明治,大正,昭和元年〜,昭和6年〜,昭和11年〜,昭和14年〜,昭和16年〜,昭和21年〜,昭和26年〜,昭和29年〜,昭和31年〜,昭和33年,昭和35年,昭和36年,昭和37年,昭和38年,昭和39年,昭和40年,昭和41年,昭和42年,昭和43年,昭和44年,昭和45年,昭和46年,昭和47年,昭和48年,昭和49年,昭和50年,昭和51年,昭和52年,昭和53年,昭和54年,昭和55年,昭和56年,昭和57年,昭和58年,昭和59年,昭和60年,昭和61年,昭和62年,昭和63年〜,その他(不明),平成の歌
昭和48年
愛のくらし−同棲時代,愛の十字架,愛への出発,青い果実,青空のおしゃべり,赤い風船,赤とんぼの唄,アケミという名で十八で,あせ,あなた[もしも私が],甘い十字架,アルプスの少女,イエスタディ・ワンス・モア<Yesterday Once More>,一枚の楽譜,イルカに乗った少年,色づく街,ウイスキーの小瓶,浮世絵の街,ウルトラマン・タロウ,襟裳岬〔北の街では〕,伽草紙,男泣き,オレンジの雨,女ごころ,女心のタンゴ,女の子なんだもん,おんなの涙,女のゆめ[ひとりで生きてる],風に吹かれて行こう,葛飾にバッタを見た,悲しきマリー< J’ai du chagrin Marie>,紙風船,神田川,危険なふたり,傷つく世代,絹の靴下,記念樹,君が美しすぎて,君の誕生日,霧の出船,禁じられた遊び[恐くない恐くない],ぎらぎら燃えて,くちなしの花,くちべに怨歌,恋する夏の日,恋にゆれて,恋の歌,恋の十字路,恋のダイヤル6700,恋の雪別れ,恋文,心が痛い,心がわり,心の旅,心もよう,個人授業,子供たちをよろしく,コーヒーショップで,五番街のマリーへ,魚屋のおっさんの唄,さようなら[やけに真白な雪が],しのび逢い,少年記,白樺日記,知らず知らずのうちに,白いギター,白い船で行きたいな,十五夜の君,12時過ぎのシンデレラ,情熱の嵐,ジョニィへの伝言,すずき・ひろみつの“気楽に行こう”,すみれの花,草原の輝き[い眠りしたのね],早春の港,空いっぱいの幸せ,戦え!仮面ライダーV3,他人の関係,煙草のけむり,タブーTABU<チョットだけよ!全員集合>,小さな恋の物語,ちぎれた愛,中学三年生,チョットだけよ!全員集合<タブーTABU>,天使の初恋,天使も夢見る,てんとう虫のサンバ,遠い灯り,としごろ,同棲時代(愛のくらし−同棲時代),中の島ブルース,なみだ恋,涙の太陽,なみだの操,狙いうち,裸のビーナス,花街の母,花物語,母に捧げるバラード,春のおとずれ,春のからっ風,バイバイグッドバイサラバイ,避暑地の恋,ひとかけらの純情,ひとり酒,ひとりっ子甘えっ子,ひとりぼっちの部屋,ファンキー・モンキー・ベイビー,冬の旅,ふるさと〔祭りも近いと〕,ベルベット・イースター,僕の胸でおやすみ,街の灯り,丸山・花町・母の町,みずいろの手紙,魅せられた夜,胸いっぱいの悲しみ,燃えつきそう,戻ってきた恋人,モナリザの秘密,森を駈ける恋人たち,夜間飛行,夕顔の雨,ゆう子のグライダー,雪の月光写真師,夢の中へ,妖精の詩,夜空,夜の走り雨,落陽,ルームライト(室内灯),ロマンス〔君わすれないでいて〕,若草の髪かざり,若葉のささやき,わたしの青い鳥,わたしの彼は左きき,J’ai du chagrin Marie,Yesterday Once More
愛のくらし−同棲時代(2016.10.15)
昭和48年,詞:上村一夫,曲:都倉俊一,唄:大信田礼子,ナレーション:阿井喬子
「ふたりはいつも傷つけあってくらした」と始まる歌。大信田の唄の前に「愛はいつもいくつかの過ちに満たされている」とナレーションが入る。ナレーションは間奏の部分や終わりにも入る。『忘却とは忘れ去ることである。忘れ得ずして・・・』と始まる『君の名は』1)と同じパターンのように聞こえる。
しかし内容は異なる。この歌では「できることならあなたを殺してあたしも死のうと思った」とあるが,東京大空襲の際にたまたま出会った後宮春樹と氏家真知子の物語である『君の名は』では,戦中・戦後の様々な運命に翻弄されながらも主人公は「あなたを殺してあたしも死のう」などとは決して思わなかっただろう。死が身近にあった時代には生きることに懸命だった。この歌の時代には生きることへの懸命さが減っているようだ。時が経ったことを感じざるを得ない。
同棲という言葉がポピュラーになったのはこの歌(歌の前に上村一夫による同タイトルの漫画が「漫画アクション」に連載されていた。)以降かも知れない。
1)「君の名は」(昭和28年,詞:菊田一夫,曲:古関裕而,唄:織井茂子)
愛の十字架(2019.1.31)
昭和48年,詞:たかたかし,曲:鈴木邦彦,唄:西城秀樹
「暗い夜空に ひとり叫んでみても 愛は引き裂かれて 姿(かたち)もないのさ」と始まる歌。
「なぜに君は愛を 僕の愛を捨てた」から始まるサビの部分など,当時は熱情というか,想いがよく現れていると感じたように思うが,今聴くと何をそんなにムキになって叫んでるのかと思ってしまう。
ここで歌われている心情はある年代・ある状況にある者には共通の心情だったかもしれないが,そうでない者にとっては共感できないものなのではないか。
「君を忘れる日は 死ぬまでこないさ」と言っているが確かにそうかもしれない。しかし現在の熱情は次第に薄れ,想い出になるだろう。さもなければ前を向けず,今後の人生を生きて行けない。ずっと以前からこのことはよく知られていて,人々は忘れようと努力してきた。
『忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ。』1)
1)連続ラジオドラマ『君の名は』(NHK,昭和27年−29年,作:菊田一夫)の冒頭ナレーション。
愛への出発(2019.6.15)
昭和48年,詞:岩谷時子,曲:筒美京平,唄:郷ひろみ
「さあ 初めて二人に別れの日が来た」と始まる歌。
タイトルの「出発」は「スタート」と読ませている。
イントロのフレーズだけはスローだが,歌本番に入るとテンポアップで郷サウンドだ。筒美サウンドと言うべきかもしれない。いや,筒美サウンドに郷の声というのが正解だろう。
「とても気になる君だけど 別れることが卒業さ」の背後にどのような思いがあるのかよくは解らないが,聴いた印象では爽やかな歌になっている。
青い果実(2015.9.25)
昭和48年,詞:千家和也,曲:都倉俊一,唄:山口百恵
「あなたが望むなら 私何をされてもいいわ」と始まる歌。
山口百恵2枚目のシングルである。千家・都倉コンビはこの後しばらくこの『背伸びした少女』・『青い性』路線で山口百恵を売り出していく。このとき山口は14才だった。花の中3トリオ1)は皆幼く見えたが最もビジュアルにミスマッチな歌詞を唄ったのが山口百恵だと言えるだろう。
山口百恵がビジュアル・歌ともに大人に変貌したのが阿木耀子・宇崎竜童コンビの歌2)を唄うようになってからだ。若くして大歌手の風格がでてきた。以後このコンビの歌を多数唄う。最初にこの二人を指名したのは山口自身だったそうだ。
千家・都倉・山口トリオはこの路線で数曲ヒットさせたが,千家は他のメンバーとも同様な路線の歌3)を出しているので,この『背伸びした少女』路線は千家が中心だったのかもしれない。
1)花の中3トリオ:森昌子,桜田淳子,山口百恵
2)「横須賀ストーリー」(昭和51年,詞:阿木耀子,曲:宇崎竜童,唄:山口百恵)
3)「芽ばえ」(昭和47年,詞:千家和也,曲:筒美京平,唄:麻丘めぐみ),「女の子なんだもん」(昭和48年,詞:千家和也,曲:筒美京平,唄:麻丘めぐみ),「あなたにあげる」(昭和49年,詞:千家和也,曲:三木たかし,唄:西川峰子)
青空のおしゃべり(2023.6.6)
昭和48年,詞:北公次,曲:鈴木邦彦,唄:フォーリーブス
「ここにおいで 春がいるよ」と始まる歌。
「別れた人のことは もう思い出さないで」が何度も繰り返されており,これが主題だろうが詳しいことは解らない。ただ「明日を 語りあおう」というだけだ。
アイドル・ソングと言えなくもないが,後のアイドルと比べると歌のレッスンも十分やっているように感じる。(後に登場する歌の下手なアイドルはレッスンが不十分というわけではないだろう。レッスンしても効果がないのかもしれない。)
フォーリーブスの結成は昭和42年,昭和45年には男性歌手としてブロマイド売上1位となるほどで,御三家(橋幸夫・舟木一夫・西郷輝彦)と新御三家(野口五郎・郷ひろみ・西城秀樹)の間の時期の大スターだった。この時期グループ・サウンズ全盛だったし,フォークも人気が出ていたが,従来歌謡曲路線の中に現れたアイドルと言えよう。もちろんこのアイドル路線の開拓者はジャニーズだが。
フォーリーブスの大ヒット曲は思い出さないが,NHK紅白にも7年連続出場している。フォーリーブス後,ジャニーズ事務所から多くの男性アイドルが出ている。
赤い風船(2016.7.8)
昭和48年,詞:安井かずみ,曲:筒美京平,唄:浅田美代子
「あの娘はどこの娘 こんな夕暮れ」と始まる歌。
浅田美代子のデビュー曲でレコード大賞新人賞。新人賞中最も売れたレコード。以下『涙の太陽』1),『ひなげしの花』2),『コーヒーショップで』3)と続き,最優秀新人賞の『わたしの青い鳥』4)はその後だそうだ。
幼稚園の先生が唄ってくれているような雰囲気が好まれ人気が出たのではなかろうか。アイドルソングなのだが,親近感が持てるアイドルだったのだろう。アイドルとしては天地真理,アグネス・チャンなどと同じ方向性を感じる。
1)「涙の太陽」(昭和48年,詞:湯川れい子,曲:中島安敏,唄:安西マリア)
2)「ひなげしの花」(昭和47年,詞:山上路夫,曲:森田公一,唄:アグネス・チャン)
3)「コーヒーショップで」(昭和48年,詞:阿久悠,曲:三木たかし,唄:あべ静江)
4)「わたしの青い鳥」(昭和48年,詞:阿久悠,曲:中村泰士,唄:桜田淳子)
赤とんぼの唄(2017.2.14)
昭和48年,詞:清水國明,曲:原田伸郎,唄:あのねのね
「赤とんぼ 赤とんぼの羽をとったらあぶら虫」「あぶら虫 あぶら虫の足をとったら・・・」と続いて行く歌。
ナンセンス・コミカル・ソングのひとつだろう。
そういえば,『問:冷蔵庫に咲く花は? 答:ヒヤシンス』などというナンセンス・クイズが流行していたのはこの頃だろうか,あるいは『問:電線にスズメが三羽止まっていました。鉄砲で撃ったら2羽は逃げましたが1羽だけ逃げませんでした。なぜでしょう。 答:根性があったから。』などのようにより進化していた時代だろうか。なにしろこの前後にはナンセンス物が流行していたような気がする。
アケミという名で十八で(2017.8.14)
昭和48年,詞:西沢爽,曲:遠藤実,唄:千昌夫
「波止場でひろった女の子 死にたいなんて言っていた」と始まる。
「三日目に もとの男へ行っちゃった」「あゝさびしいぜ」という歌だが特別なコメントはない。こんな歌もあったということ。
あせ(2017.11.15)
昭和48年,詞:天野滋,曲:天野滋,唄:N.S.P
「全く人気のない道に しらけた太陽が照って」と始まる歌。
天野の歌を数多く知っているわけではないが,私が知っている天野の歌詞は散文的だ。曲もラップのように単調な印象を受けるが,ラップならもっと詞も韻を踏むのだろうという感じを受け,全体として独特な雰囲気を持っている。
「この世で一番大事なものは」「金でもない 勉強でもない まして女じゃないさ」と言っているが「つぶつぶの汗を流し つぶつぶのしょっぱい汗を」いうだけで何が大事かは述べていない。何かあるはずだということで答えを捜している,その答えは汗と関係していると言いたいらしい。つい先ほど韻を踏んでいないと書いたが,「つぶつぶの」が何度も繰り返されている。
「しょっぱい汗」で高校時代を思い出した。先輩から『汗がしょっぱい間は大丈夫』と何度も言われた。汗には塩分が大量に含まれていて,汗が乾くと服が真っ白になった。
あなた(2013.11.3)
昭和48年,詞:小坂明子,曲:小坂明子,唄:小坂明子
「もしも私が家を建てたなら」と始まる歌。
「部屋には古い暖炉があるのよ」などとプチブル1)的発想だが,絵に描いたような小市民的幸福を願いながらも,「いとしいあなたは今どこに」と,願いは叶わなかったようだ。
とはいえ,小坂の唄は,いまなおこのような幸せを夢見ている少女のようで,歌詞は「夢だったのよ」と過去形だが,唄を聴いていると「夢なのよ」と現在の夢を唄っているように聞こえる。このような歌がヒットする時代になったのだ。
学園紛争はほぼ収束した。目指した旧体制の破壊はならなかったが,小さな改革はいくつもあった。ベトナム戦争も和平条約が発効し,米軍はベトナムから撤退した。オイルショックはあったが日本の経済状態はまだよかった。多くの人が自分を中流だと感じていた時代だった。
1) 学生運動の活動家の一部は,人々をブルジョワジーとプロレタリアートに別け,ブルジョワを打倒すべき対象としていた。元の意味とは関係なく,何となく,金持ちと貧乏人とに区分していたように感じる。この似非分類によれば,「プチ」は「小」,「ブル」は「ブルジョワジー」の略だから,「小金持ち」ということだろうか。ホワイトカラーなど本来の意味の資産家ではなくてもプチブルに分類されていたように感じる。「プチブル」の語は,ブルジョワではないくせに,体制の矛盾を直視することなく自己保身を図る卑怯者というニュアンスで使われていた。
甘い十字架(2018.3.1)
昭和48年,詞:安井かずみ,曲:加瀬邦彦,唄:布施明
「帰っちゃいけない 今ここで」と始まる歌。
さすが布施,よく声が出ている。
この歌で私が不可解なのはタイトルだ。「十字架」とは何のことだろう。甘いが味覚の甘さでないことは容易に想像できるが,キリスト教徒にはこの十字架が何を意味するかは自明なのだろうか。安井はクリスチャンだったらしいので,安井にとっては自明の内容なので疑問に思うこともなかったのだろう。そしてこのタイトルにより歌詞には現れていない深い意味を表現しているのだろうが。
アルプスの少女(2018.8.15)
昭和48年,詞:千家和也,曲:筒美京平,唄:麻丘めぐみ
「朝もやの牧場(まきば)を 吹く風に スカートの裾が」と始まる歌。
うーん。アイドルソングとしか言いようがない。
麻丘はこの時代の正統派アイドルの一人。正統派アイドルというのは私の主観だが,ルックスはそれなりに可愛く,歌が素人レベルよりは上手いということだ。歌が下手なアイドルもいたし,ルックス的には(芸能界では)並以下ではないかと思われるアイドルもいた。スターはオーラを纏っている。この時代のアイドルから後にスターになった者もいる。正統派でなくても,この時代のアイドルには何かがあったように思う。これが後の何の能力も感じられないタレントとの差だ。
