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昭和57

哀愁のカサブランカ,赤いスイートピー,あまく危険な香り,アマン,YES MY LOVE−愛はいつも−,い・け・な・いルージュマジック,漁火挽歌,居酒屋,色つきの女でいてくれよ,祝い船,浮気なパレット・キャット,越前岬,お世話になったあの人へ,男の勲章,おまえにチェック・イン,海峡,悲しい色やね,北酒場,君に薔薇薔薇・・・という感じ,兄弟船,暗闇をぶっとばせ,けんかをやめて,恋人も濡れる街角,小麦色のマーメイド,さざんかの宿,3年目の浮気,少女A,情熱☆熱風せれなーで,すみれSeptember Love,セカンド・ラブ,赤道小町ドキッ,立待岬,旅の終りはお前,だって・フォーリンラブ・突然,ダンスはうまく踊れない,契り,チャコの海岸物語,東京セレナーデ,ドラマティック・レイン,NAINAI16,渚のバルコニー,夏のヒロイン,夏をあきらめて,涙をふいて,匂艶THE NIGHT CLUBNINJIN娘,野ばらのエチュード,ハイティーン・ブギ,原宿キッス,氷雨,100%...soかもね,$百萬BABYfor you ・・・,冬のリビエラ,ふられてBANZAI,ぶりっこRock’n Roll,ホレたぜ!乾杯,待つわ,聖母たちのララバイ,南十字星,めだかの兄妹,YaYa(あの時代をわすれない),約束[ちいさな夢を],誘惑,誘惑スレスレ,夢芝居,横恋慕,汚れた英雄,酔っぱらっちゃった,夜よ泣かないで,ラ・セゾン,ラブ・シュプール,リバーサイドホテル,6番目のユ・ウ・ウ・ツ

 

哀愁のカサブランカ(2014.12.24)

昭和57年,詞:B.Higgins/S.Limbo/J.Healy,日本語詞:山川啓介,曲:B.Higgins/S.Limbo/J.Healy,唄:.郷ひろみ

 「抱きしめるといつも君は 洗った髪の香がした」と始まる歌。

 数多くの郷ひろみの曲の中で私が知っている曲はほんのわずかだ。そのわずかな曲で私の郷ひろみイメージはできているのだが,この曲は私の郷イメージに合わない。このようなバラードも唄えるんだと驚いた。普段は郷ひろみは歌うアイドルだと思っているのだが。このような歌を聴くと歌手だと思う。歌手の声ではないと思っていたが「もう二度と あんなに誰かを愛せない」の箇所など,悪くない。

 

赤いスイートピー(2013.11.11)

昭和57年,詞:松本隆,曲:呉田軽穂,唄:松田聖子

 「春色の汽車に乗って海に連れて行ってよ」と始まる歌。

 「I will follow you」と英語が入っている。私は一般的には歌詞の一部に英語が入っている詞は嫌いなのだが,この程度なら気にならない。というより「I will follow him」という言葉にはLittle Peggy Marchの唄で馴染みがあったのですんなりと耳に入ってくる。この歌のなかでは印象的なフレーズだ。この歌の中では最後の「赤ぁいスイートピいー」の箇所と共に松田聖子の良い面が一番でていると思う。

 しかし,この時代は「煙草の匂いのシャツにそっと寄りそう」とあり,煙草もそれほど世の中から嫌われていなかったのに・・・。

1)      I will follow him(昭和38年,詞:Altman Arthur/Gimbel Norman,曲:Maurial Paul Julien Andre,唄:Little Peggy March)

 

あまく危険な香り(2021.5.17)

昭和57年,詞:山下達郎,曲;山下達郎,唄:山下達郎

 「あなたの 思わせぶりな口づけは 耐え切れぬ程の苦しさ」と始まる。

 「いちどは 傷ついたはずの心で」と認識しているので「二度と振り向く事は出来ない」

 「あなたに 取り戻す日々はもうない」と「そっと目かくしのふりして 通り過ぎる」という歌。

 『こりごりだから,もうその手は食わないよ』という珍しいシチュエーションの歌。

まあ,私の解釈が間違っていなければの話だが。

 

アマン(2020.5.2)

昭和57年,詞:杉紀彦,曲:森田公一,唄;菅原洋一・シルビア

 「もう二度とアマン 別れるのはいやよ」と始まる歌。

 そうはいっても,すぐに「ああ 今夜だけ二人のいのちは一つ ああ 明日からは二人のいのちは二つ」と言ってみたり,「ああ 明日から素知らぬふりする二人」などと別れるのは既定路線のようだ。

 アマンというのは恋人とか愛人のような意味らしいが,当時の菅原は50歳近く,シルビアはほぼ半分くらいなので二まわりほどの年齢差がある。年齢差が関係あるとは思えないが,何らかの大人の事情で,別れたくはないが今夜が最後ということなのだろう。

 もう少し状況が解らないと,同情すべきか共感すべきかなどが解らない。

 

YES MY LOVE−愛はいつも−(2019.7.17)

昭和57年,詞:ちあき哲也,曲:矢沢永吉,唄:矢沢永吉

 「いいさ ほんの 思い違い それで go away, girl」と始まる歌。

 歌詞を見てもよく解らない。文字を見ても解らない詞は聞いただけでは全く解らない。

 曲も私の関心を惹くものではない。

 清涼飲料水のCMに使われているが,私には無縁の歌だ。

 

い・け・な・いルージュマジック(2019.9.6)

昭和57年,詞:忌野清志郎+坂本龍一,曲:忌野清志郎+坂本龍一、唄:忌野清志郎+坂本龍一

 「君がいなけりゃ 夜は暗い」と始まる歌。

 何度も「い・け・な・いルージュマジック」と繰り返されるが,結局何が訴えたいのか全く分からず,騒々しいだけの歌。

 「他人の目を気にして生きるなんて くだらない事さ」というのがメインテーマなのだろうか。文字にしてみるとそのとおりと言いたいところだが,耳で聞くと『他人のことなど知ったことではない』と開き直っているように聞こえ,『社会秩序など糞喰らえ』といっているように聞こえる。

「君がいなけりゃ 夜は暗い」ということなのだろうか。こちらのほうが「ルージュマジック」との関連が強そうだが,やはりよく解らない。

結局,私には理解不能だ。

 

漁火挽歌(2018.1.16)

昭和57年,詞:石本美由起,曲:三木たかし,唄:石川さゆり

 「波が鳴くのか海が鳴る」と始まる歌。

 「漁火ちらり ちらり ちらり」や「涙がほろり ほろり ほろり」と同じ言葉が繰り返されるのが詞の特徴といえるだろう。一方,石川の唄声は中高音域で十分声を出しているときに特徴があると感じている。しかし,なぜかこの唄ではこの特徴ある箇所がやや低めの音で声量も抑えられている。特徴を掛け合わせ,もっと強く聴衆に訴えればいいのにと思うのは私の素人考えか。

 

居酒屋(2013.2.7)

昭和57年,詞:阿久悠,曲:大野克夫,唄:五木ひろし/木の実ナナ

 「もしもきらいでなかったら何か一杯のんでくれ」と始まるデュエット曲。「そうねダブルのバーボンを遠慮しないでいただくわ」と答える。

 居酒屋というのはどういうものだろう。現在,居酒屋と聞くと私は多様な単品料理のメニューがある酒を飲ませる場所で特別に高級ではない,いくつかのチェーン店と個別の店を思い浮かべる。このようなチェーン店は昭和の末期から現れてきたような気がする。なぜなら,それ以前にはそのようなところに行った記憶がないからだ。

 江戸時代,酒屋の店先で飲むことを「居酒」と言い,居酒をさせる店を居酒屋といったとのことだが,私が酒を飲み始めた頃も酒屋で飲ませてくれる店はあった。しかし,このような店を居酒屋と呼ぶことはなかった。多分,立ち飲み屋と言っていたのではないか。同じく立って飲んでも,駅などにあった立ち食い蕎麦などの店は立ち飲みやとは言わず,蕎麦屋,うどん屋,などと言っていたと思う。

 価格の安いところしか知らないので,安いほうから話が進んでいるのだが,酒がメインの店でも多くは食べ物も出しており,おでん主体ならおでん屋,焼き鳥主体なら焼き鳥やなどと単品ではないが,単一種類に近いメニューで,今のチェーン店の居酒屋とは全く違い,居酒屋とは言わなかったと思う。総称する場合は飲み屋と言っていたと思う。基本的には清酒がメインで,ビールもポピュラーだったが,焼酎主体は安い店という感じだった。ワインなどはなく,ウイスキーが置いてあるところもあったが,スコッチもどきの国産ウイスキーで,バーボンなどは置いてなかった。店の看板として大きな赤い提灯がある場合も多く,赤提灯と総称する場合もあった。

