明治,大正,昭和元年〜,昭和6年〜,昭和11年〜,昭和14年〜,昭和16年〜,昭和21年〜,昭和26年〜,昭和29年〜,昭和31年〜,昭和33年〜,昭和35年,昭和36年,昭和37年,昭和38年,昭和39年,昭和40年,昭和41年,昭和42年,昭和43年,昭和44年,昭和45年,昭和46年,昭和47年,昭和48年,昭和49年,昭和50年,昭和51年,昭和52年,昭和53年,昭和54年,昭和55年,昭和56年,昭和57年,昭和58年,昭和59年,昭和60年,昭和61年,昭和62年,昭和63年〜,その他(不明),平成の歌
昭和46年
愛する人はひとり,愛するハーモニー<I’d Like To Teach
The World To Sing(In Perfect Harmony)>,青いリンゴ,悪魔がにくい,熱い涙,アナザー・デイ<Another Day>,あなたまかせの夜だから,あの素晴らしい愛をもう一度,雨が空から降れば,雨がやんだら,雨のエア・ポート,雨の日のブルース,雨の御堂筋,ありがとう,ある愛の詩<Love Story>,家をつくるなら,イマジン<Imagine>,海その愛,お父帰れや,男,おふくろさん,お祭りの夜,女のくやしさ,風をあつめて,昨日・今日・明日,教訓T,今日までそして明日から,霧の中の二人<As The Years Go By>,暗い港のブルース,グッドバイ・モーニング,月光仮面,恋人もいないのに,子連れ狼,珈琲不演唱,ごめんね,さいはての女,さいはて慕情,さすらいのギター,砂漠のような東京で,サマー・クリエーション<Summer Creation>,さよならをもう一度,さらば恋人,さらば青春,されど私の人生,潮風のメロディ,しおさいの詩,終着駅,少年,17才,純子〔遊び上手なやつに〕,スーパースター<Superstar>,青春の詩,青春のわかれ道,赤色エレジー,戦争を知らない子供たち,空に太陽がある限り,他人船[別れてくれと],旅鴉,出発の歌,誰も知らない,翼をください,天使になれない,遠くはなれて子守唄,時計をとめて,どうしてこんなに悲しいんだろう,ドリフのツーレロ節,ドリフのツンツン節,ナオミの夢,長崎から船に乗って,長崎慕情,夏の日の出逢い<Summer Creation>,夏の誘惑,夏休み,なのにあなたは京都へ行くの,虹と雪のバラード,初恋〔まだあげ初めし前髪の〕,花・太陽・雨,花嫁,春は静かに通り過ぎてゆく,悲恋,ピンポンパン体操,ふたりだけの旅,二人の世界[つめたい風の街で],ふるさとはいつも,プカプカ,望郷子守唄,僕にさわらせておくれ,また逢う日まで,真夏の出来事,マミー・ブルー<Mammy Blue>,水色の恋,みちのく小唄,港の別れ唄,メリー・ジェーン,夢を捨てた女,よこはま・たそがれ,別れの朝,わたしの城下町,Another Day,As The Years Go By,I’d Like To Teach The World To
Sing(In Perfect Harmony),Imagine, Love Story,Mammy Blue,Summer Creation,Superstar
愛する人はひとり(2016.11.27)
昭和46年,詞:阿久悠,曲:筒美京平,唄:尾崎紀世彦
「愛はあの日でやめた」と始まる歌。
「そんな目をして見ても 二度と燃えては愛せない」「愛する人は一人」「だからお前のことを今は少しも愛せない」という歌だ。
こんな経験はないので,歌詞に関しては特に感じるところはない。
ということで当時あまり聴いた記憶は残っていないが,今,この詞を読むと「愛」と『恋』の区別がついていないのではないかと思う。作詞者を見ると阿久悠なので,作詞者に区別がついていなかったのではなく何らかの意図があったのだろうが,私には理解できない。
青いリンゴ(2014.10.11)
昭和46年,詞:橋本淳,曲:筒美京平,唄:野口五郎
「心 こころを しばりあい」と始まる歌。
「青いリンゴを 抱きしめても」という個所が強く印象に残るが,野口に関しては最初は布施明の雰囲気を持つ若手歌手と感じていた。野口五郎は後に郷ひろみ・西城秀樹とともに新御三家と呼ばれるようになる。新御三家の中では野口五郎が最も昔ながらの歌手に近い。
ところで,この歌を聴くまではリンゴは握りしめるものだと思っていた。抱きしめるという発想が私にはなかったが,この歌を聴いた後ではリンゴを抱きしめるという表現も気にならなくなった。耳に馴染んだのだろう。実際,いつの頃からかリンゴのサイズが大きくなり,簡単に握りしめられないサイズのものもでてきた。
悪魔がにくい(2015.3.23)
昭和46年,詞:平田隆夫,曲:平田隆夫,唄:平田隆夫とセルスターズ
「おまえが好きさ 好きなんだ たまらなく好きなんだ」と始まる歌。
「あの日おまえの愛は消えた」とあり,そういう歌だ。何度も「おまえの胸に忍び込んだ悪魔が僕はにくい」とくりかえし,最後もこのフレーズで終わる。
『お前が悪いんじゃない』というのは昔ながらの歌謡曲心情のひとつだが,『悪いのは俺だ』と言わずに『悪魔』のせいにしているところが新しい。『みんな私がわるいのよ』から『他に悪い奴がいるはずだ』と考え方が変わりつつある時代だろう。
歌唱は斬新だ。男女を含むグループでは,それまでは男性グループに一人の女性ボーカルという組み合わせが多かった。男性はバックコーラスの役割としていただけではないか,と書いているうちに『フィンガー5』などの例外を思い出してしまったが,とにかく男女の声が良く聞こえる歌唱が印象に残った。さらに当時はテレビ時代に入って時間が経っているが,強い印象を残したのは女性ボーカルの一人であるみみん・あいの眼鏡だ。彼女以前に強い印象を与える眼鏡をかけた女性歌手を思い出さない。当時はまだ『メガネっ娘』などという言葉はない時代で,眼鏡は否定的なイメージが強かったように思う。もちろん,知的というイメージもあり,先生と呼ばれる職業の女性を表現するために眼鏡が小道具として使われることもあったが,心の温かさを表現する小道具ではなかった。眼鏡をかけた少女主人公と言えば最初に思い出すのが則巻アラレ1)なのでみみん・あいの先進性が解るだろう。アラレちゃんは少女ではなくアンドロイドだったが眼鏡をかけていた。
1)鳥山明:「Dr.スランプ」(週刊少年ジャンプ,昭和55-59年,集英社)の主人公である少女型アンドロイド。テレビアニメになったときには「Dr.スランプアラレちゃん」とタイトルにまで名前が入った。
熱い涙(2017.4.16)
昭和46年,詞:浜口庫之助,曲:浜口庫之助,唄:にしきのあきら
「君の君の君の 熱い熱い涙を 僕の僕の胸に そそいでおくれ」と始まる歌。
それにしてもにしきのはよく動き回り,当時はよくあれで唄えるなと感心していた。後には男性アイドルグループが激しい動きをしていたがにしきのほど声がでているようには見えなかった。にしきの以前で良く動き回ると言えば,尾藤イサオにそのような印象を持っていた。
ところで,同じ言葉を繰り返すのは浜口のくせなのだろうか。なんとなく浜口の詞には同じ言葉を繰り返している詞が多い気がする。
あなたまかせの夜だから(2019.1.15)
昭和46年,詞:青江ひとみ,曲:野村旬平,唄:大木英夫と二宮善子
「ハァ ネオンまたたく街角は 燃える心の交叉点」と始まる歌。
「いつか芽生える恋の花」ということだが,『あ,そう』としか言いようがない。
当時の宴会では,順番だったり新人だったりが宴会芸をさせられることが一般的だったように思う。斬新なアイディアで新芸を披露すれば喝采を受けたが,多くは歌でも唄ってお茶を濁していた。当時は8トラックのカラオケ装置が作られたころで,カラオケ装置が置いてある店はほとんどなかったから,普通はアカペラで唄う。
この歌はこのような席でのデュエット曲としての需要くらいしか私には考えられないが,宴会でこの歌が唄われた記憶はない。ただ,この歌は,ラジオやテレビだと思うが,当時何度も聴いたことがあり,宣伝にはかなり力が入っていたのではないか。
あの素晴らしい愛をもう一度(2011.12.17)
昭和46年,詞:北山修,曲:加藤和彦,唄;加藤和彦と北山修
「命かけてと誓った」らしいのに「心と心が今はもうかよわない」ということだがどういう歌だ。誓いは一時の心の迷いか。簡単に誓いすぎるからこんなことになる。言葉はこんなに軽いのか。
女心と秋の空か男心と秋の空かわからないが,一方は未練を持っているようだ。昔のことを思い出して感傷的なのは男のような気がする。女より男のほうがロマンチストだろう。
「命かけて」の言葉さえなければこの歌は名曲なのだが。
このころ私は理論をやりたいと思っていたのだが,実力のなさも自覚していたのでいろんな講義を聴講した。普通の学生の2倍以上聴講はしたのだが,理解したとはいえない。理論研究ができないので,とりあえず計算をしていた。すでにある理論を現実の問題に適用する仕事だ。最初は6行6列の行列式を計算していた。各成分がx, y, zに関して2次の複素関数である。何10ページにもなる計算を毎日毎日続けていたが,ついにあきらめて計算機による数値計算に逃げた。
当時はメモリや計算時間の制限が厳しく,同じメモリを何度も別目的で使うなど,できるだけ使用メモリを減らし,繰り返しループの中で同じ計算をできるだけしないようにということで,FORTRANプログラム内にマクロアセンブラで組んだサブルーチンを動かしていた。箱単位でパンチカードを窓口に出し,結果が出るのを待ってプログラム修正,再度計算依頼をするという繰り返しだった。それでも京都や東京までパンチカードを送って結果が返送されてくるのを待っていた時代に比べれば格段の使いやすさだった。今ならパソコンでできるレベルの計算だ。
雨が空から降れば(2019.2.7)
昭和46年,詞:別役実,曲:小室等,唄:小室等
「雨が空から降れば オモイデは地面にしみこむ」と始まる歌。
ギターの弾き語りといってよいのでフォークの範疇にはいるのだろうが,メロディは普通の歌とかなり異なるというかメロディがあるのだろうかと思わせる程だ。少なくとも集会で全員で唄おうという歌ではなく,思いを訴えかける歌だ。とはいえメッセージソングのようにスローガンのようなものを連呼する歌でもない。メッセージは「雨の日はしょうがない」ということだけだ。
時不利兮騅不逝の心境なのだろうか。項羽は天運が我に無いことを悟り垓下の歌を作ったのだろうが,別役の思いは何だったのだろうか。
別役は一時学生運動に参加していたが,この詩が作られたのは昭和30年代後半らしいので,60年安保闘争との関係だろうか。小室はこれに70年安保闘争を重ねて唄ったのだろうか。私の考え過ぎかもしれない。
雨がやんだら(2015.8.23)
昭和46年,詞:なかにし礼,曲:筒美京平,唄:朝丘雪路
「雨がやんだら お別れなのね」と始まる歌。
「あなたは あなたは 誰に 誰に 逢いに行くのかしら」とある。これまで一緒に住んでいたが,別れ話がまとまり,この雨が上がったら男は出ていくのだ。女はまだ心を残しているようだが,円満に別れるようだ。別れ話がまとまっても,まだ雨宿りしているのはやや意外だ。
以前の別れの歌は『愛しながらも運命に負けて』1)というタイプが多かったように思う。ところが,このころから同棲期間を経ての別れの歌が増えているような気がする。まだ,一方は心を残しているのだが,携帯電話や電子メールあるいはSNSなどは無い時代だから別れたあとは心で想うしかなかったのだろう。
『同棲時代』の連載が始まったのが昭和47年,昭和48年には梶芽衣子・沢田研二によるテレビドラマ,由美かおる・仲雅美による映画などが作られ,大信田礼子は同名の歌3)を唄った。この時代に同棲がブームになったのは,大家族が完全に崩壊し,昔の『箱入り娘』がほぼ消滅したことと関係があるのだろう。
1)「君は心の妻だから」(昭和44年,詞:なかにし礼,曲:鶴岡雅義,唄:鶴岡雅義と東京ロマンチカ)
2)上村一夫:「同棲時代」(『漫画アクション』,双葉社、昭和47−48年)
3)「同棲時代」(昭和48年,詞:上村一夫,曲:都倉俊一,唄:大信田礼子)
雨のエア・ポート(2018.11.20)
昭和46年,詞:橋本淳,曲:筒美京平,唄:欧陽菲菲
「小雨にぬれているわ エア・ポート」と始まる歌。
