神保孝志トップページ

昭和の歌トップページ

明治大正昭和元年〜昭和6年〜昭和11年〜昭和14年〜昭和16年〜昭和21年〜昭和26年〜昭和29年〜昭和31年〜昭和33年〜昭和35昭和36昭和37昭和38昭和39昭和40昭和41昭和42昭和43昭和44昭和45昭和46昭和47昭和48昭和49昭和50昭和51昭和52昭和53昭和54昭和55昭和56昭和57昭和58昭和59昭和60昭和61昭和62昭和63年〜その他(不明)平成の歌

 

昭和62年

アイドルを探せ〔銀河の片隅で〕,I Don’t Know!I Love You SAYONARA,秋のIndication,安曇野,あばれ太鼓,ABC,駅,男と女のはしご酒,愚か者,女の駅,輝きながら・・・,悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE),悲しいね,ガラスの十代,北空港,北の旅・人,君だけに,CATCH ME,禁断のテレパシー,Get Wild,原色したいね,核(CORE),サファイアの瞳,SUMMER DREAM,さよならの果実たち,SHOW ME,じれったい,人生いろいろ,すずめの涙,STAR LIGHTSTRIPE BLUEStrawberry TimeSmile Again,世界でいちばん熱い夏,TANGO NOIRDance With You,追憶[おもいでは],天使のボディーガード,TOO ADULT,泣いてみりゃいいじゃん,難破船,はいからさんが通る,派手!!!,話かけたかった,Pearl White Eve,パンドラの恋人,50/50BLONDEHold on Me,ホワイトラビットからのメッセージ,BOYS CRIED(あの時からかもしれない),MARIONETTE,マリーナの夏,水の中のAnswer,水のルージュ,みだれ髪,迷惑でしょうが,夫婦善哉,戻り川,Monotone Boy,雪椿,楽園のDoor,ろくなもんじゃねえ,ロンリー・チャップリン,別れの予感,渡り鳥,Oneway Generation,湾岸太陽族,WANDERER

 

アイドルを探せ(2016.3.7)

昭和62年,詞:売野雅勇,曲:林哲司,唄:菊池桃子

 「銀河の片隅(すみ)で息をひそめて」と始まる歌。

 アイドルソングなのだろう。唄を聴いても,歌詞を読んでも特別な感情は湧かない。関心が持てないのだ。多分私が年をとりすぎて若い心を失ってしまったので共感できないのだろう。だろうとしか言いようがない。

 オリコン1位をとっているそうなので,私が時代についていけなくなったということだ。

 

I Don’t Know! (2023.12.30)

昭和62年,詞:森雪之丞,曲:中崎英也,唄:BaBe

 「I Don’t Know Lonliness 君のLonliness カッコつけたBroken Heart」と始まる。

よくは解らないが,「ダメヨ走り出さなくちゃ」というのはカッコつけているだけではダメだと鼓舞しているのだろう。「洒落た恋を君は持ち続けているね」というのがよく解らないが,そんなことではダメだよとの忠告か。

さりげなく「私だってLonliness」とあるが,ここに私がいるよとのアッピールかも知れないとも思う。

最後は「どしゃ降りの雨のPure Love 凍えながら つかむのよ」というのだから応援歌のようなのだが,このPure Loveの相手は実は自分のことを案にほのめかしているのではないか。

なお,BaBe(ベイブ)は女性デュオで唄って踊るアイドルの草分け。まあ、ピック・レディも踊っていたか。第29回日本レコード大賞新人賞,第20回日本有線大賞新人賞はじめ,各種音楽賞の新人賞受賞。

 

I Love You, SAYONARA(2016.9.25)

昭和62年,詞:藤井郁弥,曲:大土井裕二,唄:チェッカーズ

 「おまえは何も言わず 俺の夢を抱きしめ」と始まる歌。

 尽くす女に別れを告げる歌。この男は要するにヒモだろう。

 『好いた女房に三下り半を』1)などというのは昔からある。相手に迷惑をかけないようというのは同じだが,昔は義理を果たすには人情を断ち切らなければならないという文脈だった。この唄は夢を追及するためのようだ。夢を実現するまでは利用しておきながら,夢が叶ったら切り捨てるというのはゲス男だと思うが,この男は自分の夢のために犠牲になる相手を見ていられなかったのだ。自分の夢の実現が相手の夢だということが理解できなかったのだろうか。おそらく相手の想いを負担に感じ始めていたのだろう。「嫌いと言うしかなかったよ」,「I love you」とは言っているが,結局は自由になりたかったのだろう。

 自分には無関係なシチュエーションなので共感できる箇所はない。

 曲は全体を通じて私の好みとの共通点が全くない。

1)「妻恋道中」(昭和12年,詞:藤田まさと,曲:阿部武雄,唄:上原敏)

 

I Love you, SAYONARA(2019.5.27)

昭和62年,詞:藤井郁弥,曲:大土井裕二,唄:チェッカーズ

 「おまえは何も言わず 俺の夢を抱きしめ 小さなBagに二人 すべてを詰め込んだ」という回想から始まる歌。

 「好きさForever」だけど「嫌いと言うしかなかったよ」ということで,最後は「I Love youだけどI Love you I Love you SAYONARA」と終わる。

 詞は文節と文節の繋がりがよく理解できない箇所があるが,何となく状況が解る。私が想像した状況なら,もう少し違った表現の仕方があるのではないかと思うが,藤井の個性なのだからまあいいだろう。

 曲はもっとアップテンポでノリのよい曲のほうがチェッカーズらしくて良いと思う。

 

秋のIndication(2019.12.14)

昭和62年,詞:許瑛子,曲:萩田光雄,唄:南野陽子

 「木の葉が色を変える 風の中を旅してます」と始まる歌。

 「さよなら ひとつ越えて 素適な大人に 少しずつなるために」という歌だが,やはりアイドル・ソングだ。何よりも,歌声が幼く聞こえる点が,もう一つは「夕陽の」の「の」「ひとりで」の「で」など何度も出てくるメロディー・ライン内の音の跳ね上がりがアイドル・ソングっぽくしているのだろう。

 

安曇野(2017.2.21)

昭和62年,詞:やしろよう,曲:伊藤雪彦,唄:原田悠里

 「大糸線に揺られて着いた ここは松本信州路」と始まる歌。

 「あなたを今も愛してる 恋しさつのる旅路です」とはあるが「あなた」自身の想い出はほとんど語られず,周辺の景色を列挙して「安曇野は安曇野は 想い出ばかり」が繰り返されるご当地演歌だ。

 

あばれ太鼓(2013.4.16)

昭和62年,詞:たかたかし,曲:猪俣公章,唄:坂本冬美

 「どうせ死ぬときゃ裸じゃないか」とはじまる歌。

この歌の題材となっている『無法松の一生』は昭和14年に発表された岩下俊作の小説『富島松五郎伝〜いい奴』が映画化された後,あまりにも映画の評判が良かったので小説自体が『無法松の一生』というタイトルに改題されたものである。どこに着目するかは人によるだろうが,基本的には身分違いの恋の話として良いだろう。

村田英雄にも『無法松の一生』1)という歌がある。坂本冬美の歌も悪くはないが,私には村田英雄の歌のほうが馴染みがあり,村田の声のほうが松五郎の声としてはあっているように感じる。詞もたかたかしの詞より吉野夫二郎の詞のほうが私の好みだ。題材が同じだから,似た詞になるのは仕方がないのかもしれないが,吉野の詞には「涙を捨てて」とか「愚痴や未練は玄界灘にすてて太鼓の乱れ打ち」とあるのにたかの詞は「男命を情けにかけて」と意味不明な言葉があったり,「男泣きする松五郎」とか「なんでさばけぬ男のこゝろ」などと小倉名代の無法松としてはやや軟弱な面を見せている。松五郎の心の内はそうだったかもしれないが,それを面に出さないのが松五郎ではないかと思う。

1)      「無法松の一生」(昭和33年,詞:吉野夫二郎,曲:古賀政男,唄:村田英雄)

 

ABC(2014.6.6)

昭和62年,詞:松本隆,曲:筒美京平,唄:少年隊

 何を言っているのかよく解らないが,歌詞を見ると「恋は最初じゃないのに」と始まるようだ。メロディ−自体は歌謡曲風に感じないでもないが,編曲はもはや歌謡曲ではなく,声による表現というより,全身を使ったエンターテインメントだ。ラジオやレコードの時代ではなく,テレビやライブステージの時代ということなのであろう。