 低価格の店で,杯というかお猪口というか,小さな器が出てきた記憶がない。どこも普通はぐい飲みだった。あるいはコップだ。下に皿を敷いて,なみなみとコップがあふれるまで酒を注いでくれる。自宅とか,何かの寄り合いなどの場合,湯飲みで飲むということもポピュラーだった。ビールならコップで飲んでいたから,コップがなかったわけではない。

 もちろん,低価格で洋酒を飲ませる店もあったが,このような店を居酒屋ということはなかった。バーボンなどを飲むというのは,私にとっては居酒屋というより,バーかスナックというイメージだ。

 居酒屋のイメージに近いのは飲み屋か赤提灯かという感じだが,居酒屋のほうが新しく,かつチェーン店のイメージが強い。

 この歌は新しいタイプの居酒屋がポピュラーになってきたころの歌ということだ。洋酒も普通に出している。

 

色つきの女でいてくれよ(2016.1.17)

昭和57年,詞:阿久悠,曲:森本太郎,唄:ザ・タイガース

 「さよなら ぼくの美少女よ」と始まる歌。

 GSテイストの残る曲である。詞中の「美少女」は「グループサウンズ」のメタファーだろう。昔,実はそれほど時は経ってはいないのだが,はキラキラと輝いていた。「去りぎわの季節のあざやかさ」と「美少女」は去って行ってしまった。それでも「いつまでも 色つきの女でいてくれよ」と願っている。

 

祝い船(2014.3.10)

昭和57年,詞:千葉幸雄,曲:中村典正,唄:門脇睦男

 「晴れの門出のはなむけに」と始まる歌。

 「今日はめでたい二人の船出」とあり,歌詞の他の部分などからも結婚式だろう。和装・和食の披露宴という感じだ。しかし門脇の歌声はめでたいめでたいと繰り返してはいるがなんとなく淋しさを感じさせる。花嫁の父がこのような歌を唄うのかどうかは判らないので,父親の気持ちかどうかはわからないのだが,娘を嫁がせる父親の気持ちはこんなものなのだろうと想像させるような歌だ。

 

浮気な,パレット・キャット(2016.4.14)

昭和57年,詞:NOBODY,曲:NOBODY,唄:HOUND DOG

 「街を歩けば噂に染まる」と始まる歌。作詞は相沢行夫,作曲は木原敏雄とのこと。

 エルヴィス・プレスリーの曲を思い出させる曲だ。ロックと呼ばれる曲を何曲も聴いたことがあるがロックとは何かはいまだに判らない。しかし,この曲はロックンロールかロカビリーか知らないが私のイメージするロックだ。そもそもバンド名からしてプレスリーの代表曲の名だ。

 ロックが好きかと聞かれると,私はとりたててロックが好きなわけではない。しかし,たまにこのようなロックを聴きたいと思うことはある。

 

越前岬(2016.11.20)

昭和57年,詞:吉岡治,曲:岸本健介,唄:川中美幸

 「きこえるはずない汽笛を聴いて 飲めば泣きそなひとり酒」と始まる歌。

 安定を捨て旅立つ男と送り出す女。安心して聴いていることができる川中演歌である。

 「あなた消えます あなた消えます 越前岬」が印象に残る。

 

お世話になったあの人へ(2020.2.5)

昭和57年,詞:中山大三郎,曲:城賀イサム,唄:小林旭

 「夜のお店に つとめたころに 私 あの人 知りました」と始まる歌。

 「さそい上手で おはなし上手」おまけに「さよなら上手」だったあの人。「思い出できました」ということらしい。「しあわせでした」「お世話になったあの人へ」ということだが,このように綺麗に別れることができるのは人徳かもしれない。。

 このような女性が増えて来たのか,男性の願望を歌にしたのか,あるいは稀な人徳の持ち主を歌にしたのか,私にはわからない。

 

男の勲章(2020.1.8)

昭和57年,詞:Johnny,曲:Johnny,唄:嶋大輔

 「つっぱることが男のたった一つの勲章だって この胸に信じて生きてきた」と始まる歌。最初のこのフレーズは何度も繰り返される。

 「ガキのころ」の思いを「忘れちゃいないぜ」という歌。成長して大人になることは堕落だと考えているのか,成長してないのを自慢しているように感じる。若い頃一時このように考える者は少なくないが,多くはある年齢になると卒業していくのだが。

 

おまえにチェック・イン(2018.9.16)

昭和57年,詞:柳川英巳,曲:大沢誉志幸,唄:沢田研二

 「おまえの部屋にチェック・インしたロンリーナイト」と始まる歌。

 曲はロックンロール風で古い革袋という感じでいい感じなのだが,入っている酒 ではなかった 歌詞が新しい。新しいというか,何の工夫もなく,あるがままの状況をそのまま文にしたという印象を受ける。

 

海峡(2016.6.8)

昭和57年,詞:吉幾三,曲:吉幾三,唄:吉幾三

 「わたし昔からそうでした 北へ行こうと決めていた」と始まる歌。

 「も一度やり直せるなら」と未練を見せるが結局「もう遅いもう遅い」と海峡を越えるのだ。もちろんこの海峡は「津軽海峡」である。

 吉幾三と言えば『俺はぜったい!プレスリー』1)とか『俺ら東京さ行ぐだ』2)などもあるが,やはり『雪国』3)だろう。吉幾三はWikipediaではジャンルは演歌・ヒップホップ,職業は演歌歌手・作詞家・作曲家・ラッパーとなっている。よく解らないがシンガーソングライターであることは確かだ。

この「海峡」や『雪国』は演歌だろう。二つの歌は構成がよく似ている。「海峡」は別れて行く方,『雪国』では追いかける方だがどちらも北国だ。曲もサビが終わりの方にあって,そのまま絶叫(ではないが)で終わる構成だ。海峡が試作品で雪国が完成品だろうか。

私には少しキーが高いが,これらを唄うとエネルギー消費が大きく,声と共にアルコールも抜けて行くのでまた一杯飲める。

1)「俺はぜったい!プレスリー」(昭和52年,詞:吉幾三,曲:吉幾三,唄:吉幾三)

2)「俺ら東京さ行ぐだ」(昭和59年,詞:吉幾三,曲:吉幾三,唄:吉幾三)

3)「雪国」(昭和61年,詞:吉幾三,曲:吉幾三,唄:吉幾三)

 

悲しい色やね(2015.2.6)

昭和57年,詞:康珍化,曲:林哲司,唄:上田正樹

 「にじむ街の灯を ふたり見ていた」と始まる歌。

 「大阪ベイブルース」とか「たったひとつの青春やった」というような歌詞があるので大阪の歌なのだろうが,言葉に違和感を持つ。大阪人ではない人間が無理やり大阪弁を真似しているように聞こえる。わたしも大阪人ではないので京阪神の言葉の微妙な違いを聞き分けられるわけではないが,おそらく大阪人ならこうは言わないだろうという標準語に近い表現がところどころに見られる。また,メロディーも関西弁に合致しているとは言えないように感じる。この時代には言葉の抑揚アクセントとメロディーの高低を一致させるということはなくなってしまっているのだろうが,イントネーションの違和感が拭えない。また歌詞中に「Hold me tight」などと英語が入っているが,このようにキザに英語を入れたがるのは東京風と感じてしまう。

 私の感想は,『標準語で詞を書けばずっといいのに』というものだ。

 

北酒場(2012.4.23)

昭和57年,詞:なかにし礼,曲:中村泰士,唄:細川たかし

「北の酒場通りには長い髪の女が似合う」という歌いだしの第24回日本レコード大賞受賞曲。細川が「欽どこ」1に何度も出演してこの歌を唄ったことから,徐々に世間に浸透し,大ヒットになったとのことである。

北の酒場通りに似合うものとして「長い髪の女」と「涙もろい男」が挙げられている。「やぶれた恋の数だけ人にやさしくできる」と歌われているが,似た歌詞が「贈る言葉」2にある。何か出典があるのだろうか,ひょっとしたらキリスト教系かとマタイ福音書を開いてみたら,「悲しんでいる人たち」は幸いだとあるがそれは他人に優しくなれるからではなく,主により慰められるのが彼らだからだった。

これらの2曲ではなんとなく,「やさしい」ということがポジティブな評価でとらえられているようである。私自身は「地球にやさしい」とか「自然にやさしい」などという言葉を聞くたびに違和感を持つ。私の「優しくする」の語感は,「犬に優しく接する」とか,「赤ちゃんを優しく抱く」という使い方が普通で,「患者が医者に優しく接する」とか「兵隊が士官にやさしくする」という使い方は考えられない。即ち「やさしく」は上位者が下位者にとる態度だ。「自然にやさしく」というのは,自然は征服できるものであると考える人間の慢心から出た言葉であろう。「自然にやさしく」という発想は神道や仏教からは出てこないのではないかと思う。

