明治,大正,昭和元年〜,昭和6年〜,昭和11年〜,昭和14年〜,昭和16年〜,昭和21年〜,昭和26年〜,昭和29年〜,昭和31年〜,昭和33年〜,昭和35年,昭和36年,昭和37年,昭和38年,昭和39年,昭和40年,昭和41年,昭和42年,昭和43年,昭和44年,昭和45年,昭和46年,昭和47年,昭和48年,昭和49年,昭和50年,昭和51年,昭和52年,昭和53年,昭和54年,昭和55年,昭和56年,昭和57年,昭和58年,昭和59年,昭和60年,昭和61年,昭和62年,昭和63年〜,その他(不明),平成の歌
昭和45年
愛があるなら年の差なんて,愛のいたずら,愛のきずな,愛の旅路を,愛は傷つきやすく,秋でもないのに,あしたが生まれる,あしたのジョー,明日に架ける橋<Bridge Over Troubled Water>,あなたならどうする,あの場所から,生きがい,一度だけなら,命預けます,イメージの詩,美しいヴィーナス,噂の女,X+Y=LOVE,大阪の女,男が惚れなきゃ女じゃないよ,男と女のお話,男の世界<Mandom-Lovers of the World>,男はつらいよ,おんな占い,おんなの朝,女のブルース,女は恋に生きてゆく,帰りたい帰れない,悲しき鉄道員<Never Marry a Railroad Man>,傷だらけの人生,希望,京都の恋,京都慕情,銀座の女,くやしいけれど幸せよ,経験,圭子の夢は夜ひらく,げんこつ山のたぬきさん,恋あざみ,恋狂い,恋ひとすじ,この胸のときめきを<You Don’t Have to Say You Love Me>,コンドルは飛んでいく<El Condor Pasa>,ざんげの値打ちもない,私生活,知床旅情,白い蝶のサンバ,白い鳥にのって,自由の女神,人生一路,姿三四郎[やれば出来るさ],空よ,大勝負,誰かさんとだれかさん,誰もいない海,ちっちゃな恋人<My Little
Darling>,中途半端はやめて,ついて来るかい,月に吠える歌,手紙,ドリフのほんとにほんとにご苦労さん,ナオミの夢<ANI HOLEM NAOMI>,長崎ごころ,長崎の夜はむらさき,悩み多き者よ,走れコウタロー,波止場女のブルース,花のメルヘン,ビューティフル・ヨコハマ,ふたりの関係,ふりむかないで〔泣いているのか〕,へんな女,望郷,マイ・スウィート・ロード<My Sweet Lord>,マークU,マンダム男の世界<-Lovers of the World>,もう恋なのか,酔いどれ女の流れ歌,四つのお願い,レット・イット・ビー<Let It Be>,老人と子供のポルカ,別れたあとで,私が生まれて育ったところ,笑って許して,ANI HOLEM NAOMI,Bridge Over Troubled Water,El Condor Pasa,Let It Be,I Dream of Naomi<ANI HOLEM
NAOMI>,Mandom-Lovers of the World,My Little Darling<ちっちゃな恋人>,My Sweet Lord,Never Marry a Railroad Man,You Don’t Have to Say You Love Me
愛があるなら年の差なんて(2016.3.24)
昭和45年,詞:有馬三恵子,曲:海老沼裕,補作曲:浜口庫之助,唄:にしきのあきら
「抱いちゃ駄目よと泣いてすがって」と始まる歌。
年の差のある「貴女と別れた」という歌だが,「いつでもシャネルの匂い」とあり,この年の差とはもちろん女性が年上だろう。若いツバメの歌ということだ。
『若いツバメ』の語源は平塚らいてうの故事?に基づく。米国での女性解放運動の波が日本にも寄せてきていた当時,昔の女性解放運動家の故事が思い出されたのだろうか。
愛のいたずら(2018.1.29)
昭和45年,詞:安井かずみ,曲:彩木雅夫,唄:内山田洋とクールファイブ
「あなたはもういないと 心にきめたのに」と始まる歌。
「会えて会えてときめく 会えて会えてふるえる」のように同じ言葉を繰り返す箇所が何箇所かあるのが印象的。あとは前川清らしい声の揺れ(何という技法なのか知らない)もクールファイブらしさが感じられる。
愛のきずな(2018.10.31)
昭和45年,詞:加茂亮二,曲:鈴木淳,唄:安部律子
「いつか知らないとこで あなたに抱かれたの」と始まる歌。
「今では遠い夢の中で すぎた事みたい」という状況らしい。
当時の私の心境とは重なる点が全くなく,特に私の関心を引くことはなかった。
当時の私は物理学の面白さに目覚め,人生で最も数学や物理学を勉強していた時期かもしれない。私に才能が有ればこの時期からの勉強でも理論家になれたかも知れないが,しばらくして,私の能力では真剣に勉強を始めるのが遅すぎたと気付く。疑問を感じた問題もいろいろ調べてみると全て過去に同じ問題を考えた人がいて解答がでている。当時は下宿代と食費以外のほとんどが本代だった。しばらくは自分の知識欲が満たされで満足していたが,結局凡人の思いつく疑問は研究し尽くされているのではないかと思い,凡人が思いついても技術的問題で実現されていない物を作ることのほうが仕事としては向いていると感じ理論家になる夢を捨てた。
愛のきずな(2020.12.3)
昭和45年,詞:加茂亮二,曲:鈴木淳,唄:安倍律子
「いつか知らないとこで あなたに抱かれたの」と始まる。
昔なら「目と目があって」とか「手と 手がふれて」などそれだけで「愛の誓いができたのに」そんな時代は「今では遠い夢の中で」「なぜか風に消えたの あなたをせめないわ」というのだが「なぜか泣けてくるの」という訳だ。説明的な詞だが状況がよく解り,自分の状況次第だが,共感したり同情したりすることも可能だ。
愛の旅路を(2017.1.5)
昭和45年,詞:山口あかり,曲:藤本卓也,唄:内山田洋とクールファイブ
「死ぬもいきるもあなたひとりと」と始まる歌。
「恋に賭けたい命ひとすじ」とあり,他の歌に関して『命懸けの恋というようなものはあっても,何に対しても軽々しく命を賭けたりするものではない』というような趣旨のことを書いたことを思い出した。この歌の結末は「愛の旅路を」「あなたと歩く」なので賭けに勝ったということだろう。
詳細に歌詞を読むと「待つの」とか「夢をみるの」などとあり,賭けに勝ったというのは夢のようだが,ポジティブな考えに好感を持つ。ポジティブと言っても,何でもかんでも自分の思い通りになると考えているように見える場合には『人生そんなに甘くない』と言いたくなるが。
この歌詞の場合は真剣さを強調したい意味での「恋に賭けたい命ひとすじ」のように聞こえ,許容できる範囲だ。
愛は傷つきやすく(2017.6.13)
昭和45年,詞:橋本淳,曲:中村泰士,唄:ヒデとロザンナ
ロザンナが「自由にあなたを愛して 愛して私はこんなに傷ついた」と唄いはじめ,ヒデが「たとえば二人で命をたてば 微笑さえも消える」と答える。
デビュー曲ではA面の『何にも言えないの』よりもB面の『愛の奇跡』1)のほうがヒットしたが,この曲は『愛の奇跡』を超えるヒット曲となった。
1) 「愛の奇跡」(昭和43年,詞:中村小太郎,曲:田辺信一,唄:ヒデとロザンナ)
秋でもないのに(2013.12.4)
昭和45年,詞:細野敦子,曲:江波戸憲和,唄:本田路津子
「秋でもないのに人恋しくて」と始まる歌。
メルヘンチックな歌。詞では一人で「ギターを弾」いたり「街に出」たりしているようだ。嫌いではないが一人でこの曲をギターで弾いたり唄ったりする気分にはなれない。おなじような気持ちを共有できる二人でならこのような歌を二人で唄うのもいいかも知れないが,そうそう都合よくそのような相手がいるとは限らない。
そもそもこのような気分になるのは心が弱っているときではないかと思うのだが,本田の声は美しく,清純で悩みなど何もないように聞こえる。
本田路津子や森山良子などの歌もカレッジ・フォークと呼ぶらしいが,私のイメージするカレッジ・フォーク(北山修など・・・Wikipediaでは関西フォークに分類されていたが)とは少し違う。この歌の作詞者のせいかもしれない。この歌での本田は,深窓の令嬢がこっそり屋敷を抜け出してフツーの格好に着替えてみたが,お嬢様育ちは隠しきれていないという印象だ。・・・本田が実際にお嬢様育ちかどうかは知らない。
あしたが生まれる(2017.10.4)
昭和45年,詞:三瓶茂夫,曲:梶沢知弘,唄:フォーリーブス
「大人になったね 君は」と始まる歌。
GSっぽいサウンドだ。GSでは楽器を演奏しながらだったが,このグループは楽器の演奏はしない。一応身体は動かすが,後のアイドルほどのアクションはない。なんとなく振り付けがあるようだという程度だ。前身がジャニーズのバックダンサーだったフォーリーブスの動きは,以前の歌手が手を動かす程度だったのに比べれば,大きかったが。
フォーリーブスは,歌手がアイドルだった時代から,アイドルが歌を唄う時代に変りはじめたころのグループといえるだろう。
あしたのジョー(2017.3.5)
昭和45年,詞:寺山修司,曲:八木正生,唄:尾藤イサオ
「サンドバックに浮かんで消える 憎いあんちくしょうの顔めがけ」と始まる歌。
「あしたのジョー」(高森朝雄(梶原一騎)原作,ちばてつや画,週刊少年マガジン,昭和42−48年)がフジテレビ系のテレビアニメになったとき(昭和45−46年)の主題歌。
「あしたはきっと なにかある」と何かよいことがあると期待しているかのようだが,この少し前に「だけど」とあり,どこからどうつながっているのかはっきりとは分からないが何か悪いことがあるかもしれないと考えているのかもしれない。
ただ,私には主人公の矢吹丈が,明日を含め,将来のことをそれほど深く考えているようには見えなかったが,寺山には違って見えていたのかも知れない。
あなたならどうする(2012.3.19)
昭和45年,詞:なかにし礼,曲:筒美京平,唄:いしだあゆみ
突然「嫌われてしまったの愛する人に」と出て,「あなたならどうするあなたならどうする」と質問する歌。「私のどこがいけないの」と自省してみたりもしている。
お答えしましょう。それは「あの人が変ったの」です。泣きなさい,歩きなさい,でも死んじゃうのは止めなさい。
この年,電子通信学会(元電気通信学会,現電子情報通信学会)の東海支部で開催された見学会に大阪万博ツアーというのがあった。日本電信電話公社(現NTT)の電気通信館に優先的に入れるというので参加したのだが,月の石が展示されているアメリカ館など長蛇の列なのに,電気通信館は学会ツアーの参加者でなくても直ぐに入れ,拍子抜けした。送受器1)が沢山ぶらさがっていたことが記憶に残っている。この会場でコードレス電話のデモンストレーションがあった。これが現在のコードレス電話や携帯電話の基礎となった技術である。