 昔の歌手を何10年か後にテレビの懐メロ番組で観たことが何度もある。中には十分声の出ない歌手もいないこともなかったがかなりの高齢だったから仕方がないだろう。多くの初老の歌手はそれなりにうまく歌っていた。一部の歌手はレコード発売当時と歌唱法を変えていたりしたが,歌唱法は可能な限りレコード発売当初に近いほうが私は好きだった。

 この曲のようなステージパフォーマンスをする歌手?は数10年後,懐メロ番組に登場して同じパフォーマンスを維持できるのだろうか。あるいは別な方面に転進するのだろうか。

 

(2017.5.29)

昭和62年,詞:竹内まりや,曲:竹内まりや,唄:竹内まりや

 「見覚えのあるレインコート 黄昏の駅で胸が震えた」と始まる歌。

 2年前に別れた元彼を駅で見かけたが声は掛けられなかったという歌。「今になって」「初めてわかるの」「私だけ愛してたことも」というのはもちろん『私だけを』ではなく『私だけが』だろう。

 曲は聴き慣れたものではないが,特に違和感があるわけではない。歌詞に書かれた心情は私にはよく解らないが,歌唱は歌詞がはっきりわかり,好感が持てる。

 

男と女のはしご酒(2020.3.18)

昭和62年,詞:魚住勉,曲:馬飼野康二,唄:武田鉄矢,芦川よしみ

 「夜の帳が降りて 街に灯がともる」と始まる歌。

 男女のペアだが,登場人物はヒロシ・ユウコ,ジョージ・ジュンコ,ナオキ・キョーコと次々と変り,歌詞も深い意味があるとも思えない。デュエットのための曲だが,かなり飲んでしまった後ではこのテンポにはついていけないだろう。ほろ酔いならば唄えそうだ。

 

愚か者(2012.10.23)

昭和62年,詞:伊達歩,曲:井上尭之,唄:近藤真彦

「愚か者よ おまえの流した涙を受けよう」という歌。第29回日本レコード大賞受賞曲である。

「偽りだけがいつも真実 それが人生」という歌詞に同意はしないが,言わんとするところは解らないでもない。「金と銀の器を抱いて 罪と罰の酒を飲もうよ」という箇所は解説してもらわないと理解できない。何となく哲学的な歌詞である。

「失くした時間を男は振り向き女は消し去る」というのは,表現は異なるが似た内容の記述を何度も見たり聞いたりしたことがあるが,最初にこのようなことを言ったのはだれなのだろうか。この命題が真か偽かは知らないが,少なくとも,自分は男で,振り向くタイプだろう。今ではジェンダー問題があるのでうかつに男はとか女はとか決め付けて議論するとどんな言いがかりをつけられるか分かったものではない。もともと真偽の判定はできない問題であろう。

 マッチ1)の歌唱法を含め,昭和末期の歌だと感じる歌である。

1)      近藤が,テレビドラマ「3年B組金八先生」でデビューした頃,短髪でマッチ棒のようだといわれたことからついた愛称。真彦の「マ」とかかっているので広まったのだろう。

 

女の駅(2014.7.14)

昭和62年,詞:石本美由起,曲:桜田誠一,唄:大月みやこ

 「もいちど抱いてね あなた 雪が泣く」と始まる歌。第29回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞した。

 石本のこの詞はピンと来ない。美空ひばりの歌など1)いい詞はいくつもあるのだが,この詞は演歌に出てきそうな単語を並べただけのように感じる。単語を並べただけと言えば山口洋子の『よこはま・たそがれ』2)があるがこちらは斬新さを感じる。「女の駅」の詞は単語間を繋ごうとしたことから平凡になってしまったのではないだろうか。

 大月の低周期のバイブレーションはやや私の好みとは違うが,このような唄い方もあるということだろう。

1) 「ひばりのマドロスさん」(昭和29年,詞:石本美由起,曲:上原げんと,唄:美空ひばり),「港町十三番地」(昭和32年,詞:石本美由起,曲:上原げんと,唄:美空ひばり)「悲しい酒」(昭和41年,詞:石本美由起,曲:古賀政男,唄:美空ひばり)など。

2) 「よこはま・たそがれ」(昭和46年,詞:山口洋子,曲:平尾昌晃,唄:五木ひろし)

 

輝きながら・・・(2014.8.22)

昭和62年,詞:大津あきら,曲:鈴木キサブロー,唄:徳永英明

 「素顔にメロディやきつけて」と始まる歌。

 この歌はリアルタイムで聴いた記憶はない。今聴いてみると,メロディは悪くない。また,この歌手は昔ながらの歌手らしい歌手ではないが,ややハスキーな高音は嫌いじゃない唄い方だ。ただ,歌唱は明瞭に歌詞がわかるような気がするのに何を歌っているのかわからない。言語明瞭意味不明瞭というところだ。平成の歌には歌詞で何かを伝えようという以外の要素を重要視した歌が多いと感じる。

 

悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE) (2020.5.4)

昭和62年,詞:桑田佳祐,曲:桑田佳祐,唄:桑田佳祐

 「夏の女神に 最後のkissを」と始まる歌。

 「君のことを今も 忘れられない」というのはいいのだが,なぜ別れることになったのか解らない。「夏は終わり 夜風に身を病んで」とあるので病気にでもなったのかも知れないが,もしそうなら,当然看病するのだろう。「またいつか逢えたなら」と言っているので、今別れても再び逢える可能性は0ではないと思っているようだ。

 夏の間だけの関係であることを両者暗黙の了解だったのに,夏が終わると未練が残ったというようにしか聞こえない。私とは住む世界が違うようで,私には理解できない。

 

悲しいね(2014.12.30)

昭和62年,詞:MISATO,曲:小室哲哉,唄:渡辺美里

 「下りの電車 明日まではまた逢えない」と始まる歌。

 この頃,転勤して,忙しく歌を聴く暇がなかった。積極的に聴かないせいもあり,印象に残る歌もなかった。小室哲哉や渡辺美里の名前は知ってはいたが,意識して曲を聞いたことが無い。それでも小室哲哉の曲などが耳に入ることはあったが魅かれることはなかった。

 今この曲を聴いて感じることは,まず,曲が小室のイメージに合っているということ。こんな曲を作るのではないかと想像するとおりの曲だ。もちろん,小室ならこのような曲を作るのではないかと思って私が作ることができる曲ではない。私の発想を超えていて私の感性には合わないという意味だ。

 曲がそのように作られているのだろうが,一つの単語をバラバラに切っての歌唱は詞が心に入って来ず,共感には至らない。

 

ガラスの十代(2012.8.26)

昭和62年,詞:飛鳥涼,曲:飛鳥涼,唄:光GENJI

 「なにげなく傷ついてさりげなく優しすぎて」「輝きは飾りじゃないガラスの十代」という歌。光GENJIはジャニーズ事務所で近藤真彦とSMAPの間の一時期,男性アイドルで最強といわれたグループであるが,発声法などは昔の歌手と全く異なる。ステージではローラースケートなど身体をかなり使っている。あれではまともに唄うことはできないだろう。

 しかし,いつごろから十代はこんなにひ弱になってしまったのだろう。

 平敦盛が一の谷の戦に参加したのは167歳だ。坂本龍馬が土佐から江戸へ出て千葉道場に入門したのも17歳くらいだろう。昭和58年にNHKで放映された連続テレビ小説で「おしん」が口減らしのために奉公に出されたのは7歳のときだった。恐らく教育のせいだろう,実力もないのにプライドだけが高く,逆境に弱い若者が増えてきたのがこの昭和末期ではなかろうか。簡単に傷ついてしまう。あるいは他人を傷つけることに対して鈍感だったり過敏だったりして他人との関係を上手に築けない若者が増えてきたのではないか。輝いているように見えても極めて脆い心が増えた。

 ダイヤモンドのように強く,磨けば光る十代が増えることを期待する。

 

北空港(2020.7.19)

昭和62年,詞:やしろよう,曲;浜圭介,唄:桂銀淑&浜圭介

 「夜の札幌 あなたに逢えて」と始まる。

 詞は大して深いことを訴えているようには感じないが,デュエット曲としては唄いやすく,よくできている。特に最後の「愛が飛び立つ 北空港」など,唄っていて気持ちが良い。スナックなどでのデュエット用に開発された歌だろう。

 

北の旅人(2016.4.17)