この「北酒場」では,「くどかれ上手がいい」とか「瞳でくどけるほうがいい」と「今夜の恋」の話をしているようなので,互いに「優しく」あることは楽しく飲むために大切なことなのだろう。

1)昭和51年からテレビ朝日系で放送された「欽ちゃんのどこまでやるの!?」。地方ではテレ朝系だけでなく,日テレ,TBS,フジの系列でも放送されている。

2)武田鉄矢:贈る言葉(昭和54年,曲:千葉和臣,唄:海援隊)「人は悲しみが多いほど人には優しくできるのだから」

 

君に薔薇薔薇・・・という感じ(2016.12.19)

昭和57年,詞:三浦徳子,曲:筒美京平,唄:田原俊彦

 「夢をみるような甘い そのくちびる」と始まる歌。

 三浦徳子はもっとボキャブラリーは豊富なのだろうと思うが,「だから薔薇薔薇 とにかく薔薇薔薇 ほんと薔薇薔薇 まったく薔薇薔薇」,もっと「薔薇薔薇」が続くのだがこのような意味不明な詞だ。「肩先触れたはずみのアクシデント」で突然「感電してFall in love」状態のボキャブラリー不足の男の子をイメージして作った詞なのだろうか。責任ある社会人男性の詞ではない。

 曲は筒美京平健在也と感じさせる曲ではあるが,私がこのような軽快な曲を聴きたくなる機会はそれほど多くはない。

 私の耳が悪いせいかもしれないが,歌声は低温が聞き取りづらい。あれだけ動きながら唄えば音域の上下の端では声もよく出ないだろう。結局,聴かせる歌というより,ステージで見せる歌なのだろう。

 

兄弟船(2013.6.11)

昭和57年,詞:星野哲郎,曲:船村徹,唄:鳥羽一郎

 「波の谷間に命の花が」と始まる歌。鳥羽一郎のデビュー曲である。

 海で働く男を歌う悪くない歌だ。いつごろだっただろうか,市川昭介が教えていたカラオケレッスンのテレビ番組があり,その中で市川昭介が,「命のはなが〜」の「が」を鼻濁音で発音するようにと熱心に指導していたのを思い出す。採点してくれるカラオケマシンがあるが,あれは鼻濁音など区別するのだろうか。市川昭介が挑戦したら何点くらいの得点だろう。

 

暗闇をぶっとばせ(2019.4.28)

昭和57年,詞:嵐ヨシユキ,曲:Johnny,唄:嶋大輔

 「暗闇にまぎれて 息づくお前の 夢に 明日はあるのかい」と始まる歌。

 残念ながら本人の歌は聴いたことがない。誰かがカバーしたのを聴いたことがあるが,それは歌い手の自己満足で,他人に聴かせる歌ではないと感じた。しかし,詞も曲もロックだと感じる歌。

 もっとも,私がロックを歌いたいと思うときは自己満足のためだ。カラオケで歌謡曲を唄うときには一応聴衆に聴かせるように努力する(努力は成功しているとは言えないのも自覚してはいるが)のだが。

ロックが自分のために唄う歌なら,この曲もいいかもしれない。

 

けんかをやめて(2015.6.21)

昭和57年,詞:竹内まりや,曲:竹内まりや,唄:河合奈保子

 「けんかをやめて 二人をとめて」と始まる歌。

 どういう「けんか」かというと「私のために争わないで」とあるので三角関係のようだ。もう少し歌詞が進むと「どちらとも」「うまくやってゆける自信があったの」となっている。「ボーイフレンドの数 競う仲間達」がいるらしい。竹内まりやは私より若いがそれほど歳の差が大きいわけではない。それでもこのような詞をアイドルに唄わせるということで世代の断絶を感じる。時代は移りつつあったのだろう。

 この年,フィリップスが世界初のCDを製造,ソニーは世界初のCDプレーヤーを発売した。これからCDの時代が始まるのだ。

 

恋人も濡れる街角(2014.4.23)

昭和57年,詞:桑田佳祐,曲:桑田佳祐,唄:中村雅俊

 「不思議な恋は女の姿をして」と始まる歌。

 中村雅俊が曲に合わせて歌うのが上手いのか,曲の個性が強いのかわからないが,桑田の特徴が出ている歌だ。

 桑田は私よりかなり若いが,親子ほどは離れておらず,兄弟の範囲だが同世代の中でも先端を走っているのだろうか,私にはとてもついていけない。中村は私と桑田の中間で,どちらかというと私に近い年齢で,私と同世代といっても良いと思うのだが,桑田ワールドに溶け込んでいるように感じる。

 大体,「恋人」などという言葉自体をあからさまに声に出されるのにようやく慣れたところなのに「こい びとも」などと変なところで切られると強い違和感を持つのだ。『恋人よ そばにいて』1)というような使い方のほうが私の共感度は高い。

1)      「恋人よ」(昭和55年,詞:五輪真弓,曲:五輪真弓,唄:五輪真弓)

 

小麦色のマーメイド(2019.10.11)

昭和57年,詞:松本隆,曲:呉田軽穂,唄:松田聖子

 「涼しげなデッキ・チェアー ひとくちの林檎酒」と始まる歌。

 「WINK WINK WINK」と突然声を張り上げるので何事かと思ってしまう。ひょっとしたらジュゴンはこんな風になくのかなどと思ってしまった。

 「わたし裸足のマーメイド」というのも予想外の詞で最初は耳を疑った。マーメイドの足というのが思いもよらなかったのだ。人間に変身しているのだろうと気付くまで時間がかかった。

 

さざんかの宿(2013.9.27)

昭和57年,詞:吉岡治,曲:市川昭介,唄:大川栄策

「くもりガラスを手で拭いて」と始まる歌。第25回日本レコード大賞ロング・セラー賞を受賞した。

「愛しても愛してもあゝ他人の妻」とあるのでそういう関係なのだろう。

 私は一時光自体の研究をした時期があった以外はほぼ全職歴を通じて,薄膜形成の仕事をしていた。薄膜形成自体が主な仕事の時期もあったし,薄膜形勢は従属的な仕事の時代もあった。材料も用途も違うが,ほとんどの場合平坦な膜をつくることが必要条件だった。光学的に平坦な膜だと鏡面になるが,表面が荒れると雲って見える。要するにくもった膜は失敗作だ。

 当時,というか正確には数年後になるのだが,実験室から若い人(私も当時は若かったが)が「くーぅもぉりぃがらすを〜ぉてぇでふういぃて〜ぇ」と鼻歌を歌いながら出てくると,聞かなくでも実験の成否が解った。『ルビーの指輪』1)も『くもり硝子の向こうは風の街』と冒頭の単語は同じだが,メロディーとしては,『今回も失敗だった,いつになったら成功するのだろう』という気分にはこの「さざんかの宿」のほうがよくあう。

 念のため補足すれば,目指したものが得られなかったということは開発としては失敗であったといえるが,研究としては,このような条件ではこのような結果になるという新しい知見が得られたということであるから,研究としては一歩前進ということである。開発はゴールが見えており,ゴールに近づけなければ失敗といえよう。しかし,研究では・・・中には開発的な研究もあるが・・・ゴールは見えにくい場合も多い。誰の目にも見えていたゴールならば全く独創性はなく,誰も見ることができなかったゴールに到達すればそれが独創的な研究であろう。

 それでもなお,こうすれば鏡面膜が得られるのではないかと考えてやった結果が「クモリガラス」であったということが続くと,研究の成否は最後に判るものだと承知はしていても落胆した気分になってしまう。

 開発・研究には種々の分野がある。分野により方法論は異なって当然だ。言いたかったのは,ゴールに近づいたと判断できない結果であっても,それが失敗ではない分野もあるということだ。注意深く実験をしていれば,目指していたゴールではない,別なゴールがチラッと見えることもある。そのような,普段は見えていないゴールを見つけることができれば独創的な研究ができる分野もあるということだ。

 今の世の中,ゴールを明確に見せることが出来なければ研究費の獲得もママならないだろうが。

1)      「ルビーの指輪」(昭和56年,詞:松本隆,曲:寺尾聰,唄:寺尾聰)

 

3年目の浮気(2011.10.16)

昭和57年,詞:佐々木勉,曲:佐々木勉,唄:ヒロシ&キーボー

 「馬鹿いってんじゃないよ」と突然男が歌いだし,「よくゆうわ」と女が反論する。漫才のような曲。その後「5年目の破局」「7年目の同窓会」と続く3部作らしいが後の2曲は知らない。

「(男)3年目の浮気ぐらい大目にみてよ。(女)両手をついてあやまったて許してあげない。」この歌のような男女関係は昔からあったのだろうか,この頃からなのだろうか,それとも時代の先取りであったのだろうか。

 

少女A(2019.4.1)