「I Love Youと言えないで」とか「明日はよその国」が繰り返されているので,これらが一番の思いなのだろう。去って行く相手は詞にあるように「エトランゼ」か。結局は実らぬ恋だと解っていたのではないかと思うのだが,それでも「夢を追いつづけるわ」と見かけによらず(失礼)いじらしい。このギャップも人気の元のひとつだろう。
昭和47年日本有線大賞受賞。
雨の日のブルース(2019.3.11)
昭和46年,詞:橋本淳,曲:筒美京平,唄:渚ゆう子
「小雨に濡れている夜の 小さな坂道のクラブ」と始まる歌。
歌詞は私が住む世界とは別世界の話だし,書物等で入り込みたいと思う世界の話でもない。しかし,「わたしは一人」とか「耐えている」の箇所など,いかにも筒美らしい曲になっており,自分で唄う気はないが,聴いている分には気持ちよく聴いていることができる歌だ。
雨の御堂筋(2013.2.20)
昭和46年,詞:林春生,曲:ザ・ベンチャーズ,唄:欧陽菲菲
「小ぬか雨降る御堂筋」と始まる歌。欧陽菲菲は第13回日本レコード大賞新人賞を受賞した。日本語を理解しているのかいないのかわからない欧陽菲菲の歌声は新鮮だった。
ベンチャーズはこの頃日本の歌手にいくつか歌謡曲を作曲している。ベンチャーズはエレキブームのはしりだが,ダイアモンド・ヘッドとかパイプラインなどがいわゆるベンチャーズサウンドだと思う。歌謡曲を提供するようになったこのころのサウンドは少し違うようだ。編曲によるのかもしれないと思い,インターネットで聴けるだけ聞いてみたが,いわゆるベンチャーズサウンドを感じさせる「雨の御堂筋」は一つしかなかった。欧陽菲菲の歌入りもインスツルメンツのも目に付き次第聴いたのだが。インスツルメンツのものでも,サウンドが違う。メンバーが違うのか,楽器やアンプが違うのか,録音が違うのかわからないが,初めてベンチャーズを聴いたときのあの感覚を思い出させるものは一つしかなかったのだ。
この歌は大阪を舞台にしているが,ベンチャーズの歌は,なぜ,銀座1),京都2,3)というようなご当地ソングのような歌が多いのだろう。日本で人気が高かったベンチャーズが,日本向けだということを明確にということで地名を入れたのかもしれない。
1) 「二人の銀座」(昭和41年,詞:ザ・ベンチャーズ,厄詞:永六輔,曲:ザ・ベンチャーズ,唄:山内賢・和泉雅子)
2) 「京都の恋」(昭和45年,詞:ザ・ベンチャーズ,訳詞:林春生,曲:ザ・ベンチャーズ,唄:渚ゆう子)
3) 「京都慕情」(昭和45年,詞:ザ・ベンチャーズ,訳詞:林春生,曲:ザ・ベンチャーズ,唄:渚ゆう子)
ありがとう(2019.6.28)
昭和46年,詞:細野晴臣,曲:細野晴臣,唄:小坂忠
「ありがとう きみのきまぐれに ありがとう ありがとう きみのでたらめに ありがとう」と始まる歌。
「くちからでることばは ただありがとう」とは言っているのに対し,「どうも どうも」とも言っているじゃないかと突っ込んではいけないのだろう。
何にも反対せずに「受け入れるふり」をしているうちに「だんだん馬鹿になっていく」となにやら高尚な(奥深い?)精神を表しているような感じは受けるが,なんとなく面倒くさそうな奴だとも感じる。
曲は細野らしく,詞も細野の印象と合致しなくもない。
家をつくるなら(2017.10.14)
昭和46年,詞:松山猛,曲:加藤和彦,唄:加藤和彦
「家をつくるなら」と始まる歌。シングルとして発売されたのは昭和48年。
「草の萌えるにおいのする カアペットをひきたいと」などと,次々と願望を述べる歌。
「太陽を盗んできて おおぶんとランプにして」などと夢物語で現実に家をつくろうと考えているとは思えないが,この歌は住宅メーカーのCMに使われていた。
海その愛(2017.9.4)
昭和46年,詞:岩谷時子,曲:弾厚作,唄:加山雄三
「海に抱かれて 男ならば」と始まる歌。
「海よ 俺の海よ」から始まるサビの部分が強い印象を残す。
弾厚作は言うまでもないが加山の作曲時のペンネームだ。
石原裕次郎や加山雄三ならクルーザーに乗っていても似合うだろうが,私では似合わないだろう。
昭和37年に堀江健一が単身ヨットで太平洋横断に成功した。そのせいか,ヨットは結構人気があったように思う。私もヨットの共同購入に誘われたことがあるが,金もないし,ヨットに乗る時間もない(技術もないが)ので断った。
ボートなら乗ったことがある。大学のボート部主催の素人ボートレースがあり,それにクラスメートと出場したのだ。ボート部の艇庫がある川で,ボートは舵手付きフォアだった。素人なのでボートを借りて事前練習をしたが悲惨だった。船の最後尾に進行方向を向いてコックスと呼ばれる舵手がいる。その前に後ろ向きで1列に漕手が並ぶ。コックスの前に座るのがストローク(整調)で,他の漕ぎ手全員から整調の様子が見えるので,漕ぎのピッチなど,整調に合わせることになる。船の先頭のバウとコックス前のストローク以外の漕ぎ手は前後を他の漕ぎ手に挟まれている。シートは前後にスライドするが,前後の漕ぎ手との間隔はそれほど大きくはない。オールが船の後方に移動したらオールを水から抜き,空中を船首の方向に移動させるのだが,このオールが水から上手く抜けない。オールの深さや角度などの技術的な面もあるだろうし,体力があれば力任せに水から引き抜けるのだろうが,非力な私としては艇の速度が速くなるとオールが水にもっていかれるのだ。
オールの艇内部分は自分の胸に水の力でぶつかって来るし,背中側に居る漕ぎ手のオールは船首方向に回されているのでその艇内部分は私の背中にぶつかってくる。そうすると艇速はがくんと下がり,原因を作った私は胸と背中をオールで強打されるというペナルティを受ける。
痛い思いを何度もしたが,練習の成果があり,我々は優勝した。しかし,才能がないと判断されたのだろう,練習を見てくれていたボート部からの勧誘はなかった。
他にも,先輩と北海道旅行した際,列車の待ち時間に湖でボートに乗ったら,列車が來る時間になるのに,強風が吹いて,漕いでも漕いでも岸に近づかなかった思い出などがある。
お父帰れや(2017.8.5)
昭和46年,詞:白井道夫,曲:真木淑夫,唄:岡林信康
「風に追われて お父が消えた」と始まる歌。
出稼ぎの留守家族の歌である。雪に閉じ込められた田舎にも温かみを感じる所もあるが,この曲は暗い田舎をイメージさせる暗い曲だ。
この詞から受ける印象は10年以上前の印象だ。昭和30年代以前は日本の大部分が貧しかった。ところが高度経済成長で,昔の貧しい農家も,都市近郊では開発のために土地を売った農家の話などもあり,社会の大部分が経済成長を感じていたと思う。しかし,都会から遠く離れた田舎では状況は昔と変わらず,それでも他所の発展を見聞きする機会が増えることから取り残された感を強く持っていたのだろう。
男(2018.9.23)
昭和46年,詞:藤田まさと,曲:吉田正,歌:鶴田浩二
「子供の頃,阿母(おふくろ)に、よく言われました。」と始まる台詞が最初にある。歌は「自分の道は自分で探す」と始まる。1番と2番の間の間奏中にも「咲いた花は綺麗でございます。」と始まる台詞があり,2番と3番の間の台詞は「やはり人間,頼るものは自分ひとりでございます。」と始まる。
鶴田の初期のヒット曲には台詞はないが,前作の『傷だらけの人生』では台詞入りでヒットしたのでこの曲も台詞入りにしたのではないか。(『同期の桜』など台詞入りは他にもある。)
東映で映画化され,その主題歌としても使われた。映画のタイトルは『任侠列伝 男』。
全体としては歌よりも台詞のほうが印象に残る。
おふくろさん(2011.10.2)
昭和46年,詞:川内康範,曲:猪俣公章,唄:森進一
レコード大賞最優秀歌唱賞。
月光仮面の川内らしく,このおふくろさんは息子に「お前もいつかは世の中の,傘になれよと」,「花のこころの潔さ,強く生きろと」さらに「お前もいつかは世の中に,愛をともせと」教えている。
私は,たぶん,この時期,生涯でもっとも勉強したと思う。「勉強」の意味が不適切かもしれないが,要するに物理系の本を読み,人(偉い先生)の話を聴いた。所属する電気系の大学院の授業はもちろん,応用物理の授業にもかなり出ていた。教授のなかに,正規の授業以外に定期的に授業をしてくれる先生がいて,それにも出たし,理学部で高名な先生の特別抗議などがあることを知るとこれにも出かけた。この前後数年は研究室内の正規の輪講のほか,電気の他研究室の輪講,応物の研究室の輪講,有志による自主ゼミなどたくさん出ていたが,電気で半導体をやっている研究室の輪講だけは敬遠した。その研究室の輪講では馬鹿な発言をすると黒板消しが飛んでくると聞いていたからであり,その話が冗談ではないような雰囲気の研究室だったからである。(あとで,チョークを投げつけられるのが正しいということを知った。)単位にならないのもたくさんあったのだが,修士修了時には修了要件の2倍以上の単位があったと思う。
しかし,私の友人はもっとすごい。私は大学院に入ってから理論をやりたいと思い,手始めに計算(すでにある理論を特定の問題に適用する)をやっていたので座学に使える時間が多かったのだが,その友人は実験をしていた。その上で1日1編の論文を読むことを続けていた。
授業はわからないまま済んでしまうものもあったが,輪講で当番に当たったときには解りませんで済むところもあったがこれでは許されないところあった。何をどのように調べ,どのように考え,どこまで言ったのかを示さないと許されない。その上で○○を調べろと宿題になる。自分の番が来るのが遅れるよう,些細なことでも質問して他人の当番を引き伸ばしたものだ。
しかし,本を読めば読むほど自分の無知が解ってくる。このような過程で自分は理論屋にはなれないことを自覚し,実験に再転向することになった。
お祭りの夜(2016.1.5)
昭和46年,詞:安井かずみ,曲:平尾昌晃,唄:小柳ルミ子
「泣かない約束をしたばかりなのにもう涙」と始まる歌。
「あの人あの町へ行っちゃうなんて」と別れの歌である。
少し前ならば文通だけの付き合いになり,この文通も年賀状だけになり,最終的には途絶えてしまうというのが普通のパターンだったのだろう。人々はこのような状況に慣れており,『恋はニキビのようなもの ひとつ消えてもまたできる』1)と逞しく生きる人もいたし,『酒よこゝろがあるならば 胸の悩みを消してくれ』2)と面影が忘れられずにいる人もいただろうが,これも運命だと感じていた人が多かっただろう。
東海道新幹線が昭和39年,名神高速道路は昭和40年,東京・大阪間が高速道路で結ばれたのは昭和44年だ。従ってこの頃から遠距離恋愛の可能性がでてきてはいた。しかし少なくとも一方が田舎住まいなら交通に時間がかかったし,交通費も収入に比べて高かった。遠距離電話も高かったので当時遠距離恋愛していたカップルは月を見て,相手も同じ月を見ていると感じるくらいしかできなかったのだろう。
1)「恋は神代の昔から」(昭和37年,詞:星野哲郎,曲:市川昭介,唄:畠山みどり)
2)「悲しい酒」(昭和41年,詞:石本美由起,曲:古賀政男,唄:美空ひばり)
女のくやしさ(2020.5.7)
昭和46年,詞:鳥井実,曲:猪俣公章,唄:内山田洋とクール・ファイブ
「こんな淋しい女の胸を たたく冷たい夜の雨」と始まる歌。
「日陰花」の「苦労承知で」「耐えてしのんで」きたのに,「一人生きてくこれから先を」と「貴方うらんで泣いた」りするが,「消えぬ貴方の面影に」「心乱れて心乱れて」という歌なので,ウーマン・リブ運動に目覚め或る前の女性の歌のようだ。
古い女に対しては「日陰花」であり続けることができるというのは甘い考えだと忠告したい。古い男に対しては,「うらんで泣」く女だけだと思ったら大間違い。いろんな形で実力報復にでる女性もいるようだから要注意と忠告したい。
このような男女が世の中で一般的だからこのような歌ができるのか,このような歌があるから男女はこのように振る舞うのが普通だと思うのかは鶏と卵の関係だろう。このようにしてジェンダーが再生産されるというのがウーマン・リブ運動の主張のひとつだろう。
ひょっとしたら,単に男の自分勝手な願望を歌にしただけかも知れない。
風をあつめて(2017.5.9)
昭和46年,詞:松本隆,曲:細野晴臣,唄:はっぴいえんど
「街のはずれの 背のびした路次を 散歩してたら」と始まる歌。
松本の詞にしてはイメージがはっきりしていて理解しやすいと感じるが,私とは日本語(特に漢字)の使い方がやや違うように感じる。これが詩人の感性なのかもしれないが,私の感性ではない。「風をあつめて 蒼空を翔けたいんです」などと自分でも使ってみたいようなフレーズもあるのだが。
