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昭和44

愛の化石,アタックNo.1,熱海の夜,あなたの心に,雨<La Pioggia>[Sul giomale ho letto che],雨に濡れた慕情,雨にぬれても<Raindrops Keep Fallin’ On My Head>,或る日突然,逢わずに愛して,あんな娘がいいな,いいじゃないの幸せならば,粋なうわさ,池袋の夜,美しき愛の掟,海の底でうたう唄,ヴィーナス<Venus>,おはなし,オブラディ・オブラダ,おんな,輝く星座<Aquarius/Let the Sunshine In - Hair>,風,風が落とした涙,悲しみは駆け足でやって来る,カム・トォゲザー<Come Together>,かもめ,華麗なる誘惑,カレンダー,君がすべてさ,君は心の妻だから,今日からあなたと,禁じられた恋,銀色の雨,雲にのりたい,くれないホテル,黒ネコのタンゴ,喧嘩のあとでくちづけを,恋の奴隷,恋のなごり,恋人,国際線待合室,サインはV,サザエさん,さすらい人の子守唄,さとうきび畑,さよならは云わないで,しあわせの朝<Early In The Morning>,昭和ブルース,知らなかったの,白い色は恋人の色,白いさんご礁,白いブランコ,真実一路のマーチ,新宿の女,仁義,スマイル・フォー・ミー〔Smile fo me〕,西暦2525<In The Year 2525>,そよ風のバラード,小さな恋のメロディ<Melody Fair>,つばめのように<Volano le Rondini>,東京でだめなら,遠い世界に,時には母のない子のように,とまらない汽車,どしゃ降りの雨の中で,土曜の夜何かが起きる,ドリフのズンドコ節,長崎は今日も雨だった,嘆き,何故に二人はここに,七色のしあわせ,涙でいいの,涙と幸せ,涙の季節,人形の家,初恋の人,花と涙,はるみの三度笠,ひとり寝の子守唄,不思議な太陽,フランシーヌの場合,抱擁,惚れちゃったんだヨ,本牧ブルース,坊や大きくならないで,ぼくのそばにおいでよ,マイ・ウェイ<My Way>,まごころ[あなたは通りすぎたの],まぼろしのつばさと共に,真夜中のギター,ミスター・マンディ(Mr.Monday),港町ブルース,みんな夢の中,ムーミンのテーマ,メロディ・フェア<Molody Fair>,もしもボクの背中に羽根が生えてたら,夜明けのスキャット,夜が明けたら,夜と朝のあいだに,夜の銀狐,ローマの,わかれ雨,別れのサンバ,忘れたいのに,私が死んだら,私もあなたと泣いていい?,Aquarius//Let the Sunshine In - HairCome TogetherEarly In The MorningIn The Year 2525La PioggiaMelesy FairMr.MondayMy WayRaindrops Keep Fallin’ On My HeadVenusVolano le Rondini

 

愛の化石(2017.12.3)

昭和44年,詞:並木六郎,曲:三木たかし,唄:浅丘ルリ子

 「悲しみの涙が あの人の幸せに 心をぬらした時 それをひとは 愛とよぶのでしょうか」と始まるやや長い台詞から始まる。歌の始まりは「夜が燃えて とけるの 離さないで」と始まる。歌は短く,全体としては台詞というより,ナレーションのレコードのようだ。

 昭和45年には浅丘ルリ子と田宮二郎で同名の映画が作られた。

 

アタックNo.1(2016.1.7)

昭和44年,詞:東京ムービー企画部,曲:渡辺岳夫,唄:大杉久美子

 「苦しくたって 悲しくたって コートのなかではへいきなの」と始まる歌。

 フジテレビ系テレビで放映された同名のアニメの主題歌。原作は昭和43年から週刊マーガレットに連載された浦野千賀子のバレーボール漫画である。

 昭和39年の東京オリンピックで,日本の女子バレーは金メダルをとった。昭和47年のミュンヘンオリンピックでは男子バレーが金メダルをとった。女子は昭和43年のメキシコオリンピックと次のミュンヘンでは銀メダルだったが,昭和51年のモントリオールでは金メダルで,このころ女子バレーの世界の強豪といえば日本とソ連だった。

 東京オリンピックでの日本女子バレーチームは日紡貝塚チームを主体として,鬼の大松博文監督のスパルタ式トレーニングで東洋の魔女と呼ばれるようになっていた。このようなこともあり,スポ根漫画が流行っていた。

 根性礼賛の風潮からか昭和40年には某大学のワンダーフォーゲル部でのしごきで新入生が死亡するという事故(事件?)が発生した。この事件で厳しい登山が山岳部,ハイキングの延長がワンゲル部というイメージが大きくかわった。この事故の教訓からしごきをしないようにという意見もでたが,しごきが減るまでにはまだ時間がかかった。昭和の全時代を通じてしごきに類することはあったと思われる。

 愛と知識・技術のあるしごきなら有効なトレーニングになったのだろう。現代でもしごきに類するものは残っているかもしれないが,愛のないもの,あるいは愛があっても知識・技術が伝承されていないため,結果的に単なる暴力になってしまっているものが時々ニュースになっている。

 訓練中の水分補給など,昔と今で医学的?常識が変わったものもある。しかし,緊張緩和か何かは知らないが,ガムをくちゃくちゃ噛んだり,ミスしてへらへら笑っているのを見るのはなかなか慣れることができない。

 

熱海の夜(2017.4.4)

昭和44年,詞:荒川利夫,補作詞:藤木美紗,曲:山岡俊弘,唄:箱崎晋一郎

 「たった一度の倖せが はかなく消えたネオン街」と始まる歌。

 曲は典型的なムード歌謡だ。

 「妻と書かれた宿帳に」とあるがもちろん妻ではない雰囲気を十二分に醸し出している。

 以前の熱海のイメージはからのイメージで『熱海の海岸散歩する』1)だったのだがこれで現代的な熱海がイメージされるようになった。新幹線ができて東京-熱海間がぐっと近くなったのは昭和39年だ。

1)「金色夜叉」(大正7年,詞:宮島郁芳,後藤紫雲)

 

あなたの心に(2015.1.27)

昭和44年,詞:中山千夏,曲:都倉俊一,唄:中山千夏

 「あなたの心に風があるなら」と始まる歌。

 「あなた」を独占したいとの願いを控えめではあるが,あからさまに表現した歌。マルチタレントがその可愛い面を見せて唄った歌だが,私には,子役時代の彼女と女性開放運動家としての彼女とのギャップのほうが印象に残っている。

 

雨に濡れた慕情(2017.10.20)

昭和44年,詞:吉田旺,曲:鈴木淳,唄:ちあきなおみ

 「雨の降る夜は 何故か逢いたくて」と始まる歌。

 「すきでわかれた あの人の」の部分の発声が他の部分と違うのは,音が高いからだろうか,詞の解釈によるものだろうか。

 ちあきは他の歌手の持ち歌も多くカバーしているが,私が知っているのは華がない歌が多いようだ。最もヒットしたのは『喝采』1)だろうが,これもタイトルに反してテーマからして華がない。当時の歌手としては歌が上手い方だと思うのだが,大ヒットが少ないのは華やかな曲に恵まれなかった(自身で好まなかった?)からだろう。

 

或る日突然(2013.7.24)

昭和44年,詞:山上路夫,曲:村井邦彦,唄:トワ・エ・モワ

 「或る日突然二人だまるの」と始まる歌。

 トワ・エ・モワの歌声は爽やかである。ただ,この詞の感覚は私には良く判らない。

 何も考えずおしゃべりしていたのが突然黙ることはあるかもしれない。でも,それは初めて異性を意識したときだろう。私の感覚では,そのように異性を意識するのは当時のトワ・エ・モワよりはるかに幼い頃の話だと思うのだが。

 恐らく世代の差なのだろう。古い世代には「ただの友だち」というのがなかった。トワ・エ・モワ世代には「ただの友だち」というのがあるのだろう。ひょっとしたら「知り合い」を「ただの友だち」と言っているのかもしれないなどと思ってしまう。もちろん「知り合い」や「同級生」を「友だち」と表現することはあったがこれは状況による格上げ表現である。「ただの」は「友だち」にはつかなかった。「友だち」につくのは「親しい」などの言葉だった。

『ともだちになって下さい』という言葉の持つ意味が,時代によって異なるのだろう。

いずれにせよ,ハッピーエンドでよい曲だ。

トワ・エ・モワの唄は素敵だったが,チェリッシュにも唄わせてみたかった。

 

逢わずに愛して(2013.12.12)

昭和44年,詞:川内康範,曲:彩木雅夫,唄:内山田洋とクール・ファイブ

「涙枯れても夢よ枯れるな」と始まる歌。

 「夢の夢のかけらを せめてせめてこころに ああ 永久にちりばめ」と唄う前川清が眼に浮かぶ。作詞が川内康範ときくと,なるほどと思う。説明は出来ないが,川内らしく聞こえる。

 男性コーラスグループは昔からある(例えばコロムビア(ナカノ)リズムボーイズ)。ダークダックス,デューク・エイセス,ボニージャックスのようなグループの活動が続いていたが,その後グループサウンズ全盛期は数え切れないほどの男性グループがあった。このグループサウンズと入れ替わるような形でヒット曲が増えたのがムードコーラスであろう。もちろん,マヒナスターズのようなグループの大ヒット曲も以前にあったが,数は少なかったのだ。東京ロマンチカ,ロス・プリモスなどの活躍もあった。

 その後,女性ボーカルを加えたグループが・・・と書き始めたが,和田弘とマヒナスターズも,松尾和子を加えての大ヒットではなかったかとか,ピンキーとキラーズも同時代だとか,キングトーンズはムード歌謡じゃないなとか,パラダイスキングを忘れていたとか,クレイジー・キャッツやドリフターズ,ドンキーズのジャンルを抜かしてしまったなどと,歴史を語るには私の知識は整理されておらずあやふや過ぎるようだ。

 

逢わずに愛して(2018.3.14)

昭和44年,詞:川内康範,曲:彩木雅夫,唄:内山田洋とクールファイブ

 「涙枯れても 夢よ枯れるな」と始まる歌。

 「夢の 夢のかけらを せめて せめてこころに」の箇所(同様の繰り返し技法は二番・三番でも使われているが)とこれに続く「ああ 永久にちりばめ」はいかにも前川清らしく強く印象に残る。思わず前川らしいと書いたが,これ以前のヒット曲はデビュー曲でもある『長崎は今日も雨だった』1)だけであり,こちらにも『さがし さがし求めて ひとり ひとりさまよえば』などの同様な繰り返しがあり,、この繰り返しが前川の特徴と感じるようになったのだろう。

 タイトルの「逢わずに愛して」は何気なく聞くと一休さんに出された難題かのようにも聞こえるが,何も頓智で答える必要はなく,逢えなくても永遠に愛してという意味だろう。

1)「長崎は今日も雨だった」(昭和44年,詞:永田貴子,曲:彩木雅夫,唄:内山田洋とクールファイブ)

 

あんな娘がいいな(2016.7.4)

昭和44年,詞:水本方治,曲:水本方治,唄:ダーク・ダックス

「あんな娘がいいな お嫁さんにいいな」と始まる歌。

 「なんて名字かな 名前で呼びたいな」とあるのでまだ名前すら知らないようだ。

 可愛い妄想というか夢想の歌のようだ。

 当時はまだ全体として景気は上り坂,将来に対して希望が持てた。結婚して一人前という時代で,昔に比べれば進学率もあがり,結婚年齢も高年齢化してきたとはいえ,女性は25才,男性は30才になる前に結婚したいと思うのが普通だった。25日のクリスマスケーキ1)という表現があった。

 当時,この歌のような考えを表明するとプチブル2)と批判されることもあった。

1)売れ残り。

2)プチ・ブルジョワ。小市民。資本家でもなく,労働者でもない。中流?ブルジョワジーはブルジョワの複数形。

 

いいじゃないの幸せならば(2012.8.5)

昭和44年,詞:岩谷時子,曲:いずみたく,唄:佐良直美

11回日本レコード大賞歌唱賞受賞曲。「あのときあなたとくちづけをして」と始まる。新しい関係が始まると同時に古い関係を絶っているのだから「つめたい女だと人は言う」のはもっともかもしれない。しかし「浮気な女だと」と言われることはないと思うがどうなっているのだろう。この年,なぜこの歌が流行したのか良く理解できない。次から次へと相手を変えていくことに憧れがあったのだろうか。