詞に関して特に言うこともないのだが,「とりかえたおそろいの指輪」というのが,二人の指の太さは同じなのだろうか?とかすかな疑問を感じる。
一枚の楽譜(2018.4.30)
昭和48年,詞:山上路夫,曲:村井邦彦,唄:ガロ
「愛したあの頃君のため 作ったこの歌が」と始まる歌。
「もう二度とは帰らぬあの頃」という歌だ。
「この世に生きてる悲しみを 初めて知らされた」と悲しみの深さを歌っているが,これが初めての悲しみならば,これまでとても幸せな人生を送ってきたのだろう。というか,時代がそのような時代になったのだろう。
昔から四苦八苦というのがある。四苦は生老病死,八苦はこれに愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦を加えたものだ。医学が進歩し,食生活が改善され,戦争もなく,核家族化と長寿命化により死別の機会が減ったのは四苦の減少につながった。この歌は愛別離苦に分類されるだろうが,四苦八苦に遭遇するのはこれが初めて,初めてではないとしても最大のものという歌だ。それほど深い悲しみを歌った歌という体裁だが,一時でもそのような「あの頃」があったという想い出の歌であろう。
あるいは,このような想い出があったらいいのにという願望の歌かもしれない。
聴き手によりいろいろに解釈できるのだろう。
イルカに乗った少年(2019.8.30)
昭和48年,詞:杉さとみ,曲:林あきら,唄:城みちる
「誰もしらない南の海から イルカにのった少年がやって来た」と始まる歌。
白馬に乗った王子様がイルカに乗った少年に代わっているがメルヘンだ。少年は領地や財宝をどの程度所有しているのか不明だが,「愛の花束胸に抱き 遠い国からやってくる」らしい。
男性アイドルには関心が無く,当時は聞き流していたが,メルヘンでありながら玉の輿を求めていないように見える点は評価が高い。
なお,昭和32年にソフィア・ローレン主演で『Boy on a Dolphin』(邦題:島の女)という映画があるらしい。アラン・ラッドが共演している。この映画のことは知らなかったのでもちろんこの歌との関係も知らない。
色づく街(2016.2.3)
昭和48年,詞:有馬三恵子,曲:筒美京平,唄:南沙織
「いまもあなたが好き まぶしいおもいでなの」と始まる歌。
「あー 青い枯葉かんでみたの」,「あー 少し大人過ぎるみたい」,「あー あなただけがそこにいない」,「あー 通り過ぎてわかるものね」などが印象に残る。
失恋の歌だが,「誰もみんな女になる気がするの」と失意に沈むというよりこれで成長すると前向きにとらえているように感じる。「あなた」「あの日」「青い」「会いたい」「甘えて」「愛」と「あ」で始まる言葉は大きく口を開け,大きな声が出やすいので唄を聴いたときに明るく発音しているように聞こえる。他にも「まぶしい」「別れた」「枯葉」「かんで」「街は」「母に」「さよなら」と挙げて行けばキリがないほど「あ段」の音が多用されているから明るく聞こえるのだろう。
ウイスキーの小瓶(2019.7.12)
昭和48年,詞:みなみらんぼう,曲:みなみらんぼう,唄:みなみらんぼう
「ウィスキーの小瓶を口に運びながら」と始まる歌。
「わかっていながら飲む男の気持ちなど 貴女は知りもせず」という気持ちは解るが,客観的に考えると,気持ちを解って欲しいと願うのは身勝手というか,子供の願いなのだろう。「こうして誰もが大人になってゆく そんな話をどこかで聞いたっけ」と少しは大人になりつつあるようだ。
共感できる部分もあるが,万人受けするとは思えず,ヒットの予感はない。
浮世絵の街(2018.5.17)
昭和48年,詞:石坂まさを,曲:川口真,唄:内田あかり
「夜の香りをしみこませ 誰が私をそめかえた」と始まる歌。
「一人さみしい想い出に そっと浮かぶの浮世絵が」とあるが,もちろん『一人さみしかった想い出』ではない。あのときは二人だったという想い出で,今では一人でさみしいという歌なのだろう。
ウルトラマン・タロウ(2018.6.9)
昭和48年,詞:阿久悠,曲:川口真,唄:武村太郎/少年少女合唱団みずうみ
最初に「タロウ」という呼びかけのような台詞?がはいるが,実際の歌は「ウルトラの父がいる ウルトラの母がいる」と始まる。
ウルトラマンシリーズの第5作の主題歌。深い意味を読み取ることができないが,このような番組の主題歌としては,ノリもよく,良いのではないか。
襟裳岬(2012.8.10)
昭和48年,詞:岡本おさみ,曲:吉田拓郎,唄:森進一
第16回日本レコード大賞大賞・歌唱賞受賞曲。「北の街ではもう悲しみを暖炉で燃やしはじめてるらしい」と詞・曲の組み合わせが岡本・吉田らしい歌である。ところが森進一が唄うことにより森進一節になっている。最後の「襟裳の春は何もない春です」という箇所など,吉田拓郎が唄うのとは全く異なる。私の評価は当然森進一のほうが上だ。
しかし,この歌の歌詞は意味が良く解らない。平成になると歌詞の部分部分の意味がわからない歌もでてくるが,この歌では部分部分の意味は明瞭なのだが全体としての意味がわからず,雰囲気を伝える歌のように感じられる。このような歌の大賞受賞はレコード大賞史上初めてではないだろうか。
伽草子(2020.1.5)
昭和48年,詞:白石ありす,曲:吉田拓郎,唄:よしだたくろう
「雨もふりあきて 風もやんだようだね」と始まる歌。
「夢でも食べながら」と言われても困ってしまう。「魔法使い」や「絵本」という言葉が何か特別の意味を持つのかもわからない。
最後は「もう少し幸せに 幸せになろうよ」と終わるので,そのような歌なのだろうが,私には理解できない歌。詩人の感性にはついて行けないというのが正直な感想だ。
男泣き(2020.4.10)
昭和48年,詞:千家和也,曲:猪俣公章,唄:内山田洋とクール・ファイブ
「噂の好きな 人目をさけて 街を離れる この身のつらさ」と始まる歌。
「声を殺して 男泣き」とか「影にかくれて 男泣き」という歌だ。
昔も男が泣きたくなるというような歌はあったが,『泣いちゃいけない 男だよ』1)というのが普通だった。『男は黙って○○○○ビール』というのと同じ程度に,男は泣くもんじゃないということが刷り込まれていた。
千家がティーンの女の子には大胆な詞を唄わせ,中年男(まだ中年ではないかもしれないが)にはこのような女々しい詞を唄わせるというのは世の中の変化を表現しようとしているのかとも思ったが,よくよく思い返してみると,昔も泣く男はいた2)。
千家もこの歌の最後では「不幸続きの 身の上を 無理にこらえる 男泣き」と泣くのを我慢させている。
1) 「街のサンドイッチマン」(昭和28年,詞:宮川哲夫,曲:吉田正,唄:鶴田浩二)
2) 「大楠公」(明治32年,詞:落合直文,曲:奥山朝恭),「別れの一本杉」(昭和30年,詞:高野公男,曲:舩村徹,唄:春日八郎),「なみだ船」(昭和37年,詞:星野哲郎,曲:舩村徹,唄:北島三郎)など。
男泣き(2020.5.28)
昭和48年,詞:千家和也,曲:猪俣公章,唄:内山田洋とクール・ファイブ
「噂の好きな 人目をさけて 街を離れる この身のつらさ」と始まる。
「悩みたくない 悩みはしない 不幸続きの 身の上を 無理にこらえる 男泣き」というのだが,具体的に不幸がどのようなことなのか解らないので雰囲気だけの詞だ。曲はいかにもクール・ファイブ風だ。曲と前川の唄が雰囲気を出してはいるが詞の内容は少ないように感じる。
オレンジの雨(2018.4.9)
昭和48年,詞:吉田栄子/大日方俊子,曲:筒美京平,唄:野口五郎
「そんなこと どうでもいいじゃない」と始まる歌。
「恋はいつも気まぐれ」と終わる。「火遊び」の歌というところだろうか。
もっと後の歌になるが『私鉄沿線』1)などのほうが野口に合っているように思う。
1)「私鉄沿線」(昭和50年,詞:山上路夫,曲:佐藤寛,唄:野口五郎)
女ごころ(2020.7.21)
昭和48年,詞:千家和也,曲:鈴木淳,唄:八代亜紀
「なんで私を 女になんか 生んでくれたの お母さん」とはじまる。
「訳があるなら 教えてほしい 訳がないなら 戻ってと」いう願いもかなわない。
「逢えば別れが 来ることを 誰が決めたの 誰が決めたの 守ったの」といくら訴えても誰も聞いてはくれない。
この時代,女性の地位の大変動があり,新旧いろんなタイプの女性の悩みがあったようだ。。
女心のタンゴ(2020.6.17)
昭和48年,詞:阿久悠,曲:森田公一,唄:研ナオコ
「窓をあければ あなたが見える」と始まる。男が去っていくのだろう。
「あゝ今さら 何をしてほしいというの 想い出なんか 邪魔になるだけよ」
森田公一ならこんな曲になるのかと納得してしまう。中島みゆきならアナザー・ワールドに連れて行ってくれるかも知れないとも思うが。
女の子なんだもん(2015.1.30)
昭和48年,詞:千家和也,曲:筒美京平,唄:麻丘めぐみ
「何もほしくはないわ あの人が居るだけで」と始まる歌。
「何も恐くはないわ あの人の側ならば」とあるが,千家は山口百恵には『恐くない恐くない あなたとだったら何でも出来る』1)と唄わせている。千家はこの頃『恐くない』という言葉に惹かれていたのだろうか。実年齢では麻丘は山口より数歳年長だが,千家は山口には危ういまでに背伸びした少女の歌詞を提供しているのに対し,麻丘には「口に出すのは ルル 恥ずかしいから ルル」と純情そうな夢見る少女の歌詞を提供している。麻丘は期待に応えた清純派アイドルと言えるだろう。
1)「禁じられた遊び」(昭和48年,詞:千家和也,曲:都倉俊一,唄:山口百恵)
おんなの涙(2021.4.23)
昭和48年,詞:悠木圭子,曲:鈴木淳,唄:八代亜紀
「こんな哀しい 女の涙 知っているのか 夜の雨」と始まる。
「死ぬ程惚れて 捨てられて 憎む事さえ 出来ない私」と昭和演歌に登場する典型的女性の一種である。もちろん,当時もこのようではない女性もいただろう。あるいはこのような女性がいなかったからこそないものねだりでこのような歌ができたのかもしれない。
ところで,当時は男社会だったから女性は耐えるしかなかったと考える人がいるかもしれ
ない。そうではない。当時(もう少し前かも知れないが)は男性も耐えていたのだ。
女のゆめ(2019.10.5)
昭和48年,詞:並木ひろし,曲:並木ひろし,唄:宮史郎とぴんからトリオ
「ひとりで生きてる 女でも 小さな傷あと なおしてほしい」と始まる歌。
『女のみち』・『女のねがい』に続く第3弾。さすがに似た曲が3連続となると飽きられるのだろうか,『女のみち』の420万枚,『女のねがい』の170万枚と比較すると売れ行きはいま一つだったと思う。それでも80万枚売れたそうだから十分ヒットしたと言っても良いだろう。ぴんからトリオはこれを最後に解散し,ぴんから兄弟となる。
曲はやはり演歌に分類されるのだろう。しかし普通の演歌歌手の唄とは明らかに違う。似たようなのを捜しても殿さまキングスくらいしか思いつかない。といろいろ思い返してみると一・節太郎が浮かんだ。一節太郎は浪曲調の歌を唄ったが,元々は流しのギター弾きだ。浪曲出身者なら三波春夫や村田英雄という大御所がいるが,ぴんからトリオの唄とは明確に違う。ぴんからトリオは浪曲調と言っても,広沢虎造などに似ているような気もするが,虎造も長いこと聴いていないので忘れてしまった。
子供の頃,私が一番多く持っていたレコードが浪曲だ。虎造を始め,浪花亭綾太郎・春日井梅鶯・玉川勝太郎・三門博・木村若衛・寿々木米若などのレコードや,ラジオから録音したテープを持っていた。次が詩吟だ。カセットテープの時代になって民謡のテープをまとめて買った。洋楽ポップスや歌謡曲はCDの時代になってオールデイズや懐メロのCDを買ったものがほとんどだ。
駅のアナウンス,パチンコ屋から漏れ聞こえるアナウンス,小屋掛けの見世物の呼び込み,移動販売の焼き芋や竿竹,何かわからないが昔聴いた声に似ているのかもしれない。
カレッジフォークの爽やかな歌声ばかり聴いていて,たまにぴんからトリオのような歌を聴くとなぜか懐かしい気がして心が落ち着く。
もちろん,澄んだ高音の『アメージンググレイス』などを聴いても落ち着くのだが,落ち着き先が違うような気がする。
風に吹かれて行こう(2017.3.11)
昭和48年,詞:山県すみこ,曲:山県すみこ,唄:やまがたすみこ
「風に吹かれて行こう 悲しい時が来て・・・」と始まる歌。
「君と僕が二人して 築いた恋は誰にもこわせやしない」というフレーズがあるのだが最後は「今はつらくても きっと何かあるさ 風に吹かれて行こう」と終わり,ハッピーソングではなく自己応援歌のような歌。
やまがたの歌声は爽やかな声である。
葛飾にバッタを見た(2019.11.6)
昭和48年,詞:なぎらけんいち,曲:なぎらけんいち,唄:なぎらけんいち
「昨日ぱったり道端で昔の友達に会った」と始まる歌。
今どうしてるという話で,ボーナスが○拾万になったとか,青山のマンションに住んでいるとかいう話を聞きながら,何も言えなかったという歌。
一方的に話して去っていく彼に小さな声で「おまえの住んでる所には バッタなんて一匹もいないだろう」と言ってみる。
「江戸川を歩いてたら 空はうそみたいにきれいだったし そして地上には ほら バッタが遊んでいたし」というような歌。
当時私は大学院の学生だった。大学のクラス会で聞いたところでは普通に就職した者のボーナスはこの歌に出てくる程度だったが,商社に就職した者のボーナスは一桁多かった。仕事はきつそうだったので,授業料を払っていても好きなことができるほうがいいなどと強がりを言っていた。大学院の学生は主として研究をする。研究成果が認められれば博士の学位を取得し,運が良ければ最低ランクの教員に採用される。しかし,研究が上手くいかなければそれでおしまいだ。資格は何も追加されないので履歴書に大学院中退と書いて就職先を探すことになる。葛飾にはバッタがいると粋がってみても,バッタを食べて生活することはできない。研究には夢があると言ってみても,夢だけでは生きて行けないので研究が順調でないときは次第に精神的に追い詰められてくる。
昔の研究は金持ちの道楽だった。まれに,金持ちでなくても超変人が研究者になった。
戦前は大学に進学しようというのはある程度以上の金持ちだった。例外が無いわけではないが,経済的に余裕が無いにもかかわらず高等教育を望む場合,軍関係の学校か教員養成系の学校を目指した。大学教員は主として大学から供給されたので,大学教員はもともと金持ちの生まれが多かったのだ。
それが,戦後次第に大学進学率が上昇する。急上昇したのは昭和40年頃だ。中産階級の子弟でも収入を実家に入れなくてもなんとかなるようになり,無理すれば大学進学が可能になってきた。これに伴い,資産家でなくても研究を志す者が現れるようになった。
