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昭和49

愛の国から幸福へ,愛の執念,愛の逃亡者(The Fugitive),愛の迷い子,愛ひとすじ,愛ふたたび,赤ちょうちん,あなたにあげる,甘い生活,雨だれ,生きてるって言ってみろ,命火,妹,うすなさけ,うそ,うちのお父さん,宇宙戦艦ヤマト,美しい朝がきます,おかあさん[やせたみたいね],踊り子〔恋の終わりは〕,おまえのサンダル,想い出のセレナーデ,帰らざる日のために,悲しみのシーズン,変りゆく時代の中で,学園天国,黄色いリボン〔風になびく黄色いリボン〕,傷だらけのローラ,北航路,気になる17才,銀の指輪,空港,グッドバイ・マイ・ラブ,結婚するって本当ですか,恋のアメリカン・フットボール,恋のインディアン人形,恋のかけら,恋の風車,恋は邪魔者,恋はダンダン,恋人たちの港,木枯らしの二人,告白,コーラが少し,酒場にて,淋しがりや,さらば友よ,しのび恋,精霊流し,昭和枯れすゝき,白い一日,白い冬,シンシア,少しは私に愛をください,スモーキンブギ,青春の影,空飛ぶ鯨,タイムマシンにおねがい,ちっぽけな感傷,追憶〔小雨降れば〕,追伸,積み木の部屋,東京,逃避行〔あのひとから言われたのよ〕,ときめき,突然の愛,夏しぐれ,涙と友情,二色の独楽,眠れない夜,灰色の瞳,激しい恋,はじめての出来事,初めてのひと,花占い,花とみつばち,浜昼顔,春風のいたずら,バイオリンのおけいこ,薔薇の鎖,挽歌,悲惨な戦い,ひと夏の経験,人は少しづつ変る,ひまわり娘,ひらひら,ビートルズはもう聞かない,二人でお酒を,冬の色,冬の駅,古い日記,ふれあい,星に願いを,ポケットいっぱいの秘密,みかん色の恋,岬めぐり,水色の街,ミドリ色の屋根,みれん,夫婦鏡,燃えよドラゴンズ!,やさしさに包まれたなら,闇夜の国から,夕暮れ時はさびしそう,よろしく哀愁,旅愁〔あなたをさがして〕,理由,わたし祈ってます,私は泣いています,わるい誘惑,円舞曲

 

愛の国から幸福へ(2017.5.20)

昭和49年,詞:岡田冨美子,曲:高橋五郎,唄:芹洋子

 「幸福行きを二枚ください 今度の汽車で出発します」と始まる歌。

 「幸福」という名の駅が国鉄広尾線にあった。二つ隣の駅は『愛国』という名の駅だった。昭和48年,NHKの『新日本紀行』で紹介されて有名になった。その後この歌が作られたのだから,当然この広尾線のことを歌ったというか,広尾線を下敷きにしたハッピーソングということだろう。

歌詞に「切符に二人でハサミを入れる」とある。『切る』と言わずに「ハサミを入れる」という言葉使いは『ケーキ入刀』を思い出させ,忌み言葉に注意したのだろうか。乗客が切符を切ることはないのだから私ならこんなことは歌詞に入れない。「ハサミ」など無理に入れる必要はないのではないか。この箇所にさえ目を瞑れば新婦の友人などが披露宴で唄っても良い歌だと思う。

 NHKが紹介する前には年間数枚しか売れなかった愛国−幸福間の切符がこの歌が出て300万枚に増えたとのことだ。

 このように地名?だけで経済効果があると思ったのか,昭和後期以降?)に町村合併等で新しい地名に,どうしてこんな名前に?と思うような名前が散見されるようになった気がする。昔からの地名は地形や歴史を表していたはずなのに。

 

愛の執念(2016.1.30)

昭和49年,詞:川内康範,曲:北原じゅん,唄:八代亜紀

 「おぼえていてよ ねえあなた」と始まる歌。

 「わたしが死んでも」「あなたのいのちが 枯れるまで 誰にもあなたを渡さない」とか、「あなたがいきているかぎり わたしはあなたをよぶでしょう あの世で一緒になるまでは」などとすごい執念だ。

 このような凄みのある女歌を誰に唄わせるとよいだろうか。藤圭子や北原ミレイなら歌声は申し分ないが,彼女たちは何事も運命と受け入れる歌を唄っているように思う。梶芽衣子はどうか。怨念が足りず,諦念を感じる。石川さゆりも『誰かに盗られるくらいなら あなたを殺していいですか』1)と物騒な歌を唄っているがこの歌は「愛の執念」とは少し違う情念のようだ。それに声が艶っぽ過ぎる。結局,森進一くらいしか思いつかない。青江三奈でも不十分な気がする。ではやはり八代亜紀なのだろうか。私は八代の怨念はこの歌の怨念に比べて小さすぎるように感じる。しかし,この歌の怨念を100%唄ってしまえば,商用のレコードとしては表現過剰のように思うので八代亜紀の唄で丁度良かったのかもしれない。

1)「天城越え」(昭和61年,詞:吉岡治,曲:弦哲也,唄:石川さゆり)

 

愛の逃亡者(The Fugitive) (2023.2.22)

昭和49年,詞:Tony Waddington & Wayne Bickerton,曲:Tony Waddington & Wayne Bickerton,唄:沢田研二 

 「This story is of my life」と始まる。

 歌詞は全て英語のようで,当然聴いても解らない。

 曲はジュリーっぽいので,彼が唄っているだけでいいというジュリーファンなら歌詞内容不明でも満足できる歌なのかもしれない。

 

愛の迷い子(2017.9.9)

昭和49年,詞:安井かずみ,曲:平尾昌晃,唄:アグネス・チャン

 「木枯らしに負けそうなの 背中にあなたの声が」と始まる歌。

 「心配ばかり数えて しあわせが横むいちゃう」ような女の子に「この次会う わたしをみてて変わります」と言わせる愛の力を唄った歌。

 共感できるような実体験はおろか疑似体験もないが,アグネスが唄うのを聴くと何となく微笑ましい。

 

愛ひとすじ(2019.3.22)

昭和49年,詞:川内康範,曲:北原じゅん,唄:八代亜紀

 「恋のあぜ道歩いてきたわ 風も見ました 雪も見ました」と始まる歌。

 川内と八代なら合いそうだと思うが北原はどうだろうかとやや心配だ。やはり前半は八代らしさが感じられないが,後半というかサビの部分は八代節全開だ。さすが北原とも思うが,これは八代の力が凄いのではなかろうか。このような歌唱を八代が好んでいたのかどうかは私には解らない。ただ,このような歌唱が期待され,八代はその期待に応えたというのは確かだろう。

 

愛ふたたび(2018.11.2)

昭和49年,詞:山上路夫,曲:佐藤真,唄:野口五郎,

 「ここにいると聞いて来たよ 港の小さなお店」と始まる歌。

 やっと見つけたのだ。「君はなぜ何も云わずに 別れて行った」「僕のこの胸の中へ 帰っておいでよ」という歌。

 当時は一方の話を鵜呑みにし,「どんな過去が 君にあろうと 僕ならかまいはしない」という言葉を信じて幸せを掴んで欲しいと単純に思っていた。

今思うとストーカーから逃げていたのかもしれない。しかし,当時は携帯電話もない時代で,ストーカーという概念自体が一般には知られていなかった。タレントへのストーカー行為は『追っかけ』行為の一種とみなされていたのだろう。個人情報保護には関心が薄く,『港の小さなお店』で見たよなどという情報を持っている人がいれば簡単に教えてくれただろう。

 日本でストーカー規制法が制定されたのは平成12年,個人情報保護法は平成15年だ。

 

赤ちょうちん(2014.6.26)

昭和49年,詞:喜多粂忠,曲:南こうせつ,唄:かぐや姫

 「あのころふたりのアパートは 裸電球まぶしくて」と始まる歌。

 過去の回想から始まる歌であるが,そんなに遠い過去のことではない。にもかかわらず「裸電球」などという言葉が使われている。当時の室内照明に裸電球が使われることはほとんど無かったのではないだろうか。明るさと電気代を考えると蛍光灯のほうが圧倒的に有利だった。個人経営の商店などでは,店先に裸電球がぶら下がっていることは多かった。蛍光灯の光はなんとなく冷たい印象があったからだろうし,裸だと遠くからも目立った。しかし,普通の室内照明で使う白熱電球には大抵カサがついていた。それより,蛍光灯がほとんどだったと思う。

 確かに裸電球は購入代金が少なくて済むが,経済的に苦しいなら,月に一度とはいえ「おでんを沢山」など買うことは出来ないだろう。独り暮らしならば「おでん」を少し買うという贅沢をすることがあったかもしれないが,同棲していて沢山のおでんといえば当然自分達で作ったと思う。

 赤ちょうちんと言えば呑み屋あるいは酒を出す屋台の看板だったが,屋台は昭和45年の万博前後から規制されるようになり,この頃は既にかなり減っていただろう。

 印象的にはこの歌は『神田川』1)の続編だ。

1)「神田川」(昭和48年,詞:喜多粂忠,曲:南こうせつ,唄:南こうせつとかぐや姫

 

あなたにあげる(2015.3.2)

昭和49年,詞:千家和也,曲:三木たかし,唄:西川峰子

「幼なごころにいとしい人の」と始まる歌。

16回日本レコード大賞新人賞受賞曲。

千家の詞というと山口百恵の初期の歌を思い出し,「いやよいやいや子供じゃないわ」というフレーズなど,ミドルティーンに対する千家の好みが現れているのではないかと感じてしまう。

 三木の曲は安心して聴いて居られる。演歌でもアイドル歌謡でも,一部に異常な展開があったとしても何度か聴いているうちに当然の展開のように聴こえてくる。この曲は編曲も典型的な演歌だが西川の唄は演歌とは言い難いように思う。演歌風アイドル歌謡曲であろう。しかし当時のアイドルは舞台を走り回るようなことはなく,あくまでも唄で勝負をしていたように思う。アイドル的性格を持った歌手ということだ。

 

甘い生活(2015.9.22)

昭和49年,詞:山上路夫,曲:筒美京平,唄:野口五郎

 「あなたと揃いの モーニング・カップは このまま誰かにあげよか」と始まる歌。

 「二人で暮らすと はがきで通知を 出した」のだから結婚したのだろう。しかし「「何かがこわれ去った」のだ。

 歌詞からは男歌か女歌かは定かではないが,「ひとときの甘い生活」がなぜこわれたのか原因が解らず困惑している様子が見て取れる。

 本人すら解らないのだから歌を聴いている私に事情が判る筈もないが,雰囲気は解る。私の中では野口五郎の歌の中では上位に来る歌だ。

 

雨だれ(2017.10.30)

昭和49年,詞:松本隆,曲:筒美京平,唄:太田裕美

 「ひとり 雨だれは淋しすぎて」と始まる歌。太田裕美のデビュー曲。

 松本の詞では解りやすい部類の詞。情景が見えるようだ。

 曲はチェリッシュか誰かが唄っていそうな曲で驚きのない曲だが,それが安心感につながり聞いていて心地よい。もちろんワンパターンではなく,三連符の連続のような工夫もされており,この部分は印象に残る。

 

生きてるって言ってみろ(2019.7.31)

昭和49年,詞:友川かずき,曲:友川かずき,唄:友川かずき

 「ビッショリ汚れた手拭いを 腰にゆわえてトボトボと」と始まる歌。

 「死人でもあるまいに」「地獄でもあるまいに」「墓石でもあるまいに」「ガイコツでもあるまいに」などと暗い歌だ。「トボトボと」とあるので元気のない歌かと思うと,曲も歌唱もかなり激しい。マイナスエネルギーを大量に吐きだしているような歌だが,ひょっとし たら何度も繰り返される「生きてるって言ってみろ」というのは励ましの意味なのかも知れない。

 しかし,やはり私には励ましの歌とは受け取れず,単に悪態をついているだけのように感じてしまう。

 

命火(2017.12.2)

昭和49年,詞:石坂まさを,曲:石坂まさを,唄:藤圭子

 「いのちびよ 誰を頼って生きりゃいい」と始まる歌。

 石坂の歌と藤の唄がよく合っていると思う。1番の歌詞では「想うは母のこと」と「命火」というタイトルが不似合なほどいたって普通だ。2番の歌詞になると虚無的になり,普通の人から離れてくる。3番では「肌にタバコを押しあてて」と普通人からかなり離れてくる。これまで藤が走ってきた路線に乗せようというのだろう。私はこの曲からは石坂の歌の力より,藤の唄の力を感じる。

 

(2018.1.30)

