明治,大正,昭和元年〜,昭和6年〜,昭和11年〜,昭和14年〜,昭和16年〜,昭和21年〜,昭和26年〜,昭和29年〜,昭和31年〜,昭和33年〜,昭和35年,昭和36年,昭和37年,昭和38年,昭和39年,昭和40年,昭和41年,昭和42年,昭和43年,昭和44年,昭和45年,昭和46年,昭和47年,昭和48年,昭和49年,昭和50年,昭和51年,昭和52年,昭和53年,昭和54年,昭和55年,昭和56年,昭和57年,昭和58年,昭和59年,昭和60年,昭和61年,昭和62年,昭和63年〜,その他(不明),平成の歌
昭和50年
あゝ青春,あいつ〔雪の中〕,逢えるかもしれない,青空ひとりきり,アザミ嬢のララバイ,兄貴のブギ,あの日にかえりたい,ありがとうあなた,石狩挽歌,「いちご白書」をもう一度,いつか街で会ったなら,今はもうだれも,嫌んなった,うぐいすだにミュージックホール,歌ってよ夕陽の歌を,乳母車,裏切りの街角,縁切寺,尾崎家の祖母,弟よ,乙女のワルツ,お早うございますの帽子やさん,お前に惚れた,想い出まくら,面影,俺たちの旅,おんなの夢[一度でいいから],オンリー・イエスタディ<Only Yesterday>,風の街,傾いた道しるべ,カッコマン・ブギ,哀しみの終わるとき,学校の先生,黄色いカラス,傷ついた翼,北の宿から,北へ帰ろう,金太の大冒険,愚図,恋の暴走,恋は盲目<Love is Blind>,心のこり,この愛のときめき,御免,ささやかな欲望,誘われてフラメンコ,さだめ川,サボテンの花,さらばハイセイコ―,シクラメンのかほり,私鉄沿線,白い風よ,白い約束,時代,十九の春[私があなたに],十七の夏,純愛〔あなたは夜の駅へ〕,スカイ・ハイ<Sky High>,センチメンタル,卒業写真,千曲川,天使のくちびる,二重唱(デュエット),時の過ぎゆくままに,年下の男の子,となりの町のお嬢さん,ともしび[あなたの命のともしびが],とんちんかんちん一休さん,中の島ブルース,なごり雪,夏ひらく青春,何かいいことないかな,22才の別れ,眼れぬ夜,20歳のめぐり逢い,ハートのエースが出てこない,花車,花のように鳥のように,バンプ天国,巴里にひとり,ひと雨くれば,人恋しくて,ひとり歩き,僕にまかせてください,湖の決心,水無し川,港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ,無縁坂,昔の名前で出ています,めまい,木綿のハンカチーフ,やすらぎ,山鳩,夕立のあとで,夢よもう一度,ゆれてる私,夜の訪問者,リリー・マルレーン,ルージュの伝言,ロマンス〔あなたお願いよ〕,我が良き友よ,Love is Blind,Only Yesterday,Sky High
あゝ青春(2015.8.27)
昭和50年,詞:松本隆,曲:吉田拓郎,唄:トランザム
「ひとつひとりじゃ淋しすぎる」と始まる歌。
昭和50年に日本テレビ系で放映された刑事ドラマ『俺たちの勲章』の主題歌である。なお,『いつか街であったなら』1)は同じドラマの挿入歌である。
一応,一から九までの数え歌の形である。一応とつけたのは「いつつ生きてる後味悪さ 胸に噛みしめれば泣ける海」の六と七などのように,きちんとカウントを明示していないのが四と九も含めて9個のうち4個もあるからだ。
「あゝ青春は燃える陽炎か」と繰り返しているが,ここでの「陽炎」は「蜃気楼」の意味で使っているのだろう。「青春」というものが見える気がするのだが自分が青春を謳歌しているとは感じられないらしい。当然だろう。青春とは『あとからほのぼの思うもの』2)だからだ。「夢に破れ酔いつぶれ」などというのが青春まっただ中の証拠だろう。
1)「いつか街で会ったなら」(昭和50年,詞:喜多粂忠,曲:吉田拓郎,唄:中村雅俊)。
2)「青春時代」(昭和51年,詞:阿久悠,曲:森田公一,唄:森田公一とトップギャラン)
あいつ(2018.1.3)
昭和50年,詞:伊勢正三,曲:伊勢正三,唄:風
「雪の中 一人の男が山に帰っていった ただそれだけの話じゃないか」と始まる歌。
「一人の男」,「あの娘」,「あんなやつ」,「こんなかわいい人」,「あいつ」などと人を表す表現がいくつか現れる。「一人の男」,「あんなやつ」,「あいつ」は同一人物だろう。「あの娘」と「こんなかわいい人」も同一人物らしいのだが「あの娘」から「こんなかわいい人」になったいきさつが不明なので同一人物とは確定できない。「春が来たら」「また山でむかえよう」というのも,「山に帰って行った」男を「山で迎えよう」と言っているようで,歌い手が娘の側に居るのか離れているのか,山に居るのかそれとも山から下りたのかなどが解らない。
昔,ドイツ語の授業で超自然現象を扱った文章を読まされたことがあるが,居るはずのないところに突然現れるなど,論理の整合性が取れないので,自分の訳が正しいのか誤りなのかが判らなくなってしまったことがあったが,それと同じで私には理解できない歌。
逢えるかもしれない(2023.3.29)
昭和50年,詞:山口洋子,曲:筒美京平,唄:郷ひろみ
「夜のかたすみ小さな窓で あてなくロックをきいている」と始まる。
「はきふるした ジーンズみたい かるい調子で捨てられたのさ」とあり,失恋ソングだ。
「あそびなれた ふりをしてみたよ どうせ背のび風さえ痛い」ということだが。
「きっといつかは ほんとの恋に 逢える 逢える かもしれない」ということで,今回の失恋をどうこうという歌ではなく,単にほんとの恋をしたいというだけの歌。ほんとの恋というのが幻想なんじゃないかとは私は思うが。まあ「ほんと」という言葉の解釈によるが。
青空,ひとりきり(2017.11.21)
昭和50年,詞:井上陽水,曲:井上陽水,唄:井上陽水
「楽しい事なら何でもやりたい」と始まる歌。
当時は共感できる部分もあったのだが,今,歌詞を眺めてみるとジコチューの歌だ。
陽水が自己中心的かどうかは知らないが,当時の社会の雰囲気がこのような歌をヒットさせたのだろう。ベトナム戦争・大学紛争・70年安保・女権拡張など種々の問題を真剣に論じた若者も,学園紛争の結末に理想を見失った時代の歌だ。
アザミ嬢のララバイ(2013.10.14)
昭和50年,詞:中島みゆき,曲:中島みゆき,唄:中島みゆき
「ララバイひとりで眠れない夜は」と始まる中島みゆきのデビュー曲。
「春は菜の花 秋には桔梗 そしてあたしはいつも夜咲くアザミ」という箇所が印象的。
しかし,私は不明にして,当時は後の中島みゆきを想像することができなかった。この歌も何となく聞き流した歌だ。それどころか,この歌のどこがララバイなのかと心の隅で思っていた。「菜の花」は「桔梗」も,なぜこれが選ばれたのか理解できない。「アザミ」は何となく解る気がするが,「夜咲く」と付けているところが後の中島みゆきをかすかに思わせるところかと思う。私は昼間咲いているアザミしか見たことがないので,「夜咲くアザ,ミ」には新鮮さを感じる。
「あざみの歌」1)という名曲がある。私にはアザミの歌はこれで十分だ。
1) 「あざみの歌」(昭和26年,詞:横井弘,曲:八州秀章,唄:伊藤久男
兄貴のブギ(2021.3.9)
昭和50年,詞:ブギウギ三人衆,曲:ブギウギ三人衆,唄:萩原健一
「毎日聞くのはロックブギウギ」と始まる。
個々のフレーズは解るのだが,フレーズの繫がり具合が不明な箇所が何箇所もあり,全体として何が言いたいか不明。
「昭和げんろく イイカげんろく 男マリリン 何処へイクイク」とあり,明確な方向性が不明であるということを表現しているのかもしれない。
曲は馴染があるのだが,リズムだけなのかメロディーもなのか,元歌は何なのかなどは明確には思い出せない。似ているのは雰囲気だけかも知れない。
あの日にかえりたい(2011.11.5)
昭和50年,詞:荒井由美,曲:荒井由美,唄:荒井由美
「泣きながらちぎった写真を手のひらにつなげてみるの」ということだが,状況が良くわからない勝手に解釈すれば,ダ・カーポの「結婚するって本当ですか」のように突然手紙が届き,ガロの「学生街の喫茶店」のように愛だとは知らずにさよならもいわずに別れ,今になって「あの頃の私に戻ってあなたに会いたい」などと考えているのだろうか。
よくありそうな話だ。演歌の世界ならもう昔の私には戻れないと思うところなのだろうけれど,「いま愛を捨ててしまえば傷つけるひともないけど」と「けど」付きで勝手に「帰るわあの日に」と決めてアドレスを扉に挟んで帰る。これは行動する女性の進出と関係があるのか,何でもリセットが効くと考える世代と関係があるのだろうか。
ありがとうあなた(2017.8.8)
昭和50年,詞:千家和也,曲:都倉俊一,唄:山口百恵
「私のせいなら許して下さい」と始まる歌。
TBS系ドラマ『赤い疑惑』の主題歌。山口はこれが三浦友和とのテレビドラマ初共演。
ドラマの内容からすると「あとどのくらい生きられますか」というのは自分のことらしい。状況としては『愛と死をみつめて』1)と似たような状況だが,『愛と~』では『甘えてばかりでごめんね』と謝っているのに対し,この歌では「ありがとうあなた」と感謝している。自分がこのような状況だったら,私なら感謝ではなく謝るのではないかとも思ったが,もともと日本文化では謝罪と感謝の区別があまりついていないのかもしれない、感謝の対象となるような行為を相手にさせてしまったことに対する謝罪というかたちで感謝を表明するのだろう。外国語での感謝と謝罪の表現はどうなっているのだろうか。
尚、この曲はレコードとしては『ささやかな欲望』2)のB面曲。
1)「愛と死をみつめて」(昭和39年,詞:大矢弘子,曲:土田啓四郎,唄:青山和子)
2)「ささやかな欲望」(昭和50年,詞:千家和也,曲:都倉俊一,唄:山口百恵)
石狩挽歌(2014.10.19)
昭和50年,詞:なかにし礼,曲:浜圭介,唄:北原ミレイ
「海猫(ごめ)が鳴くからニシンが来ると 赤い筒袖(つっぽ)のやん衆がさわぐ」と始まる歌。この出だしのメロディーは何度も繰り返され印象に残る。「オンボロロ オンボロボロロー」という個所も印象に残る。
ニシン漁の栄枯盛衰を漁師の妻の立場から歌った歌。「娘ざかりの 夢を見る」だから,大漁だったころはまだ妻にはなっていなかったかもしれない。
「かわらぬものは古代文字」と唐突に「古代文字」が現れる。『小樽のひとよ』1)にも「古代文字」が現れるがこの年にも「古代文字」が世間の話題になったのだろうか2)。普通なら山河などの自然を変わらぬものの象徴として出すのではないかと思うのだが,北海道は開発で自然も変わってしまったのだろうか。「かわらぬものは」と言いながら「古代文字」は形こそ残れど今では使われなくなり輝きを失ってしまっているではないか。
この歌はいろんな歌手が唄っているのを聞いたことがあるが,北原ミレイふうなのは矢代亜紀だろう。声の感じが似ている。艶消しゴールドのような彼女の声は素敵だ。
1)「小樽のひとよ」(昭和42年,詞:池田充男,曲:鶴岡雅義,唄:鶴岡雅義と東京ロマンチカ)
2)昭和50年には五郷清彦の「日本神代文字」が出版されている。
「いちご白書」をもう一度(2012.11.12)
昭和50年,詞:荒井由美,曲:荒井由美,唄:バンバン