細野の曲はあまり聴き込んだ曲が無いせいか,私の感性と共鳴する点が少ない。
もちろん,細野がはっぴいえんどやYMOなどで活躍していたことは知っているが,私の感性と合わないということだ。実年齢は大して差がないが,彼は時代の先端を走り,私は時代に遅れて歩いているということか。
昨日・今日・明日(2014.11.22)
昭和46年,詞:阿久悠,曲:都倉俊一,唄:井上順
「何から何までつらい 昨日が終った今日は」と始まる歌。
「明日は今日のために始まる日さ」というのはよく理解できないが,「悲しい話はちぎり窓から捨てたらいいさ」などと前向きな歌だ。本心か強がりかは解らないがウジウジ悩んでいるよりは好感が持てる。
井上のイメージが強いが,私にはこの歌を唄うのが井上がベストだったとは思えない。誰だったら良かったかと尋ねられるとすぐには思いつかないのだが。
教訓T(2019.9.15)
昭和46年,詞:上野瞭・加川良,曲:加川良,唄:加川良
「命はひとつ 人生は1回 だから命を すてないようにネ」と始まる歌。
「御国のためなのといわれるとネ」「にげなさい かくれなさい」という歌だ。
二つの組織が力と力で衝突しようとしているとき,自分が一方の組織に属していながら「逃げよ」というのだ。「男になれ」と言われても,逃げて「そうよあたしゃ女で結構 女のくさったのでかまいませんヨ」と開き直るんだそうだ。今ほど女性の立場が上がっていない時代だったとはいえ,このようなことを堂々という男なのだ。腐っても鯛とおなじく,腐っても女,並の男よりはましだという意味が込められているのかもしれないが,そうは思えない。
組織間の対立がある場合,自分が属する組織に加担するのは当然だとするのは儒教思想だろう。理のあるほうに加担すべきという考えがあるが,理は利と関連していることが多く,対立組織間では利が対立することが多い。中立を保つという選択肢もあるが,これは許されない場合が多い。そのときでも一方に加担したくなければ力で対抗して中立を守るか,逃げるかしかない。しかし,逃げることは問題の先延ばしに過ぎない。逃げている間に問題が解決される保証はない。
昔から多くの賢人がこの問題を考えて来た。力を持つべきだという結論が多いように思うが非暴力の抵抗というのもある。右の頬を打たれたら左の頬を差し出すという考えもある。多くの考えが出たがどれも完全ではないため現代においても紛争がなくならないのだ。
この歌の基になっている考えはいかにも浅い。昔から,言われなくても逃げる人はいた。いまさらなぜ「逃げなさい」と言う必要があるのか。理由らしきものとしては「命のスペアはありませんよ」だが,単に命を長らえることを目指すのではなく,命を何の為につかうのかを考えるべきだろう。逃げて何を目指すのか。
正義につくべきと言う考えもあるだろうが,正義の内容は時と場所で変わる。古来,多くの不正義が正義の名のもとになされてきている。
各自がよく考え行動すべきであってその結果に対する責任は各自がとる。軽々しく他人に『〜しなさい』と言うべきではないし,言われて盲従してもいけない。
今日までそして明日から(2017.9.30)
昭和46年,詞:吉田拓郎,曲:吉田拓郎,唄:よしだたくろう
「わたしは今日まで生きてみました」と始まる歌。
「明日からもこうして生きて行くだろうと」思っているという歌だが,生き延びるために懸命という風でもなく,理想実現を目指して努力している風でもなく,ただ漫然と日々を過ごしていることに一瞬後ろめたさのようなものを感じたが,結局何も変わることなく生きてゆく歌。一瞬これでいいのかと思ったからこのような歌ができたのだろう。
暗い港のブルース(2024.7.27)
昭和46年,詞:なかにし礼,曲:早川博二,唄:ザ・キング・トーンズ
「いとしい人 あなたは今 名前さえ告げずに 海に帰るの」と始まる。
「さよならは 死ねというも同じ」などと珍しくもないフレーズが入っていたりするが,そのせいで短い歌詞でも状況がよく理解できる。これこそがマンネリの効果だろう。
トランペットの音が印象的。
グッドバイ・モーニング(2019.12.18)
昭和46年,詞:庄野真代,曲:なかじまかおる,唄:庄野真代
「ああ 褪せた夕陽に包まれて 今 昔の僕を捨てよう」と始まる歌。
「明日はすべてが変わるだろう 新しい始まりに 朝焼けが 窓を染めたなら 君に告げよう Good-bye morning」が繰り返される。
最初の方に「雨に濡れて届いた別れの手紙も」とあるので,相手から手紙で別れを切り出されたのだろう。その日のことと思われないこともないが,「ああ 時は流れて 今ではもう 君の面影 消えてしまったよ」とあるので,別れの手紙を受け取ってからも長い間受け止めることが出来ずにいたのだろう。ようやく「明日はすべてが変わるだろう」と思えるようになったのだ。
気持ちが変わったなら,今から黙って「Good-bye」すればよいと思うのだが「明日」ときめているようでまだ未練が残っているようだ。だからこそこのような歌を作って未練を断ち切ろうとしているのだろう。という感じの詞だが,曲・唄声は爽やかで吹っ切れているようだ。
自力で解決しようとしているようなのでアドバイスは何もない。時が全てを解決するだろう。
近藤房之助と宇徳敬子が唄ったバージョンはフジテレビ系ドラマ『ウーマンドリーム』のエンディング・テーマとして使用された。
月光仮面(2015.5.29)
昭和46年,詞:川内康範,曲:星勝,唄:モップス
「何処の誰だか知らないけれど 誰もがみんな知っている」と始まる歌。
昭和33−39年にTBS系で放映されたテレビドラマ「月光仮面」の主題歌1)と歌詞はほぼ同じだ。モップス版にはテレビ版『スーパーマン』のパロディのような台詞2)が入っている。台詞の中には「レバ炒めライス」や「マリリンモンロー」なども登場する。
川内は森進一が勝手に台詞を加えて唄った3)とクレームをつけたようだが,モップスにもクレームをつけたのだろうか。こちらはどう聴いてもパロディなので黙認したのだろうか。もっとも私にはエピゴーネン,パスティーシュ,オマージュなどの区別ははっきりしないのだが。作詞者に川内の名前がある以上,本人が承認したと考えるべきなのであろう。
この歌が好きかと尋ねられると困るが,テレビの主題歌のほうが耳に馴染んでいると答えておこう。
1)「月光仮面」(昭和33年,詞:川内康範,曲:三沢郷,唄:ボニー・ジャックス/ひばり児童合唱団),「月光仮面は誰でしょう」と表記される場合もあるようだ。他に小川寛興作曲のものもある。もちろん,小川の曲も星の曲もテレビドラマの主題歌とは関係ない。
2)「スーパーマン」は米国製テレビドラマでTBS系で昭和31年から放映された。その番組冒頭のナレーションの一部である「タマよりも速く 力は機関車よりも強く 高いビルでもひとっ跳び」などを元に手を加えたもの。。
3)「おふくろさん」(昭和46年,詞:川内康範,曲:猪俣公章,唄:森進一)
恋人もいないのに(2015.9.13)
昭和46年,詞:落合武司,曲:西岡たかし,唄:シモンズ
「恋人もいないのに 薔薇の花束抱いて」と始まる歌。
「白い波間に花びらちぎって 恋に別れを告げるため」に出かけたようだ。
関西フォーク系デュオだが歌声に特徴がある。後にはこのような唄い方のアイドルも珍しくなくなったが,彼女たち以前の女性歌手とは少し違った。
今でもそうかもしれないが,一般女性が少し気取って話すとき(例えばかかってきた電話を取るとき・・・当時は携帯電話などなかったので,誰宛ての電話かが不明な場合が殆どだった)普段話している声より5度ほど高い声で話し始める光景をよく見た。つまりよそ行きの声だ。以前の女性歌手は,地声でもよそ行きの声でもなく,歌を唄う別の声で唄っているように聞こえたが,シモンズの歌声はよそ行きの話声で唄っているように聞こえた。
子連れ狼(2013.12.27)
昭和46年,詞:小池一雄,曲:吉田正,唄:橋幸夫
「ルルルルルー」と若草児童合唱団のコーラスをバックに「小高い丘の城跡の崩れかけた東屋で・・・」と語りから始まる。「五ツ目の朝が雨だった」と語りが終わると,「しとしとぴっちゃん」とコーラスが入り,ようやく「哀しく冷たい雨すだれ」と本格的な歌が始まる。第14回日本レコード大賞大衆賞受賞曲である。
小池一夫原作の時代劇漫画「子連れ狼」1)のイメージソングである。漫画と書いたが,より詳しく分類すれば劇画であろう。
当時のことをはっきり思い出せないが,たとえば大学の研究室に漫画本が置いてあることはなかったように思う。電車の中でサラリーマンが漫画を読んでいるようなこともなかったと思う。漫画週刊誌はかなりの種類がでていたのではないか。喫茶店では漫画週刊誌を置いている店もあった。大学生ともあろう者が漫画を読むなんて・・・という気分がまだ残っていたのではないだろうか。しかし,漫画の読者数は確実に増えつつあったのがこの頃だろう。この頃の高校生ぐらいが就職したころにはサラリーマンが漫画を読む姿も珍しくなくなった。少年漫画週刊誌をサラリーマンが読むようになったのだが,当時はまだそのようなことは無かった。恐らく漫画のレベルが上がったのと,大学生やサラリーマンのレベルが下がったのだろう。レベルが下がったというのは,人としてのレベルではなく,文章理解のレベルの話だ。昔はラジオしかなく,ラジオドラマなど耳で聴いていろいろと場面を想像していたのだが,テレビが普及し,映像を伴うドラマなどに慣れすぎ,文字だけでは十分想像力が働かなくなったのではないだろうか。
「子連れ狼」の人気はそれなりに高かったと思うが,映画やテレビアニメになるときの主題歌ならいざ知らず,単にイメージソングとしてヒットしたのは意外だ。後に若山富三郎で映画化,萬屋錦之介でテレビドラマ化されているが,当時はまだ漫画だけしかなかった。主人公の拝一刀に若山や萬屋が最適だとは思わないし橋幸夫はもっと違う。(もし,私がキャスティングするなら栗塚旭か。)にもかかわらずヒットした理由は何か。おそらく歌が大五郎(拝一刀が連れ歩いている3歳の息子)の歌だからだろう。児童合唱団のコーラスも良い。私のような素人だと,主人公の拝一刀の歌にするだろが,原作者でもある作詞者は息子の歌にしたのだ。橋が唄ってヒットしたが,橋でなくてもヒットしたのではなかろうか。もちろん,「この子も雨ン中 骨になる」とさりげなく唄う橋も良いのだが。
漫画アクションの読者以外にも共感されたのだろう。
1) 小池一夫原作,小島剛夕画:「子連れ狼」(昭和45年〜51年,漫画アクション)
珈琲不演唱(2020.3.23)
昭和46年,詞:高田渡,曲:高田渡,唄:高田渡
「三条へいかなくちゃ 三条堺町のイノダっていう コーヒー屋へね」と始まる歌。
「あの娘に逢いに」そして「好きなコーヒーを」というだけの歌だが,たったそれだけの,ほんの,ほんの小さな幸せを感じる。
タイトルどおり,唄うというより朗読しているような歌。タイトルは「コーヒー・ブルース」と読ませている。
ごめんね(2016.12.28)
昭和46年,詞:遠藤実,曲:遠藤実,唄:小林旭
「ごめんね ごめんね 幸福(しあわせ)あげずに」と始まる歌。
「俺も生命(いのち)を賭けてはいるけど 花は咲かない」「苦労かけるね」「ほんとうにごめんね」と哀愁を帯びた小林旭の高音が良い。
さいはての女(2018.1.22)
昭和46年,詞:石坂まさを,曲:彩木雅夫,唄:藤圭子
「惚れてふられた女でも 何で泣きなど見せらりょか」と始まる歌。
「今夜はお酒に お酒にすがりつきたい」と弱い一面をのぞかせはするが,「私の命は 命は燃えてつきない いつまでも」と芯の強い女というか,しぶとい女性を歌っている。このしぶとさは石坂の好みなのだろうか。
さいはて慕情(2016.1.22)
昭和46年,詞:林春生,曲:筒美京平,唄:渚ゆう子
「夜霧にかくれた あの恋は帰らない」と始まる歌。
歌詞は解りやすいし,曲も聴き慣れた感じを受け,聴いていて心地よい。しかし特に感情移入できるというわけではない。BGMとして流れていると,歌詞が明瞭な分,ついつい歌詞を聴いてしまってバックグラウンドにならない。歌詞が聴き取れない歌なら声も楽器の音の一つとして聴けばいいのに,つい歌詞を聴き取ろうとしてしまうのだ。
