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昭和42

愛情,会津の小鉄,愛のこころ,愛の渚,愛のリメンバー,愛は惜しみなく,青いゴムゾーリ,青空のある限り,朝まで待てない,あなたが欲しい,あなたのすべてを,あの人の足音,雨の銀座,いい湯だな(ビバノン・ロック),イエ・イエ,いたずらっぽい目,いつまでもどこまでも,いとしのジザベル,いとしのマックス,命かれても,大阪夜曲,小樽のひとよ,想い出の赤いヤッケ,帰ってきたヨッパライ,風が泣いている,北国の青い空,北国の二人,君こそわが命,君に会いたい,君の祖国を,君のために,今日でお別れ,今日の日はさようなら,霧子のタンゴ,霧のかなたに,霧の中のマリアンヌ,銀色のグラス,結婚しようよ,ゲゲゲの鬼太郎,恋[恋というものは],恋しくて,恋のジザベル,恋のハレルヤ,恋のフーガ,恋のメキシカン・ロック,恋はみずいろ,この広い野原いっぱい,小指の想い出,サイモンセッズ<Simon Says>,盛り場ブルース,佐久の鯉太郎,サバの女王,シーサイド・バウンド,主婦のブルース,白い街,新宿そだち,新宿ブルース,好きさ好きさ好きさ,世界の国からこんにちは,世界は二人のために,たそがれの赤い月,友達になろう,トンネル天国,渚のうわさ,涙のかわくまで,虹色の湖,願い星叶い星,野バラ咲く路,墓場の鬼太郎<ゲゲゲの鬼太郎>,花と小父さん,花はおそかった,ハロー・グッドバイ<Hello, Goodbye>,バラ色の雲,バン・バン・バン,ひとり泣く夜のワルツ,ふたつの手の思い出,二人だけの海,ブルーシャトー,僕のマリー,真赤な太陽,真冬の帰り道,幻のアマリリア,マリアの泉,ミニ・ミニ・ガール,夫婦春秋,モナリザの微笑,夕子の涙,夕陽と共に,夕笛,夢を下さい,夜霧よ今夜もありがとう,夜空に夢を,落日,リンゴの花咲くころ,レッツ・ゴー・シェイク,レモンとメロン,別れたあの人,忘れ得ぬ君,私の好きなもの,Hello GoodbyeMassachusettsSimon Says

 

愛情(2019.5.2)

昭和42年,詞:なかにし礼,曲:平尾昌晃,唄:園まり

 「私の細い指で 抑えきれない涙も」と始まる歌。

 「二人暮らせばアパートも 光り輝くお城ね」などという詞が続く。なかにしらしくないという気もするが,当時の社会はこんなものだったろう。

園の唄は彼女らしい甘粘っこい歌唱だ。彼女のこのような唄い方を好むリスナーも少なくないのだろうが,私はもっとすっきり歌う方が好みだ。彼女がポップスを唄う時にはもっとさらりと唄っているように思うので,歌謡曲の唄い方はどこかから指示がでてあのような唄い方になっているのだろう。もちろん指示されたからといっても誰にでもあのような唄い方が出来る訳ではない。もともとそのような傾向があるのだろう。

 平尾のこの曲は園の歌唱に合わせて作ったのだろう。彼のヒット曲の多くはもっとアップテンポで軽快な曲だ。私はこの歌のようにねっとりした歌より,軽快な歌のほうが好きだ。

 

会津の小鉄(2020.2.9)

昭和42年,詞:松島一夫,曲:和田香苗,唄:京山幸枝若

 「梅の浪花で 初声(うぶごえ)上げて 度胸千両の 江戸育ち」と始まる歌。

 会津小鉄は幕末から明治にかけて活動した京都の侠客。本名上坂仙吉。京山幸枝若の浪曲で有名だった。

 「義理と人情が 男の道と」と歌われていて,当時の流行1)かもしれない。これが昭和40年代末期になると『仁義なき戦い』2)の時代になる。『仁義』3)あたりが境かもしれない。

1)「唐獅子牡丹」(昭和40年,詞:矢野亮/水城一狼,曲:水城一狼,唄:高倉健)

2)「仁義なき戦い」:飯干晃一の小説。昭和48年に東映で映画化。

3)「仁義」(昭和44年,詞:星野哲郎,曲:中村千里,唄:北島三郎)

 

愛のこころ(2020.6.10)

昭和42年,詞:なかにし礼,曲:平尾昌晃,唄:布施明

 「あなたとぼくには 愛の世界がある」と始まる。

 曲は優しく歌唱も優しい。

なかにしは,当時は名前しか知らなかった。平尾や布施ももちろん知り合いじゃないから知っているといってもテレビや雑誌で顔を見たことがあるという程度だったが。後になかにしもテレビで観るようになる。ずっと後にテレビで観たなかにしはいかついオッちゃんで,この歌のころ歌詞から想像したのはナイーブな若者だったのでそのギャップには少々驚いた。

この歌では「あなたにあなたに ぼくの心を あなたにあなたに 捧げつくしたい」と歌っている。この時代に男性から女性に捧げるというのは珍しかったのではないか。この時代に限らず,女性が男性に捧げる歌はいくつもありそうな気がするが。

 

愛の渚(2020.5.6)

昭和42年,詞:浜口庫之助,曲:浜口庫之助,唄:水原弘

 「もしも おまえが 貝になったら 俺は渚の波になろう」と始まる歌。

 『黒い花びら』1)では低音の魅力と聞いたような気がするが,しばらく印象に残る歌がなかった後,『君こそわが命』2)で再ブレークした時には低音が特徴とは感じられなくなっていた。それでも低音部には独特な艶が残っていたのだが,この「愛の渚」では低音を聴かせようとする意図は全くなくなったようだ。これは浜口の考えかもしれない。

 詞も飛躍が少なく解りやすい。比喩もこの程度なら私にも何となくイメージが湧く。

1)「黒い花びら」(昭和34年,詞:永六輔,曲:中村八大,唄:水原弘)

2)「君こそわが命」(昭和42年,詞:川内康範,曲:猪俣公章,唄:水原弘)

 

愛のリメンバー(2020.7.13)

昭和42年,詞:鈴木義之,曲:鈴木義之,唄:寺内タケシとバニーズ

 「ふたりの愛のことば ふたりのちぎりを 今ひとりで思い出す僕」と始まる。

 「誓った恋は どこへいったのか」という歌だが,「君が去った あのリメンバー」とか「僕の胸に 愛のリメンバー」とか,「リメンバー」を名詞のように使っているのが気になって全体の詞が頭に入らない。なぜこんなところにカタカナ語を入れる必要があるのだろう。

 

愛は惜しみなく(2019.11.15)

昭和42年,詞:川内康範,曲:宮川泰,唄:園まり

 「あなたをなくしたら わたし きっと生きて行けない」と台詞があってから,「愛したからには 愛したように あなたひとりを 抱きしめて」と始まる歌。

 甘く優しい声で,甘えているだけの歌だが,もし裏切ったらどうなるか解らないという恐ろしさを秘めているように聞こえる。声だけで言えば藤圭子や梶芽衣子のほうが迫力があるが,彼女達なら『バカだな』1)と自嘲して終わりそうなのだが,園の声には逃げようとしたら安珍2)のようになるぞと言外に含んでいるような恐ろしさを感じる。『地獄の果てまでついて行く』3)と言われても,美川なら口だけ口だけと聞き流すことができるのだが。

 この歌には女の怨念のような言葉は入っていない。しかし,川内にはそのような執念深い女の詞を書くというイメージある(私が持っている)からそのように感じるのかも知れない。

1)「新宿の女」(昭和44年,詞:石坂まさを,曲:石坂まさを,唄:藤圭子)や「怨み節」(昭和47年,詞:伊藤俊也,曲:菊池俊輔,唄:梶芽衣子)など。

2)蛇に化身した清姫は安珍を追いかけ,道成寺で釣鐘の中に隠れた安珍を釣鐘ごと焼き殺す。

3)「さそり座の女」(昭和47年,詞:斎藤律子,曲:中川博之,唄:美川憲一)

 

青いゴムゾーリ(2016.6.14)

昭和42年,詞:長沢ロー,曲:シナ・トラオ,唄:バーブ佐竹

 「青い青いゴムゾーリ 色もまばらにはげたけど」と始まる歌。

 当時は聴いた記憶が無い。その後,変な歌のひとつとして紹介されていたのを一度だけ聞いたことがある。そのとき吉永小百合の『奈良の春日野』1)も流されていたように思う。『奈良の〜』のほうはその後も何度か聴いたことがあるが「青い〜」の方はその後聴いたことが無い。

 シナ・トラオの歌手としての名はバーブ佐竹だとか。フランクかナンシーかは知らないがシナトラのもじりだろう。このようなおふざけ?名をつかうのは曲自体がおふざけだとの認識だろう。と思ったが,真面目に作ったと思われる曲でもシナ・トラオを名乗っている。「青い〜」も真面目くさって唄っていたような記憶があり,それもまた面白味を出していた。

1)「奈良の春日野」(昭和40年,詞:佐伯孝夫,曲:大野正雄,唄:吉永小百合)

 

青空のある限り(2020.8.10)

昭和42年,詞:安井かずみ,曲:加瀬邦彦,唄:ザ・ワイルドワンズ

 「本当さ 誰のせいじゃない 小鳥が飛ぶように」とはじまる。

 「バラが枯れるように 枯れるように 青空のある限り 鳥は空に飛び立つ」とあるのだが「枯れるように・・・飛び立つ」というところの関係が理解できない。

 安井は私よりは一回り程年上だ。正確には11年か。とにかく年上だが,みナみカズみ名での詞も含め,私は若い頃に数多く彼女の詞を聴いて育ったので馴染があり,彼女の詞はほどんど理解できると思っているが,この歌は例外だ。

 「朝がまた来る限り 愛も帰って来るさ」というのもよく解らない。朝がまた来るのは当然だと思うが,愛が帰って来るのとどういう関係があるのだろう。

 

朝まで待てない(2016.11.25)

昭和42年,詞:阿久悠,曲:村井邦彦,唄:ザ・モップス

 「あきらめ捨てたはずなのに 恋は眠りを忘れさせる」と始まる歌。

 「今すぐ逢いたい 朝まで待てない」というのだが,「Can’t wait! お前は俺を Can’t wait! つめたく こばむだろう」というのだから「あきらめ捨てた」は「捨てた」のではなく「あきらめ」たのを「捨てた」と言ってみただけなのだろうが,諦められないということだ。

 モップスに合わせた?のかもしれないが,阿久悠の詞としては下品?な言葉づかいのように感じる。

 村井の曲ならもっとGSっぽくてもよいと思うのだが,ややGSサウンズとは違う感じを受ける。ギターソロなどの特徴的なメロディがないことが原因だろうか。

 

あなたが欲しい(2017.3.21)

昭和42年,詞:クニ河内,曲:クニ河内,唄:ザ・ハプニングス・フォー

 「あなたが欲しい すばらしい恋と愛にあふれる」と始まる歌。

 「あなたのために すべてが遠く闇に消えても 愛をにくみたくない」と優しく歌った歌。

 グループで楽器を演奏しながら唄うのでグループサウンズの一種だろうが,普通のGSはエレキギターを中心にしていたと思うがこのグループにはエレキベースはあったがエレキギターがない。あとはキーボード(ピアノ)とドラムス,あえて追加すればパーカッションだ。GSの特徴であるエレキギターがないので,GS時代のグループだがGSとは言えないというのが私の考えだ。サウンドが所謂GSサウンドではない。

 当時の私はもっと刺激的な曲を求めていた。

 

あなたのすべてを(2020.9.10)

昭和42年,詞:佐々木勉,曲:佐々木勉,唄:佐々木勉

 「名前も知らない あなたと私」と始まる。

 何処の誰かも知らない。それなのに「胸がときめく」というのだから一目惚れタイプの恋の歌だ。この逆のパターンが,何の意識もせずに傍にいたのに,会えなくなった後に自分の恋心に気付くというものだ。昭和の恋というのはこれらを両端とする直線上のどこかにあったような気がする。平成・令和ではどうなのだろうか。昭和の恋は単純だったが,愛の形は昭和でも非常に複雑だった。

 

あの人の足音(2014.6.8)

昭和42年,詞:有馬美恵子,曲:鈴木淳,唄:伊東ゆかり

 「足音だけで あなたがわかる」と始まる歌。

 「いきなり肩を抱いてほしくて」などというあたり,伊東らしい声で印象的だ。

 有馬の詞も鈴木の曲も,意外性がなく安心して聴いていられる。陳腐なのではない。『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』などに通じる偉大なるマンネリというべきものだろう。もちろん,『マンネリ』に重点があるわけではなく,『偉大なる』に重点があるのだ。