「いつか君と行った映画がまた来る」と始まる歌。映画の題名が「いちご白書」だ。60年代末期の米国の大学紛争を舞台とした映画で昭和45年の公開である。ヒッピーの影響だと思うが長髪が流行していた。しかし,大企業への就職は従来どおりというか,いわゆるサラリーマンスタイルでなければならなかった。就職試験を受けると,会社の人事や興信所から,友人・下宿の大家・実家の近所などに調査に来ていた。縁談でもこのような調査はあったのだろうが私のところに調査員が来たことはない。しかし就職関係の調査で先輩・友人・後輩などについて聞かれたことは何度もある。うまいこと答えてやろうと思ってはいても,相手は専門家でいろんなことを聞き出すのが上手だった。それで歌詞にあるように「就職が決まって髪を切ってきたとき」というような話になる。これは後にリクルートカットと呼ばれるようになる。このような時期に付き合っていた相手のことを思い出している歌だ。
たった5年しか経っていないが,「学生集会へも時々でかけた」のは完全に過去になってしまったという詠嘆の気分が良くでている。「君もみるだろうか『いちご白書』を二人だけものメモリーどこかでもう一度」
私にとって荒井由美は同世代だが,私は成長を止めて化石になってしまったのに対し,松任谷由美は私の次の世代にまで生長し続けているので,私は彼女についていけないところもある。実年齢はもちろん彼女のほうが若い。
いつか街で会ったなら(2016.8.2)
昭和50年,詞:喜多粂忠,曲:吉田拓郎,唄:中村雅俊
「何気ない毎日が 風のように過ぎてゆく」と始まる歌。
「それでもいつかどこかの街で会ったなら 肩を叩いて微笑あおう」と終わる。
つき合いを止めて別れる歌なのだろう。
日テレ系で放映された刑事ドラマ『俺たちの勲章』の挿入歌。
いろんな解釈あるいは意味の汲み取りができそうな詞だが,私は平凡な毎日に幸せがあり,その幸せは失ってから気付くと理解したい。
今はもうだれも(2017.10.3)
昭和50年,詞:佐竹俊郎,曲:佐竹俊郎,唄:アリス
「今はもうだれも 愛したくないの」と始まる歌。
このような心境になることもあるだろうと想像はできるが,慰める言葉もない。時が解決するだろうと見守るだけだ。もっと大きな人生の目標はないのかと言いたいが,下手な言葉をかけるより,黙って見守るほうが良いだろう。
嫌んなった(2019.7.29)
昭和50年,詞:沖てる夫,曲:憂歌団,唄:憂歌団
「嫌んなった もう駄目さ だけどクサるのは止めとこう」と始まる歌。
ストレス発散の歌なんだろう。私は他人のストレスのとばっちりなど欲しい訳ではないので,どこか他所でストレス発散してほしいと思う。
昭和の大部分で,このようにストレスを直接激しく放出する歌はあまり記憶が無い。ストレスは内に溜め,それでも滲み出てくるというような歌が多かったように思う。ロカビリー系の激しい歌はあったが,マイナスエネルギーの発散というのは記憶になく,多くは高揚の末のプラスエネルギーの発散ではなかったか。
男は我慢などと無理に価値観を押し付けるから性差が生まれる,そのような押し付けを止め,あるがままに生きることが素晴らしいなどという風潮のせいだろうか。
うぐいすだにミュージックホール(2017.11.12)
昭和50年,詞:山本正之,曲:山本正之,唄:笑福亭鶴光
「はい,いらっしゃいませ いらっしゃいませ 本日はようこそ当劇場へお越し下さいまして 誠にありがとうございます」と始まるかなり長い台詞が最初にあって,その後「スポットライトに 照らされて」と歌が始まる。間奏の際にも長い台詞がある。
台詞の中に「名付けて 好き好きピンクショウ」とあるが,そのような劇場の歌だ。
鶴光は当時深夜のラジオ番組1)を担当していたが,東京のキー局から関西弁のトークが流れるのは珍しかった。明石家さんまなどが出てくる前の話である。鶴光のトークには下ネタが多く,その意味でも話題になった。この歌がゴールデンタイムにテレビから流れたという記憶はないが,ラジオの深夜放送では流されていたかもしれない。有線放送では何度も聞いたことがある。鶴光はこの歌のヒットにより,落語に不真面目ということで師匠から時限ではあるが破門されたらしい(Wikipekiaによる)。
1)オールナイトニッポン
歌ってよ夕陽の歌を(2017.2.5)
昭和50年,詞:岡本おさみ,曲:吉田拓郎,唄:森山良子
「歌ってよ 夕陽の歌を 歌ってよ 心やさしく」とサビで繰り返される箇所から始まる歌。
実際の歌の始まりは「あなたは坂を登ってゆく」だ。
「あなたは夏をおりて行く 私は空に登って行く」とありすれ違いの歌なのだろうが,私の頭の中の論理と心の中の感性では理解も共感も出来ない歌。
私にとっては詞を聴く歌ではなく,森山の声を聴く歌。
乳母車(2019.11.23)
昭和50年,詞:阿久悠,曲:森田公一,唄:菅原洋一
「めずらしく 晴れた日の坂道を あのひとと 肩並べ歩いている」と始まる歌。
「あのひとは 乳母車 押しながら 去って行く」「三年のとしつきが そこにある」という歌。三年前に何があったかは語られていないが,そのときから「あのひと」と呼ぶ関係になったのだろう。それまではどういう関係だったのだろうか。
過去の話など関係ない。この三年間のあいだにあのひとは母親になった。異なる世界の住人になったのだ。
感じられるのは祝福よりはかすかな後悔と諦めだ。
裏切りの街角(2018.2.11)
昭和50年,詞:甲斐よしひろ,曲:甲斐よしひろ,唄:甲斐バンド
「雨にけむる街並みを 息をきらして駈けつづけた」と始まる歌。
いきさつは不明だが「おいらをふりきって汽車の中 おもわず叩くガラス窓 君は震え顔をそむけた」とあり,現在の状況は明白だ。曲は悲しみに包まれている。状況に共感できればこの歌に強く魅かれるだろうが,過去の状況が全く解らず,もっと前に何とかできなかったのか,このような結果になったのは自業自得かもしれないとも思うので共感はできない。
縁切寺(2018.1.25)
昭和50年,詞:さだまさし,曲:さだまさし,唄:グレープ
「今日鎌倉へ行って来ました」と始まる歌。
シングルは昭和51年になって発売される。これがグレープ最後のシングルになる。約半年遅れでバンバンにより再発売される。
別れるとは思ってもみなかったころ二人で訪れた鎌倉への独り旅。
「あの日誰かに頼んで撮った一枚きりの一緒の写真」とあるが,この頃はフィルムカメラだったとはいえ1枚しかないというのはやや不思議な気がしないでもない。知らない人があとで送ってくれた写真なのだろうか。あるいは互いに撮りあい,一人だけの写真はもっとあるのだろうか。
微妙な疑問が残らないではないが,「あなたとの糸がもし切れたなら 生きてゆけない」といっていた「君から別れの言葉」,なぜかは解らないが諦めるしかないという淋しい気持ちがよく表れている曲だと思う。
尾崎家の祖母(2020.3.1)
昭和50年,詞:まりちゃんズ,曲:藤岡孝章,唄:まりちゃんズ
「尾崎んちのババアは野次馬ババア 近所に火事なんかあったりすると」と始まる歌。
「尾崎んちのババアは72」と繰り返される。私も,今では72歳などまだまだ若いと思ってしまうが,当時ならば大年寄りだと思っただろう。当時の現役でも年配者は年寄りだと感じていたが60前だったのだろう。60前でも十分ジジイであり,ババアであった。
それにしてもこの歌の72歳は非常に元気だ。昭和50年の日本人の平均寿命は男71.79歳,女77.01歳だ。
「いつかはへこましてやるぞ 死なしてたまるか勝つまでは」と言っているが,勝てたのだろうか。
弟よ(2018.12.24)
昭和50年,詞:橋本淳,曲:川口真,唄:内藤やす子
「独り暮らしのアパートで 薄い毛布にくるまって」と始まる歌。
自分は「今じゃ男の心さえ 読めるおんなになりました」ということなので,弟の心が読めるということなのだろうか。
「遠く離れて暮ら」してはいるが「あなたを捨てた わけじゃない」というのは,弟の心を『捨てられたんだからグレてやる』と読んだのだろうか。もしそうなら読み違えじゃないかとは思うが,弟に対する家族愛が聴き手には伝わって来る。しかし弟には伝わらないだろう。何かが間違っているのだ。それが何かが簡単に解らないから人生は奥深い。
乙女のワルツ(2016.2.17)
昭和50年,詞:阿久悠,曲:三木たかし,唄:伊藤咲子
「好きといえばいいのに いつもいえぬままに」と始まる歌。
「つらいだけの初恋 乙女のワルツ」と終わる。
本人にとっては深刻なのだろうが,オジさんからみると微笑ましい。後日振り返れば甘酸っぱい思い出になるだろう。阿久悠の考えの一つが『青春時代の真ん中は 道に迷っているばかり』1)ということなのだ。
1)「青春時代」(昭和51年,詞:阿久悠,曲:森田公一,唄:森田公一とトップギャラン)
お早ようございますの帽子屋さん(2019.12.25)
昭和50年,詞:谷山浩子,曲:谷山浩子,唄:谷山浩子
「誰だってみんな やさしい人ばかり」と始まる歌。
優しい歌だ。
「疲れるだけですよ 憎んでみたところで」と言われると本当にそうかもしれないと思い,荒んだ気持ちも癒される。
いつもこんな歌を聴いていると脳味噌がふやけてしまうかも知れないが,たまに聞くと心が温まる。
お前に惚れた(2018.9.29)
昭和50年,詞:阿久悠,曲:井上森之,唄:萩原健一
「20何年 生きてきて いろいろな女もみてきたけど」と始まる台詞からスタートする。
唄は「惚れたんだよ お前に うぶな心に負けたんだよ」と始まる。
「あん時ゃどうしようもないどしゃ降りで まさかと思ったお前が立っていた」
何となく小林旭の歌に出てきそうだ。小林旭のほうが兄貴分でよりタフそうには感じられるが。
想い出まくら(2013.5.8)
昭和50年,詞:小坂恭子,曲:小坂恭子,唄:小坂恭子
「こんな日はあの人の真似をして」と始まる歌。
「ねぇあなたここに来て楽しかったことなんか話してよ話してよ」
このような歌のピアノの弾き語りというのは珍しいのではないか。子供の頃の印象が強いせいか,ピアノやバイオリンと聞くと良家のお嬢様を想像してしまう。お嬢様を想像してしまうと歌に共感しにくくなる。ギターのほうが親しみを持てる。詞は演歌にもフォークにもなる詞だ。
いろんな歌手が歌っているのをYouTubeで聴いてみたが,どれも良い。この歌は歌手とのマッチングとは関係なしに,詞と曲が良いのだ。
面影(2017.12.1)
昭和50年,詞:佐藤純身,曲:菊池俊輔,唄:しまざき由里
「いつかきた道 あの街かどに」と始まる歌。
「ああ一度だけ恋して燃えた あああの時はもう帰らない」と1・2・3番で繰り返されるので無理やり印象づけられる。曲も唄も悪くないと思うが,肝心の「面影」に具体性がないので全体としてはぼんやりとしか印象に残らない。
TBSのGメン75のエンディング曲だが,ドラマの内容との関係は私には解らない。
俺たちの旅(2017.6.11)
昭和50年,詞:小椋佳,曲:小椋佳,唄:中村雅俊
「夢の坂道は木の葉模様の石畳 まばゆく白い長い壁」と始まる歌。
小椋らしい詞だと感じる。分析力不足でなぜかと明確に指摘することは出来ないが,言葉の選び方,修飾の方法,全体の構成などに生真面目な東大生らしさを感じる。
真面目そうに見えるという点で中村の歌唱とよく合っている。