それで,当時の大学院生には資産家の子弟もいたがそうではない者もいた。工学部には少なかったが,理学部にはオーバー・ドクターの人数が増えて来ていて問題になっていた。オーバー・ドクターとは,博士の学位は取得したが,教員定員に空席がないので就職できない者のことだ。就職まで履歴に空白が出来ないよう授業料を払って研究生になったりする。
この歌の主人公は「ギターをかかえて」いるようだから,ミュージシャンを目指しているのだろう。こちらも将来の保証のない世界だから,空は綺麗だしバッタもいると小さな声で言ってみるしかない。
紙風船(2020.10.17)
昭和48年,詞:黒田三郎,曲:後藤悦治郎,唄:赤い鳥
「落ちてきたら 今度はもっと 高く高く 打ち上げようよ」と始まる。
というか,これだけが繰り返されているような歌。もちろん,他の歌詞もあるのだが。
「美しい 願いごとのように」というのだから「紙風船」は「願いごと」の象徴なのだろう。この程度の比喩ならば私のような者にも解る。
神田川(2012.4.12)
昭和48年,詞:喜多條忠,曲:南こうせつ,唄:南こうせつとかくや姫
「貴方はもうわすれたかしら」という歌。いつごろのことを歌った歌かと思ってしまう。
この歌が流行ったころ,私は,三畳一間ではないが,四畳半一間の下宿に住んでいた。家賃は1ヶ月で,国立大学の半年分の授業料くらいだったと思う。家賃が高かったのではなく,国立大学の授業料が安かったのだ。下宿に風呂はなかったので歌詞のように銭湯に行ったが,大抵は独りで行っていたと思う。石鹸が高かったという記憶もあまりなく,小さくなるまで使わなくても,特に無駄遣いをしたという感覚はない。風呂代は20円くらいではなかっただろうか。地下鉄の初乗り料金と同じ程度だったと思う。マフラーなどというしゃれたものは持っていなかったので,冬はオーバーを着て銭湯に行ったが,「赤い手ぬぐいをマフラーにして」いるような人間は見たことがない。大体,手ぬぐいというのは特別に買わないとなかなかもらえない時代だった。代わりにタオルは貰った。普通の人はタオルだろう。まあ,手編みのマフラーなどというものも世間にはあったが,私には無縁のものだった。この歌の状況なら,手編みのマフラーをしていてもおかしくないはずだ。
風呂帰りに,入浴セットや着替えまで一式持ったままいつもの店に立ち寄り,一杯やって,〆におにぎりとかちゃんぽんなどを食べて帰るのが日常だった。(これはその日の4食目である。この成果が積分されて現在の体型になっている。)
気候の良い時分は,友人と深夜にギターを持って,人のいない(はずの)場所へ行ってギターを弾きながら大きな声で歌っていて,警官に職務質問されたこともある。
世間はオイルショックに苦しんでいた。
危険なふたり(2017.8.28)
昭和48年,詞:安井かずみ,曲:加瀬邦彦,唄:沢田研二
「今日までふたりは恋という名の 旅をしていたと言えるあなたは」と始まる歌。
年上の女性から「何げなさそうに別れましょうと」言われ「なんむで世間をあなたは気にする」と,世間を気にして別れ話を切り出したと信じ込み,その女性が心変わりした可能性には思いが至らない。歌詞には年上とだけしか唄われていないが,年上ということ以外にも世間を気にする理由があれば大人の分別ということであり,年上だけが理由ならそれは女性の心変わりだろう。当時でも女性が年上だということが大きな障害になったとは思えない。
「危険なふたり」というよりは『危険な男』という印象を受ける。
傷つく世代(2016.8.13)
昭和48年,詞:有馬三恵子,曲:筒美京平,唄:南沙織
「逢えば逢うほどあいつ とても謎なの」と始まる歌。
「だめね だめね 私だめね」とか,「このはかなさ 青春なのね」などという詞に昭和を感じるが,曲は昭和歌謡ではない。J-POPという言葉が認知されてきたのは平成になってからだと思うが,南沙織の歌はJ-POPの先駆けといってよいのではなかろうか。
但し,私はJ-POPがどんなものなのか知らない。J-POPという言葉の響きから南沙織の歌を思い出すという意味だ。
絹の靴下(2016.2.4)
昭和48年,詞:阿久悠,曲:川口真,唄:夏木マリ
「間違いはあの時生まれた」と始まる歌。
「上流の気どった生活 退屈すぎる毎日 もういや」という贅沢な歌。
オイルショック前の歌だったのだろうか。当時は一億総中流時代だったので真の上流はオイルショックに動じなかったのだろうか。恐らく,真の上流の歌ではないのだろう。
当時の阿久悠が上流だったか中流だったか知らないが,作詞者の心情ではなく,中流人から見た上流人はこのように見えているのだろうと作詞者が考えたのだろう。
自分が上流になるとは期待できない者が,きっと上流は退屈なのだろうと思っている。自分は中流だが刺激的な生活をしている。こっちの方がよほど良いという訳だ。今のように格差が拡大して下流になってしまうとそのような強がりは言えなくなってしまう。
記念樹(2017.11.24)
昭和48年,詞:阿久悠,曲:森田公一,唄:森昌子
「ひゅるひゅると風が吹く校庭に」と始まる歌。
記念樹を植え,「さよなら初恋 さよならともだち」ということなので卒業だ。初恋に何の進展もなく「別れて行くのです」というのはよくあることだった。
しかし,詞からは相手に対する想いはほとんど感じられない。恐らくは相手に恋していたというより,『恋をすること』に憧れた結果の錯覚なのであろう。森の世代ならこんなだろうという,阿久の想像の詞に感じられる。
君が美しすぎて(2018.3.8)
昭和48年,詞:千家和也,曲:馬飼野俊一,唄:野口五郎
「美しすぎて君が恐い 美しすぎて愛が恐い」と始まる歌。
「僕の心を乱さないで」,「間違いがおこりそうさ」という気持ちは解るが状況が不明だ。「何故君はこんな時 僕の近くに現れたのか」というのだからタイミングが悪いということは解るがそれ以上が不明だ。もう少し後なら良いのだろうか。どうも,もう少し早く現れていてくれていたらというのではないかという気がする。
この頃より前には見合いは珍しくなかった。何回も見合いをする者もいた。経験者に聞くところによると,最初の内は見合いの回を重ねるごとに相手のレベルが上がって来たので,もう少し回数を重ねるともっと素敵な相手にめぐり会えるに違いないと繰り返しているうちに,ある時から,前回の相手の方が良かったと感じることが増え,後半ではレベルが下がる一方だったとのことだ。
君の誕生日(2013.12.14)
昭和48年,詞:山上路夫,曲:すぎやまこういち,唄:GARO
「君の誕生日二人祝ったよ」と始まる歌。
タイガースのエレキギターをフォークギターに持ち変えたような曲。テンプターズの雰囲気もあり,すぎやまサウンドなのだろう。間奏に『学生街の喫茶店』1)のフレーズが入っていたりする。
詞に対する私の評価は可もなく不可もなくというところだ。私がこの詞を高評価しない理由は自分でも良く解らないが,「君の生まれた日いつも近づけばこの胸が痛むよ」と別れて何年も経っていそうなのにウジウジと昔のことを思っている点かもしれない。死別なら仕方ないが,「君は誕生日誰と祝うのか」とあるので死別ではないし,「二人あの日別れたよ」とあるので一応は二人で納得して別れたように感じられる。『あの頃は愛だとは知らないでサヨナラも言わないで別れた』1)というならまた感想は異なるのだが。結局,実感として共感することが出来ないし,状況を想像して共感することもできないからだろう。私にとってありえない状況であっても,想像・夢想・妄想によって共感できる詞の歌はいろいろあるのだが。もし,一方的にフラれたのなら,ストーカー予備軍で危険な兆候だ。
1) 「学生街の喫茶店」(昭和47年,詞:山上路夫,曲:すぎやまこういち,唄:GARO)
霧の出船(2018.6.30)
昭和48年,詞:山口洋子,曲:平尾昌晃,唄:五木ひろし
「捨てていいのと くちびるかんで」と始まる歌。
印象に残っているのは「流しのお兄さん どうぞ止めてよ その唄は」という箇所だ。
北へ去った男を思う女の歌。港の酒場だろうか。10年前だったら歌謡曲の定番のひとつだった状況だ。
長い歌手生活の間に歌唱が変わってしまう歌手が少なからずいるように感じる。五木ひろしの唄も時を経るに従い,同じ歌でも歌唱が変わってきたように感じる。私としては発売当時の歌唱を変えて欲しくないと思っているが。
禁じられた遊び(2015.3.8)
昭和48年,詞:千家和也,曲:都倉俊一,唄:山口百恵
「恐くない 恐くない あなたとだったら何でも出来る」と始まる歌。
千家・都倉コンビによる山口百恵の初期路線の典型的な一曲。「惜しくない 惜しくない あなたが望めば何でも捨てる」と終わる。このころはまだオリコン10位前後にいた。
『としごろ』ではインパクトが弱いとおもったのだろうか,『青い果実』で少し過激路線に変更し,市場の反応が良いとみたのだろうか同様な路線の『禁じられた遊び』を出したのだろう。続いて少し逆方向に振った『春風のいたずら』を出し,続いて『禁じられた遊び』路線の延長の『ひと夏の経験』でオリコン3位まで到達する。以後山口百恵はオリコン上位に常時ランクインするようになる。
しかし,山口に大歌手としての風格が現れ始めたのは阿木耀子・宇崎竜童コンビの『横須賀ストーリー』の大ヒット以降だ。
ぎらぎら燃えて(2019.3.27)
昭和48年,詞:阿久悠,曲:都倉俊一,唄:山本リンダ
「きらりと光ったこのナイフ どいつの心にささるだろう」と始まる歌。
山本が再ブレークを果たした阿久・都倉とのトリオだが,さすがに似た路線が続き過ぎではなかろうか。一応,主人公の性格は変わっているようだが,「惚れたら惚れたで地獄の果てまで行く」などと言われては重くなり過ぎだ。
くちなしの花(2012.6.11)
昭和48年,詞:水木かおる,曲:遠藤実,唄:渡哲也
「いまでは指輪もまわるほど」と始まり,「くちなしの白い花おまえのような花だった」と終わる歌。
男はいつまでも別れた女のことを想い続けるのだ。特にその女が不幸せだという噂を聞くといろんなことを想う。完全に忘れた女は全く思い出さないというだけのことかも知れないのだが。
私には,この歌のよさは渡哲也とのマッチングの良さのように思える。誰が歌っても良い歌は良いはずなのだが,私がプロデューサなら,氷川きよしや橋幸夫ではなく石原裕次郎や鶴田浩二に唄わせたい。
インターネット検索すると,この曲ができたいきさつを見つけることができる。そこでは先の戦争,戦後の貧困等などとの関係を見出すだろう。これを知ってから聴けば想いも違ってくるが,この歌が出た当時はそのような背景は聞いたことがなかったにもかかわらず大ヒットした。歌詞には成立のいきさつを伺わせるものは「くちなしの花」以外何もない。
昭和46年に渡哲也,梶芽衣子ほかで「やくざの墓場・<くちなしの花>」という映画があるが,この歌との関係も知らない。
くちべに怨歌(2024.5.19)
昭和48年,詞:青山五平,曲:猪俣公章,唄:森進一
「あんな男は 誰でも逃げる あんな男に 私は惚れた」と始まる。
「ちょいと暮らして あっさり切れた」が「居ると居ないで こんなにちがう」と断ちきれない想いを吐露している。しかしながら怨むでもなく諦めの境地のように感じる。
恋する夏の日(2018.4.13)
昭和48年,詞:山上路夫,曲:森田公一,唄:天地真理
「あなたを待つの テニスコート 木立の中のこる 白い朝もや」と始まる歌。
どう聴いてもアイドルソングなので,これはこれで良いのではないか。
そういえば当時のアイドルが唄う時の振り付けはごく簡単なものだった。
この歌ではおなかをさするような仕草だったように思う。恐らくはラケットをイメージしていたのだろうが,私には自転車をこいでいる状況を表しているようにも見え,ラケットには見えなかった。
恋にゆれて(2018.5.21)
昭和48年,詞:安井かずみ,曲:平尾昌晃,唄:小柳ルミ子
「人に言われ 幸せに気がついた私は かもめよりも お馬鹿さん」と始まる歌。
逢えなくなって初めて気付く恋心が多い中、教えてくれる人があって幸せだ。気付いてしまった今では「きのうまでは なに気なく言えていた言葉が」意識してしまい,何気なくは言えなくなってしまう。
私からは,心を込めることはできないが,『よかったね』という言葉を贈ろう。
恋の歌(2020.7.9)
昭和48年,詞:吉田拓郎,曲:吉田拓郎,唄:ラニアルズ
「熱い熱い涙が君の頬をぬらして」と始まる。
ある程度の交際期間はあったが,今では想い出になってしまっている。
「君にさよならも言えないで 僕は泣いた」と,たくろうもこんな詞を書くのかと部分的にはささやかな驚きもあるのだが,全体としては自分の涙より君の涙のほうが強く印象に残る。
恋の十字路(2018.9.11)
昭和48年,詞:橋本淳,曲:筒美京平,唄:欧陽菲菲
「女がひとり出来ること 指をからめて祈ること」と始まる歌。
「弱い私は待つだけなのね まっすぐ行こうか曲がろうか」と印象的なフレーズもあるが,アグネスなどと比べて菲菲をみると『どこが弱いねん』とツッコミたくもなる。外面は弱そうには見えないのに,内面の弱さを見せるが,最後には不自由な日本語にもフラストレーションが溜まるのか「I want you love me tonight」と絶唱する。曲も葛藤をよく表現しているように感じる。詞・曲・歌手の組み合わせが素晴らしい。
恋のダイヤル6700(2015.10.16)
昭和48年,詞:阿久悠,曲:井上忠夫,唄:フィンガー5
「リンリンリリン・・・・」としばらく繰り返して「明日は卒業式だから これが最後のチャンスだよ」と始まる歌。
「指のふるえをおさえつつ 僕はダイヤルまわしたよ」とあるのでまだプッシュホンになっていない。電話番号を交換したわけでもなさそうなのに番号を知っているのは,当時は学校の名簿などに住所や電話番号が書かれていることが普通だったからだ。電話帳で番号を調べることもできた。
卒業してどこか遠くへ行ってしまうと,電話番号も変わり,もう連絡のしようがなくなるのだ。今なら,携帯電話にかければ卒業後も多分変わっていないだろう。当時はまだ携帯電葉がなかった。当時,独り暮らしで電話契約しているのは仕事で電話が必要な人だけだったと思う。私も電話契約はしていなかった。
なお,歌詞の「6700」は「シックス・セヴン・オウ・オウ」である。