 「ゆうべのことを思い出させる」などと『小指の想い出』1)を想起させるような言葉を入れているのは続編のつもりだろうか。

1)「小指の想い出」(昭和42年,詞:有馬美恵子,曲:鈴木淳,唄:伊東ゆかり)

 

雨の銀座(2018.11.18)

昭和42年,詞:富樫政子,曲:中川博之,唄:黒沢明とロス・プリモス

 「雨の銀座の街角で 一人涙に濡れながら」と始まる歌。

 「うそと知りつつ待ちました 馬鹿な女の涙雨」と女歌だ。ファルセット気味の高音域が歌の雰囲気によく合っている。

 「男ごころは移り雨」というのは昭和歌謡の定番の一つだ。

 

いい湯だな(ビバノン・ロック)(2018.8.23)

昭和42年,詞:永六輔,曲:いずみたく,唄:ザ・ドリフターズ

 「ババンバ バン バン バン」の繰り返しから始まる。意味ある歌詞は「いい湯だな いい湯だな 湯気が天井から ポタリと背中に」と始まる。

 ドリフのデビュー・シングル『ズッコケちゃん』のB面曲だが,A面よりヒットした。

 デューク・エイセス版1)のカバーだが,デューク版とは唄われている温泉地が違う。こちらでは登別,草津,白浜,別府が歌われており,群馬版から全国版になっている。

 この曲は更にアレンジされ,TBS系の『8時だョ!全員集合』では『ドリフのビバノン音頭』,フジテレビ系の『ドリフ大爆笑』では『さよならするのはつらいけど』と別タイトルが付けられ,エンディング・テーマとして使用されていた。

1)「いい湯だな」(昭和41年,詞:永六輔,曲:いずみたく,唄:デューク・エイセス)

 

イエ・イエ(2022.10.21)

昭和42年,詞:小林亜星,曲:小林亜星,唄;朱里エイコ

 タイトル通り「イエ イエ」と始まり,ほとんど「イエ イエ」と繰り返している。

 途中,「街に出て恋人を捜そうよ」と男声で始まる意味のある歌詞もあるようだが気付かないうちに終わる程度だ。

 アパレルのCMに使われていた。この会社は昭和46年にはCMにアラン・ドロンを起用している。

 

いたずらっぽい目(2017.5.31)

昭和42年,詞:水島哲,曲:米山正夫,唄:由美かおる

 「いたずらっぽい目が とてもすてきよ」と始まる歌。

 『目は口ほどにものを言う』というが,確かに黙っていても心の中が目に現れる。この歌の「いたずらっぽい目」というのは,具体的には上手く説明できないが,雰囲気は解る。「いたずらっぽい目」になり,それに肯定的に気付くというのは双方が好意をもっているからだろう。

 

いつまでもどこまでも(2018.9.21)

昭和42年,詞:ささきひろと,曲:かまやつひろし,唄:ザ・スパイダース

 「どこまでもどこまでも 僕の後(あと)から」と始まる歌。

 「寂しそうな顔しないで 笑ってごらん」と言ってはいるが,わたしにはこの曲では笑顔になれるほど心が浮き立たない。せめて『笑顔だよお加代ちゃん』1)程度には元気づけて欲しい。曲の何が違うかというと,音の高さではないだろうか。「笑ってごらん」より「寂しそうな」の方が高音なのでよりこちらの印象が強くなってしまう。

 

いとしのジザベル(2017.6.25)

昭和42年,詞:なかにし礼,曲:鈴木邦彦,唄:ザ・ゴールデン・カップス

 「貴女の面影 忘れはしない シャネルの香りは 今も残る」と始まる歌。

 この年には『恋のジザベル』1)という歌もでている。名前が同じでも同一人物とは限らないが,この年に「ジザベル」が登場する映画か何かが流行したのかどうか,記憶が無い。

 「ジザベル」で有名なのは英語でJezebelと表記される古代イスラエルの王妃で,旧約聖書に登場し,非業の死を遂げる。ヘブライ語の発音は『イゼベル』に近いらしく,イザベルと表記される場合もある。

 「シャネルの香り」というのだから旧約聖書の時代の話ではないと思うが,実際にどんな香りなのかは知らず,ただ,シャネルの名だけはマリリン・モンローとの関係で知っていたので,歌詞からはモンローのような女性をイメージしていた。

 新約聖書『ヨハネの黙示録』にはイゼベルという淫婦が登場するらしいので,こちらのイメージなのかも知れないが,ジザベルをどのように想像しても,私に共感を持たせるような歌詞ではない。

 なお,ザ・ゴールデン・カップスはグループ・サウンズに分類されているようだが,私の印象では彼らの曲は他の多くのGSとは異なるテイストだった。

1)「恋のジザベル」(昭和42年,詞:中村泰士,曲:中村泰士,唄:ザ・スウィング・ウエスト)

 

いとしのマックス(2015.8.20)

昭和42年,詞:荒木一郎,曲,荒木一郎,唄:荒木一郎

 「真赤なドレスを君に 作ってあげたい君に」とはじまる歌。

 この歌からわかることは「赤」が好きなことだけだ。「マックス」という言葉からして,前後の関係から女性の名前のようだが,私の感覚では男性の名前のように聞こえる。

 曲はポップス系の曲だが,最初聴いた時の印象はサウンドに厚みがないということだ。しかし,今聴いてみるとグループサウンズとフォークソングが未分化で混在しているように聞こえる。鳥類と爬虫類に進化する前の始祖鳥のようだ。この曲は時代の先端を行く試みだったのかも知れない。当時の私にはその先進性が理解できなかったが。

 

命かれても(2015.10.2)

昭和42年,詞:鳥井実,曲:彩木雅夫,唄:森進一

 「惚れて振られた女の心 あんたなんかにゃわかるまい」と始まる歌。

 歌詞は振られ女の繰り言で,私には観念的にしか理解できず,共感はできない。曲は悪くはないとは思うのだが,「死ぬことよりも つらいけど」の「死ぬこと」でブツブツ音を切っているのは強調しようということなのだろうか。私はこんなに音を切らない方が好きだ。この歌で印象に残るのは森進一が一生懸命唄っているように感じられる点だけだ。

 

大阪夜曲(2021.1.27)

昭和42年,詞:西沢爽,曲:山本丈晴,唄:島倉千代子

 「逢いたい人を待ちわびる 女心を知らないで」と始まる。

 「せつない せつない 大阪の夜」と終わる。

 「愛した人はひとりだけ」というのだが,逢えないということしか解らない。大阪というのもたまたまで必然性は無いようだ。詞にそれほど魅かれる箇所は見つけられないが,島倉の声は随所に彼女の艶が聞こえる。声を聞くためだけでも価値はあるだろう。

 

小樽のひとよ(2012.12.22)

昭和42年,詞:池田充男,曲:鶴岡雅義,唄:鶴岡雅義と東京ロマンチカ

「逢いたい気持ちがままならぬ」と始まる東京ロマンチカのムード歌謡である。マヒナスターズがスチールギターなら東京ロマンチカはレキントギターということで,メインボーカルの三條正人の声とともに印象に残るグループだったが,三條はその後グループを出てソロ歌手になったり再加入したりを繰り返している。

そういえば,初めて小樽へ行ったのはいつだっただろうか。もちろんこの歌のヒットよりずっと後のことなのだが,そのときにこの歌のことは全く思い出さなかった。初めて函館に行ったときは「函館の女」1)を思い出し,歌いたくなったのだが。これは出だしのインパクトの差によるかもしれない。あるいは,函館のときはまさに「函館山のいただき」まで行ったからかもしれない。小樽でも,歌詞に出てくる場所に行かなかったわけではないがそれが「小樽の駅」だったので特別な感慨も湧かなかったのだろう。

2番の歌詞にある「古代文字」に関しては,当時全く知らなく聞き流していた。というより,テレビで紹介される時は2番は省略されていたのだろう。明治時代に発見されたこの文字は昭和の初期にはかなり話題になったのだろう2)が,私は吉村の小説)を読むまでは全く知らなかった。

1)      「函館の女」(昭和40年,詞:星野哲郎,曲:島津仲男,唄:北島三郎)

2)      インターネットで「フゴツペの古代文字」と検索すると,小樽高商の西田教授述という「小樽新聞 昭和21120日」の記事を見つけることができ,当時までの真贋論争の経緯等を読むことができる。また,私は見ていないが3)には昭和5年の北海タイムスが参考文献として記載されている。

3)      吉村達也:「小樽『古代文字』の殺人」(カッパ・ノベルス,平成6年,光文社)

 

想い出の赤いヤッケ(2019.3.9)

昭和42年,詞:菊池平三郎,曲:三沢聖彦,唄:高石友也

 「いつの日にか 君にあえると きっと きっと 信じてた」と始まる歌。

 「けど もう やめた」と続く。「もう あえぬ」と思うようになったということだ。

 当時の高石は労組・学校・労音・反戦集会などでメッセージ・ソングを唄っていたイメージがあったで,この歌の「ヤッケ」の色もそのような象徴的意味があるのかとも思っていたが,高石がこの曲を知ったのはまだデビュー前のことで,作詞・作曲は慶應義塾大学の山岳部員らしいので純粋に山の想い出の歌だろう。そういえば「もう あえぬ」と諦めているのだから,思想的意味が込められているはずはなかったのだ。

 

帰って来たヨッパライ(2012.2.16)

昭和42年,詞:ザ・フォーク・パロディ・ギャング,曲:加藤和彦,唄:ザ・フォーク・クルセダーズ

 「おらは死んじまっただ」ではじまり,サビ?の部分は「天国良いとこ一度はおいで酒は美味いし姉ちゃんはきれいだ」という歌。低音低速で唄った歌を録音し,高速再生したような音の歌。

 明治元年(1968年)から99年目なので明治100年にあたる年だ。

 この頃,大学ではベトナム戦争反対関連の学生集会等がかなり頻繁に開催されていた。学生運動は大きく分けると日本共産党系の民青1)と三派2)の運動に分かれていた。いずれも左翼系であるが互いに敵視していたようだ。民生系の活動は集会で歌をうたうなどのソフト路線だったが三派の活動は実力行使を伴う過激なものだった。三派系はその後更に分裂し,ノンセクトラジカルも加えて実力行使の度合いを増し,全共闘運動になり,過激派と総称されるようになる。セクト間の反目も激しくなりゲバ棒で武装し抗争を繰り返した。このとき,ヘルメットの色で敵味方を区別していた。

ベトナム戦争以外にも,沖縄,朝鮮半島,大学授業料,成田空港等種々の問題を契機として既成権力の打倒を目指す闘争を行った。後に大学民主化要求も強くなる。

当時の学生にはノンポリと呼ばれる無関心学生ももちろんいたが,心情三派というのもあった。民青のやり方では何も変らないだろう,三派の気持ちはわかる・・・が自分では行動しない。行動しない理由はいろいろあったが,皆それなりの自己正当化の理論武装をしていた。いずれにせよ大部分の学生はこれらの問題に無関心ではいられなかったと思う。

このおふざけソングを唄っていたザ・フォーク・クルセダーズも朝鮮半島問題を扱った「イムジン河」を唄っていた。

1)日本民主青年同盟

2)日本マルクス主義学生同盟中核派(マル学同中核派),日本社会主義学生同盟(社学同),全国反帝学生評議会連合(反帝学評)。マル学同革マル派も有力だったが。

 

風が泣いている(2015.4.27)

昭和42年,詞:浜口庫之助,曲:浜口庫之助,唄:ザ・スパイダース

 「ゴーゴーゴー 風が泣いている」と始まる歌。「嵐の ゴーゴーゴゴ― ゴーゴーゴゴ―」と終わる。

 歌詞には風の音だろうか,「ゴーゴーゴー」が何度も現れ,意味の解る言葉は少ない。それでも「どうせ帰らない恋ならば」とあり,そういうことかと理解できる。あとは細かい説明はせず風の音ばかり。悪い歌じゃないように思う。

 この歌はPTAの不評を買うようなGS曲ではないと思うが,流行歌など子供が聴いたり唄ったりするものではないと信じるPTAには他のGS曲と同じように聞こえていたかもしれない。

 GS(グループサウンズ)とは何か定義は知らないが,私が感じているのはザ・ビートルズ来日後の日本のエレキバンド+ボーカルのグループというイメージだ。代表的なのがザ・タイガースだろう。ビートルズは「日本の」という以外はGSだと思うが,「日本の」グループではないのでGSではない。