日本テレビ系テレビドラマ「俺たちの旅」の主題歌で,ドラマの主人公は三流?私大生だが。お気楽?若者を秀才が好意的に描くとこのような詞になるのだろうか。
おんなの夢(2019.8.22)
昭和50年,詞:悠木圭子,曲:鈴木淳,唄:八代亜紀
「一度でいいから 人並に あなたの妻と 呼ばれてみたい」と始まる歌。
「たとえ日陰の 花でもいいの」とも言っているのでこれが次善の策ということなのだろう。しかし,公序良俗に反すると思ったか,最後は「私ひとりの 夢でもいいの」とまで後退している。当時の社会通念に従ったのだろう。略奪婚などは考えもしないようだ。
淀君は北政所という正妻のいる秀吉の寵愛を受けた。しかし自分を日陰者とは考えなかっただろう。
社会通念は場所と年代により異なるので,正義や平等という概念も場所と年代で異なる。たとえば競泳ではスタートは足で決まるのにゴールは手で決まる。これだと背が低い選手は背が高い選手より長距離泳がなくてはいけなくなる。不公平ではないか。ルフィー1)のように腕が伸びればもっと有利だ。しかし,競泳のルールが不公平だから改正すべきだというような話は聞かない。多くの人々が現行ルールに納得しているからだろう。
多くの人が納得している平等でも観点によっては不平等に見える。正義についても同様だ。多くの人が信じている正義でも,時代や場所が異なれば正義ではないかもしれないし,ましてや自分一人(とその仲間)が正義だと信じることが皆から正義だと納得してもらえるとは限らない。平等や正義などは常に相対的なもので絶対的な正義などというものはありえない。
AIが悪用されないようにとは言ってもAIに正義とは何かを考え出すことはできるのだろうか。人間が教えるとすれば,教える人間の正義感が問題だし,AI自身が考えるとすると,その結果が多くの人間が考える正義と一致するかどうかが問題だ。
1)尾田栄一郎の漫画「ONE PIECE」の主人公。「ゴムゴムの実」の能力で身体各部を自由に伸縮できる。
風の街(2017.3.2)
昭和50年,詞:喜多粂忠,曲:吉田拓郎,唄:山田パンダ
「道のむこうで手を振った 大きな声でさよなら言った」と始まる歌。
「表参道 原宿」の歌のようだが,私が東京へ行く機会が増えたころこの辺りはまだ有名ではなかった。そのころ有名だったのは『盛り場ブルース』1)で歌われた『銀座 赤坂 六本木』であり『渋谷 新宿 池袋』だった。そのうち,私が盛り場との認識で探検したのは『渋谷 新宿 池袋』である。他には神田や御茶ノ水での仕事が多かった。『銀座 赤坂 六本木』も行ってはみたが昼間だった。その後,『表参道』は何度か訪れたが,『原宿』は有名になってからもついに訪れる機会はなかった。
この歌に関係のないことを書いてしまったが,この歌と私の関わり合いはその程度だ。別の目的で購入したCDにたまたこの歌が入っていたというだけである。
傾いた道しるべ(2013.11.28)
昭和50年,詞:小椋佳,曲:小椋佳,唄:布施明
「幸せの中でつきあたりを見ることはありませんか」と始まる歌。
小椋佳らしさを感じる曲である。どこがと問われると私の力不足で具体的に説明できないのだが,タクローでもなくユーミンでもなく小椋佳なのだ。
詞にどこかひっかかる点があるのだが,この違和感が何かは解らない。
曲は布施明の曲として,よい曲だと思う。小椋が唄うより,布施のほうが良い。本当のところは良し悪しは判らないので,私は布施の唄のほうが好きだというべきかも知れない。
今,この歌を聞いたときの感じは当時の感じと少し違う。おそらく,当時は私自身にも「心の中の三叉路」があり,人生の選択の余地が少しはあったのに対して,現在はほぼ選択の余地のない一本道を歩んでいるからかもしれない。「傾いた道しるべ」があるわけではなく一里塚があるだけである。
『門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし』(一休宗純)
カッコマン・ブギ(2017.6.30)
昭和50年,詞:奥山p伸,曲:宇崎竜童,唄:ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
「銀座・原宿・六本木 バギー・トップにヒップボーン」と始まる歌。
「アフロヘアーにラメラメ・シャツ ロンドン・ブーツにスリーピース リングにピアスにペンダント」などとあるので当時これらが流行していたようだが,私とは無縁の世界だった。私は深夜まで実験の毎日だったが,期待した成果は得られなかった。
哀しみの終わるとき(2020.1.20)
昭和50年,詞:山上路夫,曲:筒美京平,唄:野口五郎
「誰があなたを そんなにしたのか」と始まる歌。
「悪い男に すべてをつくして こんなさみしい あなたになったのか」「死にたいなんて 言うのはおよしよ 僕と幸せ 二人さがそう」という歌。
山上・筒美・野口ならこんな感じだろうということで安心して聴けるが,驚きには欠ける。
あなたの哀しみが終わったかどうかはこの歌では解らないが,少なくとも僕の哀しみは終わったようだ。
学校の先生(2017.8.24)
昭和50年,詞:山上路夫,曲:大川光久,唄:坂上二郎
「みなさん,このたびこのクラスをうけもつことになりました坂上です。」から始まる台詞でスタートする。唄は「小さな町の中学校に」と始まる。
間奏の間にも台詞があり,文字にすると唄う部分より台詞のほうが遥かに長い。生徒に関する思い出の歌というところだ。
坂上の歌唱は上手いと言えば上手いのだがこの頃では誰もこのような唄い方をしない,一言でいえば古臭い歌唱である。しかし,中学教師という設定なので生真面目に唄う姿は好ましいとも思える。
黄色いカラス(2015.9.17)
昭和50年,詞:みなみらんぼう,曲:みなみらんぼう,唄:ちゃんちゃこ
「羽の色が真っ黒なカラスがカナリアに恋をして」と始まる歌。
羽根を黄色く染めて出かけた初デートで,雨のため色が落ちたカラスは,自分は着色で騙そうとした醜いカラスだと告白する。最後は「心を染めなかったあなたが好きです」とのカナリアの言葉で終わる。
メルヘンだ。
私の感覚では中学生向きの歌だが,今の若年者が聴いたらどの世代が支持するのだろうか。どの世代にも支持されないのだろうか。
上司が『カラスは白い』と言ったとき,部下は何と言うべきかという問いは昔からある。白と同調すべきか黒と反論するか。状況次第で使い分けるのが大人の対応だと言われているようにも思うが,永田町では「カラスは真っ白です。」と答えるのが正解だとされているそうだ。しかし,少なくとも理系人間は白いカラスも黒いカラスもいるが黒いほうが多いと言うべきだろう。この『多い』の部分をいかに表現するかも重要だが,理系人間でも統計的な数値を出すのは最善とは言えない。状況に応じて表現を変えることができるように理系人間にとっても言語能力は重要だ。最近は英語どころか日本語もあやしい若者が増えた。(これは昔から老人の常套句らしい。)
平成になって米国映画『The Human Stain』の邦題が『白いカラス』だ。映画のネタバレにならないよう,映画に関する記述は省略する。
ところで,以前は『髪はカラスの濡れ羽色』という言葉があった。作詞者の意識にこの言葉があったとすれば,この歌は髪を染める若者の歌なのかもしれない。
傷ついた翼(2020.4.1)
昭和50年,詞:中島みゆき,曲:中島みゆき,唄:中島みゆき
「時は流れゆき 想い出の船は港をはなれ」と始まる歌。
「あの頃は」「愛の翼にも気づかずに つきとばしてきたのよ」と今気づいた。
「遅すぎなければ この想いのせて もう一度飛んで」というのだ。
幸せを掴んでほしい。幸運の女神は前髪を掴まないといけないのだが・・・。
北の宿から(2012.9.14)
昭和50年,詞:阿久悠,曲:小林亜星,唄:都はるみ
「あなた変わりはないですか」「あなた恋しい北の宿」という歌。北の地域を傷心旅行中ということか。第18回日本レコード大賞大賞・歌唱賞受賞曲である。
「着てはもらえぬセーターを寒さこらえて編んでます」という箇所が印象的で,いろんな議論があったらしい。セーターが出来上がったらどうするのだろうということだろう。ヒロインを弱い,いじらしい女とみるのと,怖い女と見る正反対の見方があるのはみる人の過去の経験の差によるものだろう。なお,阿久悠は失った恋に自らけじめをつける強い女をイメージして詞を書いたらしい。また,編み物のイメージを下げるというようなクレームまであったようだ。
そういえば,手編みのマフラーとかセーターが流行っていたのはこの少し前だろうか。編機にかかりにくい(私の想像)ので手編みと思われやすい極太の毛糸を使って編まれていた。
当時,私はPnSnTeという材料の結晶成長の研究をしていた。Pb,Sn,Te 3種類の材料を混ぜて温度を上げて融かして混ぜ,温度を下げて固めたときに各元素が規則正しく整列していたら成功ということなのだが,これが難しい。一連の実験に約1週間かかり,失敗だったとわかったとしても,今回のやり方ではダメだという情報しか得られない。成功すれば(なぜ成功したのか理由がわからなくても)それなりの論文は書けるが,失敗した場合には成功した場合との違いを明確にしない限り論文は書けない。目的外のものができて実験が失敗した場合でも,できたものが有用なものあるいは珍しいものなら実験目的を変更して論文を書くことができる。大発見や大発明にはこのような形ででてくるものもあるが,求めているもの以外の重要な事項に気づくには十分な注意力と豊富な知識と経験が必要だ。ノーベル賞級の論文は別として,中堅以下の研究者にとって業績評価は論文数というのが当時の状況だった。
全く独自の研究をしている場合以外は競合する研究者がいる。競合する研究者が良い結果をだしたという情報が入ると,詳しい情報が知りたくなる。オーストラリア産の原料ではうまくいかなかったが南米産の原料に変えたらうまくいった。原因は測定にかからないほど微量な不純物のせいらしい。このような情報が得られれば,公称では同じ純度の材料でも,メーカーによって含まれる微量不純物が違うかと,(予算があれば)いろんなメーカーから材料を購入してみる。ついでに原産地なども確認する。そのうちに温度を1/10000の精度で制御した場合と1/100000の精度で制御した場合では成功率に10倍の差があったなどという論文が発表されたりして,電気炉自体を作り直そうかということになる。
編み物などは,1日やれば1日分の成果が目に見えて残る。素人ならば目が跳んでいても手編みの証拠と放っておくこともできる。これに対してほぼ無限にあると思われる実験条件でこれはダメだという結果しか得られない実験を続けていた身からすれば,このセーターが完成したらきっぱり忘れようとひと目づつ編んでいるほう精神的には楽なのではないかと思う。・・・私ならこのセーターが編みあがってしまったらおしまいとおもいつつ編んではいても,完成間近になるとまたほどいてしまいそうだが。「女心の未練でしょうか」
なお,現在では研究職の業績評価には論文の質等他の要素も加味されている。昔は研究発表する場所(専門雑誌や学会)も少なく,雑誌に掲載されるだけでもハードルが高かったが,その後専門雑誌の数が激増し,掲載料を払えば,明らかな嘘や間違いがなく,盗作が明白でない限りフリーパスに近く掲載される雑誌もでてきて論文の質が問題になりだした。受賞なども加味されるが,賞の数も増えており賞の権威も千差万別になってきた。