昭和62年,詞:山口洋子,曲:弦哲也,唄:石原裕次郎

「たどりついたら岬のはずれ 赤い灯が点く ぽつりとひとつ」と始まる歌。

29回日本レコード大賞特別賞受賞。

釧路,函館,小樽と地名だけはでてくるが,特にご当地ソングという訳ではない。山口の詞は演歌風だ。これに弦の曲だとド演歌になりそうに思うのだが,裕次郎はムード歌謡風に唄っている。弦の曲がそのようになっているのだ。裕次郎のムード歌謡だと,テナー・サックスが目立ちそうだが,弦の好みなのだろうか,この曲ではギターが目立っている。

理解できない歌を聞いたあとでこのような歌を聴くとほっとする。

 

君だけに(2016.10.25)

昭和62年,詞:康珍化,曲:筒美京平,唄:少年隊

 「君だけに ただ 君だけに」と始まる歌。

 アイドルソングだろう。

 唄を聴いてどこが良いか私には理解できないにも関わらずヒットした歌を私はアイドルソングと呼ぶことが多い。唄よりも唄い手の人気でヒットしたと判断しているのだ。

 この歌はオリコンで週間1位,年間10位をとっており,第29回レコード大賞ベストアーティスト賞・金賞を受賞している。要するにヒットした曲だ。

 スロー・バラードは歌手の力量がよくでるように思うので私は唄わないように心掛けている。ゆっくりした動きの振り付けも技術がよくわかるように思う。

 

CATCH ME(2020.1.10)

昭和62年,詞:角松敏生,曲:角松敏生,唄:中山美穂

 「踊り疲れたまま みつめてる Light Show  飾りたてた言葉 聞きたくもないわ」と始まる歌。

 フジテレビ系ドラマ『おヒマなら来てよネ!』の主題歌。中山が初めてオリコン一位を獲得した曲。

 「流れる時の中で 踊り続けるわ」という雰囲気が出ている曲になっている。ただ,「今ならあなたにもわかるはずよ」と言われても解らない。私がニブイのだろう。

 

禁断のテレパシー(2017.3.19)

昭和62年,詞:秋元康,曲:後藤次利,唄:工藤静香

 「Tell me why… Tell me why… チュッ チュッ Tell me why… ~」と男声が入った後,「急に呼び出された 夜のプールバーで」と始まる歌。

 私が過去に聴いていた歌とは異なるジャンルの音楽。詞も曲も理解できない。詞で特に理解できないのは,何度も繰り返される「シンパシー」という言葉だ。この詞の中ではどのような意図で使われているのだろう。

 

Get Wild(2017.8.2)

昭和62年,詞:小室みつ子,曲:小室哲哉,唄:TM NETWORK

 「アスファルト タイヤを切りつけながら 暗闇走りぬける」と始まる歌。

 私にとってのエレクトロニック・サウンドの原点はエレキ・バンドだ。楽器で音を出し,その音や人の声をマイクで電気信号に変換してスピーカから音を出すのはエレクトロニックとは思えない。電子オルガンはエレクトロニックではあるが,サウンド自体は自然のサウンドに近い。ハワイアンなどで使われるスチールギターの音の一部はエレクトロニクスをつかわないと大きく出せない音なので,エレクトロニック・サウンドと言えるはずだが,あまりそのようなことは意識したことがなかった。ところが,ザ・ベンチャーズやスウェーデンのエレキ・ギター・インストルメンタル・グループであるザ・スプートニクスなどの音はそれまで聴いていた楽器の音と同じとは思えなかったのだ。しかし,演奏には演奏者が強く感じられた。

 この曲はエレキ・バンドの曲からははるかに進化してしまい,いかにものエレクトロニック・サウンドだ。私にはあまりにも機械化が過ぎたサウンドに聞こえる。詞と曲の組み合わせのせいか歌唱のせいかは判らないが,歌詞が耳を通して頭に入らず共感のしようがない。何か自分のフラストレーションを発散させているだけのように聞こえる。

 慣れてくれば歌詞も聞き取れるようになるのだろうか。

 

原色したいね(2017.6.23)

昭和62年,詞:松本隆,曲:渡辺英樹,唄:C-C-B

 「Paint It Purple Blue And Green」と始まる歌。

 「俺のハート 君のルージュで塗って Pretty Pink」とか「君と原色したいね もっと色っぽく」などとあるが,詞,曲、歌唱すべてにわたって私の好みと逆方向を向いた歌。

 

(CORE) (2020.4.16)

昭和62年,詞:尾崎豊,曲:尾崎豊,唄:尾崎豊

 「何か話をしよう 何だかわからないけど」と始まる歌。

 大人になりきれない若者の歌。

 「こんなに愛しているから 俺から離れないで」など自己中心的なところも見える。

 本質は「何かが俺と社会を不調和にしていく」という感情なのだろう。自分でも理解しているようだが,この感情から抜け出せない。「殺意に満ちた視線が 俺を包む」など被害妄想まで生じているようだ。「反戦 反核 いったい何が出来るというの」と漠然とした思いはあるようだが,具体的に行動を起こそうとはしていない。「俺は身を粉にして働いている」というのはどういう意味なのだろうか。自分以外は身を粉にして働いているとは思っていないようだ。

 「愛してる 抱きしめていたい それだけなのに」と終わっているが,最後が逆接で終わっているのは,この願いすらかなっていないという思いなのだろう。

 大人になるということは,世の中は自分中心に回っているわけではないということを知ることだが,大人未満は大人になることを堕落とほぼ同義語にとらえる。

 多くの人々はこの時期を経由して大人になっていくのだが。

 長く続き過ぎた反抗期と感じてしまう。

 

サファイアの瞳(2014.10.4)

昭和62年,詞:高見沢俊彦,曲:高見沢俊彦,唄:THE ALFEE

「絡みあうあなたの指に」と始まる歌。洗顔料のCMソングとして使われていたらしいが聴いた記憶がない。当時はラジオを聴いたりテレビを観たりすることがほとんどなかったからだろう。当時は車で最寄りの駅まで行き,そこから電車を乗り継いで通勤していたのでカーラジオやカーステレオを聴く時間もなかった。

これを書くために聴いてみた。当時聴けばどうだったのか判らないが,この年齢になった私には騒々しい歌だ。そういえば,ベンチャーズの時代にベンチャーズの曲はサウンドが薄いという批判があったように思う。私などはあのシンプルさが良いと思うのだが。昔の歌謡曲のレコードを聴くと,確かにこれがサウンドが薄いということかと思うことが多い。その分と歌手の声が良く聞こえる。歌詞を伝えようとする気持ちが伝わってくる。

平成の時代には歌が減って曲が増えてきたようだ。この歌も平成の歌に繋がる曲だろう。詞も心の中にある何かが溢れ出た詞というより,心の表面に漂う気分をそのまま並べたという印象を受ける。平成の詞の中には心というより頭に浮かぶ言葉を並べただけの意味不明な詞もあるが,この歌の詞は気分としては共感はできないが理解はできる。

 

SUMMER DREAM(2016.6.12)

昭和62年,詞:亜蘭知子,曲:織田哲郎,唄:TUBE

 「渚のカセット 好きな歌だけ詰め込んで」と始まる歌。

 基本的には嫌いじゃないタイプの歌なのだが,当時,既にこの歌に強く魅せられるには年をとりすぎていた。もっと若ければと当時も思ったし,今でも思う。

 20代の頃ならこの歌詞のようにできたかというととんでもない。夢のまた夢だった。まずカセットデッキはおろかラジカセも持っていなかった。昭和62年の話ではなく,私が20才の頃だ。車もなかった。

CDプレイヤーが発売されたのが昭和57年,ポータブルCDプレイヤーが発売されたのが昭和59年だ。昭和60年のニューヨークには大きなラジカセを肩に担いだ若者が多数歩いていた。

昭和62年の私はカセットデッキも車も持っていたが,「Tシャツのまま海に飛び込」む若さは既に持っていなかった。「スリルと孤独を分かちあ」う年齢をとうの昔に過ぎてしまっていた。

 

さよならの果実たち(2020.5.30)

昭和62年,詞:売野雅勇,曲:筒美京平,唄:荻野目洋子

 「軟派少女の真似して 口笛吹きほどいたポニーテイル」と始まる。

 売野雅勇や松本隆の初期の詞は理解でき共感できるものが多かったが,昭和末期になると理解できない詞が増えた。私の進歩が止まってしまったからだろう。

 この詞では最初の「軟派少女」から解らない。「真似して」だから自分は「軟派少女」ではないと思っているのだろう。それは結局「二度と Never Fall in Love」と思うようになってしまったからか。つまり,軟派少女の真似してみたが,本気になってしまい後悔してるという歌のようだ。