昭和49年,詞:喜多条忠,曲:南こうせつ,唄:かぐや姫

 「妹よ ふすま一枚 隔てて今」と始まる歌。

 「夜が明けると 雪のような 花嫁衣装を着るのか」とあり,婚礼前夜だ。両親は既に他界し,兄妹二人で生きてきた。その妹が嫁に行くのだ。

 このように状況が明確な詞は,自分にそのような体験がなくても,自分だったらと考え共感できる詞になると思うのだが,後に現れるJ-POPでは背景描写が曖昧な詞が多くなったと感じるのは私の見分が狭いからだろうか。

 

うすなさけ(2019.9.27)

昭和49年,詞:なかにし礼,曲:平尾昌晃,唄:中条きよし

 「浮気じゃイヤよ 本気で惚れて 私はいつだって 恋は命がけ」と始まる歌。

 「お前を俺は不幸にすると しおらしく言える人」に惚れてしまった「バカな私」という女歌。

 なかにしもいろんな詞を書いているが,このようなタイプの女歌も少なくない。ひょっとしたら『うそ』1)のイメージに引きずられたのかもしれないが,このようなタイプもなかにしの得意分野のひとつというのが私の印象だ。

 いつの時代にもハッピーな歌がありアンハッピーな歌もあった。不幸な女の歌では,以前なら耐える女という印象だったが,自嘲する女が次第に増えた(藤圭子や梶芽衣子の印象が強烈だっただけかもしれない。)しかし,この歌の頃から『私バカよね』2)などと自嘲する歌は次第に減ってきたような気がする。

 昭和30年代以前では自嘲する女の歌を思い出さないので,自嘲する女の歌は一時の流行だったのかもしれない。

 データも調べずに,上記は単なる私の印象だ。

1)「うそ」(昭和49年,詞:山口洋子,曲:平尾昌晃,唄:中条きよし)

2)「心のこり」(昭和50年,詞:なかにし礼,曲:中村泰士,唄;細川たかし)

 

うそ2012.1.11

昭和49年,詞:山口洋子,曲:平尾昌晃,唄:中条きよし

 「折れた煙草の吸殻で」で始まる女歌で,「エプロン姿がよく似合う」「僕は着物が好きだよ」「帰りの車も気をつけて」などの言葉が全部嘘だったと恨みがましく言っているように感じる歌詞だが,これらは騙すつもりの言葉とはとても思えない。そのとき思ったままを言った言葉だろう。男の心変わりの原因はこの女にあるのではないか。

その後の中条きよしは「新・必殺仕事人」の「三味線屋の勇次」のイメージが強い。勇次のイメージだとこの歌の女は重く感じられ,勇次のほうから次第に離れていく気がする。

詰問に動揺してという感じではなく,この女の重さにイライラしつつも優しさから言葉に出せず,煙草を強く灰皿に押し付けて・・・。恐らく歌詞に書かれていない大きな「うそ」を折れた煙草から敏感に感じ取ったのだろう。大きな「うそ」の内容があからさまに書かれてないところがこの詞の良いところだと感じる。

 

うちのお父さん(2018.3.7)

昭和49年,詞:南こうせつ,曲:南こうせつ,唄:かぐや姫

 「汗をかいたので一休み マキ割りは疲れますね お父さん」と始まる歌。

 昭和の一億総中流時代の父親の姿だろう。

 戦前のことは知らないが,一部の金持ちと多くの貧乏人の時代だろう。恐らく金持ちは自分ではマキ割りなどしなかっただろうし,貧乏人は仲人などすることは少なかっただろう。戦後の一時は多くの貧乏人の時代だ。しかし,この詞が持つ小市民的幸せの雰囲気は戦後の苦しい時代のものではないように感じる。

 ところで,「マキ割り」は何のためにしているのだろうか。

 私の両親が初めて自分の家を買ったときには,既に私は一人暮らしをしていた。私が両親と暮らした子供時代、長屋やアパートなど何回も転居したが,最初は内風呂はなく,共同浴場に通っていた。内風呂付きになってからも,五右衛門風呂などという時代もあった。木の浴槽もあったし,プラスチックの浴槽もあった。最後の方はガス釜だったが,それ以前は何でも焚ける風呂釜だった。ここで薪を使ったこともあり,マキ割りを手伝ったこともあったが日常的に薪を使ってはいなかった。多く使ったのは石炭だった。

 煮炊きには比較的早くからガスコンロが導入されたが,カマドでご飯を炊いたり,七輪で魚を焼いたりという記憶はある。

 暖房は練炭,豆炭,木炭などを使った火鉢や掘り炬燵だった。家庭用の薪ストーブなど,あるところにはあったのだろうが,近所では見たことがなかった。あとは湯たんぽと携帯用にはベンジンを使った懐炉くらいだった。いつからだっただろうか,石油ストーブが入った。その頃は自家用車などなく,灯油は巡回販売または配達を利用していたと思う。その後自家用車が増えた後,家庭にクーラーが入るようになったが,電気での暖房は火を使うことが禁じられている場所だけというのが多く,エアコンで暖房もするようになったのはかなり後だ。

 結局,燃えるごみに相当するようなものは大抵風呂釜で焚いていたのだろう。火力が弱いので,生ゴミなどは燃やすことができなかった。

 ガスが普及するとゴミを焼却できなくなり,庭のある家は家庭用焼却炉を庭に設置し,焼却だけを目的に燃やすようになったが,じきにダイオキシン問題で家庭用の焼却炉は消えてしまった。

 という訳で,この詞のお父さんは何のためにマキ割りをしているのかはっきりとはしないが,「ニッコリ笑う ニッコリ笑う 明日天気になあれ」と幸せそうな時代の歌だ。

 

宇宙戦艦ヤマト(2013.10.25)

昭和49年,詞:阿久悠,曲:宮川泰,唄:ささきいさお

 「さらば地球よ 旅立つ船は 宇宙千間ヤマト」と始まる歌。

 昭和49年から読売テレビ・日本テレビ系で放映されたSFアニメの主題歌。

 西暦2200年になろうとするとき,地球外からの攻撃で荒廃した地球の危機を救うため,「宇宙の彼方 イスカンダルへ」放射能除去装置を受け取りに,ワープ航行ができる宇宙戦艦に改造された「ヤマト」が旅立つ話だ。無事使命を果たして地球は救われるのだが,今から200年ほど後の設定だが,ワープ航法が可能なほど技術が進んでいるにもかかわらず,放射能除去装置は自前では開発できていない。

 佐々木功といえば和製プレスリーと呼ばれ,『赤いレイをかけたあのこが腰をふりながら』1)などと唄っていた印象が強いが,いつの間にかアニソン大王になっている。名前もひらがな表記にかわって,声優としてもいろいろ出ているらしい。俳優として顔出しの出演もしているようだ。いずれにせよ,このような歌を唄わせたら最高だ。

1)     「ロッカ・フラ・ベイビー」(昭和37年,詞:Benjamin Weismarr/Fred Wise/Dolores Fuller, 訳詞:漣健児,曲:Benjamin Weismarr/ Fred Wise/ Dolores Fuller,唄:佐々木功)

 

美しい朝がきます(2018.3.25)

昭和49年,詞:安井かずみ,曲:井上忠夫,唄:アグネス・チャン

 「朝がきます そよ風も吹きます」と始まる歌。

 歌詞のところどころで,日本語なら必要だと思う助詞が省略されているようだが,アグネスに合わせたのだろうか。

 「今 あなたがいない」,「今すぐ 来て下さい」とと歌い手によっては重くなりそうなところ,アグネスの唄声のおかげで爽やかな印象になっている。

 

おかあさん(2016.11.8)

昭和49年,詞:神坂薫,曲:遠藤実,唄:森昌子

 「やせたみたいね おかあさん ふざけておぶって感じたの」

 出だしは啄木1)のパクリのようにも感じられるが,母娘との設定から受けるイメージが現代(当時)と合わなかったからだろう。

 母を背負うのだから,小学生ではないだろう。「花嫁衣装を着るそれまでは」とあるので娘はせいぜい20才くらい,森昌子は昭和47年に『花の中3トリオ』の一人として活躍しており,年代も合う。その母親は普通に考えれば40才くらいだろう。当時は女性は25才までに結婚すべきという考えがまだ残っていた時代で,その母親が結婚したのは10何年も前だから20才くらいだとすると当時30代後半になる。当時は既に子沢山の家庭は少なくなっていたが,仮に子沢山の末子だとしても50代だろう。昭和50年の日本人40才女性の平均余命はほぼ39年である。つまり丁度人生の折り返し点という訳でまだまだ枯れる年齢ではない。

 啄木の時代の40才女性の平均余命はおよそ29年だった。当時は早婚子沢山の時代であり,母親の年齢にはもう少し幅があるだろうが,いずれにしても明治時代の母親だとすれば人生の折り返し点は過ぎてしまっていたはずで,枯れてきていた場合もあるだろう。

 私が言いたいのは,当時の森昌子世代の子供の母親なら,まだまだ人生の最盛期だっただろうということだ。それなのに啄木を思わせる歌詞で違和感を持ったということだ。

 啄木も実際に母親を背負ったかどうかは不明だが,この作詞者も背負ってはいないのではないだろうか。実体験ではなく啄木に引きずられて観念的な詞を書いてしまったのかもしれない。

 作詞の神坂に関してはいくつかの詞を知っているだけで本人に関しては何も知らない。ひょっとしたら神坂の母親は軽くなる年齢だったのかと,今になって思う。

1)「たはむれに 母を背負ひて そのあまり 軽きに泣きて 三歩あゆまず」(石川啄木「一握の砂」明治43年)

 

踊り子(2018.3.30)

昭和49年,詞:下田逸郎,曲:下田逸郎,唄:下田逸郎

 「恋の終わりはいつも同じ」と始まる歌。

 「あなた愛して気づいたことは そうね 私もいつかは死んでゆくこと」と哀しい歌だ。

 ただ,どこが違うのか指摘はできないが,私の哀しみの感性とは異なるので,選んで聴くことはないし,唄うこともない。

 

おまえのサンダル(2019.12.30)

昭和49年,詞:喜多条忠,曲:南こうせつ,唄:かぐや姫

 「親の許しもなく 夫婦もの お断りの部屋で」と始まる歌。

 このような条件の部屋だったので「まっ赤なサンダルを隠す毎日」だった。その後「お前が故郷へ帰って もう二年だね」という状況が今だ。「やさしい女よ 許しておくれ」という歌。

 四畳半フォークの代表曲のひとつだろう。

 ただ,当時の若者の多くがこのような生活をしていたかというと疑問だ。このような若者が多かったのは数年前ではなかろうか。この歌では少なくとも二年前だ。かぐや姫の四畳半フォークは『若かったあの頃』1)とか『あの頃二人はアパートで』2)などのように,過去の思い出の歌だ。

 この10年前なら親の反対を無視するにはかなり大きな覚悟が必要だっただろう。しかし,自由恋愛の機運が次第に高まり,大した覚悟もなく家を飛び出す者もいたのだろう。結局生活苦から数年で思い出に変ってしまったという状況ではないか。以前にも駆け落ちなどないわけではなかったが,覚悟が違ったはずだ。もっと後になると,親の方も自分の思い通りにはならないと諦めはじめ,バブルに向かって景気も向上してきて生活苦も和らぎ,四畳半フォークの世界は縮小していく。もちろん,ずっと貧しいままの人々もいたが,そのような人々は『どうせ二人はこの世では 花の咲かない枯れ芒』3)と諦観しつつしぶとく生き続けたのだ。

1)     「神田川」(昭和48年,詞:喜多条忠,曲:南こうせつ,唄:南こうせつとかぐや姫)

2)     「赤ちょうちん」(昭和48年,詞:喜多条忠,曲:南こうせつ,唄:かぐや姫)

3)     「枯れ芒」(大正10年,詞:野口雨情,曲:中山晋平)

 

想い出のセレナーデ(2019.1.26)

昭和49年,詞:山上路夫、曲:森田公一,唄:天地真理

 「あの坂の道で 二人言ったさよならが 今もそうよ 聴こえてくるの」と始まる歌。

 別れた彼を偲ぶ歌。詞は散文的だが思いはよく通じ,曲もしっとりとした良い歌だ。しかし天地真理には似合わないと思う。天地にはハッピーソングがよく似合う。

 

想い出のセレナーデ(2020.10.4)

昭和49年,詞:山上路夫,曲:森田公一,唄:天地真理

 「あの坂の道で 二人言ったさよならが」と始まる。

 「あなたのもとへ いそいそと」「訪ねたのは」「遠い夢のようね」と思い出を語り,「あんなに素晴らしい愛が 何故に今はとどかないの」と嘆く歌。

 山上にしては安直な詞だと感じてしまう。

 森田の曲と天地の歌唱は爽やかさで嘆きを吹き飛ばしているようだ。

 