佐良直美の声あるいは唄い方のせいかもしれないが「いいじゃないの幸せならば」と唄っているのに幸せそうには聞こえない。世間の目を気にせず,自分が生きたいように生きるようになってきたということだろうか。

大学紛争の最盛期だった。

 

粋なうわさ(2017.8.13)

昭和44年,詞:橋本淳,曲:筒美京平,唄:ヒデとロザンナ

 「シャラララララ ・・・・」としばらく口ずさんでから「粋なうわさを たてられた」と始まる歌。

 『愛の奇跡』1)に次ぐ2作目だと思うのだが,ロザンナの日本語発音はより完璧になってきている。当時のロザンナはまだ日本語は十分理解できていなかったのではないかと思うのだが,イタリア語と日本語の音が似ているからだろうか。

 爽やかな歌だが,私の実生活とは無縁な歌だった。

1)「愛の奇跡」(昭和43年,詞:中村小太郎,曲:田辺信一,唄:ヒデとロザンナ)

 

池袋の夜(2015.9.3)

昭和44年,詞:吉川静夫,曲:渡久地政信,唄:青江三奈

「あなたに逢えぬ悲しさに」と始まる歌。第11回日本レコード大賞歌唱賞受賞曲。

「美久仁小路(みくにこうじ)の灯りのように」とあってもどこのことか解らないが雰囲気は感じる。

私が東京を独りで歩くようになったのはこの頃だ。東京に友人ができて(友人が東京で暮らすようになって)東京に用事があったときには時間を作って友人に会うようになった。とはいえ交通費がバカにならないので滅多にそのようなことはなかったが。

当時,新宿は都会という雰囲気で私のような田舎者には緊張を強いる街だったが,池袋は地方都市にも同じような場所があると感じられた。

池袋駅でも友人と待ち合わせをしたことがある。サンシャイン60の竣工が昭和53年だからその10年近く前のことだ。池袋の屋台では1杯の酒が2杯になる魔法があると聞いたのもこの頃だろう。これはコップの内側が円錐形に近い形で,下の方にはほとんど酒がはいっていないことが原因だ。単純に円錐形だとすると体積は高さの3乗に比例するので,一杯の酒をもう一つのコップに8分目まで移せば,残りも8分目になるということだ。コップの底が上げ底なら,見た目には9分目までの酒が2杯になるということだ。

ところで,この歌は青江美奈のハスキーな声で「どうせ気まぐれ東京の 夜の池袋」と終わる。

 

美しき愛の掟(2019.4.21)

昭和44年,詞:なかにし礼,曲:村井邦彦,唄:ザ・タイガース

 「ぼくは君のために 重い罪をおかし 鎖につながれても かまいはしない」と始まる歌。

 加橋かつみ脱退後最初の曲。

 作詞家は口先商売(?失礼!)なのでいろんな仮面を持つ人が多いように思う。なかにし礼もいろんな面を持つ作詞家だが,どちらかというと標準的?な感性の詞が多いと感じる中で,この詞には彼の狂的な面が出ているようだ。

 

海の底でうたう唄(2019.8.3)

昭和44年,詞:尾崎きよみ,曲:関口直人,唄:モコ・ビーバー・オリーブ

 「私たちが逢ったのは 静かな海の底」と始まる歌。

 淋しげな曲だ。

「緩やかに燃えてゆく 私たちの愛」と詞の全体から受ける印象はメルヘンチックなハッピーソングだが,「私達の行方は誰も知らない」とも歌っているので,ハッピーな想い出ということなのだろう。想い出だけが残ったからこそ,悲しみを含んだ淋しさを表す曲になたのだろうし,良い思い出が強いので淋しい曲の割にはややテンポの速い曲になったのかもしれない。

 

おはなし(2019.10.2)

昭和44年,詞:遠藤侑宏,曲:田村守,唄:キャッスル&ゲイツ

 「やさしいあなたの そばにいて 一日中 おはなししたい」と始まる歌。

 詞も曲も唄も,全てやさしい歌。その分インパクトに欠けるが,精神的に疲れた時などこのような歌が流れていれば心が休まるかもしれない。テンションが下がっているとき向きの歌だ。

 

オブラディ・オブラダ(2024.10.18)

昭和44年,詞:Lennon-McCartney,訳詞:漣健児,曲:Lennon-McCartney,唄:ザ・カーナビーツ

 「太郎が花子をみそめ 好きになったとき 太郎は花子に夢中 すぐに結婚したいとさ」と始まる。

 「太郎は花子にあげた ピカピカした指輪」。それに対して,「花子は太郎にあげた ちょっとニコニコしてあげた」と少しバランスが悪いようにも思うが,そのような歌詞になっているのだから仕方ない。

 「可愛いい子供が生まれ」「二人はやがて年老い 子供が知る事は愛の世界」という歌。

 「オブラディ・オブラダ 魔法の世界は回る」というフレーズが何度も繰り返される。ということは「オブラディ・オブラダ」という魔法の呪文で人が恋するということのようだ。

元歌は昭和43年のThe Beatles によるOb-La-DiOb-La-Da

 

おんな(2020.1.30)

昭和44年,詞;山口あかり,曲;城美好,唄:森進一

 「男のこわさと やさしさを 教えたあなたが悪いのよ」と始まる歌。

 これ以前の森の歌は吉川静夫・猪俣公章によるものがほとんどだが,この歌も,これまでの森の歌の雰囲気を強く漂わせていて、作者が変わったのに気付かない程だ。

 「女って 女って あなたにすがりたい」ということらしいが,私には完全には理解できない心情だ。同様な心情の歌は少なからずあるので,観念的には理解できなくはないが。

 

(2015.3.5)

昭和44年,詞:北山修,曲:端田宣彦,唄:はしだのりひことシューベルツ

 「人は誰もただ一人旅に出て」と始まる歌。

 「人生につまずいて」とか「恋をした切なさに」「振り返る」が「振り返っても そこには風が吹いているだけ」だから「振り返らず」「歩くんだ」という歌。

 『戦争を知らない子供たち』1)『あの素晴らしい愛をもう一度』2)などと並べると当時の北山の心の中が見えるような気がする。もちろん後に精神科医になる北山のことだから私が見えるような気がするといっても,北山の本心が見えているとは限らない。北山が創作した人物の心を北山が見せようと思っているように見ているだけなのかもしれないのだが。

 当時の若者の思想・行動は大きく三種類に分かれていたように思う。この歌はこのうちの一種類の若者に共感を持って受け入れられたと思う。

1)「戦争を知らない子供たち」(昭和46年,詞:北山修,曲:杉田二郎,唄:ジローズ)

2)「あの素晴らしい愛をもう一度」(昭和46年,詞:北山修,曲:加藤和彦,唄:加藤和彦と北山修)

 

風が落とした涙(2017.11.1)

昭和44年,詞:中村小太郎,曲:田辺信一,唄:小川ローザ

 「いたずらなそよ風に ゆれておちた涙は」と始まる歌。

 絵にかいたような失恋の歌。失恋にもいろいろあり,後悔や疑問,恨みなどが残る場合も少なくないが,この歌は静かに純粋な哀しみを歌っている。このようなピュアな悲しみはピュアな心からでるのだろうか。ひょっとしたら天に召されたのかもしれない。

 

悲しみは駆け足でやって来る(2014.1.16)

昭和44年,詞:アン真理子,曲:中川克彦,唄:アン真理子

 「明日という字は明るい日とかくのね」と始まる歌。

 出だしの歌詞は明るい歌のようだが,アン真理子の歌声は悲しく聞こえる。二番になると「若いという字は苦しい字に似てるわ」と苦しさが表面に出てきている。最後は「悲しい歌は知らない」と最後は元気を搾り出そうとし,少しは明るい明日を期待できそうに感じる歌になっている。『織江の唄』1)などは底が見えない深遠に引き込まれていきそうになるが,この「悲しみは駆け足でやって来る」は,暗闇の中にいるようだが,その中でもなんとか灯りを見つけられるんじゃないか,見つけようとしている。

 こころが沈んでいるときに聴いたり唄ったりするのによい曲だと思う。

1)      「織江の唄」(昭和54年,詞:五木寛之,曲:山崎ハコ,唄:山崎ハコ)

 

かもめ(2019.11.3)

昭和44年,詞:寺山修司,曲:山本幸三郎,唄:浅川マキ

 「おいらが恋した女は港町のあばずれ」と始まる歌。

 ストーリーのしっかりした歌詞を淡々と流れるように乗せる曲。浅川も独特の歌声で淡々と唄っており悪くない。しかし,テレビで茶の間に流す歌としては不適切で,私が責任者なら許可しないだろう。小説や芝居ならばありうる内容だと思う。しかし,テレビドラマなら,この歌の結末がドラマの結末なら,やはり不適切だろう。刑事ドラマのプロローグとしてはありかも知れない。

 この後の展開を描けばドストエフスキーが書いたような大小説になるかもしれない。既に書かれている詞からは「おいら」の心中に深い考えがあるとも思えないが,あっと驚く展開へ導くのが小説家だろう。

 

華麗なる誘惑(2023.10.23)

昭和44年,詞:山上路夫,曲:平尾昌晃,唄:布施明

「夜はすぐに明けてくる バラはいつか散ってゆく 明日を知らぬ 二人のいのち はかなきは この世」と始まる。

 「もしも君を失くしたら ぼくは生きて いられない」という歌。

 布施の声量を生かした『霧の摩周湖』1)のような歌の方が私は好きだ。この歌は「はかなきは この世」とか「ぼくは生きて いられない」などの歌詞からも解るように,主人公が軟弱で布施の声量を十分発揮するような歌ではないと感じてしまう。

1) 「霧の摩周湖」(昭和41年,詞:水島哲,曲:平尾昌晃,唄:布施明)

 

カレンダー(2020.4.8)

昭和44年,詞:野中美弥子,詞:三嶋清正,唄:土居まさる

 「January ある日どこかで February 出会った二人」と始まる歌。

March 愛が芽生えて」と続き,順次進展して「December 結ばれた二人」となる。これで終わりではなくて,今度はメロディーにのせず,朗読で「January 時は過ぎていってしまったんだ」と続く。「September 一人涙で」からは再びメロディーにのせ,「December 別れた二人」と終わる。

最初からこの結末を予期したような淋しい曲。というより,別れた後の想い出の曲なのだろう。

 

君がすべてさ(2022.8.12)

昭和44年,詞:稲葉爽秋,曲:遠藤実,唄:千昌夫

 「これきり逢えない 別れじゃないよ 死にたいなんて なぜ云うの」と始まる。

 「迎えにくるよ 必ずまって いておくれ」などと言っているがどうだろうか。

 最後は「君がすべてさ 君がすべてさ」と終わる。

 歌としては最初と最後が印象に残る。

 

君は心の妻だから(2016.8.10)

昭和44年,詞:なかにし礼,曲:鶴岡雅義,唄:鶴岡雅義と東京ロマンチカ

 「愛しながらも 運命(さだめ)に敗けて 別れたけれど 心はひとつ」と始まる歌。

 ムードコーラスだ。当時のメインボーカルは三條正人で,唄は三條だけが際立っていたのでコーラスというよりムード歌謡というべきかもしれない。

 なかにし礼はこんな詞を書いて自分で恥ずかしくないのだろうかと思うほど,陳腐な言葉をならべて典型的な実らぬ愛を描いている。しかしこれが偉大なマンネリなのだろう。このような曲を聴いているときに,次々と新奇な言葉がでてきては落ち着かない。陳腐な言葉だからこそ安心して身を委ね聴いていられるのだろう。

 

今日からあなたと(2019.6.13)

昭和44年,詞:橋本淳,曲:筒美京平,唄:いしだあゆみ

 「あなたにあげてよかった 悲しい想い出は」と始まる歌。

 筒美らしい曲にいしだらしい唄。この詞がいしだに最適かというと若干疑問に感じる点もある。それでも全体として悪くないんじゃないかと思うが大ヒットというほどの記憶はない。

 

禁じられた恋(2012.10.1)