 ザ・ベンチャーズのようなグループはボーカルがないので私の分類ではエレキバンドだ。寺内タケシはブルージーンズをグループ・サウンズだと言ったそうだが,私の感覚では彼らはエレキ・バンドだ。

 ザ・スパイダースは極めて初期のGSで,いかにもGSという印象は薄いがやはりGSだ。いかにもGSとは何か考えてみると,舞台でのアクションが派手なのがいかにもGSだろう。ブルー・コメッツは自らをGSではないと言っていたらしい。確かにアクションは一時井上忠夫のささやかな動きがあった程度で派手ではなかったが,私の目からはブルコメもGSに見えた。

 ところで,この時代のグループ名,「ザ」が付くものと付かないものがあって紛らわしい。どのような基準で「ザ」をつけたのだろうか。

 

北国の青い空(2015.10.23)

昭和42年,詞:橋本淳,曲:ベンチャーズ,唄:奥村チヨ

 「風にまかれた私の髪に」と始まる歌。

 「二度と帰らない夏の日の恋よ」という歌だという雰囲気は解るが詳細は全く理解不能だ。曲はベンチャーズのエレキサウンズではなく,ベンチャーズ歌謡だ。歌詞が意味不明の点は私の評価はマイナスだが,全体としては雰囲気の良い曲だ。

 

北国の二人(2016.12.26)

昭和42年,詞:橋本淳,曲:井上忠夫,唄:ジャッキー吉川とブルーコメッツ

 「雲が流れる 北国の街へ あなたが生まれた 心の国へ」と始まる歌。

 この頃はGSの最盛期直前だろう。GSはこの大御所(大人っぽい風采だっただけかもしれないが)のブルコメですら発声が素人っぽく聞こえた。だからこそ,自分も唄えるのではないかと多くのグループが発生したのだ。

 

君こそわが命(2013.2.13)

昭和42年,詞:川内康範,曲:猪俣公章,唄:水原弘

 「あなたをほんとはさがしてた」と始まる歌。「君こそ命君こそ命わが命」と終わる。

 「死ぬまで逢えぬと思っていたが」「うまれてはじめて気がついた」らしいが「あなたをきっと傷つけるだからはなれて行くけれど」ということらしい。歌詞では事情は明らかにされてはいないが,「おそかった」とあるので,まあ大よそのところは想像できる。典型的な演歌のパターンのひとつだ。

 私ならばこのような歌詞に心を揺さぶられることはない。命の大バーゲンだ。死別に関する歌で感動する歌はいくつもあるが,歌詞に直接『命』がでてきて感動した歌をすぐには思い出さない。『命預けます』1)は少しゾクゾクしたが。これは歌手の歌い方によるところが大きいかもしれない。しかし「命をかけた恋じゃもの」2)とか「命かけてと誓った日から」3)などと聞くとまた命の安売りをしていると感じてしまう。

傷つけるから離れていくということはあるかもしれないが,命をかけるほどではないだろう。こころから「君こそ命わが命」と思っているなら,私ならこのような歌詞にはしないだろう。この歌詞は,私には,明らかにされていない事情を口実に別れようとしている男が口先だけの戯れで歌っているように感じられる。戯れというには演技力があるようには感じるが,自分の言葉に酔っているのではないか。

しかし,このようなことを言う者がいた場合は注意が必要だろう。『死』というものが解っているのか解っていないのか判らないが本当に死んでしまう者がいるようだ。自分の『命』を軽く見る人間は,他人の『命』も軽く見るに違いない。軽々に取り扱われないことを願うだけである。

私なら『あなたあなたあなたあなたあ〜なぁぁた』4)と絶叫するほうを選ぶ。

1)      「命預けます」(昭和45年,詞:石坂まさを,曲:石坂まさを,唄:藤圭子)

2)      「無情の夢」(昭和11年,詞:佐伯孝夫,曲:佐々木俊一,唄:児玉好雄)昭和36年の佐川ミツオのカバーなど,歌い方も含めて命の安売りとしか思えない。

3)      「あの素晴らしい愛をもう一度」(昭和46年,詞:北山修,曲:加藤和彦,唄;加藤和彦と北山修)

4)      「あなたのブルース」(昭和43年,詞:藤本卓也,曲:藤本卓也,唄:矢吹健)

 

君に会いたい(2015.9.11)

昭和42年,詞:清川正一,曲:清川正一,唄:ザ・ジャガーズ

「若さゆえ苦しみ 若さゆえ悩み」と始まる歌。

「恋のよろこびよ 帰れ僕のこの胸に」とあるように,失恋の歌である。

ジャガーズはGSの一つで,この曲もヒットしたのだが,後のGS全盛期のブームには乗り切れなかった感がある。交通事故で一時活動停止している間にブームが急速に立ち上がったことが原因かもしれない。

 詞は失恋をテーマに詞を書こうと考え,思いついた単語を並べたような感じを受ける。真情を吐露したというより,観念的に作詞したように感じるのだ。「My baby want you want you see again」と英語も入っているようだが,これも気分は伝わるが意味はよく解らない。

 この,歌詞に対する感想は今のもので,当時は今よりはるかに肯定的に聴いていた。歌詞から何かを聴き取ろうとして聴くのではなく,雰囲気を感じていたのだろう。

 

君の祖国を(2016.4.19)

昭和42年,詞:藤田敏雄,曲:いずみたく,唄:ザ・シャデラックス

 「もう一度よく見てほしい この国をよく見て欲しい」と始まる歌。         

 「きょうもまた 空の見えない いつも曇ったこの国を」というのは当時の公害(大気汚染)のことを言っているのだろうか。「なぜか今 祖国とさえもだれも呼ばないこの国を」はどのような気持ちで書かれたのだろう。

 メッセージソングだがそのメッセージがよく伝わって来ない。イデオロギー的感じが弱い。左に寄っているような感じを受けるが,右寄りな表現ではないかと感じる箇所もある。国を憂うというより,人々を憂いているように感じる。右寄りな歌のほうがより直接的で,左寄りの歌にはオブラートに包んだような歌が多いというのが私のイメージだが,イメージどおりだとするとこれは左寄りの歌なのだろう。

 「この国を愛してほしい」というのがこの歌のメッセージだろうが,どのように愛するのかというのが私には伝わって来ない。

「祖国」という言葉を使いたがる人々がいて,その人々の歌だろうか。

 

君のために(2020.3.20)

昭和42年,詞:岩谷時子,曲:弾厚作,唄:加山雄三

 「蒼き海に向い 君のために誓う とおいとおい日まで 変わらぬ心」と始まる歌。

 1番と2番の間に「夢みたいだなァ 君みたいなすてきな人に 逢えるなんて いつまでも僕の側にいてくれよ ネ」と歯の浮くようなクサい台詞が入っているが,加山の口から出るとサマになってる。

 詞も曲も,おおらかに,「恋の歓び」を歌っているが,加山だから似合うのだろう。

 

今日でお別れ(2017.10.13)

昭和42年,詞:なかにし礼、曲:宇井あきら,唄:菅原洋一

「今日でお別れね もう逢えない」と始まる歌。

昭和44年に再発売されてからヒットした。昭和45年の第12回日本レコード大賞受賞。

最後に,「曲がったネクタイなおさせてね」という女心の歌だが,なぜ今日が最後なのか理由は明示されていない。当時は何も違和感を持たずに聴いたと思うので,このような形での別れは珍しくなかったのかもしれない。

 

今日の日はさようなら(2014.7.16)

昭和42年,詞:金子詔一,曲:金子詔一,唄:森山良子

 「いつまでも絶えることなく友達でいよう」と始まる歌。

 作られたのはもっと古いらしい。森山の歌でレコードになったのがこの年ということだ。『恋はみずいろ』のB面だが,両A面といってよいのではないか。

 「友達でいよう」というのは友達以上に進展したいと望んでの回答という悲しい状況ではあるまい。純粋に「いつまでも友達でいよう」と若者間の熱い友情であろう。「今日の日はさようなら また会う日まで」というのは『また明日』というような短期の別れではなく今度いつかはわからないが「また会う日まで」という意味だろう。

 平明な詞にキーさえ合えば唄いやすいメロディー,青春の友情を歌ったこの歌はこの時代の名曲のひとつだ。

 

霧子のタンゴ(2012.8.28)

昭和42年,詞:吉田正,曲:吉田正,唄:フランク永井

 「好きだからとてもとてもとても」と始まる歌。音域,リズムが唄いやすいので,一時,カラオケでよく唄っていた。

 歌詞の内容は「好きだから別れてきたんだよ」とあり,細かい説明がないので事情は不明だが,愛してはいけない相手だと判断したのだろう。この時代はこのようなことが歌になる時代だったのだ。

「死ぬほど愛してる」というのは,まあ,常套句として見逃しておこう。昔は,「お医者様でも草津の湯でも」治らない病というのがあったので恋の病で死ぬこともあったかもしれない。

「好きだけど」ではなく「好きだから」別れるというのが新鮮なのだろうか。「幸せになっておくれ霧子幸せに霧子」と終わる。

 

霧のかなたに(2015.1.6)                                  

昭和42年,詞:なかにし礼,曲:中島安敏,唄:黛ジュン

 「愛しながら別れた二度と逢えぬ人よ」と始まる歌。

 渡辺順子としてデビューしたが売れず,黛ジュンと改名して再デビューしてヒットしたのが『恋のハレルヤ』1)で,この曲は彼女のパンチのある歌声が印象的だった。しかし続いて出したこの「霧のかなたに」のしっとりとした歌声を聴いて,彼女はこのような歌も唄えるのかと驚いた。この路線の傑作が『夕月』2)だろう。

「二度と逢えぬ」と言っておきながら「窓の灯りともしてあの人を待つの」と終わる。矛盾とも思えるが,逢えぬことを頭では理解しているが思わず待ってしまうということなのだろう。

1)「恋のハレルヤ」(昭和42年,詞:なかにし礼,曲:鈴木邦彦,唄:黛ジュン)

2)「夕月」(昭和43年,詞:なかにし礼,曲:三木たかし,唄:黛ジュン)

 

霧の中のマリアンヌ(2019.12.16)

昭和42年,詞:橋本淳,曲:すぎやまこういち,唄:レオ・ビーツ

 「霧にかくれてひとり 燃える瞳の少女 長い髪は濡れて」と始まる歌。

 詞を読むとハッピーソングだが,幸せのおすそ分けが私に来ない。ベンチのアベック1)を横目で見ながら歩くとき,『頑張れよ』とか『いいなァ』とかの感想ならいいのだが,『こんなとこでイチャつきやがって』とか『バカめ,勝手にやってろ』という印象しか受けない。詞の中の言葉を捜してもこのような印象の原因となる言葉は見当たらないのだが,私の妄想が過ぎるのだろうか。

1) 死語かもしれない。現在はなんと呼ぶのだろう。「カップル」だろうか。

 

銀色のグラス(2019.5.29)

昭和42年,詞:橋本淳,曲:鈴木邦彦,唄;ザ・ゴールデン・カップス

英語の部分を無視すると,「こぼれたワインは涙のしずくさ」というフレーズを何度も繰り返す詞になっていて、内容はよく解らない。「恋が僕の命さ」というのが2度でてくるので,これが言いたいのかもしれないが,どんな「恋」かは不明だ。「こぼれたワインは涙のしずくさ」という言葉が気に入り,「恋」は思いついた言葉を付け足しただけではないだろうか。

メロディーラインも単調だ。しかし,全体が単調かというと,編曲が賑やかなので単調さはあまり感じない。

 

結婚しようよ(2014.1.29)

昭和42年,詞:よしだたくろう,曲:よしだたくろう,唄:吉田拓郎

 「僕の髪が肩までのびて」と始まる歌。

 当時は男性の長髪が若者から流行し始めてきていた頃だろう。流行といえばジーンズ(当時はGパンと呼んでいた)の流行はいつごろだろうか。以前は作業着としてのGパンはあったが,ファッションとしてのジーンズはなかった。しかしブルージーンズとは言ったとおもうので,ジーンズという言葉はあったのだろう。

 その後,男性の長髪の流行は廃れたが,個性の表現としては残っている。流行前の長髪男性は変人と言われただろうが,いまでは変人とは言われないだろう。一方,ジーンズのほうは社会に定着した。カラージーンズも出て,ファッショナブルになった。