帰らざる日のために(2017.12.16)

昭和49年,詞:山川啓介,曲:いずみたく,唄:いずみたくシンガーズ

 「生まれて来たのはなぜさ」と始まる歌。

日本テレビ系のドラマ『われら青春!』の主題歌。

当時は月月火水木金金で深夜まで実験をしていたのでテレビなどは観たことがなかった。

実験に必要な装置は自分で作る時代から,一部は購入するようになってきていた時代だが,私が所属していた研究室は歴史が浅く,且つ,私の実験テーマも新しいものだったので過去の遺産がほとんど無かった。私が入った頃は唯一他から借りにくるのがキャノンの電卓だった。10桁の加減乗除ができ,√キーも付いていて平方根が直ちに計算できた。定数メモリーが一つだったか二つだったか付いていた。学生時代,レポートの作成に計算尺と算盤を駆使していた私にとっても夢のような装置だった。タイガーの手回し計算機もあったが誰も使わなかった。

研究室内で私が属していたグループの先輩は気体レーザ装置を作り,それを使って実験していた。私も少しは手伝いをしたが,ほとんどが肉体労働だった。

 

悲しみのシーズン(2016.1.2)

昭和49年,詞:千家和也,曲:筒美京平,唄:麻丘めぐみ

 「それがふたりにとって しあわせというのなら」と始まる歌。

 「まるで季節の花が 枝を離れるように 訳も告げずあなた 離れてゆくのね」と終わる。詞も曲も歌手も,どれをとっても悪い箇所を指摘できないが,共感はできない歌。

 麻丘は当時のアイドルの一人だが,歌はまあまあ上手かった。とはいえマイクなしで唄える歌手レベルではなかったように思う。しかし,後にはマイクを使っても,更に電子的に修正を加えても上手いとは言えないアイドルが続々とでてきた。

 

変りゆく時代の中で(2019.8.25)

昭和49年,詞:佐渡山豊,曲:佐渡山豊,唄:佐渡山豊

 「いつになれば 友よぼくらは この味気ない時代にさよならが言える」と始まる歌。

 「いつになれば 友よぼくらは 祖国を故郷と呼べるんだろうか」とあり,昭和47年に沖縄が米国から返還されたとはいえ,期待通りにいかなかった点も少なくなかったのだろう。

「信じ合うべき僕らの力で もしも流れが変わるなら」「僕は今 みんなと生き続けたい」と希望を持ち続けながらも世の中が期待どおりに変化して行っていないことにフラストレーションを感じている様子がシャウト気味の唄から感じられる。

 

学園天国(2017.6.15)

昭和49年,詞:阿久悠,曲:井上忠夫,唄:フィンガー5

 「Are you ready? Hey hey hey hey ・・・」とスタートした後,「あいつもこいつもあの席を ただ一つねらっているんだよ」と始まる歌。

 クラスの席替えの歌だろうが,私が子供の頃,席替えがあったかどうかあまり記憶がない。小学校では席替えがあったような気もするが,中学・高校では席替えは無かったように思う。基本的には背の高い者が後で,視力等に問題がある者がいれば例外的に前に座るという方式だったような気がする。学年が変わるとクラス替えがあったので,そのときにどのような者がクラスメートになるかということには関心があった。

 小学校は1学年4クラス,中学校は1学年10クラス,高校は1学年14クラスだった。

 音楽室に移動などということもあったのだが,良い?席をとるために急いだなどという記憶が全くないので,席は決まっていたのだろう。

 ということで,昔を思い出してこの歌詞の気持ちに共感するということはない。

 

黄色いリボン(2017.11.13)

昭和49年,詞:阿久悠,曲:森田公一,唄:桜田淳子

 「風になびく黄色いリボン 丘を駈ける麦わら帽子」と始まる歌。

 「黄色いリボン」と言えば昭和24年(日本公開は昭和26年)のジョン・ウェイン主演のアメリカ映画を思い出す人はそれなりの年なのだろう。この映画の主題歌が「黄色いリボン」でこの曲は昭和30年代でもかなり有名な曲だった。阿久悠や森田公一は十分記憶があるはずだ。桜田淳子は若いので記憶があるかどうかは不明だ。阿久と森田はこの曲のタイトルを借用してこの歌を作ったのかもしれない。

 アメリカには男が戻って来ることを願って木に黄色いリボンを巻きつける習慣があったようだ。開拓時代の騎兵隊などもこの歌を唄ったようで,西部劇の時代にもこのような習慣が一部にあったようだが,全米で広く行われたのはイラン・イラク戦争・湾岸戦争の頃,出征兵士の無事帰還を願ってのものらしい。

昭和48年には「Tie a Yellow Ribbon Round the Old Oak Tree」という曲が全米でヒットしたそうだが,私には記憶が無い。こちらは刑期を終える男が,「間もなく出所する。もし君がまだ僕を必要としてくれているなら・・・黄色いリボンを結んでおいてくれ」という手紙を出す歌だ。時期が近いのでこちらの曲から影響を受けたのかもしれない。高倉健主演の映画「幸せの黄色いハンカチ」はこちらだろう。

 いずれにせよ,阿久は桜田に「このリボン」「ラブサインなの」と歌わせており,アメリカの黄色いリボンには深刻さを感じるが,桜田の歌は(曲も含め)軽薄さを感じるほどの軽さだ。アイドルに深刻さは似合わないということだろうか。

 

傷だらけのローラ(2015.10.13)

昭和49年,詞:さいとう大三,曲:馬飼野康二,唱:西城秀樹

 「ローラ 君は何故に ローラ 心をとじて」と始まる歌。

 最初の「ローラ」と呼びかける声が印象的。「ローラ」の名は何度も繰り返される。

 ゴールデンボンバー(金爆)の『ローラの傷だらけ』1)を知ったときに最初に思ったのがこの「傷だらけのローラ」だ。しかし,金爆メンバーはこの歌のころはまだ生まれていないだろう。次に思ったのがタレントの「ローラ」だが,金爆の歌とタレントのローラの関係は私には全く解らない。結局『名曲二搾り』2)のひとつなのだろう。鬼龍院は西城のこの歌を名曲の一つとして選んだのだ。

 ひとつだけ言えることは,『ローラの傷だらけ』のスピードに私はついていけないということだ。齢をとるということはこういうことなのだろうか。

1)「ローラの傷だらけ」(平成26年,詞:鬼龍院翔,曲:鬼龍院翔,唄:ゴールデンボンバー)

2)「イミテイション・ゴールド〜金爆の名曲二番搾り〜」:ゴールデンボンバーのアルバムタイトル(平成21年)

 

北航路(2018.3.13)

昭和49年,詞:阿久悠,曲:猪俣公章,唄:森進一

 「冬に旅する女の哀れを」と始まる歌。

 「北行く船で帰ります」と地名は不明だが,雰囲気からは青函連絡船の中だろう。晩秋か初冬で初雪がちらついている。外も寒いが心の中はもっと寒い。

 『津軽海峡・冬景色』1)と同じ状況の歌だろうか。

1)「津軽海峡・冬景色」(昭和52年,詞:阿久悠,曲:三木たかし,唄:石川さゆり)

 

気になる17(2020.6.6)

昭和49年,詞:安井かずみ,曲:穂口雄右,唄:あいざき進也

 「誰よりも 君のこと 好きなのは 僕なのに」と始まり,「君はうわさの あいつと 一緒に 歩いてた」と続く。

 「僕のこの気持ち」「いつか気がついて」という歌。

 残念ながら世の中ではそうそう都合のいいことばかりは起きない。おそらく気づかれずに終わるだろう。よくある話だ。若者はこうして成長していく。

 ところで,歌詞に「気になる 喫茶店」とあり,これが気になる。当時,私は近所の喫茶店にせっせと通っていたので喫茶店に反応したのかもしれないが,今回この曲を聴いてみて,ほとんど覚えていないのにこの「気になる 喫茶店」だけは強く印象に残っていた。

 

銀の指輪(2020.4.5)

昭和49年,詞:財津和夫,曲:財津和夫,唄:チューリップ

 「夕べも僕は ねむれなかったよ 終わった愛を さがしていたんだ」と始まる歌。

 「みんな消えたけど ひとつさみしそうに 今もかがやいている 銀の指輪よ」ということだが,そんな指輪など処分してしまえばいいのにとおもうのは無関係な他人だからだろうか。想い出が詰まっているから処分できないのだろう。指輪が「さみしそう」に見えるというのは自分の心が反映されているのだろう。

 それにしても,昔は歌謡曲で相手を残して去っていくのは男だった。時代が変わったのだ。と思ったが,少し考えると,昔も相手が他所に嫁に行き,残された男の歌が何曲もあったことを思い出した。時代が変わっても人生は変わっていないということだ。

 

空港(2015.4.6)

昭和49年,詞:山上路夫,曲:猪俣公章,唄:テレサ・テン

「何も知らずに あなたは言ったわ」と始まる歌。第16回レコード大賞新人賞受賞曲。

ジェット機で旅立つのが昭和の後期だと感じさせるが,心を残しながらも黙って去る心情は昭和歌謡曲の代表的テーマの一つだろう。曲は猪俣なので演歌っぽく感じるが,テレサの唄はやはり昔ながらの歌謡曲だ。

 これよりずっと後のことだが,中国から来客があったとき,何かの流れでテレサ・テン(ケ麗君)の話題になった。その客が帰国後ケ麗君のCDを送ってくれた。もちろんすべて中国語版だ。歌詞カードは繫体字なので香港か台湾かと思ったのだがジャケットには簡体字で発売元?が書かれており,中国で売られているように見える。発音は広東語ではないかと感じるのだが,よくわからない。NHKラジオの中国語講座で覚えた単語の発音がラジオのものとCDのものが違うことと,昔買った香港製の歌謡テープの発音と同じ発音の個所があるからなのだが,会話の場合と唄の場合では発音が違うのかもしれない。日本の曲も収録されていて,作曲者名は猪俣公章や都倉俊一はそのまま記載されているが三木たかしは三木としか記載されていない。仮名を漢字に変換せずに省略してある。今後,世界を目指すなら,名前も各種外国語で表記して変な意味にならないような名前にするべきだろう。

 

グッドバイ・マイ・ラブ(2018.2.13)

昭和49年,詞:なかにし礼,曲:平尾昌晃,唄:アン・ルイス

 「グッバイ・マイ・ラブ この街角で」と始まる歌。

 別れの歌だ。「これが本当の さよならじゃないの」と言っている。「二人の恋が」「真実ならば いつかは逢える」と言うのだが実は完全に終わっていることを知っているからこそこのタイトルになっているのだろう。

 歌詞はバター臭いが心情は演歌だ。

 

結婚するって本当ですか(2012.3.28)

昭和49年,詞:久保田広子,曲:榊原政敏,唄:ダ・カーポ

 「雨上がりの朝届いた短い手紙」と唄いだし,「結婚するって本当ですか」と何度も問いかける歌。机に写真を置いているくらいだから,思いは複雑だろう。失ったものの大きさを感じながら,心を込めて幸せを祈る。ルルルル・・・といいながら再び問いかける「結婚するって本当ですか」「本当ですか」の「か」の音程が下がっており,問い返しというより,落胆の気持ちがにじみ出ている。高音からの出だし,すがすがしい歌声により怨み節にはなっていない。

 この年,田中角栄首相の金脈問題追及が始まり,内閣総辞職により三木内閣が発足した。田中は子供の頃浪曲を練習していたことと関係があるかどうかは不明だが浪花節的人間だったようで,関係のあった人々には人気が高かったらしい。田中角栄には私もこんなことをされたら感激するというようなエピソードが多数あるようだ。

 

恋のアメリカン・フットボール(2019.10.31)

昭和49年,詞:阿久悠,曲:都倉俊一,唄:フィンガー5

 「手ごわい相手だ ぬかるな(ハイク) 一気につぶして 薦め(ハイク)」と始まる歌。

 「今度のゲームで勝ったら くちづけあげると」あの娘と約束したのだが「あいつもどうやら同じ 約束しているみたい」と益々闘志を燃やしている。それにしても『あの娘』は「どちらもどちらも大好きよ 私の心はきめられない」などと困った娘だ。

しかし,考えるまでもなく,野性動物では雌を巡って雄同士が戦うことは珍しくない。人間社会ではいつもレスリングで戦うわけではなく,ピストルのような武器を使う決闘や,経済力などという武器を使うこともある。社会が許す方法で戦うということだろう。この娘も雄同士を戦わせるという本能に従っているのかもしれない。自然界では雌が雄同士を戦わせているというより,雄同士が勝手に戦っているようにも感じるが。

