが日本なら,この高級車のディーラーならピッカピカのビルのはずだが,これが薄汚いのだ。バスターミナルから地下鉄に入るのだが,この地下道がまた美しいとは言えない。雰囲気としては,東北線が上野までだったころの上野駅の乗り換え通路を汚くしたというイメージか。No.1 trainは車体も落書きだらけ,駅のトイレは治安上の理由でほとんど閉鎖されているという状態だった。建物の内部はきれいだが,外観は薄汚れている。デパート内なども含めて街中でトイレを探すのは大変な街というのがマンハッタンの地上・地下の印象だった。
マンハッタンの未明,特にアップタウンは・・・サウス・ブロンクスはもっとだが・・・とても紫の夜明けには喜びを感じるよりも恐怖を感じると思う。
これが高級コンドミニアム(マンション)や高級ホテルの高層階からなら喜び溢れる夜明けを迎えられるかも知れないのだが,経験がないので解らない。
とにかく八神は失意から立ち直り,素晴らしい朝を迎えているようだから目出度いことだ。
1)清少納言:「枕草子」
パープル・モンスーン(2017.3.30)
昭和55年,詞:上田知華,曲:上田知華,唄:上田知華+KARYOBIN
「気分を変えてみたくなるのは 女心の気まぐれじゃない」と始まる歌。
「曇った心の窓を開けてごらん 昨日よりステキになれるわ」と前向きというか,援歌,それも水前寺清子などとは全く異なる,どちらかというとフォーク系の人生応援歌だ。
ただ,深く落ち込んでいる人には曲調が明るすぎるような気もする。平常心あるいはやや落ち込み気味の人を元気づける歌だろう。
人として(2016.6.27)
昭和55年,詞:武田鉄矢,曲:中牟田俊男,千葉和臣,唄:海援隊
「遠くまで見える道で 君の手を握りしめた」と始まる歌。
TBS系テレビドラマ『3年B組金八先生』の主題歌。
「人という漢字は人と人が互いに支えあっている」という台詞が気に入ったのか,この歌詞には「人として人と出会い 人として人に迷い」をはじめとして「人」が何回も出てくる。共感する箇所もあるが甘えも感じる上にやや説教くさい。その上作詞者自身がその言葉に酔っているような気さえする。
「人という漢字」は互いに支え合っているというのは漢字の成り立ちを議論しているのではなく,「人」としての在り方を議論しているのだから字源の詮索はしなくても良いだろう。
DNAを調べれば「ヒト」だということは決まるのだろう。「ヒト」と『人間』の違いは『間』の有無,即ち社会性の有無であり『間』のない「人」を『間抜け』と呼ぶという説に私はより共感する。
ひとり上手(2015.9.19)
昭和55年,詞:中島みゆき,曲:中島みゆき,唄:中島みゆき
「私の帰る家は あなたの声のする街角」と始まる歌。
ところが,「あなたの帰る家は 私を忘れたい街角」と二人の心はすれ違っている,というより彼はどんどん離れて行っているのだ。「ひとりが好きなわけじゃないのよ」と歌詞では内心を語っているが,この内心を隠そうとしている雰囲気が感じられる。内心を完全に隠すことに成功して相手が気づかないか,隠そうとしていることに気づかれてそれを相手に上手く利用されているのか解らないが,内心を隠そうとすることが問題なのだろう。
中島には同じような形での失恋ソング(中島だから『ふられうた』と言うべきかもしれないが)が何曲もある。全くの私の想像だが,一時の中島はこんなだったのではないかという気がする。それが何曲もヒット曲を出しているうちに殻と棘がとれ,この時期には本来の明るい中島を取り戻したのだが,営業上の都合からこのような歌を出していたのではないだろうか。棘が取れたとはいえ,シニカルな点はまだ残っていたように感じる。
『おひとりさま』という言葉が流行したのは平成13年だろうか。これより20年以上前に『ひとり』という言葉をこのように使うとはさすが中島みゆきと思ってしまう。
『おひとりさま』は当初『自立した大人の女性』を指して使われたのだが,その後『パートナーがいない』という点に重点を置いた使われ方をするようになり,ネガティブなイメージを持つ言葉,あるいは開き直りの言葉になったように思う。