ところで,押しボタンを使ったトーンダイヤル方式サービスの提供を電電公社が始めたのは昭和44年,このサービスがプッシュホンと命名されたのは昭和45年になってからだった。それ以前の自動電話は回転ダイヤルを用いるパルスダイヤル方式で,ダイヤル番号をパルスの数で送信していたので,大きな数の送信には時間がかかっていたが,トーンダイヤル方式では『ピ・ポ・パ』と番号ごとに周波数の異なる信号を割り当てたので,『1111』でも『9000』でもダイヤルに要する時間が同じになった。当初はトーン方式とパルス方式で別の交換機を使用していたので,基本料金もパルス方式のほうが高かった。平成2年に電話機が自由化され,押しボタン式でパルスダイヤル信号を発生させることができるものが登場し,次第に電話機は押しボタン式になった。
恋の雪別れ(2018.10.10)
昭和48年,詞:安井かずみ,曲:平尾昌晃,唄:小柳ルミ子
「雪の中を 黒い汽車が 今 遠ざかる」と始まる歌。
お守りを渡そうと持ってきたが,汽車は出てしまった。
「あー ひと目だけ 顔をみて 伝えたかったの 恋しさを」などの16分音符の連続から汽車に間に合わないという焦りが伝わって来る。結局間に合わなかったのだが。
「出来るならば 汽車を止めて」という言葉とこの箇所のメロディーから,心残りが痛いほど伝わって来る。
恋文(2018.11.7)
昭和48年,詞:吉田旺,曲:佐藤勝,唄:由紀さおり
「アズナヴール流しながら この手紙を書いてます」と始まる歌。
「拙き文を読まれし後は 焼いて欲しく候」と終わる。
第12回日本レコード大賞歌唱賞受賞曲。
和風でありながら演歌ではない。このような歌を作ることができるのかと新鮮な驚きをもって聴ける歌。
現実にはこのように古風な女性はいないだろう。と思わず古風と書いてしまったが,注意深く観察するとちりばめられている小道具はせいぜい大正期だ。アズナヴールを聴きながらココアを飲むということは戦後の女性なのだろう。
シャルル・アズナヴールは戦後活躍したシャンソン歌手・俳優だが,私が知っているのは昭和39年にシルヴィ・ヴァルタンが唄ってヒットした『アイドルを探せ(原題:La plus belle pour aller danser)』の作詞者ということくらいだ。
この歌がそれなりにヒットしたということは,新しい女性についていけない男性は(女性も)少なくないのかもしれない。
心が痛い(2019.8.5)
昭和48年,詞:りりィ,曲:りりィ,唄:りりィ
「めずらしく街は星でうずもれた」と始まる歌。
「氷のように冷たい言葉で 結ばれた意図がちぎれてしまう」「なにもいわないで さよならはほしくないよ」ということだが,「心が痛い 心がはりさけそうだ」との絶叫が衝撃的だ。
悲しみと絶望の思いがこみ上げ,感情の高まりそのままに絶叫してしまう。最初は心の思いを他人に伝えたいとい意図があったかもしれないが,結局自分の魂の叫びだけになってしまったという印象で,このように感情が溢れた唄が好きな人も居るだろうが,私には単なるフラストレーションの発散で,他人に聴かせる唄だとは思えない。
心がわり(2020.4.30)
昭和48年,詞:神坂薫,曲:猪俣公章,唄:内山田洋とクール・ファイブ
「明日が重なりゃ 忘れる恋と 酒にただれて 三月が過ぎた」と始まる歌。
女に捨てられた男の歌。「男が一人 むせび泣き」と終わる。
少し前なら捨てるのは男,捨てられるのは女だった。女から離れるのは逃げると言ったように思う。ついに女が男を捨てる時代になったのだ。
昔にも「捨てちゃえ 捨てちゃえ」1)と唄った女性もいたが,これは男を捨てるのではなく,「恋」を捨てていた。
1) 「どうせ拾った恋だもの」(昭和31年,詞:野村俊夫,曲:舩村徹,唄:コロンビア・ローズ(初代))
心の旅(2019.1.3)
昭和48年,詞:財津和夫,曲:財津和夫,唄:チューリップ
「ああ だから今夜だけは 君を抱いていたい ああ 明日の今頃は 僕は汽車の中」と始まる歌。
「愛に終わりがあって 心の旅がはじまる」ということのようだ。詞の表面の意味は解る気がするが,なんとなく腑に落ちない。私の経験不足が原因かもしれない。
詞には若干の疑問が残るが曲は私の好みの範囲に入っている。
心もよう(2018.5.3)
昭和48年,詞:井上陽水,曲:井上陽水,唄:井上陽水
「さみしさのつれづれに 手紙をしたためています」と始まる歌。
「遠くで暮らす事が 二人に良くないのはわかっていました」と遠距離恋愛らしい。
「さみしさだけを 手紙につめて」と,当時は手紙が主要通信手段だった。もちろん電話はあったが,公衆電話から遠距離通話すると用意して積み上げた100円玉が次々に失くなっていった。
通信手段が限られているからこそ,遠く離れた相手のことが強く思われたり,離れた相手から近くの相手に心が移ったりという相反する結果になることは珍しい話ではなかった。
よくある話だからこそ共感する者も多かっただろう。陽水のハイ・トーンも哀しみを強く感じさせる。
個人授業(2020.7.29)
昭和48年,詞:阿久悠,曲:都倉俊一,唄:フィンガー5
「いけないひとねといって いつもこの頭をなでる」と始まる。
「あこがれのあのひとは 罪なことだよせんせい」という訳だ。
「出来るなら個人授業を受けてみたいよ」ということで,願望の歌ということだ。昔から,願望の歌というのは少なくないが,歌になる願望は叶いそうもない願望が多い。この場合はどうだったのだろうか。
子供たちをよろしく(2020.6.8)
昭和48年,詞:菅原孝,曲:菅原進,唄:ビリーバンバン
「夕暮れのお花畑は 僕たちの家への帰り道」と始まる。
カブト虫,赤トンボ,星空など「想い出のレンズでは 見えなくなりました このレンズのくもりを拭ってください」「子供のために」という歌。
要は昔は良かったという歌。昔にも良い面と悪い面があったが,良い(と検証もせずに思い込んでいる)面だけを見ているように感じる。
静かな曲で想いを静かに訴えているので,上から目線で正義と真実を振りかざす歌に比べれば嫌味なところが無いが,その分インパクトが弱い。
コーヒーショップで(2018.12.6)
昭和48年,詞:阿久悠,曲:三木たかし,唄:あべ静江
「古くから学生の街だった 数々の青春を知っていた」と始まる歌。
編曲がややポップス系という以外,ほぼフォークといってよいくらいのフォーク系歌謡曲だ。
コーヒーショップというのは喫茶店の別名だろう。カフェーまたはカフェ,ティールームや茶館などという言葉もある。コーヒースタンドというような名前もあった。名前が異なると聞いたときの印象が異なる。例えばカフェーと聞くと永井荷風などの時代を想起し,風俗店を思い浮かべるが,カフェになるとはるかに健全?なコーヒー・軽食店を思い浮かべる。
価格帯も異なり,スタンドが最も安い。喫茶店には非常に多くのバリエーションがあるがそれなりの価格だった。時代が混乱しているかもしれないが,カレースタンドというのもあり,コーヒースタンドとカレースタンドは50円位だったように思う。
この歌のコーヒーショップのマスターは客といろいろな話をしているようだが,私はそのような店へは行った記憶がない。接客しながら会話するというとカウンターなのだろう。
テーブルまで出かけて話し込むとは思えない。呑み屋ならこのような店は多数あったが。
私が通っていた喫茶店では客のほとんどは置いてある週刊誌を読んでいた。多くはマンガ週刊誌だ。スタンドの価格が50円位だった時代はマンガは大学生が読むものではないと思われていた。もちろん読む者はいたが,持ち歩くときは袋に入れるなどして外から見えないようにしていた。それがこの時代は大学生だけでなくサラリーマンもマンガを読むのが普通になっていた。以前の喫茶店は社交?の場だったが,当時はマンガ喫茶化してきていた。(マンガ喫茶はマンガ単行本を多数取り揃えているが,当時の喫茶店は週刊誌で,さらに当時の週刊誌には漫画週刊誌が多かった。)
この歌のマスターは,この時代よりはやや古いマスターのように感じる。それでも「今はフォークのギターをひいて」いるらしいので意外だ。
五番街のマリーへ(2013.1.27)
昭和48年,詞:阿久悠,曲:都倉俊一,唄:ペドロ&カプリシャス
「五番街へ行ったならばマリーの家へ行き」と始まる歌。「どんなくらししているのか見てきてほしい」と頼んでいる。「遠い昔に」一緒に「くらし」たマリーがとても「気がかり」だが自分で見に行く勇気はない。「今がとてもしあわせなら寄らずにほしい」とマリーの幸せを願っている様子が伝わってくる。
高橋まり(その後高橋真梨子と改名)の歌声は都倉俊一のメロディーと良くマッチしてとても良い曲である。別れた娘の幸せを願う優しい男の気持ちが良く現れている・・・と当時は思っていた。
阿久悠はどのような男性をイメージしてこの詞を書いたのだろうか。
女性はこの詞をどのように聞くのであろうか。
この詞ではマリーの幸せを願っている気持ちは伝わってくるが,もし不幸せでいるならどうしようというのかというのが解らない。だから自分で見に行かず,他人任せなのだろう。不幸でいたなら再び一緒に暮らそうというのだろうか。それでその女性は幸せになると考えているのだろうか。
この男の優しさはわかるが,結局,その女性が現在不幸せなら,この男にできることは無いように思われる。様子を見てきて欲しいというのは単なる男の感傷ではないのか。
優しいことは良いことだが,優しさだけでは不十分だ。他に何を加えるかが個性だろう。
昭和45年,『モーレツからビューティフルへ』というCMが流行った。キャッチコピーは流行っても,実際の社会はすぐには変わらない。『モーレツ』だけではやっていけないと社会が認知しだしたのがこの昭和48年のオイルショックではないか。
魚屋のおっさんの唄(2018.4.16)
昭和48年,詞:清水国明,曲:原田伸郎,唄:あのねのね
「魚屋のおっさんが 屁をこいた ブリ」とか「氷屋のおっさんに 怒られた コオリャ」などという詞が続く,と書いたが,詞の部分にはメロディーがないようにも感じられるのでこの部分は台詞かもしれない。このような小噺?がいくつかあって突然終わる。
歌というには無理があるかもしれない。
さようなら(2018.5.24)
昭和48年,詞:天野滋,曲:天野滋,唄:ニュー・サディスティック・ピンク
「やけに真白な雪がふわふわ」と始まる歌。
最後に何度も繰り返される「さようなら」を聞いていると,本当に別れてしまったんだということがしみじみと感じられてしまう。
しのび逢い(2020.8.17)
昭和48年,詞:阿久悠,曲:筒美京平,唄:尾崎紀世彦
「霧降ればぬれる外人墓地に」と始まる。
「こんなにやつれはてたあの人 連れて行けぬせつなさ」を歌っているのだが,尾崎の声量で唄われると違和感を持ってしまう。
「あのひとがいとしい」などと声を大にして言いたい気持ちは解るがこんなに大声で騒ぎ立てては「しのび逢い」ではなくなってしまうのではないか。
詞・曲・唄それぞれは悪くないのに,組み合わせが良いとは感じられない。
少年記(2018.3.15)
昭和48年,詞:吉田旺,曲:中村泰士,唄:三善英史
「下駄の鼻緒が切れたとき 白いハンカチ八重歯で裂いて」と始まる歌。
「おねえさんから はつ恋白い息 あれからぼくは 無口になりました」という歌。
学生時代、いつも下駄をはいていた同級生がいたが,彼は例外で,既に日常の履物としての下駄は珍しかった。恐らく何10年か前の時代設定なのだろう。「春にお嫁に行くわといって」いたそうだが,下駄が一般的だった時代なら10代後半だったのだろう。そうするとこの少年は10代前半か。
自分が中学生だった頃を思い出してみると,高校生はかなり年上に感じていた。
白樺日記(2017.12.5)
昭和48年,詞:阿久悠,曲:遠藤実,唄:森昌子
「お兄さんと甘えてた・・・それが私の初恋でした」という台詞が冒頭にあり,「白樺林の細い道」と始まる歌。
「白樺林にはもう誰もいません とてもさびしい季節です」という台詞で終わる。
年上の男性に想いをよせるが,告白することもなく別れてしまった。男性からみれば,相手はまだ子供で恋愛対象としては眼中になかったのだろう。
10年前なら月並みな話だったのではないか。当時は時代が変わりつつあり,阿久はいまどき珍しいと,意図的にこのような古風な詞にしたのだろうか。あるいは,世の中変わったと言われているが,実際にはあまり変わっていないということを言いたかったのだろうか。
知らず知らずのうちに(2020.2.2)
昭和48年,詞:宇崎竜童,曲:宇崎竜童,唄:ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
「知らず知らずのうちに 君を好きになって」と始まる歌。
全てのフレーズが「知らず知らずのうちに」で始まっている。最後は「知らず知らずのうちに 離れられなくなった」だからハッピーエンドだ。
強く記憶に残るきっかけがあったわけではないが,いつの間にかこうなっていたということだろう。人と人の関係にはいろんな形がある。
白いギター(2012.10.6)
昭和48年,詞:林春生,曲:馬飼野俊一,唄:チェリッシュ
「白いギターに変えたのは何か理由でもあるのでしょうか」とどのような展開になるかと思っていると,単に「あたなの身辺の小さな事が」気になるということだけのようだ。
「愛しあう二人には」から「秋の陽ざしがまぶしくて」まではハッピーさ全開である。
チェリッシュの歌唱はフォーク系だと思うのだが,従来のフォークソングには反戦を中心に種々の社会問題に対し明確にあるいは比喩的にメッセージ発信する歌が多かったがこの歌は完全にプライベートな歌である。ハッピーさ全開と書いてしまったが,一応は幸せの気持ちをあからさまに出さないよう,抑えようとしているが,抑えきれずにあふれ出ているという感じで幸せのおすそ分けがもらえそうだ。自分が幸せなときこの歌を聴けばより幸せになり,少しぐらい落ち込んでいてもこの歌を聴けば元気がでる。大きく落ち込んだときはこの歌を聴くのを止めよう。
白い船で行きたいな(2018.5.7)
昭和48年,詞:山口あかり,曲:平尾昌晃,唄:岡崎友紀
「あの人 私を好きかしら 何んだか気になるの」と始まる歌。
アイドルソングというしか言葉がみつけられない。
そのように曲が作られ,作曲者の指示により唄っているのだろうが,こんなにブツブツ切らずに,もっと続けて唄ったほうが良いと思うのは私だけだろうか。
十五夜の君(2015.11.8)
昭和48年,詞:安井かずみ,曲:浜圭介,唄:小柳ルミ子
「苔むす庭に遊ぶ風が 私を泣かせる私の恋を」と始まる歌。
小柳の和風路線でのヒットを承けての9曲目だが,そろそろ飽きられてきたのではないだろうか。作曲を浜圭介に変えてはみたが従来と同じような路線の曲になっている。
「初めて自分で結んだ 唐草模様の帯も」という歌詞には違和感を持った。私は和服に詳しいわけではないが、「唐草模様」の帯などあるのだろうか。私の世代では唐草模様といえば風呂敷で,イメージは良くて押し売り,普通は泥棒のイメージだ。私だけだろうか。