昭和54年,電電公社は自動車電話のサービスを開始した。昭和64年には自動車から掘り外して肩にかけられるショルダーフォンも出る。要するに,基地局も少ないので送信パワーを増やすと,機器の性能の問題もあり,消費電力が大きく,バッテリーの性能も劣っていたので車のバッテリーから電源を得ていたのが,次第に肩に担げるほど軽くなったということだ。
1)口に近いのが送話器,耳に当てるのが受話器,送話器と受話器が一体になったものを送受器というらしい。そういえば昔の電話で,送話器が本体に固定されていたものがあった。公衆電話の機械から引きちぎったような送受器がコイル状のコードで吊るされていた。
あの場所から(2015.8.4)
昭和45年,詞:山上路夫,曲:筒美京平,唄:Kとブルンネン
「白いベンチに腰掛けながら 遊ぶ鳩を二人で見てた」と始まる歌。
昭和48年に朝倉理恵がカバーしたときにもヒット,私には朝倉のほうが馴染が深い。
「こわれた愛を」「やりなおしたいの」という歌だが「あそこから あの場所から」のフレーズが印象的。筒美の曲ではあるが歌謡曲というよりフォーク調の曲になっている。
生きがい(2015.11.24)
昭和45年,詞:山上路夫,曲:渋谷毅,唄:由紀さおり
「今あなたは目ざめ 煙草をくわえてる」と始まる歌。
今,目の前にいるのかと思うが,すぐに想い出・想像の歌だと解る。別れてしまったのに今頃こうしているだろう,「私はあなたとしか生きられない」という歌。作詞・作曲は違うが「手紙」1)と似た感じの歌だ。山上はなかにしの詞の続編としてこの詞を書いたのだろうか。
1)「手紙」(昭和45年,詞:なかにし礼,曲;川口真,唄:由紀さおり)
一度だけなら(2014.9.10)
昭和45年,詞:山口洋子,曲:猪俣公章,唄:野村真樹
「一度だけなら許してあげる」と始まる歌。
歌詞を聴くとどう聞いても女歌だ。山口洋子がどんな女性が知らないが,この詞の女性は何でも許してくれる,身勝手な男にとってはとても都合の良い女性のようだ。惚れた女の弱みが現れているのかもしれないが,最近の女性には少ないのではないか。修羅場になりそうだ。
野村真樹のデビュー曲である。彼は昭和57年に野村将希と改名した。昭和62年からは『水戸黄門』1)に『柘植の飛猿』として出演,こちらのほうが有名になってしまったようである。
1)「水戸黄門」:TBS系テレビドラマ。17-28部(この間、水戸黄門は西村晃と佐野浅夫,佐々木助三郎はあおい輝彦,渥美格之進は伊吹吾郎が演じている)およびスペシャルに登場している。
命預けます(2013.5.15)
昭和45年,詞:石坂まさを,曲:石坂まさを,唄:藤圭子
タイトルそのまま「いのお〜ちぃ〜い預け〜ぇます〜」とはじまる歌。「流れ流れて東京は」と続くと『東京流れもの』1)を連想してしまうが,男歌と女歌の違いがある。『東京流れ者』は『圭子の夢は夜ひらく』2)の裏面で藤圭子も唄っていて,歌詞は竹越のものとは異なるがどちらも男歌であり,男が命を預けるのはアウトローの世界である。しかし,この女が命を預けるのは何に預けるのか良くは解らない。藤つながりで藤純子の映画3)などを連想し,その方面かなどとも思うが私が感じるのは男に命を預ける女だ。『新宿の女』4)『女のブルース』5)という流れからも男に命を預けていると感じられる。
それにしても,あの細い身体から,あの太い声がよくでるものだ。唄う姿も鬼気迫る。元祖怨歌歌手である藤圭子は娘の宇多田ヒカルなどよりはるかに強く私に訴えかける歌手だ。
第12回日本レコード大賞大衆賞を受賞している。
1) 「東京流れもの」(昭和40年,詞:永井ひろし,曲:不詳,採譜:桜田誠一,唄:竹越ひろ子)
2) 「圭子の夢は夜ひらく」(昭和45年,詞:石坂まさを,曲:曽根幸明,唄:藤圭子)
3) たとえば「緋牡丹博徒」のシリーズ。
4) 「新宿の女」(昭和44年,詞:みずの稔・石坂まさを,曲:石坂まさを,唄:藤圭子)
5) 「女のブルース」(昭和45年,詞:石坂まさを,曲:猪俣公章,唄:藤圭子)
イメージの詩(2017.10.18)
昭和45年,詞:吉田拓郎,曲:吉田拓郎,唄:よしだたくろう
「これこそはと信じれるものが この世にあるだろうか」と始まる歌。
たくろうのデビューシングル。長い歌だ。
人生で解らないことを論じようとしているようだが,論理ではなく感性で論じているようでフィーリングが合えば同感となるのだろうが,論理的に得心はできない。
美しいヴィーナス(2018.1.5)
昭和45年,詞:岩谷時子,曲:弾厚作,唄:加山雄三
「あゝ美しいヴィーナス 鳶色の恋人」と始まる歌。
「俺のものでも誰のものでもない」「ヴィーナス」に「俺たちと遊ぼう」と呼びかける歌。
桑田佳祐登場までは,海は加山雄三のものだったと思わせるような歌。
噂の女(2013.3.12)
昭和45年,詞:山口洋子,曲:猪俣公章,唄:内山田洋とクール・ファイブ
「おんな〜ぁごお〜おこ〜ろの」とはじまる歌。「よして〜ぇよしてよぉ〜ぉ」というところなど前川節の本領発揮というところだろう。第12回日本レコード大賞歌唱賞受賞曲である。
「弱い私は噂の女」と終わるのだが,弱さにもいろいろあり,この詞の女は本道に弱いのだろうか。弱い女と聞くと透き通るように白い顔をした細身の女性を想像するのだが,この歌の女性は藤圭子の歌にでてくるような女性のように感じられる。確かに弱いのだがその弱さを強みに変えているような・・・。
この前後数年の大学の内部はどうだったかというと,国立大学は北から順次暖房が入ってきて,名古屋の大学にも暖房がはいるようになっていた。工学部だったので実験があったが,実験は数人のグループでやる。データはそれぞれ持ち帰り,それぞれがレポートを作成して提出するのだが,最初は実験終了後各自ノートにデータを筆写していた。そのうちにカーボン紙を使って必要枚数だけ実験中に作成するようになった。カーボン紙は以前から世間には存在していたが,カーボン紙を買えるほど豊かになってきたということだろう。そのうちにノーカーボン紙というのができた。計算は数表・計算尺・算盤で行っていた。
研究室に配属された頃,夏暑いので窓には自作の網戸があった。研究室には手回し計算機と電卓があった。電卓は加減乗除が計算でき,定数メモリが一つと√キーがついていた。恐らく学科内でこれ一台だったのだろう,他研究室から良く借りに来ていた。
大型計算機は東大と京大にあった。当時はパンチカードになっていた。カード鑽孔機は自由に使える場所にあったが,計算はカードデッキを東大か京大に送って,結果の返送を待つという状況だった。学科内で使えたコンピュータは紙テープのもので,FORTRANコンパイラがあったがそれは学内の人が作ったものだという話だった。
図面を描くのは烏口だったが,そのうちにロットリングペンになった。
コピー機は変な臭いのがあった。感熱紙のような専用用紙を使うのだが,コピー代が高かったのでほとんど使ったことがない。コピーと言えば,いわゆる青焼きというやつだった。トレーシングペーパーなどに原稿を書いて,専用のコピー紙に紫外線露光し,湿式現像するものだ。これも臭うが,先のコピー機ほどではない。コピー機はまもなく現在もあるような乾式コピー機に変わった。この乾式コピー機でデルミナ用紙という半透明な用紙にコピーし,これを原版にして青焼きを沢山作った。
学会発表は掛図利用だった。B0の神にマジックインキ等で書いて会場に持っていくと会場には掛図掛がいくつか準備されており,自分の発表前にこれに数枚のB0の紙をかけておく。発表の番がくると,係りがその掛図をかけてくれるので,あとは話の進行に従って順にB紙を剥ぎ取っていく形が多かった。これはその後スライドになる。図面を描いてカメラでミニコピーフィルムに接写し,通常は再度反転していたと思うのだが,この時期どのようにして反転していたか記憶が薄れてしまった。ミニコピーフィルムにベタ焼きしていたと思うのだが。反転せずにフィルムの黒色部分を青色に変換する方法も一時使ったがこの期間も短かった。じきに明るい部屋で反転フィルムができる装置が導入されてこれをつかうことがほとんどになった。
OHPが出始めた頃は,透明の手書き用OHPシートに直接手書きするか,透明な印画紙のようなOHPシートというのがあり,これにミニコピーで撮った写真を焼き付けた。
その後,乾式複写機でコピーできる透明なシートが発売され,写真機は必要なくなった。原稿をそのまま乾式複写機で透明なシートにコピーできるようになった。
私は腕がペタペタと紙を叩くタイプの手動の英文タイプライターを持っていたが,研究室に配属されたとき,そこには電動タイプライターがあった。このタイプのタイプライターは購入字に活字を決めてしまわなければならない。私のタイプライターは,英文タイプライターのいくつかの文字を,ウムラウトやアクサンなどに変更して,ドイツ語やフランス語が打てるようにしたのだが,フランス語は一度も打ったことがない。あと数式に出てきそうなギリシャ文字としてαとβが入れてあった。ドイツ語を討つとき,エスツェットの代わりにβを使った。このタイプライターでは,英語の本を7冊ほど写した。タイピングの練習も兼ねていたが,洋書代が高くかつコピー代も高かったからである。ドイツ語の電磁気の本も図書館から借りて写し始めたのだが,これは途中で挫折した。
話が逸れたが,研究室のタイプライターは電動とはいえ,ペタペタと印字する構造は全く同じである。ただ,手動のものでは私のような者が早く打とうとするとどうしても薬指や小指の力が弱くなりがちだが電動タイプライターは全て均等な力で打てるので綺麗に仕上がりやすい。研究室のタイプライターはしばらくして米国製のボールヘッド交換タイプのものに変わった。ヘッドを変えると活字の種類がいろいろ変更できるものだ。昭和61年に米国に行ったとき,研究室に何台かあったタイプライターのうちの一台にはメモリーがついていた。ある程度のストローク分を記憶させ,液晶表示で確認した後一気に印字できるタイプだった。当時はパソコンが普及し始めたころではないだろうか。そういえば,電動タイプライターのキーボードに載せる機械で,パソコン出力に接続すると,パソコンからタイプライターのキーボードを機械的に押すことができるものがあったような気がする。
ドットプリンタはあったが,印字品質は悪かったので高品質印字にはこのような形がとられたのだ。
和文タイプライターは学科に数台あったように思う。
X+Y=LOVE(2017.8.25)
昭和45年,詞:白鳥朝詠,曲:鈴木淳,唄:ちあきなおみ
「Xそれはあなた Yそれは私」と始まる歌。
最後の「イコールラヴ イコールラヴ ラヴ ラヴ アイ ラヴ ユー」が耳に残る。
男女の関係がこんなに簡単な式で表されないのは確かだ。
大阪の女(2017.3.31)
昭和45年,詞:橋本淳,曲:中村泰士,唄:ザ・ピーナッツ
「まるで私を責めるよに 北野新地に風が吹く」と始まる歌。
「夢を信じちゃいけないと 言った私が夢を見た」と演歌の詞だが,中村・ピーナッツなので当然演歌ではない。演歌調に作曲し,演歌調に唄ったが演歌になりきらなかったということかもしれない。もっとも,歌謡曲の一部が演歌と呼ばれるようになったのがこのころで,それまでの歌謡曲は何でもアリだった。その意味では従来の歌謡曲としては全く違和感がない。