昭和44年,詞:山上路夫,曲:三木たかし,唄:森山良子

 「禁じられても逢いたいの」という歌。「恋はいのちとおなじ」などと言っていて,命を粗末に考えるなと言いたいが,恋する気持ちと言うのはそういうものなのだろう。

ここでの「禁じられた」は社会から禁じられたという意味だろう。元総理の某氏の過去のようなのがその例だ。宗教的に禁じられている場合もある。禁断の木の実はおいしそうに見えるのかもしれない。

昔は家と家の関係が強かったので,家の都合で「禁じられたから」というほうがより多いだろう。ロミオとジュリエットのようなものだ。

転居など偶然に近い出来事で会えなくなり,今まで何の障害もなく会えていたときはあまり意識していなかったのに,会えなくなってから恋しくなるというのはよくある話だ。

 

銀色の雨(2017.12.19)

昭和44年,詞:松井由利夫,曲:鈴木淳,唄:小川知子

 「あなたの涙でぬらして欲しいの」と始まる歌。

 声を聴くと,あッ,小川知子だとすぐ解る。『ゆうべの秘密』1)と同じ声・唄い方だと感じる。

 小川の6枚目のシングルだが,私の小川の歌の記憶はこの歌で途切れる。次には15枚目の『別れてよかった』2)まで記憶が跳ぶ。

1)「ゆうべの秘密」(昭和43年,詞:タマイチコ,曲:中洲朗,唄:小川知子)

2)「別れてよかった」(昭和47年、詞:なかにし礼,曲:川口真,唄:小川知子)

 

雲にのりたい(2016.2.2)

昭和44年,詞:大石良蔵,補作詞:なかにし礼,曲:鈴木邦彦,唄:黛ジュン

 「雲にのりたい やわらかな雲に」と始まる歌。

 「わたしの胸に つのる淋しさは 愛するあなたにも わからない」と恋をしていながらも「悲しい風が吹く 胸の中」らしい。恋人にも言えない何らかの理由があり,現実から逃げたいと思っているようだ。

 人に言えぬ問題を具体的に抱えているわけではなくても,幸せの中で自分でも具体的理由の解らぬ不安を感じることがあるかもしれない。後の『傾いた道しるべ』1)と同じような心情なのだろうか。

1)「傾いた道しるべ」(昭和50年,詞:小椋佳,曲:小椋佳,唄:布施明)

 

くれないホテル(2018.2.1)

昭和44年,詞:橋本淳,曲:筒美京平,唄:西田佐知子

 「あなた知ってる くれないホテル 傷を背負った女がひとり」と始まる歌。

 「くれない」という言葉が何度も繰り返されるのだが,私には意味がよく理解できない。

 昭和59年にTBS系で『くれない族の反乱』(田村正和/大原麗子)という連続ドラマが放映された。『〜(して)くれない』と責任転嫁不平の塊の主婦の話である。『くれない族』はこの年の流行語大賞で流行語部門銀賞を獲得している。

 しかし,当時はまだ『くれない族』などという言葉は聞いたことがなかった。もちろん『〜(して)くれない』という用法はすぐに思いつくがどうも意味がしっくりこない。他に「くれない」というと『紅』や『暮れない』などが思いつくし,「くれない」と打ち込んで変換キーを押せば他にもいろんな候補が現れるがどの意味なのかが判らないまま聴いていた。

 

黒ネコのタンゴ(2017.8.27)

昭和44年,詞:見尾田みずほ,詞:Pagano Francesco,唄:皆川おさむ

 最初に「ララララララ ララ」とあって「キミはかわいい 僕の黒ネコ」と始まる歌。最後も「ララララララ ララ」だ。

 当時は特に感じることはなかったが,今思うと,このような歌詞を子供に唄わせるのは若干疑問だ。

 

喧嘩のあとでくちづけを(2018.3.20)

昭和44年,詞:なかにし礼,曲:中村泰士,唄:いしだあゆみ

 「あなたにしてみれば ささいなことでも」と始まる歌。

 「嘘でもいいから こっちを向いて」と言ってはいるが,「嘘でもいいから」は嘘なのではないか。石田にはこのような口から出まかせを唄わせないで,『あなたならどうする』1)と悩ませてほしい。実際,『あなたなら〜』のほうがヒットしたと思う。

1)「あなたならどうする」(昭和45年,詞:なかにし礼,曲:筒美京平,唄:いしだあゆみ)

 

恋の奴隷(2015.9.24)

昭和44年,詞:なかにし礼,曲:鈴木邦彦,唄:奥村チヨ

 「あなたと逢ったその日から 恋の奴隷になりました」と始まる歌。

 「あなた好みの あなた好みの 女になりたい」と終わる歌である。

 このような女性が少なくなりつつあった時代に社会が求めていた歌なのだろうか。昔も当時も今も,このような女性がいないとは思わないが多数だ(った)とも思えない。これはなかにし礼の好みではないのだろうか。当時の私には奥村チヨはもっと自己主張の強そうな女性に見えた。彼女のイメージが変わったのは『終着駅』1)を聴いてからである。

1)「終着駅」(昭和46年,詞:千家和也,曲:浜圭介,唄:奥村チヨ)

 

恋のなごり(2017.4.29)

昭和44年,詞:なかにし礼,曲:大沢浄二,唄:小川知子

 「あなたのいない あなたの部屋で 夢のつづきをみた」と始まる歌。

 「呼んでみたって帰らない 知っていながら待ちつづけるの」と演歌の歌詞の歌謡曲だ。

 「何が残るの」,「みたされないの」,「待ちつづけるの」の歌声が印象に残る。

 

恋人(2018.6.29)

昭和44年,詞:山上路夫,曲:村井邦彦,唄:森山良子

 「あなたの肩に もたれていても」と始まる歌。

 「人は何故に死んで行くの」が繰り返され印象に残るが,哲学的な問題提起ではないようだ。「愛し合った二人のため とわの命だけが欲しい」と自己中の歌だが,このような歌が世間で受け入れられたのは,周囲が見えなくなっている原因が愛だからだろう。

 

国際線待合室(2019.5.17)

昭和44年,詞:千坊さかえ,曲:花礼二,唄:青江三奈

「青いランプの誘導路 なぜか今夜は身にしみる」と始まる歌。

「ああ 涙の空港待合室」など,青江三奈全開で唄っている。

昭和45年第3回日本有線大賞・優秀賞受賞。

 当時,忙しい金持ちは飛行機で移動していたかもしれないが,私は飛行機に乗ったことがなかった。新幹線すら乗ったことがあったかどうか。自費で移動する場合,最優先事項は運賃であり,東京などへは夜行の普通列車や高速バスを使っていた。後に交通費を支給されて移動するようになって新幹線移動は普通になったが,通常の出張では北海道や九州でも航空料金は支給されなかったので列車だった。飛行機の利用には事前に必要な理由を記した書類を提出して許可を得る必要があった。それがいつの間にか規則が変わり,北海道などは飛行機を使わない場合はその理由が必要になった。・・・一応,社会の変化に応じて規則は変わってきているようだ。

 いずれにせよ,この歌は国際線だ。外国出張は当時も船ではなく飛行機だったが,外国への出張や観光は一部の限られた人々だけだった。少し前に同級生が中米だか南米だかに移民したときは船だった。当時は来日する外国人も少なく,一般人と外国人の交流は極めて限られていた。国際空港など,私には無縁の世界だった。

 ところで,昭和32年,国際会議場の建設が閣議決定され,最初にオープンしたのが昭和41年の京都国際会館(京都市宝ヶ池)である。その後徐々に各種国際会議が日本で行われるようになってきた。私が初めて国際会議に出席した時の会場はこの京都だった。

 

サインはV(2017.9.10)

昭和44年,詞:岩谷時子,曲:三沢郷,唄:麻里圭子&横田年昭とリオ・アルマ

 「V-I-C-T-O-R-Y サインはV」と始まり,かつ終わりも同じフレーズの歌。

 「サインはV」は神保史郎・望月明が昭和43年から少女フレンドに連載した漫画。昭和44年には岡田可愛主演でTBS系のテレビドラマになる。この歌はこのドラマの主題歌であり富田智子&ウィンドーズが唄った盤もある。昭和45年には東宝映画となり,昭和48年には坂口良子主演で再びテレビドラマ化され,このときは同じ主題歌を坂口良子が唄っている。

 バレーボールが漫画になったのは,東京オリンピックでの東洋の魔女1)の大活躍があったからだろう。

1)      昭和36年の欧州遠征で22連勝した日紡貝塚女子バレーボールは海外メディアから「東洋の台風 東洋の魔法使い」と呼ばれた。昭和39年の東京オリンピックから初めて正式種目として採用された女子バレーではこのメンバーを中心とした日本代表は東洋の魔女と呼ばれ,圧倒的な強さを見せ金メダルを獲得した。

 

サザエさん(2015.10.15)

昭和44年,詞:林春生,曲:筒美京平,唄:宇野ゆう子

「アタクシ サザエデゴザイマス」と台詞から入り,「お魚くわえたドラ猫追っかけて」と始まる歌。フジテレビ系テレビアニメの主題歌である。

原作は長谷川町子の新聞4コマ漫画で,昭和21年,『夕刊フクニチ』で連載が開始された。その後連載紙が23変わり,昭和26年朝日新聞朝刊に移って,途中休載もあったが昭和49年まで続く。

 掲載初期は知らないが,最初はサザエさんは独身だったそうだから,漫画の中でも時は経過しているのだ。タラちゃんは私と同世代かもしれない。磯野家やフグ田家での時の流れは竜宮城並に遅いのかもしれない。私はタラちゃんより大分老けてしまった。

 

さすらい人の子守唄(2016.9.10)

昭和44年,詞:北山修,曲:端田宣彦,唄:はしだのりひことシューベルツ

 「旅につかれた若い二人に さすらい人の子守唄を」と始まる歌。

 昭和44年と言えば東大・日大の紛争が一段落し,大学紛争の中心が京大など関西の大学に移り,地方の大学へも拡がっていた時期だ。7月の調べでは全国で112校の紛争校があったそうだ。紛争校と認定されていなくても,学生集会などで授業が休講になることが多かった時期だ。

 北山は当時関西にある大学の学生だったはずだ。この歌は北山が当時作った歌だろうか,あるいはもっと以前に作った歌なのだろうか。この歌と学生運動との関係はあるのだろうか。「ふるさとのあの丘に もう帰れない」という歌詞は文字通りの意味なのだろうか,他に意味があるのだろうか。

 当時の私はシューベルツの歌は積極的に聴く歌ではなかった。ただ、私が視聴していた番組には登場していた。

 

さとうきび畑(2017.5.22)

昭和44年,詞:寺島尚彦,曲:寺島尚彦,唄:森山良子

 「ざわわ ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は」と始まる歌。

 「むかし海の向こうから いくさがやってきた」「鉄の雨にうたれ 父は死んでいった」「私の生まれた日に いくさの終わりがきた」と11連という長い詞で,かなり説明的であると共に,「ざわわ」という風の音が66回登場する。

 反戦フォークに分類される歌。歌われた「いくさ」は第二次世界大戦だが,時期的にはベトナム戦争反対の歌だろう。

 昭和39年のトンキン湾事件以降,ベトナム戦争が本格的になり次第に泥沼化する。昭和40年代には反戦フォークが世界中?でよく唄われていた。パリ和平協定が仮調印されたのは昭和48年になってからだった。

 

さよならは云わないで(2019.2.25)

昭和44年,詞:落合和徳,曲:落合和徳,唄:モダン・フォーク・フェローズ

 「さよならは云わないで とてもつらいから」と始まる歌。

 別れの歌だが「いつか又 街角でばったり会ったなら あたたかいほほえみで あいさつをしてね」と円満?な別れのようだ。「ひとり歩きはこわいけど そっとしておいてね」と何かの目標に向かうために独りで進もうということなのだろう。

当時の社会ではまだ女性が活躍できる場所は現在よりはるかに少なかった。彼女が困難に立ち向かおうと決めたなら,当時の私も,一緒に困難に立ち向かおうと言うことができず,黙って見送るしかなかったかもしれない。彼女がその後成功したことを祈るだけだ。

 

昭和ブルース(2014.2.24)