昭和57年,詞:売野雅勇,曲:芹澤廣明,唄:中森明菜

 「上目使いに盗んで見ている 蒼いあなたの視線がまぶしいわ」と始まる歌。

 「じれったい じれったい」と繰り返すところや,最後の「ワ・タ・シ 少女A」など,印象に残るフレーズがいくつもある。

 当時の女性歌手では松田聖子がアベレージ・ヒッターだと思うが,この「少女A」は最大のインパクトだったと思う。但し,ホームランだったかどうかは定かではない。私には特大ファールに見えた。この年の綺麗なホームランは岩崎宏美の『聖母たちのララバイ』だと思う。

 

情熱☆熱風 せれなーで(2020.3.14)

昭和57年,詞:伊達歩,曲:筒美京平,唄:近藤真彦

 「名前さえ知らないのに お前に恋したのさ」と始まる歌。

 詞に曲をつけたのか,曲に詞をつけたのか知らないが,早口言葉のような歌になっていると感じ,好きになれない。筒美の曲は嫌いじゃないはずなのだが,これはどうも・・・。

「せれなーで」とはSerenadeではないかと思うのだが,平仮名で書かれているのにどのような意味があるのだろうか。確かに,「聴いておくれよ 俺の ポニーテール」などとあり,恋人のために唄ってはいるようなのだが,私がイメージするSerenade・・・恋人の部屋の窓の下で歌う恋の歌・・・とは違う。私のSerenadeのイメージは『雨に名咲く花』1)に登場する「セレナーデ」だ。

1)     「雨に咲く花」(昭和10年,詞:高橋掬太郎,曲:池田不二男,唄:関種子)・・・私が聞いたのは井上ひろし盤だが。

 

すみれSeptember Love(2015.3.14)

昭和57年,詞:竜真知子,曲:土屋昌巳,唄:一風堂

 「それは九月だった」と始まる歌。

 化粧品のCMに使われていたらしいが印象に残っていない。おそらく詞・曲共に私の好みに合わなかったのだろう。詞はチャらいし,曲は騒々しい。昭和の歌謡曲とは呼べないように感じる。歌というより新しいカテゴリーの曲だ。

 話は跳ぶが,なぜCMに外国人を起用するのだろう。外国人であることの必然性を感じない。このCMは有効ではない。と書いていて気付いた。そもそも私はこの商品を売り込む対象になっていないのだ。

 CMの外国人も人気女優だし,この曲もヒットしたのだからCM製作者が狙ったターゲットには受けたのだ。売り込む対象になっていない私にはこの歌を論じる資格はないということだろう。

 

セカンド・ラブ(2020.5.18)

昭和57年,詞:来生えつこ,曲:来生たかお,唄:中森明菜

 「恋も二度目なら 少しは上手に 愛のメッセージ 伝えたい」と始まる歌。

 来生姉弟の曲だと知ると,やっぱりという感じで,来生の雰囲気満載だ。

 結局はメッセージを上手く伝えることが出来ずに「うつむくだけ」。「私をさらってほしい」と思うだけで「とまどうばかりの私」という歌。

 来生えつこの誕生日は私とほんの数か月しか違わない。同世代だ。ただ,私は自分では時代に取り残されているように感じており,来生えつこはもっと次世代的な感性だと思っていた。しかし,この詞を読むと同世代人だと感じる。松本隆などになると完全に世代が違うと感じるのだが。ちなみに松本隆は私より1年半ほど遅く生まれている。昭和の後半から時代の変化速度が加速度的に上昇したのではないか。

 

赤道小町ドキッ(2014.6.2)

昭和57年,詞:松本隆,曲:細野晴臣,唄:山下久美子

 「赤いお陽様がジリリ焦げてる」とはじまる歌。

 松本,細野,山下とくれば私がついていけるはずのない曲だ。「君は赤道小町 恋はアツアツ亜熱帯」という箇所ぐらいしか記憶にない。このような歌もあったということだ。

 

立待岬(2017.2.18)

昭和57年,詞:吉田旺,曲:浜圭介,唄:森昌子

 「北の岬に 咲く浜茄子の 花は紅 未練の色よ」と始まる歌。

 「夢を追いかけ」去った男に「あなた待ちます この命涸れ果てるまで」という歌だが,「海猫(ごめ)」に「どうかつたえて あのひとに」と願いを託すなど月並みな歌詞だとは思うが森の歌唱力によりそれなりの説得力を持つ歌になっているように思う。

 

旅の終りはお前(2012.12.13)

昭和57年,詞:市場馨,曲:三島大輔,唄:山本譲二

 「こんなにやつれてこの俺を待ったのか」と始まる,「みちのくひとり旅」1)と同じ雰囲気の歌。「みちのくひとり旅」では「お前が俺には最後の女」と繰り返しながらも「ひとり旅」なのだが,この歌はその続編のような歌で「離さないもう二度と旅の終りはお前さ」と終わる。

 この年,CDおよびCDプレーヤが初めて発売された。ソニー,日立,日本コロムビアが101日,フィリップスが1020日の発売である。フィリップスの製品は日本にも輸入され,ポリドールと日本フォノグラムから発売された。昭和58年以降,米国などでも販売されるようになった。

 CDの記録・再生の原理自体は昭和40年に米国で発明されている。しかし,当時のレーザは極めて大きいものだった。しかし,昭和45年,製造技術の進歩と新構造の採用により半導体レーザの室温連続発振が可能になった。これにより超小型のレーザが得られるようになり,間もなくフィリップスとMCAがレーザーディスクを開発した。昭和50年にはソニーが光ディスクの開発を開始,フィリップスも昭和52年にはCDの開発を始め,昭和54年にはフィリップスとソニーは共同開発を始めた。ここでCDサイズに関しフィリップスは11.5 cm径を主張し,ソニーは12 cm径を主張した。11.5 cmはカセットテープの対角線の長さで,DIN規格2)に合致する寸法である。11.5 cmだと録音時間は約60分,12 cmにすると最大7442秒になる。ソニーはベートーベンの交響曲第九番が1枚に録音できるようにと12 cmを主張したと伝えられている。その後,CDと同様の改良型メディアが種々現れているが,何れも12 cm径になっている。

1)      「みちのくひとり旅」(昭和55年,詞:市場馨,曲:三島大輔,唄:山本譲二)

2)      Deutsche Industrie Normen: ドイツ工業規格。JISのドイツ版。カセットテープはフィリップスの開発によるもので,DIN規格になっている。

 

だって・フォーリンラブ・突然(2018.7.28)

昭和57年,詞:横浜銀蠅,曲:TAKU,唄:三原順子

 「ガラにもないような恋 だってフォーリン・ラブ突然」と始まる歌。

 詞の意味の詳細はあまりよくは解らないが,「だってフォーリン・ラブ突然」という気分は良く伝わって来る。曲はロックンロール。いかにも横浜銀蠅という感じだ。

 自分で唄いたいとは思わないが,聴く分にはよい。昭和のリズムの香がする。

 

ダンスはうまく踊れない(2014.7.10)

昭和57年,詞:井上陽水,曲:井上陽水,唄:高樹澪

 「ダンスはうまく踊れない」と始まる歌。昭和52年に石川セリが唄った曲のカバーである。

 歌と歌手の雰囲気は合っていると思うが,私には共感できる経験がないので共感して唄ったり聴いたりすることはできない。詞は私の暮らしとは無縁だ。歌詞を聴かずに曲だけ聴いていると,高樹の声は意味を持った声には聞こえず楽器のひとつのように聞こえ,そのように聴いているとよくできたイージーリスニングのひとつだ。

 

契り(2016.7.16)

昭和57年,詞:阿久悠,曲:五木ひろし,唄:五木ひろし

 「あなたは誰と契りますか」と始まる歌。

 第24回日本レコード大賞金賞,第13回日本歌謡大賞放送音楽賞等を受賞。

 演歌に分類されているようだが,私が思う演歌の本流からは離れている。少し気取った歌謡曲に聞こえる。「緑はいまもみずみずしいか」とか「乙女はあでやかか」などの歌詞は演歌に似合わない。また私のイメージする演歌では唄にこれほどの強弱をつけない。最初からアクセル全開にとは言わないが,最初からもっとそれなりの声を出し続ける。このあたりが気取っていると感じる理由だ。恐らくコード進行なども典型的演歌とは異なるのではないかと思うのだが、そのあたりは私の音感ではよく解らない。

 「愛するひとよ すこやかに」などと終わるのは阿久悠らしくない。小椋佳の影響でも受けたのだろうか。そんなはずはないだろう。

 

チャコの海岸物語(2013.12.18)

昭和57年,詞:桑田佳祐,曲:桑田佳祐,唄:サザンオールスターズ

 「抱きしめたい」と始まるのか「海岸で若い二人が」からが歌の始まりかがわからないが,まあ,このように始まる歌。「心から好きだよ」というフレーズが印象的。このあとに続くのが1番では「チャコ」,2番では「ミーコ」,3番では「ピーナッツ」となっている。女性の名前のように感じるのだが「ピーナッツ」というのは良く解らない。3人は同一人物なのだろうか。