 しかし,私の状況解釈は全く逆だ。軟派少女として生きてきたが本気になってしまったと状況だ。そのようなドラマにしてこそ意味があると思うのだが,この詞は自分は軟派少女ではないと思っていて,やっぱり思ったとおりだったというのだからドラマがないというのが私の解釈だ。

 

SHOW ME(2017.4.12)

昭和62年,詞:A.TripoliT.MoranA.CabreraB.Khozouri,日本語詞:森浩美,曲:A.TripoliT.MoranA.CabreraB.Khozouri,唄:森川由加里

 「YOU 貴方らしくもないわ しくじったくらいで」と始まる歌。

 原曲を唄ったのはThe Cover Girls

 私はディスコ世代ではないのでこの曲がディスコで流されていたかどうかは知らないが,リズムがはっきりと刻まれており,素人でも踊りやすいかもしれない。そのせいか,歌詞が耳に入らず,何度も繰り返される「SHOW ME SHOW ME」だけが印象に残る。

 TBS系ドラマ『男女7人秋物語』の主題歌として使われ,オリコン1位,日本有線大賞新人賞を受賞している。

 

じれったい(2015.2.11)

昭和62年,詞:松井五郎,曲:玉置浩二,唄:安全地帯

 「わからずやの 濡れたくちびるで」と始まる歌。

 リアルタイムでは全く知らない歌。

 今聴いてみると嫌いじゃない。歌詞は私にとって現実感がもてないし,歌唱に関しても,プロならもっとプロらしく唄えよと言いたくなるが,そこがいいのかも知れない。

 テレビのバラエティー番組で出演者だけが楽しんでるんじゃないか(実は楽しんでるふりなのかも)と思うような低レベルのものをたまに観るが,玉置浩二はプロ歌手が客のために唄っているというより,自分が楽しむために唄っているように感じる。もっとプロらしい声を出せと言いたいのだが,聴いているうちにこれでもいいかという気になってくるところがプロである証拠なのだろう。

 

人生いろいろ(2012.7.1)

昭和62年,詞:中山大三郎,曲:浜口庫之助,唄:島倉千代子

30回日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞曲。「死んでしまおうなんて」と穏当でない歌いだしだが,「女だっていろいろ咲き乱れるの」と終わっているのでまあ元気を取り戻しているのだろう。「この世の花」1)の当時は細い声だと思っていたが,人生いろいろあったのだろう,声のか細さは全くなくなっている。

昔人間は「自分ばかりをせめて」いたが,最近の「悪いのは他人」という風潮に染まったわけでもないだろうが,強くなって昔のことを「笑い話に涙が一杯」と思えるようになってきた。それでも「なくして解る胸のときめき」とまだまだ若く輝いている。

生まれてから年数が経っても,いままで何度も不幸があっても,精神的に若さがいっぱいなら肉体的にも若返られると教えてくれる歌だ。

1)      「この世の花」(昭和30年,詞:西條八十,曲:万城目正,唄:島倉千代子)

 

すずめの涙(2016.11.23)

昭和62年,詞:荒木とよひさ,曲:浜圭介,唄:桂銀淑

 「世の中であんたが一番すきだったけれど」と始まる歌。

 相手の心変わりを感じ取ったのだろう「泥んこになるまえに綺麗にあばよ」と別れようと思っているようだ。

「もし・・・今度 生まれて来るなら孔雀よりすずめ」とあるが,普通なら現世では雀に生まれてきたが,来世には孔雀になりたいと願うところだろう。しかし,孔雀には孔雀の苦しみがあったということだろう。逆に小市民的幸せを求めたいと願うのだ。演歌のようで演歌でない。特に歌唱はマイク・アンプ時代の歌謡曲だ。桜井長一郎が山本富士子の声帯模写をやるとき,息を吸いながら話すと言っていたが,息を吸いながら唄っているようだ。日本語にははっきりとした有気音と無気音の区別がないようなので中国語学習時に苦労したりするのだが,この歌の多くの部分が無気音で唄われているような感じを受ける。演歌ではもっと口から多くの息と共に心の叫びが出てくるはずだと感じる。

 

STAR LIGHT(2017.8.19)

昭和62年,詞:飛鳥淳,曲:チャゲ&飛鳥,唄:光GENJI

 「淡いブルーの季節の中で 何かを見ている」と始まる歌。

 ところどころに英語というか英単語が入る。それも何度も繰り返される。この英単語がbest choiceだということで採用したのだろうが,その時点で私の感性と異なる。

 このような曲を抵抗なく受け入れていた年頃もあったかもしれないが,この時点で私はもうその年頃を過ぎていた。

 歌詞を聴くのではなく,曲を聴きながらステージパフォーマンスを観るのならアリだろう。

 

STRIPE BLUE(2019.9.9)

昭和62年,詞:松本隆,曲:筒美京平,唄:少年隊

 「天気雨 濡れながら やしの木に隠れた」と始まる歌。

 アイドルソングだろう。

 プライベートな話なので外野としては興味がない。悲劇等なら同情の余地もあるし,幸せを分けてくれるような歌なら聴いていてハッピーになる。しかし私にとってこの歌は『あ そう そりゃよかったね』と言って終わりそうな歌だ。少年隊ファンなら,唄を聴かなくてもステージを観るだけで十分満足できるのだろう。

 歌詞に「縦縞のシャツが似合うね」とあるが,当時はストライプでは縦縞と理解されなかったのだろうか。そういえば昭和の時代にはボーダーなどという言葉は一般的ではなかったかもしれない。

 

Strawberry Time(2017.7.17)

昭和62年,詞:松本隆,曲:土橋安騎夫,唄:松田聖子

 「さあ旅立とうよ 時の舟で 雲を越えてペーズリーの海へ」と始まる歌。

 歌詞が何を訴えているのか理解できない。まあ何となく想像できなくもないが,松本の単語(日本語も英語も)や漢字の選択が私の予想に一致しないものが多く,混乱してしまう。歌唱は松田らしいのだが,詞がよく解らないので頭には残らない。

 

Smile Again(2021.1.25)

昭和62年,詞:川村真澄,曲:井上ヨシマサ,唄:小泉今日子

 「悲しい時はBlue sky背を高くするの」と始まる。

 「いつもしあわせだった」と過去を振り返る。

 今は「サヨナラ Smile again」「心でCry again」という状態だ。

 「大事な言葉いえなかったね」「Good Bye Love」という歌。

 要するに,チャンスはあったのに告白できなかったという歌。今はどうかしらないが,昔はよくあった話だ。「いつもしあわせだった」という想い出すら作ることができない者も少なくなかった。告白していれば苦い想い出しか残らなかったかも知れない。告白しなかったからこそ良い思い出として残ったのかも知れないが,そんなことまで考えずに良い想い出として心に留めておけばよい。

 

世界でいちばん熱い夏(2017.9.2)

昭和62年,詞:富田京子,曲:奥居香,唄:プリンセス・プリンセス

 「8月の風を 両手を抱きしめたら」と始まる歌。

 曲は昔のソフト?ロックのテイストで,違和感なくついて行けるのだが,歌詞にはついて行けない。英語とカタカナ語が頻繁に登場し,聞こえているのが英語なのかカタカナ語なのか瞬時に判断できないため頭に入って来ない。

 ということで聞こえている分には邪魔にならない曲なのだが,積極的に聴こうとは思わない歌。

 

TANGO NOIR(2019.11.13)

昭和62年,詞:冬杜花代子,曲:都志見隆,曲:中森明菜

 「冷たい指で手首つかまれて」と始まる歌。

 私のこの歌に対する評価は高くない。唄も『何気取って唄ってんの』とツッコミを入れたくなる。しかし,ザ・ベスト・テンで5週連続1位,オリコンでも2週連続1位らしいから,世間からはそれなりに支持されたのだろう。いくつも賞を受賞しているようだ。私にはこれは明菜のビジュアル込での評価としか思えない。

 もっとありそうなのは私が時代に取り残されてしまったということだ。

 

Dance With You(2015.3.18)