 この歌では「町の教会で結婚しようよ」と言っているが,教会での結婚式が増えてきたのもこの頃ではないだろうか。以前はウェディングドレスのイメージは映画の中や歌のなかでは出てきていたが,現実に『お嫁さん』をイメージすると文金高島田に角隠しというイメージだった。

 この歌は微笑ましいとは思うが,ちょっと自分の感性とは違うなぁとも思う。

 

ゲゲゲの鬼太郎<墓場の鬼太郎>(2017.11.7)

昭和42年,詞:水木しげる,曲:いずみたく,唄:熊倉一雄

 「ゲッゲッゲゲゲのゲー 朝は寝床でグーグーグー」と始まる歌。

 昭和43年から始まった水木しげるの漫画を原作としたフジテレビ系アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌として使われた。レコード発売時は原作漫画のタイトルと同じ『墓場の鬼太郎』というタイトルだったが,アニメ化の際に「ゲゲゲの鬼太郎」と改題されたのに合わせて歌のタイトルも「ゲゲゲの鬼太郎」に変った。

 

(2018.5.5)

昭和42年,詞:平尾昌晃,補作詞:水島哲,曲:平尾昌晃,唄:布施明

 「恋というものは 不思議なものなんだ」と始まる歌。

 「逢えばそれだけで 楽しいくせに わかれたあとの 涙がつらいのさ」とあり,この当時の「恋」のイメージはこのようなものだったと再確認するような歌詞だ。

 

恋しくて(2020.8.20)

昭和42年,詞:梶鶴雄,曲:日本大学シンギング・デンチスツ,唄:仲宗根美樹

 「恋しくて恋しくて あなたに逢いたい」と始まる。

 「帰らぬひとよ」とあるのは,最初は「いつかはきっと わたしの胸に 戻って来ると信じ」てはいたが,今では帰って来ないだろうと思っているということだろう。

 「思い出」を「いつまでもいつまでも 抱きしめていたい」というのだから,そう遠い過去のことではないだろう。最初は戻って来ると思っていたが,戻ってはこないだろうと諦めた。それでも思い出だけでも抱きしめて行こうという時期の歌だが,もう少し時が経てば,折に触れて思い出す程度の思い出になっていくだろう。

 

恋のジザベル(2017.4.14)

昭和42年,詞:中村泰士,曲:中村泰士,唄:ザ・スウィング・ウエスト

I love you, I love you Jizabel I need you, I need you Jisabel」と始まる歌。このフレーズは何度も繰り返されるので印象に残る。日本語の歌詞も少しはあるのだが,要するにこのフレーズを何度も言いたい歌。

ザ・スウィング・ウエストの初期のリーダー堀威夫は後のホリプロ社長である。だから何だと問われると何もない。ついでに言えば,このバンドのボーカルに,佐川ミツオ,守屋浩、湯原昌幸などが加わっていた時期もある。

 

恋のハレルヤ(2013.11.17)

昭和42年,詞:なかにし礼,曲:鈴木邦彦,唄:黛ジュン

 「ハレルヤ花が散っても」と始まる歌。

 「愛されたくて愛したんじゃない」とは言いながら,もちろん納得は出来ない。しかし,「沈む夕陽は ・・・ 止められない」と理屈では解っているようだ。理屈ではと書いてしまったが,理屈ではなく運命だと受け入れようとしているのだろう。

 状況としては『夕月』1)と似たような状況だと思うが,『夕月』のほうは純和風と感じるのに,この歌は西洋かぶれの和風を感じる。『天使の誘惑』2)という曲もあるが,歌手の成長からいうと『天使の誘惑』が最初にでるべき曲のような気がする。

1)      「夕月」(昭和43年,詞:なかにし礼,曲:三木たかし,唄:黛ジュン)

2)      「天使の誘惑」(昭和43年,詞:なかにし礼,曲:鈴木邦彦,唄:黛ジュン)

 

恋のフーガ(2015.5.27)

昭和42年,詞:なかにし礼,曲:すぎやまこういち,唄:ザ・ピーナッツ

 「追いかけて 追いかけて すがりつきたいの」と始まる歌。

 「はじめから 結ばれない 約束のあなたと私」の歌だ。

 曲としてはティンパニーの使われ方が印象的。

 ザ・ピーナッツは最強のデュオの一組だろう。双子ということで声が非常に似ている。別の歌手の多重録音を使った一人デュエットを聴いたことがあるが,一人で唄うより,ピーナッツが二人で唄う方が合っているように思う。

 もっとも,私の耳が悪いのかもしれない。私にはピーナッツが大部分をユニゾンで唄っているように聞こえる。ユニゾンでもハーモニーを感じるのは二人の声に含まれるハーモニックスがほぼ同じで,二人の声の位相差が周波数成分ごとに異なり、かつ揺らいでいるのが原因ではないか、と頓珍漢なことを考えている。いずれにせよ,歌声が素晴らしい。

 

恋のメキシカン・ロック(2024.1.1)

昭和42年,詞:佐伯孝夫,曲:吉田正,唄:橋幸夫

 「メキシカン・ロック ゴーゴーゴーゴー」とはじまり同じフレーズで終わる。もちろん途中に歌詞はある。こちらは「ぎらら まぶしい太陽 肌にやけつく太陽」と始まる。

 「なんて素適 セニョリータ」とか「パンチのきいた ロックとルック」など大して意味のなさそうな歌詞が続くだけの歌。橋が歌うだけで満足という橋ファン向けの歌か。

 

恋はみずいろ<L’amour est bleu(2018.7.30)

昭和42年,詞:Pierre Cour/漣健児,曲:Andre Popp,唄:森山良子

「青い空が お陽さまにとける」と始まる歌。

原曲の歌唱はVicky Leandros。・

Paul Mauriat編曲のインスツルメンタル・バージョンが大ヒットしてイージー・リスニングの定番曲のひとつとなった。

 

この広い野原いっぱい(2015.6.26)

昭和42年,詞:小薗江圭子,曲:森山良子,唄:森山良子

 「この広い野原いっぱいさく花を」と始まる歌。

 森山のデビュー曲。カレッジのイメージはないが,私がイメージするカレッジ・フォークとぴったり一致する歌。

 2番は「夜空いっぱいさく星」,3番は「海いっぱいさく舟」,4番に至っては「世界中のなにもかも」「あなたにあげる」と自分の物でもないものを勝手にプレゼントしようとしている。そもそも物理的にも「星をひとつ残らず」「ガラスにつめ」ることなどできるはずもない。

 できもしないことを『やるやる』というようなのを私は好まないのだが,この詞はそのようなものではない。私の中で,論理的には破綻している詞に対する好き・嫌いがどのように決まっているのか自己分析はできていないが,この歌を聴くのは好きだ。森山の素朴な声も良い。素朴よりもっといい言葉はないかと考えたのだが,言葉を知らないので適切な言葉が思いつかない。『禁じられた恋』1)などの声から少し艶を落とした声ということなのだが。メルヘンだ。

1)「禁じられた恋」(昭和44年,詞:山上路夫,曲:三木たかし,唄:森山良子)

 

小指の想い出(2011.9.25)

昭和42年,詞:有馬美恵子,曲:鈴木淳,唄:伊東ゆかり

レコード大賞歌唱賞。伊東ゆかりは中尾ミエ,園マリとともに三人娘の一人として洋楽の日本語訳カバーや和製ポップスを主体に唄っていたと思うがこの曲で歌謡曲分野でも売れた。テレビ出演を知っていればぜひ観たいという程度のファンだった。

「あなたがかんだ小指が痛い」で始まり,よく知っていて懐かしい歌だが,歌手から連想するものはいろいろあるが歌に連想して思い出すことはあまりない。

この年,母校四日市高校は甲子園に出場した。この頃,四日市高校はそれなりに強かった。当時は三重と岐阜二県から夏の甲子園に1校出場で,それぞれの県大会で上位2校が集まり,計4校で三岐大会というのをやっていた。前年も三岐大会に出場し,岐阜商業には勝ったが三重高に負けたのではなかっただろうか。私が高校2年生のときも三岐大会まで進み,このときは岐商に惜敗した。過去には全国優勝もしたことがあるのだ。この年の甲子園では1回戦,何かの都合で球場に行けなかったのでテレビで観ていたのだが,昼のニュースで中断されるまでは勝っていたのにニュースが終わったら逆転されていて夏の野球は終わった。

 

盛り場ブルース(2013.6.20)

昭和42年,詞:藤三郎,補作詞:村上千秋,曲:城美好,唄:森進一

 「咲いて流れて散って行く」と始まる歌。最後は「銀座赤坂六本木」と盛り場名で終わる。1番は東京,以下北海道,仙台,名古屋,大阪,広島,博多と続き,最後に東京に戻って「渋谷新宿池袋」と終わるご当地演歌。第1回「全日本有線放送大賞」金賞および第1回「日本有線大賞」大賞を受賞した。

 詞は酒場の女・・ちょっとイメージが古い気もするが・・の日々の思いのような詞で,いろんな歌謡曲から集めてきたような言葉が並んでいて全体としてのストーリーがあるようには感じられない。ほろ酔いで気楽に聴けばよいだろう。感動はないがささやかな面白さがある。一応,東京以外は「小雪」,「七夕」,「お城」,「こいさん」,「鐘」,「人形」とその地を感じさせるような単語が入ってはいる。これらはその地を表すために入っているとわかるのだが,これら以外にも,この単語はあれをイメージして入れたのじゃないかなどとハッと気づくこともあり,その意味で面白い。

 

佐久の鯉太郎(2015.11.16)

昭和42年,詞:佐伯孝夫,曲:吉田正,唄:橋幸夫

 「信州佐久の鯉太郎 とてもうぬ等の長脇差(ドス)じゃ無理」と始まる歌。

 橋幸夫は時代物と現代物を交互という訳ではないが,かなり交えて唄っていた。時代物では股旅物が比較的多かったように思う。この歌も股旅物だ。

 一時,映画などでも股旅物が流行った時代があったが,この頃には股旅物の人気は落ちていたのではないかと思う(私だけかもしれないが)。『潮来笠』1)から始まり,いろんな股旅物を聞いて,股旅物の歌にも飽きてきた。

1)「潮来笠」(昭和35年,詞:佐伯孝夫,曲:吉田正,唄:橋幸夫)

 

サバの女王(2016.1.9)

昭和42年,詞:M.ローラン,日本語詞:なかにし礼,曲:M.ローラン,唄:グラシェラ・スサーナ

 「あなたゆえ くるおしく 乱れた 私の心よ」と始まる歌。

 実はこれを聞いた記憶はあまりないのだが,『シバの女王』というイメージの方が強いのでポール・モーリア盤などを聴いたのかもしれない。しかし「Ah! Qu’elle revienne, Ah, Qu’elle m’entraine」と始まる歌は知っておりそのタイトルは「La Reine de Saba」なのでやはり「サバの女王」だろう。曲はポール・モーリアで覚え,歌詞は何かの歌本で覚えたのかもしれない。私は,一時,各国の言葉で歌が唄えるようになりたいと思っていた時期があり,フランス語(もどき)で唄えるようになった歌がこの歌だ。

 フランス人の前でこの歌を唄ったことはないが,ドイツ人の前でドイツ語の歌や中国人の前で中国語の歌を唄ったことはあるのだが,日本語訳を唄っているのだと思われてしまった。まあ,私のレベルはこの程度のものだ。

 なお,「サバ」か『シバ』かだが,フランス語なら『La Reine de Saba』,英語なら『The Queen of Sheba』なので何語を基にしているかということだ。

 

シーサイド・バウンド(2013.12.23)

昭和42年,詞:橋本淳,曲:すぎやまこういち,唄:ザ・タイガース

 「踊りに行こうよ青い海のもとへ」とはじまる歌。

 メロディーは単調に感じる。リズムで聴かせる曲なのだろう。タイガースが唄わなければ残らなかった曲ではないかと思うが,GSやフォークなど,素人に自分でもやれそうと思わせるような曲がいろいろでてきた時代でもある。

 

主婦のブルース(2020.7.24)

昭和42年,日本語詞:中川五郎,曲:アイルランド民謡,唄:中川五郎

 「みなさんわたしのうたをきいてよ」と始まる。わたしというのは50をちょっとすぎた奥さんらしい。

 「人生は悩みよ ちっとも楽しくない 恋なんてしないまにふけちゃった」というフレーズが何度も繰り返される。

 最初は見合いの話。「その時憧れてる人がいたけれど」。

 新婚時代は戦時中。

 長男が生まれても姑がいろいろ干渉してくる。

 「子供の学校の授業参観 となりの奥さんいい着物」。

 こどもは何とか大学に入り,学生運動にもかぶれたようだが何とか結婚。今では「テレビがわたしのホントの主人」。

 「ほんとにこれでよかったのか?」という歌。

 