 桑田佳祐にはついていけない。世の中では支持されているようなので,私の感性が古いのだろう。そのような私でも,この歌は『まあ,いい歌じゃないの』と言えるかも,という歌のひとつだ。

 

東京セレナーデ(2017.5.26)

昭和57年,詞:たかたかし,曲:小林亜星,唄:都はるみ

 「夜霧が流れる 狸穴あたり 咲く夢 散る花 拾う恋」と始まる歌。

 最後は「夜が泣いてる 夜が泣いてる 東京セレナーデ」とか「夢もかけあし 夢もかけあし 東京セレナーデ」だ。

 「セレナーデ」は『小夜曲』あるいは『夜曲』と訳されているようだが,なぜなのか解らない。Wikipediaには『恋人や女性を称える』というようなことが書いてあるが,この歌詞がそのように分類される詞なのだろうか。

『セレナーデ』が曲名に入った歌を思い出してみようとしたが,大ヒットした曲は思いださない。『夜曲』なら『愛染夜曲』(昭和14年)や『蘇州夜曲』(昭和15年)とかなり古い曲になり,『北上夜曲』(昭和36年)以降はほとんど思い出さない。歌詞に『セレナーデ』が登場する歌にしても『雨に咲く花』(昭和10年)と古い曲しか思い出さない。『いっそセレナーデ』などはタイトルにも歌詞にも『セレナーデ』が私にとってはすぐに思い出す歌ではない。『地名』+『セレナーデ』という曲名は他にもあるようおだが,『地名』+『ブルース』などに比べるとヒット曲数ははるかに少ない。

 

ドラマティック・レイン(2017.3.16)

昭和57年,詞:秋元康,曲:筒美京平,唄:稲垣潤一

 「今夜のおまえは ふいに 長い髪 ほどいて」と始まる歌。

 過去の歌とかなり趣が異なるという意味でニュー・ミュージックだろう。

 詞は映画かテレビドラマのワン・シーンをみているように解りやすいといえば解りやすいのだが,登場人物の感情は私とは別世界のものである。

 メロディーは私には全く馴染の無い進行だ。筒美の曲ならもう少し耳に馴染んでもよいと思うのだが,稲垣の歌唱のせいかもしれない。

 

NAINAI16(2014.8.17)

昭和57年,詞:森雪之丞,曲:井上大輔,唄:シブがき隊

 「NAI-NAI-NAI 恋じゃNAI NAI-NAI-NAI 愛じゃNAI」と始まる歌。

 アイドルの歌である。元気が良いのが良い。しかし歌詞は私の世代には合わない。最初から「笑わせるぜ靴箱にラブ・レターなんて」とあるのからして『何が悪い』と言いたい。昔なら,一大決心をして手紙を書いたのではないか。それを茶化すなど許さざれることだ。

タイトルの16は年齢を表しているのではないかと思うのだが,「授業中に手をあげて俺を好きだって」言わせようなどとは私の世代では思いもよらぬことだろう。軽薄な詞だ。とはいえ,当時の印象では,悪ぶってるだけで心からこのように思っているようには感じられなかったのだが,平成に入ると軽薄さが本物ではなかろうかと思えるような詞が増えた。

 

渚のバルコニー(2015.7.20)

昭和57年,詞:松本隆,曲:呉田軽穂,唄:松田聖子

 「渚のバルコニーで待ってて」と始まる歌。

 松田はアイドル歌手としては歌が上手いと思うが,低音域はあまり広くないように感じる。中音から高音はアイドルを超える声なので,中高音で曲をつくればいいのにと思うことがよくある。ただ,この歌は歌詞が軽薄に感じられ,曲もどうでも良いという感じだ。箸が転んでもおかしい年頃の聖子ファンには,松田聖子が唄っているというだけで歌詞の意味などどうでもよいのだろう。あるいは幸せの絶頂にある人々にとっては何を聞いてもハッピーなのだろう。

 残念ながら私の好みではない。もともと私はターゲットになっていないのだろうが。

 

夏のヒロイン(2024.6.21)

昭和57年,詞:竜真知子,曲:馬飼野康二,唄:河合奈保子

 「青い渚 急に駆け出しながら 突然言うのね 君が好きだなんて」と始まる。

 典型的な昭和のアイドル・ソング。10年前なら最先端でもっとヒットしたんじゃないかと思うが,その後アイドル・ソングが山ほどでて,そろそろ人気が下降気味という時代ではなかったか。昭和60年におニャン子クラブが結成され,女性アイドルの質が変わる前の最後の世代だ。

 「夢じゃないので 本当ね」「これが恋ね あなた」とハッピー・アイドル・ソングだ。

 

夏をあきらめて(2015.4.22)

昭和57年,詞:桑田佳祐,曲:桑田佳祐,唄:研ナオコ

 「波音が響けば雨雲が近づく」と始まる歌。

 「Darlin’ Can’t You See? ・・・・」と英語が入るのは気に入らないが,この英語の箇所が印象に残る。しかし,これはサザンの歌だろう。サザンの歌なら歌詞の意味が解らなくてもそんなものかと思って聴けるが,研の唄を聴くと,言語明瞭意味不明瞭な政治家の言葉を聞いているようで,何を言いたいのか解らず混乱してしまう。歌詞の雰囲気は男歌だが,研の唄が男歌に聞こえないのだ。

 

涙をふいて(2016.8.20)

昭和57年,詞:康珍化,曲:鈴木キサブロー,唄:三好鉄生

「あの日夢をさがして オレたち愛を 捨てたふたりさ」と始まる歌。

その二人が偶然出会った歌。詞に自身の経験を重ねて共感することはないのだが,話としては理解でき,詞自体は歌謡曲の詞として悪くないと感じる。曲も新しさを感じない。新しさを求めない私にとって悪くない曲だ。歌唱は古い歌手の唄い方ではなく,新しい唄い方だ。この唄い方は私の好みではない。

栄養?ドリンクのCMにも使われていた。

 

匂艶THE NIGHT CLUB(2019.8.10)

昭和57年,詞:桑田佳祐,曲:桑田佳祐,唄:サザンオールスターズ

「踊り明かそう 酒を食らおう 今宵Summer Time」と始まる歌。

タイトルは「にじいろ ザ・ナイト・クラブ」。

 曲自体は悪くないと思うのだが,歌詞を聞いただけでは意味不明,文字で読んでも意味は想像しかできない。従って選んで聴くことはないが,場合によってはBGMとしては良いと思う。

 

NINJIN(2019.12.12)

昭和57年,詞:宮下智,曲:宮下智,唄:田原俊彦

 「夏が終わった頃 君をみてビックリ」と始まる歌。

 まっ赤に日焼し,スリムになって,まるでニンジンだというような歌詞。

 「一本でもニンジン」とか「白けりゃダイコン」「黒けりゃゴボー」「緑色ならピーマンさ」などの歌詞もある。緑色ならキュウリや豆類あるいは他にもあるだろうとは思う。ピーマンというのは論理的な説明は解らないが感覚的には納得できるような気もする。

 オリコンでは2位が最高だったが,TBSの『ザ・ベストテン』では3週連続1位を獲得している。フジテレビ系の『ひらけ!ポンキッキ』では今月の歌に選ばれている。トシちゃんの唄もアイドル・ソングというよりポンキッキ・ソングの雰囲気が強い。

 曲はデキシーランド・ジャズである。といっても私はニューオリンズなのかデキシーランドかの区別はもちろん,他のメジャーなジャズもバンド編成などを見て,これは○○ではないということくらいしか想像できないレベルなのでデキシーランド・ジャズというのは何かで見た受け売りだ。

 宮下智はWikipediaによれば,本名盛岡夕美子といい,元々はクラシック・ピアニストらしい。トシちゃんに多くの詞・曲を提供しているようだ。

 宮下がトシちゃんに作った歌は歌唱力で聴かせる歌ではないし,単なるアイドル・ソングでもない、エンターテインメント性を重視していろんな試みをしているように思える。これらの試みに使えるパフォーマーとしてトシちゃんを選んだのか,トシちゃんに合わせて歌を作ったのかは私にはわからない。

 

野ばらのエチュード(2019.3.4)

昭和57年,詞:松本隆,曲:財津和夫,唄:松田聖子

 「トウルリラー トウルリラー 風に吹かれて 知らない町を 旅してみたい」と始まる歌。

 「つまずきながら 愛することを 覚えてゆくのね」と迷っていたのが「あなたしか見えないの」と言う状態になり「もう私 あゝ迷わない」ということなのだろう。松田聖子の歌として悪くはない。