昭和44年,詞:山上路夫,曲:佐藤勝,唄:ザ・ブルーベル・シンガーズ

 「うまれた時が悪いのか」と始まる唄。東映映画『若者は行く』の主題歌。

 暗い歌。山崎ハコ1)も暗く,山崎は不幸から抜け出せないと諦め,悲しんでいるように感じる。藤圭子2)も暗く,藤は不幸を怨んで,不幸に復習してやろうと心の底で鬼火を燃やしているように感じる。中島みゆき3)の一時の歌も暗いが,中島は幸せになることをあきらめ,むしろ不幸を楽しんでいるようにも聞こえる。

 この歌の暗さは山崎との共通点で言えば自分の無力さを感じていることだろう。私にはこの歌の暗さと藤の歌の共通点はあまり感じられない。しかし,「昭和ブルース」は昭和49年に『非情のライセンス』のエンディングテーマとして天地茂が歌っていて,この天地の唄は藤の唄との共通点を感じる。歌詞・曲が歌を決めるだけでなく,編曲・歌唱も歌の雰囲気をかなり変えるということだろう。

 この歌と中島の歌の共通点は自嘲的なところだが,中島は自虐的なところまでもって行き,芯が強い彼女は押しつぶされそうではない。それどころか幸せが得られないことを楽しんでいるかのようであるのに対し,ブルーベル・シンガーズは「おれは求めてひとり行く」と観念に支配され,滅びの美学に酔っている。これはこの時代に生きた若者の青春の特権だったのかもしれない。山崎ハコの世界では「何もしないで生きてゆくならそれはたやすい」ことではなかったのだ。

1)      例えば「織江の唄」(昭和54年,詞:五木寛之,曲:山崎ハコ,唄:山崎ハコ)

2)      例えば「圭子の夢は夜ひらく」(昭和45年,詞:石坂まさを,曲:曽根幸明,唄:藤圭子)

3)      例えば「化粧」(昭和53年,詞:中島みゆき,曲:中島みゆき,唄:中島みゆき)

 

知らなかったの(2015.4.10)

昭和44年,詞:山口あかり,曲:平尾昌晃,唄:伊東ゆかり

 「知らなかったの 愛したら 男のひとって 強いのね」と始まる歌。

 大ヒットとなった『小指の想い出』関連曲1−6)の6曲目。同じ柳の下で何匹の泥鰌を獲ろうというのだろうか。作詞者が変わっても詞の雰囲気は変わらず,作曲者が変わっても曲の感じは変わらない。変えようとしていると感じる箇所はあるのだが,結局は同じテイストになっている。伊東ゆかりのせいかも知れない。都はるみの『はるみ節』なら聞いたことがあるような気がするが、『ゆかり節』と言う言葉は聞いたことが無い。それでもなお,これらすべてが『ゆかり節』のように聞こえる。節というより声かもしれない。

 ブツブツ文句を言っているが,嫌いではない。

1)   「小指の想い出」(昭和42年,詞:有馬美恵子,曲:鈴木淳,唄:伊東ゆかり)

2)   「あの人の足音」(昭和42年,詞:有馬美恵子,曲:鈴木淳,唄:伊東ゆかり)

3)   「恋のしずく」(昭和43年,詞:安井かずみ,曲:平尾昌晃,唄:伊東ゆかり)

4)   「星を見ないで」(昭和43年,詞:安井かずみ,曲:平尾昌晃,唄:伊東ゆかり)

5)   「朝のくちづけ」(昭和43年,詞:有馬三恵子,曲:鈴木淳,唄:伊東ゆかり)

6)   「知らなかったの」(昭和44年,詞:山口あかり,曲:平尾昌晃,唄:伊東ゆかり)

 

白い色は恋人の色(2016.2.26)

昭和44年,詞:北山修,曲:加藤和彦,唄:ベッツイ&クリス

 「花びらの白い色は恋人の色」と始まる歌。2番は「青空のすんだ色は初恋の色」,3番は「夕やけ」だ。色に対する私の感性は北山とは異なるが,おそらく体験・記憶の差なのだろう。

 声だけ聴いて居ると日本人デュオに聞こえるほぼ完璧な日本語だが数音だけ『あれっ?』と思う発音があり,顔を見ると外国人の日本語に聞こえてしまう。

 悪い歌だとは思わないが,当時の私はこのような歌を聴いたり唄ったりしている場合じゃないと思っていた。やるべきことや他に考えるべきことが多数あった。

 

白いさんご礁(2017.11.14)

昭和44年,詞:阿久悠,曲:村井邦彦,唄:ズー・ニー・ヴー

 「青い海原 群れ飛ぶ鴎」と始まる歌。

 「まことの愛をみつけたときに きっと二人で訪れるだろう」という歌で,悪くはないが,優等生的で華がないと感じる。学校の宿題なら高成績なのだろうが,商品としてよく売れるかはやや疑問に感じる。

 当時は知らなかったが,サンゴの白化というのは死滅を意味するのだとか。それを知った後では「白いさんご礁」に対するイメージが単に美しいというだけではなくなってしまった。

 サンゴ礁の歌なら『青い珊瑚礁』1)の方が華があり,夏の解放感・生命力を感じ,心情的には「白い〜」に共感を覚える私でも,どちらか一方だけを買うとすれば『青い〜』になる。

1)「青い珊瑚礁」(昭和55年,詞:三浦徳子,曲:小田裕一郎,唄:松田聖子)

 

白いブランコ(2013.9.12)

昭和44年,詞:小平なほみ,曲:菅原進,唄:ビリー・バンバン

 「君はおぼえているかしら あの白いブランコ」と始まる歌。

 「幼い恋を見つめてくれた あの白いブランコ」と昔の恋を思い出している歌。忘れられないというより,何かのきっかけで思い出している状況だと感じる。何らかのアンハッピーな原因で,気分が落ち込んでいるときに,昔のことを思い出しているようだ。

 ハッピーな時代の記憶があるだけで良いではないか。ひとしきり感傷にひたったら,心機一転,もう一度頑張れるだろう。世の中には,そんな思い出などない人間もいるのだ。

 

真実一路のマーチ(2018.10.7)

昭和44年,詞:星野哲郎,曲:米山正夫,唄:水前寺清子

「この世は長い坂道だけど 長さじゃないよ 人生は」と始まる歌。

日本レコード大賞大衆賞。

このような歌を唄っていることが,水前寺の歌は援歌だと言われる所以か。

繰り返される「タンバリンリンリン タンバリン」が記憶に残るが,なぜタンバリンなのかはよく理解できない。

 

新宿の女(2013.5.26)

昭和44年,詞:石坂まさを/みずの稔,曲:石坂まさを,唄:藤圭子

 「私が男になれたなら」と始まる歌。「バカだなバカだな だまされちゃって」と3回もでてくる。典型的な演歌である。というか,演歌という言葉自体が藤圭子の当時の歌に対して付けられた名前だろう。藤圭子以降に演歌というジャンルが確立したのだと思う。

 演歌というジャンルが確立されてから歌謡界を見渡すと,都はるみなども典型的な演歌で,唄も上手いと思うが,どちらが上とか比較できない別種の歌である。藤圭子は特に怨歌に特徴がある。能面のような顔にドスの効いた声,私のボキャブラリー不足で適切に表現できないが,衝撃を与える歌手だった。

 なお,都はるみを引き合いに出したのは,「ネオンぐらしの」の「ネ」に入る前のタメなどに都はるみを感じたからで,上手な演歌歌手は他にも沢山いる。

 

仁義(2018.12.4)

昭和44年,詞:星野哲郎,曲:中村千里,唄:北島三郎

 「お控えなすって!手前生国と発しまするところ関東です。」という台詞で始まる。

 歌は「天に一つの陽(ひ)があるように」と始まる。

 北島はこのころ『兄弟仁義』シリーズを始め,所謂やくざ映画に多数出演している。この歌はそれらの一つの主題歌ではないかと思うが詳細は知らない。

 東映映画の世界だ。この頃,任侠映画という言葉もあったのでひょっとしたら任侠映画かも知れないが。

 

スマイル・フォー・ミー(Smile for me(2018.1.10)

昭和44年,詞:Barry GibbMaurice Gibb,曲:Barry GibbMaurice Gibb,唄:ザ・タイガース

 「Smile for me.  Don’t let me see you crying」と始まる歌。

 当時既に加橋かつみは脱退し,岸部シローが加入していた。

 英語の歌詞の歌は珍しかった。GS登場前に外国のポップスが流行った時代があった。その頃は輸入盤は当然原語だったが,個人輸入は困難な時代であり,国内販売されるレコードには邦題が付けられていた。同時に同じ曲を(当然?)同じ邦題で,日本語詞を付けこれを日本人歌手が唄うということも広く行われていた。

 その後純日本製のポップスが増えるにつれこのような外国オリジナルのポップスが減少した。GSやフォークのはしりはこのような時期だった。昭和44年というとこのような時期を過ぎた頃だった。

 

そよ風のバラード(2020.7.11)

昭和44年,詞:こうじはるか,曲;楠田嘉靖,唄:スウィング・ウェスト

 「そよ風よあなたに もしも心があるなら」と始まる。

 悪い曲だとは思わないが,当時,それほどヒットしたという記憶がない。歌唱が,今ではちっとも珍しくない歌唱だが,当時としては素人っぽくプロの歌と聞こえなかったからではないか。もっともフォークのグループでは素人っぽい唄い方が多かったので,このグループもフォーク性をもっと強調すればよかったのかも知れない。

 

東京でだめなら(2017.9.24)

昭和44年,詞:星野哲郎,曲:首藤正毅,唄:水前寺清子

 「東京でだめなら名古屋があるさ 名古屋がだめなら大阪があるさ」という歌。

 このような根性ではどこへいっても成功しないだろうと思う一方,あまり思いつめずに再起を目指せと応援もしたくなる。七転八起になるか七転八倒になるかは判らないが,このように似てはいるが意味は正反対の四文字熟語があるということはどちらもそれなりに真理を含んでいるのだろう。

 お気楽人間は昔からいたのではないか。変わったのは思いつめるタイプの人間だろう。これが打たれ弱く(根性が無く)なった。昔は生きて行くのがやっとの人が多かったのでその分耐性もあったのだろう。戦後次第に暮らしが楽になると共に耐性が低下し,競争は減らないから落伍者は敗北感に耐えられなくなったのではないか。

 このように考えると,この歌は平等教育と格差社会とのギャップによる敗北感を抱いた者への応援歌であろう。特にチータが唄うと援歌に聞こえる。

 当時は一億総中流と言われてはいたが,格差はあった。ただ,戦後間もなくに比べ,全員の経済レベルが大幅に向上した。過去の自分と比べて自分は中流になったと感じたのだろう。

 

遠い世界に(2014.4.13)

昭和44年,詞:西岡たかし,曲:西岡たかし,唄:五つの赤い風船

 「遠い世界に旅に出ようか」と始まる歌。

 私がこの歌を唄うことはまずないだろうとは思うが,何かのときに唄うためにとっておきたいと思う良い曲だ。今がハッピーの絶頂期とはとてもいえない。しかし「僕たち若者がいる」「黒い霧を吹きとばし」「明日の世界を探しに行こう」と前向きだ。前向きだがメロディーは抑制が聞いていて,歌手の声も良く曲にあっている。

 

時には母のない子のように(2015.5.14)

昭和44年,詞:寺山修司,曲:田中未知,唄:カルメン・マキ

 「時には母のない子のように」と始まる歌。

 Wikipediaによれば田中未知は,当時,寺山修司の秘書だったとのこと。

 私の書棚にも寺山修司の本が数冊ある。ミーハーだった私は当時流行していた本を(安い本ばかりだが)手当たり次第に買っていた。しかし,どんなことが書いてあったか記憶にないので影響は受けなかったのだろう。ただ,この詞は寺山らしいと感じる。なぜかは解らないが,心の底にある寺山から受けた印象がこの詞と共鳴するのだろう。

 当時のこの歌に対する私の印象は,その頃流行っていた反戦フォークの一種と感じていた。カルメン・マキにヒッピーのような印象を持っていたからかも知れない。しかし,今,歌詞を読んでみると反戦のメッセージではないようだ。母親離れできていない自分に気づいたというところだろうか。

 大学紛争が盛んだった頃,『とめてくれるなおっかさん』1)に象徴されるように,ふとした機会に母親を思い出すことがあったのかもしれない。この前後,母親が登場する歌が増えているような気がする。