まあ,最後の高音部の声はさすが小柳だ。
12時過ぎのシンデレラ(2020.8.28)
昭和48年,詞:門谷憲二,曲:とみたいちろう,唄:とみたいちろう
「扉を開けてそっと足をしのばせて」と始まる。
「白いドレスがなくても ガラスのくつが消えても それでいいんだ それでいいんだ」「今の君でいいんだよ」という歌。
当時の富田は21歳か。門谷は私とほぼ同じ歳だからもう少し年上か。それにしては詞が観念的に過ぎるように感じる。高校生のフォーク・グループがつくったような効果を狙ったのか,何年か前にできた曲だったのかもしれない。
情熱の嵐(2015.4.15)
昭和48年,詞:たかたかし,曲:鈴木邦彦,唄:西城秀樹
「君が望むなら 生命(いのち)をあげてもいい」と始まる歌。
デビュー曲ではないが,ヒデキが初めてオリコンベスト10入りした曲。この後,
郷ひろみ,野口五郎と共に『新御三家』と呼ばれるようになる。新御三家は三人ともアイドル歌手だが,私の判定では野口は歌手といってよいだろう。また,当時の郷はアイドルと言ってよいだろう。
歌詞には陳腐な言葉が並んでいると感じるのだが,ヒデキが唄うなら何でもいいというファンがいるのも確かだ。「君が望むなら」と唄いかけられ「ヒデキ」と名前をコールする参加型のファンの気持ちは解らないわけではない。
ジョニィへの伝言(2014.3.1)
昭和48年,詞:阿久悠,曲:都倉俊一,唄:ペドロ&カプリシャス
「ジョニィが来たなら伝えてよ」と始まる歌。
感じ方はいろいろあるのだろうが,ダメ男に未練を感じながらも別れを決断した女の歌で『逃避行』1)と同じシチュエーションだろう。『逃避行』のほうが状況を明確に説明している。千家の詞より阿久の詞のほうがよりつよい未練を感じる。
男の甘えに女もついに「サイは投げられた」というのだが,シーザーがルビコン川を渡るときには言葉通りの意味で命を賭けたのだろう。もう後戻りはできないという意味もあり,阿久は後者の意味で使ったのか,あるいは,「友だちならそこのところうまく伝えて」とジョニィが追いかけてくるかどうかを賭けたのだろうか。千家はタイトルも『逃避行』なので賭けの結果はでてしまったということなのだろう。
土居健郎の『「甘え」の構造』がでたのはこの少し前である。
ジョニィという名前はこの10年ほど前に良く聞いて,久しぶりという感じだ。カヨちゃんとかトニーとかいう名前もあったがミヨちゃんとジョニー(ジョニィ)という名前が印象に残ってる。
1) 「逃避行」(昭和49年,詞:千家和也,曲:都倉俊一,唄:麻生よう子)
すずき・ひろみつの“気楽に行こう” (2018.7.24)
昭和48年,詞:マイク真木,曲:マイク真木,唄:鈴木博三
「気楽に行こうよおれたちは 仕事もなければ金もない」と始まる歌。
ザ・モップスのボーカルの鈴木は当時博三あるいはひろみつと表記していた。
元は石油会社の昭和46年のCMソングだった。
別の石油会社が小川ローザを使って『Oh1 モーレツ』というCMを流していたのが昭和44年,昭和45年にはコピー機会社の『モーレツからビューティフルへ』というCMが流行った。世の中がそのように変わっていった時期だ。
すみれの花(2020.8.7)
昭和48年,詞:岡本正,曲:岡本正,唄:岡本正とうめまつり
「ちょうどあのときは 夕焼けだったね」とはじまる。
相手から別れを切り出された,あるいは捨てられてしまった状況での歌は数知れぬほどあるが,一方的に別れを切り出す歌はめずらしい。
もちろん,昔なら,双方心は残りつつ,互いに事情を理解して泣く泣く別れる歌は珍しくなかった。
しかし,この歌は「仕方ないじゃないのなんて 言いたくないんだが」などと言いたくないと言いつつ言ってしまう。一方的に別れを宣言する歌のように聞こえてならない。
草原の輝き(2016.9.13)
昭和48年,詞:安井かずみ,曲:平尾昌晃,唄:アグネス・チャン
「い眠りしたのね いつか 小川のせせらぎ きいて」と始まる歌。
アグネス3枚目のシングル曲。第15回日本レコード大賞・新人賞,第4回日本歌謡大賞・放送音楽新人賞受賞。
典型的な初期のアイドル歌謡曲だろう。私が思う歌手の発声とは明らかに違うが,振り付けは私が思う歌謡曲歌手の振り付けの範囲だ。次第にアイドル・ソングの振り付けは激しくなっていくが,アグネスの頃は存在だけでアイドル性があったのだろう。
一般に,ほとんどの動物の子供は可愛い。もちろん人間の幼児もだ。ただ,私が学生時代には某県某市は子供も不細工だという都市伝説?があった。私もその某市を訪れたことがあるが,・・・噂は本当だった。大人は平均的だったので子供の何かが他都市と違っていたのだろう。
アグネスの場合,日本語会話が幼児的だったので,一般論が当てはまったのだろう。
早春の港(2017.4.6)
昭和48年,詞:有馬三恵子,曲:筒美京平,唄:南沙織
「ふるさと持たないあの人に 海辺の青さ教えたい」と始まる歌。
「あてなくさすらう舟みたい」なあの人に出会った。「好きとも言わないし おたがいに聞かない」関係だが将来の幸福を夢見ている歌である。
このさすらい人がどのような理由でさすらっているのか不明だが,二人の目指す人生の方向が異なるように感じ,夢見ている幸せは得られないのではないかと心配をしてしまう。
余計なお世話かもしれない。
ということで,私にはあまり共感できない詞だ。
空いっぱいの幸せ(2017.9.11)
昭和48年,詞:山上路夫,曲:森田公一,唄:天地真理
「空 今 あこがれ色に」と始まる歌。
最後の「今日という日 いつまでも」が印象的なハッピーソング
天地真理は新三人娘1)の中では最も庶民的に感じられた。宝塚音楽学校首席卒業の小柳やバイリンガルの南は庶民とは感じられず,初登場は『時間ですよ』での『隣のまりちゃん』だった天地はドラマ中の歌もギター伴奏だけで最も庶民的に感じられたのだ。その後天地は国民的アイドルになり,松田聖子に抜かれるまでは女性歌手で最高の5曲がオリコン1位を取っていた。
1)天地真理,小柳ルミ子,南沙織
戦え!仮面ライダーV3(2017.12.22)
昭和48年,詞:石森章太郎,曲:菊池俊輔,唄:宮内洋/ザ・スウィンガーズ
「赤い赤い 赤い仮面のV3」と始まる歌。
変身ものの人気で最初のピークかもしれない。鞍馬天狗も変身の一種かもしれないがどちらかというと怪人二十面相やバットマンのような変装だろう。月光仮面も同様だ。水戸黄門や暴れん坊将軍,遠山の金さんも同様かもしれない。スーパーマンやウルトラマンは普通人に変装していて活躍するときに正体を顕わす。過去にいろんなヒーローが変身しているが,変身の際にあからさまに『変身』と叫ぶのは仮面ライダーが最初だろう。
変身願望のある人間が少なからずいることと,なんとかして変身ベルトを手に入れることができれば自分でも変身できそうな点が人気の元なのだろう。自分は普通の地球人なのでウルトラマンのようにはなれないし,正体を隠して活躍する鞍馬天狗などは正体を隠したから強くなるわけではないので自分が正体を隠しても大して意味はない。
テレビドラマは最初の昭和46年の『仮面ライダー』以後,平成になっても続いているロング・シリーズになっている。
他人の関係(2014.4.17)
昭和48年,詞:有馬三恵子,曲:川口真,唄:金井克子
「逢う時にはいつでも他人の二人」と始まる歌。
要するに,逢っているとき以外は互いに自由で他人同士ということらしいが,『寝ては夢起きては現(うつつ)幻の』というフレーズで育った世代の私には理解不能な関係だ。
しかし,最後の一言に「私何度でもきっと引きもどす もどしてみせる」とあり,世の中の男性の皆さん,安珍1)のようにならぬよう,気をつけて。
1) 蛇に化身した清姫に追われ,道成寺で鐘に逃げ込むが焼き殺されてしまう。
煙草のけむり(2017.4.30)
昭和48年,詞:五輪真弓,曲:五輪真弓,唄:五輪真弓
「煙草のけむりの中に かくれて見えない」と始まる歌。
私はこの曲についていけないので,ニュー・ミュージックに入るのだろう。
「火をかしてください 僕の暗い心に」の箇所はメロディーの印象が異なるのだが,このあたりだけが私がようやくついて行ける箇所だ。
タブーTABU<チョットだけよ!全員集合>(2018.4.19)
昭和48年,詞:上野冷児・松原雅彦,唄:ザ・ドリフターズ
前奏?はM.Lecuona作曲のTABU。唄に入ると「エンヤ―コーラヤット ドッコイジャンジャンコーラヤット」と北海盆歌のお囃子になり,歌の本文?は「ハア− ドリフ見たさに」と始まる。メロディーは北海盆歌だ。
サブタイトルとして「チョットだけヨ 全員集合」と記載されている。TBS系のバラエティ「8時だヨ!全員集合」のオープニング・テーマとして使われていた。
歌詞に深い意味があるとは感じられず,ノリの良さだけを目指した歌なのではないだろうか。
小さな恋の物語(2017.9.25)
昭和48年,詞:山上路夫,曲:森田公一,唄:アグネス・チャン
「小さな家並みが まるで夢のよう」と始まる歌。
「いつかはめぐり逢う 愛し合う人に」とメルヘンだ。まあアグネスの歌声ならどんな歌でもメルヘンになるかもしれない。
この歌はアグネスの歌の中で唯一オリコンで週間1位になった歌らしい。わたしにとっては『ひなげしの花』1)のほうがインパクトが強かったが。
1)「ひなげしの花」(昭和47年,詞:山上路夫,曲:森田公一,唄:アグネス・チャン)
ちぎれた愛(2019.4.23)
昭和48年,詞:安井かずみ,曲:馬飼野康二,唄:西城秀樹
「ふたりだけに ふたりだけに この愛が生まれ」と始まる歌。
第15回日本レコード大賞歌唱賞受賞。
「君をはなすもんか すきだ すきだよ すきなんだよ」と絶叫する。
絶叫型で上手く唄うのは難しいと思う。後のアイドルに比べれば控えめであるとはいえ,アクションも当時の歌手としてはかなり激しい。西城の唄が好きか嫌いかは別として,このような歌唱法でそれなりに唄う技術はたいしたもんだ。
歌詞に関しては,「ふたりだけが ふたりだけが この愛をわかる」というような独りよがりな考えには賛成できない。まあ,燃え上がっているときにはこのようなものかとも思うが。
中学三年生(2015.12.1)
昭和48年,詞:阿久悠,曲:遠藤実,唄:森昌子
「別れの季節の悲しみを 生まれてはじめて知りました」と始まる歌。
森昌子デビューの『せんせい』1),『同級生』2)に次ぐ3曲目。おなじ柳の下で3匹目の泥鰌をねらったのだろうか。
卒業・進級に伴う別れは歌の題材として珍しくないと感じたが,ではどんな曲があるかと考えてみると舟木一夫はすぐに浮かぶが,次に続く曲が無い。舟木と同時代に,雰囲気は学園ソングという曲があるが学園といっても高校で,中学の曲は新しいのではないか。カレッジソングもいろいろあるが,中学の学園ソングは珍しかったのだ。
考えてみれば,山口百恵や桜田淳子の唄に比べれば,森昌子の唄の方が歌手の年齢に合った歌だった。中学生が中学生の歌を唄ってヒットしたのは森昌子の歌唱力があってこそだったのだろう。
1) 「せんせい」(昭和47年,詞:阿久悠,曲:遠藤実,唄:森昌子)
2) 「同級生」(昭和47年,詞:阿久悠,曲:遠藤実,唄:森昌子)
天使の初恋(2018.5.11)
昭和48年,詞:阿久悠,曲:中村泰士,唄:桜田淳子
「私がそよ風ならば あなたは大きな花ね」と始まる歌。
桜田淳子のセカンドシングル。デビュー曲の『天使も夢見る』1)でのキャッチフレーズは『そよ風の天使』であり,この曲も天使の歌である。当時被っていた帽子はエンジェルハットと呼ばれていた。(私にはhatよりもcapに見えたのだが。)
『天使も夢見る』では『天使も夢見る春だから』などと,天使が状況説明に使われていると解釈もできそうだが,この歌では「私の初恋」と唄っており,タイトルの「天使の初恋」と重ね合わせると「私」=「天使」と唄っているとしか聞こえない。与えられた歌詞を唄っているとはいえ,気恥ずかしさはなかったのだろうか。それとも『私は天使』という高い意識が無ければアイドルスターにはなれないということなのだろうか。
天使も夢見る(2018.3.21)
昭和48年,詞:阿久悠,曲:中村泰士,唄:桜田淳子
「私の胸に 恋のめばえを感じる季節」と始まる歌。
歌手の声というより余所行きの地声で唄っているように聞こえる。余所行きの地声という言葉があるのかどうかは知らないが,家族で話をしているときに,突然かかってきた電話(当時は発信者を通知するサービスはなかった)に出て話すときの声で,それまでの会話の声より5度ほど高い声で話す,そのような声だという意味だ。鼻濁音の発音なども微妙な気がする。曲のせいもあると思うが,言葉の発音が国語教科書の朗読のように一音づつはっきり発音しておりスターのような向こう側の人間ではなく,こちら側の人間という感じを強く受けた点が桜田人気の理由だろう。
てんとう虫のサンバ(2015.5.17)
昭和48年,詞:さいとう大三,曲:馬飼野俊一,唄:チェリッシュ
「あなたと私が夢の国 森の小さな教会で 結婚式をあげました」と始まる歌。
かわいい系の歌詞で,結婚披露宴で新婦友人たちの余興などで唄われた。
私なら『森のかわいい妖精が』としそうなところを「森のかわいい虫たちが」としているところに私を超えたファンタジーを感じる。その中で「てんとう虫がしゃしゃりでて」くるのだから私には思いつかない。
詞も曲も,悦ちゃんの歌声も爽やかだ。
てんとう虫のサンバ(2016.2.22)
昭和48年,詞:さいとう大三,曲:馬飼野俊一,唄:チェリッシュ
「あなたと私が夢の国」と始まる歌。
ファンタジーである。子供向けの絵本にある絵を見ているようで,普通ならば童謡にしかならないのではないかと感じられるが,新カップルの歌になっている。これには松崎の声が効いていると感じる。松井の声は少女の声ではないが十分に清楚な若い女性の声で,松井の声だけなら童謡にもなるだろう。しかし,松崎の声は青年の声で私には童謡向きの声には聞こえない。この松崎の声が控えめに加わることにより初々しい新カップルの歌になっている。
「森の小さな教会で結婚式をあげました」とあるからだろう,当時は結婚披露宴で唄われることも多かった。唄うのは新婦の友人グループだった。
遠い灯り(2018.5.27)
昭和48年,詞:山口洋子,曲:四方章人,唄:三善英史
「さよならね さよならと 別れ道まで来たけれど」と始まる歌。
「何故なら恋だもの」の「何故なら」など,ああ三善英史だと感じさせる。
家の近くまで来たが「あなたを待ってる 影がうつるわ」,ここで別れて「知ってる人にも 顔をそむけて」帰らなくちゃ。「明日また逢えると」
山口はこの詞で何を歌いたいのだろう。人目を忍ぶ関係の悲しみだろうか?