 「20才のエチュード」という言葉が出てくるが,松田聖子の世代なら知らないかも知れないが,松本隆の世代なら『二十歳のエチュード』といえば原口統三だろう。このような文脈で「20才のエチュード」という言葉を聞くと違和感しかない。

 

ハイティーン・ブギ(2014.9.30)

昭和57年,詞:松本隆,曲:山下達郎,唄:近藤真彦

 「海辺にバイクを止めて一瞬マジにお前を」と始まる歌。

 私にとっては,たのきんトリオの中ではマッチの歌が最も聴きやすい。しかし詞には世代のギャップを感じる。

 英語でバイクは自転車のことだと思うがここではオートバイのことだろう。ちなみに三輪車を表す英語はトライクだ。

今のバイクのことを私の子供の頃は3種類に呼び分けていた。『オートバイが空飛べは事件の起きた時なのさ』1)と歌にもあるように,オートバイがその一つである。当時の運転免許の区分で自動二輪に相当するものの大部分と一部の第2種原動機付自転車だ。特徴はマニュアルシフトで大径タイヤだ。スクーターというのは自動変速で小径タイヤ,小排気量が多く,大型のものは見たことがなかった。あとはバタバタだろう。これはその名の通りの原動機付自転車であった。中学の技術の授業でこのバタバタのエンジンの分解・再組立てをしたことがある。

自家用乗用車が一般的になる前,サイドカー付のオートバイが走っていた時期がある。スクーターやバタバタではサイドカーをつけることはできない。このような大型バイクには燃料タンクの横にシフトレバーのある,ハンドシフトタイプのものもあった。サイドカーをつけて運転するので後進も可能だった。とはいえ私が知っているほとんどの車種はシフトぺダルをつかった足でのギヤシフトだった。サイドカーをつけていないオートバイ単独を単車と言った。

昭和30年代末から40年代にかけて,一部の若者は改造オートバイで走り回るようになる。ヤマハ,ホンダ,スズキなどの日本メーカーがオートレースで好成績を挙げていた影響もあるだろう。よくある改造はマフラーである。消音効果を出すためにエンジン出力が犠牲になることを嫌い改造する。当然排気音は大きくなる。後には原理を知ってか知らずか排気音を大きくして目立ちたいだけの者も出てきたようだが。これらは轟音を出しつつ走るのでカミナリ族と呼ばれた。

その後暴走族と呼ばれる集団が現れるが,これにはいろんな傾向を持つ集団があり,簡単にまとめることはできない。昭和44年の米国映画『イージー・ライダー』の影響を受けたグループもあっただろう。最近でも,道を走っているとハーレーに乗ったおじさん(私から見ても)の集団がツーリングしているのに出会うことがある。

昭和53年の道路交通法改正で共同危険行為等が禁止され,この数年後から暴走族の数は減少し始める。この歌のころは暴走族数がピークを越えたころだろう。歌詞の中にある「ツッパリ」は後に意味が拡がるが元は暴走族の自称だ。

「皮のツナギの背中に」とあるがマッチはその後カーレーサーとして活躍している。当時から走り屋の傾向があったのだろう。

昔の作詞家なら仲間と愛の選択の際,あるいは義理と人情の選択の際間違いなく前者をとって心で泣く詞を書くのだろうが,松本の選択は後者だ。このあたりに時代を感じる。

1)「まぼろし探偵」(昭和34年,詞:照井範夫,補作:山本流行,曲:渡辺浦人,唄:上高田少年合唱団)

 

原宿キッス(2015.5.22)

昭和57年,詞:宮下智,曲:筒美京平,唄:田原俊彦

 「スカートのすそ AH AH ヒョイとつまんで AH AH」と始まる歌。

 原宿で見かけた「すける程うすいシャツ」をきた「ポニーテール」の娘に「夢でもいいから一度お願いしたい」と妄想を抱く歌。

 最近,飛行術を使うことができる仙人1)などがいないのは女性の服装が原因かもしれない。雑念・妄想は修行の妨げということか。

 トシちゃんは動き回りすぎるので唄に集中できないのではないか。アイドルなのでステージに登場するだけで良いのだろうが,この曲の振り付けはキレがないように見えた。たまたま私が観たときはお疲れだったのだろうか。

1)久米仙人は飛行中に,川で洗濯をする女性の脛に見とれて,神通力を失い墜落した。

 

氷雨(2013.4.9)

昭和57年,詞:とまりれん,曲:とまりれん,唄:日野美歌

 「飲ませて下さいもう少し」とはじまる歌。もともと佳山明生のデビュー曲で昭和52年に発表されている。この昭和57年には日野のほか,箱崎晋一郎もこの歌を出している。

同棲相手が出て行き,たった一人の部屋・・・アパートの一部屋のような気がする・・・に帰りたくないと酒を飲んでいる女の歌だ。泣き上戸かも知れず,酒癖が良いとは言えないようだ。「酔ってなんかいないわ」というところなど,酔っている証拠だ。「もっと酔うほどに飲んであのひとを忘れたいから」と言っている。気持ちはわかるが,酔っても忘れられないと思う。

昔はお一人様女子がこのような店に現れることは滅多になかったと思うのだが,この当時にはときどき出没するようになっていたのではないか。このような店とはどんな店だといわれると困るのだが,飲んでいる酒はカクテルやブランデーではないような気がする。根拠はないが日本酒のように思う。カウンターの向こうから,『そろそろ・・・』と心配されながらも,まだ飲もうとしているようだ。

 

100%...soかもね(2019.2.5)

昭和57年,詞:森雪之丞,曲:井上大輔,唄:シブがき隊

 「かもねかもね 恋かもね」と始まる歌。

 当時は既にこのような曲を聴く気分ではない年齢になっていたが,もっと私が若かったら,嫌いじゃないタイプだっただろうと思う曲。

 シブがき隊のステージパフォーマンスは,当時はもっとまじめに歌に専念すればいいのにと思っていたが,当時の私がもっと若かったら,振り付けを覚えて中学のクラス会などでやっていたのではないかとも思うのでなかなかコメントは難しい。

 要するに,聴き手の年齢等の状況により評価が大きく別れるのだろう。全世代にまんべんなく支持されるという訳ではないと思う。

 

$百萬BABY(2019.11.11)

昭和57年,詞:松本隆,曲:Johnny,唄:Johnny

 「I love you I need you これが最後の賭けさ」と始まる歌。

 早速だが「俺の胸のTURBO 火をはくぜ」とある。『TURBOが火ふいた』らあかんやろと思うが彼のTURBOと私が思い描くTURBOは違うものかもしれない。

 他の記事でも,どうも私は松本の詞に文句をつけることが多いように思う。年齢的には私と同世代だが,彼は数多くのヒット曲を持つ大作詞家で紫綬褒章まで受章している。彼とは住む世界が違うので対抗意識など全くない。恐らくヒット曲が多く,この記事に登場する回数が異常に多いことが関係しているだろう。それでも,他の作詞家の詞ならスルーしてしまうような違和感にいちいち私が反応してしまうのは,全体的に私の肌に合わないということだろう。どういうところが肌に合わないかを分析したいと思いもしないが,この詞では「熱くさせるぜ」とか「いらないぜ」という言葉づかいではなかろうか。

 曲も,ノリのよさそうなリズムなのに私にはイマイチノレない曲になっている。

 

for you・・・(2020.4.14)

昭和57年,詞:大津あきら,曲:鈴木キサブロー,唄:高橋真梨子

 「涙をふいて あなたの指で」と始まる歌。

 「気付いたの はじめて」私を「見ててくれたのは あなた」とようやく気付いたようだ。しばらく思い出を唄っていたかと思うと,最後は愛全開で「あなたが欲しい あなたが欲しい」と繰り返す。聞いているだけでも気恥ずかしくなる。それにしても,気付いた時には手遅れという場合が多いのだが,遅まきながらもなんとか気付いたようだ。幸せになってほしい。

 『他人の不幸は蜜の味』という言葉があるが,他人の不幸もあるレベルを超えると蜜の味とは言えなくなる。逆に人の幸せは心を温かくさせる。しかし,これも程度問題だ。小さな子供が満面の笑顔でお菓子を食べている様子などは,私が病気で好きな物を食べられない状況でも,よかったねと微笑みかけたくなる。しかし,同僚が宝くじで5億円当選したと聞いたら私の反応が違うかもしれない。幸か不幸か私の同僚に宝くじの高額当選者はいない・・・私が知らないだけかもしれないが。

 この歌の歌詞をよく見ると「この愛つかめるなら」とあり,まだ掴んでいないようだ。しかし掴めると確信しているからこそ幸せオーラ全開の歌になったのだろう。

 

冬のリビエラ(2013.8.8)