平成のJポップなど,私には歌詞が聞き取れないものが多い。聞き取れても具体的な場所などのイメージが湧かない場合が多い。視聴者として外国人なども想定し,地名などの固有名詞から想起されるイメージを利用しないこと,あるいはもっと過激に意味などはどうでもよく,雰囲気だけが重要だと考えているのだろうか。
さすらいのギター(2022.6.2)
昭和46年,詞:千家和也,曲:J・リープ・カインド,唄:小山ルミ
「あなたに全てを奪われた私」と始まる。
このフレーズは何度も繰り返されるが,奪われたと言いつつ「恐いけど幸福なのよ」などとも言っている。
千家らしい詞だ。
ただ,『あなたが望むなら 私何をされてもいいわ』1)というのなら未来形だから自分が言われていると妄想を逞しくすることができるが,この歌は「全てを奪われた」と過去形だ。そうなると身に覚えのない私としては私以外の誰かに奪われたと解釈するしかない。その上で「幸福なのよ」と言っているのだから,『よかったね・・・』(勝手にしろ)としか言いようがない。
同じ作詞者の,同じようなテイストの詞でも,受け取り方はかなり違ってしまう。
1) 「青い果実」(昭和48年,詞:千家和也,曲:都倉俊一,唄:山口百恵)
砂漠のような東京で(2015.10.4)
昭和46年,詞:橋本淳,曲:中村泰士,唄:いしだあゆみ
「キザな女と呼ばれても 愛した人のためならば」と始まる歌。
「砂漠のような東京で 貴方一人のしもべとなって」という歌だ。
いしだあゆみの歌声は独特に聞こえる。上手く説明はできないが,マ行ナ行の高音を出すとき,鼻にかかる部分が他の歌手より多いのではないだろうか。この声の違いが「キザ」に聞こえる人がいるかも知れないが,そう聴いてしまうと「しもべとなって」も口先だけという印象になるのではなかろうか。私には「キザ」には聞こえなかった。
この歌は70年代になってからの歌だが,いしだあゆみは60年代末期を代表する歌手の一人だろう。私には60年代の歌に聞こえる。
さよならをもう一度(2019.10.19)
昭和46年,詞:阿久悠,曲:川口真,唄:尾崎紀世彦
「ラララララララ・・・・ いつか逢える きっと逢える さよならは 愛のことばさ」と始まる歌。
この歌が好きか嫌いかと尋ねられると好きではないと答えざるを得ないが,このような歌こそ本物の歌だと思う歌。昭和の後期になると『歌もどき』が多くなってしまった。とはいえ,好きな歌もどきもあるので,歌と歌もどきで優劣をつけるとか,好き嫌いが別れるというわけではない。
当時は「このままいると こわれそうな二人だから はなれるのさ」などという歌詞に何の違和感も持たなかったが,今では『離れる というのは 壊れる』ということではないのか,とツッコミたくなる。「さよならは 愛のことばさ」などというのも,ごまかしているだけだろうと感じてしまう。
さらば恋人(2016.4.24)
昭和46年,詞:北山修,曲:筒美京平,唄:堺正章
「さよならと書いた手紙 テーブルの上に置いたよ」と始まる歌。
堺はザ・スパイダースのボーカル担当だったが昭和45年にスパイダースが解散した。この曲はソロとしての最初のヒット曲ではないだろうか。
「いつも幸せすぎたのに 気づかない二人だった」というのは歌詞として新しいのではないだろうか。
「逢えなくなって初めて知った 海より深い恋ごころ」1)のように失った後に気づくのはよくあるのだが,ほとんどが自分の思いだけで,相手の思いも含めた「気づかない二人だった」というのが珍しい。最後には「悪いのは僕のほうさ君じゃない」と昭和のテイストだが,相手が『幸せだったのに気づいていなかった』ということはどのようにして知ったのだろうか。他人の心の中を勝手に自分で思い込み,「悪いのは僕」と口では言ってはいるが口先だけのように聞こえる。・・・『聞こえる』のは文字で歌詞を読んだときの話で,堺の唄を聴いているときには素直に,心から「悪いのは僕のほうさ」と言っているように聞こえる。
身近なところにある『幸福』に気づかないというのは『青い鳥』2)などにもある。多くの場合,失ってから気づく。これは歌謡曲の典型的パターンの一つだ。
1)「再会」(昭和35年,詞:佐伯孝夫,曲:吉田正,唄:松尾和子)
2)「青い鳥」:(明治41年,モーリス・メーテルリンク)
さらば青春(2012.5.14)
昭和46年,詞:小椋佳,曲:小椋佳,唄:小椋佳
「僕は呼びかけはしない遠くすぎ去るものに」という歌。
小椋佳はこのころ既に「さらば青春」だったかもしれないが,私はまだ青春真っ只中だったつもりだ。(今では)尊敬する大先生に,「君の計算に似た論文が発表されたことが過去に何度もあるが,全て後から間違いだと証明されている」と言われながら,(当時は若気の至りで)内心,シュレディンガー方程式でv/cの1次の項までは正しく計算できる筈だ,と思いながら,計算を続けていた。
吹き荒れた大学紛争の嵐がほぼおさまったこの頃,紛争の成果が何なのか判らないまま,若者社会には閉塞感・無力感があったように思う。「見るがいい黒い水が抱き込むように流れてく」というのは無力感の現われだろうか。小椋佳は自分自身のことも「うつろな輝きだ」と思っていたのだろうか。シンガーソングライターとしてはこれ以後輝いたのだが。
されど私の人生(2020.6.11)
昭和46年,詞:斉藤哲夫,曲:斉藤哲夫,唄:斉藤哲夫
「もうどうでもいいのさ つまらぬことは 考えないで」と始まる。
「心の中は 荒れはてつきて 先を見ることさえ 苦しみを覚える」「まぼろしの道は いつくにもわかれ」どう進めば良いか解らないというのだろう。
最後は「されど私の人生は」と終わるのだが,詞の途中で論理が解らなくなり,結論が理解できない。
フラストレーションに満ちた作者が自己満足の為に思いついた言葉を並べた歌のように感じてしまう。
潮風のメロディ(2016.7.26)
昭和46年,詞:有馬三恵子,曲:筒美京平,唄:南沙織
「潮風に吹かれると 想い出すあなたのこと」と始まる歌。
「もうひとこと言われたら 恋人でいたのに」とかすかに後悔しているかのようだが,今となってはもう遅い。チャンスの女神は通り過ぎてしまったのだ。
南沙織にとっては『17才』1)に次ぐ2曲目である。『17才』のヒットでその続編というつもりなのだろうか。『17才』の関係をそのまま発展させるのではなく,別れた後の歌にしたのは何故だろうか。
(新)三人娘では小柳ルミ子は和風の純正歌謡曲,天地真理は『隣の真理ちゃん』どおり素人っぽい(フォーク系の)唄い方であった。南には明るい和風ポップス系を唄わせるのかと思っていたのに,別れた後により深くなる想いという歌謡曲の定番の一つを唄わせたのは以外だった。
1)「17才」(昭和46年,詞:有馬三恵子,曲:筒美京平,唄:南沙織)
しおさいの詩(2014.2.3)
昭和46年,詞:小椋佳,曲:小椋佳,唄:小椋佳
「汐さいの浜の岩かげに立って」と始まる歌。
私の偏見かもしれないが,小椋佳の詞にはちょっと普通には使わない言葉がさりげなく挿入されている詞が多いような気がする。『こんな言葉,知ってる?』と言われているような気がするのは私のひがみだろうか。
しかし,この歌は全てが平易な言葉で書かれている。情景が眼に見えるようだ。私はやはり景色が見える,あるいは気持ちが手に取るように解るという,解りやすい歌がすきなのだろう。
曲については,能力不足で分析できないが,小椋らしいといえる。この曲のどこが小椋らしいかと尋ねられると説明できないが,小椋の曲だときくと,そうかと納得できる曲だ。「恋でもいい何でもいい」とサビの部分だけ特別なメロディーを持ってくる点なども小椋のよく使う手法のように感じる。
「激しいものが欲しかった」と感じることは,確かにある。そのようなときにはこのような曲よりロックが似合う。
終着駅(2015.6.28)
昭和46年,詞:千家和也,曲:浜圭介,唄:奥村チヨ
「落葉の舞い散る停車場は 悲しい女の吹きだまり」と始まる歌。
率直に言えば,歌詞はよく理解できない。個々のフレーズは理解でき,フレーズとフレーズの接続も理解できるので全体の意味も理解できるのだが,なぜ奥村チヨがこれを唄うのか理解できない。
「今日もひとり 明日もひとり 過去から逃げてくる」女の「吹きだまり」の歌だということは明らかだが,歌い手はどのような立場なのかが理解できないのだ。雰囲気では歌い手も「過去から逃げて」きた女の一人なのだが,「逃げて」きた女を眺めているようにも感じられる。しかし擬人化された「停車場」が眺めているとも感じられない。
詞は十分理解することはできないが,好きなタイプの歌だ。私なら奥村チヨのベストソングに選ぶ。奥村チヨというと『恋の奴隷』1)のような歌を唄う歌手のイメージだったが,イメージが変わった。
1)「恋の奴隷」(昭和44年,詞:なかにし礼,曲:鈴木邦彦,唄:奥村チヨ)
少年(2018.2.8)
昭和46年,詞:浅川マキ,曲:浅川マキ,唄:浅川マキ
「夕暮れの風がほほを撫でる いつもの店に行くのさ」と始まる歌。
「何処で暮らしても同じだろうと わたしは思っているのさ」と言ってはいるが,悟りをひらいての話ではなさそうだ。惰性で生きているようで,唄い方も投げやり(風)だ。しかし,わたしのこころに なにがある」と自分でも明確に理解できない何かがあるのだ。
社会を変えようとしても簡単には変わらないと実感し,挫折感を持っているのだろうか。
17才(2017.2.1)
昭和46年,詞:有馬三恵子,曲:筒美京平,唄:南沙織
「誰もいない海 ふたりの愛を確かめたくて」と始まる歌。
南沙織のデビュー曲で,第13回日本レコート大賞新人賞受賞。
「好きなんだもの 私は今 生きている」と当時は何気なく聞いていただけなのに,耳に残っている。当時の私は若かったからか,生きているのは空気の存在のように自明のことであり,自分が生きているなどと考えたことはなかった。
今,この詞からは充実した若者を感じるが,自分自身を振り返ってもこのように充実していた時期が思い出せない。私の青春時代は『道に迷っているばかり』1)だったが後悔しているわけではない。
有馬の詞では幸せに感じている状態の詞をいくつも2)思い出す。有馬はリア充人生を送ったのであろうか。幸せとは感じられない詞で思い出すのは『積木の部屋』3)くらいだ。
1)「青春時代」(昭和51年,詞:阿久悠,曲:森田公一,唄:森田公一とトップギャラン)
2)例えば「小指の思い出」(昭和42年,詞:有馬三恵子,曲:鈴木淳,唄:伊東ゆかり)。「初恋の人」(昭和44年,詞:有馬三恵子,曲:鈴木淳,唄:小川知子)などは現在の話ではないが十分良い想い出で,思い出すだけでも幸せだろう。
3)「積木の部屋」(昭和49年,詞:有馬三恵子,曲:川口真,唄:布施明)
純子(2016.6.17)
昭和46年,詞:遠藤実,曲:遠藤実,唄:小林旭
「遊び上手なやつに だまされていると聞いた」と始まる歌。
「風は話をつくる だから噂はきかない」「便りをおくれ」という歌だ。
10文字4行の詞だ。珍しい気がするが他の歌でも同様な詞があるのだろう。「遊び」の「び」と「やつに」の「に」などを2倍に延ばすと12拍になり,1行が3拍子なら4小節,4拍子なら3小節,6拍子なら2小節になる。というのは嘘で,「遊び」の「あそ」や「やつに」の「やつ」は一拍で唄われているようだ。
ということで私には分析できないのだが,なぜかこの歌は小林旭によく合った歌だと感じる。
小林旭や沢田研二ですら中年になると体型が変わるのだから,私など当然だと,郷ひろみなどと比べて親近感を感じている。
青春の詩(2017.9.18)
昭和46年,詞:吉田拓郎,曲:吉田拓郎,唄:よしだたくろう
「喫茶店に彼女とふたりで入って コーヒーを注文すること ああ それが青春」と始まる歌。というより1番はこれで全てだ。数え方がよく解らないが,このような数え方をすると私が見た歌詞では26番まである。いろんな青春を挙げ,「ああ それが青春」と締める。
最後には「さて青春とはいったい何んだろう」と始まる長いフレーズがある。どうも結論は「大人よりたくさんの時間を持ってる」ということのようだ。「この貴重なひとときを僕たちは青春と呼んでもいいだろう」とまとめている。
いろんなことをやってみたい,時間は十分にある。とはいえ,金は無いし,すべてをやるにはやはり時間が足りない。どれにしようと選択に手間取っているうちに時間切れとなってしまうのが青春かもしれない。