北へ帰ろう(2016.1.1)
昭和50年,詞:徳久広司,曲:徳久広司,唄:徳久広司
「北へ帰ろう思い出抱いて 北へ帰ろう星降る夜に」と始まる歌。
TBS系テレビドラマ『寺内貫太郎一家2』の挿入歌。
『北帰行』1)の雰囲気である。『惜別の歌』2)も入っているようだ。というか,曲は後者の方に近い。愛唱歌が頭の中にしまわれており,それらがまざりあって自然に流れ出ているという風で,意外性はないがその分安心して身を任せられる歌だ。
1) 「北帰行」(昭和36年,詞:宇田博,曲:宇田博,唄:小林旭)
2) 「惜別の歌」(昭和36年,詞:島崎藤村,曲:藤江英輔,唄:小林旭)
金太の大冒険(2017.10.17)
昭和50年,詞:つボイノリオ,曲:つボイノリオ,唄:つボイノリオ
「ある日金太が歩いていると 美しいお姫様が逃げてきた」と始まる歌。
ぎなた読みを利用したコミックソング。上品な詞ではないが有線放送で何度か聞いたことがある。インパクトが強く,一度聴いたら忘れない。
つボイは当時から東海ラジオやCBCラジオで活躍しており,東海地区では有名なラジオスターだ。
愚図(2012.3.13)
昭和50年,詞:阿木燿子,曲:宇崎竜童,唄:研ナオコ
「あの娘がアンタを好きだってこっそりあたしに打ち明け」たので,「アンタと行きたかったコーヒーショップ」で二人を会わせ,「本当はアンタが好きだなんて今更言える訳ないじゃないの」と先に帰ってくるという古典的なシチュエーションの歌。ちょっと状況は違うがシラノ・ド・ベルジュラックを思い出させる。
この歌が宇崎・阿木のコンビいうのがちょっと信じられない。これは一時の中島みゆきの世界ではないかと感じる。
ところで,「コーヒーショップ」というのはどこの言葉だろう。「コーヒーショップで」1)という歌もあったが,私が誰かに「ちょっとコーヒーショップに」などと言ったことはないし,人から言われたこともない。私が行くのは「喫茶店」だ。昔の「純喫茶」は暗めだったが,感じは似たようなもので明るい店も,全て「喫茶店」だ。コーヒーにいろんな混ぜ物(それなりに美味しいが)を入れる店は固有名詞(チェーン店なので,その名前。○○店と土地の名前までは言わない。)でいう。食べ物がメインでコーヒーも飲める店も固有名詞だ。カウンターしかない,あるいはそれに近ければ「コーヒースタンド」だ。
1)阿久悠:「コーヒーショップで」(曲:三木たかし,唄:あべ静江)
恋の暴走(2016.9.2)
昭和50年,詞:安井かずみ,曲:馬飼野康二,唄:西城秀樹
「嫌いになれるなら 教えて欲しいのさ」と始まる歌。
「ダメにダメにダメになりそう」の箇所が印象に残るが,私は少し前の絶叫型の歌のほうが好きかも知れない。唄いながらのアクションが派手になるにつれ,声量が落ちているのではないか。
唄いながらの派手なアクションで歌がメインかダンス?がメインか解らないようなアイドルが次第に増えてくるが,その先駆者のひとりだるう。
心のこり(2014.11.30)
昭和50年,詞:なかにし礼,曲:中村泰士,唄:細川たかし
「私バカよね おバカさんよね」と始まる歌。
日本レコード大賞最優秀新人賞受賞。
昭和の演歌テイストの歌だが,藤圭子や八代亜紀風の演歌ではない。細川演歌というべきだろう。「私バカよね」からも解るように,昭和の自虐的詞と言えよう。バカとわかっていながら「あきらめが あきらめが 悪いのね」と心の揺れを告白しつつ「私も旅にでるわ」と無理やり忘れようとする。
この詞に対して曲は最初から明るい。細川の声は三波春夫の系統の声だが,三波ほど気取ってはいない。テレビ通販番組でお馴染みの会社の社長が細川の歌マネをしたら似ているのではないかと思う。曲と声が明るいので藤のような暗い歌にはならない。曲の終わり近くはもっとしんみりと唄うこともできるようなメロディーだと思うが,細川は最後まで明るく唄いきる。
つらさを吹き飛ばしてしまおうという歌唱で,好ましい。
この愛のときめき(2019.9.23)
昭和50年,詞:安井かずみ,曲:あかのたちお,唄:西城秀樹
「じっと胸にためた 想いがあなたを 追いかける」と始まる歌。
何度も「どんな風に愛したら この恋が結ばれる」と繰り返していて,優柔不断の見本のようだ。
ヒデキはもっと積極的だったように思うのだが。
昭和40年頃を境として恋愛結婚数が見合い結婚数より多くなった。見合い結婚では互いの家のつり合いが重視されていたので,恋愛結婚でも,反対を受けないためには,最初から身分違いの恋は諦める傾向にあった。
私見では昭和30年代にこの傾向が強かったように感じる。それ以前だと身分違いの恋に苦しむ話が(小説などで)いくらでも出てくる。メロドラマはこれなくして成立しないと言えるくらいだ。明治には昭和30年代なら身分違いと思われる女性を妻にした元勲もいる。もっと前でも財力があれば一旦しかるべき家の養女にするなどの便法もあった。
しかし,昭和30年代の身分違いの恋の話は様相が違う。幼馴染や偶然出会った相手などに恋心を感じるところまでは何時の世も同じなのだが,昭和30年代は大した努力をすることもなく諦めてしまう例が多いように思う。そして悶々と過ごすのだ。当時の流行歌から私はこのように感じる。身分違いと書いてしまったが,二人とも庶民であっても,一方が求職の為都会に出るなどすると,交際を諦めたり,別れの時に将来を誓い合っても,当時は交通も通信も非常に高価だったので次第に関係が切れて行くという歌が多いように感じる。
昭和40年を過ぎると次第に男性はストレートに想いを口にするようになる。当時はまだ女性はあまりストレートに思いを口にすることはなかったのではないか。
それが昭和50年頃には思ったことをストレートにいう女性も現れてくる。そうすると臆病な男性は女性の反応が怖くなり,ウジウジ・グズグズになってしまったのではなかろうか。
この歌から受ける印象はヒデキ本来のものではなく,安井が付与したものではないかと感じる。
御免(2016.3.20)
昭和50年,詞:井上陽水,曲:井上陽水,唄:井上陽水
「なんにもないけど 水でもどうです」と始まる歌。
「あいにく家内は里へ帰っていて」「よく来てくれた 僕の家に ありがとう ありがとう」という歌なのだが私には理解できない。
来客にお茶さえ出せずに御免なさいということなのだろうが,貧乏暮しで茶葉さえ買えないということなのだろうか。「目玉焼きくらい 僕がつくりましょう」と言っているのだからそうでもないようだ。
昭和50年頃だったら,よく訪ねてくる友人ならば何もなくても御免などということはなかった。互いに飲食など期待していなかった。必要なら喫茶店にでも行けばよかった。珍しい友人が訪ねてくることもなかった。珍しい友人は私の住まいを知らなかっただろう。
もっとも,私の祖父母の家は,時代がもっと古いが,常に酒が用意してあった。自宅で漬物も漬けていて,年代物の古い漬物もあり,酒と漬物ならどんなときにもあったらしい。曾祖父がかなり飲んだらしいので,酒だけは切らしてはいけないという家だったのだろう。何かの会食の際,伯父が『何もありませんが酒だけは十分あるので』というような挨拶をしたことを覚えている。歌にも『来たら茶も出す酒も出す』1)とあり,来客を茶菓でもてなすことは普通だったのだろう。家庭持ちと独り者の違いだったのかも知れない。
「御免」で思い出すことといえば,『ごめんねごめんねチコちゃん』2),『ごめんねジロー』3),『ごめんなさいねあの日のことは』4),『ほんとうにごめんね』5),『呼び出したりしてごめんごめん』6)などの歌と時代劇,それに『ごめんで済んだら警察いらん』くらいだろうか。
U字工事7)は二人とも昭和53年生まれだからまだ生まれてもいない。
1)「十日町小唄」(昭和4年,詞:永井白湄,曲:中山晋平)
2)「ごめんねチコちゃん」(昭和39年,詞:安部幸子,補作詞:佐伯孝夫,曲:吉田正,唄:三田明)
3)「ごめんネ・・・ジロー」(昭和40年,詞:多木比佐夫,曲:津野陽二,唄:奥村チヨ)」
4)「天使の誘惑」(昭和43年,詞:なかにし礼,曲:鈴木邦彦,唄:黛ジュン)
5)「ごめんね」(昭和46年,詞:遠藤実,曲:遠藤実,唄:小林旭)
6)「夕暮れ時はさびしそう」(昭和49年,詞:天野滋,曲:天野滋,唄:NSP)
7)漫才コンビ。「ごめんね ごめんね」のギャクがある。
ささやかな欲望(2016.10.4)
昭和50年,詞:千家和也,曲:都倉俊一,唄:山口百恵
「青い落ち葉を舞い散らして 時間通りにバスが着いた」と始まる歌。
「生意気ですけど ひとつだけ言わせてね」と本当に生意気だ。「私はあなたを悪者にしたくない」と詞の雰囲気は演歌テイストだ。デビュー以来の山口の詞は千家によって書かれている。もちろん都倉の曲は演歌ではないし,後のJ-POPとも違う。歌謡曲の本道を歩んでいるという感じを受ける。ただ,山口の実年齢と千家の詞にギャップを感じるのだ。もちろん,それが千家の狙い,もしくは千家の好みなのだろう。
この路線をそのまま行けば,山口も森昌子と桜田淳子の間くらいのアイドル歌手(アイドル性と歌唱力)で終わったのだろう。しかし,後に阿木耀子の詞と宇崎竜童の曲を得て大歌手へと変貌する。阿木・宇崎コンビも歌のテイストは迷走しているが,これらの歌を唄うことにより,山口百恵はどんな歌でも唄いこなせるようになったと私は感じている。
誘われてフラメンコ(2015.10.8)
昭和50年,詞:橋本淳,曲:筒美京平,唄:郷ひろみ
前奏部分に「ア・・・」と少しあってから「真夏の匂いは危険がいっぱい」と始まる歌。
フラメンコは何曲か聴いたことがある程度だが,この歌のようなフラメンコは他に聴いたことが無い。歌詞に「誘われてフラフラ 乱されてフラフラ」とあるが,この「フラフラ」がフラメンコとの関係なのだろうか。
『星のフラメンコ』1)はところどころにフラメンコを意識した箇所が見えるがこの歌・曲・振り付けなどどこにも私が思うフラメンコがない。私は,この歌はタイトルと内容が全くあっていない歌だと思う。
1)「星のフラメンコ」(昭和41年,詞:浜口庫之助,曲:浜口庫之助,唄:西郷輝彦)
さだめ川(2017.12.15)
昭和50年,詞:石本美由起,曲:船村徹,唄:ちあきなおみ
「明日のゆくえ さがしても この眼に見えぬ さだめ川」と始まる歌。
ちあきはなぜこのような歌を唄うのだろう。この歌が悪いわけではない。詞は典型的な演歌だし,曲も演歌っぽいところもある船村節だ。歌が悪いわけではない。ちあきの歌も上手い。しかし歌と唄があっていないように感じる。この歌ならもっと合う歌手が他にいるのではないかと感じるし,ちあきにはもっと明るい唱歌系の歌が合うと思う。
サボテンの花(2017.3.28)
昭和50年,詞:財津和夫,曲:財津和夫,唄:チューリップ
「ほんの小さな出来事に 愛は傷ついて 君は部屋をとびだした」と始まる歌。
些細なことが原因で終わった恋の歌。このようなことはありえそうに感じられる。歌詞は責任転嫁するわけでもなく,自責の念にさいなまれているわけでもない。ただ静かに深く悲しみながらも「何かをみつけて生きよう 何かを信じて生きてゆこう」と前向きな気持ちを奮い立たせようとしているところには好感を持つ。