フィンガー5のメンバーは,この年,長男の一夫が19才,一番目立っていた4男の晃は13才,最年少の妙子は12才だろうか。全員ティーンエイジャーで印象としてはローティーンだった。だからこそ阿久はこのような詞を書いたのだろう。大人のグループに唄わせたら微笑ましい歌にはならなくなってしまう。

 

恋のインディアン人形(2018.4.4)

昭和49年,詞:さいとう大三,曲:筒美京平,唄:リンリン・ランラン

 「わたしはおませなインディアン人形」と始まる歌。

 『リンリン・ランラン ソーセージ』1)と歌われたリンリン・ランランのデビュー曲であり,恐らくは最大のヒット曲。

 リンリン・ランランが双生児であることは,『ちびまる子ちゃん』の舞台であるこの時代には誰もが知っていたということだろう。

 いつからか彼女らを見なくなったと思ったが,その後活躍の場を香港に移したらしい。

1)「走れ正直者」(平成3年,詞:さくらももこ,曲:織田哲郎,唄:西條秀樹)

 

恋のかけら(2020.1.27)

昭和49年,詞:宇崎竜童,曲:宇崎竜童,唄:ダウン・タウン・ブギウギ・バンド

 「いつだって切なくて やるせないこの気持」と始まる歌。

 『スモーキン・ブギ』のB面曲。

A面とは違い,こちらはスローバラードだ。もっとも,バラードとは何かをよく知らないので,これがバラードかどうかは解らないがスローな曲であることは確かだ。

 「遅すぎた何もかも」というのだが,思うようにいかない恋の歌だという以外,私には状況が理解できないので,共感や同情、慰めやアドバイスのどれも出来ない。

 最後に「消したはずの恋の嵐」とあるので,過去の想い出なのだろうか。もしそうなら,そんなことは忘れて仕事や趣味に頑張ってと言いたい。そのうちに新しい恋が生まれればそれはそれで良いだろう。積極的に新しい恋を捜せとは言わない。

 

恋の風車(2018.6.27)

昭和49年,詞:林春生,曲:筒美京平,唄:チェリッシュ

 「あなたに愛を告げる 言葉をさがしましょう」と始まる歌。

 「風車」ってどういうことだと思うと,「回っているわ 恋心」というフレーズが何回か現れ,そういうことかと解る。専門家の評価は知らないが,私のような素人はこのような詞に「風車」というタイトルを付けることは思いつかないのに,詞を読んだ後はなるほどとなる。さすがプロと言いたくなる。

 

恋は邪魔者(2020.4.27)

昭和49年,詞:安井かずみ,曲:加瀬邦彦,唄:沢田研二

 「何も知らないお前に 優しくされて見つめる」と始まる歌。

 「切ない恋と 別れたばかり」なのに「事情(わけ)を知らない お前」に「迷わ」されそうだという歌。

 このような歌詞は歌い手によっては反感を感じてしまうかもしれないが,ジュリーなら仕方ないと許せる気がする。許すというより他の世界に住む住人だから仕方ないというべきだろうか。私にこのような歌が似合わないのは他人に聞くまでもない。

 

恋はダンダン(2016.12.7)

昭和49年,詞:有馬三恵子,曲:川口真,唄:浅野ゆう子

 「大人になるのダンダン 秘密を持つのドンドン」と始まる歌。

 アイドルソングだ。但し,当時の少女アイドルが,概ね日本人体型で年齢相応に子供っぽく見えたのに対し,浅野は長身(特に脚長)で日本人離れしたスタイルで実年齢より年上に見えた。

「スリルにあふれているわ 私もそうないたいの」とあり,千家和也は山口百恵に背伸びした女の子の歌を書いたのに対し,有馬は背伸びしたがっている女の子の詞を書いた。

16回日本レコード大賞新人賞受賞。

そういえば,もっと後のことになるが,某社から来るカレンダーが毎年浅野ゆう子だった。

 

恋人たちの港(2023.5.3)

昭和49年,詞:山上路夫,曲:森田公一,唄:天地真理

 「はじめてよ二人して 港へと来てみたの」と始まる。

 「美しいことばかり なぜ私とあなたにあるの あれはギリシャの船と 指で教えるあなた」などとハッピー・ソングだ。

 ハッピー・ソングなら幸せを分けてくれてもいいと思うのだが,この歌は幸せを一人(二人?)占めしているように感じる。このように感じるのは聴き手の心の問題なのかもしれないが。

 

木枯らしの二人(2014.8.2)

昭和49年,詞:阿久悠,曲:三木たかし,唄:伊藤咲子

 1番は「家をでたふたりを 木枯しが追いかけ」と始まるのだろう。しかしこの前に「もっと強く抱きしめてよ 奪われないように 固く固く折れる程に その手で抱きしめて」の印象的なフレーズが入り,このフレーズは1番と2番の間,および曲の最後にも繰り返される。このフレーズの印象が強すぎ,他の部分の歌詞の記憶がない。

 なんとなく「愛と愛で結び合った あなたと私」というハッピーな歌だという印象しかなかったが,2番の歌詞には「許されぬ初恋を 愛と愛で誓い合って その日を待つの」と何らかの事情もあるようだ。この事情が「木枯らし」として表されているのだろうが,このあたりの印象を吹き飛ばすくらい高らかに印象的なフレーズのリフレインにより,明るく感じられる曲になっている。

 

木枯らしの二人(2018.9.6)

昭和49年,詞:阿久悠,曲:三木たかし,唄:伊藤咲子

 「もっと強く抱きしめてよ 奪われないように」と始まるサビから始まる。

 「家を出た二人を 木枯らしが追いかけ 若過ぎる恋だと 悲しみを与える」と状況が聴き手に解るような詞になっている。歌を聴かせるためには何でも聴き手に想像させるのではなく,この詞のように状況説明が必要だろう。

 

告白(2021.3.31)

昭和49年,詞:千家和也,曲:馬飼野俊一,唄:野口五郎

 「何をためらうの 僕を前にして」と始まる。

 「愛のあやまちは 誰にもあることさ」と続くが,千家はこの「愛のあやまち」で何を言おうとしているのか。以前ならば「誰にもあること」と言えば,『心の声に背いて社会や周囲の要請に従ってしまう』その結果後悔するというパターンではなかったか。しかし,千家がここで使っている「あやまち」は逆に社会から「あやまち」と非難されるような行為を指しているように感じる。この時代には「誰にもあること」になっていたのか。

 わざわざ言うということは,恐らくはまだ「誰にでもあること」にはなっておらず,しかし,言われればそうかもと思う程度にはそのような噂も聞くようになってきた時代なのだろう。

 それはいいとして,タイトルの「告白」というのはどこなのかよく解らない。「僕が悪いからさ」という所なのだろうか。

 

コーラが少し(2017.9.23)

昭和49年,詞:山名敏晴,曲:山名敏晴,唄:高木麻早

「グラスに残したコーラが少し」と始まる歌。

山名敏晴についてはほとんど何も知らないのだが,この歌は「私の小さな幼い恋が 大人のあなたには届かなかったの」という歌になっている。この歌詞の「あなた」は山名のことではないのか。そして,年の離れた少女の気持ちを気付かない振りをしたのではなく,山名の願望を詞にしたのではないのだろうか。

 

酒場にて(2014.9.15)

昭和49年,詞:山上路夫,曲:鈴木邦彦,唄:江利チエミ

 「好きでお酒を 飲んじゃいないわ」と始まる歌。

 「今日もひとり酒場で」「あなたを想い」飲んでいる歌。「また長い夜をどうして すごしましょう」と印象に残るメロディーが続く。

 私の印象では山上も鈴木も昭和の歌謡曲全盛時代をわずかに過ぎた,グループサウンズやフォークの最盛期の人だ。時代は演歌,ニューミュージック,アイドル歌謡の時代へと移った。この歌は昭和の歌謡曲全盛期の雰囲気を濃厚に残している歌のように感じる。

 

淋しがりや(2017.1.7)

昭和49年,詞:山口洋子,曲:平尾昌晃,唄:梓みちよ

 「雨のしずくを百まで 数える淋しがりや」と始まる歌。

 山口の詞に平尾の曲なら安心して聴ける。「他人(ひと)のまえでは陽気に騒げる淋しがりや」など,歌謡曲の一つのパターンにきちんとはまっている。

 最後の「一緒に飲んでくれませんか」も印象に残っている。「一緒に行ってくれませんか」はやや月並みに感じるが。

 

さらば友よ(2020.3.5)

昭和49年,詞:阿久悠,曲:猪又公章,唄:森進一

 「このつぎの汽車に乗り 遠くへ行くと あの人の肩を抱き あいつはいった」と始まる歌。

 「あの人」と「あいつ」が遠くに行くのだ。「裏切りといえるけど 許してもいい」。しかし,「しあわせを祈るよと いいたいけれど なぜかしら素直には いえなかったよ」。

 「俺の 俺の この涙 知られたくない」というのは強がりか,それとも友に対する気遣いか。いずれにせよ「さらば友よ もうあうこともない」。

 このようにして友人を一人失った。

 

しのび恋(2018.10.4)

昭和49年,詞:悠木圭子,曲:鈴木淳,唄:八代亜紀

 「逢いに行きたい 逢うのがつらい」と始まる歌。

 「誰も許さぬこの恋故に」「二度と逢ってはいけない人と」という状況なので,どうも逢ってはいないようなのだが,逢いたい気持ちが溢れている歌。『なみだ恋』1)では同じしのぶ恋でも明らかに逢っている。『なみだ恋』のヒットを承け,同じ路線でもう一曲というのだろうが,逢った上での心の動きのほうが聴き手にストレートに伝わったようだ。

1)「なみだ恋」(昭和48年,詞:悠木圭子,曲:鈴木淳,唄:八代亜紀)

 

精霊流し(2013.9.7)

昭和49年,詞:さだまさし,曲:さだまさし,唄:グレープ

 「去年のあなたの想い出が」と始まる歌。

 若いのに,今年が初盆なのだろう。精霊流しに集まった友人たちに混じって「小さな弟が何も知らずにはしゃぎまわって」いる。集まった中にいる母親をみると「わずかの間に年老いて」しまっており,どうしようもない寂しさが漂う。聴くのはいいが,軽々に唄うのははばかられる気がする。

 バイオリンというのは,当時のフォークグループにしては珍しかった。曲も3連符が多用され,私のようなリズム音痴にはリズムがとりにくい歌だ。8分音符3つならまだ容易だが,4分音符3つの3連符は難しい。

 テーマが重く,唄うのも難しいので人前で唄うことはないが,心に残る歌だ。

 

昭和枯れすゝき(2012.9.25)

昭和49年,詞:山田孝雄,曲:むつ・ひろし,唄:さくらと一郎

 「貧しさに負けた いえ世間に負けた」「花さえも咲かぬ 二人は枯れすすき」という歌。枯れススキというと「船頭小唄」1)のことだと思うが,大正時代の船頭小唄では「船の船頭で暮らそうよ」と歌っている。ところが昭和になると「いっそきれいに死のうか」などと言っている。どちらも世間で花を咲かせることはできないと諦めているが,昭和では死のうかとまで言っているのだ。確かに昭和48年ごろ石油価格が高騰し,不景気になった。

大正のカップルと昭和のカップルの考えの違いは何が原因だろうか。恐らく大正のほうがより貧しい生活をしていただろう。昭和では「幸せなんて望まぬが人並みでいたい」と言っている。これは人並みでいられることは十分しあわせなのだということに気づいていない。人並みというレベルも大正とは比べ物にならず高いレベルにあるはずだ。大正のカップルは恐らく人並み以下でも生活しようとしているのだ。しかし,昭和のこの頃は一億総中流の時代だ。周囲を見ると皆それなりに豊かに見えたのだろう。

昭和では「力の限り生きたから未練などないわ」と言っているが,力の限りと言ってもまだまだ甘いのだろう。しかし,それ以上に「世間の風の冷たさに」涙するしかないということが絶望へと駆り立てるのだろう。

このような人間関係の希薄化は次第に進行し,平成15年に個人情報保護法などができていっそう他人との距離が大きくなって行った。

1) 「船頭小唄」(大正10年,詞:野口雨情,曲:中山晋平)

 

白い一日(2015.5.11)

昭和49年,詞:小椋佳,曲:井上陽水,唄:小椋佳

 「真っ白な陶磁器を眺めてはあきもせず」と始まる歌。

 この歌詞からは小椋佳らしさを感じない。私の偏見かもしれないが,小椋の詞には『君たち,こんな言葉知ってる?』と云わんばかりの,普段あまり使わない言葉を入れるのが好きなように感じる。ところがこの歌にはそのような言葉が入っていない。