昭和62年,詞:亜蘭知子,曲:栗林誠一郎,唄:TUBE

 「街はDisco beat にぎわうParty night」と始まる歌。

 忍ぶ恋の歌なので伝統的な一つの恋の形の詞だが,舞台がディスコ・パーティの会場のようであり,曲も騒々しいので心情の表現が昔と違う。曲として魅かれる曲ではない。

「気づいておくれよ視線のI love you」という感覚は昔もあった。『気づかれまい』とする場合と『気づいてほしい』という場合があっただろうが,身分違いの恋など,昔の方が『気づかれまい』とする場合が多かったのではなかろうか。富島松五郎1)の場合などこのケースだろう。しかし,気づかれまいとしても他人からは気づかれてしまうのも昔からあることだ。『しのぶれどいろにでにけり』2)というわけだ。ところが,肝心な相手にはいくら積極的に恋しいビームを送っても届かぬことが多い。相手がこちらに無関心なら,いくらビームを送っても届かないのだ。逆にビームを送っているつもりはないのに送っていると誤解される場合もありうる。簡単にうまくいかないから長い間文学?のテーマの一つになっていたのだろう。

1)岩下俊作「富島松五郎伝」。演劇・映画などでは「無法松の一生」のタイトルで知られている。

2)平兼盛「しのぶれど いろにでにけり わがこひは ものやおもふと ひとのとふまで」(拾遺集)

 

追憶(2019.10.14)

昭和62年,詞:阿久悠,曲:三木たかし,唄:五木ひろし

 「おもいでは常に眩しくて この胸の奥にきらめく」と始まる歌。

 「奪い去る強い心さえ あの頃に持っていたなら」と後悔しているが,「あのひとは いまは いずこ」という訳で追憶というタイトルになっているようだ。

 第三者から見れば,『逃がした魚は大きかったと感じるものだ』と言いたくなるが,五木は声を震わせ唄っている。

 詞の言葉はかなり年配の男性を感じさせるが,五木の唄からは若さを感じる。若さといっても青年の躍動感ではなく,精神的未熟さだ。よく言えば純粋な心を持ち続けているということだろうか。

 

天使のボディーガード(2014.11.16)

昭和62年,詞:秋元康,曲:後藤次利,唄:ゆうゆwithおニャン子クラブ

 「守って」と始まる歌。

 アイドルソングである。「いち・にの・さん・しで ごめんというから」などとある。『夕やけニャンニャン』1)など,番組の存在は知っていたが時間が合わず,観たことがなかった。当時,海水浴に行ったとき,通りすがりの人に写真を撮ってくれと頼んだら,「撮りますよ〜いち・にの・さん」で撮るのかと思ったら,「し」と続いたので・・普通は三で撮るだろうと思ったが・・この歌の影響を受けていたのかも知れない。

 ゆうゆ(岩井由紀子)の歌声は私が知っているほとんどの子役(例えば吉永小百合,杉田かおる,安達祐実,芦田愛菜など)に比べて幼い声だ。まあ,台詞と歌声は違うだろうが。歌声で比較すれば初期の美空ひばりなどに比べて格段に幼い唄い方だ。ゆうゆにこのように唄わせたのは当時の秋元の試みのひとつだったのだろう。

1)「夕やけニャンニャン」(昭和6062年,フジテレビ系バラエティ番組)

 

TOO ADULT(2021.9.30)

昭和62年,詞:秋元康,曲:後藤次利,唄:渡辺美奈代

 「赤いチェリーを せがむみたいに」と始まる。

 「ちょっと冒険したいけど」「そこから先へは進めない」とか「アダルトしたくてアダルトできない」というような歌詞がある歌。アイドル・ソングというか,おニャン子ソングのほうが合っているかも。秋元の詞がおニャン子ソングたらしめているのだろう。

 

泣いてみりゃいいじゃん(2025.1.19)

昭和62年,詞:康珍化,曲:筒美京平,唄:近藤真彦

 「愛を失いたいのなら ホンキで 誰か愛してみりゃイイじゃん」と始まる。

 この最初のフレーズは全体とどのような関係にあるのだろうか。このフレーズを除けば,この歌は「愛してるの それだけじゃ でもね 生きていけないって 思うと言ってた」ということで破局の歌だ。「ひとりぼっちで生きて ふたりぼっちになって ひとりぼっちに帰るなら 泣いてみりゃいいじゃん 夜がまぶしくて眠れやしねえじゃん」と終わる。

 最初のフレーズは自分はホンキで愛して,その愛を失ったということを言っているのかもしれない。

 

難破船(2019.7.20)

昭和62年,詞;加藤登紀子,曲:加藤登紀子,唄:中森明菜

 「たかが恋なんて 忘れればいい」と始まる歌。

 「私は愛の難破船 折れた翼 広げたまま あなたの上に 落ちて行きたい」と翼がある船のようだが,水中翼船か。高速で走りすぎ,鯨にでも衝突したか。

 詞の一部に若干の疑問はあるが,全体としては状況がよく解る。つい「みじめな恋つづけるより 別れの苦しさ えらぶわ」と言ってしまい,「ふりむきもせず」出て来てしまったのだ。「ひとりぼっち 誰もいない」。

 明菜の唄は,心を込めて唄っているようだが,他人に聴かせるためにはもっと声量が必要ではないか。

 

はいからさんが通る(2015.4.25)

昭和62年,詞:小倉めぐみ,曲:国安わたる,唄:南野陽子

 「朝もやに けむってる 運命のわかれ道」と始まる歌。

大和和紀の「はいからさんが通る」(週刊少女フレンド,昭和50-52年,講談社)が映画化されたときの主題歌。「凛々しく恋してゆきたいんです私」というのが何度も繰り返されるので,これが主要テーマなのであろう。

昭和50年ごろ私が通っていた喫茶店には漫画の単行本はなかったが,大人向?から少年・少女,すこし大きめな幼児用?まで,当時刊行されていたほとんど全てではないかと思うほど多くの漫画週刊誌が置かれていた。もちろん『女フレ』もあったが,当時「はいからさんが通る」を見た記憶がない。関心がなかったのだろう。

私が子供の頃には貸本屋というのがあり,ここに漫画の単行本があった。しかし,金を持たない私が借りることはなかった。子供用の月刊誌が数誌刊行されており,読み物と漫画が掲載されており,別冊付録で漫画の小冊子がついていたこともある。

小学生の頃,初の漫画週刊誌『少年マガジン』が創刊され,少し遅れて『少年サンデー』が出たような記憶がある。しかしWikipediaにはどちらも昭和34317日からになっている。正しいか誤りかは私には解らない。但し,創刊号はマガジンが325日号,サンデーは45日号となっている。薄っぺらい普通の週刊誌サイズだった。少女向?には『なかよし』が昭和34年の創刊だ。「はいからさん〜」が掲載された『少女フレンド』は昭和37年創刊,昭和49年からは発行が隔週に減り,平成2年に月刊になり,平成8年に廃刊された。

私が大学生だったころはまだ少年漫画週刊誌を持っている大学生やサラリーマンをみることはほどんどなかった。もちろん,読まれてはいたのだが,電車の中で読むなどは考えられず,買って持ち帰る時も袋に入れて人目につかぬよう持ち歩かれていた。

少女漫画が少女以外に広まったのは昭和47年から始まった「ベルばら」1)以後ではなかろうか。もちろん,これ以前にも少女漫画を原作としてテレビ放映されたものは多くの人々に知られてはいたが,「ベルばら」は別格だったと感じる。

1)池田理代子:「ベルサイユのばら」(マーガレット,昭和4748年,集英社)

 

派手!!! (2019.8.13)

昭和62年,詞:松本隆,曲:筒美京平,唄:中山美穂

 「黒のジャケット翻し ついて来いってキザなセリフ」と始まる歌。

 アイドルソング。

 「派手もいいけど 恋はやっぱり秘密めきたい」とは言いながら,筒美にしては曲が派手だ。

 相手の派手さに困惑して「もっと地味にね」と地味に唄おうとしているのかも知れないが,唄が曲に負けているように感じてしまう。

 

話かけたかった(2019.6.24)

昭和62年,詞:戸澤暢美,曲:岸正之,唄:南野陽子

 「風が踊る五月の街で 輝いてる彼を見かけたわ」と始まる歌。

 アイドルソング。

 結局「遠くで 思うだけだった」。昭和の時代はこういう時代だった。話しかけたいと思っても話しかけないのが慎みであり,持ち込まれる縁談を待つのがよしとされていた。

 しかし,この頃になると既に第三者からの縁談は少なくなってきて,各自が積極的に努力しないと相手を見つけることが困難になってきていた。平成になるともっと積極的にでないと良い相手を見つけることが出来なくなる。しかし,当時はせめてアイドルくらいは慎み深くあって欲しいという願望が残っていたのだろう。

 

Pearl White Eve(2018.9.19)