1)橋本治:「とめてくれるなおっかさん 背中の銀杏が泣いている 男東大どこへ行く」(昭和43年東大駒場祭ポスター)

 

とまらない汽車(2015.11.7)

昭和44年,詞:中山千夏,曲:都倉俊一,唄:中山千夏

 「とまらない汽車に ふたりで乗ってしまった」と始まる歌。

 「何かのまちがいだと思うのだけれども」「まちがいだっていいんだよ この娘が好きなんだ」という歌。「汽車」は恋のメタファーなのか。男歌なのだが,共感はできない。しかし,中山千夏はこのような男性が存在すると思っているらしいのが興味深い。

中山千夏が何を考えているのか,私には理解どころか想像すらできない。

 

どしゃ降りの雨の中で(2016.10.12)

昭和44年,詞:大日方俊子,曲:小田島和彦,唄:和田アキ子

 「とても悲しいわ あなたと別れて」と始まる歌。

 和田の2枚目シングルで,最初のヒット曲(オリコン19位)。

 別れの歌なのにパワフルな歌唱だ。(ったと思う。確認しようと思うが,音源を捜すのが面倒だし,私が持っているのは恐らく磁気テープだろうが,捜し出しても再生装置がないので聴くことはできない。)歌詞では「わたしは泣いた」とあるが,このような歌唱ではなかったように思う。同じく歌詞にある「私は叫ぶ」のほうがイメージによく合致した歌唱だったように思う。「どしゃ降り」という言葉には合っていた。

 

土曜の夜何かが起きる(2017.7.11)

昭和44年,詞:なかにし礼,曲:鈴木邦彦,唄:黛ジュン

 「土曜日の夜 何かが起きるの あの人の瞳が 燃えているから」と始まる歌。

 当時は多くの職場や学校では土曜は休みではなかった。土曜日の夜というのは休日前夜ということだ。

 曜日の概念はキリスト教文化によってもたらされたもののように思うので日本では開国後に採用されたのだろう。昔の丁稚奉公など,盆と正月しか休みがなかったらしい。

明治8年に官公庁は土曜日は半休になり,半ドンと呼ばれた。ドンは江戸時代に長崎の出島に伝わったオランダ語Zondag(日曜日)が訛ってドンタクが休み・休業を意味することばとして知られていたので,半休を半ドンと呼ぶようになったとの説がある。

高度成長期が終わるまで土曜日も働くのは普通だった。

昭和末期に日本は各国と貿易摩擦を起こし,日本人は働き過ぎだと欧米から非難された。『24時間戦えますか』1)と歌われたのはこのころだ。労働時間短縮のため,国家公務員が週5日労働になったのは平成4年である。学校では平成2年に第2土曜日が休みになり,平成7年には第4土曜日も休みになった。完全週5日制になったのは平成14年である。このためかどうかは不明だが,学力が落ちたと言われ,平成22年から土曜日の授業も認められるようになった。

1)「勇気のしるし」(平成元年,詞:黒田秀樹,曲:近藤達郎,唄:牛若丸三郎太): 栄養ドリンクのCMソング。牛若丸三郎太は時任三郎の変名。

 

ドリフのズンドコ節(2016.4.2)

昭和44年,作詞:不詳,補作詞:なかにし礼,作曲:不詳,唄:ザ・ドリフターズ

「ズンズンズンズンズンズンドコ」と小林旭盤1)に比べると4倍速で繰り返すところから始まる。歌詞は「学校帰りの森蔭で」と始まる。

原曲は海軍小唄。メロディーは小林旭盤より海軍小唄に忠実なようだ。『きよしのズンドコ節』2)などというのもあるが,これはまた「ズン ズンズン ズンドコ」などと雰囲気が違い,曲ももっと大幅にアレンジされている。

ドリフ盤はコミック・ソングになっている。私が選んで聴く歌ではない。

1)「ズンドコ節」(昭和35年,詞:西沢爽,曲:遠藤実,唄:小林旭)。後に他と区別するために「アキラのズンドコ節」と呼ばれるようになる。「ズンドコ節」には田端義夫盤などもある

2)「きよしのズンドコ節」(平成14年,詞:松井由利夫,曲:水森英夫,唄:氷川きよし)

 

長崎は今日も雨だった(2011.9.30

昭和44年,詞:永田貴子,曲:彩木雅夫,唄:内山田洋とクール・ファイブ

レコード大賞新人賞。「あああぁ〜 長崎は 今日も 雨だった」で終わる。無口なリードボーカル前川清が印象的。当時は東海テレビ−フジテレビ系の「夜のヒットスタジオ」が人気番組だった。最初は白黒放送だったと思うが,そのうちにカラー放送になった。ロイ・ジェームスがやっていた東海ラジオ−日本放送系の「不二家歌謡ベストテン」もよく聴いた気がするが,私が特に聴いていたのは初めてラジカセを買った昭和45年以後のようにも思う。もちろんラジオはもっと前から持っていたのだが。

研究室ではいつも夕方に青木小夜子の「こんばんは,こんばんは,もひとつおまけにこんばんは」で始まるFM愛知の「FMバラエティ」が流れていた。「ちょっと前の歌謡曲」のコーナーに入るときの言葉「過去をフイルターにかけると」というときの「フイルター」の「イ」の発音が気持ち悪かったのだが,聞きなれると個性だと感じられるようになった。

このころ全国の大学で紛争が激化。もとは70年安保の問題だったと思うのだが,主たる紛争原因は大学のあり方に関するものだった。一部では産学共同に対する激しい反対もあった。

 

嘆き(2017.7.27)

昭和44年,詞:安井かずみ,曲:村井邦彦,唄:ザ・タイガース

 「愛を残したまま 僕をひとりにした」と始まる歌。

 加橋かつみが脱退して、岸部シローが加入した後の最初の曲。私はザ・タイガースの顔はジュリー(沢田研二)とトッポ(加橋)だと思っていたが,トッポとシローのイメージギャップが大きく,違和感を持った。その後ザ・タイガース自体がイメージ・チェンジしていくことになる。

 

何故に二人はここに(2015.6.13)

昭和44年,詞:山上路夫,曲:鈴木邦彦,唄:Kとブルンネン

 「なぜに僕たち二人 生まれてきたの」と始まる歌。

 「なぜにこうして二人 愛しているの」とやや淋しげに唄っている。生活に困っているようではなさそうで,ハッピーな状態ではないかと思うのだが,山上にしてはめずらしく哲学的で分かりにくい詞だ。鈴木の曲はいかにも鈴木らしい。GSでもフォークデュオでも同じ雰囲気を醸し出している。

 歌として聴いていて何となくいい感じなのだが,私にとっては詞の感情が共有できないので思わず唄ってしまうという歌ではない。

 

七色のしあわせ(2015.11.29)

昭和44年,詞:岩谷時子,曲:いずみたく,唄:ピンキーとキラーズ

 「七色のしあわせ 虹の色に」と始まる歌。

 私のなかではこれは今陽子の唄声を聴く歌だ。詞は無理やりいろんな色を使おうとしているようなのだが,その使われ方が陳腐だ。「レモンの月」というのが新しいようにも思うが,特別に感激するわけでもない。曲も「しあわせ」が爆発する感じではなく,淡々とメロディーが進行する。

 唄声は独特の美しさだ。鈴を転がすような声ではないし,天に突き抜けるような声でもないが,若いのに艶がある。「な」の発音も使い分けているように聞こえるし,キラーズのコーラスが濁音で「が」と唄っている箇所もピンキーは鼻濁音で唄っているようだ。

 

涙でいいの(2016.5.24)

昭和44年,詞:なかにし礼,曲:鈴木邦彦,唄:黛ジュン

 「どうぞ泣かせないで 淋しい言葉で」と始まる歌。

 「悲しい心を かくして愛しあって」とか「小さな幸せ ひそかに胸に抱いて」というのは,このことに気付いたのだからそれはそれでよいのだが,「人は誰もみんな」とつけ加えているのはいかがなものかと思う。自分がこうだから他人も同じはずだと決めつけている。

 多くの人は普段はこのようなことは考えない。(お前こそ決めつけているじゃないかとのツッコミがありそうだが。)「愛しあって」いるときには隠すまでもなく「悲しい心は」忘れており,悲しみや苦しみにさいなまれているときには「小さな幸せ」には気付かずにいる。

 何かを相談されたときに,『誰もみんな』そうなんだから気にするな などと言ってしまいそうな気がする。相談するにはそれなりの個人的理由があるはずだから,もっと個人的なアドバイスを心がけるよう,この歌を反面教師としたい。

 「人は誰もみんな」と付けてよいのは,『年をとる』とか『いつかは死ぬ』という普遍の真理だけだ。このような前置きの後の言葉に合わない人間は「人」ではないと考えているようで,このような前置きをつける考えは危険な考えのように思う。

 

涙と幸せ(2020.6.16)

昭和44年,詞:浜口庫之助,曲:浜口庫之助,唄:江利チエミ

 「涙で暮らしたあの頃を 私は窓辺で思い出す」とはじまる。

 恋の思い出と涙は一体で,幸せも一体の思い出になっている。最近は恋も忘れてしまって,涙を出すこともなくなった。涙を流すことはなくなったけれど,これで本当に幸せなのだろうか。

 

涙の季節(2016.11.10)

昭和44年,詞:岩谷時子,曲:いずみたく,唄:ピンキーとキラーズ

 「あなたが耳もとで ささやいた夜明けは」と始まる歌。

 涙といっても悲しみの涙ではない。「私は今 あなたのもの」と感激?の

涙だ。『恋の季節』1)と同時にヒットしていた。

1)「恋の季節」(昭和43年,詞:岩谷時子,曲:いずみたく,唄:ピンキーとキラーズ)

 

人形の家(2014.5.22)

昭和44年,詞:なかにし礼,曲:川口真,唄:弘田三枝子

「顔もみたくないほど あなたに嫌われるなんて」と始まる歌。第11回日本レコード大賞歌唱賞を受賞した。

弘田は「ヴァケイション」など,パンチのあるポップスを唄っていた当時は,歌唱のパンチと共に,見た目も迫力のある姿形だった。栄養ドリンクのCMが似合う健康優良児だった。しかし,この曲のときには化粧も含め別人のようだった。最後の「私はあなたに命をあずけた」という箇所の迫力などは昔のままだったが。

 

初恋の人(2013.3.24)

昭和44年,詞:有馬三恵子,曲:鈴木淳,唄:小川知子

 「そよ風みたいにしのぶ あの人はもう」と始まる歌。女性が初恋の人を偲ぶのはこのような感じなのかという歌。私などはそもそも「のばらをいつも両手に抱いて」届けることができるような関係ではなかったし,「海辺へつれて走った」こともない。・・・まあ,私のことはいい。この歌は「何故だか逢えなくなって」しまった相手であり,「今なら恋だと分かる」ということなので『学生街の喫茶店』1)のような状況だったのだろう。

 いずれにせよ,悪くない歌だと思っていた。

この文を書くためにもう一度聴いてからと思ったのだが,すぐにこの曲を探し出せる状況ではなかったのでインターネットでみつけたのを聴いた。レコードではなく,恐らく当時の録画だと思われる画像付の歌だが,聴いて驚いた。もっと綺麗な声をしていたはずだと思ったのだが,・・・。きっとこのときは疲れていたのだろう。

 小川知子は恋人であったカーレーサー福澤幸雄が事故死した直後,『夜のヒットスタジオ』でこの曲を歌いながら泣き崩れたことは伝説になっている。私の怪しい記憶では,小川知子も泣いたのだが,それを見ていた周囲のほうが号泣していたような気がする。歌詞では単に別れた後どうしているだろうかということだが,現実には永久の別れだという事実を突きつけられながらの歌唱であり,周囲がもらい泣きするのも解る。

 このようなこともあり,この歌は印象深い歌だ。

1)     「学生街の喫茶店」(昭和47年,詞:山上路夫,曲:すぎやまこういち,唄:ガロ) 「・・・あの頃は愛だとは知らないでさよならも言わないで別れたよ」

 

初恋のひと(2018.2.15)