さらばハイセイコー(2016.5.4)
昭和50年,詞:小坂巌,補作詞:山田孝雄,曲:猪俣公章,唄:増沢末夫
「誰のために走るのか 何を求めて走るのか」と始まる歌。
「ありがとう友よ さらば ハイセイコ―」と終わる。
昭和48年に地方競馬から中央競馬に移籍,その年の皐月賞に勝ったハイセイコ―の人気が高まり,競馬がそれまでのギャンブルからレジャーの一つとなったきっかけとなった。これが第一次競馬ブームであり,第二次ブームはオグリキャップと武豊のときだ。
そのハイセイコ―が昭和49年の有馬記念で引退することになり,これを記念して競馬実況アナウンサーの小坂が作詞し,騎手の増沢に唄わせた歌である。この有馬記念では2着だった。
地方競馬から一歩一歩勝ち上がってきた競走馬に,戦友である騎手からの感謝の歌である。曲調は軽快な競馬の曲ではなく,軍歌?『戦友』1)を思わせるメロディになっている。
1)「戦友」(明治38年,詞:真下飛泉,曲:三善和気
シクラメンのかほり(2012.5.19)
昭和50年,詞:小椋佳,曲:小椋佳,唄:布施明
「真綿色したシクラメンほど清しいものはない」と始まるレコード大賞受賞曲。小椋佳「めまい」のB面にも収録されている。二つはメロディーの一部が微妙に異なる。この歌に関しては,私は布施のほうが好きだ。
「時が二人を追い越してゆく」とあるが,この頃の小椋は時の経過に関する歌がいくつかあり,時間に敏感になっているように感じる。敏感と言う言葉は適切だとは思わないのだが他に言葉を思いつかない。過ぎ去った時は呼び戻すことはできないのだ。
「愛がいつのまにか歩き始めました」という歌詞には日本を感じる。「いやいやながら結婚せざるを得ない」というより「結婚できることがうれしくてしかたない」というようなときでも「結婚します」ではなく「結婚することになりました」と自分の意思ではないように報告する日本語の特徴が出ている。
私鉄沿線(2015.1.13)
昭和50年,詞:山上路夫,曲:佐藤寛,唄:野口五郎
「改札口で君のこと いつも待ったものでした」と始まる歌。
「あの店で聞かれました 君はどうしているのかと」と唄う野口。この歌は野口五郎のベストソングではないだろうか。「この僕もわかりません 君はどうしているのでしょう」。
『甘い生活』1)の続編だろうか。
野口五郎は郷ひろみ・西城秀樹と共に新御三家と呼ばれているが,三人の中では最も歌手らしい歌手だと思う。古いタイプの歌手に近いということかもしれない。
1)「甘い生活」(昭和49年,詞:山上路夫,曲:筒美京平,唄:野口五郎)
白い風よ(2021.12.1)
昭和50年,詞:石森史郎,曲:桑原研郎,唄:桜田淳子
「わたしは今 みつめているの 流れゆく 雲のゆくえを」と始まる。
NHK連続テレビ小説『水色の時』(出演:大竹しのぶ,昭和50年)の主題歌。石森はドラマの原作・脚本担当。
「あなたはどこへ どこへ行くの わたしもいつか 旅にでるの」という歌。
歌はやや古めかしさを感じ,昔ながらのNHKという印象である。
白い約束(2017.7.22)
昭和50年,詞:千家和也,曲:三木たかし,唄:山口百恵
「白く透き通る 雪が降る」と始まる歌。
「いつかは汚れてしまうのかしら」と終わる。
詞に共感はしないのだが,山口の唄を聴くと納得させられてしまう。当時の山口百恵以外にこの歌を唄って納得させるだろう歌手を思いつかない。山口本人ですら,後に唄ったら合わないのではないか。
時代(2014.1.3)
昭和50年,詞:中島みゆき,曲:中島みゆき,唄:中島みゆき
「今はこんなに悲しくて」と始まる歌。これは前奏?の一部で本当の始まりは「そんな時代もあったねと」からかもしれない。
「まわるまわるよ時代はまわる」のフレーズが印象的で何度も出てくる気がするが。2番では「めぐるめぐるよ時代はめぐる」と微妙に異なる言葉が使われている。
この当時は「今日は倒れた旅人たちも生まれかわって歩き出すよ」と前向きに終わっている。感想はまあ,普通の歌で,荒井由実ほどの衝撃はなかった。しかし,その後暗く屈折した歌に移行すると荒井由実から受ける衝撃とは真逆の方向の衝撃だった。
後になってよくこの歌詞を読むと,ところどころにその後の予兆を感じさせる箇所がある。蝶・・・蛾かもしれないが・・・になる前の幼虫のようだ。美空ひばりはいろんな雰囲気の歌を歌っている。山口百恵もそうだ。しかし彼女たちの場合には作詞・作曲をする人が別にいた。例えば山口が阿木の詞によって大きく変わったように。中島みゆきは独力で変わっていくのだ。
十九の春(2024.3.10)
昭和50年,詞:沖縄俗謡歌・補作詞:本竹裕助,曲:沖縄俗謡歌,唄:田端義夫
「私があなたに ほれたのは ちょうど 十九の春でした」と始まる。
「いまさら離縁と 言うならば もとの十九にしておくれ」といわれ,「枯木に花が 咲いたなら 十九にするのも やすけれど」と答える。そのような歌。
十七の夏(2017.9.7)
昭和50年,詞:阿久悠,曲:森田公一,唄:桜田淳子
「特別に愛してよ 十七の夏だから」と始まる歌。
昔も今も私には十七の娘の気持ちは解らない。この歌は詞も曲もハッピーハッピーで満ちているようだが私が高校生の頃はもっと心の中は複雑だった。
高校生だった頃(昭和30年代末期)の夏と言えば高校野球だ。私は応援をしていただけだが。
当時私が通っていた高校は,野球部の伝統はあったがそれほど強かったわけではない。伝統というのは春の甲子園に出場したこともあるし,夏の甲子園では全国優勝したこともある。しかし,その後,商業高校の男子生徒が減り結果として野球部員が減ったり,私立高校が次々と新設され,高校野球の勢力分野は変わっていった。それほど強かったわけではないと,やや謙遜してしまったが,概ね3年毎に県大会でそれなりの成績を残していた。全国的にはスポーツ推薦で100人以上の選手を集める私立高校がある中で,私が通っていた高校の野球部は1学年では野球ができない(9人に満たない)位の部員しかいなかった。県大会クラスでは投手の力があり,特別な強豪校に当たらなければある程度勝ち残っていける可能性が高い。このような投手が入部するのが平均して3年に一人ということだろう。
当時,三重県大会の上位2校,岐阜県大会の上位2校で開催される三岐大会で優勝した高校が三岐代表として夏の甲子園に出場していた。私の母校は三岐大会の常連というほどではなかったが,私が在学中,1度この三岐大会にまで勝ち進んだが三岐大会で惜敗した。
この年,全ての県大会と三岐大会の試合の応援に行った。私の青春の一コマである。
私の卒業後,一度夏の甲子園に出場しているが,その後の大活躍はあまり聞いていない。
純愛(2018.3.6)
昭和50年,詞:山上路夫,曲:三木たかし,唄:片平なぎさ
「あなたは夜の駅へ ひとりで消えてゆくの」と始まる歌。
「二度と逢えない愛になるなら そうよ私死ぬだけ」と演歌になりそうな状況の詞だが,結局はアイドル・ソングだろう。私には詞と曲と唄がマッチしていないように感じられる。
センチメンタル(2017.10.29)
昭和50年,詞:阿久悠,曲:筒美京平,唄:岩崎宏美
「夢のようね今の私 しあわせ」と始まる歌。
このころの岩崎はまだアイドルだろう。岩崎が好きならこの歌を聴くがそうでなければ特に選んで聴くことはない。内容の似た歌詞なら私は『芽ばえ』1)に軍配を挙げる。
岩崎は後にアイドルから唄を聴かせる歌手になったと思う。
1)「芽ばえ」(昭和47年,詞:千家和也,曲:筒美京平,唄:麻丘めぐみ)
卒業写真(2013.3.6)
昭和50年,詞:荒井由美,曲:荒井由美,唄:ハイ・ファイ・セット
「悲しいことがあると開く皮の表紙」と始まる唄。名曲である。詞・曲・歌声全て文句なし。唯一の難点は酔っ払ってカラオケで歌うと曲の感じが変わってしまうことだ。
中島みゆきは見た目どおりの歌を作るが,荒井由美は見た目と違う歌を作る。私に見る目がないということだろう。そういえばMichel Polnareffも見た目と歌声のギャップに驚いた。Olivia Newton-Johnはイメージどおりの歌声だったが。
卒業写真も今と昔ではかなり違う。私が持っている卒業写真(アルバム)は薄っぺらいもので,全て白黒の集合写真だが,若い人の卒業アルバムはカラーで,個人写真も載っているようだ。
「あなたは私の青春そのもの」などというには,セピア色に変色したモノクロ写真のほうが合うと感じるのは私が古い人間だからだろうか。
千曲川(2015.10.30)
昭和50年,詞:山口洋子,曲:猪俣公章,唄:五木ひろし
「水の流れに花びらを」と始まる歌。第17回日本レコード大賞最優秀歌唱賞曲。
詞から受ける第一印象は藤村1)である。藤村のフィルターを通しているので山口がどのように言葉を並べ替えても藤村が感じられるが,だから悪いという訳ではない。ただ,千曲川を切り取った感性が明治,時代が下ったとしても昭和中期までの感性だという気がする。他の歌の歌詞から山口の感性は昭和中期以降の新しいものだと想像していた。
1)島崎藤村:「落梅集」(明治34年)
天使のくちびる(2019.10.26)
昭和50年,詞:阿久悠,曲:森田公一,唄:桜田淳子
「ふれないで 私のくちびるに かわいい 天使の ままでいさせて」と始まる歌。
「いいというまで 待っててほしいの あなたにきめている あなたにきめている」ということで,私が思う典型的なアイドルソングだ。・・・私が思うアイドルソングの範囲は時代と共に次第に広がるが,初期のアイドルソングという意味だ。
二重唱(デュエット)(2016.5.13)
昭和50年,詞:阿久悠,曲:筒美京平,唄:岩崎宏美
「あなたがいて 私がいて ほかに何もない」と始まる歌。
岩崎宏美のデビュー曲。タイトルはデュエットと読ませている。
詞に関しては特に思うことはない。当時の私の状況とあまりにもかけ離れていたので聴いていなかったのだろう。
岩崎宏美はアイドル的なところもあるが,やはり歌手だろう。上手いと感じたわけではないが,唄の下手なアイドルとは一味違う唄だった。後にもっと上手くなる(私の個人的評価)。
時の過ぎゆくままに(2015.2.23)
昭和50年,詞:阿久悠,曲:大野克夫,唄:沢田研二
「あなたはすっかり つかれてしまい」と始まる歌。
退廃的な歌。ジュリーの歌唱も退廃的だ。「生きてることさえ いやだと泣いた」というのは繁栄ボケなのかもしれない。昔は病気や怪我で死ぬことも珍しくなかったが,この時代になると「からだの傷なら なおせるけれど」と医学が進歩しただけでなく,「時の過ぎ行くままに この身をまかせ」ても飢え死にすることはなくなったのだ。
「小指に食い込む 指輪を見つめ」とある小指の指輪がどのような意味を持つのか知らないが,食い込むということは太ってしまったということだろう。何とか食べていきたいと働くという時代から,生きるのが嫌だと言いながら太ってしまう時代になったということだ。
富国強兵を目指したがすべてを失い,今度は強兵を捨てて富国を目指し,ついには世界第2位の経済大国になった。ワーカホリックと言われながら馬車馬のように働いて,気づけば目標を見失ってしまっていた時代の歌だろう。
年下の男の子(2014.2.11)
昭和50年,詞:千家和也,曲:穂口雄右,唄:キャンディーズ