としごろ(2012.12.2)
昭和48年,詞:千家和也,曲:都倉俊一,唄:山口百恵
「陽に焼けたあなたの胸に」と始まる。「あなたにすべてを見せるのはちょっぴり恐くて恥ずかしい」などいう歌詞で,山口百恵のデビュー曲である。表情をあまり顔に表さないで唄う様子はデビュー当時の藤圭子のようであった。藤圭子は一種独特の雰囲気があったが,山口百恵にはそれほどのインパクトはなく,普通の愛想のない女の子という感じだった。森昌子はもっと普通の女の子だったが。
千家和也と都倉俊一のコンビは,この後「青い果実」,「禁じられた遊び」,「春風のいたずら」,「ひと夏の経験」というような歌を百恵に唄わせ続けている。2曲目以降,次第に百恵からも雰囲気が感じられるようになった。山口百恵が大きく変ったのは昭和51年の阿木耀子・宇崎竜童コンビによる「横須賀ストーリー」からであろう。声に艶も出てきて,女王の風格がでて来る。女王といっても,歌謡界全体が一つの国ではなく,多くの国があり,王や女王は他にもいる。しかし,どう聴いても王者の風格のない歌手も居る。
この歌自体は大ヒットしたわけではないが,後に菩薩1)といわれた山口百恵のデビュー曲であるということに意義がある。
1) 平岡正明:「山口百恵は菩薩である」(昭和58年,講談社文庫)
中の島ブルース(2015.6.16)
昭和48年,詞:斎藤保,曲:吉田佐,唄:秋庭豊とアローナイツ
「赤いネオンに身をまかせ 燃えて花咲くアカシアの」と始まり「ああ ここは札幌中の島ブルースよ」と終わる歌。秋庭豊とアローナイツの自主制作で初のオリジナル。このときの作詞者は須田かつひろ。昭和50年に歌詞が全国版に変えられ1番は札幌だが,2番は大阪,3番は長崎と変わり,ワーナー・パイオニアから発売,同時に内山田洋とクール・ファイブ版がビクターから発売された。Wikipediaではアローナイツ版はムード歌謡,クール・ファイブ版は演歌に分類されている。
詞からは何かを真剣に訴えたいとは感じ取れず,ムードというか雰囲気を醸し出すだけの歌と感じられ,ムード歌謡というのが実態に合っていると思う。
後のことだが,出張で札幌に行ったとき,地下鉄路線図を見て『すすきの』なんていう駅があるんだ1)と思ったり,『中の島』の駅名を見て「ここが札幌中の島」かとプチ感動した。古人が歌枕を訪ねる旅をした気分が少しだけ解った気がした。
1)大阪の「ミナミ」などのような地域名ではなく,東京の「歌舞伎町」のような地名だということは知っていたが,あってもせいぜいバス停で地下鉄の駅があるとは予想しなかった。
なみだ恋(2014.5.27)
昭和48年,詞:悠木圭子,曲:鈴木淳,唄:八代亜紀
「夜の新宿 裏通り」と始まる歌。「しのび逢う恋 なみだ恋」と終わる。第15回日本レコード大賞歌唱賞ほかいくつもの賞を受賞。
八代亜紀のデビューは昭和46年,この曲以前の曲は知らないので,恐らくこの曲が最初のヒット曲だろう。定量的データは知らないが,夜のラジオ番組でよく流れていたような印象がある。夜の番組でも,早い夜は受験生だが,遅い夜はトラック野郎のイメージで,デコトラに描かれて走っていそうだった。
以前は歌謡曲・流行歌という言葉でくくられていた歌の一部が,藤圭子以降,演歌とくくる現在の『演歌』の用法が広まったと感じている。すると美空ひばりの歌のいくつかはあれは演歌だったのだということになった。しかし,八代亜紀の歌は最初から演歌だった。氷川きよしなども最初から演歌だが,有名になった当初から演歌歌手というのは八代亜紀に始まるのではないだろうか。いや藤圭子が最初か。
涙の太陽(2015.12.25)
昭和48年,詞:湯川れい子,曲:中島安敏,唄:安西マリア
「ギラギラ太陽が燃えるように」と始まる歌。安西はレコード大賞新人賞を受賞した。
黛ジュンの『不思議な太陽』1)は相手を太陽とみているようだが,この歌では自分が太陽のようだ。You are my sunshineのように相手を太陽とすることが多いような気がするのだが,自分が太陽のように燃えているというのは新鮮に感じた。
安西が掌を下に向けてヒラヒラ動かすのも「ギーラギーラ」というのと対になって印象に残っている。
1)「不思議な太陽」(昭和44年,詞:なかにし礼,曲:三木たかし,唄:黛ジュン)
なみだの操(2013.5.31)
昭和48年,詞:千家和也,曲:彩木雅夫,唄:殿さまキングス
「あなたのために守り通した女の操」と始まる歌。第16回日本レコード大賞大衆賞受賞曲。
「私に悪いところがあるのなら 教えてきっと直すから」などというのは演歌中の演歌だ。当時はテレビでよく観たが最近はあまり見かけない。調べたら平成2年にグループは解散していた。しかし,この歌を聴くと宮路おさむの顔をはっきりと思い出す。それほどの衝撃だった。
一口に演歌と言ってもいろんな歌がある。この歌はぴんからトリオと共に演歌の中の一つの分野を極限まで突き進んだ歌で,たまにはこのような歌もいいではないか。
狙いうち(2016.2.28)
昭和48年,詞:阿久悠,曲:都倉俊一,唄:山本リンダ
「ウララ ウララ ウラウラで ウララ ウララ ウラウラよ」と始まる歌。
歌詞中にも「狙いうち」という言葉があるのが好まれたのか,甲子園の野球大会などでの応援歌としてもよく聞いたが,歌自体は野球とは全く関係ない。
「この世は私のためにある」と考えている女性の歌だ。「世界中のぜいたくを」「飾りたてた王宮で かしずく男を見ていたい」という訳で,私にはコメント不可能な歌だ。私は『白馬に乗った王子様が迎えに来る』のを待つ世代なのだが,阿久悠はこのころから自己過大評価する若者が増え,アグレッシブな女性も増えると予見した上で作詞したのだろう。
山本リンダは『こまっちゃうな』1)のときは15才,歌手というよりアイドルだった。その後間をおいて『どうにもとまらない』2)で再ブレークしたのが21才,歌の内容はアイドルのものではなくなっていた。しかしほとんどの歌手がスタンドマイクの前でほぼ直立して唄う中,彼女はステージ上を動き回り,新しい歌唱スタイルを提示した。後に多く現れたステージ上で動き回る歌手?の中には声が出てないんじゃないの?と感じる歌手(アイドル?)も少なくないが,山本の声は出ていたように思う。
この歌は『どうにもとまらない』路線の第4作目3)だ。
1)「こまっちゃうな」(昭和41年,詞:遠藤実,曲:遠藤実,唄:山本リンダ)
2)「どうにもとまらない」(昭和47年,詞:阿久悠,曲:都倉俊一,唄:山本リンダ)
3)間には「狂わせたいの」(昭和47年,詞:阿久悠,曲:都倉俊一,唄:山本リンダ),「じんじんさせて」(昭和47年,詞:阿久悠,曲:都倉俊一,唄:山本リンダ)がある。
裸のビーナス(2016.11.14)
昭和48年,詞:岩谷時子,曲:筒美京平,唄:郷ひろみ
「どうしたの ついて来ないのかい」と始まる歌。
ジャニーズ系とは少し違うが,やはりアイドルソングの一種だろう。
特に聴こうと思っていた歌ではないが,歌謡番組には登場するので,仕方なく惰性で聞いていたというところだろうか。
郷ひろみはその後も長く活発に活動しており,多くのアイドルの中では抜きんでていたのかもしれない。
花街の母(2014.7.4)
昭和48年,詞:もず唱平,曲:三山敏,唄:金田たつえ
「他人(ひと)にきかれりゃお前のことを 年のはなれた妹と」と始まる歌。
せめて娘に聟がみつかるまでは何とか頑張ろうとしている芸者の歌。「子持ちのゲイシャだと バカにされ」ているようだが状況がよく理解できない。娘のことを妹と言ってごまかしているのだから,当時は子持ちはバカにされたのだろうか。
確かに,子持ちということは若いということと両立しにくく,若いということはそれだけでこの世界では価値のあることのひとつなのだろう。しかし,客のなかには若さだけを求めない客もいると思う。「バカに」しているのは若さしかとりえのないバカな同業の競争相手ではないのか。
「子持ち」だとバカにされるのは,それしか非難する点がないからだと誇りに思ってよいのではないか。無芸だとか座持ちが悪いと言われているわけではない。お座敷で客が楽しめるかどうかがポイントで,年増だとか子持ちだとかは関係ないのではないか。
この世界のことは良く知らないのでこれ以上論じることは出来ない。
花物語(2017.5.23)
昭和48年,詞:阿久悠,曲:中村泰士,唄:桜田淳子
「この花は私です」から始まるやや長い台詞の後,「おぼえています あの日のこと」と始まる歌。
アイドルソングだが,何か一所懸命に唄っているように聞こえる。台詞も,一言一言をできるだけ明瞭に発音しようと心がけているようで,プロのアイドルではなくアマチュアのアイドルのようだ。
桜田はデビュー以来4曲目のこの歌で初めてオリコンチャートでベストテン入り(9位)した。
母に捧げるバラード(2013.9.17)
昭和48年,詞:武田鉄矢,曲:海援隊,唄:海援隊
「お母さん今僕は思っています。」と語りから入る。「今も聞こえるあのおふくろの声」から始まる短い歌があり,また長い台詞だ。所謂歌の部分はこの部分しかないので歌かどうか不明だが,まあ歌の一種なのだろう。台詞部は「コラッ鉄矢 何ばしょうとかねこの子は」と始まり延々と続く。最後に再び「今も聞こえるあのおふくろの声」と始まる短いフレーズが繰り返されて終わる。
『親の意見となすびの花は千に一つも無駄がない』などという言葉を思い出すような歌だ。
春のおとずれ(2016.4.7)
昭和48年,詞:山上路夫,曲:森田公一,唄:小柳ルミ子
「春のなぎさを あなたとゆくの」と始まる歌。
初めて恋人を連れて自宅に行き,両親に紹介する歌。
「父とあなたの笑う声が 聞こえて来たのよ」とハッピー路線まっしぐらの歌だ。
小柳ルミ子の当初,親の決めた許嫁に,あるいは親の薦める見合い相手に黙って嫁ぐ古風な娘風の売り出し方だった。『好きだともいえずに歩く川のほとり』1)とか『あの人あの町に行っちゃうなんて』2)ということはあったようだ。作詞者が変わっても『見知らぬ町へひとりで行った人』に手紙を出したりするのだが『ひとりっ子だからこの町でられない』とそれ以上の行動には出ない。『瀬戸の花嫁』4)では嫁に行くのだが,次に作詞者が変わっても『ひとりぼっち泣きながら さがす京都の町に あの人の面影』5)とあの人が行ってしまった町へ行って捜しているかのようだ。そして再び山上の詞に戻ったところで,『誰にも言わずに裏木戸をぬけて』6)と少し大胆になってきている。この歌はその次の7曲目でついに自分で選んだ相手を家に連れて来たのだ。
当時,天地真理・南沙織と共に(新?)3人娘と呼ばれたアイドル歌手の中では小柳が最も唄が上手かった。天地と南の曲はポップス系が多かったので私の演歌好みによるバイアスがかかっているかもしれないが。
1)「私の城下町」(昭和46年,詞:安井かずみ,曲:平尾昌晃,唄:小柳ルミ子)
2)「お祭りの夜」(昭和46年,詞:安井かずみ,曲:平尾昌晃,唄:小柳ルミ子)
3)「雪あかりの町」(昭和47年,詞:山上路夫,曲:平尾昌晃,唄:小柳ルミ子)
4)「瀬戸の花嫁」(昭和47年,詞:山上路夫,曲:平尾昌晃,唄:小柳ルミ子)
5)「京のにわか雨」(昭和47年,詞:なかにし礼,曲:平尾昌晃,唄:小柳ルミ子)
6)「漁火恋唄」(昭和47年,詞:山上路夫,曲:平尾昌晃,唄:小柳ルミ子)
春のからっ風(2020.6.28)
昭和48年,詞:泉谷しげる,曲:泉谷しげる,唄:泉谷しげる
「春だというのに 北風にあおられ」と始まる。
「頭を下げ 詫びを入れ すがる気持ちで 仕事をもらい」と理不尽な扱いに我慢をすることを知ってはいるようだが,ついには「分ってくれないまわりをうらみ 自分は正しいと逃げ出す」。
社会に適応できない者の苦しみを歌っているようだ。
しかし,「今日の生き恥をかく」と何度も繰り返されているが,この考えがいけないのではないか。「恥をかく」などというのは他人に見られていると感じているからなのだろう。自意識過剰で勝手に恥をかいたと感じているのだ。お天道様に恥ずかしくなければそれで良いのではないか。
もちろん,最初から頭を下げない生き方もある。人それぞれ,己に合った生き方をするしかない。
バイバイグッドバイサラバイ(2020.5.16)
昭和48年,詞:斉藤哲夫,曲:斉藤哲夫,唄:斉藤哲夫
「はるか遠く君の歌が聴こえる」と始まる歌。
最初こそ「聴こえる」だが,あとは全て「もう聴こえない」だ。高音部は無理して発声しているように聞こえ,「このっやるせない気持ち」だけは伝わって来るが,繰り返される「バイバイグッドバイサラバイ」の原因というか状況が解らないので消化不良だ。
避暑地の恋(2017.10.7)
昭和48年,詞:林春生,曲:馬飼野俊一,唄:チェリッシュ
「赤い屋根の時計台が朝を告げて」と始まる歌。
絵本を見ているような歌。このような気持ちにさせるのは,詞と曲と唄のマッチングが良いからだろう。
『ひまわりの小径』1)や『若草の髪かざり』2)などもそうだが,松井の声がこのような歌を書こうという気にさせるのかもしれない。
1)「ひまわりの小径」(昭和47年,詞:林春生,曲:筒美京平,唄:チェリッシュ)
2)「若草の髪かざり」(昭和48年,詞:阿久悠,曲:馬飼野俊一,唄:チェリッシュ)
ひとかけらの純情(2018.1.13)
昭和48年,詞:有馬三惠子,曲:筒美京平,唄:南沙織
「いつも雨降りなの 二人して待ち合わす時」と始まる歌。
「恋のはじめの日を 誰かここへ連れてきてほしいの」と「まだ信じられない」思いで過去を懐かしむ歌。
「何も実らずにいつも終わるのね」とこのような経験は初めてではないのかとツッコミを入れたくなるが,これは有馬のミスだと思いたい。それとも,これは何度も繰り返してきた経験の一つで,これがタイトルに「ひとかけらの」が付いている理由なのだろうか。
ひとり酒(2022.3.26)
昭和48年,詞:菅野さほ子,曲:紺野昭,唄:ぴんから兄弟
「だめじゃないかと しかってくれる やさしい言葉が 欲しいのよ」と始まる。
「お酒は水で うすれるけれど みれんは お酒じゃ うすれない」などと言いながら飲んでいるようだ。
そのような気分になることもあるだろう。気持ちは解らないでもないが,そんな飲み方はアル中の元,酒を飲むときはもっと楽しく飲もう。