男が惚れなけりゃ女じゃないよ(2018.2.12)
昭和45年,詞:かないさちこ,曲:市川昭介,唄:都はるみ
「あなたにもらった恋だから あなたに返してゆきましょう」と始まる歌。
「忘れておくれと云われても すぐには無理だよ好きだから」という歌詞に対し,曲調は精一杯強がっているようである。私ならもっと演歌っぽい曲にしたい。
男と女のお話(2013.1.14)
昭和45年,詞:久仁京介,曲:水島正和,唄:日吉ミミ
「恋人にふられたのよくある話じゃないか」と始まる歌。「恋はおしゃれなゲームだよ」と言ってはいるが「涙」が二回登場する。ここで「ゲーム」といっているのは口先だけで悪女ぶっているだけではないのか。
日吉ミミの声は極めて印象的だった。本当に舌先三寸で歌っているようなのだが,声量はある。退廃的と評したのを聞いたことがあるが,私はそこまでは思わない。しかし,まあ,やけくそ気味に唄っているようには聞こえる。
日米安保条約の自動延長に反対する人々がいるかと思えば,三島由紀夫らは自衛隊東部方面総監部に乱入してアジ演説の後割腹する,大阪では「こんにちはこんにちは世界の国から」と万国博覧会に長蛇の列ができ,赤軍派の学生が日航「よど号」をハイジャックすれば「不幸の手紙」を送りつける奴がいる。その一方で東大宇宙研は初の国産人工衛星「おおすみ」の打ち上げに成功し,日立はLSI(大規模集積回路)を開発する。世の中どうなっているんだというときに、このような歌がヒットしていたのだ。
男はつらいよ(2017.9.8)
昭和45年,詞:星野哲郎,曲:山本直純,唄:渥美清
「私 生まれも育ちも葛飾柴又です」から始まる台詞が冒頭にある。唄は「俺がいたんじゃお嫁にゃ行けぬ」と始まる。最後も「今日こう万端ひきたって よろしくおたのみもうします」と終わる台詞が入る。台詞はテキヤとしての仁義だ。
昔は股旅物などで仁義を切る場面をよく見たが,このころは珍しくなっていたように思う。木枯し紋次郎1)が仁義を切っている姿を思い出せない。
「男はつらいよ」は昭和43年にフジテレビのドラマで登場し,昭和44年からは松竹映画で48作+特別版というロングシリーズになった。
1)木枯し紋次郎:笹沢佐保の小説及びその主人公の名。昭和47年には中村敦夫主演のドラマがフジテレビ系で放映され,菅原文太主演の東映映画が公開されている。
おんな占い(2017.9.22)
昭和45年,詞:二条冬詩夫,曲:村沢良介,唄:南有二とフルセイルズ
「胸にほくろのあるひとは 好きな男にだまされる」と始まる歌。
占いがあたっているかどうかは知らないが,当たるか当たらないかが判らないから占いが廃らないのだろう。
おんなの朝(2017.7.3)
昭和45年,詞:西沢爽,曲:米山正夫,唄:美川憲一
「朝が来たのね さよならね」と始まる歌。
『柳ヶ瀬ブルース』や『釧路の夜』など『夜』シリーズの歌でヒットを続けていた美川の『朝』の歌で,美川の代表曲の一つ。この歌は歌詞が過激?ということでNHKでは放送されなかったらしいが,昭和46年に第4回日本有線放送大賞スター賞を受賞している。
女のブルース(2015.2.26)
昭和45年,詞:石坂まさを,曲:猪俣公章,唄:藤圭子
「女ですもの恋をする 女ですもの夢に酔う」と始まる歌。
詞を文字で読むとたいしたことをいっていないように感じる。それが猪俣の曲にのせて藤が唄うと全く違うものになる。
『新宿の女』に次ぐ2曲目,大ヒット『圭子の夢は夜ひらく』の前の曲である。1曲目で衝撃を受け,2曲目のこの曲で完全に魅せられてしまった。藤圭子の顔(表情などの見た目も経歴等のプロファイルも)は作られたものだという噂はあったが,きわめてインパクトが強く,以前からあった『演歌』という言葉に新しい意味を与えた。私への衝撃は4曲目の『命預けます』まで続いた。
ただし,『夢は夜ひらく』は私の中では園まりの曲であり,若干の違和感を覚えた。『圭子の夢は夜ひらく』は園の歌とは全く違う歌になってしまっていたからだ。
五木寛之が演歌に関していろいろ書くうちに,従来歌謡曲とひとくくりにされていた歌の一部があれもこれも演歌だということになった。その意味で藤圭子は元祖演歌歌手と言ってよいだろう。後に援歌や怨歌などという言葉までできるきっかけになった。演歌を語るなら,藤圭子の初期の歌は必ず聴かなければならない。できれば映像も観たほうがよいだろう。歌声だけでなく,唄う姿全体が藤圭子だった。
女は恋に生きてゆく(2017.8.10)
昭和45年,詞:石坂まさを,曲:石坂まさを,唄:藤圭子
「貴方はいいでしょ 私がいなくても」と始まる歌。
デビューして最初の数枚のレコードは,パンタロンスーツのビジュアルも含め,衝撃だった。5枚目のこの曲になると衝撃は薄れてきたが,ややハスキーな太い高音部の声が印象的だった。
女は恋に生きていく(2018.2.24)
昭和45年,詞:石坂まさを,曲:石坂まさを,唄:藤圭子
「貴方はいいでしょ 私がいなくても 私はだめなの 貴方がいなけりゃ」と始まる歌。
「貴方が死んだら 私は死ぬけど」と言ってはいるが,「悲しみも 喜びも ネオン化粧に 隠して 生きるのよ」とも言っているので,死ぬ死ぬと言っているだけでしぶとく生きていくのだろう。唄声にもしぶとさが感じられる。
帰りたい帰れない(2014.10.24)
昭和45年,詞:加藤登紀子,曲:加藤登紀子,唄:加藤登紀子
「淋しかったら帰っておいでと 手紙をくれた母さん元気」と始まる歌。
当時はまだ男女の区別は明確であり,詞は男歌のように見えるが,同時に性による区別をなくすべきだという運動もおこっており,この運動と関係があるかどうかは不明だが,加藤も(昔に言われた)男性的な気性がありそうに見え,彼女自身の気持ちを歌った歌とも感じられる。
歌詞では「帰れない」理由について全く触れていないが,『とめてくれるな おっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く』1)という心境のようにも感じられる。
具体的な理由が書かれていないので,他の理由により帰ることができない者にも共感を呼んだのだろう。
1)昭和43年,東大駒場祭ポスター。
傷だらけの人生(2013.7.14)
昭和45年,詞:藤田まさと,曲:吉田正,唄:鶴田浩二
歌の前に「古い奴だとお思いでしょうが古い奴こそ新しいものを欲しがるもんでございます。・・・・」と台詞が入った後「何から何まで真っ暗闇よ」と始まる歌。1番と2番の間にも台詞が入る。
NHKでは放送自粛歌に指定されたらしいが,理由は私には分からない。2番と3番の間にある台詞に「・・・そういう私も日陰育ちのひねくれ者 お天道に背中を向けて歩く・・・」とあるのがNHKの気に入らなかったのかも知れない。
いつの世も古い人間は今の世の中を憂えるものかもしれない。藤田まさとは明治41年生まれだから,十分古い人間だろう。
傷だらけの人生(2012.11.17)
昭和45年,詞:藤田まさと,曲:吉田正,唄:鶴田浩二
「古い奴だとお思いでしょうが,古い奴ほど新しいものを欲しがるもんでございます。」と台詞から始まり,「何から何まで真っ暗闇よ筋の通らぬことばかり」と始まる歌。昭和46年には映画も製作され,第13回日本レコード大賞大衆賞を受賞した。
NHKは「放送が好ましくない歌」としたとか,バカボンパパの愛唱歌だとかいう話もある。
鶴田浩二は,昭和20年代には池部良や長谷川一夫を凌ぐ二枚目スターであったが,昭和30年代末期以降高倉健と並ぶ仁侠映画の大スターとなる。また,後には特攻崩れのイメージも強くし,軍歌なども多く唄っている。
この歌自体は社会風潮を嘆いてはいるが,過激な歌詞があるわけではなく,他の歌手が唄えばNHKも文句はつけなかっただろうが,鶴田浩二が持つイメージとこの歌のイメージの相乗効果によりNHKなりの感性で行間を読み取り,この歌の放送を自粛したのではないか。
希望(2015.8.30)
昭和45年,詞:藤田敏雄,曲:いずみたく,唄:岸洋子
「希望という名の あなたをたずねて」と始まる歌。
第12回日本レコード大賞歌唱賞受賞。この歌は昭和44年にフォー・セインツが唄っているが,元は倍賞千恵子の歌だった。岸バージョンがヒットしたということなのだろう。
聴き比べたわけではないが,それぞれの唄を想像してみると,倍賞千恵子は声に艶がありすぎるように感じる。実際に希望を追いかけている前向きの歌のように聞こえるのではないか。フォー・セインツの唄を想像すると,何か悲しすぎる気がする。絶望の歌に聞こえるのではないだろうか。倍賞からは挫折などはものともしない強さや明るさを感じ,フォー・セインツからは状況に押しつぶされるのではないかという危惧を感じるのに対し岸洋子からは困難な状況にも何とか希望を見出しているという感じで,弱い者もまた元気を絞り出してもう少し頑張ってみようという気にさせる唄になっているのでははないだろうか。実際,この年,岸は病気のためレコード大賞の授賞式を欠席しており,紅白出場も辞退している。
京都の恋(2015.4.3)
昭和45年,詞:林春生,曲:Wilson, M. Taylor, G. McGee, J. Durrill,唄:渚ゆう子
「風のうわさを信じて 今日からは」と始まる歌。
率直に言えば歌詞には特に感じることはない。
ある日偶然,近くにある私大歯学部の学生が,「いまから湯豆腐でも食いにいこうか,名神乗ればすぐだし」などと会話をしているのが耳に入った。どうも高速で京都まで行って湯豆腐を食べようと相談しているらしい。私の周囲には車を持っている学生はひとりもおらず,湯豆腐を食べるためにだけ車で京都に行くという話に反感を持ち,京都に関する関心を一気に失った。そのようなときにこの歌は「あなたと別れて傷ついて 旅に出かけて来たの」と京都へ傷心旅行だ。また京都か,もっと他にないのかという感じだ。
曲は,あのベンチャーズが日本の歌謡曲をつくったということでインパクトが強かった。曲も後に続いた『京都慕情』1)に比べるといかにもベンチャーズサウンズという感じであり,渚ゆう子も悪くなかった。当時京都に反感を抱いていなければもっと好きになっていた歌かも知れない。
1)「京都慕情」(昭和45年,詞:林春生,曲:ザ・ベンチャーズ,唄:渚ゆう子)
京都慕情(2015.12.17)
昭和45年,詞:ザ・ベンチャーズ,訳詞:林春生,曲:ザ・ベンチャーズ,唄:渚ゆう子
「あの人の姿懐かしい 黄昏の河原町」と始まる歌。
「高瀬川」,「嵐山」,「東山」,「桂川」と京都の地名を入れたご当地ソング。『京都の恋』に次ぐ渚ゆう子のベンチャーズ歌謡である。
当時,私は京都には行ったことが無かった。正確に言えば小学校の修学旅行で行ったことがあるのだが,京都の記憶といえば五色豆と八橋(もちろん生ではない)程度しかない。修学旅行の写真もなく,中学校から学区が変わったので中学校では小学校の思い出を語り合い記憶を再生する相手がいなかったので忘れ てしまったのだろう。