昭和57年,詞:松本隆,曲:大瀧詠一,唄:森進一

 「あいつによろしく伝えてくれよ」と始まる歌。私のよく知っている森進一とは一味違う。第25回レコード大賞特別金賞授賞曲ではあるが,私は聴きなれた森進一のほうが好きだ。「哀しければ哀しいほど」という箇所など,私が思う森進一と全く違う。

 念のため,「Summer Night in Riviera」を作曲者の大瀧詠一が歌っているのがあったので,これを聴いてみた。これは「冬のリビエラ」にMartha Lavenderが英語の詞をつけたもので,場面は夏になっている。この歌の歌手はBossanove Cassanovaだそうだ。松本の詞は日本的ではないと思っていたのだが,Lavenderの詞と比較するとやはり日本人的に感じる。松本の詞では,去って行く男は寡黙だが,Lavenderの詞では饒舌だ。私はもともと英語のヒアリングはできないので,大瀧の歌も何を言っているのか聞き取れないが,雰囲気だけで言えば私は大瀧が唄っているほうが好きだ。

 森進一にはやはり演歌を唄っていてほしい。せいぜい『襟裳岬』1)までだ。

1) 「襟裳岬」(昭和48年,詞:岡本おさみ,曲:吉田拓郎,唄:森進一)

 

ふられてBANZAI(2018.11.13)

昭和57年,詞:松本隆,曲:筒美京平,唄:近藤真彦

 「海が泣いてるぜ 風が吠えてるぜ」と始まる歌。

 昔,誰かが書いた作詞の心得のような文章を読んだことがある。松本隆だったのではないかと思うが違うかもしれない。内容の詳細は記憶にないが,私なりにインパクトを受けて受け取ったのが何語に翻訳されても同じように理解されるようにということだった。必然的に固有名詞の使用は避けることになる。地名や人名など,広範囲の人に伝えようとすると,相手がその名前に対して親しみを感じるか,異国情緒を感じるかなど異なる感情と共に伝わることになる。

 私が読んだ文章が松本隆のものではないかと思うのは,松本の詞がそのように書かれていると感じるからだ。この歌でも「海」がもう少し具体的に描かれていたら私が受ける印象はかなり変わっていただろう。「錆びた愛を砂に埋めて」とあるので砂浜かと思うくらいでイメージが湧きにくいのだ。おまけに主人公の精神構造に私と似た点が見出せないので歌に共感できない。

 

ぶりっこRock’nRoll(2017.1.28)

昭和57年,詞:翔,曲:翔,唄:紅麗威甦

 「エ ウソ ヤダ カワイイ ぶりぶりぶりっこRock’n Roll ぶりぶりぶりっこRock’n Roll」と始まる歌。

 率直に言えば,唄は歌詞を見ないと何を言っているのか判らない。まあ「ぶりぶりぶりっこ」くらいは判るが。曲は昔聴いたRock’n Rollだ。Rock’n Rollを聴こうと思って聴いた時期は(後に歴史として意図的に聴いたとき以外には)ないのだが,一時は一世を風靡していたので自然に耳に入ってきていた。その当時は歌詞の意味も解らなかったので曲をなんとなく聞いていた。その当時を思い出させる懐かしい感じを受ける曲だ。

 子供の頃に聴いた盆踊りの太鼓のリズムやロックのリズムは(全く違うものだが)体の奥に染み込んでいるいるようであり,今では身体は昔のようには動かないが,血だけは沸いて来るように感じる。長く聴いて居ると年寄りには五月蠅く感じられてしまうが。おそらく聴いている最中は血圧が上がっているのだろう。

 

ホレたぜ!乾杯(2019.5.24)

昭和57年,詞:松本隆,曲:筒美京平,唄:近藤真彦

 最初に「ホ・レ・た・ぜ!!」と一声シャウトしてから前奏が始まる。その後,「赤い日除けの港のカフェで 奴の手紙を君に渡した」と始まる歌。

 マッチらしい歌なのでファンには支持されるのだろう。筒美と近藤のマッチングはよさそうだ。

 歌詞は「I shoot you girl-hunt(哀愁ガール・ハント)」などという箇所等,とても好きになれないが,状況はシラノ・ド・ベルジュラックのような状況か。少し違うかもしれないが,状況設定は昔からありそうな設定だ。シラノとマッチでは役者が違い,当然?ながら詞はマッチのほうに寄せてある。しかし,私にはこの詞とマッチのマッチングが良いとは思えない。

 

待つわ(2012.2.6)

昭和57年,詞:岡村孝子,曲:岡村孝子,唄:あみん

 「かわいいふりしてあの子わりとやるもんだね」と翔んでる女の子の歌かと思えば「いつもあなたの前ではおどけてみせる道化者」「いつまでも待つわ他の誰かにあなたがふられる日まで」と昔からの演歌の世界を明るいメロディーに載せた曲である。中島みゆきなら同じ素材を別な形に料理しただろう。岡村と中島の違いは世代の違いによるものだろうか。世代の近い中島により共感する。

 なんとなく「うち知ってんねん」1)の世界ではないか。昔なら,年頃の女の子がおどけてみせるというようなことはなかったのではないかと思う。精神的に成長していないのではないかという気もするが,子供のような気持ちを持ち続けることができてうらやましい気もする。

1) 島田陽子:「うち 知ってんねん」

「あの子かなわんねん・・・わるさばっかししやんねん・・・うちのことかまいたんねん うち 知ってんねん」という詩。

 

聖母たちのララバイ(2012.8.20)

昭和57年,詞:山川啓介,曲:木森敏之,唄:岩崎宏美

 「さあ眠りなさい」と始まる歌。「男はみんな傷を負った戦士」ということだが,ここでは通常の社会生活を営んでいる普通の男だ。企業戦士ということだろう。このような男に向かって,「熱い胸に甘えて」と唄っている。

 女性はこのように甘えさせたいと考えることがあるのだろうか。男性としてはこのように甘えることができる母性を感じさせる女性を求めることがあると思う。疲れた男性の願いの歌だろう。昔何かで読んだことがある。男には三人のママがいると。自分を生んだ母親と,子供を生んだ自分の妻,そして酒場の女性という訳だ。

 岩崎宏美の歌声は仕事に疲れた心を癒してくれる。

 もちろん,メロディーも良いのだが,John Scottの曲と酷似していることが指摘されてレコード大賞の受賞は逸した。詳細は知らないが,現在この曲はScottと木森の共作とされているようだ。第13回日本歌謡大賞・大賞,第15回日本有線大賞・有線音楽賞を受賞している。

 昭和58年春,第55回選抜高等学校野球大会の入場行進曲に採用されているが,球児の行進に適した曲だとは思えない。

 

南十字星(2022.4.28)

昭和57年,詞:竜真知子,曲:水谷公生,唄:西城秀樹

 「もしもあなたが ここにいたら 夕陽の色も 違うだろう」と始まる。

 ここにいない理由は明らかにされておらず,「ああ あなただけが あなただけが欲しい」と繰り返すだけの歌。

 もう一度逢いたいと願望を繰り返し述べるだけで,何らかの努力をする様子はないし,少し前までなら夕陽や星に祈るなど神頼みのようなことをしたと思うのだが,宇宙開発が進みそのようなことは考えもしないようだ。ただ相手のことだけを考えている。

 思い出の場所で見たようだが南十字星がこの歌でどのような役割なのか解らない。。

 

めだかの兄妹(2012.10.16)

昭和57年,詞:荒木とよひさ,曲:三木たかし,唄:わらべ

 「すずめの兄妹が電線で」と始まる。2番は子猫で3番にタイトルのめだかが登場する。

 歌詞はそれぞれ「大きくなったら何になる」と問いかけて,「鷹」だとか「虎」だとか「鯉」だとかを挙げるのだが,「だけど大きくなっても」結局変らないという歌。

 小さな子供が唄うようなメロディーだが,歌詞は子供の歌に仮託した大人の歌のようだ。真に子供のための歌なら,もっと夢を持たせて欲しい。

 このような歌が一部にしても流行るということは社会に閉塞感があったのだろうか。やや諦めの境地に入りつつあったのかもしれない。昭和55年〜57年の3年間は特別な名前はついていないようだが,この年までの戦後最長となる不景気期間だった。

 社会に適応できない子供も増えており,このような子供の教育にはスパルタ式が有効だとしていたヨットスクールで死亡事故があったのはこの昭和57年である。

 

YaYa(あの時代を忘れない)(2016.2.9)

昭和57年,詞:桑田佳祐,曲:桑田佳祐,唄:サザンオールスターズ

 まず「I remember younger days, my friends and family and・・・・・」とあるのだが,歌の始まりは「胸に残る愛しい人よ 飲み明かしてたなつかしいとき」だ。

 恋の思い出の歌らしい。「theer were tears・・・」ともあるのでそのような恋なのだろう。歌詞中に外国語が多用され,気持ちは伝わってこない。このような歌はすぐに忘れてしまう。

 

約束(2014.11.12)