「ひとりが好きなわけじゃないのよ」はこのような過程を現実にまたは思考により経験して,その状態を突き抜け,より高い位置から眺めることができるようになって初めて書くことができる詞ではないだろうか。中島みゆきは『おひとりさま』の言葉が使われるようになる前から『自立した才能ある女性』の意味での『おひとりさま』を体現していたに違いない。
不思議なピーチパイ(2016.1.27)
昭和55年,詞:安井かずみ,曲:加藤和彦,唄:竹内まりや
「思いがけない Good timing」と始まる歌。化粧品のCMソングである。
詞はほとんど耳に残っていない。私の感性には共感するところがなかったのだろう。私はこの歌のリスナーとしてのターゲットではなさそうだし,当然かもしれない。
風雪ながれ旅(2018.4.25)
昭和55年,詞:星野哲郎,曲:船村徹,唄:北島三郎
「破れ単衣(ひとえ)に 三味線だけば」と始まる歌。
津軽三味線奏者である高橋竹山をモデルにした歌。
歌詞に「アイヤ− アイヤ−」と入ってはいるが津軽アイヤ節とは節が違うようだ。
「津軽 八戸 大湊」「小樽 函館 苫小牧」「留萌 滝川 稚内」と地名が入っているが,竹山が門付けして回った地域だろうか。
自宅がみすぼらしい借家だったからか,時代が違うのか,門付けの記憶はない。呑み屋にやってくる流しはかろうじて最後の姿を見たことがある程度だ。ストリート・ミュージシャンは多数見たことがある。ストリートからメジャーになったミュージシャンも少なくないが,私が見たストリート・ミュージシャンの多くは私を魅するものではなかった。唯一私が魅せられたことがあるのが男性二人の三味線で,吉田兄弟のメジャー・デビュー前の姿ではないかと思うものだ。三味線の技術レベルは判定できないがかなり高く感じられ,私にはとても魅力的に聞こえた。和太鼓などの演奏にも魂を揺さぶられることがあるので,三味線に魅せられたのは遺伝子に組み込まれた何かが作用しているのかもしれない。
あと,もう一つだけ魅せられたのはニューヨークの地下鉄の中でみたスチールパンの演奏だ。スチールパンをみたのは初めてだったので驚きと共にみた。技術もかなりなものだと感じた。これは走行中の列車内だったが,マンハッタンの42nd St. 駅の長い地下道には多種多様なストリート・ミュージシャンがいた。
ふたり酒(2012.5.23)
昭和55年,詞:たかたかし,曲:弦哲也,唄:川中美幸
「生きてゆくのがつらい日は」で始まり,最後は「おまえとふたり酒」で終わる歌。
苦労ばかりの生活だが,惚れたどうしで酒を飲んで,いつかは良い日がくると元気をとりもどしている歌。
突発的事件により日常生活が失われて初めて何気ない日常の幸せに気づくことが多いといわれている。この二人は既にこの幸せに気づいているようで,同じ酒を飲むならこのように飲みたいものだ。
10年ほど前には,このような小市民的幸せに安住することを否定して「社会の大きな矛盾に目を向け行動せよ」というアジテーションがあったのだが。
ふたりはひとり(2015.11.1)
昭和55年,詞:麻生香太郎,曲:中村泰士,唄:小林幸子
「俺と一緒に生きるかと いわれてかすかにうなずいた」と始まる歌。
「なんのとりえもない私 ほんとに私でいいですか」と昭和の詞だ。もっとも,これが昭和だけの感性なのかどうかは何の根拠もない。平成でも『俺らでええのか』1)などという歌詞を見ることはできる。
いずれにせよ,ハッピーソングのようであり,メロディーもハッピーさを感じさせるメロディーなのだが,小林の歌唱はややハッピーさに欠ける気がする。「もう迷わない」と言いながら,まだ半信半疑でとまどっている感じを受ける。
1)「麦畑」(平成元年,詞:榎戸若子,曲:榎戸若子,唄:オヨネーズ)
Hey Lady優しくなれるかい(2022.7.7)
昭和55年,詞:庄野真代,曲:庄野真代,唄:庄野真代