しかし,周囲では京都はブームになっていた。新幹線ができ,高速バスもでき,京都に行きやすくなっていたのだ。もっとも私の自宅(実家)からはこれらに乗るのに大分時間がかかったが。
また,当時私がいた大学には大型計算機がなく,大型計算機を必要とする場合には京都大学に行っていた。そういえばヘリウムの液化装置もなく,(装置はあったが一般に対するサービスがなかったのかも?)必要な場合は京大から運んでいたように思う。当時私はどちらも使っていなかったのではっきりとした記憶がないが,先輩がよく京都大学へ行っていた記憶はある。
少し前まで東京・東京だったのが京都が身近な話題によく出てくるようになっていた。
京都に国際会議場ができ,そこで開催された会議に参加した。私にとっては初の国際会議で,期間中は英語の予習に追われ,夜の京都に繰り出す余裕は全くなかった。
銀座の女(2016.5.9)
昭和45年,詞:川内康範,曲:曽根幸明,唄:森進一
「夢をなくしてまた拾い 明日は咲こうとする女」と始まる歌。
ホステスの歌?だ。作詞者の川内康範はどのような人物なのだろうか。初期のヒーローものテレビドラマ『月光仮面』の原作者であり,その主題歌『月光仮面は誰でしょう』1)も有名だ。彼が作詞した『おふくろさん』2)も唄わせない騒動で有名になった。そのほかにも,作詞者の名が有名かどうかは知らないが『誰よりも君を愛す』3)や『逢わずに愛して』4)なども彼の作詞だ。他にもこの歌と同じようなホステス?の歌をいくつも書いている。少し調べてみると,テレビアニメ『まんが日本昔ばなし』の監修などもしているらしい。
この歌では銀座の女を冷ややかに見ているようでありながらチラチラと女に対する理解・優しさが滲み出ているように感じるが,私にはよく解らない。
1)「月光仮面は誰でしょう」(昭和33年,詞:川内康範,曲:小川寛興,唄:近藤よし子,キング小鳩会)
2)「おふくろさん」(昭和46年,詞:川内康範,曲:猪俣公章,唄:森進一)
3)「誰よりも君を愛す」(昭和34年,詞:川内康範,曲:吉田正,唄:松尾和子/和田弘とマヒナスターズ)
4)「逢わずに愛して」(昭和44年,,詞:川内康範,曲:彩木雅夫,唄:内山田洋とクール・ファイブ)
くやしいけれど幸せよ(2017.6.17)
昭和45年,詞:山上路夫,曲:筒美京平,唄:奥村チヨ
「どうにもならない私なの あなたの罪だわ」と始まる歌。
私にとっての奥村チヨの代表曲は後に『執着駅』1)になるのだが,当時は奥村チヨはこのような歌を唄う歌手だと思っていた。
1)「終着駅」(昭和46年,詞:千家和也,曲:浜圭介,唄:奥村チヨ)
経験(2014.1.8)
昭和45年,詞:安井かずみ,曲:村井邦彦,唄:辺見マリ
「やめて愛して無いなら」と始まる歌。「わかっててもあなたの後をついてゆきたいダメなあたしネ」と演歌の代表的テーマの一つををポップス調の曲に仕立ててある。唄い方としては最初の「やめて」の「や」を発声する直前が印象的だった。
この曲から,何かを思い出そうとするのだが,すぐに思いだすのは辺見マリの娘の辺見えみりだ。自分が若かった頃活躍していた俳優・歌手などの息子・娘の時代になってしまっているという感慨しかない。
圭子の夢は夜ひらく(2011.10.1)
昭和45年,詞:石坂まさを,曲:曽根幸明,唄:藤圭子
藤圭子が「十五,十六,十七と私の人生暗かった」と歌う姿と声は衝撃的だった。「新宿の女」から暗い表情で何曲かヒットさせた。人形のように無表情な顔から地獄の底から湧き出たような声は娘の宇多田ヒカルとは全く違う。本人はそんなにネクラじゃないのだろう,何曲かヒットが続くうちに次第に明るい表情を見せるようになっていった。
演歌の元祖といっていいだろう。「演歌」という言葉自体はずっと昔からあったが,現在の意味でこの言葉が使われた元祖という意味だ。現在の意味での演歌に分類してもよい歌も昔からあったのだが,昔は流行歌とか歌謡曲とか言われていて特に演歌と言われていたわけではない。「怨歌」といったのは五木寛之ではなかっただろうか。これ以後「艶歌」などの言葉も以前とは違った意味で使われるようになったのではないか。
大阪万博の年で,三波春夫が「こんにちは,こんにちは,世界の国から」と明るく歌う一方で藤圭子は「よそ見してたら泣きをみた」と歌っていた。
げんこつ山のたぬきさん(2017.4.24)
昭和45年,詞:香山美子,曲:小森昭宏,唄:岡崎裕美
「げんこつやまのたぬきさん おっぱいのんでねんねして」と始まる歌。
子供の手遊び歌。
私が子供の頃には聞いたことが無い比較的新しい歌。
手元には,いつかHPに書くために,ある歌を思い出したときに忘れないためのメモがあるのだが,この歌の項には,『昭和45年,JASRACNo.030-1107-1インターネットより』,『NHKおかあさんといっしょ。』,『唄:山田美也子c1974NETNET系『とべとべパンポロリン』挿入歌』,『作られたのは昭和43年?』と書いてある。しかし出典が未記入なので何が真実かはよく解らない。出典が書いてないのはこれを記入した時に参照しsた資料が一次資料でなかったためだろう。しかし,これらを総合すると,作られたのは昭和43年(今回,香山美子のHPで確認),45年にNHKで使われ,49年には別な歌手が唄いNETで使われたようだ。昭和45年に香山はこれでコロムビア・レコード・ゴールデン・ディスク賞を受賞している。NHKで使われてレコードが売れたことによるのだろうか。
尚,作詞者は児童文学・絵本作家・詩人の香山良子(こうやまよしこ)であり,三條正人の妻で女優の香山美子(かやまよしこ)ではない。
恋あざみ(2024.9.10)
昭和45年,詞:泉淳三,曲:彩木雅夫,唄:勝彩也
「愛しあっても どうにもならぬ 今日という日が 行き止まり」と始まる。
「遠くで倖せ 祈りましょう」という訳だ。何故かというと「あたしはどうせ 夜の花」ということらしい。いかにも昭和の歌だ。
立場が違うので恋愛の資格がないと最初から身を引いてしまうのが昭和だ。古い時代なら,身分が違えば一旦しかるべき家の養女にしてなど,便法はあった。幕末の志士など,女性の職業に関する偏見は無かったようで,明治の元勲にも箱入り娘とはいえない女性を妻にした者が少なくない。
恋狂い(2018.9.4)
昭和45年,詞:なかにし礼,曲:鈴木邦彦,唄:奥村チヨ
「もうこれ以上 じらすのは止めて」と始まる歌。
『恋の奴隷』1)『恋泥棒』2)に続く恋の3部作の3曲目。『恋の奴隷』のヒットを承け、この路線で行こうということなのだろう。確かに奥村チヨのイメージはこれで確定したと思ったが次の曲からはこのトリオは解散し,歌の雰囲気が変わった。再びこの3人が集まったのが『中途半端はやめて』3)で,再び恋の3部作のイメージに戻った。奥村チヨが再び別なイメージを打ち立てたのは『終着駅』4)だ。
1)「恋の奴隷」(昭和44年,詞:なかにし礼,曲:鈴木邦彦,唄:奥村チヨ)
2)「恋泥棒」(昭和44年,詞:なかにし礼,曲:鈴木邦彦,唄:奥村チヨ)
3)「中途半端はやめて」(昭和45年,詞:なかにし礼,曲:鈴木邦彦,唄:奥村チヨ)
4)「終着駅」(昭和46年,詞:千家和也,曲:浜圭介,唄:奥村チヨ)
恋ひとすじ(2018.11.29)
昭和45年,詞:藤田まさと,曲:猪俣公章,唄:森進一
「一度こうだと決めたなら 決めたとうりでどこまでも」と始まる歌。
全くの個人的印象だが,藤田・猪俣・森と並んだ中で,この歌は藤田の特徴が最もでているように感じる。3人の年齢の差がでているようにも思う。
ざんげの値打ちもない(2016.1.6)
昭和45年,詞:阿久悠,曲:村井邦彦,唄:北原ミレイ
「あれは二月の寒い夜 やっと十四になった頃」と始まる歌。
「ざんげの値打もないけれど 私は話してみたかった」と終わる。詞が過去の懺悔になっているのだ。
北原ミレイは私の評価では歌手としては藤圭子と同系統で,藤と甲乙つけがたいレベルの歌手だが,歌と売り出し方が藤のほうが少し上だったのではないだろうか。
この歌詞は阿久悠の詞としては私は高評価をつけない。
私生活(2015.9.20)
昭和45年,詞:安井かずみ,曲:村井邦彦,唄:辺見マリ
「止めて! 二人だけの時を」と始まる歌。
『経験』1)は『やめて 愛してないなら』と始まるが,どちらも最初の三文字はドレミと始まるので似ている感じを受ける。最初の音は「止」は『下一点イ(A−)』,『や』は『二(D)』なので『経験』のほうが少し出だしの音は高い。また,歌詞の最初の3文字にあてられた音符の長さも『経験』では8分音符・8分音符・4分音符なのに対し「私生活」では8分音符・4分音符・8分音符+2分音符なので「私生活」のほうが大分長い。私の音感では聞いて区別するのは至難の業で,耳で聴いて覚えて自分で唄うと同じになってしまう。
この「私生活」で辺見マリは紅白に初出場した。
しかし,辺見マリより年上の私でも,娘の辺見えみりの方が親しみを感じるほど年月が経ってしまった。
1)「経験」(昭和45年,詞:安井かずみ,曲:村井邦彦,唄:辺見マリ
知床旅情(2012.5.24)
昭和45年,詞:森繁久弥、曲:森繁久弥、唄:加藤登紀子
「知床の岬にハマナスの咲く頃」で始まる第13回レコード大賞歌唱賞受賞曲。
題名どおり旅人の歌である。一時的な滞在で,「飲んで騒いで」「今宵こそ君をだきしめんと」すると「ピリカが笑う」。「ピリカ」とはアイヌ語で「美しい」ということらしい。直接の記述はないが(恐らくアイヌの)美しい娘ということだろう。「笑って」抱擁に応えたのだろうか,すり抜けて微笑んだのだろうか,笑い飛ばしたのだろうか。
「遊女は客に惚れたといい客は来もせず又来るという」1)という関係ではなさそうだが,「思い出しておくれよ」とか「わすれちゃいやだよ」とかいうのは一時的な関係だということだ。双方がそのように理解しているなら第三者としての私には特に言うこともないのだが。
この曲のメロディーは素晴らしい2)。歌詞も悪くはないが,旅の途中のアバンチュールという感じで,私の心には響かない。
1)篠田実:「紺屋高尾」(浪曲)
2)私にとって素晴らしい曲の多くは,半音痴の私にも唄いやすいリズムとメロディーの曲だ。
白い蝶のサンバ(2014.12.5)
昭和45年,詞:阿久悠,曲:井上かつお,唄:森山加代子
「あなたに抱かれてわたしは蝶になる」と始まる歌。このフレーズが何度も繰り返されるが,当時の歌としては「あなたに抱かれて」の箇所がかなり早口に感じる。
ほんの少し前の『花と蝶』1)では『花が女か男が蝶か』と歌われており,花から花へと飛び回る蝶は男のイメージだった。ところがこの歌では女が蝶だ。これが阿久の独創的な所だろう。「死んで行くのよ蝶々のままで」とか「はかないいのち」などとあるのは蝉と混同しているのではないかとも感じるが,「あなたに抱かれて私は蝉になる」では詩的でないとの判断なのだろう。
森山はこの歌で8年振りに紅白出場を果たした。
1)「花と蝶」(昭和43年,詞:川内康範,曲:彩木雅夫,唄:森進一)