 陶磁器を少女の比喩と考えてみれば,「眺めてはあきもせず かといってふれもせず」が小椋らしいと言えなくもないように思うが,陶磁器と陶器と磁器をいっしょくたにしているところは小椋らしくないとも感じられる。小椋なら陶器と磁器は区別しそうだ。あるいは多くの陶磁器を眺めているのだろうか。

 「目の前の紙くずは 古くさい手紙だし」も小椋がわざわざ残していた古い手紙を「紙くず」と呼ぶのは私の中では考えられない。

 詞がつくられた時期が,私が小椋の歌をよく聴いていた時期より古いのかも知れない。

 

白い冬(2013.1.19)

昭和49年,詞:工藤忠行,曲:山本康世,唄:ふきのとう

 「一人で想う秋はもう深く 過ぎ去ればむなしく消えた日々」と始まる歌。「もう忘れた 全て あなたのことは」と言っているということは忘れていないということだ。

 好きな歌のひとつだ。

 この年,名古屋の市電が全廃された。

 また,この年,中日ドラゴンズが20年ぶりにセ・リーグ優勝した。「燃えよドラゴンズ!」1)が流行していた。この年の秋,たまたま東京に行って街を歩いていたら,小学生が数人グループで「燃えよドラゴンズ!」を唄いながら歩いていて,東京にも中日ファンの子供がいるのかと感激した。

1)      「燃えよドラゴンズ!」(昭和49年,詞:山本正之,曲:山本正之,唄:坂東英二)

 

シンシア(2017.7.5)

昭和49年,詞:吉田拓郎,曲:吉田拓郎,唄:よしだたくろう&かまやつひろし

 「なつかしい人や 町をたずねて汽車を降りてみても」と始まる歌。

 「たくろう&ムッシュかまやつ」だが,拓郎を強く感じる。

 ただ,詞の内容は共感できない。「君の声が 戻っておいでよと唄ってる」というのが判らない。本当に「戻っておいでよ」とボールが投げかけられているなら,そのボールをどうするか自分で判断しろと言いたい。「戻っておいでよ」と言ってくれるんじゃないかと期待しているなら,直接確認してみたらいい。「戻っておいでよ」と言って欲しいと思っているなら,何を甘えているのだと言いたい。

 要所要所で決断して行動しているのではなく,流れに身を任せているだけの生き方ではないのか。

 

少しは私に愛をください(2016.7.1)

昭和49年,詞:小椋佳,曲:小椋佳,唄:小椋佳

 「少しは私に愛をください」と始まる歌。小椋にしては珍しく衒学的ではなく素直な詞だと思う。その分インパクトは弱く感じる。

 2番は「たまには手紙を書いてください」だ。

当時,電話はあるところにはあるという状況だった。私は電話契約しておらず,誰かが私に電話を掛けようとすると,大家の家に電話して,そこから呼びに来てもらい,大家の家にある電話口まで行く必要があった。要するに普通の連絡手段は直接訪ねるか郵便しかなかった。

電話を掛ける場合は公衆電話があった。呼び出し電話に電話を掛ける時には呼びに行っている間も10円玉が吸い込まれていくので,10円玉をたくさん用意してかけた。昭和47年には100円硬貨を受け付ける公衆電話ができたが,途中で切ってもつり銭はでなかった。そのようにして10円硬貨が吸い込まれる音を聞きつつ待っていて,『お留守のようですよ』など言われると伝言を頼むしかない。そのような時代の歌だ。テレホンカードの登場は昭和57年だ。

ちなみに,当時は葉書が10円,封書は20円だった。

 

スモーキンブギ(2012.5.31)

昭和49年,詞:新井武士,曲:宇崎竜童,唄:ダウン・タウン・ブギウギ・バンド

 「初めて試した煙草がショート・ピース」,「目覚めの一服,食後の一服・・・」という歌。当時,煙草は今ほど世の中から嫌われてはいなかったと思う。嫌われていたのかもしれないが喫煙人口も多く,嫌煙権などという言葉も聞かなかった。

 ショート・ピースという名前がいつから普通になったのかよく覚えていない。単にピースというとこの両切ピースのことだった。フィルタ付きのピースがでて,これをロング・ピースといって区別した。金持ちが吸うと思っていた缶入りのピースもあった。このショート・ピースは紙巻煙草の中では香りが良い。いわゆる紫煙の香りが良いのだ。他の紙巻煙草で香りの良いものは思いつかない。悪い臭いの煙草もいろいろあった。ロング・ピースはどうしてこれが同じピースなのかというほど香りが異なる。

 煙草を吸って吐き出す息にも煙が含まれるが,これは水蒸気なども含まれ白い煙となり,いわゆる紫煙の香りとは異なる。ショート・ピースでも一度人に吸われた後吐き出された煙の香りは嫌いな人のほうが多いだろうという臭いになる。

 初めて買う煙草がショート・ピースということはよくあった話だ。私も最初に買った煙草はショート・ピースだったし,同様な友人が何人もいる。ただ,この煙草は結構強く,初心者には吸いきれない。価格も高いのでもっと安い煙草に落ち着くのが普通だった。

 目覚めの一服,食後の一服・・・というのは喫煙者の生態をよく表している。

 煙草が歌われた歌がいろいろある。「一本の煙草も二人でわけてのみ」1),「恩賜の煙草頂いて」2),「ベッドで煙草を吸わないで」3),「あなたの好きなタバコの香り」4),「くちづけ残り香タバコの煙」5),「煙草のけむりの中に」6),「折れた煙草の吸殻で」),「けむたそうな顔をしてたばこを吸うわ」8,「煙草の匂いのシャツに」9)などである。そういえば,海援隊の「母に捧げるバラード」(昭和48年)も煙草に関係がある。

1)      「戦友」(明治38年,詞:真下飛泉,曲:三善和氣)

2)      「空の勇士」(昭和15年,詞:大槻一郎,曲:蔵野今春)

3)      「ベッドで煙草をすわないで」(昭和41年,詞:岩谷時子,曲:いずみたく,唄:沢たまき)

4)      「ブルーライト・ヨコハマ」(昭和43年,詞:橋本淳,曲:筒美京平,唄:いしだあゆみ)

5)      「よこはま・たそがれ」(昭和46年,詞:山口洋子,曲:平尾正晃,唄:五木ひろし)

6)      「煙草のけむり」(昭和48年,詞:五輪真弓,曲:五輪真弓,唄:五輪真弓)

7)      「うそ」(昭和49年,詞:山口洋子,曲:平尾正晃,唄:中条きよし)

8)      「想い出まくら」(昭和50年,詞:小坂恭子,曲:小坂恭子,唄:小坂恭子)

9)      「赤いスイートピー」(昭和57年,詞:松本隆,曲:呉田軽穂,唄:松田聖子)

 

青春の影(2017.10.5)

昭和49年,詞:財津和夫,曲:財津和夫,唄:チューリップ

 「君の心へ続く 長い一本道は いつも僕を 勇気づけた」と始まる歌。

 私には状況が理解できない歌。今までは夢をとるか君をとるかどっちつかずだったが,夢をあきらめ,君との小市民的生活を選択するという歌のように聞こえる。「今日から僕はただの男」と終わるが,今まで何様のつもりでいたのだろうか。

 

空飛ぶ鯨(2013.12.7)

昭和49年,詞:みなみらんぼう,曲:みなみらんぼう,唄:ちゃんちゃこ

 「ある朝ある町で 鯨が空を飛んでた」と始まる歌。

 森で暮らしていた鯨が海に追い出されるという進化論とは逆の流れだが,更に空中に逃れる。空を埋めた「鯨の群れは次々打ち落とされて魂だけが飛んでった」と,魂は天に昇り,救われた印象だが,この世では疎外され救いは得られないという印象も受ける。ファンタジーではあるが,また70年安保・大学紛争の挫折記憶が強く残って,閉塞感が広がっていた時代の歌だ。

 ランボーだが,シルヴェスター・スタローン演じるランボーの映画は昭和57年だからもちろん「みなみらんぼう」とは無関係だ。フランスの詩人アルチュール・ランボーから借りたものだろう。江戸川乱歩がエドガー・アラン・ポーから借りたように。

 

タイムマシンにおねがい(2019.11.29)

昭和49年,詞:松山猛,曲:加藤和彦,唄:サディステック・ミカ・バンド

 「さあ不思議な夢と 遠い昔が好きなら さあそのスヰッチを 遠い昔に廻せば」と始まる歌。

 ジュラ紀でも鹿鳴館時代でも好きな時代に行けるということで「タイムマシンにおねがい」ということなのだが,そのようなマシンが欲しいというのか既に手に入れたのかが解らない。手に入れたのなら好きな時代に行ってその報告がありそうなものだが,こんな時代へ行けると例示されているのは,行ったことが無くても言えることしか言っていない。例えば,ジュラ紀では「アンモナイトはお昼ね ティラノザウルスお散歩」としか書いてない。どうもタイムマシンはまだ手に入れていないようなので,「おねがい」というのは欲しいという意味なのだろう。

 結局,夢の歌なのだが,その夢に新鮮味がない。恋の歌も多数作られており新鮮味がないかというと,恋は千差万別,いろんな状況いろんな切り口があり新鮮な歌が多数ある。このタイムマシンの歌も,未来旅行で過去に誰も述べていないような未来が描写されていればその創造性は当然評価されるだろうが,誰もが知っているような過去の話をするだけでは創造性は感じられない。

 

ちっぽけな感傷(2014.10.28)

昭和49年,詞:千家和也,曲:馬飼野康二,唄:山口百恵

 「もちろん出来ないことだけど あなたを嫌いになりたいの」と始まる歌。

 『ひと夏の経験』1)に次ぐ山口百恵5枚目のシングル曲である。この詞は雑誌『明星』で募集した案を元に千家が作詞したとのことだ。これまでの千家の詞では背伸びをした危うい少女路線で来ていたがこの歌を境に若干雰囲気が大人びてくる。

 「今すぐに消えて 私の前から どうぞ 泣くのは どちらか ひとりでいいわ」と終わる。未来を予想する知恵がついたか,少しは眼の前以外も見えるようになっている。

1)   「ひと夏の経験」(昭和49年,詞:千家和也,曲:都倉俊一,唄:山口百恵)

 

追伸(2017.2.9)

昭和49年,詞:さだまさし,曲:さだまさし,唄:グレープ

 「撫子の花が咲きました」と始まる歌。

 「あなたの指の白い包帯 上手に巻いてくれたのは誰でしょう」と関係の終わりを感じでいる。しかし,「編みかけた白いベスト」「ほどき始めましょう」と言いながら「最後のわがままです あなたの肩巾教えて下さい」などと言っている。

 私にはあまり共感できないし,同情も出来ない詞だ。

 「風に頼んでも無駄ですか」という箇所には少し共感できたのだろうか,印象に残っている。

 

追憶(2015.11.5)

昭和49年,詞:安井かずみ,曲:加瀬邦彦,唄:沢田研二

「小雨降ればひとり待つニーナ」と始まる歌。

 私には,「オーニーナ忘れられない 許して尽くしてそばにいて」の箇所など,いかにも沢田研二だと聞こえる歌だ。

 この頃、マリー1),ジョニィ2),ローラ3)などカタカナの名前に呼びかける歌が流行したような気がする。以前は日本名4)だったのに。

1)「五番街のマリーへ」(昭和48年,詞:阿久悠,曲:都倉俊一,唄:ペドロ&カプリシャス)

2)「ジョニィへの伝言」(昭和48年,詞:阿久悠,曲:都倉俊一,唄:ペドロ&カプリシャス)

3)「傷だらけのローラ」(昭和49年,詞:さいとう大三,曲:馬飼野康二,唱:西城秀樹)

4)「愛ちゃんはお嫁に」「お花ちゃん」「ひとみちゃん」「サッちゃん」「夜霧に消えたチャコ」「ミヨちゃん」「江梨子」など。

 

積木の部屋(2014.1.12)

昭和49年,詞:有馬三恵子,曲:川口真,唄:布施明

 「いつの間にか君と 暮らしはじめていた」と始まる歌。

 このような歌を聴くと生きる意味を考えてしまう。

 まず,小さな幸せを肯定する気分だ。「西日だけが入るせまい部屋」に住んでいても,幸せを感じることができる。「リンゴかじりながら語り明かした」だけで幸せだったのだろう。

しかし,この幸せは壊れてしまう。「もしもどちらかが もっと強い気持ちでいたら 愛は続いていたのか」と詞は続いているが,恐らくダメだろう。この二人は,「愛」とは何かということを考えたことなどないのではなかろうか。二人とも幼なすぎる。「君に出来ることはボタン付けとそうじ」などと小学生並ではないか。この二人の生活はままごとのように感じる。