「Hey Lady Just a Lady 優しくなれるかい」と始まる。
これは「あなたの声」らしい。この声で「私 素顔に目覚めたの」「もう夢を とびこえたりしないわ」というのが結論らしい。これからは生き方をこれまでとは変えて生きていくということだ。
ペガサスの朝(2015.6.6)
昭和55年,詞:ちあき哲也,曲:五十嵐浩晃,唄:五十嵐浩晃
「熱くもえるまるでカゲロウさ」と始まる歌。
チョコレートのCMソングで,メロディーには記憶があるが,詞に関する記憶がない。歌詞が聞こえないわけではない。私にとっては言語明瞭意味不明瞭な歌だということだ。耳で聞くのではなく,歌詞を読めば意味は想像できるが,私が感じ取ったメッセージは唄を聴いて居るだけでは聴き取れない。恐らく,私の頭の中で「時はペガサスの翼」という個所が何を言いたいのか感じ取れないからだろう。
タイトルが「ペガサスの朝」というのも,その必然性が理解できない。
街が泣いてた(2016.8.4)
昭和55年,詞:伊丹哲也,曲:伊丹哲也,唄:伊丹哲也&SIDE BY SIDE
「Oh My Good-bye Town 住みなれた街」と始まる歌。
全歌詞が外国語なら,そしてもう少しアップテンポの曲なら意味も解らず聴いていたかもしれない。しかし,スローテンポで歌詞の大部分が日本語なので内容が聞き取れてしまい,その内容と歌唱が私にはマッチングが悪く聞こえる。
このような歌が好きな人もいるのだろうが私は何度も聴こうとは思わない。
「さよなら俺の女よ」とあるので別れの歌なのだろうが,歌詞に違和感もある。「俺の女よ」とか「俺の街よ」というように一人称単数の所有格?が使われているように感じるのだ。まず,「俺の女」だが,私がその「女」なら『わたしはあなたのモノじゃない』と思うだろう。また,どのような生活をしていると「俺の街」という発想が湧くのだろうか。普通は『我々の街』と,コミュニティを先ず思うと考えるのだが,個人でその街を仕切っていたのだろうか。『我が国』というのは『我々の国』という意味だろう。その証拠?に複数形でも『我』が繰り返される。一方「俺」はどう考えても個人だ。『俺々』なら『俺』の強調だ。
みちのくひとり旅(2012.7.26)
昭和55年,詞:市場馨,曲:三島大輔,唄:山本譲二
「ここで一緒に死ねたらいいと」と始まり,「お前が俺には最後の女」と終わる。
歌詞にはあからさまには出ていないが「義理と人情を秤にかけりゃ」1)などと同じ雰囲気を漂わせている歌だ。男を立てるために,うしろ髪が引かれるのを断ち切って陸奥を独りで旅をする。
しかし,「遠くなるほどいとしさつのる」と未練を歌っているところは「唐獅子牡丹」とは違って人間味がある。「俺は男とつぶやきながら」行くような男なら,内心は表に表さなかったとおもうのだが,10年くらいの間に,独りでいるときには心の内を叫ぶようになったようだ。
この年,モスクワオリンピックが開催された。しかし,前年のソ連のアフガニスタン侵攻の影響で日本を含む西側諸国は参加しなかった。代表に決まっていた選手はさぞ残念だったことだろう。
1)「唐獅子牡丹」(昭和40年,詞:矢野亮・水城一狼,曲:水城一狼,唄:高倉健)
南回帰線(2017.4.23)
昭和55年,詞:山川啓介,曲:堀内孝雄,唄:堀内孝雄・滝ともはる
「君だけに生きて行けたら どんなにかいいだろう」と始まる歌。
夢を追いかけるために恋人?と別れて旅立つ若者の歌だろうか。
「君がもし妹だったら この胸も痛まない」と言っている。素直に,自分以外の誰かと幸せにと思えるかららしいが,このような発想は私にとっては新鮮だった。
夢を追いかけることができるのは激動の時代だ。夢破れ死屍累々のなか,ごく一部が夢を達成する時代だ。
しかし,この時代は若者のモラトリアム期間が長かった時期だ。バブル景気のころは少しアルバイトをすれば十分生きていけ,『自分探し』などに時間を費やすことが可能だった。主人公は『自分探し』ではなく,既に夢があり,その夢を追っているようだが,「君がもし妹だったら この胸も痛まない」と背水の陣を張っているような覚悟があまり感じられない。余裕をもって夢を追いかけることができる幸せな時代の歌なのだろう。