白い街(2017.11.28)

昭和42年,詞:内村直也,曲:野崎真一,唄:石原裕次郎

 「この道の はるか彼方の 雲流れる下に 幸福がある」と始まる歌。

 「白い街 白い街 名古屋の街」と終わるので名古屋のご当地ソングなのだろうが,出てくる地名は「久屋通り」,「白壁町」,「東山」ということで,なぜこれらが選ばれたのか私にはよく解らない。

 田舎者の私でも久屋通りは知ってはいたが,何があったかなどは覚えていない。白壁町は名前すら知らなかった。東山は動植物園があるので知っていたが。それまで名古屋の地下鉄は名古屋―東山公園間しか走っていなかったので東山と聞くと名古屋の東の果てのように感じていた。東山公園から星ゲ丘まで地下鉄が伸びたのが昭和42年だ。

 久屋通りは白いと言っても良いだろう。白壁町は知らないが名前を見ても白っぽく感じる。しかし東山が白いだろうか。東山公園には緑が多かったように思うが私の記憶違いだろうか。

 ところで,東山公園には池がある。この上池にあるボートに乗ったアベック(死語かもしれない。今なら何というのだろう。とりあえずカップルとでもしておこう。)はその後別れるという都市伝説があった。これから派生して,別れ話を切り出すときの言葉として『東山公園でボートに乗ろうか』というのもあった。

 「白い街」という印象は広い幹線道路の印象かも知れない。当時の印象では全国的に見て(私の見分は修学旅行程度だが),道路が広く,コンクリート舗装されている箇所が多かったように感じる。私の地元などはアスファルト舗装が多く,道路が黒っぽかった。しかし当時の名古屋でも幹線道路から外れると未舗装の道路(特に歩道)も少なくなく,雨の中を歩くと泥だらけになった。

 何はともあれ,私が知っている数少ない名古屋のご当地ソングである。

 

新宿そだち(2014.3.15)

昭和42年,詞:別所透,曲:遠藤実,唄:津山洋子/大木英夫

 「女なんてサ女なんてサ 嫌いと思って見ても」と始まる歌。

 酒場の女と客の男の歌。酒場と言っても指名制度があるような酒場だ。

 昔なら『遊女は客に惚れたと言い』のが営業トークだったのだろう。『傾城に誠ないと誰が言うた』と遊女の誠の話(紺屋高尾)もあるが,珍しいからこそ話に残るのだろう。遊女とホステスは違うのはもちろんだが,この女は「ツンツン」してるようさ。当時は『ツンデレ』などという言葉は無かったが,このホステスの営業テクニックはツンデレ系なのだろう。

 昔の歌では,酒場の女が泣いている歌しか思い出さないが,この歌では男のほうが女に主導権を奪われているような印象を受ける。時代の先取りだったのだろう。

 

新宿ブルース(2014.8.24)

昭和42年,詞:滝口暉子,曲:和田香苗,唄:扇ひろ子

 「恋に切なく降る雨も」と始まる「夜の花」の歌である。「惚れてみたって」「添える訳ではないものを」という演歌の典型的パターンの一つだ。

 扇ひろ子と言えば歌手か女優かと悩むが,私が最初に知ったのは彼女の歌だったので当初は歌手が映画に出ていると思った。昔ながらの歌手と考えると声がハスキーだが,森進一や青江三奈が出た後では違和感なく聴くことができた。

しかし,その後の活躍に関しては映画のほうが馴染深い。日活の扇ひろ子と言えば,大映の江波杏子・東映の藤純子らの時代を思い出すが彼女らの活躍はもう少し後のことだろう。

 

好きさ好きさ好きさ(2015.2.13)

昭和42年,詞:Chris White,訳詞:漣健児,曲:Chris White,唄:ザ・カーナビーツ

 「好きさ好きさ好きさ」と始まる歌。「忘れられないんだ」と続き,高野のソロで「おまえのすべてを」と続く。

 カーナビ―ツのデビュー曲である。その後もいろんな曲を出しているのだろうが,あまり聴かなかったのだろうかカーナビ―ツの他の曲をすぐには思い出せない。

 従前の流行歌から歌謡曲への流れの中で,エレキバンドとフォークの影響を受け生まれたであろうグループサウンズは良識ある(?)父兄から白い目で見られていたような気もする。その代表的な曲のひとつではないだろうか。

 当時はクラシックこそが上品な音楽と思われていたように思う。

 

好きさ好きさ好きさ(2018.10.20)

昭和42年,詞:Chris White/蓮健児,曲:Chris White,唄:ザ・カーナビ―ツ

「好きさ 好きさ 好きさ 忘れられないんだ」と始まる歌。これに続く「おまえのすべて」の絶叫?が極めて印象的。カーナビ―ツというとこのフレーズが思い浮かぶ。

原曲は昭和40年にThe Zombiesが唄ったI Love You

 

世界の国からこんにちは(2019.9.11)

昭和42年,詞:島田陽子,曲:中村八大,唄:三波春夫

 「こんにちは こんにちは 西のくにから」と始まる歌。

 昭和45年の大阪万博のテーマソング。何度も何度も(歌詞を見て,数えてみると35回)「こんにちは」が繰り返される。複数の歌手の競作だが,三波盤が最も売れたようだ。『お客様は神様です』という雰囲気の笑みをたたえて唄う三波がこの歌には最も合っていたということだろう。

 

世界は二人のために(2013.8.15)

昭和42年,詞:山上路夫,曲:いずみたく,唄:佐良直美

「愛あなたと二人 花あなたと二人」と始まる歌。第9回日本レコード大賞新人賞受賞。「二人のため世界はあるの」と周囲が全く見えなくなっている歌。まあ,ハッピーでいいんじゃないでしょうか。このような時もあるでしょう。

佐良直美の声はちょっと合わないんじゃないかと思うが。

実際にこの歌のような状況ではなかったとしても,このような状況を夢見てこの歌を歌うことがあるかもしれない。そういえば,私も一人でギターを持って裏山へ行き,この歌を唄ったことがあるかもしれない。

 

たそがれの赤い月(2020.5.21)

昭和42年,詞:白鳥朝詠,曲:市川昭介,唄:ジュディ・オング

 「たそがれ染める 真赤な月を 見つめて ひとり歌う」と始まる。

 「いとしい人に 逢わせて」と月に願う歌。

 一人デュエットとでもいうのだろうか。録音に重ねて唄っているのだろう。

 市川の曲にしてはもの静かな淋しげな曲だ。いとしい人に逢えない淋しさを表現しているのだろうか。市川ならば声を張り上げて淋しさを訴える曲になるのかと思ったが。

 人類最初の月面上陸が昭和44年にアポロ11号の乗員により達成されるまでは御月様に個人的な願い事をする歌がいくつもあった。と思ったが,昭和30年代の歌ではそのような歌をいくつも思い出すことが出来るが1それより古い歌は思い出さない。昭和30年以前にも月は多くの歌に登場する2が自然現象として扱われているように感じられる。百人一首などにも月が詠み込まれている歌は少なくないが,月に対して恋愛に関する願いをしているのは思い出さない。『月が鏡であったなら』3などという歌もあったが,鏡で顔を見ることができるだろうにというだけで,月に何かを頼んでいるわけではない。『勘太郎月夜唄』4)でも『月よみてくれ』というだけだ。昭和32年の『噂をきいたら教えておくれよなあ』5)と願いをするのが月に対して恋愛相談をした初めではないだろうか6)。御月見でススキや団子をお供えすることがあっても,そこで恋愛成就を祈ったようには感じられない。

 月に恋愛相談をしたのは,日本史の中でもほんの10年間位なのではないだろうか。

1)例えば「月のエレジー」(昭和36年,詞:浜口庫之助,曲:浜口庫之助,唄:守屋浩)

2)例えば「月がとっても青いから」(昭和30年,詞:清水みのる,曲:陸奥明,唄:菅原都々子)

3)「忘れちゃいやョ」(昭和11年,詞:最上洋,曲:柳田義勝,唄:渡辺はま子)

4)「勘太郎月夜唄」(昭和18年,詞:佐伯孝夫,曲:清水保雄,唄:小畑実/藤原亮子)

5)「お月さん今晩は」(昭和32年,詞:松村又一,曲:遠藤実,唄:藤島桓夫)

6)学術論文なら資料を調べて確認するところだが,ここでは思いつくまま書き散らす。校正してくれる人もいない。

 

友達になろう(2016.7.22)

昭和42年,詞:藤田浩一,曲:藤田浩一,唄:アウト・キャスト

 「友達になろう さびしい君と僕」と始まる。

 「もし君にすてきな男の子が 僕はそっとさりたい 友達だから」

 この歌詞の「友達」とは何だろうか。「恋人なんて二度とほしくない」とあるので「恋人」でないことは確かだ。しかし「僕には君がいれば しあわせなんだ」とあり,普通の友情以上の感情がありそうだ。相手は元恋人なのだろうか,それとも恋に破れた者同士なのだろうか。

 恋人から友達になることはありうるだろうが,「恋人なんて二度とほしくない」というほどの心の傷を負ったのだから今の相手は元恋人ではないだろう。傷の大きさが臆病にしたのか。

 私には単に甘えの歌にしか聞こえない。しばらくは止むを得ないかもしれないが,より強くなって再び立ち上がって欲しい。当事者じゃないから言えるのかもしれないが。

 

トンネル天国(2014.10.6)

昭和42年,詞:橋本淳,曲:鈴木邦彦,唄:ザ・ダイナマイツ       

 「トンネルぬけてトンネルぬけて」とけだるそうに始まる歌。

 「若いぼくらのでっかいハートは ドリーム イエス ドリーム イエス」とトンネルを抜けて夢に向かって「遠くの町へくりだそう」という歌なのだが,「トンネル」の箇所はいかにもトンネルという雰囲気が出ているが,「夢(ドリーム)」が現れるあたりでメロディーもトンネルを抜け出たようではあるのだが,乗っているのが「ガタピシ列車」だからか,夢の大きさがいまひとつ感じられない。

 時代の閉塞感を表しているのかもしれない。当時はまだ高度成長が続いており,日本のGNPが世界2位になったのは昭和43年だ。当時の問題と言えばまだ解決には至っていない公害問題,世界的にはベトナム戦争ではないかと思うが,作今の格差が拡大した社会に比べれば,教室の冷暖房がなくても,カラーテレビがなくても,自宅に電話がなくても,自家用車がなくても,海外旅行に行ったことがなくても,現在の社会より将来の夢が持てる時代ではなかっただろうか。

 

渚のうわさ(2020.6.19)

昭和42年,詞:橋本淳,曲:筒美京平,唄:弘田三枝子

 「あなたのいない渚は とっても淋しくて」と始まる。

 これまで日本で歌われたポップスは洋盤の翻訳やリメイクがほとんどだったのに対し,和製ポップスが出始めた時代の歌。筒美の最初のヒット曲。初期の和製ポップスと言われているが,当時の一般的ポップスと比べても,後の和製ポップスと比べても歌謡曲風を強く感じる。

 橋本の詞は翻訳ポップスの雰囲気だ。「渚」がテーマなら洋風も和風もなさそうだが,「いつわりの愛はさみしい」などという詞が当時の和のテイストではないと感じる。・・・無意識のうちに『砂に消えた涙』1)などを思いだしているのかもしれない。

1)「砂に消えた涙」(昭和39年,詞:TESTA ALBERTO・漣健児,曲:SOFFICI PIERO,唄;弘田三枝子)

 

涙のかわくまで(2014.4.28)

昭和42年,詞:塚田茂,曲:宮川泰,唄:西田佐知子

 「ひきとめはしないけど 何もかも夢なのね」と始まる歌。

 この歌を唄う西田の声はある意味悪女の声だ。「何もかも夢なのね」などと状況を理解しているようなことを言いながら「あなたがそばにいなければ 私は歩けない」とか「なぐさめはもう云わないで 私は大丈夫」とか言いながらすぐに「もう少しいてほしい」と魅惑的な声で引き止める。蟻地獄に捕まった蟻のように,逃れられそうもない。

 細い身体で,身体から想像されるよりも太い声で,女の武器である「涙」を駆使し,男を絡め捕るように感じる歌だ。『東京ブルース』1)などでは別な面を見せており,こちらのほうが私の感じる西田のイメージによくあっている。

1)「東京ブルース」(昭和38年,詞:水木かおる,曲:藤原秀行,唄:西田佐知子)

 