昭和57年,詞:大津あきら,曲:鈴木キサブロー,唄:渡辺徹

 「ちいさな夢を唇に」と始まる歌。

 渡辺徹に関しては歌手というイメージはない。俳優かタレントだろう。石原裕次郎のように唄う映画スターというほどには唄っていないと思う。

 この曲はザ・ベストテン1)で4週連続1位だったらしいが,当時は夜遅く帰る毎日で,テレビは朝の時計代わりにつけているのを,何となくちらちらと観ていた程度だ。この曲はアーモンドチョコレートのCMにも使われていたらしいが記憶にない。

1)TBS系で昭和53年から平成元年まで放映された音楽番組。男女の司会者がいた。初回から昭和60年途中までは久米宏だったが後に男性司会者は何人か交替,女性司会者は最初から最後まで黒柳徹子だった。

 

誘惑(2019.1.8)

昭和57年,詞:中島みゆき,曲:中島みゆき,唄:中島みゆき

 「やさしそうな表情は 女たちの流行」と始まる歌。

 過渡期の中島のように感じる。「夢のつづきをはじめましょう」とあり,デビュー当時は夢も希望もない様子だったのが,変わってきたと感じさせる。ただ,人や物を裏から見る癖のようなところはまだ残っている。中島みゆきらしい。

 

誘惑スレスレ(2018.10.15)

昭和57年,詞:宮下智,曲:網倉一也,唄:田原俊彦

 「男は顔じゃないよ ハートさ」と始まる歌。

 曲はノリの良い,私が好きなタイプだ。

 田原の唄としては聞き取りやすいとは思うが,それでも良く聞き取れない箇所がある。予想外の言葉が続くと特に聞き取りにくい。歌詞を読んでみると「毎日が壁の花」という箇所はどうも自分を指して言っているようだ。この時代,性差を無視することが望ましい時代になっていたのだろうか。『もう飛ぶまいぞこの蝶々』1)の時代から,ダンス・パーティで蝶が留まらない花が壁の花だと思っていた。夜の蝶という言葉もあるが,これは金のニオイに群がるのだ。

 

夢芝居(2012.6.17)

昭和57年,詞:小椋佳,曲:小椋佳,唄:梅沢富三男

 「恋のからくり夢芝居」と始まる。

 テレビで小椋佳をみたことがある。彼は初デートに行ったとき,事前に入念にシミュレーション・リハーサルを繰り返して行ったのだが,シミュレーションどおりには行かなかったと話していた。

 「けいこ不足を幕は待たない恋はいつでも初舞台」というのは作詞者の経験を,歌手に合わせてこのように表現したのだろう。

 この歌とは関係ないが,この年の教科書検定で過去の日本の「華北へ侵略」を「華北に進出」と改めさせたとの誤報事件があった。内容は微妙な話なので程度の低い記者が誤報したとしても止むを得ないかとも思うが,各社がいっせいに同じ誤報を流すとはマスコミのレベルの低さを証明している。マスコミはもっと言葉に気をつけてほしい。このあと中韓との教科書歴史認識の問題が大きくなった。

 

横恋慕(2018.8.19)

昭和57年,詞:中島みゆき,曲:中島みゆき,唄:中島みゆき

 「わるいけど そこで眠ってるひとを 起こしてほしいの」と始まる歌。

 中島ワールドの歌。慇懃無礼・・・ではないし,何と表現すればよいのだろうか。ソフトな脅迫か。郵便ポストが赤いのも・・・みんな私が悪いのよというのが戦後歌謡のパターンの一つだったが,高度成長期まではこれを自分自身に言い聞かせていたのが,中島みゆきになると相手に向かって訴えるようになった。世の中全体が怨みを相手に訴えるようになった時代だ。

 怨みを訴えられる方は良い気はしないかもしれないが,訴えたい怨みのある者は中島に強く共感できるだろう。世の中には中島に共感する者が少なからずいたということだ。

 初期の中島みゆきは自虐から責任転嫁へと変わっていく時代の境目の代弁者ではないだろうか。

 

汚れた英雄(2019.6.21)

昭和57年,詞:TONY ALLEN、曲:小田裕一郎,唄:ローズマリー・バトラー

I can see you burning with desire」と始まる歌。

大藪春彦原作の映画「汚れた英雄」(草刈正雄ほか)の主題歌。この映画は最初の角川映画。詞の原題はRiding High

詞は私の耳にはほとんど入って来ない。私が普段英会話で使う言葉と一致する言葉がほとんど無いからだろう。唄も楽器音の一つとして聴いていると,そんなに悪くない曲に聞こえる。少しだが高揚感もあり,このような曲を聴きたいときもあるだろう。

 

酔っぱらっちゃった(2017.4.9)

昭和57年,詞:千家和也,曲:浜圭介,唄:内海みゆき

 「飲めるわよ 酒ぐらい たかが色つき水じゃない」と始まる歌。

 何となく昭和40年代の香がする歌謡曲。

 これが千家の詞かと思うほど私には予想外の詞だ。言葉は深刻そうだが雰囲気は営業トークのように感じる。まあ千家も仕事だからいろんな詞を書くのだろう。スナックなどでのカラオケにはよいかもしれない。

 浜の曲では,もっとスローな曲の方が好きなのだが,聴いて居るだけなら悪くない。自分で唄おうとすると曲についていけなくなる。

 

夜よ泣かないで(2015.8.16)

昭和57年,詞:松山千春,曲:松山千春,唄:松山千春

 「愛をひとつなくしただけ」と始まる歌。

 そういえば,こんな歌もあったという程度しか聴いていないので,そういえばこの年にこんなことがあったということを捜してみよう。

 調べてみると500円硬貨が発行されたのがこの年らしい。そういえば,それまでは500円は札で,岩倉具視が描かれていた。

 関連の話をすれば,50円紙幣の記憶がない。Wikipediaによれば昭和26年から昭和33年までの短期間だけ発行されたとのこと。10円札や1円札は使用したことがあるような気がするが5円札の記憶はない。5円札は何種類かが明治19年から昭和30年まで発行されているようだ。5円硬貨は昭和23年から発行されている。

 話は違うが,ソニーから世界初のCDプレイヤーが発売されたのもこの年だ。

 

ラ・セゾン(2018.12.11)

昭和57年,詞:三浦百恵,曲:沢田研二,唄:アン・ルイス

 「ざわめきがおこったら私をごらん 黒髪に金色のドレスが夜を彩る」と始まる歌。

 百恵とジュリーが組んだらどんな歌ができるのかと思ったらこんな歌だ。私が抱いていた二人のイメージとは全く異なる。アン・ルイスのイメージからは大きく外れていない気がするので,歌手に合わせたのかとも思うが,詞・曲ともに作詞者・作曲者が内にこのようなものを秘めていたのかと思うと,人は見た目(今の場合は唄っている歌)ではわからないとつくづく思う。

 

ラブ・シュプール(2020.10.31)

昭和57年,詞:三浦徳子,曲:筒美京平,唄:田原俊彦

 最初は英語を主体としたコーラスで始まる。そこでは双子座が恋に落ちたような話なのだがよく解らない。

 「好きさGemini Gemini You’re so bright」とあるがジェミニが恋人なのかどうかさえ分からない。

 「愛してる 愛してる 愛してる 君だけ I love you」という歌のようなのだが,どこがシュプールなのだろう。

 理解しようとしてはいけないのかもしれない。感じるべきなのだろう。

 

リバーサイドホテル(2016.10.21)

昭和57年,詞:井上陽水,曲:井上陽水,唄:井上陽水

 「誰も知らない夜明けが明けた時」と始まる歌。

 私には陽水がどのような心境でこの歌詞を書いたのかが想像できない。「夜明けが明けた」のような同義語反復が「金属のメタルで」など他にも使われているが,どのような効果を狙ったのだろうか。

 歌詞の意味を詮索せずに歌を聴いてもメロディーが私の耳に馴染まない上,陽水のあの歌声だ。私にとっては異世界の歌だ。

 

6番目のユ・ウ・ウ・ツ(2023.7.9)

昭和57年,詞:三浦徳子,曲:西平彰,唄:沢田研二

 「泣きたい時には いつも 聖母(マドンナ)の微笑で・・・ほら」と始まる。

 「できすぎた恋人」がいて「愛があふれすぎているよ」という状態で「毎日 僕 眠れない やるせない 毎日 僕 生きてない 愛せない」。「ユ・ウ・ウ・ツ」なんだそうだ。

 若者の歌なんだろう。

 日本は豊かになりすぎた。何が6番目の「ユ・ウ・ウ・ツ」だ。ネズミを捕ることを忘れた飼い猫のように,飽食の時代に感謝を忘れ,刺激が少ないことに不満を言う。ジュリーも三浦も私とほぼ同世代のはずだが,若者に感化されてしまっているのか。