白い鳥にのって(2016.5.18)
昭和45年,詞:北山修,曲:杉田二郎,唄:はしだのりひことシューベルツ
「白いつばさの鳥に乗り 恋は舞いあがる」と始まる歌。
ファンタジーだ。
「二人はやがて星になるのさ」とはどのような意味なのだろうか。やがて死んでしまうというようなことを言っているのではない。「空にかがやき」とあるので,スターとなることを夢見ているのだろうか。「二人だけでくらすのさ」とあるので聴衆や観衆は意識していないようだ。「誰もしらない小さな星で」というのは現実からの逃避願望を表しているのではないだろうか。「星になる」とは無数にある星の一つとなって目立たずに生きて行こうという思いではなかろうか。
昭和45年の日米安全保障条約延長に反対する運動はベトナム反戦運動,沖縄返還運動,成田空港問題,大学授業料値上げ反対運動等と渾然一体となり,盛り上がりを見せていたが,過激派の登場とセクト間の抗争もあり,学生運動としては昭和44年の東大安田講堂事件がピークだった。昭和45年にはまだ多くの大学で紛争は残っていたが,行動すれば何かが変わると信じる学生の数は減ってきていたと感じる。
その結果としての「二人だけでくらすのさ」なのだろうか。
自由の女神(2018.12.27)
昭和45年,詞:なかにし礼,曲:三木たかし,唄:黛ジュン
「幸せの後を 悲しみがおうの 悲しみの後には 一人の私」と始まる歌。
「私の心に ぽっかりとあいた 小さな穴から 青空が見える」という状況のようだ。このような状況での妄想の歌。「奪われてみたい 私の自由を」というのがこの女性の願望なのか作詞者の妄想なのかは私にはわからないが,タイトルがなぜこうなったのかを理解させてはくれる。
人生一路(2023.9.18)
昭和45年,詞:石本美由起,曲:かとう哲也,唄:美空ひばり
「一度決めたら二度とは変えぬ これが自分の生きる道」と始まる。
詞は演歌なのに曲は演歌じゃないので違和感を持つ。しかしこれは私の中で『演歌』という言葉の意味が固まった後の感想かもしれない。
『演歌』は以前日本調歌謡曲と呼ばれていたジャンルの一部である。五木寛之は昭和41年に『艶歌』を発表し,日本調歌謡曲の一部に特徴的なジャンルがあることを示した。昭和44年デビューの藤圭子が『怨歌』を歌い『演歌の星を背負った宿命の少女』というキャッチコピーで売り出され,『演歌』という言葉の現代的意味がきまったのだ。
『演歌』が現代用語の基礎知識に初めて項目としてたてられたのが昭和45年だから,この頃の『演歌』という言葉の意味は私の中ではまだ完全には定まってはいなかったのだろう。『演歌』とは何かのカテゴライズができていないので,この歌を聴いても特に違和感がなかったのだろう。
姿三四郎(2017.5.17)
昭和45年,詞:関沢新一,曲:安藤実親,唄:姿憲子
「やれば出来るさ 出来なけりゃ 男はもう一度 やり直す」と始まる歌。
「決めた以上は 行け・・・行け・・・夜明けの光が 見えるまで」とスポ根歌とでも言えるような歌。最後は絶叫ではないがときどき(意図的にか)声が割れるような唄い方をして根性を強調していたように聞えた。
日本テレビ系のテレビドラマ「姿三四郎」(主演:竹脇無我)の主題歌。
「姿三四郎」は富田常雄の小説で,昭和18年の黒澤明作品をはじめ何度も映画化されている。昭和45年にも竹脇の主演で映画も制作されている。映画で三四郎を演じた俳優に,藤田進,波島進,加山雄三,三浦友和などがいる。もちろん,テレビドラマも何本もあり,これらで三四郎を演じたのは,牧真介,舟橋元,倉丘伸太郎,竹脇無我,勝野洋,加藤成亮などである。
村田英雄もこの歌と同じ作詞・作曲の「姿三四郎」1)とのタイトルのテレビドラマ主題歌を唄っているが,この歌とは異なる歌だ。
1)「姿三四郎」(昭和38年,詞:関沢新一,曲:安藤実親,唄:村田英雄)
空よ(2014.2.15)
昭和45年,詞:難波寛臣,曲:難波寛臣,唄:トワ・エ・モワ
「空よ水色の空よ」と始まる歌。
男女のデュエットで爽やか系の代表はチェリッシュとこのトワ・エ・モワだろう。ヒデとロザンナだと爽やかというより・・・ヒデとロザンナの曲のところで語ろう。
爽やかで良い曲だが,スナックでヨッパライが唄うには場違いな選曲といえそうだ。
爽やかな歌に対して変人が文句をつけてケシカランといわれるのを承知で,話題提供を一つ。
空の色は「水色」ではなく「空色」ではないか。「空」を「海」に変えれば「海よ空色の海よ」となり,海には空が映っているので文学的にも科学的にも空色で正しい。もっとも,科学的には「空色」とか「水色」という言い方はしない。科学的?にはニュートンが命名した?赤橙黄緑青藍紫の七色が有名かもしれない。
ニュートンは光をその波長で7色に分類したが,虹を7以外の種類の色に分類して表現する民族はいろいろあるようだ。現実のものの色は単一波長の光ではなく,連続的に分布する波長の光の組み合わせで決まっているのでこの組み合わせは何万種類もある。昔のカラーデイスプレイには○万色が表現できるなどということを宣伝文句にしていたものがあったが,結局は3原色しか使っておらず,これを1色あたり8ビットのデータを使えば256 通りの強度が表現でき,3色の組み合わせて言えば2563=16777216種類の色を表現できるというのに等しい(他にも工夫があるのだろうが,秘密なのかカタログ等にはその技術が示されていない)。これだけの色の種類が表現できても,人間はこれらの色を区別できない。また,ほぼ連続の波長分布だが,一部の波長のみ欠落しているような光は十分表現できない。例えば金色である。黄金色というくらいだから黄色に近いのだが,単に黄色というのとは違う。より正確に色を表そうとしても適切な言葉がなく,その物自体の名を挙げることになる。萌葱色などというのはその物を知っていればあの色かと微妙な色合いが伝わる。多くの言語にこのような色の表現方法がある。しかし,萌葱を知らなければどんな色かは皆目わからない。ニュートンの偉大さのひとつは,これらを整理してある程度の色合いが想像できるようにしたことである。
空の色はレイリー散乱で説明できる。レイリー卿は大気の屈折率揺らぎが太陽光の直進性を乱す度合いを計算して波長の短い(紫に近い)光が波長の長い(赤に近い)光より乱されやすい(散乱されやすい)ということを見出したのだ。太陽光が直進するとすれば,太陽自体を見ないと(光が強すぎ眼に障害を与えるので見てはいけない)光は見えないはずで,太陽以外の方向には暗黒の宇宙が広がって見えるはずだが,太陽の光が大気で散乱されている(散乱されるのは青や紫の光が多い)ので暗黒の宇宙ではなく大気による散乱光が眼に入るのだ。水色も同じだが,水による散乱ということになる。原理は同じだが,水の場合は水面での光反射もあるので色あいが空とは違って見え,水平線が区別できるのだ。もちろん,大気や水に不純物が混じれば色合いは違ってくる。
「空の青海の青」1)と歌われた時期もあり,「東京の空灰色の空」2)と歌われた時期もある。大気汚染を防止し,美しい空を後世に残すことは現代を生きる者の責務であろう。
1) 若山牧水:「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」(明治41年,海の声,生命社・・若山が住んでいた下宿:自費出版)2
2) 「智恵子抄」(昭和39年,詞:丘灯至夫,曲:戸塚三博,唄:2代目コロムビア・ローズ)
大勝負(2016.6.28)
昭和45年,詞:関沢新一,曲:安藤実親,唄:水前寺清子
「一つ男は勝たねばならぬ」と始まる歌。
「三つ男は泣いてはならぬ」などとある。ジェンダー問題が盛んに議論されるようになった後からはこのような表現も注意深く避けるようになった人も居るように思うが,ウーマンリブ運動が盛んだったこの当時でもまだこの歌詞がハラスメントの一種などと言われることはなかった。NHK紅白で三度(昭和45,50, 57年)唄われている。
タイトルは『おおしょうぶ』のような気もするが,「ダイショウブ」だと水前寺が言っている。
『大赤字』『大一番』『大相撲』『大馬鹿者』などは『おお』だが『大観衆』『大逆転』『大災害』『大爆発』などは『ダイ』だ。基本的には訓読みあるいは当て字の語の前ならば『おお』で音読みの語の前に付けば『ダイ』なのだろう。『大サーカス』などのカタカナ語も音読みに準じている。『大福もち』は『フク』が音読みなので『ダイフク』となるのだろう。
誰かさんと誰かさん(2015.1.20)
昭和45年,詞:なかにし礼,曲:スコットランド民謡,唄:ザ・ドリフターズ
「誰かさんと誰かさんが麦畑」と始まる歌。
原曲の邦題は『ライ麦畑を通り抜け』,日本では『故郷の空』という題で,替え歌というか,別な歌詞で唄われている。
最初は「僕には相手が無いけれど いつかは誰かさんと」と歌っているが,最後は「僕だってミヨちゃんと麦畑」とハッピーになっている。
ザ・ドリフターズはコミック・バンドだろう。バンドというよりコミック・グループと言ったほうが良いのかもしれない。似たようなコミック・バンドにはハナ肇とクレージー・キャッツがあった。ドンキー・カルテットもいたが,ドンキーは横山ホットブラザースやかしまし娘に近いかもしれない。最少人数というのが牧伸二のウクレレ漫談だろう。昔は音楽を使ったお笑い芸人がいた。
昔と言ってしまったが,今でも音楽系の芸人はいる。
誰もいない海(2015.10.11)
昭和45年,詞:山口洋子,曲:内藤法美,唄:トワ・エ・モワ
「今はもう秋 誰もいない海」と始まる歌。
良い歌だとは思うが,トワ・エ・モワには『或る日突然』1)などのほうが良く似合う。と感じるのは歌詞のせいだろう。「つらくても」,「淋しくても」,「ひとりでも」とあるので山室英美子一人で唄ったほうが淋しさなどがよく表現できるのではないだろうか。もちろん芥川澄夫が独りで唄ってもいいのだが,二人で唄うと淋しさが感じられなくなる。
なお,山室は後に白鳥と改名した。
誰もいない海(2017.2.7)
昭和45年,詞:山口洋子,曲:内藤法美,唄:トワ・エ・モワ
「今はもう秋 誰もいない海」と始まる歌。
アンハッピーな情況にもかかわらず,「つらくてもつらくても」,「淋しくても淋しくても」,「ひとりでもひとりでも」「死にはしないと」と前向きに生きて行こうという心の強さが感じられ,このようにありたいと思う詞である。
『つらくて死にそう』とか『死にたい』との弱音ではなく,たとえ強がりであったとしても自分に言い聞かせることによってこそ再起が可能だろう。
美しい声でこのような詞を聴くと,悟りを開けばこのような境地に至ることができるのかとも思うが,まだまだ煩悩に悩まされている。
ちっちゃな恋人<My Little Darling>(2019.6.8)
昭和45年,詞:なかやままり,曲:井上かつお,唄:Jimmy Osmond
「ぼくはきみを きみはぼくを ほんとにすきと かんじていたね」と始まる歌。