虹色の湖2011.9.29

昭和42年,詞:横井弘,曲:小川寛興,唄:中村晃子

「幸せが住むという虹色の湖」で始まる歌。メーテルリンクの青い鳥と似たような。結局幸せは見つからないようだ。「帰るには遅すぎて」と内容自体は落ち込みそうな歌詞なのだが,曲は元気よく,歌い方も元気が良かったように思う。

この頃,ベトナム戦争がらみで原子力潜水艦や空母の日本への寄港を反対する集会等がよく開かれ講義が休講になることが多かった。当時の学生には「立てばパチンコ座ればマージャン歩く姿はダンス形」と言われるくらいの遊びしかなかった。

パチンコ台の前には椅子がなく,立ってやる。左手で1個玉を入れては右手で一発弾くという方式だ。玉の入れ口が下にある台では左手でほぼ連続的に流し込むようにして高速で打てるが,玉の入れ口が左にある台では,左に入れた玉が下に落ちてからしか打てないので本当に一発づつしか打てない。

麻雀はいろんなルールがあった。初めて教えてもらったときには既にドラはあった。裏ドラもあったが裏ドラは現物だった。点を数えるとき,「門断平(メンタンピン)ドラ1デンデン」などと数えていた。場二翻を律儀に数えていたのである。いつのまにか裏ドラもネクストになり,メンタンピンドラ1の四翻で満貫というようになった。

当時はダンスパーティが流行した。いわゆる社交ダンスである。各クラブは部費調達のためによく企画してパーティ券を売り歩いていた。。

 ボーリング場はあちらこちらにあり,盛んだった。

 ビリヤードやアイススケートに行く者もいた。

 また,「合ハイ」というのもあった。「合同ハイキング」である。日帰りでちょっとした山か丘に行き,バレーボールをしたりする程度。

 卓球場というのもあった。卓球台ほか一式を貸してくれる店だ。

 当時は高度成長が長く続いたとはいえ,まだ金を持たない学生がおおく,下宿生で机を持っていた学生はかなり少なかったと思う。リンゴ箱やみかん箱で代用していた。大学入学当時の写真をみるとほとんどが学生服である。2年生では半分くらいが学生服だっただろうか。

 金をかけずにストレス発散ということで言えば,学生自治会等主催の歌を歌う集いも多かった。政治的な集会に比べると参加者は多かった。いろんな歌が歌われるが,「幸せすぎて幸せすぎてあたたにすべてを」などという歌は歌われず,歌声喫茶風の歌が多い。「イムジン川水清く」とか「吾らのものだ沖縄は,沖縄を返せ」などという歌がところどころに入っている。ロシア民謡なども沢山あった。

 

願い星叶い星(2014.11.18)

昭和42年,詞:浜口庫之助,曲:浜口庫之助,唄:西郷輝彦

 「涙星エイエイエイ 別れ星エイエイエイ」と始まる歌。ほかにも「エイエイエイエイ」を繰り返すが,この意味は不明だ。単なる掛け声だろうか。

 当時,橋幸夫・舟木一夫,西郷輝彦は御三家と呼ばれた。私の感覚では末期の流行歌手でありアイドル歌手のはしりである。スターというよりアイドルだ。三人の中で後のアイドルに最も近いと感じるのが西郷だ。グループサウンズの多くはアイドルでもあり,御三家はアイドルとは言っても昔ながらの流行歌手に近い。実際にアイドルの名が一般的になるのはもっと後だ。当時はスターが一般的な言葉だった。それに街灯の数もまだ少なく,実際の星が良く見える場所も今よりはるかに多かった。

 そういえば西郷輝彦の歌には星に関係する歌1)が多いような気がする。

1)「星娘」(昭和40年,詞:浜口庫之助,曲:浜口庫之助,唄:西郷輝彦),「星のフラメンコ」(昭和41年,詞:浜口庫之助,曲:浜口庫之助,唄:西郷輝彦),デビュー曲の「君だけを」(昭和39年,詞:水島哲,曲:北原じゅん)にも歌詞に「星の光をうつしてる」とか「ふたつ並んだあの星も」と星が登場している。

 

野バラ咲く路(2015.3.20)

昭和42年,詞:市川染五郎,曲:市川染五郎,唄:市川染五郎

 「野バラ咲いてる山路を」と始まる歌。

 「今はない君の面影求めひとりぼくは行く」と詞は当時の歌謡曲の典型的な状況のひとつだ。出だしの「野バラ」が早口で唄われるのに斬新さを感じていたように記憶しているが,いま再度聞いてみるととくに早口ではない。「野バラ」の箇所のメロディーが普通の発音の「野ばら」の高低アクセントとかなり違っていることから生じた違和感を早口と感じていたのだろう。

当時流行し始めていたフォーク系の曲だ。伝統芸能である歌舞伎と新しい音楽であるフォークソングの組み合わせが意外だった。

 

花と小父さん(2016.8.26)

昭和42年,詞:浜口庫之助,曲:浜口庫之助,唄:伊東きよ子

 「小さい花にくちづけをしたら」と始まる歌。

 ファンタジーだ。浜口にはいつも驚かされる。

 この小父さんは独り暮らしのように感じる。恐らくは電話もない,孤独な生活のようだがそれでも花と会話できる感性を持っている。科学技術の発達と共に,人間は昔持っていた能力の一部を失ってしまったのだろう。

 

花はおそかった(2011.12.29)

昭和42年,詞:星野哲郎,曲:米山正夫,唄:美樹克彦

 「こんな悲しい窓の中を」という台詞で始まる。花を捜しているうちにかおるちゃんの最期に間に合わなかったということらしい。なぜ花など捜していたんだろう。恐らくそんなに深刻な事態だとは認識していなかったのだろう。

 かおるちゃんはなぜクロッカスの花が好きだったんだろう。好き嫌いは理屈じゃないか。

でもきっと二人の思い出の花なのだろう。かおるちゃん,どうして待っててくれなかったんだ。神も仏もないのか。白い雲に八つ当たりして「バカヤロー!」で終わる。

 美樹克彦は目方誠の時代からテレビで観ていた。玉置宏が司会の番組だったように思う。

 このころの私は大学でドイツ語に苦労していた。英語ができないという自覚が強かったので大学に入ってから英語の勉強をした。高校での受験勉強では,SV, SVC, SVOくらいまでで終わってしまったのでその続きを勉強した。また,単語もほとんど知らなかったので,英語の授業の予習は大変だった。ほとんどの単語を辞書で調べなければならないのだから。

おかげでドイツ語の予習復習にかける時間はあまりなかった。ドイツ語は1年で文法が終わり,わけのわからない読本を読んでいた。一つは「原子爆弾と人類の未来」というような内容だったので想像を働かすことができたのだが,もう一つは,何かわからないものが次々と出てくる話で,先生のはなしによると「幽霊」なんだとか。幽霊が前後と無関係に(関係はあるのかもしれない)次々と出てきて,私の常識では思いつかないものが出てくる。これは全くお手上げだった。試験は3問だったと思う,教科書の和訳だった。1問の長さは1段落ないし2段落位である。どうしようもないので試験には教科書の話を覚えて臨んだ。大体は正解を書いたはずだが,1問は全く違う段落の内容を書いていた。どの単語がどの訳に対応しているは解らなかったが,なんとなく問題文と解答文の長さが違うような気はしていた。

 中国文学だったか何かの試験も,試験勉強の手がまわらなかったので,高校時代に覚えた「長恨歌」を書いて提出した。内容自体は全て覚えていたが,語順を忘れたり,漢字を忘れたりしている部分もあり,その部分は書き下し文で書いたり,現代語訳を書いたりした。きちんと漢文で書いたほうが少なかったかもしれない。

 これら2科目はいずれも「可」をもらった。

 

バラ色の雲(2013.4.18)

昭和42年,詞:橋本淳,曲:筒美京平,唄:ヴィレッジ・シンガーズ

 「バラ色の雲と思い出をだいて 僕は行きたい君のふるさとへ」という歌。

 初恋の思い出の歌。いいんじゃないでしょうか。

 グループサウンズ全盛時代,多くのグループがあったが,このグループはルックス的には最も爽やか系だった。リクルートカットのような頭に,普通の服という印象だ。普通といえばジャッキー吉川とブルー・コメッツも同様だが,こちらはややオジサンっぽかった。一方の端にブルコメがいて,逆の端にタイガースやテンプターズがいて,そこを突き抜けたところにカーナビーツとかオックスがいた。ワイルドワンズやスパイダースはヴィレッジよりタイガース寄りで,サベージなどは若干路線が違うと感じていた。尚,グループ名は正式には定冠詞がついているものが多い。ボーカルは歌の上手さというより,歌以外を含めた全体の雰囲気による好みで人気が支えられていたのではないだろうか。

 

バン・バン・バン(2025.1.28)

昭和42年,詞:かまやつひろし,曲:かまやつひろし,唄:ザ・スパイダース

 「とぼけた顔して バンバンバン」と始まる。

 詞には「にくい男さ」とか「にくい女さ」などという言葉も入っているが,ほとんどが「バンバンバン」とか「バンバン ババババ ババババン」の繰り返して,この歌で何らかのメッセージを伝えようという歌ではなく,リズムとメロディーに乗って何となく体を動かすための歌だろう。

 

ひとり泣く夜のワルツ(2021.10.2)

昭和42年,詞:矢野亮,曲:吉田矢健治,唄:江利チエミ

 「花が咲いても 淋しくて 花が散ったら なお悲し」と始まる。

 「誰が私を こうさせた」などと昭和20年代を思わせるような詞もあるが,私自身がそのような詞にドップリ浸かって育っているので違和感はないが,他人によっては時代錯誤と感じるのではないか。

 私の違和感は「ひとり泣く」と「ワルツ」の組み合わせだ。私の感覚では「ワルツ」は澄まして踊る舞踏曲で,「ひとり」とか「泣く」等には合わないように感じる。「泣く」なら「ブルース」だろう。

 

ふたつの手の思い出(2019.6.26)

昭和42年,詞:万里村ゆき子,曲:鈴木邦彦,唄:森山良子

 「ふたつの手を握りあい 肩よせて歩いた」と始まる歌。

 しかし「ふたつの手はほどかれて 風に散っていった」。

 最後には「このさびしさが やがていつか 私を大人にかえるということを」などという陳腐な詞が並ぶ。このような考えは傍観者の考えだろう。当事者の想いが浅ければ単純に忘れてしまうだろうし,深ければこのように達観することはできないのではないか。当事者であっても,時の経過とともにこのように振り返ることができるようになることはあるだろうが,その時点ではこのようには思えないだろう。

 というわけで,この詞は心の中の想いが溢れて書いたというより,商業的な目的で書いたように感じる。

 

二人だけの海(2020.8.30)

昭和42年,詞:岩谷時子,曲:弾厚作,唄:加山雄三

 「君のために渚で ひとりかなでる 心の歌」と始まる。

 「君と別れた日から また逢うときを 待ちづづけて」とあるので,そういう状況なのだろう。

 「きっと逢えるねきっと」と言っているが,これは願望だろう。

 詞から,半年以上経過したようだが,この願望はかなわないだろう。別れるということはそういうことなのだ。

 もっとも,加山にこの詞を唄わせるのはちょっと合わないかもしれない。彼なら,すぐに次が見つかる,というより見つける必要もなく,単に選択する必要だけがあるのではなかろうか。というのは私の妄想だ。岩谷のイメージはまた違うのだろう。

 

ブルー・シャトー(2011.12.19)

昭和42年,詞:橋本淳,曲:井上忠夫,唄:ジャッキー吉川とブルー・コメッツ

「ブルーブルーブルーブルーブルーシャ〜トー」という第9回日本レコード大賞受賞曲である。数あるGS(グループ・サウンズ)グループ中で最も古いんじゃないかと思うほどメンバーは高年齢に見えた。

この歌はいろんな替え歌が歌われるほどヒットしたと思うが,替え歌がポピュラーになるには元歌がかなり流行っていなければならないだろう。昔は数少ない曲を皆が知っていたのでは替え歌もポピュラーになったが。今は,個人が好みの歌をそれぞれ持っているので替え歌が流行らなくなったのではないか。

当時の学生は今よりはるかに多弁に政治を語ったと思う。時代がそうさせたのだろう。内発的なものか,外部から何らかの働きかけがあったのか判らないが1965年に北爆が開始されたベトナムでの戦争に関与すべきでないという立場の運動であったと思う。1970年に迎える日米安保条約の改定に関する意見もあったと思う。学生集会などがよく開かれていた。