青春のわかれ道(2019.5.31)
昭和46年,詞:北山修,曲:杉田二郎・北山修,唄:ジローズ
「二人は見つめあい 渚で別れたの」と始まる歌。
今思えば「僕はあの時 大切な何かを 失ったよな 気がするさ」と型どおり想い出の美しさと後悔を歌う。
しかし,ジャンジャカ・ジャンジャカとコードを弾くギターがうるさく,心から後悔しているというより,こういうこともあったなあと単に思い出しているだけのような気がする。あのとき別れなければ今頃どうなっていただろうと漠然と思っているだけのような。きっと今はそれなりに幸せなのだろう。
それでは歌にならないとでも思って「今年も来たさ 思い出をさがして」などと書いてみたのかもしれないが,曲が軽いので深刻さは感じられない。
赤色エレジー(2017.6.1)
昭和46年,詞:あがた森魚,曲:八州秀章,唄:あがた森魚
「愛は愛とて何になる 男一郎まこととて」と始まる歌。
これで始まるというか,メロディーはこれだけの部分が繰り返されるので,これが1番の歌詞と言える。曲としては昔の演歌師がバイオリンを弾きながら唄っているイメージで,竹久夢二の絵などが脳裏に浮かぶ。これは「昭和余年」を「昭和4年」と聞き間違えたことも原因のひとつかもしれない。
林誠一の劇画「赤色エレジー」(ガロ,昭和45−46年)をモチーフに作られた曲。この劇画は同棲中の二人を描いたもので,主人公は「幸子の幸はどこにある」と歌詞にあるように,「一郎」と「幸子」である。
作曲もあがたなのだが,八州の『あざみの歌』1)の一部と酷似していたのでレコード会社の判断で八州作曲となったらしい。
1)「あざみの歌」(昭和28年,詞:横井弘,曲:八州秀章,唄:伊藤久男)
戦争を知らない子供たち(2012.9.2)
昭和46年,詞:北山修,曲:杉田二郎,唄:ジローズ
「戦争が終わって僕らは生まれた」という歌。ジローズは第13回日本レコード大賞新人賞を受賞した。
一応,反戦歌ということだろう。当時の戦争ならやはりベトナム戦争だろう。反戦とはいっても「平和の歌をくちずさみ」という程度の行動しかできない。当時は戦争を身をもって知っている戦中世代が世の中を動かしていた。北山修は昭和21年生まれだから戦後世代だ。米国の反戦フォークは仲間が・友人が派兵されていたのでより直接的な歌詞が多いが,この歌は「ベトナム戦争に反対すべきだ」という観念だけが先行している歌のようだ。戦中派に「俺たちは戦争を経験した」といわれると何も言い返せない世代で戦争に反対すべきだとは思うがどうしたらよいかわからない世代。もう少し後の世代はもう少し前の世代のアジテーションにのせられ,観念を基に行動を起こしたように感じる。
空に太陽がある限り(2015.1.9)
昭和46年,詞:浜口庫之助,曲:浜口庫之助,唄:にしきのあきら
「愛してるとても 愛してるほんとに」と始まり「愛してる 愛してる 空に太陽がある限り」と終わる。「愛してる」を何度も連呼する歌。もちろん,永遠の愛を誓う歌であって,昼は愛しているけど夜は知らないという意味ではないだろう。
私が古い人間からだろうか「愛してる」なんて言葉は会話で口にしたり耳にしたりする言葉ではなく,歌の中にだけ出てくる言葉だ。外国語の翻訳っぽくて日本語として不自然に感じる。日本語なら都都逸にも『戀という字を分析すれば糸し糸しと言う心』とあるように『いとおしい』ではないだろうか。相手との関係に応じて,動詞や形容詞などが多数ある。『恋しい』『慕う』『惚れる』,ごちゃごちゃ考えずに『好きだ』でいいではないか。
もっとも,『私は肉まんが好きだ』のように『好きだ』には対象が比較的容易に手にはいりそうな感覚はある。しかし『こよなく酒を愛する』のように,「愛」は対象の限定が少ないように思う。『酒』ならば種類を問わずということだ。「愛」は『人類愛』『郷土愛』などのように対象の範囲が広く感じる。
まあ,これだけ「愛してる」を連呼されるとある意味爽快でもある。
他人船(2016.8.28)
昭和46年,詞:遠藤実,曲:遠藤実,唄:小野由紀子
「別れてくれと云う前に 死ねよと云ってほしかった」と始まる歌。
「ああ この黒髪の先までが」など,詞もメロディーも昭和30年代のイメージだ。私などにはそこがいいのだが,古臭いと感じる人もいるだろう。私自身も当時の流行に引きずられ,フォーク系の歌を聞いてしまっていたが,アマチュアのような歌い手が唄った歌の多くは忘れてしまった。
演歌には黒髪がよく似合う。
尚,この歌は昭和40年に三船和子が唄った歌のカバー盤だ。
旅鴉(2017.6.26)
昭和46年,詞:藤田まさと,曲:遠藤実,唄:五木ひろし
「百里千里を歩いても 歩くだけでは能がない」と始まる歌。
「やくざな仁義沙汰」という歌で,五木には合わないように感じるが,テレビドラマ『長谷川伸シリーズ』の主題歌なのでこのような詞になるのかもしれない。
出発の歌−失われた時を求めて−(2015.2.16)
昭和46年,詞:及川恒平,曲:小室等,唄:上條恒彦と六文銭
「乾いた空を見上げているのは誰だ」と始まる歌。
「さあ 今 銀河の向こうに飛んでゆけ」と壮大な出発(たびだち)を唄っている。「さあ今 宇宙に さあ今 未来に」というわけだ。歌唱も大型ロケットで「宇宙に」飛び立つのを見るように壮大だ。
誰も知らない(2014.3.20)
昭和46年,詞:岩谷時子,曲:筒美京平,唄:伊東ゆかり
「このままで帰ろうかふり向こうか」と始まる歌。後に続く詞を聴くと,少し軽快すぎるようにも感じるが,「ああ誰も知らない出来事だから 別れがとてもとてもつらくて」の箇所など伊東の良いところがでていて流石筒美だと思う。
私が感じる伊東のよいところとは『小指の想い出』の『しのんでみるの』とか『いけないひとね』の箇所,あるいは『恋のしずく』の『そしてあなたのあなたの言葉を』の箇所などだ。
1) 「小指の想い出」(昭和42年,詞:有馬三恵子,曲:鈴木淳,唄:伊東ゆかり)
2) 「恋のしずく」(昭和43年,詞:安井かずみ,曲:平尾昌晃,唄:伊東ゆかり)
翼をください(2015.10.25)
昭和46年,詞:山上路夫,曲:村井邦彦,唄:赤い鳥
「今 私の願いごとが叶うならば」と始まる歌。
中学生くらいが,クラス対抗の合唱コンクールなどで唄うには最適な歌ではないだろうか。私が審査員で,『ラブマシーン』1)と「翼をください」の2曲が唄われたら,選曲としては「翼をください」に一票を与えるだろう。
子供の頃,ときどき空を飛ぶ夢を見た。誰かが私の夢を分析するといやなので,夢の詳細ではなく,空を飛ぶことについて考えてみる。
先ず,バンジージャンプやスカイダイビングのように高所から跳び下りるのは,いくら安全が保障されていても願い下げだ。
次に飛行機のような科学技術でその飛行原理が裏付けられた技術を利用する飛行に関しては,そのような技術があれば必要に応じて利用すればよいという立場だ。ハンググライダーなどの必要を感じたことは今までない。私がライト兄弟のように飛行機を完成させようと努力することもないだろう。もし私がイカロスだったら,翼は幽閉場所からの脱出には利用するが,太陽に近づいてみようとは思わないだろう。ヴェルヌのように砲弾に詰められ月にまで行ってみようとも思わない。
もう少し違う飛行具もある。西遊記に出てくる孫悟空の筋斗雲,空飛ぶ絨毯,天女の羽衣,魔女の箒,スーパージェッタ―の反重力ベルト,ドラえもんのタケコプターなどは使えるならば使ってみたいと思う。これらにも訓練は必要かもしれないが,これらのような道具を使わなくても飛行できる術を身につけられたらという憧れはある。久米仙人や役行者のような飛行術,ドラゴンボールに登場する地球人クリリンらの舞空術などである。しかし,ドラゴンボールの多くの登場人物やスーパーマンなど宇宙人で飛行能力を持つ者は,うらやましいとは思うが,同じようになりたいと願うほどではない。
天使や鳥のように羽があって飛べるのは夢ではある。翼はハチドリのようにせわしなく動かしたくはない。アホウドリやコンドル,大鷲や鳶などのように,ゆったりと飛びたい。
夢の中の私は,自分の技術で飛んでいたが,緊張しつつ飛ぶのではなく,リラックスして飛んでいた。方法は上記のいずれでもない方法だ。現在の物理学では説明できないであろう方法だった。
1)「LOVEマシーン」(平成11年,詞:つんく♂,曲:つんく♂,唄:モーニング娘
天使になれない(2020.11.17)
昭和46年,詞:阿久悠,曲:都倉俊一,唄:和田アキ子
「今日まで賭けた 愛が 音をたてて くずれて行く」と始まる。
「笑って 話せ」とか「涙 かくせ」とか言われるのに対し,「とてもそれは できないわ 愛はあまりにも 私を傷つけた」という歌。そんなことができるのは天使だけで私は「とても天使に なれないわ」という訳だ。
遠くはなれて子守唄(2013.8.20)
昭和46年,詞:神坂薫,曲:野々卓也,唄:白川奈美
「ねんねん坊やの住む里はこがらし吹いてる山の村」と始まる歌。薄幸の女性が,別れて暮らす子供のことを思いつつ歌っている歌である。子供が山の村に住んでいるということは実家で面倒を見てもらって,自分は都会で働いているのだろう。
このような歌がヒットするというのは,このような女性が多かったのだろうか,あるいは多いと感じられていたのだろうか。
なぜだか分からないが,私の頭の中に「みなしごハッチの服を見て 着せてやりたや・・・」という歌詞が残っているのだが,今,歌詞集等を見ても載っていない。どうしてこのような詞が頭に浮かぶのだろう。
時計をとめて(2020.1.14)
昭和46年,詞:水橋春夫,曲:水橋春夫,唄:ジャックス
「二人が見つけたこの恋を 離したくないいつまでも」と始まる歌。
Wikipediaによればジャックスは昭和44年に解散している。同じ記事にこのレコードの発売は昭和46年と記載されており,解散後発売されたのか誤植なのかはよく解らない。You Tubeにこの曲があるがそこには昭和44年とある。
詞はハッピーソングなのだが,曲はよく言えば穏やか,私の印象では陰気な曲だ。
自分達以外は眼中にないように感じられ,私からすれば勝手にどうぞという感じだ。
どうしてこんなに悲しいんだろう(2017.2.25)
昭和46年,詞:よしだたくろう,曲:よしだたくろう,唄:よしだたくろう
「悲しいだろう みんな同じさ」と始まる歌。
「自由になると 淋しいのかい」と自問し,「人にもまれて 皆の中で 生きるのサ」とは言っては見たが,「いつもの様に 心を閉ざしている僕サ」と心が揺れている。
内省的な青年が陥りやすい心情かもしれないが,戦後しばらくの間はこのようなことを考える余裕もなく,生きることに精一杯だったのではないだろうか。高度成長が続き,生活に余裕がでてきたことからこのような心の動きが歌になるようになったのではないか。ニュー・ミュージックはシンガー・ソング・ライターという歌作りの形態も新しいが,従来は歌われることがなかった(あったかも知れないがヒットしなかった)詞の内容が私の中でのニュー・ミュージックの特徴だ。
ドリフのツーレロ節(2020.5.22)
昭和46年,詞:なかにし礼,曲:不詳,唄:ザ・ドリフターズ
「ツーツーレロレロ ツーレーロー ツレラレトレ ツレトレシャン ツレラレトレ シャシャンコ シャン シャン シャン」と始まり,この掛け声は何度も繰り返される。
まとも?な歌詞は「僕があの娘を 見そめた時は」と始まる。
いろいろあったが,「何とか僕の妻」となったまでは良かったのだが,「ガキが出来たら」「角まるだし 山の神」となったというオチ。
下品というと言い過ぎかもしれないが,上品とは言えないコミック・ソング。
元歌は台湾民謡らしい。これを美ち奴が『シャンラン節』1)のタイトルで出したのだが,使われている掛け声から『ツーレロ節』との別名がついた。昭和35年には小林旭も唄っている2)。
1) 「シャンラン節」(昭和18年,詞:村松秀一,曲:長津義司,唄:美ち奴)
2) 「アキラのツーレロ節」(昭和35年,詞:西沢爽,曲:遠藤実,唄:小林旭)
ドリフのツンツン節(2016.3.12)
昭和46年,詞:なかにし礼,曲:不詳,唄:ザ・ドリフターズ
「僕は可愛い小学生」と始まる歌。最初や各フレーズごとに「ツンツン」と合いの手のように入る。
ストーリーがあるが展開が早く,受験生を経てサラリーマン,さらに失業し,婿養子になったのだが離婚まであっという間に進む歌。「思えば理想は高かった ツンツン だけど現実低かった ツンツン」ということだ。