ジミー・オズモンドは3才のころからオズモンド・ブラザーズの一員として活動している。この年7才だろうか。歌詞は日本語だが,米国で録音され日本コロンビアから発売された。当時のオズモンド・ブラザーズはCBS(日本ではCBS・ソニー)の専属だったが,ジミー個人はこの専属契約には縛られていない。
ジミーがこの歌詞の意味を理解していたかどうかは不明だが,このような歌を子供に唄わせるべきではないと思う。もちろん,それほどひどいという訳ではなく,人によっては微笑ましく聞く人もいるかもしれない。唄わせるべきでないという意味は禁止すべきだという意味ではない。私自身も子供の頃,PTAから顰蹙を買うような流行歌を意味も解らず唄っていた。唄わせるべきではないと言うのは,商業目的でわけのわからない子供を利用するのはいかがなものかと言いたいのだ。
何か,子供の頃の美空ひばりが大人の歌を唄うのを非難していた大物歌手のような雰囲気になってしまった。結局,誰が何と言っても,能力のある人はその能力を開花させる。
詰め込み教育は創造性を押さえつけるから良くないなどという議論は疑問であって,いろいろ押さえつけられても伸びてくるのが真の創造性・才能ではないだろうか。
中途半端はやめて(2017.6.9)
昭和45年,詞:なかにし礼,曲:筒美京平,唄:奥村チヨ
「中途半端はやめて」と始まり,「責任とって あなたも男なら」と終わる歌。
詞はなかにしが奥村のイメージに合わせて書いたのだろう。曲は筒美に対する期待を裏切らず,昭和40年代歌謡曲のど真ん中だ。
ついて来るかい(2014.4.4)
昭和45年,詞:遠藤実,曲:遠藤実,唄:小林旭
「ついて来るかい何も聞かないで」と始まる歌。
「身体の弱い君なのに 苦労をかけてすまないね」の「身体」の「か」や「すまないね」の「ね」などの高音が小林の良さだと思う。遠藤は歌手として小林旭を想定してこの曲を書いたのだろう。他の歌手がこの歌を唄うことが想像できないほど小林にあった歌だ。付け加えれば,デビュー当時の若い頃の細身の小林ではなく,今のような太った小林でもなく,昭和45年当時の小林旭がベストだ。
月に吠える歌(2019.11.26)
昭和45年,詞:星野哲郎,曲:叶弦大,唄:小林旭
「俺を探さないでおくれ 愛していないじゃないけれど 恋は終わった」と始まる歌。
「旅にでるのさ」と別れの歌だ。
萩原朔太郎の詩集『月に吠える』1)の中の詩のひとつ『みしらぬ犬』は『さびしい空の月に向かって遠白く吠えるふしあはせの犬のかげだ』と終わる。この詩は運命の姿を現しているとの解説を読んだことがある。この歌詞は萩原の詩と無関係とは思えないが,星野は萩原の詩をどのように解釈してこの詞をかいたのだろうか。
1)「月に吠える」(萩原朔太郎,大正6年)
手紙(2015.5.8)
昭和45年,詞:なかにし礼,曲:川口真,唄:由紀さおり
「死んでもあなたと暮らしていたいと」と始まる歌。
第12回日本レコード大賞歌唱賞受賞曲。別れの手紙である。
「何が悪いのか」「だれのせいなのか」「今もわからない」「もう一度生まれて やり直したい」と心は十分以上に残っているようだが,最後は自分のことはいいから「あなたの未来を見つめてほしい」と手紙を書くのだ。
なかにし礼はほかにも『私のどこがいけないの それともあの人が変わったの』1)と理由がわからず別れることになった詞を書いている。由紀さおりには心を残しながらも決断する詞を書き,いしだあゆみには決断できず途方にくれる詞を書いたのだ。私は由紀もいしだを個人的に全く知らないが,画像等でみる印象から言えばなかにしの選択に私も同感する。
哀しい詞なのにメロディーは軽快だ。軽快なメロディーにもかかわらず高音部で細く出された由紀の声からは胸に秘めた哀しみが滲みでている。
1)「あなたならどうする」(昭和45年,詞:なかにし礼,曲:筒美京平,唄:いしだあゆみ)
ドリフのほんとにほんとにご苦労さん(2016.1.28)
昭和45年,原詞:野村俊夫,替詞:なかにし礼,曲:倉若晴生,唄:ザ・ドリフターズ
「ほんとにほんとにほんとにほんとにご苦労さん」が繰り返される歌。これから始まってはいるが,これは掛け声だとすれば「いやじゃありませんか花子さん」が歌詞の始まりだろう。
原曲は『ほんとにほんとにご苦労ね』1)。但し,時代が違い歌詞のスピードが(部分的に)倍になっている。つまり,原曲では『ほんとにほんとにご苦労ね』と唄っている箇所の『ほんとに』をドリフは「ほんとにほんとに」と倍速で唄っている。しかし,原曲の歌詞は『楊柳芽をふくクリークで』と始まる。原曲には『軍隊小唄』2)と呼ばれる替え歌があり,『いやじゃありませんか軍隊は』と始まるので,ドリフの歌はこの歌の替え歌という方がよいかも知れない。
ザ・ドリフターズは音楽的にはコミック・バンドだろう。この歌もコミック・ソングの一種だ。PTA的には下品という評価になるのだろうが,大人の下品ではなく,小児の下品嗜好に合わせているように思う。
1)「ほんとにほんとにご苦労ね」(昭和14年,詞:野村俊夫,曲:倉若晴生,唄:山中みゆき)
2)「軍隊小唄」(昭和19年,詞:不詳,曲:倉若晴生)
長崎ごころ(2022.7.8)
昭和45年,詞:酒井好満,曲:野田孝一,唄:ジ・アーズ
「むなしい恋と泣きました 想い出しては泣きました」と始まる。
典型的なムード・コーラス。場面は定番の雨の長崎。ボーッと聞いていると他の似た曲と混同してしまうかも知れない。
『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』を観ているときのように,偉大なるマンネリが心地よい。
長崎の夜はむらさき(2014.5.14)
昭和45年,詞:古木花江,曲:新井利昌,唄:瀬川暎子
「雨にしめった賛美歌の」と始まる歌。
別れた・・・恐らくは一方的に去っていった・・・男を思い出している女の歌だろう。過去のこととして,想い出として思い出しているのではなく,今尚こころの奥で探し続けている気持ちを歌っているが唐突に「ああ 長崎 長崎の 夜はむらさき」と終わる。
論理的には「長崎の夜はむらさき」の意味が理解できないが,瀬川の声で突然このような言葉が発せられると,女が感じている人生の不条理を表しているのではないかなどと感じてしまう。
悩み多き者よ(2016.8.5)
昭和45年,詞:斉藤哲夫,曲:斉藤哲夫,唄:斉藤哲夫
「悩み多き者よ時代は変わっている」と始まる歌。
歌唱は典型的なメッセージフォークだ。時期的に大学紛争の挫折に関連しているのだろうが,放送では流れなかったのではないか。当時聞いたことはない。私が聴いていた番組で流されなかっただけかも知れないが。
「あゝ生きる道を誰でもが忘れてるのさ 暗い歴史の陰に埋もれてはいけない」などと唄っているが,誰もが自分と同じように考え感じていると思い込んでいるようで共感できない。自分が悩むのは良い。単に自分の悩みを唄うなら共感できるかもしれないが,なんとなく高みから説教を垂れているように感じられる。自分のことは自分で決める。ほっといてくれと言いたい。
走れコウタロー(2015.6.7)
昭和45年,詞:池田謙吉,補作:前田伸夫,曲:池田謙吉,唄:ソルティー・シュガー
「これからはじまる大レース」と始まる歌。
サラブレッド「コウタロー」はスタートで出遅れ,そのままズルズルとおいていかれるが,歌では2番と3番の間に長い台詞がある。
台詞の前半は当時の美濃部都知事の口調をまねて「エーこのたび,公営ギャンブルを,どのように・・・」と始まるのだが途中で「本命はホタルノヒカリ,穴馬はアッと驚く大三元」とレースの予想になる。
台詞の後半はレースの実況中継である。「第2コーナーをまわったところで,先頭は予想どおりホタルノヒカリ,さらに各馬一団となってタメゴロー,ヒカルゲンジ,リンシャン,カイホー,メンタンピンドライチ・・・」と続く。「アッと驚く大三元」は何位か不明だ。
ところで,「タメゴロー」というのはハナ肇のギャグで当時流行していた『アッと驚くタメゴロー』から来ているのだろう。「ヒカルゲンジ」はもちろん源氏物語からとられたものだろう。アイドルグループの光GENJIは昭和62年以降だ。私の印象では「ホタルノヒカリ」の縁語として採用されたのだと思う。馬名はここに挙げた麻雀の役名以外にも続いている。
最後の直線でコータローが出てくる。「コータローが追いつくかホタルノヒカリが逃げきるか。コータローかホタルノヒカリかマドノユキ,あけてぞけさは別れ行くー」と長い台詞が終わる。最後は『蛍の光』の歌詞である。
3番では「いつしかトップにおどり出て ついでに騎手まで振り落す」。
この歌は台詞を聞かせどころとするコミックソングだとは思うが,曲も競争の雰囲気がでている。台詞なしなら運動会の徒競走のときにかかっていてもおかしくない。「走れ走れコウタロー」が「走れ走れ走れコウタロー」になり,最後のリフレインでは「走れ走れ走れ走れ走れコウタロー」と「走れ」の箇所が最初の倍速になっているなど,最後の直線でのコウタローの差し脚の雰囲気がでている。
なお,このコウタローはメンバーの山本厚太郎からとったもので,この山本は後に『ウィークエンド』で活躍する山本コウタローである。
波止場女のブルース(2019.3.20)
昭和45年,詞:なかにし礼,曲:城美好,唄:森進一
「あなたの生命(いのち)の半分に なってはなさずどこまでも」と始まる歌。
「情けあるなら捨てないで」と一時流行した女性観?の歌。なかにしがこのような詞を書くとは意外な気もするが,なかにしもこのような歌が流行った時代に生きていたのだから不思議ではないのかもしれない。森の歌としては違和感なしなので,歌手に合わせて作詞したのかもしれない。
娘道成寺や八百屋お七ほどではないようだが・・・。
花のメルヘン(2021.7.9)
昭和45年,詞:敏トシ,曲:敏トシ,唄:ダークダックス
「これはね,ママにきいたおはなしなの。大きいお花と,小ちゃいお花がありました。」と子供の台詞から始まる。
歌は「むかし むかし そのむかし」と始まる。
並んで咲いている大きな花は美しく,娘たちが次々とやって来るが小さな花は一人ぼっち。
大きな花は小さな花に「生きてることの楽しさは おまえにゃわかるまい」というと小さな花は「たとえ一人ぼっちでも 僕には心の太陽が いつも輝いている」と答える。
二つの花は「春の想いに 胸をふくらませる。」
メルヘンらしいメルヘンで,こういう歌も悪くない。
ビューティフル・ヨコハマ(2018.4.18)
昭和45年,詞:橋本淳,曲:筒美京平,唄:平山三紀
「ヨコハマヨコハマ素適な男が ヨコハマヨコハマいっぱいいるわ」と始まる歌。
「ミツオにサダオ」「ジローにジョージ」「ハルオにゼンタ」といっぱい素適な男がいるが,「それでも私 もう恋しない」という歌。
「もう恋しない」のは,「あなたのためにこの髪だって黒く染めたの」という訳だ。
羅列されている男性名が当時流行っていたようには思わない。
ふたりの関係(2017.7.24)
昭和45年,詞:橋本淳,曲:中村泰士,唄:ヒデとロザンナ