曲も深刻さがなく,軽いノリで夢を追いかけようとしているようで,軽薄に聞こえる。この時代の曲ということだろう。
ビールのCMに使われた。
RIDE ON TIME(2018.11.28)
昭和55年,詞:山下達郎,曲:山下達郎,唄:山下達郎
「青い水平線を いま駆け抜けてく」と始まる歌。
歌詞はよく聞き取れるように思うのだが,意味が解らない。キーワードは何度も出てくる「ride on time」のようだが,この意味が解らないので全体が理解できない。
何度も歌詞を読んでみると,どうやら「僕」に対して二人称で呼びかけている歌のように思えてくる。ところがこれが一貫しているわけではなく,一人称複数で「僕」と自分自身を表しているように思える箇所もある。要するに視点が定まっていない,あるいは視点の変更が明確でないことが解りにくさの原因ではないだろうか。根本的な原因は日本語の中に文法の異なる英語を混入させたことだろう。
聴いて解らない歌は曲として聴くしかないが,曲自体はやや単調に感じる。さらに,歌詞中の単語は良く聞き取れるのでそれに気を取られて曲に集中できない。
ランナウェイ(2012.9.19)
昭和55年,詞:湯川れい子,曲:井上忠夫,唄:シャネルズ
「ランナウェイとても好きさ」という歌。さすが湯川れい子というべきか,歌詞に英語が交えてあってもわかり易い。都会の冷たさ・凶暴さの中で傷ついたもの同士なのだろうか,愛を見つけ遠い世界へ脱出する。
このころ,校内暴力や家庭内暴力が増加している。無関係だとは思うが,12月にはジョン・レノンが銃で撃たれて死亡している。日本の自動車生産台数は世界1になったが,この時期にきちんと種々の対応ができなかったことがその後のバブルおよびその崩壊,更には失われた20年に繋がっているのではないか。
ロックンロール・ウィドウ(2013.9.2)
昭和55年,詞:阿木燿子,曲:宇崎竜童,唄:山口百恵
「もてたいためのロックンローラー」と始まる歌。
阿木,宇崎,山口の歌にしては,それほど私の好みではない。というか私の山口百恵に対するイメージと歌が合わない。この分野に関して,これら3人のレベルが私より高いのは言うまでもないので,私が好きでなくても一向に構わないのだろうが。
「かっこかっこかっこかっこかっこかっこかっこつけて」というところなど,『カッコマン・ブギ』1)を思い出すので,阿木の頭にはこの歌があったのだろうと感じる。この2曲で比較すると詞や曲の良否は私には比較できないが,歌手の好き嫌いでは山口のほうが上だ。しかし,全体ではなぜか『カッコマン・ブギ』のほうが私の好みに合う。
詞の良否が解らないと言いながらコメントをするのはどうかとも思うが,私の理解ではこの詞はロックンロールに夫を取られた妻の詞である。しかし,山口の唄を聴くと,妻もロックンローラーのように感じてしまうのだ。ロックンローラー同士の夫婦ならハッピーエンドではないか。・・・だから「アハハ アハハ」なのだろうか。ひょっとしたら阿木本人の心境を歌った詞なのだろうか。
1) 「カッコマン・ブギ」(昭和50年,詞:奥山p伸,曲:宇崎竜童,唄:ダウン・タウン・ブギウギ・バンド)
私はピアノ(2013.12.3)
昭和55年,詞:桑田佳祐,曲:桑田佳祐,唄:高田みづえ
「人もうらやむよな仲がいつも自慢のふたりだった」
桑田の歌はどうも私には理解できない。高田みづえの唄も歌手の歌のようには聞こえない。私の耳にも判るような音程外しの某アイドルに比べると遥かに唄が上手いがフツーの女の子という印象だ。榊原郁恵・清水由貴子とともにフレッシュ三人娘と呼ばれた頃の歌のほうが私は好きだ。
桑田佳祐と私は,生まれたときこそ年齢の開きはあったが,今となっては無視できるほどの年齢差だとは思うのだが,感性は1世代以上異なっているようだ。