これより前に坂本九が唄ったバージョン1)があるが,こちらは高校生からのスタートで,最後は子子孫孫まで母校に通うという夢になっている。ドリフの方がよりコミカルな歌詞になっている。
1)「九ちゃんのツンツン節」(昭和38年,詞:坂本九,曲:不詳,唄:坂本九)
ナオミの夢(2016.9.29)
昭和46年,詞:Tirzah Atar,訳詞:片桐和子,曲:David Krivoshai,唄:ヘドバとダビデ
「ひとり見る夢は素晴らしい君の踊るその姿」と始まる歌。
「ナオミCome back to me」と何度も繰り返される。
Hedva & Davidはイスラエルのデュエット・ペア。原曲はヘブライ語でタイトルは「ANI HOLEM AL NAOMI」。
Naomiは旧約聖書にも登場するそうで,女性の名前として欧米ではポピュラーなものの一つらしい。
曲は歌謡曲とは全く異なる。以前聴いていた60年代のアメリカン・ポップスとも違う。日本のグループ・サウンズならこんな曲を唄いそうという曲で,違和感なく聴けた。
長崎から船に乗って(2016.2.14)
昭和46年,詞:山口洋子,曲:平尾昌晃,唄:五木ひろし
「長崎から船に乗って神戸に着いた」と始まる歌。
2番は「横浜から船に乗って別府に着いた」,3番は「函館から船に乗って東京に着いた」と始まる。どこでも「女が泣いてます」という歌だ。
私が知っている山口洋子のヒット曲の歌詞は他の歌も含めて陳腐な言葉を斬新な方法で並べているように感じる。配列の斬新さが乏しい場合,陳腐な内容だけが心に残るが,安心して聴くことができるとも言える。
長崎慕情(2014.5.2)
昭和46年,詞:林春生,曲:ザ・ベンチャーズ,唄:渚ゆう子
「丘に登れば外人墓地あたり」と始まる歌。
典型的な歌謡曲になってしまっていて,ベンチャーズらしさが感じられない。私にとって詞は悪くない。曲も悪くない。歌唱も悪くない。しかし,組み合わせは平凡だと感じてしまう。インパクトのあるヒット曲をつくるのは難しい。
夏の誘惑(2017.3.23)
昭和46年,詞:北公次,曲:鈴木邦彦,唄:フォーリーブス
「ごらんあの海 あふれた海を」と始まる歌。
男性アイドルグループで有名なジャニーズ事務所の初代?アイドルグループがジャニーズで,ジャニーズのバックダンサーズだったメンバーでフォーリーブスが結成されたのは昭和42年である。GSの人気が下降する時期に人気が上昇,トップアイドルグループとなったが,私はあまり興味を持たなかった。
なのにあなたは京都へ行くの(2013.11.21)
昭和46年,詞:脇田なおみ,曲:藤田哲朗,唄:チェリッシュ
「私の髪に口づけをして」と始まる歌。チェリッシュのデビュー曲である。
「永遠の愛をわたしに誓った」のにあなたは京都へ行ってしまうという。「京都の町はそれほどいいの」との怨み節だが,梶芽衣子などとはちがってチェリッシュの歌声は爽やかであるが,詞に引きずられてか,悦っちゃんの声も少し重い。47年・8年頃になるとチェリッシュのメンバーが替わったこととは無関係だと思うが,悦っちゃんの爽やかさが全開になる。
それにしても,あなたの行く先が京都というのは新趣向だ。戦国時代は多くの武将が京を目指したかもしれないが,その後は東京が多くの人の憧れだったのだろう。10年前の歌なら,ほとんど東京を目指して行ったのではないだろうか。ご当地ソングと言っていいのかどうかわからないが,地方を舞台にした歌もあったが,ほとんどが旅の思い出だったような気がする。基本的には『青年は東京を目指す』という姿勢だったのが,変わってきて地方を目指す歌もでてきたのだ。もっとも京都を地方とは呼ばないだろうが。
なのにあなたは京都へゆくの(2017.8.21)
昭和46年,詞:脇田なおみ,曲:藤田哲朗,唄:チェリッシュ
「私の髪に口づけをして『かわいいやつ』と私に言った」と始まる歌。
チェリッシュのデビュー曲。
「京都の町はそれほどいいの」などの箇所の発声が後の松井悦子の発声に比べて苦しそうに聞こえるのだが,わざとそのように唄っているのだろうか。後の松井の声はもっと澄んで伸びやかに聞こえた気がするのだが。
夏休み(2015.11.17)
昭和46年,詞:吉田拓郎,曲:吉田拓郎,唄:よしだたくろう
「麦わら帽子はもう消えた」と始まる歌。
過去の夏休みの思い出を列挙している歌と言ってよいのだろう。子供の頃は夏休みが待ち遠しかった。今では状況は変わってしまったが,それでも夏が近づくと夏休みを待ってしまう,というところだろうか。まとまった夏休みをとれる境遇なのだろうか。
よくは解らないが,何となく,子供時代を懐かしんでいるように感じる歌。
虹と雪のバラード(2013.4.24)
昭和46年,詞:河邨文一郎,曲:村井邦彦,唄:トワ・エ・モワ
「虹の地平をあゆみ出て」と始まる札幌オリンピックのテーマソング。オリンピックは昭和47年2月の開催である。他にも多くの歌手が唄ったが,トワ・エ・モワが唄った歌が最もヒットした。「生まれかわるサッポロの地にきみの名を書くオリンピックと」あり,オリンピックが主体なのだろうが,札幌の印象のほうが強い歌だ。「町ができる美しい町が」とあるのも札幌の印象を強めている一因だろう。
札幌オリンピックはアジアで始めて開催された冬季オリンピックである。このオリンピックでの記憶はジャンプである。笠谷・金野・青地が金・銀・銅と表彰台に3人の日本人選手が並んだ。米国のフィギュアスケート選手ジャネット・リンの人気が高かった。尻餅をつき銅メダルだったが,
ベトナム戦争に反対する米国の若者たちの間で流行っていたLove and Peaceを日本に広めたのはいつも笑顔のジャネット・リンだと言ってもよいのではないか。人差し指と中指を立てるサインを『Vサイン』と呼んでいたのを『ピースサイン』に変えたのがジャネット・リンではなかろうか。もっとも『ピースサイン』と言い始めたのはチャーチルだという話も聞いたように思うので,『ピースサイン』という言い方は昔からあったのだろう。
初恋(2015.7.26)
昭和46年,詞:島崎藤村,曲:若松甲,唄:舟木一夫
「まだあげ初めし前髪の」と始まる有名な藤村の詩に曲をつけたもの。
この詩が掲載された『若菜集』は明治30年に春陽堂から出ている。
西洋では,リンゴはアダムとイブの時代からあったのだろうが,日本の「林檎」も平安時代から知られていたらしい。日本のリンゴは小さな観賞用のものだったそうで,食用の西洋リンゴが輸入されたのは明治4年とのことだ。藤村の生年が明治5年だから,藤村25才以前の作であることは確かだが,藤村の初恋は何才のときのことだろうか。この林檎は西洋リンゴだと感じるが,その頃リンゴの樹があったというのは何処だろうか。かなり新しい物好きの家だったのだろう。また,藤村はアダムとイブの話を意識していたのだろうか。
背景の詮索はさておき,藤村の時代の初恋はこのような形が典型的だったのだろう。そして,この歌が読み続けられていた時代の初恋も同様だったのだろう。
花・太陽・雨(2020.6.21)
昭和46年,詞:岸部修三,曲:井上尭之,唄:PYG
何かおどろおどろしき前奏?に続いて「よろこびの時 笑えない人 色のない花 この世界」と始まる。
最初は「にくしみだけの さかさまの愛」などとよく解らないことを言っているが,最後は「悲しみの日をよろこびの日に」と変り,「花・太陽・雨」を繰り返して終わる。
PYGはザ・タイガース,ザ・テンプターズ,ザ・スパイダースのメンバー有志?が集まってできたバンド。ツインボーカルがジュリーとショーケンという,少し前なら夢のまた夢というようなメンバーのバンドだったが,メンバーのソロ活動もあり,グループとして長続きはしなかった。
元々,GSブームの頃歌わせられてきた曲には不満があり,このような曲を唄いたかったのかもしれないが,かってのGSファンには難解すぎるのではないか。これでは過去の栄光頼りによるヒットは期待できないだろう。
花嫁(2015.4.29)
昭和46年,詞:北山修,曲:端田宣彦・坂庭省悟,唄:はしだのりひことクライマックス
「花嫁は夜汽車にのって とついでゆくの」と始まる歌。
親の反対を振り切って,駆け落ち同然の結婚のように感じられる。
当時は親の決めた相手との見合い結婚というのは珍しくなかった。親が決めたわけでなくても,親が結婚を許可する前に興信所を使って相手方を調査するということが普通に行われていた。就職の場合も同様に興信所等の調査があった。友人などの調査に訪れた興信所の調査員に,できるだけ友人が有利になるように話をしようとしても,相手はプロフェッショナル,ちょっとした言い回しから思わず私の本音が漏れてしまったのではないかと反省することが何度もあった。
この歌の主人公は「何もかも 捨てた花嫁」であり,「帰れない 何があっても」と自ら退路を断つことを決断したのだろう。
最近タレントやスポーツ選手の離婚報道をよく目にするように思う。これにつられて一般人の離婚も増えているのではないだろうか。やり直しの効く人生を求める社会があることも理由の一つだが,恐らく(学校だけではない)教育の成果なのであろう。終身雇用が崩れていく時代である。永久就職という言葉も失われてしまった。
子供の頃から自由・平等を教えられてきた世代では大人になっても自由・平等を信じてしまう人間が次第に増えてくる。自由・平等の意味を理解していないまま弱肉強食の世界になってしまう。その結果人々は勝ち組と負け組に二極化する。全員に同じルールが適用されれば,一見平等だが,そのルールで負ける者は常に負け続ける場合もあるのだ。
春は静かに通り過ぎてゆく(2020.2.10)
昭和46年,詞:谷村新司,曲:谷村新司,唄:ロック・キャンディーズ
「飛び去る鳥に想いを乗せて あなたのもとへとどけて欲しい」と始まる歌。
「傷つき疲れた私の腕の中を 春は静かに通り過ぎてゆく」と何度も繰り返されるので,これが主題だろう。
「今 よみがえる 心の奥に 行くなと叫ぶ言葉もむなしく」とあるが,叫んだのは誰だろうか。
いずれにせよ「傷つき疲れた」のは私だ。夢を追ったがなかなか実現しないのだろう。夢はかなわないから夢なのかもしれない。
悲恋(2020.4.18)
昭和46年,詞:川内康範,曲:中村泰士,唄:内山田洋とクール・ファイブ
「あゝいまさらどうにもならないわ どうにもならぬと知りながら」と始まる歌。
「うろたえながらも 意地を張り 涙を枯らして」など,こんな歌詞を誰が書くのかと思うが,川内だと知って納得だ。
繰り返される「どこにいるの どこにいるの あなたはいない」の箇所では,詞と曲と前川の唄がよく合っていると感じる。
ピンポンパン体操(2015.12.10)
昭和46年,詞:阿久悠,曲:小林亜星
「ズンズンズンズン ズンズンズンズン ピンポンパンポン」と始まる歌。有意な歌詞は「とらのプロレスラーはシマシマパンツ」からだろう。ほかに「カバの忍者」,「わにのおよめさん」が登場するほか,「でんぐりかえってモグラちゃん」などと並んで「王選手」も登場するほか,「はしれはしれキンタロー」と『コウタロー』1)の親戚かもしれない名前も登場する。
フジテレビ系で放映されていた「みんなであそぼうピンポンパン」2)で使われた。このころ私が住んでいた地域では,盆踊りの際にこの曲もかかっていた。振り付けはテレビのこの体操と同じだった。
1) 「走れコウタロー」(昭和45年,詞:池田謙吉/前田伸夫,曲:池田謙吉,唄:ソルティー・シュガー)に登場する競走馬。
2) 同番組のタイトルは「ママとあそぼうピンポンパン」だったが,当時の1年強の間,「みんなであそぼうピンポンパン」として放映されていた。
ふたりだけの旅(2017.12.30)
昭和46年,詞:北山修,曲:端田宣彦,唄:はしだのりひことクライマックス
「あなたと私が(一緒に)くらせるお家を(さがして)」と始まる歌。
目の前の相手のことしか見えていない詞に感じられる。自分や相手の家族のことも,社会の諸問題も眼中にない。一見ハッピーそうでいいんじゃないかとも思うのだが「今は小さな幸せ求めて」というのは,本当はもっと大きな幸せを求めたいと言う気持ちを抑えてしまっているんだろうか。
今やらないと一生できないぞ。少年よ大志を抱け。
二人の世界(2019.4.8)
昭和46年,詞:山田太一,曲:木下忠司,唄:あおい輝彦