「ふたりの間には 愛があると言うの」と始まる歌。
当時の歌謡曲にはいくつかのパターンがあったが,この曲もそのひとつ,前奏を聴くだけで当時の歌謡曲が甦る。
歌謡曲と言えば和風のものが多く,流行歌と呼ばれていた時代から欧米ポップス風の歌謡曲が生まれ,GSが分離し,別に生まれたフォークが反戦とかカレッジなどいくつかの分派に別れ,和風歌謡曲の一部が演歌と呼ばれるようになりはじめたこの時期,この歌は正当和風歌謡曲に欧米風味を加えた歌謡曲の中道をいくものではないかと思うのだが,他のジャンルが盛んになり,この中道は既に細い道になっていた。曲は中道だが,詞は新しいものを捜して模索中というところだろうか,ロザンナの歌声は中道を少しはみ出している。
ふりむかないで(2013.9.3)
昭和45年,詞:池田友彦,曲:小林亜星,唄:ハニー・ナイツ
「泣いているのか笑ってるのか」とはじまる歌。シャンプーのテレビコマーシャルで,後髪美人の後を追いながらこの歌が流れていた。「ふりむかないで東京の人」と唄が流れる中で,画面では後から声をかけ,振り向かせる。そんなコマーシャルフィルムだった。ロケ地により歌詞が異なる。つまりご当地ソングでもある。レコードには東京・札幌・仙台・名古屋・大阪・博多の6番までしかないが,全国72都市分作られたらしい。
バックシャン1)という言葉があったが,テレビで放映されていたのは振り向いたあとも後姿とのギャップがない女性ばかりだった。
1) バックシャン: シャンはドイツ語のschöne Mädchenの略であろう。正確な意味は知らないが,概ね「美しい少女」というような意味だ。ドイツ語を習い始めるとこのような単語から覚えていく。日本式に発音するとシェーネメッチェンだ。これから「シャン=美人」という言葉が生まれたのだろう。デカンショ節にも「シャンはシャンでもおばあシャン」という詞がある。バックは英語のbackだと思う。ドイツ語なら何というか知らないがRückenなどを使うのではないか。いずれにせよ,「バックシャン」というのは日本語で,後姿が素敵な女性という意味。「後姿のほうが」というニュアンスがあるかもしれない。シャンの基準というものはない。好みの問題であり,好みは人により千差万別。だからこの世は巧く廻っている。
ふりむかないで(2016.2.20)
昭和45年,詞:池田友彦,曲:小林亜星,唄:ハニー・ナイツ
「泣いているのか笑っているのか うしろ姿のすてきなあなた」と始まる歌。
シャンプーのCMに使われていた。最後に「振り向かないで東京の人」と地名が入る。各地で街頭インタビューしていたのだ。もちろん途中はその都市に合わせたご当地ソングになっている。
東京,札幌,仙台,名古屋,大阪,博多と始まり,最終的には72都市分あるらしい。
CMに登場した一般(?)女性はほとんどが驚いた顔で振り向き,その後笑顔になっていた。編集の結果もあるのだろうが,「うしろ姿のすてきな」と認められたことによろこびを感じた人が多かったのだろう。
へんな女(2015.11.2)
昭和45年,詞:浜口庫之助,曲:浜口庫之助,唄:水原弘
「ウパウパティンティン ウパウパティン」とコーラスが繰り返され,「へんな女に会いました」と始まる歌。
水原弘といえば『黒い花びら』,しばらく聴かないと思っていたら『君こそわが命』と,こういうタイプの歌を唄う歌手だと思っていたが,この曲を聴いたときにはコミックソングのように聞こえたので驚いた。これは浜口庫之助のセンスだろう。ハマクラの数々の曲は同一人物が作った曲とは思えないほど多様性に溢れている。この歌は「へんな女」に惚れる歌だが,ハマクラ自体が変人なのではないだろうか。変人に見えるほど多才だということだ。
多くの人の顔を重ね合わせていくと次第に美人になるとのことである。万人が美人だと認めるのは平均的な顔ということらしい。顔以外でも恐らく同じなのだろう。平均的な性格が良い性格と思われるのだろう。美人の標準が時代と地域で異なることは平均をとる母集団の違いから説明されるのだろう。
一方,平均からのずれを好むという面もある。「ヘン」だと思うことは関心をもつことであり,惚れる前には関心をもつことが必要なので,まずは第一関門突破だ。「あたしのような へんな女 どこがいいのよ」といわれているが,その「ヘン」さに関心を持ったのだからしかたがない。
自分が少し「ヘン」かと思っている人がいるかとも思うが,その「ヘン」さが反社会的な「ヘン」さでない限り,その「ヘン」さは個性として許容されるだけでなく,その「ヘン」さに好感を持つ人もいるはずだ。
このようなことは普通のことだが,ハマクラの才能はこの普通のことをズバッと言うことだろう。
1)「黒い花びら」(昭和34年,詞:永六輔,曲:中村八大,唄:水原弘)
2)「君こそわが命」(昭和42年,詞:川内康範,曲:猪俣公章,唄:水原弘)
望郷(2016.9.5)
昭和45年,詞:橋本淳,曲:猪俣公章,唄:森進一
「女心のふるさとは 忘れたはずの男の胸よ」と始まる歌。
メロディーとしてはサビではないのだろうが「爪をかむのは誰のため しのび泣くのは誰のため」が印象に残っている。しかし,全体としてはあまり納得できない歌詞だ。どこがと問われても具体的に指摘できないのだが何となく違和感が残る。
マークU(2016.10.7)
昭和45年,詞:吉田拓郎,曲:吉田拓郎,唄:よしだたくろう
「さよならが言えないでどこまでも歩いたね」と始まる歌。
じゃあまた明日,という別れではなく,「別れたくないのに冷たいこの世界」と,諸般の事情で別れざるを得ないという歌だ。もう少し前だと,後から振り返り,あの時別れるべきではなかったと後悔している歌が多かったような気がするが,この歌では現在進行形で別れるところだ。
詞には「マークU」は現れない。当時「マークU」と言えばトヨタ車だ。クラウンの少し下のグレードと言えばよいのだろうか,中型車ではやや高級車だった印象がある。この車とこの歌の関係は解らない。インターネットにこのタイトルに関する記事を発見することはできるが,真偽は不明だ。
曲はボサノバだろうか。フォーク調の編曲バージョンも聴いたことがあるが,フォーク調のほうが私の好みに合う。
もう恋なのか(2014.6.22)
昭和45年,詞:浜口庫之助,曲:浜口庫之助,唄:にしきのあきら
「恋というもの知りたくて」と始まる歌。にしきのあきらのデビュー曲で第12回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞した曲である。
最後に「ああ この淋しさは もう恋なのか」と二回繰り返して終わる。二番,三番も同じ形式だが,「淋しさ」が「むなしさ」,「悲しみ」と変わる。
私の感想は浜口にしては難解な歌詞だというものだ。状況が理解できない。ハッピーな歌ではなさそうだということだけは何となく感じるが,独り相撲のような印象も受ける。実際の恋ではなく,恋に恋していることを表現しているのだろうかとも思う。しかし,そうだとしたらこの頃の「にしきの」では少し年をとりすぎているように思う。
酔いどれ女の流れ歌(2016.11.6)
昭和45年,詞:みなみらんぼう,曲:みなみらんぼう,唄:森本和子
「酔いどれ女が今夜も一人」と始まる歌。
「惚れた男に 生命を預けて」いたはずなのに「消えた男にゃ未練はないが」と言いつつ飲んだくれている。
『命かけてと誓った日から』1)などのように本気で命を懸けているようには思えない(そのとき,本人はそう思っているのかもしれないが)『命懸け』が多すぎるような気がして仕方がない。昔…戦国時代のような本当の昔…少なくとも第二次大戦以前は命懸けと言えば本当に命懸けだった。当時は平均寿命も短く,命の価値が低かったのだろう。ところが,戦後命の価値が高まった。にもかかわらず『命』という言葉の重みは低下した。軽い気持ちで命に係わる言葉を口にする者が増えたのではないか。私は『命懸け』などの言葉を安易に使う風潮には反対だ。
『あんな女にゃ未練はないが なぜか涙が流れてならぬ』2)などと強がってみせる男は昔から多い。涙を流さなければ,男の体面が未練はないと言わせる場合もあるだろう。しかし,この詞は女歌で,女性が「未練はない」といいながら飲んだくれているのだ。女性と言えば清姫が蛇に変身し安珍を焼き殺すまで追いかけるというイメージもあるが,『わすれられない私がバカね』3)とか「バカだな バカだな だまされちゃって」4)などと自責というか自虐の時代があり,強がりの時代になってきたようだ。女権拡張の先駆けのようにも感じられる。
1)「あの素晴らしい愛をもう一度」(昭和46年,詞:北山修,曲:加藤和彦,唄:加藤和彦と北山修)
2)「人生劇場」(昭和13年,詞:佐藤惣之助,曲:古賀政男,唄:楠木繁夫)
3)「涙の連絡船」(昭和40年,詞:関沢新一,曲:市川昭介,唄:都はるみ)「
4)「新宿の女」(昭和44年,詞:石坂まさを,曲:石坂まさを,唄:藤圭子)
四つのお願い(2013.10.21)
昭和45年,詞:白鳥朝詠,曲:鈴木淳,唄:ちあきなおみ
「たとえば私が恋を恋をするなら」と始まる唄。「四つのお願い」と言いながら,1番から3番まであるので結局12のお願いになっているかと思うと,2番以降は二つ・三つと数え上げるのにそれぞれがお願いの形になっているわけではないようだ。
ちあきなおみにはこの歌より『恋の奴隷』1)などのほうが合いそうな気がする。代わりに奥村チヨにこの歌を唄わせたい。ちあきなおみなら『喝采』2)のほうが好きだ。
1) 「恋の奴隷」(昭和44年,詞:なかにし礼,曲:鈴木邦彦,唄:奥村チヨ)
2) 「喝采」(昭和47年,詞:吉田旺,曲:中村泰士,唄:ちあきなおみ)
老人と子供のポルカ(2012.9.21)
昭和45年,詞:早川博二,曲:早川博二,唄:左卜全とひまわりキティーズ
「たすけてー」という叫び?があり,「やめてケレやめてケレやめてケーレゲバゲバ」と始まる歌。「ゲバ」はゲバルトであり,当時の流行語であろう。闘争時に使用する棒がゲバ棒で,セクト内の武力闘争が内ゲバだった。「やめてケレジコジコ」とか「やめてケレストスト」などとも歌われており,事故やストライキも頻繁にあったのだろうか。確かに,1月には日本医師会が全国一斉休診などをやっている。
ベトナム,安保,公害,事故,いろんな問題があった。三島由紀夫が自衛隊東部方面総監部で割腹自殺したのはこの年である。
別れたあとで(2016.12.5)
昭和45年,詞:白鳥朝詠,曲:鈴木淳,唄:ちあきなおみ
「『あそびにしよう』とあなたが言った」と始まる歌。
「それで終わった」はずなのに「愛していると わかったことが 遅すぎたのね」という歌だが,当時の私にはちあきの歌唱の良さを認識できていなかった。単にけだるそうに唄っているだけで,もっと悲しそうに唄ったほうが良いと思っていた。しかし,今聴くと高音部などから特に大人の想いが伝わって来る。詞の内容にあった歌唱だ。
但し,詞の内容にはあまり共感するところはない。
私が生まれて育ったところ(2012.7.27)