昭和44年,詞:有馬三恵子,曲:鈴木淳,唄:小川知子

 「そよ風みたいにしのぶ あの人はもう 私の事などみんな 忘れたかしら」と始まる歌。

 「何故だか逢えなくなって 恋しい人なの」と昭和歌謡定番の,別れて気付く恋心の歌だ。小川の哀愁を帯びた唄声がよく合っている。

 小川の3大ヒット曲を選ぶとすれば,『ゆうべの秘密』1)と共に必ず入る曲だろう。

1)「ゆうべの秘密」(昭和43年,詞:タマイチコ,曲:中洲朗,唄:小川知子

 

花と涙(2018.9.9)

昭和44年,詞:川内康範,曲:宮川泰,唄:森進一

 「愛のしとねに身を横たえて 女は花になればいい」と始まる歌。

 「男は」「口に出せない愛もある」,「つらさかくして生きている」,「涙の甘さを見せない」などの歌詞がある。今なら社会的・文化的に作られた幻想に過ぎないジェンダーを再生産することに資する歌だなどとの非難を受ける可能性もある。

 ジェンダー問題が盛んに議論されるようになったのは昭和50年頃以降だろう。昭和508月,インスタントラーメンのCMで『私作る人,ボク食べる人』というのが流され,これが男女の役割分担を固定するものだと非難され,同年10月には放映中止になった。CM制作者はこのような非難を受けることは予想していなかっただろう。そのような時代だった。

 川内が『男は大変なんだ』と思い詞を書いたのか,『男の身勝手』を思い詞を書いたのか解らない。しかし,ジェンダー問題解消を目指していたとは思えない。

 

はるみの三度笠(2018.3.26)

昭和44年,詞:市川昭介,曲:市川昭介,唄:都はるみ

 「あいつは女だ 男じゃないと バレてしまえば 私の負けさ」と始まる歌。

 はるみ節全開という感じで,都はるみの唄を聴いたことがあれば,この唄を初めて聴いても都はるみだとすぐ解る。

 あと,繰り返される「おっとっとっと いけないよ」という詞もこの歌の特徴の一つではあるが。

 

ひとり寝の子守唄(2014.6.30)

昭和44年,詞:加藤登紀子,曲:加藤登紀子,唄:加藤登紀子

 「ひとりで寝る時にゃよォー 膝っ小僧が寒かろう」と始まる歌。

 淋しい歌である。都会の4畳半一間で,友達もおらず一人暮らしをしている印象を受ける。この歌では最後に「一人者もいいもんだと」とあるが,歌詞の前半とは合わない。

 確かに,独り暮らしはいいもんだと思うこともあるが,そう思えるようなときは淋しいとは全く感じない。

 当時は携帯電話は世の中に存在せず,4畳半一間の生活なら固定電話もなかっただろう。このような暮らしで,昼間は仲間と一緒にいても,夜独りになったとき,無性に淋しくなることがある。特に突然体調が悪くなったとき,動くことも出来ず,このまま死んでしまったら,発見されるのはいつのことだろうかなどと思い淋しさが増す。

 ただ,加藤の詞はこのような淋しさを歌ったものではないようだ。恋人と一緒にいることが出来ない淋しさを歌っているのだろう。都会に暮らす孤独な若者の歌でもなく,田舎で暮らす独居老人の歌でもない。恋人は電話連絡もできないところにいる。再会1)を待ち望んでいるようにも思える。加藤の心境は想像できるが実感として感じたことはない。

1)「再会」(昭和35年,詞:佐伯孝夫,曲:吉田正,唄:松尾和子)を思い出す。

 

不思議な太陽(2015.12.22)

昭和44年,詞:なかにし礼,曲:三木たかし,唄:黛ジュン

 「淋しかったから くちづけしたの」と始まる歌。

 聴き慣れているせいか黛ジュンによく合うと思うが,なんとなくなかにし礼らしくないと感じてしまう。理由はよく解らない。なかにし礼は私が定年になってからテレビで顔を知った。この詞を書いてから30年以上経ってからだからそのギャップかもしれない。

 

フランシーヌの場合(2012.1.16)

昭和44年,詞:いまいずみあきら,曲:郷伍郎,唄:新谷のり子

 「フランシーヌの場合はあまりもおばかさん」という,ベトナム反戦等を訴えて焼身自殺したフランス女性の歌である。二番と三番の間に「Francine ne nous reviens plus」という男性アナウンサーのニュースのような台詞が入るが内容はニュースという訳ではない。

 東大安田講堂や京大時計台に機動隊が突入して占拠学生を排除するなど国内の学生運動も激しかったが海外でも激しい運度が続いていた。

 この年の佐藤・ニクソン共同声明で沖縄が昭和47年に返還されることが表明された。本土では戦争の傷跡は見えなくなってきていたが沖縄ではまだ占領と言ってよい事態が続いており,南方の島にはまだ日本軍の将兵がわずかながら残っていた。

 

抱擁(2016.12.9)

昭和44年,詞:荒川利夫,曲:山岡俊弘,唄:箱崎晋一郎

 「頬をよせあった あなたのにおいが 私の一番好きな においよ」と始まる歌。

 「泣きたくなるほど あなたが好きよ」というムード歌謡だ。スナックやクラブで唄う曲としてよさそうにも思えるが,当時カラオケはなかった。(カラオケ誕生は昭和43年とも46年とも言われるが,普及はもっと後である。)私は当時そのような場所に足を踏み入れたことはなかったので実態は不明だ。

 

惚れちゃったんだヨ(2018.3.31)

昭和44年,詞:吉岡治,曲:市川昭介,唄:都はるみ

 「ホー 惚れちゃったんだヨー」と始まる歌。

 最初聴いたときは惚れた歌かと思ったが,よくよく聴いてみると惚れられた唄のようだ。というか,女に惚れた男の歌の気持ちを歌った歌だ。

 「思いきれずに泣いてるバカさ」などと歌謡曲定番の歌詞のようにも感じるが,はるみの唄はパワー全開で身体ごと唄っているようで,思わず頑張れと応援したくなる。

 

本牧ブルース(2020.6.27)

昭和44年,詞:なかにし礼,曲:村井邦彦,唄:ザ・ゴールデン・カップス

 「知らない同士でも 心がかよう」と始まる。

 「名も身の上も 知らないけれど」とか「疑うことよりも 信じておくれ」などと言って最後には「それでいいじゃないか 愛しているなら」と言っている。

 昔なら,愛しているならより詳しく知りたくなったものではないかと思うが,この頃はそうではないらしい。

 これは「昨日は昨日 明日は明日」と今日だけを見て生きる生き方と関係しているのだろう。昭和30年代なら,将来を誓い合って一時離れて暮らすのもよくあるという時代だった。離れている間にいろいろあり,それがまた歌になったのだ。このように刹那的な生き方になったのはベトナム戦争,学園紛争などの社会情勢のせいだろうか。

 

坊や大きくならないで(2015.7.13)

昭和44年?,詞:浅井しげる,曲:Trinh Cong Son,唄:マイケルズ

 「坊や静かにおやすみ」と始まる歌。原題はMe Ru Con Ngu

 普通なら早く大きくなるように願うところを,この歌詞では「坊や大きくならないで」と歌っており,「大きくなると いくさに行くの」と恐れているのだ。当時の反戦フォークのうちの一つである。

 戦争は嫌だというのは誰もが共通に持つ思いだから平和平和と唱えていればいつかは平和なときが来るというのは幻想だ。正義あるいは善と悪は普遍的なものではないので性悪説・性善説ともに誤りだというのが私の考えだ。生まれながらの人の性は,あえていうなら無記だろう。人間は成長過程で善悪を記入されると考えている。

 生物学的には,種の保存に適した本能を持った種が進化の過程で生き残ってきたのであろう。人間はこの本能とは別に善悪を学び,時によっては本能に反してでも善と思うことをする。

 善悪の判断は広い意味での宗教に基づいてなされるのであろう。広い意味とは,人生金が全てと信じるような拝金教の信者や神はいないとする無神教も含めるという意味である。人類すべてが同一の宗教の信者でないので,当然何が善で何が悪かは人によって異なる。

 この歌の「坊や」は成長後も「いくさ」が続いていれば,当然のこととして正義の戦に出るかもしれない。正義と正義の戦いだ。正義と狂気の戦いになる場合もある。大義があると感じられない戦に駆り出されれば狂気にならなければ戦えないだろう。

 争いのない世の中が私の願いだが,この願いはかないそうもない。なんとかして,皆が納得できるルールができ,皆がこのルールを守る世の中になれば良いと思うのだが,ルールに不満な人々は必ず現れるだろう。

 

ぼくのそばにおいでよ(2017.10.6)

昭和44年,詞:Eric Andersen,訳詞:日高仁,曲:Eric Andersen,唄:加藤和彦

 「おいでよぼくのベッドに ぼくの可愛い人」と始まる歌。

 詞は情熱的にも見えるのだが曲は冷めている。この詞と曲の組み合わせでどのような状況・心情を表現しようとしているのか私には理解できない歌だ。

 

まごころ(2018.8.13)

昭和44年,詞:山上路夫,曲:三木たかし,唄:森山良子

 「あなたは通りすぎたの 私の前を」と始まる歌。

 想いを打ち明ける前に,あるいはそのような関係になる前に関係が断たれてしまった。このまま野の花になってしまいたいという歌。

 この歌を分類するとキャンパス・フォークなのだろうか。商業フォークと言ったほうが良いかもしれない。

 当時の大学は騒然としていた。紛争が高校にまで飛び火したところもある。

 前年から続いた日大闘争(紛争)も一部学生の過激化に伴い一般学生の支持を次第に失い,過激派以外の闘争は終息に向かう。同じく前年から紛争中だった東大も安田講堂事件を機に終息にむかう。しかし,昭和44年度の東大入試は中止となった。

 その後の闘争は昭和44年の三菱重工爆破事件,昭和45年のよど号ハイジャック事件やクアラルンプール事件,昭和47年のあさま山荘事件と過激さを増した。

 一般学生は昭和45年の大阪万博以降,それまでの紛争は忘れてしまったようである。

 

まぼろしのつばさと共に(2017.1.9)

昭和44年,詞:西岡たかし,曲:西岡たかし,唄:五つの赤い風船

 「今でもぼくは思い出すのさ」と始まる歌。

 「ぼくと同じ学生だった 国のためと死んでいった」とあり,「つばさ」とあれば航空特攻で散華した学徒しか思い浮かばない。「もう二度と見たくない」とあり,反戦歌である。

 しかし,なぜ「恋人と別れてきた」などと書かねばならないのか。両親や兄弟など,家族ではいけないのか。恋人との別れはつらいだろうが,別れるべき恋人がいなければ思い残すことはないとでも言いたいのだろうか。西岡は恋人ができない者の気持など理解できないのだろう。

 

真夜中のギター(2012.11.27)

昭和44年,詞:吉岡治,曲:河村利夫,唄:千賀かおる

 「街のどこかに 淋しがり屋がひとり」と始まる。いろんな理由で淋しさを感じることがある。そんなときは大声で唄うもよし,黙ってギターを奏くもよしだが,この歌では「黙って夜明けまで ギターを奏こうよ」ということだ。

 このようなときはクラシックギターだろう。気分がむしゃくしゃするなら,エレキギターで発散させることがいいかもしれない。しかしこれにはアンプやスピーカーが必要だ。フラメンコギターは楽しいというか,気分が高揚しているときに合うと思う。悲しい曲や淋しい曲もあるのだが,それなりの技量がないとまともに奏けない。クラシックだと,技量に応じていろんな曲があり,淋しい気分にあう曲も気軽に奏ける。フォークギターもいいが,歌を唄いたくなる。「愛をなくして」というのだから,歌を唄ってもいいと思うのだが。

 ハワイアンなどに使われるスチールギターも悪くはないが,やはりアンプやスピーカーが必要なので屋外に自由に持ち歩くことはできない。

 この頃,自宅等で音楽を聴こうとすると,ラジオかテレビ,あとはレコードだったと思う。音楽好きは大抵レコードプレーヤとオープンリールのテープデッキを持っていた。カセットテープができ,カセットデッキやラジカセなどがでていたのではないかと思うが,私は持っておらず,いつからカセットテープ時代になったのか記憶が定かではない。

 昭和50年ころ以降はカセットテープの全盛期だろう。昭和54年にソニーからウォークマンが出る前は大きなラジカセではあったが,カセットテープの出現で音楽を持ち歩くことができるようになったのだ。ステレオコンポ全盛時代は,低音を出すには大きなスピーカーが有効ということで流行しており,その信仰が続いていたのだろう,大きなラジカセを担いでいる若者をよく見かけた。