昭和62年,詞:松本隆,曲:大江千里,唄:松田聖子

 「赤いキャンドルが燃えつきるまで」と始まる歌。

 詞・曲・歌手のマッチングがあまり良いとは感じないが,これは私の好みの問題もあるだろう。私なら,松田聖子にはもっとファンタジーを唄わせたい。もっとも本人がどのような歌を好むかは全く判らないが。

 「真珠の雪をリングにして」とあってもファンタジーではなく妄想としか思えない。

 

パンドラの恋人(2019.2.9)

昭和62年,詞:田口俊,曲:亀井登志夫,唄:南野陽子

 「とめて時間(とき)を そのくちびるで まばゆい一瞬を」と始まる歌。

 詞のアクセントとは敢えて異なるアクセントの曲にしてあるようで,面白い試みだとは思うが,詞が私には高評価できないので結局全体として評価は高くない。

 詞に使用されている言葉は,意味をあまり考えることなく,聞いたことがある言葉を並べてみたという感じだ。

 まず,「パンドラの小箱」とあるので,「パンドラ」はギリシャ神話の「パンドラ」なのだろうが,タイトルの「パンドラの恋人」というのは何だろうか。「エピメーテウス」のことか。エピメーテウスはパンドラの夫なので夫以外の恋人のことだろうか。なにはともあれ「そっとのぞいたら恋はどこかに逃げてしまうかしら」というのは「恋」がこの箱の中に閉じ込められていて,箱を開けると恋が逃げるかのような描写だが,パンドラの箱なら箱の中身は不幸の源だ。

 歌詞中に2回も登場する「水晶(プリズム)色に」というのも解らない。まず,水晶をプリズムと読ませることが不可解だ。水晶は一般的にはSiO2の単結晶及びその加工品を指す。基本的には物質名だ。それに対してプリズムは角柱という形状の名前だ。水晶を球形に加工したものが水晶玉(または水晶球)。歌を聴くときは「プリズム色」と聞こえるが,角柱色というのはどんな色かを全く表現していない。小学校か中学校の理科でプリズムを使った分光実験の話をボォッと聞き,虹色に見えるとでも思っているのかもしれないが,普通は無色透明に見えるだけだ。CDの記録面などでは虹色に見えることが少なからずあるが,これはこのように見える原因である回折格子効果のほうがプリズム分光よりはるかに緩い条件で観測できるからである。プリズム分光にはいろんな実験条件設定が必要だ。もちろん,プリズムは形状の名前なので分光用のプリズム以外にも全反射プリズムとか一眼レフカメラに使われていたペンタプリズムなどいろいろある。

 歌詞の文字面では「水晶色」になるが,水晶も高品質純粋なものは無色透明である。品質が悪いものは白く濁ったりする。不純物により色がついた水晶は『紫水晶』も含めて名前となっており,「水晶色」と聞くと無色透明しか思いつかない。

 ついでに言えば分光用のプリズム材質として水晶は使わない。多く使われているのはBK7と呼ばれる光学ガラスだ。

 要するに歌詞からはどのような情景や心情を想像すればよいのか解らない。

 

50/50(2019.4.30)

昭和62年,詞:田口俊,曲:小室哲哉,唄:中山美穂

 「見つめる視線 胸を刺す銀のピン」と始まる歌。

 歌詞にも曲にもついて行けない。完全に世代の差を感じる。

 「だましたつもり だまされたふり」とか言っているが,結局この歌は何が言いたいのだろうか。「だまされたふり」をして遊んでいるんだ,恰好いいだろうと言いたいのだろうか。

 だまし・だまされに関しては昔から少なからぬ数の歌が作られてきた。しかし,昭和の歌は大部分,騙された私が馬鹿だったという歌だ。ところが,この歌は騙された振りをしている私が一枚上手なのよと言っているように聞こえる。要は刺激だけを求めているということらしい。世も末である。

 昔から年寄りは新しいものに文句を言ってきた。私が子供の頃でいえば流行歌は低俗な音楽で,ロカビリーは下劣な音楽だったように思う。それが時の経過と共に市民権を得た。私が現在(発売当時)共感できない歌も,若い人々には共感され,将来はこれが普通になるのかもしれない。これが社会の進歩だろう。しかし,抵抗勢力があって社会の行き過ぎを防ぎ,安定な社会が保たれるのだろうとも思うので,私が賛同できない物には賛同できないと言い続けたい。

 ところで,小室の曲だが,歌には合わないのではないか。インスツルメンタル曲だと思う。

 

BLONDE(2019.3.7)

昭和62年,詞:BIDDUWINSOTN SELA/日本語詞:麻生圭子,曲:BIDDUWINSOTN SELA,唄:中森明菜

 「呼ばれるまま かしずいた 出逢えたのが 奇跡のようね」と始まる歌。

 私には理解できない歌。一例として「本当はだまされたい」とあるが,全く理解できない。『どうせ私をだますなら だまし続けてほしかった』1)なら解る。

 ほかにも男たちにいろいろ言っているが,結局は自分の嗜好にあう都合の良い男であって欲しいということだろう。自己中心的な心の中が透けて見えると感じるのは私の心が汚れているからだろうか。

1)「女心の唄」(昭和39年,詞:山北由希夫,曲:吉田矢健冶,唄:バーブ佐竹)

 

Hold on Me(2016.7.20)

昭和62年,詞:麻生圭子,曲:大内義昭,唄:小比類巻かほる

 「Hold on Me 目をとじて 届けたい」と始まる歌。

 小比類巻かほるをWikipediaで検索するとジャンルとしてJ-POPAOR,ソフトロック,ファンクとある。私にはこれらの区別はつかないがこの曲がロックの系統であることは感じる。昔昔私にドラムを教えてくれた友人が,ロックはこうやるんだと教えてくれたやり方で演奏(の真似事を)するとそれなりに合うからだ。ドラムセットを買う金などとてもなかった(家にドラムセットを置く場所もなかった)のでスティックだけ買ってしばらく練習したがじきに飽きて止めてしまった。

 それでもリズムは少しだけ身体に染み込み,今でもこの曲のようなロック系のリズムを聴くと少しだが気分が高揚する。

 歌詞に心は動かされないが,気分を害するような詞ではなく,唄い方ははっきりと歌詞が解るが曲を邪魔しないという私の理想に近い唄い方で,私が10代の頃聴いたらファンになっていたかもしれない。私はその後演歌に向かい,ロックとは無縁になっていった。

 

ホワイトラビットからのメッセージ(2019.4.4)

昭和62年,詞:秋元康,曲:山川恵津子,唄:渡辺満理奈

 「ペーパーナイフ 右にずらしながら そっと開けば」と始まる歌。

 アイドルソング。

 ファンタジーかと思ったが,「一年ぶりの クラスメートからの」手紙がうれしかったという歌だ。

 悪くない歌だと思うが,歌い手はもっと澄んだ透明な声を持つアイドルが良いのではないか。

 

BOYS CRIED(あの時からかもしれない)(2022.10.19)

昭和62年,詞:MISATO,曲:伊秩弘将,唄:渡辺美里

 「Boys criedあの時からかもしれない Like a childすべてを 信じてはいないよ」と始まる。

 解らない歌。昭和末期には解らない歌が増えた。

 まず,歌詞に英語がちりばめられているので解りにくい。

 突然「Catcher in the Rye」なんかが出て来ても困る。これはSalingerの本だろうが,私は読んだことはない。話題にはなっていたことは知っているがいつのことだったか記憶がない。今調べたら,昭和26年に出た本のようだ。昭和27年には橋本福夫による訳がでて,野崎孝による有名な訳は昭和39年に出ているようだ。野崎の訳本は昭和61年にも再度出ている。と関係のないことを書いていて突然思い出した。

 昔,私が住んでいたのは8人の学生が住んでいる下宿屋というか学生アパートというか,そのような所だった。部屋は4畳半で,部屋を借りているだけである。共用のトイレはあったが風呂は銭湯に行っていた。新聞は共同で3紙か4紙を購読していた。この新聞を置く場所があったのだが,ここに読み終わった本なども置いてあった。誰でもどうぞという意味だ。ここに置いてあったのが「Catcher in the Rye」だった。これはある先生の英語の教科書で,学期が終わり不要になったのでここに出したのだろう。タイトルは有名だったのでしばらく借りて読んでみようとしたのだが,当時は英語ができなかったので(その後,別途英語を習いに行って少しはレベルアップしたのだが)教科書に使われてた原書など読めるはずもなく,元の所に返したのだった。

 もっと関係ない話を言えば,ここで私はもう一人と共同?で毎月、平凡,明星,近代映画という雑誌を購入していた。正確に言えば共同ではなく,どちらかが興味のある付録がある雑誌を買うと,残っている雑誌を他方が買うという感じだ。付録とは歌本とポスター(主にアイドルの)だが。