この時代にはこのような生活をするカップルが増えてきていたのでもあろう。社会が変わり,このような生活が可能になってきたのだ。単身者が増えたので単身生活者に便利な世の中になってきたのか,原因と結果が逆かはわからない。確かなのは物質的・金銭的に豊かになって来たからこのような生活が可能になったのだ。物質的に豊かになり,精神的および日常生活の知恵の発達が遅れてしまったようにも感じてしまう。

 

東京(2011.10.18)

昭和49年,詞:森田貢,曲:森田貢,唄:マイ・ペース

 「最終電車で君にさよなら」と遠距離恋愛を思わせる歌詞だが,細かい状況はよく理解できない。軽快なメロディーだ。

 数人のグループで飲んでいて,一人がこの唄をうたったところ「東京へはもう何度もいきましたね君の住む美しい都」のところを唱和する者がでて,何度もこのフレーズが繰り返されるので,この部分が大合唱(斉唱?)になって大いに盛り上がったことがある。

 このほかに盛り上がりやすい曲は,「高校三年生」だが,これは少し感傷が入る。「燃えよドラゴンズ」も一人が歌うと唱和する人が多い。あとは「宇宙戦艦ヤマト」や「巨人の星」だと最後の部分だけ,「怪傑ハリマオ」ものりやすい。

 

逃避行(2013.5.20)

昭和49年,詞:千家和也,曲:都倉俊一,唄:麻生よう子

「あのひとから言われたのよ 午前5時に駅で待てと」と始まる歌。日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞した。ド素人の私かこんなことを言っては申し訳ないが,素人っぽい歌い方が素敵だ。

ダメ男に別れを告げる歌である。「今度だけは賭けてみると」念を押しておいたのにまた約束の時刻に現れない。酔いつぶれているのか他の女のところに居るのか,「それがなきゃいい人なのに」というフレーズが印象的。

今なら携帯電話で連絡するのだろうが,当時はまだ携帯電話の無い時代だ。彼が来ないのは交通事故にあったのかもしれないし,ひょっとしたら駅に来ていても東口と西口を間違えているのかもしれない。確認する手段がないので実際のところは判らないのだ。だからこそ,すれ違いがメロドラマの一大ジャンルになっていたのだ。

この歌とは関係ないが,この年,名古屋の市電(路面電車)が全て廃止された。

 

ときめき(2017.7.26)

昭和49年,詞:千家和也,曲:筒美京平,唄:麻丘めぐみ

 「大事にしてね 大事にしてね ああ ふたりの考えることはひとつ」と始まる歌。

 千家和也は多くの歌手に多様な詞を提供し,数多くのヒット曲となっているが,ティーンの女性歌手に提供した歌詞はワンパターンに感じる。どのような曲かと例を挙げれば,『芽ばえ』『女の子なんだもん』『年下の男の子』『その気にさせないで』『あなたにあげる』『としごろ』『青い果実』『禁じられた遊び』などだ。もちろん,異なる雰囲気の歌詞も沢山書いていることを知ってはいるが,千家和也と聞くとこのような歌を思い出してしまう。

 

突然の愛(2016.2.23)

昭和49年,詞:阿久悠,曲:三木たかし,唄:あべ静江

 「私はあなたに恋をしました」と始まる歌。タイトルにもなっている「突然の愛は迷惑でしょうか」というフレーズが記憶に残る。

 それにしても「いけないことだと思いましたが 心を素直に打ち明けます」とはどういうことなのだろう。当時の私は日本の国生み神話を思い,単純に女性からの告白が『はしたない』と思っているのだと考えていた。当時はようやくバレンタインデーには女性から告白してもよいという話が定着しつつあった時代1)でそれ以外は女性からの告白はそれほど多くなかった(と思う)。

 しかし,今ではこの二人の関係は社会的に許されない関係ではないかと感じるようになった。当時はそのようなことは夢にも思わなかったのだが。

1)マシュマロデーが提唱されたのが昭和52年,マシュマロデーからホワイトデーに変更提唱されたのが昭和54年である。この頃から義理チョコなども増える。

 

夏しぐれ(2014.12.10)

昭和49年,詞:松本隆,曲:筒美京平,唄:ALFIE

 「君の置き手紙また読みかえし ふと見る外の雨」と始まる歌。

 松本の詞は好きなタイプの詞と好きでないタイプの詞があるが,これは私が好きなタイプの詞だ。古いタイプの詞とも言えるだろう。

 筒美の曲は歌謡曲っぽくて私好みだ。

 ALFIEはその後似たような名前に次々と変わり,曲のテイストも変わったが,この頃はアイドルフォークと言ってよいだろう。曲も歌謡フォークという言葉はないかもしれないが,そのような感じだ。サビのコーラス部が良い。

 

涙と友情(2018.8.10)

昭和49年,詞:たかたかし,曲:鈴木邦彦,唄:西城秀樹

 「沈む夕日が空をそめても 恋に破れた僕の涙は 止まらないのさ」と始まる歌。

 詞も曲も40年代前半のGS時代を思い出させ,懐かしく感じる。

 

二色の独楽(2017.3.7)

昭和49年,詞:井上陽水,曲:井上陽水,唄:井上陽水

 「まわれまわれ二色の独楽よ」と始まる歌。

 「止まった時 愛も終わるよ」とあるので,何か文字通り以外の意味もあるのだろうと,いろいろ想像しては見るのだが,結局,私には理解できない歌。

 

眠れない夜(2019.7.7)

昭和49年,詞:泉谷しげる,曲:泉谷しげる,唄:泉谷しげる

 「眠れない夜 風が窓をたたき 手招きして誘い水をまく」と始まる歌。

 憧れの都会へ出て来たが,特に面白いこともなく眠れない夜だけが続くというストレスが感じられる歌。面白いことが無いほかストレスがあるとかいう歌詞は無いのだが,何となくそう感じる。

 都会にでれば何か面白いことがありそうに思えるが,現実は厳しい。このフラストレーションは若さに特有のものかもしれない。この感性が鈍磨されることが大人になるということなのか。

 

灰色の瞳(2019.6.10)

昭和49年,詞:Tito Veliz,訳詞:加藤登紀子,曲:Una Ramos,唄:加藤登紀子,長谷川きよし

 「枯野に咲いた小さな花のように なんて淋しいこの夕暮れ」と始まる歌。

 曲は南米調である。フォルクローレはあまり聴いたことがないのでこれ以上詳しくは分らないが,作曲者のUna Ramosは有名なアルゼンチンのケーナ奏者だそうだ。ケーナといえばアンデスの歌『El Cóndor Pasa1)を思い出すが,この曲はアルゼンチンっぽい。

 訳詞だが,日本語で第2音節にアクセントがある「とどかない」、「あなた」,「泣きくたびれた」などの言葉が,第1音節にアクセントがあるメロディーに割り付けられているため聴いていて違和感だらけなので,物悲しい歌詞のようだがそのように聞こえない。外国語の歌は正確に訳そうとすると日本語歌詞とメロディーが合わなくなる場合があるので,意訳にして自然な日本語にするほうが多かったような気がするのだが,昭和末期になるともともと日本語の歌でもアクセントを無視した歌詞の割付けが珍しくなくなってしまったように思う。

1)El Condor Pasa」(昭和45年,詞:P.Simon,唄:Simon & Garfunkel

 

激しい恋(2015.6.10)

昭和49年,詞:安井かずみ,曲:馬飼野康二,唄:西城秀樹

 「やめろと言われても 今では遅すぎた」と始まる歌。

 「もしも恋がかなうならば どんなことでもするだろう」と叫ぶ歌と言えるかもしれない。息切れするのではと心配するほどの振りの曲が増えてきたのはこの西條秀樹くらいからではないだろうか。そういえば山本リンダも舞台を走り回っていたか。

 後のピンク・レディーの振りも曲によっては息切れするのではと心配したが。

 それにしても,当時の歌手は激しい動きにもかかわらずそれなりに声がでていたように思う。

 

はじめての出来事(2016.3.29)

昭和49年,詞:阿久悠,曲:森田公一,唄:桜田淳子

 「くちづけのその後で おしゃべりはしないで」と始まる歌。

 突然のことで衝撃が大きく,「大人びたふりをして ここまでついて来たが」という歌だ。

 花の高一トリオのなかで森昌子と山口百恵の間をねらったのだろうか。詞はそのように感じるが,森田の曲は遠藤実(森)や都倉俊一(山口)の曲に比べて,よく言えば軽快,歌として歌詞と共に聴くと軽薄な感じを受けた。歌唱法から受ける感じだったのかもしれないとも思う。もっとも,桜田淳子ファンなら軽薄とは思わずに,天使のように爽やかと感じていたのだろう。

 

初めてのひと(2017.10.19)

昭和49年,詞:千家和也,曲:岡千秋,唄:西川峰子

 「抱いてほしさにふるえる肩に 指も触れない好きなひと」と始まる歌。

 作詞者名を見て,やっぱりという感想。西川の2曲目だと思うが,デビュー曲の『あなたにあげる』1)がヒットしたので似た路線でもう1曲というところだろうが前曲ほどにはヒットしなかったように思う。

1)「あなたにあげる」(昭和49年,詞:千家和也,曲:三木たかし,唄:西川峰子)

 

花占い(2017.8.12)

昭和49年,詞:簑島君代/阿久悠,曲:中村泰士,唄:桜田淳子

「逢える 逢えない 逢える 逢えない ・・・」の台詞から始まる歌。歌は「十六のある日 ポツンとひとり」と始まる。雑誌『明星』で募集された歌。

「花びらむしりながら 恋をうらなう」というのは昔からある方法だが,花弁の数は決まっているのだから,最初どちらからスタートするかによって結果は決まっているのではないだろうか。やりかたに対する私の想像が間違いなのだろうか,あるいは結果が決まっているからこそこのやりかたが継承されているのだろうか。

この歌を花の高一トリオ1)の誰かに唄わせるなら,やはり桜田淳子だろう。

1)「花の高一トリオ」:花の中三トリオ(桜田淳子,森昌子,山口百恵)も高一になった。

 

花とみつばち(2018.4.12)

昭和49年,詞:岩谷時子,曲:筒美京平,唄:郷ひろみ

 「どうでもいいけど 帰るのいるの」と始まる歌。

 いかにも郷ひろみという感じのアイドルソング。

 私にとって唯一やや意外なのは岩谷もこのような詞を書くんだということだ。

 

浜昼顔(2018.3.19)

昭和49年,詞:寺山修司,曲:古賀政男,唄:五木ひろし

 「家のない子のする恋は たとえば瀬戸の赤とんぼ」と始まる歌。

 「ぼくは空ゆくちぎれ雲」とあるので「家のない子」というのは自分のことだろう。人妻と恋に落ちたらしいが,前後の事情が全く分からず,私には何の感情も湧きようがない。旅に出るようだが,歌詞によると「家のない子」なのだからもともと長い旅の途中ではないのか?解らない。

 原曲は『さらば青春』1)という曲でこれに寺山が新しい詞をつけたらしい。

1)「さらば青春」(昭和11年,詞:佐藤惣之助,曲:古賀政男,唄:藤山一郎)。日活映画「慈悲心鳥」の主題歌。

 

春風のいたずら(2015.1.24)

昭和49年,詞:千家和也,曲:都倉俊一,唄:山口百恵

 「喧嘩して泣きながら あなたと別れて帰る道」と始まる歌。山口百恵の4枚目のシングルで「恐いわ恐いわ恐いわ こんな時こそあなたに居て欲しい」という個所が印象的。

 ところで3枚目のシングルは『禁じられた遊び』1)だが,こちらは「恐くない恐くない」と始まる。4枚目の歌詞はこの3枚目を意識して書かれたに違いない。そして5枚目の『ひと夏の経験』へと続く。

1)「禁じられた遊び」(昭和48年,詞:千家和也,曲:都倉俊一,唄:山口百恵)

2)「ひと夏の経験」(昭和49年,詞:千家和也,曲:都倉俊一,唄:山口百恵)

 

バイオリンのおけいこ(2019.4.18)

昭和49年,詞:永田幸一,曲:佐藤公彦,唄:佐藤公彦

 「僕のやさしい お母様が 僕の顔をみると いつもおっしゃるのです」と始まる歌。

 歌詞はそのときによって若干異なるが,僕は全くその気はないんだけれど,お母様は先生のお世辞を真に受けて僕をバイオリニストにしようとしていると訴える歌。

 親の夢を託されて迷惑に感じている子供の気持ちを歌ったものだろう。育ちが良さそうだから,ここでは『迷惑』と控えめに表現してみた。

 

薔薇の鎖(2018.12.1)