昭和45年,詞:聖川湧,曲:聖川湧,唄:野路由紀子
「私が生まれて育ったところはどこにもあるような」と始まる。失恋してしまい,子供の頃に戻りたい,「今度は生まれてくるとき男に生まれたい」とも言ってみるが「むりかしらむりなのね」と諦めの歌だ。
昭和の歌と平成の歌の大きな違いのひとつは歌詞の聞き取りやすさではないかと思う。この歌など,もっとぼそぼそ唄う可能性もあるかとも思うが,野路由紀子は歌詞を極めて明瞭に発音して唄っていて,私は好きだ。
「男に生まれたい」それでも「女に生まれたことがときどき幸せと」感じるようなのでとやかく言うことはないのだが,男に生まれるとか女に生まれるとかいうことは大した問題ではないのではないか。どんな男に生まれるか,どんな女に生まれるかが重要だろう。輪廻があるとしても,人に生まれ変われるかどうかさえわからない。人として生まれるとしても親を選ぶことはできない。現在を直視し,全てはそこから始めるべきだろう。
笑って許して(2015.7.6)
昭和45年,詞:阿久悠,曲:羽根田武邦,唄:和田アキ子
「笑って許して ちいさなことと」と始まる歌。
「笑って許して 恋のあやまち」とあるので,そのような「あやまち」なのだろう。「ちいさなことと 笑って許して」やることができるかどうかは時代と人による。許しを乞うている相手が法的にどのような立場の人間かにもよる。婚姻関係にあるのか,許嫁なのか,恋人なのかなどだ。
謝っているようだが,曲調には謝罪の雰囲気は少ない。そもそも「笑って許して」と言っているくらいだから,この程度なら許されると思っていたのだろう。本当に悪いことをしたとは思っていないのだ。ただ,相手が怒っているのでとりあえず謝っている印象を受ける。相手とは許容範囲のハードルが異なることが明らかになったので,早く別れたほうが良いだろう。無理やり復縁しても,そのうちに性格の不一致で別れることになるだろう。
ANI HOLEM NAOMI<I Dream of Naomi><ナオミの夢>(2019.2.20)
昭和45年,詞:Tirazah Alar,曲:David Krivoshai,唄:HEDVA & DAVID
もとはヘブライ語の歌。昭和46年に発売された日本語歌詞では「ひとり見る夢は 素晴らしい君の踊るその姿」と始まる。「ナオミ ナオミ come back to me」という詞が印象に残る。
同じようなメロディーが何度も繰り返されるので自然に覚えてしまう。
Bridge Over Troubled Water<明日に架ける橋>(2019.1.24)
昭和45年,詞:Paul Simon,曲:Paul Simon,唄:Simon & Garfunkel
「When you’re weary, feeling small When tears are in your eyes, I’ll dry them all」と始まる歌。
濁流を前にして君が途方に暮れているなら僕が君のための橋になろうというのだから,見返りを求めぬ純粋な愛の唄だ。『君を抱きたい』などというのは自分の欲望を満たしたいということで愛ではないが,この歌は君は異性でも同性でも,親子などでも成り立つ愛の歌だ。Simon & Garfunkelの代表曲といっても良いだろう。
サビの箇所では『I can’t stop loving you』1)を思い出した。
1)「I can’t stop loving you」(昭和37年,詞:Don Gibson,曲:Don Gibson,唄:Ray Charles)
El Condor Pasa<コンドルは飛んでいく>(2011.12.15)
昭和45年,詞:P.Simon,曲:アロミア・ロブレス?,唄: Simon & Garfunkel
ケーナが印象的なフォルクローレ。ネットで調べたところ,メロディーに関しては複雑な履歴があるらしい。とにかく私が聴いたのはSimon & Garfunkelだ。
もともとどのような歌詞なのか知らないが,Simonの詞だとswanは出てくるのだがcondorは出てこず,「コンドルはどこに行った?」と尋ねたくなる。どこかに飛んでいってしまったのか。タイトルは無視してメロディーに詞をつけて,タイトルだけは元のタイトルを残したのだろう。曲自体は大きな鳥があまり羽ばたかずに飛んでいるイメージがあり,聴いていたときは歌詞が十分聞き取れなかったのでその鳥がどのような鳥なのかも知らずに心地よく聴いていたのだろう。
この年は大阪万博の年だった。
Let It Be<レット・イット・ビー>(2014.7.28)
昭和45年,詞:Lennon J., McCartney P.,曲:Lennon J., McCartney P.,唄:The Beatles
「When I find myself in times of trouble,」と始まる歌。何度も「Let it be」と繰り返される。
「Let it be」というのはマリア様のお告げらしい。種々のトラブルは神のご意志という訳なのだろうか。私が思っているキリスト教的考えとは少し違うように感じる。
『アナと雪の女王』の『Let it go』1)とこの「Let it be」はどちらも訳すと同じような意味になると思うが,原文のニュアンスはどのように違うのだろうか。beだと現在の状態,goだと現在の変化の状態という印象を受けるが。保守と革新ということだろうか。
宗教的な歌のようにも感じられるが,私にはよく解らない。
1)「Let it go」(平成26年,詞:Kristen Anderson-Lopez/Robert Lopez,曲:Kristen Anderson-Lopez/Robert Lopez,唄:Idina Menzel)
Mandom-Lovers of the World<マンダム男の世界><男の世界>(2018.6.26)
昭和45年,詞:Jerry Wallace,曲:Jerry Wallace,唄:Jerry Wallace
「All the world loves a
lover」と始まる歌。
Charles Bronsonが出演した男性化粧品のCMソング。当然だが,当時は毎日テレビで流れていた。
外国語のCMはこのころから始まったのではないか。「これは私の家族です。そしてこれは私たちの『車名』です」とドイツ語でいう車のCM,「これは『車名』ですか?,はい,それは『車名』です」とフランス語でいうCMもあった。フランス語では『魅力的』という意味らしいので,『車名』ではなく『魅力的です』と言っていたのかもしれない。そういえばアラン・ドロンが登場して「『商品名』,c’est l’
élégance de l’homme moderne」と言うCMもあった・
My Sweet Lord<マイ・スウィート・ロード>(2019.5.12)
昭和45年,詞:George Harrison,曲:George Harrison,唄:George Harrison
「My sweet lord Hm, my lord Hm, my lord」と始まる歌。というか「my load」という単語が何度も何度も繰り返される。英語に弱く,宗教にも暗い私でもこれだけ繰り返されると宗教的な歌なのだろうと想像できる。それもヒンズー教の神らしい。
思わず「lord」に対応させるような形で「神」という語を書いてしまったが,宗教観・世界観の異なる社会では言語が異なり,これらの異なる言語間には単語レベルでも1対1の対応が無い場合が多いことは誰もが気付いているだろう。兄と弟という単語がある文化圏とbrotherでひとくくりにしてしまう文化圏ではいろんなものの見え方が異なるから異なる単語になったり,同じ単語を使ったりするのだ。身近な言葉でもこのような差があり,宗教観のような形而上学的問題ではこの差が特に大きいことは容易に想像できる。にもかかわらず一神教の場合も多神教の場合も「神」という用語が使われることがある。これが一神教世界と多神教世界の間の誤解を生じさせるのだろう。専門家にはこれらを区別する言葉があるのだろうが,普及・定着して使われているようには思えない。世界が狭くなった今,あらぬ誤解を生じさせないために言葉を正しく普及させてほしい。
ところで,この歌の日本での発売は昭和46年。
Never Marry a Railroad Man<悲しき鉄道員>(2019.4.16)
昭和45年,詞:Robbie Van Leeuwen,曲:Robbie Van Leeuwen,唄:Shocking Blue
「Have you been brokenhearted once or twice? If it’s yes how did you feel at distressed lies?」と始まる歌。
鉄道員と一緒になると,彼の頭には鉄道しかなくて淋しい思いをすることになるから,やめた方がいいというような歌。
仕事馬鹿?はどこにでもいるということか。
昔は洋画やレコードの洋盤には邦題がついていた。たとえば,昭和27年の『High Noon』は『真昼の決闘』,昭和37年の『The Longest Day』は『史上最大の作戦』,『007 Dr. No』は『007は殺しの番号』と邦題がついていた。これらは原題との関係が想像できなくもないが,例えば昭和29年の米映画『Johnny Guitar』の邦題は『大砂塵』だった。レコードでいえば昭和37年にNancy Sinatraが唄った『Like I Do』の邦題は『レモンのキッス』だ。このように邦題から原題が想像できないようなものも少なくなかった。
邦題で最もよく使われたのが『悲しき〜』というパターンではないだろうか。原題に『悲しき』を意味する言葉が入っていないのに邦題ではこれを追加することが多かった。不思議なことに口語で『悲しい』としたものは少ない(私はひとつも思い出さない・・・元々日本のものなら美空ひばりの『悲しい酒』などがあるが)。
昭和も終わりに近づくにつれ,意味不明なタイトルをそのままカタカナで邦題とする例が増えたが,この歌では使い古された『悲しき』をつけた邦題がついているという点で,何となく懐かしさを感じる。
You Don’t Have to Say You Love Me<この胸のときめきを>(2018.10.2)
昭和45年,詞:Vito Pallavicini,英詞:Vicki Wickham,曲:Pino Donaggio,唄:Elvis Presley
「When I said I needed you You said you would always stay」と始まる歌。このように言ってくれたのに今では私の元を去ってしまった。愛していると言ってくれる必要なんてないから,ただ傍にいて欲しい。
私のような者にも詞の思いが想像できるような解りやすい歌。
昭和40年の元歌タイトルは「Io
che non vivo (senza te)」。昭和41年に英語盤をDusty Springfieldが唄いヒットした。