 ひょっとしたらあの本を読んでいたら,この歌ももっと理解できたのかもしれない。

 あの本を読んでいないからか,この歌は理解できない。

 

MARIONETTE(2019.1.11)

昭和62年,詞:氷室京介,曲:布袋寅泰,唄:BOφWY

 「もてあましてるFrustration You’ve got an easy dayと始まる歌。

 このような曲がロックだろうと私が思う曲。昔,ロックを教えてくれた友人がいて,20年位前の昭和40年代はじめなら好んで聴いたかもしれないと思うがこの時期には特に聴きたいとは思わなかった。もっとも20年前もロックはほとんど聴いていなかったが,演奏することには興味があった。演歌やフォークではなく,もっと激しい曲を演奏したいという気持ちが高くなることもあったのだ。

 歌に関しては英語の歌詞が何を言っているか解らず,日本語部分もあまり聞き取れず,私にとってはこれは歌ではなく曲だ。

 

マリーナの夏(2016.8.24)

昭和62年,詞:秋元康,曲:岸正之,唄:渡辺満里奈

 「空のブルーが溶け出して」と始まる歌。

 アイドルソング。

 詞自体は嫌いなタイプではないのだが,曲にはいまひとつ共感できず,唄も,繰り返し聴きたいと思うことはない。

 私が年齢を重ねる方向と,世間の進む方向がずれていることを感じさせる歌のひとつ。

 

水の中のAnswer(2018.8.21)

昭和62年,詞:売野雅勇,曲:杉山清貴,唄:杉山清貴

 「マリーナのプールサイド写真」と始まる歌。

 爽やかな曲と唄声だが,歌詞が聞き取れない。声は聞こえるが意味が解らない。「プカシェル」???となっているうちに詞は進む。「Blue Summer Day Far Distance?ひょっとして英語と思っているうちにどうも日本語らしい言葉。「波のニュース聴いて海へ駆けてく」などとあるのでサーフィンなのかと思ってしまうが,アレ?最初はプールだったような,いや珊瑚礁と言ってたようにも思う。おまけに「渚飛ぶセスナ」??

 いろんな想い出が甦っているのかもしれないが,私にはとてもついて行けない。

 

水のルージュ(2018.12.14)

昭和62年,詞:松本隆,曲:筒美京平,唄:小泉今日子

 「鏡の街を横切るドレス まばゆい恋が乱反射する」と始まる歌。

 詩人の言葉使いは理解不能だ。いろんな比喩らしきものがよく理解できないが,最も不可解なのはタイトルにもある「水のルージュ」だ。

 「ルージュ」と聞いて思い出すのは『ルージュの伝言』1)に登場するようなルージュだ。他にはムーラン・ルージュという言葉もある。これはパリ・モンマルトルにあるキャバレーの名で,フランス語のMoulin Rougeを日本語に訳せば赤い風車である。Moulin Rougeというタイトルの映画が1952 年から2001年までに6作品ある。それほど有名な固有名詞だ。

言うまでもないが『Rouge』は『赤い』という意味だ。

 結局,歌詞中に何度も登場する「水のルージュ」から何のイメージも喚起されないので歌詞が全く解らない。

1)「ルージュの伝言」(昭和50年,詞:荒井由実,曲:荒井由実,唄:荒井由実)

 

みだれ髪(2015.5.25)

昭和62年,詞:星野哲郎,曲:船村徹,唄:美空ひばり

 「髪のみだれに手をやれば」と始まる歌。

 「すてたお方のしあわせを 祈る女の性(さが)かなし」という歌だ。

 当時とても忙しく,このような悠長な歌を聴いて居る余裕がなかった。この歌詞に心を寄せる年齢もとうに過ぎていた。従ってあまりこの歌を聴いてはいないのだが,さすが美空ひばり,聞き流していても完全にバックグラウンドに溶け込み邪魔にならず,ふと気が付いて歌詞を耳に留めると,全体を聴かずとも部分部分で情感が伝わってくる 。

率直に言えば私はひばりがそれほど好きではない。しかし,唄は本当に上手いと感じる。曲が違うから歌唱も違うのは当然だとは思うが,それでもなお,最近のJ-POPの歌手?と比較すると表現技術が優れていると感じるのだ。

 

迷惑でしょうが(2018.7.29)

昭和62年,詞:秋元康,曲:後藤次利,唄:とんねるず,

 「前略 生きてくことは哀しい訳で」と始まる台詞から入る。歌は「帰りのみちさえわからないくらいに ぐでんぐでんに酔いたいだけ」と始まる歌。最後も台詞で終わる。

 「一人の部屋には帰りたくはなく」それでも「とにかく一人で飲みたくて この店へ來たんです」

 ヨッパライの詞なのだが曲がヨッパライとは違う気がする。酔いが回ってくると,中には饒舌になる人もいるが,それでも話すスピードは落ちてくるのがほとんどだ。この曲のように話すヨッパライがいるとは信じられない。多くのヨッパライは吉幾三1)のようになる。

1)「酒よ」(昭和63年,詞:吉幾三,曲:吉幾三,唄:吉幾三)

 

夫婦善哉(2013.6.18)

昭和62年,詞:吉岡治,曲:弦哲也,唄:石川さゆり

 「浮草ぐらしとあなたが笑う」と始まる歌。

この当時の歌はほとんど聴いたことがないのだが,第29回日本レコード大賞金賞受賞曲というので期待して聞いてみた。しかし,私の好みではない。石川さゆりにはもっと情熱的な歌を私は期待する。

この曲は織田作之助の夫婦善哉と何か関係があるのだろうか。織田作の蝶子なら,襖が震えるくらいの声で歌ってほしい。蝶子はもっとパワフルだろう。

 

戻り川(2016.12.22)

昭和62年,詞:吉岡治,曲:市川昭介,唄:伍代夏子

 「涙みせたらあなたが困る」と始まる歌。

 「愛しても ふたり渡れない 戻り川」

 伍代のデビュー曲。低音域のビブラートというか声の揺れが特徴的だと感じる。詞も曲も唄も演歌なのだろうが,唄い方は演歌が歌謡曲と分離する前の歌謡曲のようにも聞こえる。多分,私は子供の頃このような曲をたくさん聞いて来たのだろう。この歌が流れていても気付かないのではないかと思うほど耳に馴染んでいるような気がする。

 

Monotone Boy(2017.5.5)

昭和62年,詞:松本隆,曲:土橋安騎夫,唄:レベッカ

Three, Two, One」と掛け声が入り,「Please, Please Take Me To Windy Town」と始まる歌。

日本語歌詞は「星明りのビーズの都会」と始まる。

東宝映画「微熱少年」のエンディングテーマ曲。

Wikipediaによればジャンルはロックとなっている。たしかにリズムはロックのように聞えなくもないが、私のイメージするロックとはかなり印象が異なる。私は時代に取り残されてしまったようだ。

 

MONOTONE BOY(モノトーン・ボーイ) (2018.7.6)

昭和62年,詞:松本隆,曲:土橋安騎夫,唄:レベッカ

 「Please Please Take Me to Windy Town」と始まる歌。

 曲はいい。毎日聴きたいと思う曲ではないが気分によってはこのような曲を聴きたいと思うときもある。唄は何を言っているのか解らないので,唄として聴かずに,楽器の一つとして聴けばいいのだろう。

何を言っているのか解らないのは詞のせいだろう。英語と日本語のチャンポンなので私のように日本語能から英語脳へ切り替えるのに時間がかかる者にとっては,ようやく英語脳になりかけたと思う間もなく日本語になる。おまけにその日本語にもついていけない。歌詞とタイトルはどのような関係にあるのかも理解できないし,「鳴らないピアノをつまびく」などとあると,どうやって爪弾くのだろうと思ってしまう。爪弾くというとギターなどを連想してしまう。バイオリンのような弦楽器ならピチカートのような奏法もあるので爪弾くこともあるだろう。確かにピアノも弦楽器ではあるが。鍵盤が壊れているので弦を直接爪弾こうというのだろうか。

詩人の言葉は理解できない。理解するものではなく感じるものなのだろう。そういえば大学のドイツ語の授業で何とかという詩人の文章を読まされたが,日本語訳を読んでも何を言っているのかよく判らなかった。大家の感性は素人の論理では理解できない。いや,感じ取れないというべきだろう。

 

雪椿(2013.2.11)