「真赤なリンゴをほおばる」と始まる歌。キャンディーズ初のヒット曲である。
キャンディーズは昭和47年に結成,同年の紅白歌合戦にはスクールメイツの一員(3員?)として出場し,橋幸夫の『子連れ狼』のバックコーラスにも参加したらしいが,全く知らなかった。
大学祭で学生がこの「年下の男の子」のものまねをするのを観た記憶がある。当時,アイドルとして急成長していたのだ。また,「あいつはあいつはかわいいい年下の男の子」などという箇所の振り付けが比較的単純で真似しやすかったということもあるだろう。ピンクレディーの振り付けも真似されることが多かったように思うが,ピンクレディーのファン層のほうが年代的に広かった(小さな子供のファンも多かった)ように感じる。キャンディーズのファンは若干年齢層が高く,ピンクレディーの難しい振り付けについていけなかったのかも知れない。
キャンディーズはこの後絶頂期のさなか昭和53年に解散する。『普通の女の子に戻りたい』という発言はあちらこちらに大きな影響を与えた。例えば都はるみが昭和54年に『普通のおばさんに戻りたい』と発言したのは明らかにこの影響を受けていると思うし,その結果,紅白美空事件1)が起きている。引退の言葉としては『我が巨人軍は永久に不滅です』2)も印象に残るが,他への影響という意味ではキャンディーズのほうが大きかったということだろう。
1) 昭和54年の紅白歌合戦でNHKのアナウンサーが,これが最後のステージと公言していた都はるみを紹介する際,「ミソラ・・・」と言って絶句した事件。私はこのアナウンサーのラジオ番組(歌番組)をよく聴いていた。
2) 昭和49年,巨人の長島茂雄の言葉。
となりの町のお嬢さん(2017.9.21)
昭和50年,詞:吉田拓郎,曲:吉田拓郎,唄:よしだたくろう
「となりの町のお嬢さんが 僕の故郷(くに)へやって来た」と始まる歌。
「好きになっちまったんだよ」と唄っているが,最後は「僕を残して行っちゃった」「お嫁に行ってしまったんだね」と唄っている。ちょっと前の歌謡曲ならもっと女々しく,ウジウジと残る想いを詞に綴ったのだろうが,「今年の夏の忘れ物」とサラッと言ってしまうのが新しい。
と思ったが,平成にも女々しい男はいるようだ1)。吉田拓郎は女々しくはないが雄々しいと言えるとも思わない。どちらかというと中性的に感じる。男は本質的に女々しいので,そのような性質を出し過ぎないように戒めとして女々しいという言葉が作られたのかもしれない。
1)「女々しくて」(平成21年,詞:鬼龍院翔,曲:鬼龍院翔,唄:ゴールデンボンバー)
ともしび(2019.6.6)
昭和50年,詞:悠木圭子,曲:鈴木淳,唄:八代亜紀
「あなたの命のともしびが もうすぐ消えると聞かされた」と始まる歌。
第6回日本歌謡大賞で放送音楽賞受賞。
「明るく笑ってあなたをだまし ただ祈るだけの私でした」「あれから二度目の 春が来たけど 私の中に生きてる あなた」。
あなたは「花嫁衣裳 早く見たいと はしゃいで」いたとあるが,騙されていたのはどちらだろうか。
当時は本人への告知はしない方が多かった。しかし,直接余命宣告されなくても,本人が察知する可能性は十分ある。患者が騙された振りをしていた可能性も高い。
互いに相手の心情を思い,真実を告げない。このような嘘も真実を知る権利という正義の前に許されなくなり,告知が一般的になる。
天気予報や寿命宣告は外れもある。天気予報の精度は上がってきた。現在の寿命宣告は外れも少なくないと思うから状況説明として聞くことはできるだろうが,こちらも精度があがってピンポイントで予測できるようになったとき,告知に耐えることができるかどうかわからない。恐らく終焉までに残された時間やそのときの苦痛等の状況によるのだろう。
曲はやや軽いように感じる。私ならもう少し重く,演歌っぽい曲にするだろう。しかし,八代の歌唱が私の曲に対する不満を解消して十二分の演歌になっている。
とんちんかんちん一休さん(2016.11.3)
昭和50年,詞:山元護久,曲:宇野誠一郎,唄:相内恵,ヤング・フレッシュ
「すきすきすきすき すき すき あいしてる」と始まる歌。
テレビアニメ「一休さん」1)の主題歌。
これより10年程後,ある中国人と一緒に仕事をしたことがある。その彼が知っている日本の歌というので唄ったのがこの歌だった。このアニメは中国で放映されているのを観たと言っていた。他にも,知っていると言っていたのが『北国の春』2)だったが,こちらは歌詞が中国語に訳されたものしか知らなかった。彼の話では『おしん』3)も中国で放映されたのを観ていたそうである。私は日本では時間が合わずに『おしん』を見たことがなかったが,後に米国滞在中に比較的夜の遅い時間にテレビ放映されていたのを観た。
他にも何人かの中国人と仕事をしたことがあるが,かれら(時代はいろいろ)に知っている日本の有名人を尋ねたところ,田中角栄,山口百恵,高倉健などの名が挙がった。日本人ではないが,テレサ・テンも有名だった。
平成に入ってからだが,中国に行ったとき,多くの日本の歌謡曲のカセットテープを売っていた。歌詞は中国語訳で中国人?歌手が唄っているようだった。なぜ日本の歌かと判るかと言えば,知っている曲(中国語タイトルからは想像できないが)であったり,知らない曲でも作曲者が遠藤実などと記載されていたからだ。ただし,三木たかしのような場合は三木としか記載されていなかった。ひらがなの使用に困難があったのだろう。
1)「一休さん」(NET→テレビ朝日で昭和50年から放映されたテレビアニメ)。
2)「北国の春」(昭和52年,詞:いではく,曲:遠藤実,唄:千昌夫)
3)「おしん」(昭和58年,NHK連続テレビ小説)
中の島ブルース(2019.7.4)
昭和50年,詞:斎藤保,曲:吉田佐,唄:内山田洋とクール・ファイブ
「赤いネオンに 身をまかせ 燃えて花咲く アカシアの」と始まる歌。
昭和48年,秋庭豊とアローナイツが唄った同タイトルの歌では札幌の中の島が歌われていたが,新たに斉藤の作詞により歌詞を全国版としてクール・ファイブとアローナイツの競作で再発売された。
当然だとは思うが,何か伝えたいことがあるから作った歌ではなく,セールス用の歌を作ろうということで作ったのだろう。地名を入れることでご当地ソングとして売れることを期待し,1箇所よりも3箇所のほうがより売れるかと3都市分にしたのではないだろうか。詞は夜の街ならどこでもよさそうな詞だが,それだけでは淋しいと大阪では淀屋橋,長崎では石畳などの言葉も入れている。
なごり雪(2014.3.30)
昭和50年,詞:伊勢正三,曲:伊勢正三,唄:イルカ
「汽車を待つ君の横で僕は」と始まる散文詞の歌。
かぐや姫が昭和49年に発表したアルバム「三階建の詩」に収められているらしいが,イルカが唄ってからヒットした。
「今春が来て君はきれいになった」というのはもちろん自然の四季の春と人生の春の両方を意味しているだろう。高校を卒業して進学か就職のために生まれ故郷を離れるイメージが強い。制服を脱ぎ,化粧も変わって蛹から蝶になる。「去年よりずっときれいになった」
対象を失ってから気付く愛。何度も歌われているテーマだが,昭和の名曲のひとつだろう。
ところで,「汽車」と聞くとサンズイがあるので蒸気機関車を連想する。汽車の時代は窓はもちろん開いたし,デッキのドアがしまっていなくても発車した。この詞では窓は開かずに声が聞こえないようである。新幹線などは窓が開かないので,「君のくちびるがさようならと動く」など,時代を感じさせる。今なら,直ぐに携帯メールを送るかもしれないが,当時は携帯電話もなかったので,駅で別れたらそれっきりになることもあったのだ。
最後の言葉は『またね』ではなく「さようなら」。何を思いながら「落ちては消える雪を見ていた」のか。
夏ひらく青春(2015.3.30)
昭和50年,詞:千家和也,曲:都倉俊一,唄:山口百恵
「ひとつ結ぶひとつひらく 恋という名前の夏の花」と始まる歌。
地域の盆踊りで数年間このレコードがかかっていた。もちろん定番の炭坑節などもかかっていたが。とにかくこの曲の盆踊りの振り付けは忙しく走り回るものだった記憶がある。
山口百恵の歌声がこの頃から変わったように感じる。
何かいいことないかな(2016.12.2)
昭和50年,詞:河島英五,曲:河島英五,唄:河島英五とホモ・サピエンス
「僕が若者という名で呼ばれはじめて そして今になるまで」と始まる歌。
「何かいいことないかな」を何度も繰り返す。
まるで私のことのようだ。最近は「何かいいことないかな」と思うことはほとんどなくなったが,いつの頃だったか,確かに「何かいいことないかな」といつも思っていた時期がある。いつのことだったか思い出せないので,当時は大した出来事は起きず,ただ漫然と日々を過ごしていたのだろう。
この歌詞では「バスケットにすべてをかけてたつもり」の時期や「唄うことがすべてのような」時期にも「何かいいことないかな」と言っているようだが,私が何かに打ち込んでいた時期はそのようなことはなかった。この歌が出たころは特に忙しく,「何かいいことないかな」などと悠長なことを言っている暇もないほどだった。当時はラジオの歌謡ベスト10などの番組をカセットテープに留守録し,深夜に帰って酒を飲みながらこれを聴いているうちに寝てしまっていた。
22才の別れ(2013.8.28)
昭和50年,詞:伊勢正三,曲:伊勢正三,唄:風
「あなたに『さようなら』って言えるのはきょうだけ」と始まる歌。
この歌は昭和49年に『かぐや姫』のアルバム中の1曲として発表されている。かぐや姫解散後に結成された『風』のデビューシングルとして発売されたのが昭和50年である。
17歳のときから5年もの間目の前に居たのに,気づかずに,「あなたの知らないところへ嫁いでゆくわたし」。明日になったら別れる決心も鈍ってしまうかも・・・という歌だが,なんとなく,いつまでもプロポーズしない男に対して恨みを言っているようにも聞こえる。今でこそ,22歳といえばまだまだ若いと言えるが,当時はまだ『25日のクリスマスケーキ』という言葉が生きていた時代ではないだろうか。22歳くらいだと,そろそろいろんなところからいろんな話が来て,その中の話のひとつが幸せへの道に見えてしまったのだろう。きっと男にはそのような世間が見えておらず,今の状態がずっと続くと思っていたのだろう。
風の唄は爽やか過ぎ,ままごとのように感じてしまうが,たまにはこのような歌もいい。
嫌いじゃない歌だ。
眠れぬ夜(2017.5.14)
昭和50年,詞:小田和正,曲:小田和正,唄:オフコース
「たとえ君が目の前に ひざまずいて すべてを忘れて欲しいと 涙流しても」と始まる歌。「あれが愛の日々なら もういらない」とは言いながら「忘れかけてた 愛がよみがえる」というのだから私にはよく理解できない。おそらく「愛」という言葉で指している内容が私と異なるのだろう。
20歳のめぐり逢い(2017.1.2)
昭和50年,詞:田村功夫,曲:田村功夫,唄:シグナル
「風に震えるオレンジ色の 枯葉の舞いちる停車場で」と始まる歌。
「20歳になって大人になって 出直すんだね過去など忘れ」とあり,「手首の傷は消えないけれど」ともあるので20才にして壮絶な過去をもつのだろう。しかし,どうも「命を賭けた恋に破れた」ということらしい。