 ラジカセが持ち歩けるようになる前は,アコーディオン・ギター・ウクレレなどを持ち歩くしかなかった。もっと前なら,バイオリンを弾きながらというのもあり,更に古いところでは三味線や尺八だろうか,琵琶法師などというのもあった。

 

港町ブルース(2012.6.4)

昭和44年,詞:深津武志,補作詞:なかにし礼,曲:猪俣公章,唄:森進一

 「背伸びして見る海峡を」と独特なハスキーボイス,森進一の歌である。

 函館から始まり,宮古,釜石と順に南に向かい,最後は鹿児島に至る。女,涙,酒,港,昔の歌謡曲の定番を全て並べた曲で,歌詞の他の部分も,海峡がでてくる函館と桜島がでてくる鹿児島以外はどの港の話にしても良い歌。歌詞に特別な感慨は湧かないが,森進一の声でのこの歌は,一人ぼんやり飲んでいるときのBGMとしては悪くない。

 

みんな夢の中(2014.8.7)

昭和44年,詞:浜口庫之助,曲:浜口庫之助,唄:高田恭子

 「恋はみじかい 夢のようなものだけど」と始まる歌。

 「女心は」と詞は続く。私には女心は解らないが,何となく,詞は男性から見てこうあって欲しいという女を描いているのではないかと感じる。そして,女の夢に現れる男に自分もなれるという願望も。

 ひょっとしたら,私の想像を超え,女性は若いうちから『化天のうちをくらぶれば 夢まぼろしのごとくなり』1)の心境に達しているのかもしれないと思い直してもみる。

1)「人間五十年,化天のうちを比ぶれば,夢まぼろしの如くなり」。『敦盛』という幸若舞の演目のひとつの中の一節。織田信長が好んだと伝えられている。

 

ムーミンのテーマ(2015.8.10)

昭和44年,詞:井上ひさし,曲:宇野誠一郎,唄:藤田淑子,

「ねえムーミン こっちむいて」と始まる歌。歌詞に「男の子でしょ」という箇所があるが,当時はまだジェンダー問題は起きなかった。

玉川さきこ,松島みのり,堀江美都子なども唄っており,タイトルが「ムーミンのうた」となっているものもある。玉川盤は昭和45年度日本レコード大賞童謡賞を受賞している。

「ムーミン」はトーベ・ヤンソンの原作で,昭和44年にフジテレビ系でアニメ化放映された。

後日,フィンランドを訪れた際,ムーミングッズのお土産品が多数売られているのを見た。現代のゆるキャラというより,ディズニーキャラと同様の扱いのように感じられた。

 

もしもボクの背中に羽根が生えてたら(2017.11.23)

昭和44年,詞:西岡たかし,曲:西岡たかし,唄:五つの赤い風船

 タイトルそのままに「もしもボクの背中に羽根が生えてたら」と始まる歌。「空のお星様をひろい集めて」などとあり,羽根が生えていてもできないことが書かれている。これは仮定法過去の用法にもあてはまらず,論理的に破たんしている。ファンタジーなら何でも許されるのだろうか。

 「ハトの様に」とあるのは,何となく西岡らしいと感じてしまう。私ならもっと大型の鳥が好みだ。ハチのようにせわしなく羽根を動かさないと飛べないのだと,疲れてしまいそうな気がする。実際にはハチの体はそのようにできているので,あのように飛んでも特に疲れるということはないのだろうが,私ならアホウドリやコンドルのようにゆったりと飛びたい。恐らく西岡ならコンドルなどとんでもないというのだろう。

 羽根が欲しいと思ったことはないが,空を飛びたいと思ったことはある。子供の頃,空を飛んでいる夢を何度も観た。飛ぶというより浮いていると言ったほうが良いかもしれない。飛び方は魚の浮き袋の使い方に似ていて,肺を膨らますと浮き上がるという方法だ。風に流されることはできるが,風に逆らって進むのは重力などで加速してから方向変換するしかなかった。移動速度はスーパーマンなどに比べてはるかに遅い。

 このような夢を見ていた子供の頃,西岡のように「清くきれいな世界を創ろう」などとは思っていなかった。

 

夜明けのスキャット(2012.4.5)

昭和44年,詞:山上路夫,曲:いずみたく,唄:由紀さおり

 「る~~るるる~・・・・ら~~ららら~・・・」という曲である。最近(平成11年ころから)海外でヒットしているらしい。

 「愛し合う二人の」「時計はとまるの」というのが基本メッセージだ。解るようにも思うが,実は解らない。楽しいひと時はあっという間に時が経つ。締め切りに追われているときも速く時間が経過するようだ。苦しい時間,いやな時間ほど時の経過が遅くなるように思う。時の経過が遅くなった極限が「時計が止まった状態」ではないかとの疑問が湧く。

 答えは歌詞の最初のほうにあるようだ。「愛し合うそのときにこの世は止まるの」と歌詞にある。客観的には「この世が止まる」わけではないので,これは二人が「この世」や「時間」を認識しなくなるということなのだろう。時計を見て初めて時の経過を知ることができるという観点に立てば時計を見る頻度に応じて時の経過速度1)が変る。頻繁に時計を見るほど,時の歩みが遅いということだ。ひょっとしたらこの歌は,全ての存在は無常であり空であり,主観的にのみ存在するという唯識2)などに通じる深〜い思想の詞なのだろうか。確かに,浦島太郎は竜宮城で時を認識していなかったようだ。玉手箱を開けるまでは肉体的にも若さを保っていたはずだ。玉手箱を開けたのが時計を見たことに相当するのだろう。

 しかし,遅刻しそうなとき,いくら頻繁に時計をみても,時はどんどん経過していく。

 うーん。解らない。

この歌はこのような哲学的な問題を考えるためにあるわけではなく,幸せを感じるためにある曲だろう。そのために歌詞の大部分が意味のない「るーるーるるる」になっているはずだ。深く詮索せずに,由紀さおりの美声をBGMとして聞こう。

1) 時の経過速度というもの唯物論では無意味であろう。速度とは単位時間あたりの変化量である。くどくど私の思いを書いても結局は「つまらない」話なので省略。唯心論でも無意味だ。

2) あらゆる存在が8種類の識の産物であり,客観的な存在ではないとする(仏教のある派の)思想。私自身が理解しているわけではないので正確な注をつけることはできない。8種類の識とは,視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚・意識・無意識(2種)である。

 

夜が明けたら(2017.2.11)

昭和44年,詞:浅川マキ,曲:浅川マキ,唄:浅川マキ

 「夜が明けたら 一番早い汽車に乗るから」という歌。

 未明のカウンターで酔いつぶれる寸前の女が管を巻いているような歌といったらいいすぎだろうか。

 寺山修司は彼女を気に入っていたという話を聞いたことがあるような気がする。たしかにアイドルソングなどに比べれは,歌から感じるsoulは月とスッポンだ。しかし和風ではない。やはり私は和風が好きだ。

 

夜と朝のあいだに(2013.10.30)

昭和44年,詞:なかにし礼,曲:村井邦彦,唄:ピーター

 「夜と朝の間にひとりの私」と始まる歌。

 印象的な声である。歌詞は,率直に言えば,意味が解らない。哲学的な歌だ。意味不明にもいろいろある。言語不明瞭というのは平成の歌に多いように感じるが,この歌は言語明瞭意味不明瞭なのだ。哲学的と書いたが,哲学的とは何かと問われると答えられない。哲学自体を理解していないからだが,何となくこの歌が人生の不条理を歌っているように感じ,哲学が不条理の学問ではないはずなのだが,なぜか私の心の中では不条理と哲学が結びついているのだ。私が若い頃流行った実存主義(名前しかしらず,中身は知らないのだが)の影響を知らず知らず受けているかも知れない。

 全く歌の感じは違うのだが,後の井上陽水や小椋佳の一部の歌に同じような哲学的?印象を受けるのは私の感受性がおかしいのだろうか。

 

夜の銀狐(2019.7.10)

昭和44年,詞:水沢圭吾,曲:中川博之,唄:斉条史郎

 「淋しくないかい うわべの恋は」と始まる歌。

 「ソーロ・グリス・デ・ラ・ノーチェ」が印象に残る。当時ラジオでしばしば聞いた気がする。はっきりとした記憶はないのだが,歌謡番組で聴いた記憶ではなく,スポットCMのような形で流れていたように思う。

 当時のムード歌謡の代表曲の一つで,スナックなどではスタンダード・ナンバーの一つだろう。(もう長いことスナックなどには行っていないので,最近のことは知らないが。)

 

ローマの奇跡(2014.9.19)

昭和44年,詞:橋本淳,曲:筒美京平,唄:ヒデとロザンナ

 「ローマに朝日のぼる頃 白いお部屋であなたはねむる」と始まる歌。

 ロザンナの「チャオ! イナモラータ イナモラータ」という声が印象的。男女のデュエットは昔からあるが,それぞれ独立した歌手が,(頻繁ではあっても)歌に応じてデュエットするというのが普通で,常に二人一組の男女コンビというのはこのグループが初めてではないだろうか。

 当時のロザンナはまだ日本語の発音がネイティブ・ジャパニーズと違い,筒美の曲と相まってイタリアの雰囲気を出していた。歌自体はヒデが外国人の設定だが,歌詞は日本語,唄っている場所も日本ということでロザンナが外国人に見えるという複雑な設定で,ヒデがロザンナを見守っているようにも見え,新鮮な曲だった。

 

わかれ雨(2018.2.27)

昭和44年,詞:下地亜紀子,曲:徳久広司,唄:内山田洋とクールファイブ

 「涙がくしの女傘 くるり回せば想い出ゆれる」と始まる歌。

 ダメ男かどうかは不明だが,情の薄いことは確かな男に惚れた女の歌。

 「おんな泣かせの わかれ雨」という訳だ。「信じすぎたの バカなのね」と昭和の歌らしく自分のバカさ加減を自覚しているようだが,頭で解ったつもりになっても心からは得心していないのでまた騙されるだろう。

 

別れのサンバ(2014.11.1)

昭和44年,詞:長谷川きよし,曲:長谷川きよし,唄:長谷川きよし

 「何にも思わず涙も流さず」と始まる歌。

 歌詞はほとんど記憶に残っていない。

 サンバと聞くと映像で観るリオのカーニバルを連想する。あとは『お嫁サンバ』とか『マツケンサンバ』などだ。確かにリオのカーニバルでこれらの曲が流れても踊れそうには思うが,日本語の特性だろうか,歌詞のリズムは曲のリズムを1/2に分周したかのようだ。「別れのサンバ」はもっとスローな歌詞とメロディーラインで,サンバはとても踊れそうにない。しかし,メロディーラインの陰で刻まれているリズムは強烈で,陰で刻まれるというよりかなり明確にリズムが主張していて,やはりサンバだろう。このリズムに隠れて私の耳には歌詞が良く届かなかった

1)「お嫁サンバ」(昭和56年,詞:三浦徳子,曲:小杉保夫,唄:郷ひろみ)

2)「マツケンサンバ」(平成4年,詞:杉紀彦,曲:京建輔,唄:松平健)

 

忘れたいのに(I Love How You Love Me) (2017.3.9)

昭和44年,詞:B.Mann/L.Kolber/オクヤマミチノブ、曲:B.Mann/L.Kolber,唄:モコ・ビーバー・オリーブ

 「わすれたいのに あなたのことは想い出しても苦しいだけね」と始まる歌。

 原曲はThe Paris SistersI Love How You Love Me

 タイトルを見ると原曲はYou Love Meと現在形であるのに対し,日本語ではYou Loved Meの形の詞になっているようだ。原題を直訳せずに「忘れたいのに」としたところに感心してしまう。

 積極的に聴いて居たわけではないが実験室で眠気覚まし(?)にかかっていたことが多かったので『パンチ・パンチ・パンチ』1)のキャスター「モコ・ビーバー・オリーブ」には馴染があった。この曲が出た後,何かで彼女達の顔を初めて見て,予想との違いに驚いたことがある。

 そういえば『こんばんは こんばんは もひとつおまけにこんばんは』2)の青木小夜子なども,声は耳に馴染んでいたがどのような顔なのか知らなかった。

1)ニッポン放送系ラジオ番組。

2) 「FMバラエティ」(FM愛知)のオープニング挨拶。

 