「つめたい風の街で ぼくは君と会った」と始まる歌。
TBS系テレビドラマ「二人の世界」(竹脇無我,栗原小巻ほか)の主題歌。ドラマは昭和45年12月にスタートしたが,レコード発売は2月になってから。
「二人の世界があるから だから強く生きるんだ」と人生に前向きな歌。
ふるさとはいつも(2017.7.19)
昭和46年,詞:吉岡治,曲:かとう哲也,唄:美空ひばり
「まぶたをとじて 想い出してごらん 君の故郷の あの山や川を」と始まる歌。
私には月並みな詞に聞こえ,曲もひばりには合わないように感じられる。高学年用の唱歌のように感じてしまう。もちろん唱歌には大した歌がないというつもりはないのだが。
プカプカ(2019.8.17)
昭和46年,詞:象狂象,曲:象狂象,唄:ザ・ディランU
「俺のあん娘はたばこが好きで いつもプカプカプカ」と始まる歌。
当時は飲食店や列車などに禁煙席はなかったのではないだろうか。近距離運行のバスや電車では喫煙の印象は薄いので,これらでは当時既に禁煙になっていたかも知れないが,車両に灰皿はついていた。
昭和48年に『嫌煙権の確立を目指す人びとの会』が設立されて以来,喫煙者への風当たりが次第に強くなってきた。それでも会議室から灰皿が撤去されたのは平成になってからだ。昭和60年に入院した時には病院内に喫煙室があった。平成14年に同じ病院に入院したときには喫煙所は屋外の吹きさらしの場所に移されていた。現在,その病院は駐車場を含め敷地内禁煙になっている。
煙草の問題は米国の方が早く,昭和の時代には大学校舎内で煙草が吸えたが,平成にはいると校舎の出入り口付近(校舎外)に灰皿が設置されており,建物内は禁煙になっていた。平成になってからの話だが,インドに行ったとき,灰皿が見当たらないので煙草はどこで吸えるかと尋ねたところ,どこでもいいと言われた。吸い殻はどうするのか尋ねると床に捨てればよいとのことだった。それらを掃除するために専門に人を雇っているからだそうだ。ところが何年か後に再びインドで同様なことを尋ねたら建物内禁煙と言われた。どうすればよいのか尋ねると外で吸えという。吸い殻はその辺に捨てろとのこと。要するに世界中で煙草に関する風当たりが強くなってきたのは平成に入った頃なのだろう。
この歌でも「体に悪いからやめなって行っても いつもプカプカ」とあるので,身体に悪いと言うのは当時も言われていたのだろう。それどころか,柳生宗矩が医者から煙草を遠ざけるようにと言われ,長い煙管を用意して隣の部屋から吸ったという話もあるくらいなので,江戸時代初期から煙草の害を言う人はいたようだ。
この歌の娘はタバコだけでなく,スウィング・男・うらないなども好きなようだ。
望郷子守唄(2014.6.13)
昭和46年,詞:大治郎,曲:深井大輔,補作曲:渡辺岳夫,唄:高倉健
「オロロンオロロンオロロンバイ」と始まる歌。
「望郷子守唄」という高倉健主演の昭和47年東映映画があるようだが私は観ていない。歌のヒットを期に作られた映画だろうか。この主人公は小倉の出身らしいから,この子守唄は北九州の子守唄を元にしたものだろう。
「おろろんおろろんおろろんばい」というフレーズが出てくる有名な歌は『島原の子守唄』だが,他にも九州北西部にわりと分布しているようだ。
「馬鹿な男の身にしみる 故郷(くに)のおっかさんの子守唄」とあり『浪曲子守唄』のように男が子守をしている唄ではなく,母が唄ってくれた子守唄を思い出している歌である。
『赤城の子守唄』,『浪曲子守唄』,『聖母たちのララバイ』,『ハイスクールララバイ』など,寝た子を起こすのではないかと思われる子守唄と称する歌謡曲が多い中,この歌は数少ない寝かせ歌のように聞こえ,その分,唄う場所が限られるような気がする。
僕にさわらせておくれ(2019.2.13)
昭和46年,詞:戸田良子,曲:大杉文雄・二村健二,唄:ピンク・ピクルス
「僕にさわらせておくれ 君のその黒い髪」と始まる歌。
髪や胸など,いろいろなところに触りたい,そしてそれらにいろんなものを付けてあげるというのだが,それが拾った貝殻だったり,露だったり,落葉だったりする。バブルよりはるか前の時代ではあるが,日本は高度経済成長で昭和43年には世界2位の経済大国(GNPが自由主義経済国内でアメリカに次ぐ2位)になり,更に成長を続けていたので国内には金は沢山あったようだ。しかし,金を持たぬ若者も少なくなかったのだ。
学園紛争を通して目指した社会改革も行き詰まり,身近な小さな幸せを目指した時代の歌だろうか。商業的な香のしない歌だ。
また逢う日まで(2013.10.8)
昭和46年,詞:阿久悠,曲:筒美京平,唄:尾崎紀世彦
「また逢う日まで逢える時まで」と始まる歌。第13回日本レコード大賞受賞曲。
詞は阿久悠とは思えないほど陳腐な言葉が並んでいる気がするが,それでも「ふたりで名前消して」という言葉は簡単には出てこない言葉のように思う。それよりも驚くのは筒美の曲だ。前奏からインパクト全開だ。この業界のことは知らないので,作曲者がどこまでやるのか,作曲者と編曲者の役割分担がわからないのでこの曲のインパクトは編曲によるのかも知れないが,この曲の場合,編曲も筒美京平だ。従って曲は筒美によるといってよいだろう。この詞をみれば別れの歌だが,この詞にこのような曲をつけるとは凄いとしか言い様がない。尾崎もまた,この別れの歌をダイナミックに歌っている。
『このような歌をつくることができるんだ!』と脱帽するしかない。
真夏の出来事(2013.6.25)
昭和46年,詞:橋本淳,曲:筒美京平,唄:平山三紀
「彼の車にのって真夏の夜を走りつづけた」と始まる歌。恋の終りを予感しながら,決定的瞬間が来ないことを願う。しかしその時はやって来る。そこから先がこの歌の演歌と違うところだ。なお「I love you so much darling」などと言いながらさりげなく別れてしまっている。平山の声のせいだろうか,演歌なら別れを怨むか,嘆くか,悲しむか,何らかの感情表現がある筈だと思うのに,そのような感情が感じられない。
もちろん感情表現が少ないことが悪いといっているわけではない。感情を押し殺していると捉えることもできるが,恐らくは(平山個人がではなく)感情表現の下手な女の歌なのだろう。感情を抑えているのなら,メロディーにそれが現れるだろう。私には不器用な女の歌に聞こえる。
平山の地声は太い声なのだろう。それをあまり変えない範囲の声で歌っているように聞こえる。気取って歌っていないのだ。そこがよいところだ。
水色の恋(2012.12.28)
昭和46年,詞:田上えり・Carlos Pesce,曲:田上みどり・Feliciano Latasa,唄:天地真理
「さよならの言葉さえ言えなかったの」と始まる天地真理のデビュー曲。
「白雪姫みたい」ということなのだが,どこが白雪姫なのか良くは解らない。
私の後輩に天地真理の大ファンがいて,こんなことを書くと彼が怒るかもしれないが,天地真理は普通の女の子だった。白雪姫より隣のマリちゃんのほうが良く似合った。声も素人っぽかった。新三人娘は三人とも普通っぽかったところが人気が出た理由だろう。小柳ルミ子は宝塚音楽学校を首席で卒業しており,三人の中で歌は一番上手かったと小柳ファンだった私は思っている。外見では南沙織が一番タレントっぽかった。
来生えつこなら「さよならは別れの言葉じゃなくてまた逢う日までの遠い約束」1)と格好つけたことをいうのだろうが,田上は普通の女の子の天地には普通に「さよならはお別れの言葉だから」と歌わせている。普通がいいのだ。
ところで,芸名は本名の眞理からとったのであろうが,その上に天地とつけたところがすごい。これは本名ではない。宗教の教義のような名前だ。
1) 「夢の途中」(昭和56年,詞:来生えつこ,曲:来生たかお,唄:来生たかお)薬師丸ひろ子が「セーラー服と機関銃」というタイトルで唄っている。
みちのく小唄(2023.8.14)
昭和46年,詞:石坂まさを,曲:野々卓也,唄:藤圭子
「恋のみちのく 青森は 情ひとすじ 津軽っ娘」と始まる。
詞も曲もクラシカルに聞える。ご当地ソングで,青森・岩手・秋田・宮城・山形・福島が登場する。
詞は「夢にみるのは 北上の 匂いやさしい 白百合よ」などと聞いたことがある1)ようなフレーズを並べたりして安易なつくりだが,そこが安心して聴ける要素の一つであるようにも思える。
1) 「北上夜曲」(昭和36年,詞:菊池規,曲:安藤睦夫,唄:多摩幸子/和田弘とマヒナスターズ)
港の別れ唄(2021.6.12)
昭和46年,詞:有馬三恵子,曲:内山田洋,唄:内山田洋とクールファイブ
「雨にうたれながらも じっと見つめた目と目」と始まる。
タイトル通り別れの歌。
「二人とも これきりじゃ淋しいと 知っているのに」とあるが本当にそうだろうか。もちろん自分の気持ちはそうなのだろうが,相手も本当に淋しいと思っているのだろうか。
「この腕をのばしたら 済むのかも知れないのに」そうしなかったのは,『腕をのばしても 済まない』ということを薄々気づいていたからではないのか。
自分自身をごまかして,別れの辛さに耐えようという歌だと感じられる。
メリー・ジェーン(2014.8.29)
昭和46年,詞:Christopher Lynn,曲:つのだ☆ひろ,唄:つのだ☆ひろ
「Mary Jane on my mind I cry my eyes out over you」と始まる歌。
Maryは去ってしまった。「Please remember I’ll wait forever I love you」という歌である。タイトルが日本語表記で歌詞がすべて外国語(今の場合は英語)という歌は珍しい。後にはタイトルだけが外国語で歌詞は日本語(ところどころに外国語が入る)というのは珍しくなくなるが。
つのだの声は,最初,黒人のソウル・シンガーが唄っているのかとも聞こえるのだが随所に日本人の英語っぽい発音が聞こえてくるとつのだの顔が目に浮かんでくる。悪い曲ではないし,オリジナルがこれだから,日本人が英語の歌を唄ってみようというときには最適な歌かもしれない。
夢を捨てた女(2020.6.1)
昭和46年,詞:有馬三恵子,曲:内山田洋,唄:内山田洋とクール・ファイブ
「涙く〜ぅらくら 夕べも流した」と始まる。
いかにも前川清というか,クール・ファイブという曲だ,しかし,クール・ファイブの曲のなかでの個性は何処にあるのか解らない。
美空ひばりの唄など,1曲1曲に特徴があり,聴けばもちろんひばりだとわかるが,同時にタイトルとか内容までも解る。クール・ファイブの唄はクール・ファイブだとすぐに解るが,歌の内容まで直ちに思い浮かぶのは数少ない。ひばりは1曲ごとに個性があるが,クール・ファイブの場合は個々の唄の個性というより全体として,あるいは前川清としての個性が出ているようだ。そういえば,キングストーンズでも東京ロマンチカでも,リードボーカルが目立っているグループは個々の曲の特徴より,グループとしての特徴が強く出ているように感じる。
よこはま・たそがれ(2012.10.30)
昭和46年,詞:山口洋子,曲:平尾昌晃,唄:五木ひろし
売れなかった歌手が芸名を四つ目の「五木ひろし」と改め,再デビューしたときの歌である。第13回日本レコード大賞歌唱賞,第2回日本歌謡大賞放送音楽賞等を受賞。
「よこはま たそがれ ホテルの小部屋」と始まり更に名詞だけがならぶ歌である。そしてただ,「あの人は行って行ってしまった」を繰り返す。このような作詞ならコンピュータが最も得意とするところだとは思うが,コンピュータの作詞がヒットするかどうかは不明だ。
別れの朝(2012.7.9)
昭和46年,詞:Fuchsberger,日本語詞:なかにし礼,曲:U.Jurgens,唄:ペドロ&カプリシャス
「別れの朝ふたりは冷めた紅茶飲みほし」徒歩で駅まで送ったのだ。「やがて汽車は出てゆき」「ちぎれるほど手をふる」。事情はよく解らないが互いに心を残しながらひとりが出て行く。「言わないでなぐさめは涙をさそうから」という部分は懸命に涙をこらえている様子がよく表されている。
しかし,この歌のような状況は過去の日本にはなかっただろう。どこか知らない外国の話の雰囲気ではあるが,日本であろうと外国であろうと別れの悲しみに違いはない。
普通は別れた当人が悲しみを歌うのだろうが,この歌詞は第三者が二人の別れを観察しているような詞だ。