米国でもヒッピーの活動が活発になり,1969年のウッドストックにつながっている。フランスでも1966年の学生運動から始まった運動が激化し,1968年のパリ五月革命につながっている。中国でも文化大革命が始まっており,1966年からは紅衛兵の活動が始まっている。

このころ,日本の歌謡曲は昔ながらの歌謡曲に加えて,グループサウンズとフォークソングが盛んだったように思う。米国でもビートルズと反戦フォークが全盛だった。

 

僕のマリー(2013.10.4)

昭和42年,詞:橋本淳,曲:すぎやまこういち,唄:ザ・タイガース

「ぼくがマリーと逢ったのは」と始まる歌。ザ・タイガースのデビュー曲。

グループサウンズの曲としては大人しい曲で,後のタイガースの大人気は,この歌のときは想像もしなかった。

この頃,何をしていたのか記憶にない。無為に暮らしていたのだろう。

学生だったが,宿題が沢山出ていたし語学の予習も大変だった。ベトナム反戦の学生集会もよくあった。

自宅に一人でいるときはギターを弾いていたとおもう。気候の良い自分は山(小さな丘だが)へギターを持っていって唄っていたように思う。当時流行っていたフォークソングなどというハイカラなものではなく,今でいう演歌だ。

友人と一緒のとき,どこかに行くとなると,喫茶店かボーリングだったように思う。もともとカキ氷が5円などという店に行っていたのに,アイスフラッペ80円などという値段を見て驚いたのはこの頃だろうか。ボーリングよりは卓球のほうが安かったように思う。

事前に予定を立ててということなら,鈴鹿の山へ行ったりした。まあ,ハイキングというところである。

物価で言えば,多分,名古屋の市電の切符は2枚で25円だったように思う。1枚買うと13円だ。大学の食堂で味噌汁は5円,カレーが40円だったのではないか。数年後,120円という超高価な定食が登場した。

 

真赤な太陽(2012.10.25)

昭和42年,詞:吉岡治,曲:原信夫,唄:美空ひばり/ジャッキー吉川とブルー・コメッツ

 「まっかに燃えた太陽だから真夏の海は恋の季節なの」と始まり,二番は「いつかは沈む太陽だから涙に濡れた恋の季節なの」と,激しく燃え上がり消える夏の恋の歌。ひと夏のアバンチュールという感じだからあれこれいうのは止めよう。悪い歌だとは思わないが同じような内容ならば「恋のバカンス」1)などのほうが好きだ。

 美空ひばりはこの曲で初めて短いスカートをはてステージに上がった。短いとはいっても膝くらいだった。しかしこの年ひばりは30歳だった。この当時この年齢で初めて母子手帳をもらうと通常ではない高齢と言う意味で「高」という文字を○で囲ったスタンプが押された年齢である。テレビでこの衣装を見た時には異様に感じた。この年はツイッギーが来日,ミニスカートが初めて日本に紹介された年だ。その後ミニスカートは日本に定着し,着用者の年齢幅も広がる。

美空ひばりは子供の頃は変わった衣装を着ていたこともあるが,生涯で見れば和服が最も似合うと想う。しかし,グループサウンズと組んだこの歌もそうだが,次々と新しいものに挑戦する姿勢はたいしたものだと感心する。

1) 「恋のバカンス」(昭和38年,詞:岩谷時子,曲:宮川泰,唄:ザ・ピーナッツ)

 

真冬の帰り道(2016.9.27)

昭和42年,詞:水島哲,曲:喜多島修,唄:ザ・ランチャーズ

 「あなたの肩先に ひらひらこぼれてる プラタナスの枯葉」と始まる歌。

 「大好きだけど言い出せなくて」という歌。

 好きだけれどもその気持ちを相手に伝えられないというのは昔からあったテーマだ。昔は身分違いなど社会的制約による理由だった1)。戦後でも相手が人妻2)などの社会的制約はのこっていたが,次第に愛の告白をする勇気3)の問題になってくる。

 そういえば,この頃まではまだ『愛の告白』ということばはなかったように思う。少なくとも,私の周囲では告白と言えば『罪の告白』を意味していた。いつのまにか告白が『恋心の告白』になり,『告る』という動詞まで生まれたようだ。

では私たちはどのような表現をしていたかと想い出そうとするが思い出せない。『(想いを)打ち明ける』4)などという言葉があったことは知っているが,友人同士でこのようなよそ行きの言葉をつかってはいなかったと思う。そのような行動が無いわけではなかったのだが,何と表現していたか思い出せない。なお,そのような行動の成功確率は低かったようだ。

別な方法として手紙で告白するというのもあった。昔なら付文とでも言ったのだろうか。私たちの世代ではラブレターと言っていたように思う。郵便で送る,直接手渡す,机の中に入れておく,借りた本に挟んで返すなど種々の方法があったが,私の友人でラブレターで告白したという友人はいなかった。他校での話だが,送られてきたラブレターがクラスの女子に回覧され,送り主が晒し者になっていたという話を聞いたことがある。一方的な恋心を打ち明けるということは勇気のいることだった。

『男女7歳にして席を同じゅうせず』5)の時代は終わってはいたが,雰囲気は残っており,高校生までは学校の監視もそれなりに厳しかった。せいぜい意中の相手が順番で回ってきて『フォークダンスの手をとれ』6)るかどうかドキドキする程度だった。

高校を卒業すると一気に軟派に走る者もいた。高校までの雰囲気が残ったままの者と軟派,それ以外の3種類に分化した。それ以外というのは政治活動やギャンブル,その他種々のものがあるが数は少ない。

歌詞に共感する者も当時は少なくなかったのではないかと思うが,問題は曲だ。斬新と言えば斬新なのだが,これまでの歌謡曲では聴いたことがないようなやや風変わりな抑揚の単調なフレーズがあり,同じもしくは似たフレーズが何度も繰り返される。歌詞にマッチしているとは感じられないメロディーで私には高評価できない曲だ。

1)例えば「無法松の一生」(原作は「富島松五郎伝」,岩下俊作,昭和13年)

2)「湯の町エレジー」(昭和23年,詞:野村俊夫,曲:古賀政男,唄:近江俊郎)

3)「ミヨちゃん」(昭和35年,詞:平尾昌晃,曲:平尾昌晃,唄:平尾昌晃)

4)「白い制服」(昭和38年,詞:佐伯孝夫,曲:吉田正,唄:橋幸夫)

5)礼記

6)「高校三年生」(昭和38年,詞:丘灯至夫,曲:遠藤実、唄:舟木一夫)

 

幻のアマリリア(2019.2.11)

昭和42年,詞:岩谷時子,曲:弾厚作,唄:加山雄三

 「雪のふる湖に ひとりでぼくを待つ 幻のおとめよ いとしのアマリリア」と始まる歌。

 「アマリリア」は寒い湖でひとりでぼくを待つというのだから,実在の人間ではないのだろう。だから「幻の」とことわっているじゃないといわれそうだが。

 「君のもとに行こう」とか「涙を 君だけにみせよう」というのだから悲しみを癒してくれる存在なのだ。しかし,「君とふたりで 氷の花を摘めば」というのはどういう意味なのか。明確に理解はできないが,ファンタジーなので聴き手が自由に想像すればよいのだろう。

理解できない歌詞に文句をいうことが多い私だが,ファンタジーならそういうものだと思っているから文句をつけることはない。

曲は他の弾厚作作品では音の並びが単調なのが特徴のように思うが,これは普通の歌謡曲にかなり近い曲だと感じる。加山の特徴がやや薄く感じるが,悪くない歌だ。

 

マリアの泉(2017.1.27)

昭和42年,詞:万里村ゆき子,曲:井上忠夫,唄:ジャッキー吉川とブルーコメッツ

 「苦しい恋をあきらめて さまよう街の夕ぐれに」と始まる歌。

 古い泉に語りかける歌だが,このように自然を擬人化して語りかけるのはアニミズムの影響だろうか。科学的態度ではないのかも知れないが,私には違和感はない。

 「マリアに祈り ただひとり 古い泉に わかれをつげた」とあり,「マリアに祈る」というのの古い泉に語りかけるのは宗教的には矛盾するようにも思えるが,異なる宗教をも習合するのは日本的だとも感じ,

 

ミニ・ミニ・ガール(2020.8.1)

昭和42年,詞:浜口庫之助,曲:浜口庫之助,唄:金井克子

 「Go go go mini mini Go go go mini mini Go go go mini mini〜」と始まる歌。

 「I love you mini mni」などと意味のありそうな英文もあることはあるが,「Go go gi gi gi」とか「Du bi du bi du b i du ya」などがほとんどで,歌詞はあまり意味がなく,曲とダンスを主体とした歌なのだろう。

 歌手は金井克子と書いたが,レ・ガールズかもしれない。

 レ・ガールズは西野バレエ団の金井克子,原田糸子,由実かおる,奈美悦子,江美早苗によるダンスグループ。

 

夫婦春秋(2017.5.7)

昭和42年,詞:関沢新一,曲:市川昭介,唄:村田英雄

 「ついて来いとは言わぬのに だまってあとからついてきた」と始まる歌。

 苦労ばかりしてきたなあという歌だが,「俺とお前で苦労した 花は大事に」とそれを肯定的にとらえている。

 まあ,金婚式などに唄えばいいのではないか。

 

モナリザの微笑(2012.4.30)

昭和42年,詞:橋本淳,曲:すぎやまこういち,唄:ザ・タイガース

 「雨がしとしと日曜日 ぼくはひとりで」という歌。グループサウンズ全盛期の歌であろう。歌詞をじっくりみると「どんなに遠く離れていてもぼくはあの娘の心がほしい」と繰り返されているので遠距離恋愛の歌かもしれないが,当時は歌詞の内容などあまりきいておらず,雰囲気だけで聞いていた。

 この年,ミニの女王ツイッギーが来日,ミニスカートが流行した。景気が良い時にはスカートが短くなるという説もあるらしい。昭和42年はいざなぎ景気の真っ最中だった。3C1)が売れ,日本はいざなぎ景気の間に世界第二の経済大国となった。

1)家電業界でいう新三種の神器。Car, Cooler, Color TV。昭和30年頃に言われた三種の神器は(白黒)テレビ,電気洗濯機,電気冷蔵庫だった。

 

夕子の涙(2019.7.22)

昭和42年,詞:吉田正,曲:吉田正,唄:三田明

 「小雨にけむる宵でした 銀座は西の裏通り」,「夕子に逢ったその日から 恋する僕になりました」と始まるのだが2番ではもう「夕子のその頬に 銀の涙がひかってた なにもきかずに別れたが」となりそれっきりになる。3番では「飲めぬお酒も飲みました」「孤独な僕になりました」と終わる。

 曲の雰囲気は1番の歌詞にあっているような気がする。2番・3番の歌詞に対してはこの曲は軽快過ぎるのではないか。しかし,淋しさのあまり酒に溺れるというのは三田の雰囲気には合わないので,この軽快さが丁度いいのだろう。

 

夕陽と共に(2020.5.31)

昭和42年,詞:加瀬邦彦,曲:加瀬邦彦,唄:ザ・ワイルドワンズ

「海に沈む太陽が 恋の終りを告げるように」と始まる。

失恋の歌。恋の具体的な描写は無く,失恋の悲しみを海に語りかけているが突然「雲にのせてしまおう悲しみを」と終わる。

曲は失恋の気分を漂わせてか,華やかなところが無い。結局,悲しみオーラをまき散らしているのだが,何故かは解らないが慰めようとか元気づけようという気にはならない。

 

夕笛(2016.3.9)

昭和42年,詞:西條八十,曲:船村徹,唄:舟木一夫

 「ふるさとの蒼い月夜に ながれくる笛の音きいて」と始まる歌。

 日活映画「夕笛」(舟木一夫,松原智恵子ほか)の主題歌。

 映画は相思相愛の初恋がアンハッピーな結末となるものらしい。「おさげ髪 きみは十三」とあるので,馴初めはそのような年齢なのだろう。歌詞もハッピーではないが,映画の結末は歌詞よりアンハッピーだ。

 映画を観た人が聴けばそれなりに感じるところのある歌なのだろうが,私は歌を聴くだけだったので,単純に実らなかった初恋を思い出している歌として聴いていた。

 

夕笛(2017.12.28)

昭和42年,詞:西条八十,曲:船村徹,唄:舟木一夫

 「ふるさとの 蒼い月夜に」と始まる歌。

 日活映画「夕笛」(舟木一夫/松原智恵子)の主題歌。

 映画では成金の父の決めた縁談に逆らおうとして果たし得ず,一旦は嫁いだものの出戻りとなっていたところへ再び現れた主人公は,自分の出世を棒に振ってふたりで暮らしを始めようと準備しているところで突然亡くなってしまう。昭和初期が舞台だが,この時代にもこのような話がリアリティをもって受け入れられていたのか。