ひとりっ子甘えっ子(2018.3.27)
昭和48年,詞:小谷夏,曲:筒美京平,唄:浅田美代子
「ひとりが好きなのひとりっ子」と始まる歌。とはいえすぐに「ほんとは嘘なの甘えっ子」と続く。
詞は歌い手によってはひきこもりの歌になってしまう瀬戸際のような感じも受けるが,浅田が唄っている時点で夢見る乙女の歌になっている。
アイドルソングとしか言いようがない。
ひとりぼっちの部屋(2018.4.22)
昭和48年,詞:高木麻早,曲:高木麻早,唄:高木麻早
「今ひとり部屋の隅にいて」と始まる歌。
タイトルからは淋しい歌かと思うのだが,聴いてみると「今ひとり想う あなたのこと」と独りでいながらも,幸せに満ち溢れているようで,聴いているだけで幸せのおすそ分けを貰えるようだ。しかし,たまたま不幸のどん底のときにこの歌が流れてきたら,思わず止めてしまいそうに思うのはまだ私が修行不足だからだろうか。
ファンキー・モンキー・ベイビー(2018.5.14)
昭和48年,詞:大倉洋一,曲:矢沢永吉,唄:キャロル
「君はFunky Monkey Baby」と始まる歌。
ロックだろう。何と言っても私が思うキャロルの代表曲だから。
ロックは嫌いじゃないと思っているのだが,私の好きなロックとは若干違う。どこがと問われても困るのだが,日本語・英語のチャンポン歌詞は好みでないのが一つ,あとは・・・腹に響くようなビートが好みかな。
冬の旅(2018.5.30)
昭和48年,詞:阿久悠,曲:猪俣公章,唄:森進一
「ある日何かで これを読んだら 恋人あなたは わかってくれ」と始まる歌。
恋人に置手紙を残し,独り,北(「雪の降る町へ」だから北だろう)へ旅立つ男の歌。
詞からはなぜ離れていくのか理由が不明で,肝心?の置手紙もすぐには見つけられないような所に置いてあるようで,この男の真意がよく判らないのだが,猪俣の曲,森の歌唱共に止むを得ない事情で去るが恋人には幸せになって欲しいという真情に溢れている。冒頭の「ある日何かで」が無ければ全てこの心情で統一されると思うのだが,この一言で私にはこの男が偽善者に見えてしまう。
ふるさと(2015.7.15)
昭和48年,詞:山口洋子,曲:平尾昌晃,唄:五木ひろし
「祭りも近いと汽笛は呼ぶが」と始まり,「あーぁあ〜誰にも 故郷がある 故郷がある」と終わる歌。
「お嫁にゆかずにあなたのことを 待っていますと優しい便り」と郵便を使っているらしいところに時代を感じる。当時私が住んでいたところには電話はなかった。電話があったとしても長距離電話は高価で簡単にはかけることができなかった。もちろんパソコンもなく,ファックスもなかったと思う。外国との高速通信はテレックスだった。
新幹線や高速道路の整備もまだまだ進んでおらず,故郷が田舎なら,故郷との連絡手段は手紙か電報だった。電報はカタカナだったので『カネオクレタノム』との送金依頼の電報に対し『ノマズニチョキンシロ』の返信などの話が普通に通じた時代である。
江戸時代は生まれ故郷を離れて暮らす人の数は少なかっただろうが,昭和のこの時代,仕事があるのは都会や工業地帯なので故郷を離れて暮らす人の数が非常に増えていた。そこで「誰にも故郷がある」となるのだろうが,もちろん都会生まれで生まれた土地で住み続けている人もいる。更にはこの当時には転勤族の子供も成人しており,故郷と言えるものが無い人間も増えている。このような人間でも時には故郷へ帰りたいと思うことがあったのではないか。どこかに自分を受け入れてくれる故郷があるのではないかと。
ベルベット・イースター(2019.2.27)
昭和48年,詞:荒井由美,曲:荒井由美,唄:荒井由美
「ベルベット・イースター 小雨の朝 光るしずく 窓にいっぱい」と始まる歌。
荒井由実のファーストアルバム『ひこうき雲』のなかの一曲。昭和51年に『翳りゆく部屋』のB面としてシングルカットされた。
最初に聴いたときは音の跳びなど違和感満載だったが,繰り返し聴くうちに違和感がなくなる。このように古いものに凝り固まった私のような者にも新しいものを馴染ませる,あるいは私のような頭の固い者にも受け入れ可能な新しいものをつくるというのがユーミンの才能なのだろう。
歌詞に関しては私の感受性ではとりたてて言うことはない言葉が並んでいるように思うが,これらを「ベルベット・イースター」という言葉で括ったのは斬新だ。私は日本語の歌に外国語の詞がはいるのを好まないが,ユーミンにとってはベルベットもイースターも十分身近な言葉だったのだろう。
僕の胸でおやすみ(2015.12.27)
昭和48年,詞:山田つぐと,曲:山田つぐと,唄:かぐや姫
「君の笑顔のむこうにある悲しみは」と始まる歌。
「ふたりで歩いてきた道なのに」と別れるのかと思ったら「僕の胸でおやすみ」と終わる。訳がわからないが,かぐや姫の優しさが感じられる曲だ。
街の灯り(2014.8.10)
昭和48年,詞:阿久悠,曲:浜圭介,唄:堺正章
「そばに誰かいないと沈みそうなこの胸」と始まる歌。
GS出身の堺だが,阿久と浜のコンビによりこの歌は昭和の歌謡曲になっている。私にとっては当時の堺は歌手の一人だ。嫌いじゃない曲だが,唄うのは難しそうで,練習してまで唄いたいと思うほどではない。
丸山・花町・母の町(2015.8.12)
昭和48年,詞:神坂薫,曲:浜圭介,唄:三善英史
「母になれても妻にはなれず」と始まる歌。
花街の母の歌だ。当時の花街の母は苦労したのだろう。金田たつえにも似た歌1)がある。現代ではどうなのだろう。シングルマザーという言葉が日本で一般的になったのは昭和52年以降らしい。もちろん花街の母とシングルマザーは同義語ではないが,シングルマザーの数が増え,花街の母も目立たなくなったのではなかろうか。
シングルマザーの増加は女性の自立の証かもしれない。昔は専業主婦が多かったのが女性の社会進出が増えたととらえる人もいるだろう。しかし扶養家族の制度を使って低賃金に抑えたり,扶養家族の減少に伴う関連支出の削減など,結局雇用主の都合の良いように推移させられているのではないかと勘繰りたくもなる。
1)「花街の母」(昭和48年,詞:もず唱平,曲:三山敏,唄:金田たつえ)
円山・花町・母の町(2017.10.21)
昭和48年,詞:神坂薫,曲:浜圭介,唄:三善英史
「母になれても 妻にはなれず 小さな僕を 抱きしめて」と始まる歌。
夜の町で働くシングルマザーに育てられた子供の歌。当時はシングルマザーという言葉は一般的ではなかった。歌詞にも「日陰町」とあるように,日陰の存在だった。
このような状況の親の立場からの歌はこれまでもあったが,子供側の歌はこれが初めてではなかろうか。あったかも知れないが私の記憶には残らなかった。哀調を帯びた三善の高音は歌によくあっていると感じる。
みずいろの手紙(2016.12.12)
昭和48年,詞:阿久悠,曲:三木たかし,唄:あべ静江
「お元気ですか そして 今でも 愛しているといってくださいますか」と台詞から入り,「みずいろは涙いろ」と始まる歌。
「逢えなくなって二月過ぎて」「手紙読んだら少しでいいから 私のもとへ来てください」ということで,失恋ソングのひとつだろう。
当時は固定電話と郵便しか通信手段がなかった。
当時の電話は留守電機能や番号通知機能などなかったので,電話が鳴ると取るまでどこから架かって来たのか判らない。電話には受け手の都合を無視した強制力があった。最初の台詞が手紙の文面なら,受け取ったほうはその重さにぞっとするかもしれないが,これは慇懃な脅迫ではなく,胸の想いを慎み深く手紙で伝えようとして,このような表現になってしまったのだろう。
失恋ソングと書いてしまったが,ソングと言うと現代的に聞こえてしまう。ソングという軽い言葉でなく,もっと古風な単語を使いたいのだが思いつかない。
曲は清楚なお嬢様の歌として作られているようで,あべの声はこの詞と曲に良く合っている。
魅せられた夜(2017.6.18)
昭和48年,詞:Jean Renard/安井かずみ,曲:Jean Renard,唄:沢田研二
「濡れた夜に抱かれて あなたの体は 月の光の中で 熱く燃える」と始まる歌。
「ジュ・テーム」が何度も繰り返されるのが印象に残るが,それだけだ。自分で唄う気にはならないし,他人が唄っているのも,できれば聴きたくない。この歌を唄って様になるのはジュリーしかいないだろう。
胸いっぱいの悲しみ(2018.2.3)
昭和48年,詞:安井かずみ,曲:加瀬邦彦,唄:沢田研二
「これでもう逢えないと あなたの瞳に こらえた涙をみた時」と始まる歌。
「行くなとあの時 言えずにたたずむ」ということがあったのだから悲しみは仕方ないだろう。「新しい倖せ祈るよ」というのは結局いい人ぶってるだけではないのか。
これが10年前なら,家庭状況等種々の制約で泣く泣く別れざるを得なかった場合もあっただろう。しかし,この時代は既に本人同士の意志はかなり通るようになっていた。涙を溜めながら去っていくのを,引き留めなかったのだから責任は自分にある。その責任を引き受けずに倖せを祈る偽善者であるにも関わらず,自分を悲劇の主人公のように見做して現状に酔っているナルシストの歌ではないか。
私にはこの歌からは魂の叫びが聞き取れない。
燃えつきそう(2018.4.1)
昭和48年,詞:阿久悠,曲:都倉俊一,唄:山本リンダ
「その気になったら 私はとまらない」と始まる歌。
都倉の曲には耳に馴染んだものが多くあるが,この曲はそれらとは全く趣が異なる。しかし,山本の再ブレーク曲『どうにもとまらない』1)と似た感じで,特にリズムに特徴がある。一聴すれば再ブレーク後の山本リンダだと判る。
1) 「どうにもとまらない」(昭和48年,詞:阿久悠,曲:都倉俊一,唄:山本リンダ)
戻ってきた恋人(2020.3.11)
昭和48年,詞:安井かずみ,曲:吉田拓郎/柳田ヒロ,唄:猫
「あの晩 君は裸足でやってきた」と始まる歌。
出て行った時も突然裸足で飛び出したようだ。
最後は「僕は決して君を許さないと思ったけれど いつかは 君がこうして戻ってくると」と終わる。
最後は元の鞘に収まるハッピーエンドなのか腹水盆に還らずなのかは解らない。解らないところが良いのだろう。
安井は私より9歳年上。共感できる詞を多数書いているがこの歌は私の好みから外れる。
モナリザの秘密(2019.5.19)
昭和48年,詞:岩谷時子,曲:筒美京平,唄:郷ひろみ
「君はモナリザ 僕を狂わす 謎のほほえみよ」と始まる歌。
僕の思いは解っている筈なのになぜ応えてくれないのかという歌。思わせぶりな微笑だけを返して・・・ということでモナ・リザを連想したのだろう。
レオナルド・ダ・ヴィンチのモナ・リザはルーヴル美術館にあるが,昭和49年には東京国立博物館に貸し出されて展示された。この貸与予定もこの歌をつくる動機の一つになっているかもしれない。
モナ・リザの謎の微笑は好奇心を刺激し想像力を逞しくさせる。多くの風説が流れており,『モナリザの秘密』でネット検索すると,郷の歌よりも前にこれらの風説が多くヒットする。
森を駈ける恋人たち(2018.4.27)
昭和48年,詞:山上路夫,曲:筒美京平,唄:麻丘めぐみ
「木立ちぬけて走るのよ 森の中二人」と始まる歌。
「いつか あなたの 花嫁に なりたいの」と,典型的な当時のアイドルソングだ。
この前後から歌手の中にアイドル歌手というカテゴリーが定着してきたと思う。
アイドルソングが更に変質してくるのはおニャン子あたりからではないだろうか。
夜間飛行(2017.7.12)
昭和48年,詞:吉田旺,曲:中村泰士,唄:ちあきなおみ
「最後の最後まで 恋は私を苦しめた」と始まる歌。
「あなたは気付くでしょう いつか私のまごころに」と歌謡曲の定番テーマのようだが,サビがリズミカルで違和感を持つ。
「私は泣かない」と詞の展開もやや予想外だが,泣く女は古いということなのだろうか。
夕顔の雨(2017.11.2)
昭和48年,詞:阿久悠,曲:遠藤実,唄:森昌子
「夕顔つんだら 雨になる 雨が降ったら また逢える」と始まる歌。
山口百恵が唄う歌詞のような少女がいるかと思えば,森昌子のこの歌のような少女がいたのがこの頃かも知れない。森が唄う少女は古風な少女,あるいは古風な男子が女子とはこのようなものと思っていた少女だろう。
70年(昭和45年)安保闘争のころから日本でもウーマンリブ運動が盛んになり,女性の表の意識も次第に変わりつつあった。
ゆう子のグライダー(2014.9.22)
昭和48年,詞:神崎みゆき,曲:神崎みゆき,唄:神崎みゆき
「みててみててよ 本当にとぶんだよ」と始まる唄。
「となりのお兄ちゃん」が作ってくれた大切なグライダー。「上昇気流にのっかってとぶのよ」といっぱしの口をきく。印象は小学校低学年くらいの女子児童だ。グライダーで遊ぶ喜びがあふれている様子が感じられる。かわいらしい歌だ。
雪の月光写真師(2019.12.6)
昭和48年,詞:森永博志,曲:若林純夫,唄:若林純夫
「君の艶やかな脚が 月の光の中で 軽やかに踊ります 月の光の中で」と始まる歌。
フォークなのだろうが私が主に聞いていたのとは大分違う。当時私が主に聴いていたのは山口百恵,ガロ,浅丘めぐみ,かぐや姫,小柳ルミ子,井上陽水その他のラジオでよく流れる歌だった。もちろん他の歌手の歌も沢山聴いたが,私の個人的好みが出過ぎないように例示したもので,山口百恵と言えば桜田淳子と森昌子も当然連想するだろうなどと考えてのことだ。しかし若林純夫は当時知らなかった。
平成20年頃,ディアゴスティー二というところから隔週で『青春のうた BEST Collection』というCD付マガジンが出ていて,その66号にこの歌があった。
歌では「ぼくは雪の月光写真師さ」というのが何度も繰り返され,タイトルにまでなっているのだからこれが主題なのだろうが,私には難解すぎて理解できない。ラブ・ソングのようではあるのだが,愛の表現としてこのような表現がありうるとは私には思いもよらない。君を花に見立て,雪月花の歌だとすれば白居易もビックリだろう。古典を下敷きにしたとすると写真師などというハイカラな言葉と相性が良くないように思う。
結局,当時聴いても理解できなかっただろうし,今聴いても解らない。
夢の中へ(2015.9.4)
昭和48年,詞:井上陽水,曲:井上陽水,唄:井上陽水