昭和49年,詞:たかたかし,曲:鈴木邦彦,唄:西城秀樹

 「愛する二人ははなれていても さびしくはないさ 夜も朝も」と始まる歌。

 「薔薇の鎖が 二人を結ぶ」というのだが,私には「薔薇の鎖」がどういう意味を持つのか解らない。薔薇の鎖と聞くと私などは切りたくても切れない腐れ縁かなどと思ってしまうが,歌詞の他の箇所では「愛するこの世のしあわせ」などとハッピーソングだ。

 この歌は雑誌『平凡』が募集した歌詞を原案にしたものらしいが,原案者のクレジットがない。ということは内容がかなり変わっているということだろうが,その改変の際に「薔薇の鎖」のイメージが変わってしまったのではないかと思ってしまう。

 

挽歌(2016.8.7)

昭和49年,詞:千家和也,曲:浜圭介,唄:由紀さおり

 「やはりあの人は 私を送りに来なかった」と始まる歌。

 「ひとりで朝は起きられますか ハンカチの場所分るでしょうか」などと残してきた「あの人」を気遣いながら「涙に濡れて 私は今バスに乗る」と別れて行く歌だ。

 ひょっとしたら見送りに来るかもしれないと思っていたようなので,出て行くことは「あの人」も知っていたのだろう。

 印象としては(少なくとも精神的には)女性のほうが年上のカップルの破局の歌だ。歌詞からはこれまでのいきさつが不明だし,別れる決意をした女性の心もまだ揺れているようで,女心は解らない。

 

悲惨な戦い(2015.11.26)

昭和49年,詞:なぎらけんいち,曲:なぎらけんいち,唄:なぎらけんいち

 「私はかってあの様な 悲惨な光景をみたことがない」と始まる歌。

 反戦ソングではない。相撲の歌だが下ネタなので,ここでは詳しく紹介しない。

 

ひと夏の経験(2011.10.4)

昭和49年,詞:千家和也,曲:都倉俊一,唄:山口百恵

前年「としごろ」でデビューした当時はどこにでもいそうな女の子で,歌も普通だったのだが,「あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ」で始まるこの曲の頃までに非常に上手になった。森昌子,桜田淳子と三人娘状態だったが,三人娘とは呼ばれずデビュー時中3だったことから「花の中三トリオ」と呼ばれた。森昌子は最初から歌が上手かったが,山口百恵は年齢によって雰囲気が大きく変わり,歌の雰囲気の幅も極めて広い。

部屋に何枚もポスターを貼る程度のファンだった。小さな箪笥には小柳ルミ子が貼ってあり,小さな部屋なので貼る場所もないので天井に貼ったりしていた。彼女はテレビドラマや映画にも出ているが,観た記憶がない。歌手としての山口百恵のファンだったのだろう。

 美空ひばりは大歌手だが,長い年月をかけて歌の内容を変えてきている。これに対して山口百恵は短期間の内に唄の質がかわってきて,若くして引退する時には大歌手の風格があった。

 

人は少しづつ変る(2019.5.14)

昭和49年,詞:中山ラビ,曲:中山ラビ,唄:中山ラビ

 「人は少しづつ変る これはたしかでしょ」と始まる歌。

 「そして あなたの心も変わったね 石のように冷たいのです」という歌。

 詞は悟りの境地のようだが曲は怨み節に聞こえる。中山ラビは女ボブ・ディランと呼ばれていたらしいが確かにその雰囲気はある。理性で詞を書き,感情で曲を作る。曲は演歌ではなくフォーク系でというとこんな感じになるのだろうか。煩悩は脱し切れていないように感じるが,これが若さだろう。

 

ひまわり娘(2020.7.8)

昭和49年,詞:阿久悠,曲:シュキ・レヴィ,唄:伊藤咲子

 「誰のために咲いたの それはあなたのためよ」とはじまる。

 「まわるひまわりの花 そしていつも見つめてくれる あなた太陽みたい」など,阿久の詞は平易で私でも書けそうな詞だ。私でも書けるというのではない。書けそうだが書けないというところがポイントだ。

 最後は「あなただけの花になりたい それが私の願い」と終わるが,この辺りも偉大な陳腐だ。そう感じさせることが阿久の力量なのだろう。

 

ひらひら(2019.2.22)

昭和49年,詞:中山ラビ,曲:中山ラビ,唄:中山ラビ

 「ヒンヤリと 肌にはしる ひとりねの ひらひら」と始まる歌。

 これまでの歌とは異質に聞こえる歌。異質という点ではユーミンと同じだが,ユーミンは新しい技巧が神経を刺激するのに対し,この歌は一部に長い言葉を無理矢理詰め込む以外技巧をこらさないという新たな技巧を使っているようで平静な気持ちで聞き流せてしまう。

 怠惰な生活の中でこのような歌を聴いているのもいいかもしれないが,精神的余裕のないときにはもっと刺激の強い歌が欲しい。

 

ビートルズはもう聞かない(2017.8.26)

昭和49年,詞:松本隆,曲:佐藤健,唄:GARO

 「ビートルズはもう聞かないなんて きみは言ってたね」と始まる歌。

 一世を風靡したビートルズも昭和45年にポール・マッカートニーが抜け解散になる(正式解散は昭和46年)。ビートルズが変わったように「過ぎゆく季節がきみを変えぼくをも変えたのか」,「さよならきみと過ごした日々よ」と別れの歌だ。

 結局,『時は流れた』1)のだ。

1)「学生街の喫茶店」(昭和47年,詞:山上路夫,曲:すぎやまこういち,唄:ガロ)

 

二人でお酒を(2017.11.22)

昭和49年,詞:山上路夫,曲:平尾昌晃,唄:梓みちよ

「うらみっこなしで 別れましょうね さらりと水に すべて流して」と始まる歌。

16回日本レコード大賞大衆賞受賞。

この歌のように別れることができるかどうかは不明だ。これが大人の関係かとも思うが,若者から見れば純真さを失っていると見えるかもしれない。「似たもの同志」だから可能なのかも知れないが,性格の不一致で別れるカップルもあるようなので似ている・似ていないだけではないだろう。「似たもの同志」だからこそ泥沼闘争になることもありそうに思う。

梓の唄を聴いても,本当にこのように思っているのか,二度と一緒に飲むことはないと思いつつの社交辞令なのか,本当は別れたくないのか解らない。私の印象では,梓は,本当は別れたくないという気持ちで唄っているように思う。少なくとも平尾の曲からは心残りを感じる。

 

冬の色(2014.2.19)

昭和49年,詞:千家和也,曲:都倉俊一,唄:山口百恵

 「あなたから許された口紅の色は」と始まる歌。

 山口百恵の7枚目のシングルで,初めてオリコン1位をとった曲だが,私はこれより前にも,この曲より良い曲があったと思っている。山口百恵は後に阿木・宇崎コンビにより絶頂期を迎えるのだが,このころは唄にまだそれほどの迫力がない。

 これは私の好みの問題だが,千家・都倉コンビの歌を歌っていた当時の百恵は中音から高音(それほど高いわけではないが)にその声の魅力があった。この曲はでだしから低音領域を徘徊しており当時の百恵の低音は私にはいまひとつもの足りなかった。この歌では「恋する気持に疑いなんてはいれる隙間はありません」というところなどは良いのだが,低音が多く使われているこの歌は私にとっては百恵ベスト5から外れてしまう歌だ。結局私の好みは世間の好みとは少しずれているのかも知れない。

 

冬の駅(2018.1.8)

昭和49年,詞:なかにし礼,曲:加瀬邦彦,唄:小柳ルミ子

 「白い朝もや流れる 冬の淋しい停車場」と始まる歌。

 演歌になりそうな詞をGSサウンズの面影を残した曲に載せた唄。私は小柳に良くあった歌だと思う。

 「停車場」は当時でもほとんど死語ではないかと思うが,歌には使われることもあった1)。作詞家はこのような言葉が好きなのかもしれない。もちろん啄木2)の頃は普通に使われていたのだろう。私が子供の頃,祖父は「停車場」という言葉を普通に使っていた。『ステッション』というような表現も聞いたことがある。

1)「終着駅」(昭和46年,詞:千家和也,曲:浜圭介,唄:奥村チヨ),「夜明けの停車場」(昭和47年,詞:丹古晴己,曲:叶弦大,唄:石橋正次)など。

2)ふるさとの訛り懐かし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく:石川啄木,「一握の砂」(明治43年)

 

古い日記(2017.4.2)

昭和49年,詞:安井かずみ,曲:馬飼野康二,唄:和田アキ子

 「あの頃はふたり共」と始まる歌。

 唄い出しが印象深いのか和田のモノマネの際によく唄われているように感じる。

 「他人など信じない」「自分たちだけだった あとはどうでもかまわない」というのは昔そうだったということで今は違うということなのかも知らないが,私が目指す方向とは違っている。

 

ふれあい(2011.10.20)

昭和49年,詞:山川啓介,曲:いずみたく,唄:中村雅俊

 「悲しみに出会うたびあの人を思い出す」という曲。「ひとはみな一人では生きてゆけないものだから」ということで,心に染み入るのだが,これでよいのだろうかという思いもある。武士の教育を受けていたならこのような卑怯な感情は抱かないだろう。悲しみはじっと一人で耐えるものだろう。「人」という字は支えあい・・・というのは昔からあると思うが,支えてもらいたいなどと思うのが卑怯ということだ。しかし戦後教育では本音を言えということなのでこんなことをおおっぴらに言うようになってしまったのだろう。更に時代が進み,人が支えてくれるということが信じられなくなってしまった人達もいるようだ。

 「何気ない心のふれあいが幸せを連れてくる」。本来なら天下国家を語って欲しい年代の人々がこのように考えていて良いのだろうか。5年前ならこのような感情はおおっぴらには言えなかった気がする。しかし,不幸だ不幸だと言っているよりはるかに良い。傷口を舐め合えば傷も癒えてくるだろう。

 時代が作った歌のように感じる。

 

星に願いを(2018.4.8)

昭和49年,詞:安井かずみ,曲:平尾昌晃,唄:アグネス・チャン

 「好きなひとに どうぞ会わせて」と始まる歌。

 「心に思うはんぶんも 言えないことが心配なの」で「愛の星に 願いをかける」という微笑ましい歌。アグネスに合っている歌だと思う。

 

ポケットいっぱいの秘密(2018.2.25)

昭和49年,詞:松本隆,曲:穂口雄右,唄:アグネス・チャン

 「ひみつ ないしょにしてね 指切りしましょ」と始まる歌。

 秘密といっても幸せな秘密の歌。松本もこのような解りやすい歌詞が書けるのだ。

 穂口の曲も,普通の歌謡曲からアグネスの唄程度に外れていて,アグネスによく合っていると感じる。

 

みかん色の恋(2016.5.20)

昭和49年,詞:岡田冨美子,曲:佐瀬寿一,唄:ずうとるび

 「好きなんだ好きなんだ 逆立ちしたいほど」と始まる歌。

 すうとるびはアイドルグループのひとつだろう。しかし,名前がビートルズのもじりとしか考えられず,アイドルというよりバラドルではないだろうか。しかし,当時はまだバラドルという言葉はなかったと思うし,バラドルはどちらかというと女性アイドルの終着点(通過点?)の一つのように感じられる。

 この歌の歌詞でも,「僕 逆立ちができない」といったかと思うとすぐに「夜空を飛びたい」などと出来もしないことを言っている。大人の目で見れば,夢を見ている子供の歌だ。そういうキャラ設定のバダドルなのだろう。

 

岬めぐり(2014.4.8)

昭和49年,詞:山上路夫,曲:山本厚太郎,唄:山本コータロー&ウィーク・エンド

 「あなたがいつか話してくれた 岬をぼくはたずねて来た」と始まる歌。

 どういう事情かは解らないが一人で約束した地を廻っている。約束したあなたは今はいない。「悲しみ深く胸に沈めたらこの旅終えて街に帰ろう」と3回も繰り返されていて,心の底から悲しんでいる様子が伝わる。

 悲しみのために泣き叫ぶわけでもなく,悲しみの原因を怨むわけでもなく,絶望して死んでしまいそうだというわけでもなく,仕方ないと一種の諦観を感じる。この歌は同様な悲しみを抱えた人が,共感しながら聴き・唄う歌だろう。

 悲しんでいるとき,あるいは悲しんでいる人に寄り添って歌うのがよいが,このような悲しみと無縁なのにこの歌を唄うと,悲しみを呼び寄せてしまうのではないかど感じるほど悲しいメロディーだ。

 

水色の街(2018.12.29)