 

夢を下さい(2020.4.17)

昭和42年,詞:赤堀英夫,曲:桜田誠一,唄:青山和子

 「赤いネオンで 火傷した うぶな昔が なつかしい」と始まる歌。

 「今じゃ 飛べない夜の蝶」とか,「なんで なんでなんで女は 弱いのよ」などの歌詞があり,曲も含め,後の時代なら確実に演歌と分類された歌。当時も演歌という言葉はあったが,私は川上音二郎などが演歌だと思っていた。このような歌は歌謡曲であり,細かく分類すると日本調歌謡曲だった。このような歌が広く演歌と呼ばれるようになったのは藤圭子以降だろう。このような歌は,当時(もっと前から)PTAからは不健全な歌と見做されていただけでなく,若者(私の友人という意味)の間でもダサいと思われていた。ただ,流しのお兄さんやお姉さんはこのような歌をよく唄っていたので,その方面に進みたいと思えば,このような歌を練習した。

 デュポン社でナイロンが発明されたのは昭和10年だ。『nylon』は『norun』即ち『伝線しない』ストッキング用繊維という意味で命名されたという。これが普及することで戦後ストッキングと女性が強くなったと言われていた。しかし,この歌ではまだ女性の弱さを唄っている。戦後20年では,まだ女性の地位向上は実感できない人が多かった。これからほぼ10年後,ウーマンリブ運動などで女性は名目上強くなってきたが,歌謡曲に強い女性が多く現れるようになるのは更にそれから10年以上かかる。もっとも『強い』の意味の解釈によっては昔から女性は強かったとも言えるが。

 

夜霧よ今夜も有難う(2012.7.3)

昭和42年,詞:浜口庫之助,曲:浜口庫之助,唄:石原裕次郎

 「しのび会う恋をつつむ夜霧よ」と始まり,「夜霧よ今夜も有難う」と終わる。この頃,あるいはもう少し前か,ムード歌謡というのがひとつのジャンルかどうかはわからないが,ムード歌謡を細分したひとつにテナーサックスの似合う曲があった。この歌はそのような曲のひとつだ。裕次郎にも良く合う曲だ。

 ムード歌謡というのは基本的には踊れる曲ということだ。まあ,ブルースということだ。

当時はダンスホールが多数あり,ダンスパーティもよく開かれていた。大学の課外活動の経費捻出のため(主として運動部),パーティ券を売るのだ。部員は割り当てられた枚数をさばかなければならない。大学祭りでは野外の大ダンスパーティなどもあったようだ。曲の分類は良く知らないが,大抵はジルバのステップで踊っていたようだ。スローな曲ならブルースというわけだ。

 なお,当時,踊れる酒場ということで「クラブ」というのがあったが,飲酒可能な年齢になった頃は金がなく,そのうちに社交ダンス人気は下火になり,「クラブ」と言う名前だけ残って内容は次第に変わっていったようなので,残念ながら「クラブ」には行ったことがない。踊る場所は「ディスコ」に取って代わられた。

 まあ,私は踊りにはそれほど興味がなく,その後出現したカラオケのほうにはるかに大きな関心を持っていた。カラオケ出現前は生のフルバンドをバックにステージで歌わせてくれる店などもあった。

 

夜空に夢を(2019.4.6)

昭和42年,詞:佐々木勉,曲:佐々木勉,唄:ザ・サベージ

 最初は口笛から入り,「夜空にひろがる果てしない夢を かなえてあげるさ君の為なら」と始まる歌。

 「僕は君が好きだ 好きだ」と繰り返している。現代の曲に比べると(当時の他の曲に比べても)サウンドが薄いが,ストレートな思いの表現には適しているのかもしれない。

 

落日(2020.7.1)

昭和42年,詞:川内康範,曲:北原じゅん,唄:小林旭

 「うらぶれこの身に 吹く風悲し」と始まる。

 初めは「ままよ死のうと 思ったまでよ」とお先真っ暗という雰囲気だが,最後は「どうせ死ぬなら 死ぬ気で生きて 生きてみせると 自分に云った」と立ち直る。

和風の前奏で,唄に入るまではどんな歌になるのだろうと思うが,唄が始まると歌と小林の声のマッチングも良く,いかにも小林旭という曲になっている。

 

リンゴの花咲くころ(2020.1.12)

昭和42年,詞:橋本淳,曲:すぎやまこういち,唄:伊東きよ子

 「りんごの花咲く頃に 帰って来るよと約束してた」と始まる歌。

「星をかぞえて泣いてみた」というのだから「あなたの便りが風に飛ぶ」というのは便りすら来ないということか。

「もうひとりぼっちがつらくない」と心が決まったのかと思うと「あなたを待っているいつまでも」と,心は決まったようだが私の想像とは逆に心を決めたようだ。

 

レッツ・ゴー・シェイク(2019.10.16)

昭和42年,詞:ささきひろと,曲:寺内タケシ,唄:寺内タケシとバニーズ

 「レッツ・ゴー・シェイク! バババ ビビ ババ シェイク シェイク!・・・」とあった後,「とんでおいでよ 海の砂に」と始まる歌。

 「ぼくとふたりで シェイクを踊ろう」という歌だが,歌は必要だろうかと疑問に思ってしまう。

 寺内といえばエレキの神様と言われた人だ。『運命』や『ツィゴイネルワイゼン』などのクラシックや『津軽じょんがら節』のような民謡のカバーまで,いろんな曲をエレキギターで演奏して一世を風靡した。米国の音楽雑誌にチェット・アトキンス,レス・ポールと並んで世界三大ギタリストとして選出されたこともあるらしい。

 ザ・ベンチャーズの全盛時代,世の中はエレキバンドブームだった。それがザ・ビートルズの登場により,日本ではエレキバンドにボーカルを加えたグループサウンズ系の勢いが良くなってきた。それでバニーズも歌をいれようということだったのだろうか。

 尚,シェイクというのは当時流行った(関係者が流行らせようとしただけ?)ダンスだ。

 昭和の時代,多くのダンス音楽が海外から入ってきた。ブルース,ワルツ,タンゴなど,は古くからあり,いつ入って来たのか知らない。私が印象に残っているのはチャチャチャやマンボだ。マンボはマンボズボンなどファッションにも影響を与えている。ロックンロールやジルバは米映画によく登場していた。飯田久彦が唄ったルイジアナ・ママには「スクスク ドドンパ」なども登場するが,ドドンパだけは日本発のリズムらしい。ロックンロールに次いで大流行したのはツイストだろう。このあとはゴーゴーだろうか。これはゴーゴー喫茶などができて後のディスコにつながるのではなかろうか。ゴーゴー喫茶ではモンキーくらいまでが踊られたのだろうか(私は知らない)。この前後,ルンバ,チャールストン,ロコ・モーション,スイム,ジェンカなど私が忘れてしまったものも含め多くのダンス音楽を流行させようという努力があった。その後私の記憶は全くなくなる。次の記憶はディスコであり,もうユーロビートに跳んでしまう。

 そういえばサンバやボサノバなどいろいろ忘れているのがあるようだ。と書いたがボサノバってどんな踊りだっただろうか。

 

レモンとメロン(2017.2.23)                                                                         

昭和42年,詞:水島哲,曲:浜口庫之助,唄:由美かおる

 「レモンのような月の下で メロンのような恋をしたい」と始まる歌。

 由実かおるのデビュー曲。

 やや素人っぽい歌声である。5年位後だったらアイドル・ソングとしてヒットしたかもしれないが,フォーク・ソングが流行ってきてはいたとはいえ,まだ歌手には玄人っぽさが求められていた時代だった。

 当時の由実は歌手としてより西野バレエ団のユニット『レ・ガールズ』1)のメンバーの(歌も唄う)ダンサーとして有名だったように思う。

1)金井克子,原田糸子,由実かおる,奈美悦子,江美早苗

 

別れたあの人(2019.8.15)

昭和42年,詞:岩谷時子,曲;弾厚作,唄:加山雄三

 「手紙を焼いた たそがれの 真っ赤な夕日が 目にいたい」と始まる歌。

 「別れが来ると 知りながら 渡ってしまった 恋の橋」ということでその別れが来たのだろう。

 私にはこの歌が加山雄三の持ち歌だとは感じられない。似合わない気がする。

 曲も弾厚作の曲ではないような印象を受ける。

 そして,岩谷もこんな詞を書くのかと驚きだ。この頃はまだ加山のイメージが固まっていなかったのだろうか。

 加山には『君といつまでも』1)のような歌が似合う。このイメージで決定ではないか。イメージ・チェンジを図ろうということだったのか。

1)「君といつまでも」(昭和40年,詞:岩谷時子,曲:弾厚作,唄:加山雄三)

 

忘れ得ぬ君(2015.7.24)

昭和42年,詞:松崎由治,曲:松崎由治,唄:ザ・テンプターズ

 「ノーノーノー ノノーノノーノー」を繰り返す。歌詞を調べてみると「忘れえぬ君ゆえ・・・」という詞も一部あるようなのだが,印象に残るのは「ノーノーノー ノノーノノーノー」の繰り返しだけ。

 ボーカルもインスツルメンツのひとつとして聴けば,やはりエレキバンドの曲だろう。

 

忘れ得ぬ君(2016.10.27)

昭和42年,詞:松崎由冶,曲:松崎由冶,唄:ザ・テンプターズ

 「ノーノーノーノーノーノーノーノー」の繰り返しから始まる歌。

 意味のある歌詞は非常に短く,「忘れ得ぬ君」のことを思っているようだが,途中から「ノーノーノーノーノーノーノーノー」となる。最後も「ノーノーノーノーノーノーノーノー」の繰り返しで終わる。

 繰り返しと言えば,ジェニジェニ(鈴木やすし),バラバラ(Balla Ball/The Rainbows),マミー・ブルー(Mamy Blue/Los Pop Tops)などを思い出すがマミー・ブルーはもう少し新しい(昭和46年?)ようだ。

 

私の好きなもの(2019.1.13)

昭和42年,詞:永六輔,曲:いずみたく,唄;佐良直美

 「ボサノバのリズム 夜明けの渚」と始まる歌。

更に名詞が羅列され,最後は「あなたが一番好き」と終わる。

レコード大賞新人賞受賞。

繰り返し聴きたいとか,自分で唄いたいとか思わないのは,列挙されている好きなものリストに私が好きなものが少ないからかもしれない。

 

Hello, Goodbye<ハロー・グッドバイ>(2018.7.7)

昭和42年,詞:曲:John Lennon, Paul McCartney,唄:The Beatles

 「You say “Yes”, I say “No”」と始まる歌。

 当時は聴いた記憶がないが,フジテレビ系の『ボクらの時代』のオープニングテーマとして使用されているので聞き覚えてしまった。

 

Massachusetts(2018.6.1)

昭和42年,詞:Barry Gibb, Robin Gibb, Maurice Gibb,曲:Barry Gibb, Robin Gibb, Maurice Gibb,唄:Bee Gees

 「Feel I’m goin’ back to Massachusetts」と始まる歌。

 他所へ行けば夢がかなうんじゃないかとは洋の東西によらず多くの若者が思うことなのだろう。夢破れて故郷に帰りたいと思う者もいつの時代にもいるようだ。

 ビージーズは英国人だがデビューはオーストラリア,この曲は英国で最初に発売されたらしい。後に活動の中心を米国に移しているとのこと。

 この歌は日本ではヒットチャートの1位を獲得しているが米国では最高11位だったとのこと。

 

Simon Says<サイモンセッズ>(2018.12.16)

昭和42年,詞:Elliot Chiprut,曲:Elliot Chiprut,唄:1910 Fruitgum Company

 「Put your hands in the air (Simple Simon  says)  Shake them all about (Simple Simon says)」と始まる歌。

 Simon Saysは子供の遊び(ゲーム?)の名称。親(鬼?)が命令を言うのだが,その前にSimon Saysと言ったときは皆がその命令を実行しなければならない。結んで開いては結んでというと同時に掌を握るが,Simon Saysでは命令が出てからそれに従うので,(ゲームの名前は知らないが)赤上げて白上げないで赤下げて・・というようなものだ。Simon Saysの前置きがない命令に反応したらアウトだし,Simon Saysと言われたのに命令に従わなければこれもアウトだ。

 このゲームはとても面白いから,一緒にやろう,とゲームの説明をする歌。