自分の命を軽視する者は他人の命も軽視するだろう。誰かを助けるために命を懸けることはあるかもしれないが命は「賭ける」ものではない。ということで,このような歌はほとんど聴かない。
もっとも,恋している最中は命懸けだと思ってしまうことはありそうだ。そのような歌も多数ある。しかし,思うことと実行することには大きな違いがある。
生きていればこそ,この歌にもあるような新たな出会いがあるのだ。
ハートのエースが出てこない(2015.5.5)
昭和50年,詞:竜真知子,曲:森田公一,唄:キャンディーズ
「ハートのエースが出てこない ハートのエースが出てこない やめられないこのままじゃ」と始まる歌。
恋占いの歌である。占いで希望の結果がでるまでやり続けるというのは邪道であることは解ってはいてもやめられない気持ちは解る。電話がかかってきているようだが,良い占い結果がでるまでは電話にもでないようだ。「気まぐれそれとも本気なの」と心が揺れ動いており,占いで本気だということを信じたいという状況だ。
花車(2018.2.23)
昭和50年,詞:麻生香太郎,曲:森岡賢一郎,唄:小柳ルミ子
「心を さみしさ色に染めて」と始まる歌。
「好きなら好きだと 聞かせとほしい」というのが歌の主題だろう。
肝心な言葉を相手に先に言わせようという駆け引きではなく,慎み深いから自分からは言いだせないのだろうし,尋ねることもできない。そのような雰囲気を感じさせる歌。
花のように鳥のように(2018.10.28)
昭和50年,詞:石坂まさを,曲:筒美京平,唄:郷ひろみ
「髪の毛小指で ああ たわむれ ほほえむしぐさが ああ すてきさ」と始まる歌。
歌手によっては雰囲気が変わりそうな詞だが,郷が歌えばアイドルソングだろう。
「どうして二人はサヨナラを告げたの」と別れたことに後悔しているようなのだが「やさしく愛しあおう」ともういちど関係修復を望んでいるのだろうか。石坂がこのように解釈に困る詞を書くとは意外だ。私が知らないだけでいろんな詞を書いているのだろう。
バンプ天国(2017.6.6)
昭和50年,詞:阿久悠,曲:井上忠夫,唄:フィンガー5
「Ah haha han」とスローなメロディーでh始まり,その後アップテンポな「バンバンババンバンプ」と続く。歌詞らしい詞は「バンプを踊りに行きたいけれど 十年早いとおっぽり出され」と始まる。
阿久や井上には申し訳ないが,当時の私には関係ない曲で,今の私にはうるさいだけの曲だ。もっと若い人が聴く曲だろう。
巴里にひとり(2023.1.18)
昭和50年,詞:山上路夫・G.Sinoue・G.Costa,曲:G.Sinoue・G.Costa,唄:沢田研二
「あなたをなぜ残し ここへ来たのだろう」と始まる。
「あまりに美しいこの街を歩けば」とある。残念ながらパリには行ったことがないが,名称から受けるイメージどおりだ。実際にはイメージほど美しくはないという噂も聞いたことがあるが。どこの街にも美しい場所もあればそうでもない場所もある。パリもそうだというだけの話だろう。
「孤独な心には まぶしい街よ」というのもイメージどおりだ。昔,第二外国語の選択の際に聞いた話に『フランス語は恋人と話す言葉』というのがあった。そのせいかパリにはカップルが溢れているようなイメージがある。
ひと雨くれば(2018.3.12)
昭和50年,詞:麻生香太郎,曲:井上忠夫,唄:小柳ルミ子
「人知れず咲いた紅い朝顔ひとつ」と始まる歌。
「好きなひとは今何処に」,「あなたばかりを待てません」という状況で,「なんにも知らずに妹が 眠る蚊張のなか」を見て悲しみが少しづつ消えていっている様子に私の心も和む。はやく雨に悲しみを流し去って,前を向いて生きて行ってほしい。
人恋しくて(2014.5.10)
昭和50年,詞:中里綴,曲:田山雅充,唄:南沙織
「暮れそうで暮れない黄昏どきは」と始まる歌。
「ふと目についた小石を蹴ったり」と何気ない仕草にも主人公の心の揺れが感じられる。秋の日はつるべ落としに暮れる。これは初夏の日だろう。ふとしたはずみで恋人と喧嘩別れしてしまった。その日の夕暮れ時の気分がでていると思ったら,「古い手紙は燃やすには惜しい」とある。おやおや,別れてからそんなに経つのかと感じたが,どうも別れてすぐに手紙を焼いてしまおうなどという考えが起きたような風でもある。今なら,メールを消してしまおうという心境か。まだ,当時は手紙の比重が高かった。プッシュホンの公衆電話が登場したのがこの年だ。
さっきは喧嘩別れしてしまったが,もちろん,本当に別れてしまおうとは思っていない雰囲気だ。
ひとり歩き(2019.3.18)
昭和50年,詞:阿久悠,曲:筒美京平,唄:桜田淳子
「涙という字を書いて ちぎって窓から捨てます」と始まる歌。
「もう私は大人 大人のつもりです」と終わる。
一般的に言ってこのタイプの筒美の曲は嫌いではないのだが,これはなんとなくマンネリに感じる。詞に対して明るすぎるというか,軽薄さを感じてしまう。私が桜田の歌に慣れ過ぎたのかもしれない。
僕にまかせてください(2019.5.10)
昭和50年,詞:さだまさし,曲:さだまさし,唄:クラフト
「きみはその手に花をかかえて 急な坂道をのぼる」と始まる歌。
日本テレビ系のドラマ『ほおずきの唄』(島田陽子・近藤正臣ほか)の主題歌。
「きみのかあさん」の墓参りの歌。「あなたの大事な人を僕にまかせてください」と誓う。
このような状況の歌はどのような顔をして聴けばよいのか困ってしまうので苦手だ。
聴き手にある感情を喚起させようと意図した歌は少なくないが,普通はその意図はあからさまではない。しかし,さだの歌は作詞者の意図があからさまな歌が少なくないように感じる。
湖の決心(2014.6.19)
昭和50年,詞:千家和也,曲:都倉俊一,唄:山口百恵
「運命を信じますか」で始まる台詞から始まり,歌は「白い鳥が仲良く」と始まる。
意味深な歌詞が続き,「ひとつだけ教えてください 倖せになれるでしょうか」と終わる。
ついに千家と都倉は山口百恵に実年齢よりはるかに成熟した分別ある女性を演じさせ,その女性に分別を忘れさせる歌を年端も行かない少女に唄わせるようになったかと思わせる歌だ。この歌を淡々と唄う山口は悟りの境地にあるように感じる。
水無し川(2017.4.21)
昭和50年,詞:松本隆,曲:吉田拓郎,唄:かまやつひろし
「北から吹いた風に追われて 旅立つ俺を許してくれよ」と始まる歌。
仕事を探すために恋人?を残して都会に出た男の歌。「便りのないは無事だと想え」と遠距離はまだ手紙が主要な通信手段だった時代の話だ。「君の汽車賃送るかわりに 最後の酒にようかもしれぬ」と人生の崖っぷちにいるようだが,最後には「吹雪のあとに 春の陽射しが 花に酔ったら その時なこう」と前向きに頑張ろうとしており,松本の詞の中では私にも解りやすい詞だ。
港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ(2013.1.8)
昭和50年,詞:阿木燿子,曲:宇崎竜童,唄:ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
「一寸前なら憶えちゃいるが一年前だとチトわからねエなあ」と台詞から入る歌。というよりほとんどが台詞で,メロディーに乗っているのは「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」の部分だけである。阿木燿子の作詞家としてのデビュー曲である。
「アンタあの娘の何なのさ!」というフレーズは流行語になった。
このような先達があればこそ,中島みゆきの「元気ですか」1)が生まれたのではないだろうか。
1) 「元気ですか」(昭和53年,詞:中島みゆき,曲:なし,唄(朗読?):中島みゆき,アルバム「愛していると云ってくれ」の冒頭曲?)こちらは無伴奏である。バンドじゃないので,自分でギターを弾きながら語るのは難しかったのかもしれないが,恐らく無伴奏を積極的に選択したのだろう。
昔の名前で出ています(2011.10.6)
昭和50年,詞:星野哲郎,曲:叶弦大,唄:小林旭
「京都にいるときゃ,しのぶと呼ばれたの」という歌である。マイトガイと名づけられたころの歌とは全く感じが違う歌をこのころは歌っていた。「ダイナマイトがよ〜ダイナマイトが150トン」と唄っていた昔は演歌とは全く無縁であったが,「ついてくるかい」とか「純子」になると完全な演歌の雰囲気である。しかし小林旭が演歌歌手というイメージは持っていない。演歌を演歌っぽくなく歌うところが小林旭なのだろう。ためしに「昔の名前で出ています」をぴんからトリオが唄うところを想像すると完全に演歌だ。
無縁坂(2015.11.21)
昭和50年,詞:さだまさし,曲:さだまさし,唄:グレープ
「母がまだ若い頃 僕の手をひいて」と始まる歌。
「いつかしら僕よりも 母は小さくなった」とか,繰り返される「運がいいとか悪いとか」など,どこかで何度も聞いたことがあるフレーズがならんだあと,最後の「忍ぶ不忍無縁坂かみしめる様な ささやかな僕の母の人生」が新鮮だ。
めまい(2015.6.4)
昭和50年,詞:小椋佳,曲:小椋佳,唄:小椋佳
「時は私に めまいだけを残してゆく」と始まる歌。
当時は何も考えずに聴いていたが,今,詞を読んでみると私には理解できない詞だ。この頃から論理的意味不明な歌詞が増えてきていたのだろう。
次々と心に浮かぶ単語を並べ,ある特定の雰囲気を醸し出そうというねらいかもしれないが,そのねらいなら『よこはまたそがれ』1)のほうが遥かにイメージ喚起力が強い。
私が知っている小椋の詞のなかでは,私が好むタイプと対極にある詞だ。
「鏡に残ったあなたの後姿」以後のメロディーは好きなタイプだ。
木綿のハンカチーフ(2013.7.7)
昭和50年,詞:松本隆,曲:筒美京平,唄:太田裕美
「恋人よ僕は旅立つ」と始まる歌。
1番から4番まであるのだが,それぞれ前半が男性から女性へ,後半が女性から男性へのメッセージになっている。それを一人で全て唄う歌だ。
最初は「都会の絵の具に染まらないで帰って」と言っているが,最後には「愉快に過ごす街角 ぼくはぼくは帰れない」と言われ,「涙拭く木綿のハンカチーフください」と終わる。
高度成長期には都会に出て,都会生活の苦しみを唄う歌が多かったように思うが,バブルに向かうこの時期は都会生活に馴染んでしまい,今更田舎へは帰れないという若者も珍しくなくなったということだ。
この頃,遠距離恋愛という言葉があったかどうか記憶がないが,遠く離れるというのは大きなハンディだった時代だろう。新幹線が走っている範囲も限られており,収入に比較して運賃もバカにできないので後のシンデレラエクスプレスのように気楽に行き来できる状況ではなかったと思う。一人暮らしの場合電話がない場合も多く,長距離電話の料金も高くそうそう電話もできない。そんな時代ではなかっただろうか。
後輩に太田裕美ファンがいて,この歌は何度も何度も聴かされた。
やすらぎ(2014.7.23)
昭和50年,詞:中山大三郎,曲:中山大三郎,唄:黒沢年男
「あなたがその気なら しかたがないわねと」と始まる歌。
曲は典型的な昭和後期の歌謡曲だろう。展開に意外性がない分安心して聴いていられる。