「探しものは何ですか?」と始まる歌。
「まだまだ探す気ですか?それより僕と踊りませんか?」という歌である。
この頃から日本の社会は変わってきたのだろう。それまでは,多くの人々にとって,まず探すものは生きる術だった。それがこの頃には食べることに困る人の数が激減した。それとともに生きがいを求める人が現れた。ベトナム戦争や70年安保に対する反対運動に生きがい(使命感?)を感じた人もいただろう。米国ではこのような豊かな層の形成がより速かったからだろう,ヒッピーの登場など日本より大分早い。
しかし政治運動は挫折した。自分探しを始める者も出てくる。
素人参加のタレント発掘のテレビ番組などができて,アイドルを目指す若者が目立つようになった。昔は歌手も芸人も士農工商の範囲外だったからこっそり?目指していたので目立たなかったのだ。
しかし,この歌は見つからない自分探しをするよりも,歌って踊っていればそこに自分が見つかるかもしれないと言っているのだろうか。私には,哲学的な思索にふけるより,お気楽に遊びましょうと言っているように聞こえる。
自分探しなどをする若者が増えてきたのは豊かになり食の心配が不要になったことと,宗教心の薄れが原因だろう。日々の日常に感謝することを忘れ,何か満たされない。日々自分にできることを精一杯やって,その結果たどり着くのが自分である。
夢を持つ者がその夢を事情(この範囲が広がったのがこの頃だ)が許す限り追い求めるというのが昔の姿だ。夢が無い者はその状態が自分であるのに,そのことに気づかずに何か夢があるはずだとそれこそ夢を夢見る者が出て来たのだ。具体的な夢を持ちながら夢破れという例は記録には残らないが数多くある。ごく一部の幸運と能力に恵まれた者が成功者として名を残しているのだ。志を持たない者が夢を夢みることができる時代の始まりがこの頃だろう。
その後,バブル期を経てバブルは崩壊してしまう。
夢の中へ(2018.2.17)
昭和48年,詞:井上陽水,曲:井上陽水,唄:井上陽水
「探しものは何ですか? 見つけにくいものですか?」と始まる歌。
戦後の日本では多くの人々が『モーレツ』に働き,「はいつくばってはいつくばって」生きてきた。生き延びるのに精一杯だったが,この頃までには高度成長が続き,皆が豊かになってきた時代である。内閣府の『国民生活に関する世論調査』で昭和45年には自らの生活程度を『中流』と答えた者が9割になり,この時代は国民総中流時代である。昭和45年の大阪万博後,富士ゼロックスのCMでのキャッチフレーズは『モーレツからビューティフルへ』だった。
そんな時代なのに,いまだに「はいつくばって」いるんですか,「それより僕と踊りませんか?」との言葉に乗せられたのか,世の中はバブルになり,「夢の中へ」と入って行ったのだが,バブルははじけ夢は幻となって消え失せた。
この歌が引っ張ったというより,世の中がそのような時代だったからこのような歌ができたのだろう。
妖精の詩(2018.4.5)
昭和48年,詞:松山猛,曲:加藤和彦,唄:アグネス・チャン
「風の吹く草笛の さわやか青い草原を」と始まる歌。
「はーぁるがめぐり来た しーるしです」や「こーぉいにめぐりあう しーるしです」などが日本語としてはどうかとは思うが,アグネスが唄うと微笑ましい。歌もメルヘンチックだが,アグネス自身の存在がメルヘンチックに感じる。
夜空(2016.1.3)
昭和48年,詞:山口洋子,曲:平尾昌晃,唄:五木ひろし
「あの娘どこに居るのやら」と始まる歌。第15回日本レコード大賞受賞曲。
叶わぬ恋と諦めた恋の歌。「あきらめた恋だから なおさら逢いたい逢いたいもう一度」と,理性では諦めているのだが未練は強く残っている。何となく,昭和中期以前の古い感性の詞のように感じる。
夜の走り雨(2015.12.3)
昭和48年,詞:千家和也,曲:鈴木邦彦,唄:森進一
「屋根を濡らして雨が降る」と始まる歌。
最後の「女泣かせの女泣かせの走り雨」がかすかに印象に残っている程度である。
この歌の詞は私にはしっくり来ない。場所は「新宿」だが,当然東京の新宿だろう。私の新宿のイメージでは「屋根を濡らして雨が降る」と感じるようには思えない。「ネオンの残り火」というのもイメージが湧かない。「鼻緒切らして」とか「裾の乱れは」などと言う言葉からは和服をイメージするが,「傘もささずに帰りを急ぐ」というのもあまり想像できない。和服で雨に濡れながら新宿の街を「急ぐ」女性にリアリティを感じないのだ。
『銀座』ならば,地方都市に多くありそうで,地方都市ならこのようなこのような状況も想像できる。あるいは高層ビル群が建つ前の新宿なのだろうか。
落陽(2017.1.21)
昭和48年,詞:岡本おさみ,曲:吉田拓郎,唄:よしだたくろう
「しぼったばかりの夕陽の赤が 水平線からもれている」と始まる歌。
「フーテン暮らしあのじいさん」に「サイコロふたつ」「みやげにもらっ」て「苫小牧発・仙台行フェリー」で「また振り出しに戻る」と歌っている。
「この国ときたら 賭けるものなどないさ だからこうして漂うだけ」と70年安保に向けた(?)学園闘争が失敗(?)のうちに終息したことによる虚無感のようなものを漂わせてはいるが,岡本や吉田がこれらの闘争に積極的に加わっていたという話は聞かない。
『もう一杯いかが』と『熱燗徳利の首つまんで』勧められ『妙にいろっぽいね』1)などと小市民的(?)歌を唄う。それでも既成の権威に対する反逆心は見せていたので,所謂活動家に何となく胡散臭さを感じた若者が岡本・吉田に魅かれたのかもしれない。
1)「旅の宿」(昭和47年,詞:岡本おさみ,曲:吉田拓郎,唄:よしだたくろう)
ルームライト(室内灯)(2017.7.28)
昭和48年,詞:岡本おさみ,曲:吉田拓郎,唄:由紀さおり
「あなたが運転手に道を教えはじめたから」と始まる歌。
さすが岡本・吉田のコンビらしいというか,私の期待を全て裏切る曲。岡本・吉田の曲が身に付くほど沢山聴いたわけではない。というか彼らの曲は何時も私の期待を裏切り,これが彼らのパターンだというのが私には解らないのだ。従来の歌謡曲のパターンが身に染み込んだ私は,いつも予想を裏切られ,こんな形でも歌になるのかと驚かされるのが常だ。
とはいえ,このような異質な歌をさりげなく普通の歌のように唄えるのは由紀の力量なのだろう。
ロマンス(2014.11.5)
昭和48年,詞:山上路夫,曲:堀内護,唄:GARO
「君 忘れないでいて 若い愛の日を」と始まる歌。
「変わらぬこの愛 二人誓い合おう」とハッピーな歌である。当時の私は仕事がうまくいかず,ブルーな毎日を過ごしていた。ガロは昭和51年には解散してしまうが,ヒット曲を連続して出していたこの当時からやりたい音楽と求められる音楽の違いに悩んでいたらしいとの話を後から聞いた。好きなことをやっているように見えたのだが,仕事となると誰にも悩みはあるようだ。
若草の髪かざり(2013.7.29)
昭和48年,詞:阿久悠,曲:馬飼野俊一,唄:チェリッシュ
「あなたが髪に結んでくれた 芽生えたばかりの草の髪かざり」と始まる歌。
悦っちゃんの声がとても爽やか。メルヘンチックな詞がまた曲と歌声に良く合っている。阿久悠の頭の中にはどれだけの言葉の引き出しが入っているのだろう。馬飼野の曲もチェリッシュに良く合っている。
私が知っている数曲だけかもしれないが,チェリッシュの歌は他の作詞者による歌も含めて,絵のように場面が見えるような歌が多いような気がする。
私の中では,この歌はチェリッシュの歌の中で一押しの歌である。
若葉のささやき(2012.8.2)
昭和48年,詞:山上路夫,曲:森田公一,唄:天地真理
「若葉が町に 急に萌えだした」と始まる歌。昔,後輩から「若葉が町に急に燃え出しました」と始まる挨拶状を貰ったことがある。この挨拶状を見た瞬間は書き出しの意外さに驚いたのだが,じきにこの歌を引用したことに気づいた。彼は天地真理の大ファンだった。
南沙織,小柳ルミ子,天地真理が新三人娘と呼ばれていたが,この三人の中では,私は小柳ルミ子の「歌」のファンだったが,彼は天地真理のファンだったのではないだろうか。
私が小柳ルミ子のファンであったことも間違いはないが,それより強く,小柳ルミ子が唄う平尾正晃の「歌」が好きだった。
もちろん,二人とも歌一般が好きで,二人で一晩中歌い明かしたこともある。当時は宴会というとかくし芸などをやらせられるのが普通だった。そのようなとき,彼は天地真理の歌を振り付きで唄っていた。「振り」といってもささやかなものだったが。
この年,トイレットペーパーの買占め騒動が起きた。
第4次中東戦争中であった10月,産油国が原油価格を70%引き上げることを決定したため,中曽根通産大臣が紙を節約するように呼びかけた。これが紙がなくなるという噂となって流れていたところに,関西の某店が,トイレットペーパーの特売を行い,「(激安特売品である)紙がなくなる!」と広告を出した。実際この特売品は2時間ほどで売り切れ,通常価格の品が売られた。これを某新聞が「あっと言う間に値段は2倍」と報道し,このような伝言ゲームが日本中に広がり,売り惜しみをする店も現れ,日本中の店頭からトイレットペーパーが無くなったのである。
わたしの青い鳥(2013.3.30)
昭和48年,詞:阿久悠,曲:中村泰士,唄:桜田淳子
「ようこそここへクッククック」とはじまる歌。桜田淳子はこの歌で第15回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞した。花の中三トリオの中では現代のアイドルに最も近いと感じる。念のために言うと,私はアイドルが嫌いではないが特に好きというわけでもない。
この年のレコード大賞新人賞は浅田美代子,安西マリア,アグネス・チャン,あべ静江,桜田淳子が受賞し,この順序はレコードセールス順にならべてみた。桜田はレコードセールスではこの5人の中では最下位だが,最優秀新人賞である。タレントとしてみた場合の私の好みはこの5人同列だが,歌としては安西マリアやあべ静江の歌が好みだった。
この年から為替レートが変動相場制になった。最初は1ドル=277円だった。子供のころはずっと1ドル=360円だったのだが。
この頃から,新宿に代わって渋谷が若者の街に変貌していく。
わたしの彼は左きき(2014.12.17)
昭和48年,詞:千家和也,曲:筒美京平,唄:麻丘めぐみ
「小さく投げキッス する時もする時も」と始まる歌。第15回日本レコード大賞大衆賞受賞曲。
当時の麻丘めぐみはアイドル歌手だろう。あるいはアイドル歌謡を唄う歌手と言ってもよいかもしれない。後のアイドルとは異なり,歌手と名乗るだけの歌唱力はあるが発声が昭和後期の歌手という印象だ。歌はアイドル歌謡を書かせたら五本の指に入る千家・筒美のコンビだ。
現在の状況はよく知らないが,当時はまだ左利きは矯正の対象だったのではなかろうか。
一部のスポーツでは左利きの利点が認識されてはいたが,世の中はまだ右利きの世の中だったと思う。右利き用,左利き用の区別がある物は圧倒的多数が右利き用で,左利き用の物がそれなりの数販売されていたのは野球のグローブくらいではなかろうか。
この歌のヒット以降,左利き用品の販売が増えたそうだ。
J’ai du chagrin, Marie<悲しきマリー>(2016.5.30)
昭和48年,詞:M.Polnareff, J.L.Dabadie,曲:M.Polnareff,唄:Michel Polnareff
「I’m so sad cause I lost my friend」と始まる歌。
友人を亡くした悲しみの歌。「Il a emprorté ses jouets Dans le
ciel, dans le ciel」とあり,彼はおもちゃを持って行ったということなので友人とは男児だろう。空へ空へとはもちろん天国へだ。
ポルナレフのルックスは以前から知っていたが,見ただけで私が聴く歌ではないと決めつけていた。ある時,ずっと年下の少女グループの会話の中に,ポルナレフのルックスと歌声のギャップがたまらないというような話が漏れ聞こえてきて一度聴いてみようかという気になった。聴いてみたら確かに歌声は素敵で,優しく聞こえる。それで前にヒットしていた『愛の休日』1)なども聴いてみようという気になったきっかけの歌だ。
4)「Holidays」(昭和47年,詞:詞:Jean-Loup Dabadie,Michel Polnareff,曲:Michel Polnareff,唄:Michel Polnareff。邦題「愛の休日」)
Yesterday Once More<イエスタディ・ワンス・モア>(2012.1.23)
昭和48年,詞:R.Carpenter/J.Bettis,曲:R.Carpenter/J.Bettis,唄:Carpenters
「When I was young, I’d listen to the radio」という曲。「Every Sha-la-la-la Every Wo-o-wo-o」というフレーズが印象的。
この年オイルショック。中東戦争の影響で石油価格が急に上がり,インフレが加速,高度成長時代が終わった。紙が高騰し,トイレットペーパーが無くなるとの噂で買占めが行われた。電気系の学会で今のような用語に統一したのはこの時期だったように思う。即ち,英語をカタカナ表記するとき,動詞にer やorをつけて「〜するもの」を指す名詞は,erやorに対応する長音記号「ー」をつけないと決めたのである。このため,従来,「プレイヤー」とか「コンデンサー」「コンピューター」と言っていたものが「プレイヤ」,「コンデンサ」「コンピュータ」などになった。同時に「フォトン」なども「ホトン」などに統一された。論文等の印刷に際しできるだけ紙を節約しようというわけである。
行政はこの用語問題には何も関与しなかったようである。もともと省庁間の縦割り行政で用語統一などということは考えていないようだ。通産省(現経済産業省)は「超電導」といい,文部省(現文部科学省)は「超伝導」という。「超電導」組は他に毎日新聞や電気学会があり,「超伝導」組は朝日新聞や物理学会などがある。困ったものだ。
LASERは物理学会では「レーザー」,電気学会では「レーザ」,中国では「激光」,台湾では「雷光」と言うようだ。