昭和62年,詞:星野哲郎,曲:遠藤実,唄:小林幸子

 「やさしさとかいしょのなさが裏と表についている」と始まる歌。「花は越後の花は越後の雪椿」という印象深いフレーズが1番2番3番で繰り返される。(2番は「花」が「愛」に変わっているのだが,3回繰り返されているように感じる。)

 以前書いたことがあるようにも思うが,『やさしそうなひとね』というのは友達に彼氏などを紹介されたとき,他にほめるところがない場合にいう言葉だとか。この歌の歌詞でも「かいしょのなさ」と裏表になっている。

 星野の詞は嫌いではないのだが,この歌詞は意味が良く解らない。最初は自分のことを歌っているのかと思うのだが,途中から,どうも母親のことを歌っているような気がしてくる。だとすると,かいしょのないのは父親ということになる。わたしには,難しすぎて,心を込めて唄えない。

 しかし,小林幸子が「花は越後の」と歌う部分の声はなんとも言えず良い。というか,私はこの部分だけが好きだ。もっと狭めれば,「えちご」の「ち」だ。

 

楽園のDoor(2015.6.24)

昭和62年,詞:小倉めぐみ,曲:来生たかお,唄:南野陽子

 「陽だまりの窓辺から」と始まる歌。

 歌詞,曲,唄とも悪くないと思うのだが,全体としてまとまっていないと感じる。編曲のせいかも知れないが,歌詞が感情を揺さぶらないし,頭に残らない。マッチングが悪いと言うのが私の印象だ。東映系映画『スケバン刑事』の主題歌だそうだが,映画は観ていない。そもそも詞が感情を歌ったものというより,思考を綴ったもののように感じる。この詞を伝えるには歌唱の言葉がはっきりと伝わらないと論理が追えないが,歌唱と編曲のせいだろうが予想外の言葉が発せられるとき,耳に入りにくいと感じる。

 この歌はオリコン1位を獲得している。南野の唄を気に入った人が多かったということだ。歌詞が聞き取りにくくなったのは私の加齢のせいかもしれない。

 

ろくなもんじゃねえ(2018.11.16)

昭和62年,詞:長渕剛,曲:長渕剛,唄:長渕剛

 イントロで「ぴいぴいぴい ぴいぴいぴい」と何度か繰り返した後,「人恋しくて 誰かにしがみつき」と始まる歌。

 「思いやりと優しさが 腐るほど鼻について 殴ったあいつの頬」と聞くだけで本当に「ろくなもんじゃねえ」と思う。

 長渕はどのようなつもりでこの歌を作ったのだろう。こんなこともあるだろうが,ろくなもんじゃねえからそんなことは止めておけということか。

 自分のことを歌い,後悔しているということなのか,あるいは,解る解るその気持ち,と共感を表しているだけなのか。

 こんなことではいけないと解っているが止められない。助けてくれ,あるいはこういう者を助けてやってくれというのだろうか。

 いろんな解釈ができるようにと「ろくなもんじゃねえ」という所で止めたのかも知れないが,これだと聴いた者の中には自己嫌悪・自己否定に陥る者が出るのではないかと危惧する。

 

ロンリー・チャップリン(2013.8.13)

昭和62年,詞:岡田ふみ子,曲:鈴木雅之,唄:鈴木聖美with Rats & Star

 この歌は聴いた記憶がない曲だったので,この文を書くために聴いてみた。

 私がイメージする昭和末期の歌としてぴったりで,嫌いじゃない歌だ。ただ,何度も聴いたわけではないのでこの歌の思い出というようなものはない。

 当時は自分の転勤で,旧職場の整理と新職場への対応に追われ歌謡曲を聴いている余裕がなかったのだろうか。おそらくその前の米国居住中に歌謡曲を聴く習慣がなくなり,帰国後もその習慣が定着してしまったのだろう。

 

別れの予感(2020.2.7)

昭和62年,詞:荒木とよひさ,曲:三木たかし,唄:テレサ・テン

 「泣き出してしまいそう 痛いほど好きだから」と始まる歌。

 「わたしの人生に あなたしかいらない」というほど好きなのだが,自分が「もう少し綺麗なら 心配はしないけど」と相手の心変わりを心配している。

 「あなたをこれ以上 愛するなんて わたしには 出来ない」と繰り返されているが,これで終わりという意味ではないのはもちろんのことで,とてもとても最上級で愛しているという意味だ。しかし,相手がもっといろんな要求をしてきても,これで精いっぱいなんだからという意味も込められているのだろう。

 結局相手の要求を満たすことが出来なくなり,別れることになるかもしれないという不安のを歌った歌。

 

渡り鳥(2020.5.20)

昭和62年,詞;野村耕三,曲:桜田誠一,唄:三沢あけみ

 「波を凍らせて 吹雪の海は 鉛色をして 吠える」と始まる歌。

 「いつかは春が 赤い浜なすも 開く 待つのは馴れている」ということなので,待っていることは確かだが,具体的な状況は不明だ。「渡り鳥よ ふるさとへ帰れ」と繰り返されるので,渡り鳥を見て待ち人を想っているのだろう。

 昭和末期とは思えない程古臭い印象を受けるのは詞に使用されている言葉(漢字)のせいかもしれない。

 

Oneway Generation(2012.12.20)

昭和62年,詞:秋元康,曲:筒美京平,唄:本田美奈子

 「人ごみのまん中今居る場所さえわからないように」と始まる歌であるが,この歌自体は実は知らない。今聴いてみても,他のアイドル歌手よりはいいとは思うが特にどうということはない。本田美奈子は元々演歌志望だったという話を聞いたこともあるが,唄い方は私の好みにあっているように思う。

 この歌を選んだのは,忘れぬうちに,昭和の歌に本田美奈子を是非入れておきたかったからだ。昭和の末期,アイドル歌手として登場した本田はロックバンド,ミュージカル,クラシックなど非常に幅広い音楽活動をしている。平成17年に急性骨髄性白血病で緊急入院,一時病状が好転したかのようにも見えたが,同年11月に38歳で亡くなった。

 その後,フジテレビ系で放映された「天使になった歌姫本田美奈子〜夢と闘いの38年」を観た。この番組で,本田が病院で無伴奏で歌った「Amazing Grace」を聴いて感動した。Amazing Graceは平成15年のアルバム「Ave Maria」に収録されている。病院での歌声は少しやつれているように感じられないこともないが,録音も違うし,透明な高音はとても素晴らしかった。Amazing Graceはキリスト教の聖歌(二二九番)である。このような天使の歌声を持つ彼女がこのように早く天に召されるとは。

 キリスト教の聖歌には美しい歌が多い。このような美しい歌を唄う人々が異教徒に不寛容であることを不思議に思う。

 この歌を取り上げたのは,昭和末期に本田美奈子という素晴らしい歌手がいたということを忘れないようにしたいからだ。

 ところで,Wikipediaによると彼女には戒名があるようなので,最後は仏教徒として亡くなったのだろう。ご冥福をお祈りします。合掌。

 

湾岸太陽族(2018.11.12)

昭和62年,詞:売野雅勇,曲:山崎稔,唄:荻野目洋子

 「クラクション叩きながら 追いかけてくわ」と始まる歌。

 「ウィークエンド・ギャング・スターズ」は「孤独(ロンリネス)」で「嘘のつけない子たち」だが「みんないつの日か」「消える」というような内容を,論理を無視して,思いつくまま並べたように感じられる。

しかし,詞は夜活動している雰囲気が強いにも関わらず太陽族というタイトルだという違和感だけでなく,挿入されている英語の意味が解らず,何が言いたいのか伝わって来ない。

曲はアイドル・ソングとしては良いのではないか。ステージを観ている分には歌詞もあまり耳に入らず,心地よく観ていられる。リズムもはっきりしており,素人の自分でも踊れるのではないかと思わせるところがある。

 

WANDERER(2018.10.18)

昭和62年,詞:藤井郁弥,曲:鶴久政治,唄:チェッカーズ

 「女はその時へたな嘘を聞いていた」と始まる歌。

 「嘘でおまえ引き止めた 愛せば愛すほど」というわけで現状は解るが,こうなった原因は不明だ。原因が解れば同情の余地もあるかもしれないが,この歌詞の範囲では同情の余地はない。曲もそうだが,振り付けもチャラい男のイメージで「嘘はおまえを守る愛しかただったよ」という言葉も真実味を帯びては聞こえない。

 そもそも「WANDERER」とはどういう意味だ?

 オリコン1位を獲得しているということは,世間の支持はあるということだ。ということは私が時代に合わなくなったということか。