詞も昭和後期の気分をよく表している。「そうさおれのせいでいいさ」と『郵便ポストが赤いのもみんな私のせいなのよ』気分がよく出ており,『悪いのは他人』根性はまだ現れていない。ただ,「ほんとはおまえから 別れを言い出した」とチラリと本音を出してしまうあたり昭和も末期ということだ。「待っててあげようか 目覚めるその日まで」と男がきわめて優しくなっているのは平成への先駆けだろう。
山鳩(2015.12.14)
昭和50年,詞:千家和也,曲:三木たかし,唄:山口百恵
「泣かせて下さい その胸で」と始まる歌。「死んでゆきます ひと足先に」と終わる。
東宝映画『絶唱』の主題歌。レコードでは『白い約束』1)のB面になる。
映画に関して何も知らないからなのか,「山鳩」がなぜ出てくるのかよく解らない。そういえば舟木一夫の『絶唱』2)にも山鳩が登場する。舟木一夫の歌には『小雪』と名前まで出ているので,同じ大江賢次の小説を題材にしているのは間違いないが,この小説も読んでいないので「山鳩」の重要さが解らないのだ。映画を観た人しか十分には観賞できない歌だろう。
1) 「白い約束」(昭和50年,詞:千家和也,曲:三木たかし,唄:山口百恵)
2) 「絶唱」(昭和41年,詞:西條八十,曲:市川昭介,唄:舟木一夫)
夕立のあとで(2019.2.18)
昭和50年,詞:山上路夫,曲:筒美京平,唄:野口五郎
「夕立のあとの街は きれいに洗われたようで」と始まる歌。
「わすれかけてた あなたの想い出が 急にあざやかに もどって来ました」という歌だが悪くない。
昭和50年度のオリコン年間ランキングで30位。私の評価では詞も曲も野口の歌のなかではベスト3に入れても良いのではないかと思うが,このころはアイドル歌手(後には歌手ではないアイドルが歌も唄うようになる)全盛期で,競争相手となる歌も多かった。
夕立のあとで(2020.9.22)
昭和50年,詞:山上路夫,曲:筒美京平,唄:野口五郎
「夕立のあとの街は きれいに洗われたようで」と始まる。
「忘れようと 務めて」いたのに「夏があなたの 想い出呼びさまし」という歌。
どうもひと夏の思い出のようだ。夏が来ればまた思い出すようだから,毎年相手を変え,このようなことをやっているわけではないようだ。
ひと夏のアバンチュールというのは昔からあったように思うが,昔は避暑に行くような階級の人々の話で,庶民には縁がなかっただろう。しかし,大学進学率が上がって状況が変わる。庶民の中にも長い夏休みを過ごす大学生が激増した。小人閑居して不善をなすとか。不善かどうかは知らないが休みが増えればいろんな機会が増える。
夢よもう一度(2015.7.3)
昭和50年,詞:山口洋子,曲:浜圭介,唄:真木ひでと
「あなただけを とても好きよ好きよ いまでも」と始まる歌。
真木ひでとは,元GS全盛時代のバンド『オックス』のボーカルのひとり,野口ヒデトである。もう一人のボーカル担当赤松愛と共にステージで失神することで有名だった。二人の失神は演技だったかもしれないが,観客にも失神者が続出し,オックスは失神バンドとして有名になり,PTAからの非難を受けるようになる。
オックスのデビューは昭和43年だが昭和44年には赤松愛が抜け,同じころザ・タイガースの加橋かつみが抜けるなどGS人気は低下し,昭和46年にはオックスも解散する。
この「夢よもう一度」は,オックス時代の夢よもう一度というタイトルのように感じられるが,「こころ変わり聞いた夜も 愛はあかく燃えてる」という内容だ。曲もGSサウンドとはかなり異なり,演歌の一種だ。真木の歌唱もオックス時代の野口とはかなり雰囲気が異なる。「死なせて今 愛に明日も夢もないなら」と,詞にはオックスのイメージをかすかに残している。
ゆれてる私(2018.11.26)
昭和50年,詞:阿久悠,曲:森田公一,唄:桜田淳子
「こんなに私をせつなくさせて あなたはどうするつもりなの」と始まる歌。
「愛していますと告白させて 返事もくれない背をむけて」というような仕打ちを受けて「私の心はゆれている」という歌だが,阿久はこの詞で何が伝えたいのだろうか。
釣上げた魚に餌をやる必要はないと言いたいのか,たまには餌をやれというのか。あるいはこうなるかもしれないので簡単に釣上げられるなと警告したいのか。こんな話はよくある話なので同じような状況にあっても悲観するなと言いたいのか。
心がゆれた結果どうなったかまで書かれていれば意図が推察できるのだが。
単に揺れる女心を表現したものかもしれない。
夜の訪問者(2016.6.25)
昭和50年,詞:石坂まさを,曲:城賀イサム,唄:小川順子
「雨の匂いが十九のこの胸濡らす」と始まる歌。
「きっときっと又来てね 素敵な私の 夜の訪問者」と終わる。
石坂まさをだからだろうか演歌の香がする。この香は嫌いではない。
しかし,私の中で演歌の定義の一つに酔っぱらって唄える歌というのがあり,この歌はある程度以上呑んだ後はろれつが回りきれない箇所がありそうなので,曲がわずかに演歌から外れる気がする。私が演歌だと感じる『夫婦鏡』1)などにもやや早く唄わなければならない箇所があるが,早口言葉と違うのは酔っていても言いやすい言葉なのだ。「夜の鏡に愛を問いかけ」は酔っ払いには発音が難しすぎる。要するに演歌としてはテンポが速すぎるのだ。
リリー・マルレーン(2014.9.6)
昭和50年,詞:H.Leip,日本語詞:加藤登紀子,曲:N.Schultze,唄:加藤登紀子
「ガラス窓に灯がともり きょうも町に夜がくる」と始まる歌。
元歌はドイツの歌で,戦場の兵士が恋人を想って歌った詞である。日本では第二次世界大戦中にマレーネ・ディートリヒが唄ったことで有名。この詞はドイツ語からの訳というより独立した日本語の詞であるが,原詞の内容に近い詞(訳:片桐和子)で梓みちよも歌っている。
加藤の詞は「おまえを愛した男達は 戦場の片隅 静かに眠ってる」という感じで終わっており,「眠っている」のは永遠の眠りのような雰囲気を出している。原詞が単純に恋人のことを想っている歌なのに対し,ある種の反戦歌として作詞されているようだ。
ルージュの伝言(2015.7.31)
昭和50年,詞:荒井由実,曲:荒井由実,唄:荒井由実
「あのひとの ママに会うために」と始まる歌。
ここだけ聞くと,初めて彼ママに会いにいくのかと思うとそうではないらしい。「バスルームにルージュの伝言」を残してきたらしいので,彼とは一緒に暮らしているようだ。どうも彼が浮気をしたので,家出してきたらしい。彼が自分を探してくれると信じているような歌詞だ。予想どおりになるのだろうか。とにかく「明日の朝 ママから電話でしかってもらうわ」と世界が自分を中心に回っているように思っているのではないか。あるいは,マザコン僕ちゃんには自分がいうよりママから言ってもらった方が効果があると思っているのだろうか。
ニューミュージックと名付けるだけの価値がある斬新な曲だ。曲だけでなく荒井由実の声も,私のボキャブラリー不足で的確に表現できないが,独特の声である。
ユーミンと聞いて遊民?高等遊民か?などと考える世代違いの私だが,嫌いではない。もちろん,ユーミンと遊民ではアクセントの位置が違うことも知っている。
ロマンス(2016.1.25)
昭和50年,詞:阿久悠,曲:筒美京平,唄:岩崎宏美
「あなたお願いよ 席を立たないで」と始まる歌。
第17回日本レコード大賞新人賞,第6回日本歌謡大賞放送音楽新人賞,第8回日本有線大賞優秀新人賞などを受賞している。
「あなたが 好きなんです」の箇所の音程が下がるところが,さすが筒美というか,私には到底思いつかない。私なら美しい高音を聞かせたいと思うのだが,慎み深く控えたのだろう。
この前後からアイドルが歌を唄うようになった。岩崎宏美もアイドル的ではあるが,歌の上手さは本格的歌手である。
我が良き友よ(2012.7.22)
昭和50年,詞:吉田拓郎,曲:吉田拓郎,唄:かまやつひろし
「下駄をならして奴が来る」ということで,昭和40年より古い時代設定だろう。
大学に入学した頃にも下駄で通学していた学生がいたが数は少なかった。うるさいので建物内では下駄履き禁止という学科もあった。入学時にはほぼ全員が「学生服」を着ていたが卒業時には数えるほどだった。「語り明かせば下宿屋のおばさん酒持ってやってくる」かどうかは下宿屋によるだろうが,酒を飲みながら語り明かすというようなことは,私が飲酒可能な年齢になったころにもまだあった。
思い立って暑中見舞いを送ってみたが,秋に返ってきたというのは返信ではなく,あて先人不明で戻ってきたのだろう。卒業後何年も経っているようだ。
今はどうか知らないが,これより少し前まで,学生時代は自由にいろいろやっていたが就職活動が始まると・・・今よりずっと遅くからだが・・・リクルートカットにリクルートスーツ,就職後はもう青春ではないという感じだったかもしれない。青春時代=学生時代の友人を思い酒を飲む。そのような歌だ。
Love is Blind<恋は盲目>(2019.4.14)
昭和50年,詞:Janis Ian,曲:Janis Ian,唄:Janis Ian
「Love is blind Love is only sorrow Love in no tomorrow」と始まる歌。
日本では昭和51年のヒットか。
他にも,「Love is no horizon」とか「Love is tenderness」とか同様の「A is B」という文が多数ある。「Now you’ve gone away」とか「I’m slowly dying」などのような英語学習に出てくる典型的?な短文が並んでいるので聴きやすい。
ただ,このような歌は聴き手が共感できるかどうかが重要だろう。私などは想い出があるだけで十分だろうと言いたい状況で,共感や同情はできなかった。
Only Yesterday<オンリー・イエスタディ>(2018.9.1)
昭和50年,詞:Richard Carpenter/John Bettis,曲:Richard Carpenter/John Bettis,唄:Carpenters
「After long enough of
being alone」と始まる歌。
「Baby, Baby」から始まるフレーズが何度か繰り返されるのが印象に残る。歌われている心情は私にも容易に想像できるものだ。当時の私には想像することしかできなかったが。
この年,4度目の来日が予定されていたが中止になった。理由はKaren Carpenterの神経性食意不振症ということだった。拒食症と闘いながら,どのような気持ちでこの歌を唄っていたのだろう。
Sky High<スカイ・ハイ>(2019.1.21)
昭和50年,詞:C.Scott, D.Dyer,曲:C.Scott, D.Dyer,唄:Jigsaw
「Blown round by the wind, Thrown down in a spin, I gave you love」と始まる歌。
歌詞を読むと失恋の歌のようだが,私には歌詞を全て聞き取る英語力はないので,曲の感じから爽やかハッピーな歌だと思っていた。
歌詞の意味を知った後は,思いもよらぬ失恋に戸惑う様子がよく現れていると感じるようになった。私の曲に関する感性もいい加減なものだとおもう。恐らく,聴くときの自分自身の状態にも大きく左右されているのだろう。