昭和49年,詞:山崎稔,曲:山崎稔,唄:三輪車

 「水たまりの中で はしゃぎまわる君は」と始まる歌。

 その君は「口から先に生まれた様な」「おてんば」で「とても美人とはいえない」。そんな君にいつのまにか「恋人にされ」てしまった。

 で,逃げようとしているかというとそうではない。次第に君の良さが判ってきて,「去年は」「横目でアベックにらんだ」,でも「今年は二人 歩きたいな」というまでになっている。ハッピーソングだ。

 昔から『美人は三日で飽きるが,○○は三日で慣れる』と言われている。やはり外面より内面が重要だろう。

 

ミドリ色の屋根(2024.4.14)

昭和49年,詞:さいとう大三,曲:村井邦彦,唄:ㇽネ

 「どうしてそんなに 悲しい顔で 毎日お空ばかり 見つめているの」と始まる。

 「別れたパパのことを 見つめているの」「泣かないで ぼくがそばに 泣かないで いるから」とママを慰めている。

 悲しいメロディーがボーイ・ソプラノで強調されている。

 「小さないなかの ミドリの屋根の おうち」で暮らそうという歌。

 

みれん(2017.4.27)

昭和49年,詞:山口洋子,曲:平尾昌晃,唄:五木ひろし

 「雨のうら街 ギターがツンと」と始まる歌。

 女歌。それも薄幸の女だ。

「行く先は探すなと それが置手紙」。もう二度と逢うことはないと頭では理解しているのに心は忘れられない。それが「みれん」なのだろう。

 

夫婦鏡(2015.7.9)

昭和49年,詞:千家和也,曲:彩木雅夫,唄:殿さまキングス

 「たとえ死んでもいいわ あなたのためなら」と始まる歌。

 私にとって殿さまキングスとぴんからトリオは演歌の代表だ。と思ったが,演歌と言えば藤圭子ではないかと思い直した。八代亜紀や川中美幸も演歌じゃないか。他にも演歌歌手は多数いる。しかし殿キンと藤ではその唄は全く違って聞こえる。音感が鈍く,音楽理論も知らないのでこれらの歌の共通点と相違点を説明することはできないのだが,何かが同じで何かが違うのだ。好き嫌いという分類でもない。好きな歌でもこれは演歌だと思う歌とこれは演歌ではないと思う歌がある。

 解らないことの詮索はおいておくことにして,この歌について考えてみる。

 「死」を軽々しく口にする詞は一般的に言えば私の好みではない。『命を懸ける』などという歌詞があると,軽々しく命を懸けるなと言いたいのだが,なんとなく演歌の中の命懸けは口先だけの命懸けで,想いの強さを表現する能力不足からきた表現なのだろうと感じてしまう。これに対してフォーク系の歌で命を懸けているのを聞くと,些細な理由で簡単に死んでしまうのではないかとの恐れを抱いてしまう。演歌で歌われている状況のほうがはるかに状況が悪そうなのに演歌ではしぶとく生き続けていきそうに感じるのに対しフォークソング(?)の登場人物は精神的にひ弱な印象を受けるのだ。

 「あなたの重荷になりたくないのよ」,「言いつけを守るのは私の務めよ」,「あなたに迷惑かけたくないのよ」などと女性解放運動家が聞けば一言ありそうな(恐らくは一言ではすまないだろう)歌詞だが,それでも演歌に登場する女性は「悲しく身を引」いた後,強く生きていきそうな感じを受ける。

 男性作詞家が書いたこのような女歌は現実を描いたものではなくこのような「女がいた」らいいなという夢を描いたものではなかろうか。

 

燃えよドラゴンズ!(2016.9.7)

昭和49年,詞:山本正之,曲:山本正之,唄:坂東英二

「遠い夜空にこだまする 竜の叫びを耳にして」と始まる歌。

レギュラー選手が打順どおり登場し,投手陣や代打陣も登場する。当時の中日選手名鑑になっている歌。

この年,中日は巨人のV10を阻止し,20年振りにリーグ優勝した。

この年の秋,たまたま東京に出張した。このとき,たまたま道を歩いていた小学生の集団がこの歌を唄っているのを聞いた。東京は巨人一色かと思っていたが思わぬ所でこの歌を聞いてこの年の中日の勢いを感じた。

 

やさしさに包まれたなら(2013.7.19)

昭和49年,詞:荒井由美,曲:荒井由美,唄:荒井由美

「小さい頃は神様がいて」と始まる歌。「やさしさに包まれたならきっと」というところから「全てのものは君のもの」というサビの部分は何度も聴いた。某メーカーのソフトエクレアというお菓子のCMソングとして何度も何度も流れていたのだ。CMでないときには最後の部分は「全てのことはメッセージ」と唄われている。ソフトエクレアにはそのものずばりのCMソング『ほっぺたにプレゼント』1)という歌もあった。これもYumingだ。こちらは商品名を連呼するが,なぜかくどくない。もちろんはっきり聞こえるので商品名が頭にインプットされる。

荒井由実は私から見れば宇宙人のように見える。宇宙人はときどき地上にいる私にも好ましいと感じられる歌をつくる。

1)      「ほっぺたにプレゼント」(昭和51年,詞:荒井由実?,曲:荒井由実?,唄:Yuming

 

闇夜の国から(2016.10.9)

昭和49年,詞:井上陽水,曲:井上陽水,唄:井上陽水

 「闇夜の国から二人で舟を出すんだ」と始まる歌。

 もちろん,この舟での旅は人生の比喩だろう。とすれば「闇夜の国」はこれまでの人生のことになる。今なら『幸せになってネ』と言える。

 当時は私自身が「闇夜の国」の住人であり,そこから抜け出そうとしているこの歌には共感も応援もできなかったし,応援されているとも感じなかった。目の前のことでアップアップしており,他人に関心を持つ余裕などなかった。

 

夕暮れ時はさびしそう(2011.10.28)

昭和49年,詞:天野滋,曲:天野滋,唄:NSP

 「田舎の堤防夕暮れ時に」とほとんど音程変化なしで続いていく。音楽的な評価はよくわからない。「おうちの人におこられるかな,よびだしたりしてごめんごめん」というようなことは私の場合現実にはなかったが,昔々,こんなことができたらと思ったことはある。

 携帯電話の原型は昭和45年の大阪万博で電電公社が出していたが普及までには大分時間がかかった。携帯電話の前にポケットベルがあり,テレフォンカードというのもあった。あったというより,今でも使える。そんな頃,呼び出すのは大変だった。

 

よろしく哀愁(2015.8.6)

昭和49年,詞:安井かずみ,曲:筒美京平,唄:郷ひろみ

 「もっと素直に僕の 愛を信じて欲しい」と始まる歌。

 「会えない時間が愛育てるのさ」というのは正しくもあり誤りでもあろう。愛が育つ場合もあり育たない場合もある。これは願望の表明だろう。それなのに「一緒に住みたいよ 出来るものならば」とあり,愛を育てたくないのかとツッコミたくなる。よく解らないまま,「友達と恋人の境を決めた以上 もう泣くのも平気 よろしく哀愁」と終わる。

 友達と恋人の境を決めたらしいが,そのどっちにしたのか解らない。独りで決めたのではないと思うが,決めたことと「よろしく哀愁」の関係,もっと言えば「哀愁」の意味が解らない。

 私のような朴念仁には理解できない歌だが,歌声は郷ひろみだとすぐ判る。

 

旅愁(2013.3.18)

昭和49年,詞:片桐和子,曲:平尾昌晃,唄:西崎みどり

 「あなたをさがして此処まで来たの」と始まる歌。

 TBS系で放映された必殺シリーズ第4作『暗闇仕留人』のエンディングテーマ曲。

当時西崎は14歳。声は14歳といわれればそのように聞こえる。しかし,歌詞の内容はもっと年上の感じを受ける。唄い方もいろんな経験を重ねてきた大人の女の感じだ。実際の西崎は5歳のときに日舞・西崎流の宗家を襲名したらしい。3歳で初舞台,5歳でグラビアモデル,7才で歌手デビューということ(Wikipediaによる)なので14歳では既に世に出て10年以上経っており,種々の体験をしていたのかもしれない。山口百恵のデビュー当時は精一杯背伸びした女の子の詞という感じで,それも無理やり唄わされている感じを受けたのだが。

『仕留人』との関係は良く解らないが,悪くない歌だ。

 

理由(2015.9.1)

昭和49年,詞:山口洋子,曲:平尾昌晃,唄:中条きよし

 「あのひとと別れた理由(わけ)は何でもないの」と始まる歌。

 「夜明けに帰ってきた」,「背広についてた口紅」,「夜中にかかってきた電話」,「仕事があるよと新しいネクタイしめて」などが歌い込まれている。些細?なことが積み重なってのことだ。

 現在は文字・音声・映像までもperson to personの通信が可能だが当時は不可能だった。私は4畳半で独り暮らしをしていたが,電話はなかった。独り暮らしで電話を引いていた者を私の周囲では知らない。家庭での電話はかなり普及していたので二人暮らしなら電話を引いていたことも珍しくはないだろう。しかし,電話をかけて誰が電話口にでるかは予想できなかったのだ。線がつながった固定電話なので少なくともこちらが話す言葉は家族に皆聞かれてしまう。今よりはプライバシー?が守られにくい環境だった。

 俳優志望だったらしい中条きよしが三味線屋の勇次1)になったのは昭和56年のことだ。

1)三味線屋の勇次:テレビ朝日系の連続ドラマ「新・必殺仕事人」に登場する闇の殺し屋の一人。

 

わたし祈ってます(2014.5.18)

昭和49年,詞:五十嵐悟,曲:五十嵐悟,唄:敏いとうとハッピー&ブルー

 「わたし祈ってます」と最初と最後に入る。歌詞自体は「身体に充分注意をするのよ」と始まるのだろう。

実年齢は解らないがこの歌詞の男女間では精神年齢は女のほうがはるかに年上だ。「あなたは男でしょう」などとジェンダー問題がうるさい昨今ならハラスメントと非難されそうなことを言っているが,顔で笑って?心で泣いて「幸せになってね わたし祈ってます」というのはさすがムードコーラスの代表曲のひとつだ。

ひょっとしたら『よせばいいのに』1)の女性はこの歌女性の5年後かとも思ってしまう。

ところで,この歌と同じ歌を『幸せになってね』というタイトルで園まりが昭和48年に出している。

1)      「よせばいいのに」(昭和54年,詞:三浦弘,曲:三浦弘,唄:敏いとうとハッピー&ブルー)

 

私は泣いています(2012.11.22)

昭和49年,詞:りりィ,曲:りりィ,唄:りりィ

 「私は泣いていますベッドの上で」と始まる失恋した女の歌。「あなたに会えて幸せだった」とか「あなたの幸せ願っているわ」というのは良い恋だったのだろうが,情が薄いような気もする。「あなたは言うのもう終りだと まさかそれはうそでしょう」などと言ってはいるが五輪真弓1)がもっと切々と訴えているのに比べるとあっさりしてる。メロディーのせいもあるだろう。今は泣いていても,じきに次の恋を見つけそうだ。

 昭和48年のオイルショックにより原油の輸入量が減少,電力や石油の消費規制がかかった。いろんな場所の照明の間引きなども行われた。物価は高騰する。ユリ・ゲラーの超能力が話題になり,宝塚歌劇団でベルサイユのバラが演じられた。このような年にフィリピンで残置諜者として終戦後も活動を続けていた小野田寛郎少尉が帰国した。

 佐藤栄作前首相はノーベル平和賞を受賞,田中角栄首相は立花隆の「田中角栄研究-その金脈と人脈」(文藝春秋)がでて退陣に追い込まれる。長嶋茂雄も引退した。

1) 「恋人よ」(昭和55年,詞:五輪真弓,曲:五輪真弓,唄:五輪真弓)

 

わるい誘惑(2022.1.3)

昭和49年,詞:有馬三恵子,曲:筒美京平,唄:郷ひろみ

 「てれているんじゃないよ あれはわるくはないさ」と始まる。

 「始発電車で帰る 思いがけない秘密 何もかも手ほどきは君さ」ということでいろいろ教えられているようだ。「君はいけない人さ だけど誰よりすてき」といけないとは思いつつ完全に絡め捕られている。最後には「恋のために死んでもかまわない」とまでいうようになっている。

 「わるい誘惑」に引っかかった男の歌。

 

円舞曲(2015.12.19)

昭和49年,詞:阿久悠,曲:川口真,唄:ちあきなおみ

 「誰かが円舞曲(ワルツ)を踊っています」と始まる歌。

 自分は「別れの手紙を綴っています」という歌。「海鳴り 漁火 海辺のホテル」が三度繰り返され,場所のイメージが湧く。詞を普通に読めば文法的には当事者が心情を歌った歌なのだが,受ける印象は第三者から見た情景のようだ。