私が死んだら(2019.8.28)

昭和44年,詞:なかにし礼,曲:川口真,唄:弘田三枝子

 「もしも私が死んだら あなた きっと涙をながして あなた」と始まる歌。

 当時も聴いたことがあるのは確かだが,どのように感じたかは記憶にない。ということは印象が薄かったのだろう。恐らく「もしも」を単純な仮定の話と捉えていたのではなかろうか。当時はまだ私も若く,死はずっと先のことだと思っていた。それで女は男を試すためにこんなことを言っていると感じて,反感をもっていたのかもしれない。

 いま聴くと違って聞こえる。「あなたのうしろから 歩いてゆけなくて 胸が痛む私だけど」というのは,医師からの告知・自殺やテロなどの危険な行動の決意など男に話していない秘密があるように思える。弘田の唄からは病の印象を受ける。

 そのような思いを隠しての「もしも」なら,もっと優しく反応してやればその後の展開は違ったかもしれない。当時の私にはそのような葛藤を感じ取ることができなかった。優しさが足りなかったのだろう。

 

私もあなたと泣いていい?(2019.1.29)

昭和44年,詞:三沢郷,曲:三沢郷,唄:兼田みえ子

 「悩んでる あなたのことが なぜか 私にわかるの」と始まる歌。

 傷ついたリスナーに呼びかけているような歌。一緒に泣くことぐらいしかできないというのだが,一緒に泣いてあげるという上から目線ではなく一緒に泣いてもいい?という目線が良い。外傷ならば医者に行くのだろうが,心の傷はとりあえずは泣くしかないだろう。泣けば傷の痛みは次第に癒されるだろう。寄り添って一緒に泣いてくれる人がいれば,再起もできるだろう。

 

Aquarius/Let the Sunshine In – Hair<輝く星座>(2012.1.13)

昭和44年,唄:The Fifth Dimension

 「When the moon is in the seventh house」と始まる歌。邦題は「輝く星座」。

この頃,各大学で紛争が頻発していた。元は昭和45年に日米安保の期限がくるが,この延長等に反対するという立場の運動だったはずだと思う。しかし,この年に近づくにつれ,闘争課題は次々と広がり,活動グループも穏健なグループから超過激派まで多数できた。過激派は大学解体を叫ぶ。一部の大学校舎は過激派学生によって占拠され,講義ができなくなる。セクト間の抗争も激しく内ゲバと呼ばれるような暴力事件も発生する。

大学によって種々の問題があった。大衆団交などというのもあり,暴力は行使されない建前だが,言葉の暴力は多々あり,長時間の軟禁(団交の席を立たせない)なども珍しくなかった。

例えば大衆団交で「教員が学生の研究成果を盗んだ」ということで教員が大勢の学生の前で釈明をさせられる。「大学院生が行ったかなり面倒な計算の結果を論文発表するにあたり,院生を著者に加えなかった」というような告発に対し,教員の言い分は「指示したのは私で,学生は言われたとおりにやっただけ。他の学生がやっても同じ結果になり,実際,論文投稿前には私も再計算した。」というようなものだったように思う。その後,論文の連名著者数が増え,研究に関係した多くの人間を著者に加えるようになったように感じる。

中には「業者を接待した」ということで告発された教員もいたらしい。高価な実験装置を購入できず,装置利用の便宜を図ってもらうために業者を接待したということらしい。当時は産学共同に関する学生の反対が強かった。また,私は学部生だったので詳細は不明だが当時は経理関係の制約も強かったようである。

This is the dawning of the age of Aquarius」ということだが,どのような時代が幕を開けたのだろうか。

 

Come Together<カム・トゥゲザー>(2018.11.5)

昭和44年,詞:Lennon/MacCartney,曲:Lennon/MacCartney,唄:Beatles

 「Here come old flattop  He come groovin’ up slowly」と始まる歌。

 私の英語力では歌詞を見てもよく解らない。聴くだけではそれこそ「Come Together

位しか聞き取れない。単語が聞き取れたような気がしても,詞の意味が頭にも心にも入って来ないのだ。この歌の解説を読むと,1番はジョージ・ハリスン,2番はポール・マッカートニー,3番はジョン・レノン,4番はリンゴ・スターの現状を唄っているらしい。解散直前のビートルズ,何とかもう一度一緒にできないかという気持ちだったのだろうか。

 当時の私はビートルズにほとんど関心が無かったのでこの歌にも関心はなかった。当時というより,ビートルズ登場の時代から,多くの若者に背を向けてベンチャーズに向かって行った私だった。そういえば,演歌はダサい・古臭いと若者から言われていた時期にも私は演歌に向かって行ってしまっていた。

 

Early In The Morning<しあわせの朝>(2020.1.2)

昭和44年,詞:Darin Bobby/Harris Woody,曲::Darin Bobby/Harris Woody,唄:Cliff Richard

 「Evening is the time of day  I find nothing much to say」と始まる歌。

 これに対して朝は「I feel that life is very good to me」と言っている。夜に比べて朝は素晴らしい。そして夜の後にはこの素晴らしい朝が必ずやってくるというのだろう。

 この歌のようなアフタービートの曲は日本の曲では少ないと思うのだが,この曲は聴いて違和感が全くない。いつの間に私の耳がアフタービートに馴染んだのだろう。

 

In The Year 2525<西暦2525年>(2020.3.8)

昭和44年,詞:Rick Evans,曲:Rick Evans,唄:Zager and Evans

 「In the year 2525, if man is still alive  If woman can survive, they mey find」と始まる歌。

 それから1010年毎に人類がどうなっていくかが歌われている。3535年には真実や嘘を言う必要がなくなる。次第に身体は使われなくなる。9595年にはどうなっているだろうか。約1万年が経ち,人類の時代は終わるというような意味か。

 私にはそんな遠い未来のことは解らない。もっと近い将来,地球が温暖化していくのか,あるいは氷河期に向かうのか,数10年後には明らかになるだろう。

 

La Pioggia<>(2014.12.14)

昭和44年,詞:Gigliola Cinquetti, 曲:Gigliora Cinquetti,唄:Gigliora Cinquetti

 「Sul giomale ho letto che  Il tompo cambiera」と始まる歌。「La Pioggia」から始まるサビの部分が印象的。

 Cinquettiは日本人っぽい顔つきをしていたという印象があり,インターネットで画像を検索してみたが,見つかる映像は外国人だ。当時どんな画像あるいは映像を見たのだろう。レコードジャケットではないかと思うのだが。

 

Melody Fair<小さな恋のメロディ><メロディ・フェア>(2019.3.25)

昭和44年,詞:Gibb Barry Alan, Gibb Maurice Ernest, Gibb Robin Hugh,曲::Gibb Barry Alan, Gibb Maurice Ernest, Gibb Robin Hugh,唄:The Bee Gees

 「Who is the girl with the crying face looking at millions of sings?」と始まる歌。

日本でヒットしたイギリス映画の主題歌。映画は英米ではあまりヒットしなかったそうだ。大人社会に反抗する子供の映画だそうだが,私は観ていない。日本以外ではアルゼンチンとチリでヒットしたそうだ。社会の状況や子供に対する考え方の違いが出ているのかもしれないが私には解らない。

曲自体には特別な感情を引き起こす要素は感じないので,映画と不可分な曲なのではなかろうか。

 

My Way<マイ・ウェイ>(2018.6.7)

昭和44年,詞:Paul Anka,曲:Claude François,唄:Frank Sinatra

And now, the end is near」と始まる歌。

the end」は人生の終わりである。自分なりの人生を生きてきて悔いはないということだろう。Frank Sinatraは当時50代の半ばに達しようとしていた年頃か。当時は特に違和感を持たなかったが,今思えば50代で人生を振り返るというのは少し早すぎるのではないか。

 Paul Ankaは当時30歳くらいなので,50代ならそろそろ人生を振り返る頃だと思ったかもしれない。当時の私はPaulよりももっと若いので,60歳はかなりの年寄りと思っていたので,50代で人生を振り返ることに違和感がなかったのかも知れない。

 原曲は昭和42年のComme d’habitude。詞の内容はPaul Ankaの詞とは違うらしいが詳しくは知らない。

 

Mr.Monday<ミスター・マンデイ>(2019.12.2)

昭和44年,詞:D.Lambert, B.Potter,曲:D.Lambert, B.Potter,唄:The Original Caste

 「Oh, Mr. Monday  Me oh my」と始まる歌。

 英語聞き取り能力が無いのでよく解らないが,耳に残った歌詞は「Mr. Monday, can you spare a dime?」くらいだ。dimeはもちろん10セント硬貨のことだろうが,「10セントくれない?」というのがどういう文脈で現れるのか解らない。

 これより10年以上後の話だが,ニューヨークで地下鉄通勤していた頃,42nd St.駅で『Spare some change』とか『Give me some change』と毎日叫んでいるオバちゃんがいた。この駅は大きな駅で,複数の路線が乗り入れており,乗換地下道に多様な物乞いがいた。他には数10セントの小銭を見せ,『地下鉄に乗りたいけど少し足りないから(貸して?)くれないか』と言ってくるおニイさんもいた。オバちゃんは歩く人々に呼びかけるのだが,おニイさんは個人的に話しかけてくる。商品?をペーパーボードに多数括り付け,販売している者もいた。観察していると,金を渡すのは見ても商品を受け取っている客は見たことが無い。商品を受け取らないのは暗黙の了解なのかと思うような商売?の人もいた。もちろん,ストリート・ミュージシャンも多かった。下手なのが多いが,たまには上手いのもいた。いずれにせよ,多くの人は無視するのだが,寄付?する人も少なからずいた。宗教的な理由によるものではないかと思っていた。

 ところで曲だが,普通というか,どちらかというと賑やかな曲だという印象だが,歌声は哀愁を感じる。詞の意味を知らずに聴いていると歌声が曲の賑やかさを中和していい感じに聞こえる。

 

Raindrops Keep Fallin’ On My Head<雨にぬれても>(2018.7.22)

昭和44年,詞:Hal David,曲:Burt Bacharach,唄:B.J.Thomas

 「Raindrops are falling on my head」と始まる歌。

 米映画『Butch Cassidy and the Sundance Kid(邦題)明日に向かって撃て』でのポール・ニューマンとキャサリン・ロスのデートシーンで挿入歌として使われた。

 雨は雨漏りか。自転車デート中なので雨漏りではないかもしれないが,要するにロクなことがないという状況だ。このような状況だが悲観はしていない。近いうちにいいことがあるだろうと前向きな歌だ。いいことというのは大金が入るという意味だろう。手段は列車強盗だが。

 国内でも複数の会社がCMに起用している。

 

Venus<ヴィーナス>(2019.1.1)

昭和44年,詞:Robbie van Leeuwen/Robert Leeuwen,曲:Robbie van Leeuwen/Robert Leeuwen,唄;The Shocking Blue

 「A goodess on a mountain top  Was burning like a silver flame」と始まる歌。

 「Venus was her name」とあり,その後も「She’s go to it」と代名詞はSheを使っている。ところが別の箇所では「I’m your Venus」と唄っている。

 私の英語力ではSheVenusなのかIVenusなのか解らない。山頂にいるのが本当のVenusで,私があなたのVenusというのは比喩なのだろうか。「I’m your fire at your desire」という言葉もある。

 そういえば,美術の時間に習った『ヴィーナスの誕生』は海の絵だったような気がするが,成長して山に行ったのだろうか。

 結局,歌詞はよく解らないが,曲は単調なリズムを判りやすく刻んでおり,素人が踊る真似事をするには適した曲だ。

 

Volano le Rondini<つばめのように>(2015.6.20)

昭和44年,詞:L.Pilat/D.Pace/M.Panzeri,曲:L.Pilat/D.Pace/M.Panzeri,唄:Gigliola Cinquetti

Io da banbina giocave con te」と始まる。繰り返される「Guarda, guarda, guarda, volano le rondi ni」というフレースが印象的。

Cinquettiは日本語でも唄っており,タイトルは「つばめのように」,昭和45年の発売である。

私にとってのCinquettiのベストソングはNon ho l’eta1)である。

1)Non ho l’eta」(昭和39年,詞:Panzer N. & Nisa,曲:Panzer N. & Nisa,唄:Gigliola Cinquetti