歌謡曲に飲み物がでてくるのは酒が圧倒的に多いが,次はコーヒーだろう。紅茶がでてくるのはかなり少ないと思う。この歌とは無関係だと思うが,「紅茶キノコ」がブームになったのはこの少し後だった。
わたしの城下町(2012.2.22)
昭和46年,詞:安井かずみ,曲:平尾昌晃,唄:小柳ルミ子
「格子戸をくぐりぬけ」という出だしで,「初恋のもどかしさ気まずく別れたの」で終わる。
最近,近所では格子戸をあまり見ない。くぐりぬけるというとあまり高さがないように感じる。時代劇に出てくる武家屋敷の門の横にある通用口のような感じだ。曲全体から受ける感じは昭和だ。京都の民家から出てくる少女のようだ。夕方,賀茂川沿いを言葉少なく歩く二人,知り合いに見られるかもと伏し目がちに歩く。他愛もないことだけを話して時が過ぎ,肝心なことは言わずに終わってしまう。
それにしても「気まずく別れたの」の詞とメロディの組み合わせは凄い。詞が先であとから曲をつけたとしたら,私ならこの箇所はもっと寂しいメロディーになってしまう。「きまずく」と音程が上がっていき「わ」で最高音になる。ここがとても素敵だ。当然のことながら私にはとても思いつけない。曲が先にあったとしたら,やはり私にはこのような詞は書けない。気まずく別れずにハッピーエンドの詞にするだろう。
以上を昨日書いてアップしてしまった。その後気づいた点など追加しておく。
一番の歌詞の最後は「心は燃えてゆく」だ。これならメロディーは良く解る。もちろん,私でも作曲できるなどと大それたことは言わない。「心は燃えてゆく」と「気まずく別れたの」では歌詞の気分は全く異なるが同じメロディーに載せてなおかつ素晴らしい。
城下町というと梶光夫が唄っていた「白壁坂道武家屋敷」1)のほうがイメージによく合う。格子戸から出てくるとどうも町家の感じを受ける。「私の城下町」の歌詞には「城下町」を感じさせるものがない。
当時,自分は小柳ルミ子の大ファンだと思っていたが,今自省してみれば,この歌およびこれに続く何曲かのファンだったらしい。
1)西沢爽:「青春の城下町」
Another Day<アナザー・デイ>(2019.11.16)
昭和46年,詞:Paul McCartney, Linda McCartney,曲:Paul McCartney, Linda McCartney,唄:Paul McCartney
「Every day she takes a morning bath she wets her hair,」と始まる歌。
Sheと呼ばれている女性の日常を傍観者から眺めた歌。傍観者というより,超越者のように感じる。仏様なら救いの手を差し伸べるのではないかと思うが,この傍観者はただ眺めている。
退屈な日常,時に無性に淋しくなる。男性が現れるがすぐに去ってしまう。とても悲しい。この歌の超越者はこれらの状況をただ冷たく眺めているだけなのだ。
先に仏様なら・・・と書いたが,仏教でも現世利益を保証しているわけではない。
私は,そもそも現世利益を説くのは宗教ではないと思っている。とはいえ,機会があれば家内安全や商売繁盛に類することを祈ってはいるが。既存の大宗教でも奇蹟のような形で現世利益の例が示される場合があるようだが,宗教の本質は極楽・浄土に行けるかどうか,望みがかなうためには毎日をどう生きるべきかということだろう。
この歌には観察者が誰なのかは示されていないようだが,慈悲の心が感じられず,冷徹な審判者という印象で好きにはなれない。
As The Years Go By<霧の中の二人>(2019.7.24)
昭和46年,詞:P.Senecal,曲:P.Senecal,唄:Mashmakhan
「A child asks his mother do you love me And it really means will you protect me」と始まる歌。
私の英語能力では十分聞き取れはしないが,歌詞を読むことはできる。歌詞を読み進めると、次には話者が母親の場合,17歳の少女の場合,ティーンエイジの少年の場合,夫の場合等種々のケースで「I love you」が実はどういう意味なのかが説明されている。そして「Now you’re asking me if I love you And it really means will I marry you」となる。
日本語でも一つの言葉が時と場合に応じていろんな意味に変化するが,英語でも同じかと勉強になる。残念ながら聞いて解るわけではないので聴いただけで特段の感情が湧きあがることはない。
I’d Like To Teach The World To Sing(In Perfect Harmony)<愛するハーモニー>(2018.8.26)
昭和46年,詞:B.Backer, B Davis, R.Cook,
R.Greenway,曲:B.Backer, B.Davis,
R.Cook, R.Greenway,唄:The New Seekers
「I’d like to buid the
world a home And furnish it with
love」と始まる歌。
清涼飲料水のCMに使われた。
歌で世界に平和をということだが,特定のイデオロギーが背後にあるようには感じられない。ベトナム戦争はまだ続いていたが,この歌は反戦フォークのように戦争の悲惨さを訴えはしない。皆で唄えば平和になるという信仰のような歌だ。
歌声も爽やかなので,宗教的な歌と言ってもいいのではないか。本当にこれで平和が達成できたらいいのだが。
Imagine<イマジン>(2016.10.29)
昭和46年,詞:John Lennon,曲:John Lennon,唄:John Lennon
「Imagine there’s no heaven」と始まる歌。
ジョン・レノンの有名な曲だが,私には意味不明の歌といって良いだろう。気分というか雰囲気というかそのようなものを漠然と歌った印象を受ける。
そもそも「heaven」や「hell」の意味が不明だ。キリスト教的な考えが間違いだと想像してみろという意味なのだろうか。天国を夢見て明日のために生きるのではなく,「all the people living for today」の世界を想像せよというのは何のためなのだろう。
「countries」というのは国の意味ではないかと思うが,私の英語力不足による誤解だろうか。「religion」というのもよく理解はできないが,キリスト教を意味しているのだろうか。
「You may say I’m a dreamer」と言っているが,私なら「考えが浅い」と言うだろう。まあ,ジョン・レノンが並の歌手なら,思いついたことをそのまま書けばいい。私も特に文句をつけようとは思わない。ただ,残念なことに私の中でション・レノンの名声はもっと高い。高名な彼だからこそ,もっと深い知識に基づいた考察が欲しい。
国があるから国と国の間の紛争が起こるというのだろう。それで国がなければ争いも怒らず,国を背負って殺し・殺される者もいなくなると考えるのだろうか。この考えを進めれば個人というものがあるので他人と諍いを起こすのだということになる。
宗教があるから異教徒との間に諍いが生じるというのであろうか。もちろん異教徒に不寛容な宗教や宗派もあるだろうが,そうでない宗教もあるだろう。
国家や宗教はそれなりの役割があるからこそ,何1000年も,少なくとも何100年も存続してきた。過去あるいは現在の国家や宗教に不完全な点があるからと言って直ちにアナーキズムや無神論に向かうのは間違いだろう。人類は必要に応じて種々の国家形態を考え運用してきた。宗教もそうだ。多くの宗教は時代と共に変化しているし新しい宗派ができることもある。原理主義,教条主義,修正主義・・・いろいろな考え方がある。
ベトナム反戦運動は全世界的拡がりをみせた。国内では他の問題も含め,学園紛争(闘争)と呼ばれた運動があった。運動の一部に,既存権威をまず破壊しようという活動もあったように思う。破壊の後どうするかに関しては夢のような話があるだけで具体的な計画がない。目の前にある気に入らないものをとりあえず壊す。とりあえず壊せば後のことは何とかなるだろうと安易に壊してしまい取り返しのつかない事態になったことはその後もあるように思う。
ジョン・レノンはさすがに壊せとまでは言っていないが,現状が不満足な状態であるからといって,これらを放棄してしまうことはあまりにも安易ではないか。
Love Story<ある愛の詩>(2018.6.19)
昭和46年,詞:Carl Sigman、曲:Francis Lay, 唄:Andy Williams
「Where do I begin to tell the story of how great a love can be?」と始まる歌。
昭和45年のライアン・オニールとアリ・マッグローが共演した米映画「Love Story(邦題:ある愛の詩)」の主題歌。Andy Williamsの唄が発売されたのは翌年になる。
日本人歌手も何人か唄っているようだ。例えば岩谷時子訳だと「海よりも美しい愛があるのを おしえてくれたのは あなた」と始まる。
詞は同じような状況にある者なら共感できるだろうが,そうでない者にとっては『はい,はい,そうですか,それは良かったですね』と言いたくなるような詞だ。人気の元はロマンチックな雰囲気を醸し出す曲だろう。
Mammy Blue<マミー・ブルー>(2019.5.4)
昭和46年,唄:Pop-Top
「Oh, mamy, mamy (Oh, mamy) Oh, mamy (Oh, mamy, mamy blue) (Oh, mamy blue)」と始まる歌。
昭和45年にHubert Giraudにより仏語の歌詞で作られその後各国語に翻案され多くの歌手に唄われた。
「I may be your forgotten son」から始まるstoryのある歌詞があるのだが,「オーマミ,オーマミマミ」の印象が非常に強い。『ジェニ・ジェニ』や『バラ・バラ』など,繰り返しの多い歌は印象も強い。
Summer Creation<サマー・クリエーション><夏の日の出逢い>(2018.10.22)
昭和46年,詞:Don Pomes-Hal Watkins,唄:Joan Shepherd
特徴的な前奏に続き,「I’m as free as I can be」と始まる歌。化粧品のCMに使われた。
世界は自分の為にあるという雰囲気の詞だが私には英語は聞き流していると聞き取れず,メロディーも歌声も爽やかで流れていて心地よい歌。
当時,聞き流すだけで歌詞が聞き取れていたら,自分の状況とのあまりの違いに聴く気をなくしていただろうか,完全に異次元の別世界の話として何のこだわりもなく聴いていただろうか。恐らく,英語圏は別世界だと思っていたので,別世界の話として聴いていただろう。
Superstar<スーパースター>(2018.12.18)
昭和46年,詞曲:レオン・ラッセル,ボニー・ブラムレット,唄:Carpenters
「Long ago, and, oh, so far away」と始まる歌。
「Don’t you remember, you told me you
loved me?」から始まるサビが印象強いが,前半の静かな想い出部分との対比がすばらしいからだろう。
原曲は昭和44年にDelaney
& Bonnieが唄ったGroupie(Superstar) 。
ところで,カーペンターズは明らかにカレンが目立つが、男女のデュオでは女性の方が目立つのだろうか。チェリッシュなどでもそうだ。それに比べ,ザ・ピーナッツやピンク・レディーでは二人が同等に目立っている。さくらと一郎やヒロシ&キーボーでは二人がおなじように頑張っているようなのでグループ名と個人名+個人名の違いだろうか。もっとも石原裕次郎クラスになるとデュエットで二人とも頑張っていてもビッグネームすぎて裕次郎が目立ってしまう。対抗できるのは浅丘ルリ子クラスしかいないのかもしれない。
「Yesterday Once More」1)や「守ってあげたい」2)はこの曲の影響を受けているのではないかと感じる。
1)「Yesterday Once More」(昭和48年,詞:Carpenters,曲:Carpenters,唄:Carpenters)
2)「守ってあげたい」(昭和56年,詞:松任谷由実,曲:松任谷由実,唄:松任谷由実