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昭和の歌曲名索引

平成の歌

 

昭和63年〜

目次

昭和63年 あぁグッと,愛が止まらない,I MISSED “THE SHOCK”,秋,秋からもそばにいて,あなたを愛したい,雨酒場,AL MAUJ(アルマージ)AMBITIOUS,いつか何処かで(I FEEL THE ECHO),祝い酒,いわゆるひとつの誤解です,Witches〜ウイッチズ〜,憂き世川,ANGEL,風のエオリア,風のLONELY WAY,かっこつかないね,COME ON EVERYBODY,川の流れのように,GOOD MORNING-CALLGET BACK IN LOVE,恋したっていいじゃない,恋一夜,KOME KOME WAR,酒よ,五月雨ワルツ,C-Girl,昭和舟歌,じれったいね,ストレンジャーtonight,セシル,SEVEN DAYS WAR,太陽の破片,滝の白糸,TATTOO,旅立ちはフリージア,Diamondハリケーン,抱いてくれたらいいのに,抱きしめてTONIGHTDance If You Want It,剣の舞,DAYBREAK,吐息でねっと,とんぼ,パラダイス銀河,Beach TimeBEYOND THE TIME(メビウスの宇宙を越えて),Believe AgainFU-JI-TSU,ふたり,炎のエスカルゴ,ほらね春が来た,What’s your name?,僕の腕の中で,Mother’s Touch,人魚姫〜mermaid〜,Marrakech〜マラケッシュ〜,みんなのうた,MUGO・ん・・・色っぽいYou’re My Only Shinin’ StarYou Were Mine,夢おんな,RunnerONE NIGHT GIGOLOOne More Kiss

昭和64 目を閉じておいでよ

 

あぁ,グッと(2023.11.25)

昭和63年,詞:康珍化,曲:吉田拓郎,唄:近藤真彦

 「風がバタバタ鳴っている 街のはずれのちょうちんで」と始まる。

 「あぁグッとグッと飲もうぜ夜明けまで」などの歌詞から,タイトルの意味が解る。

 「恋は破れて傷になる 人とぶつかり人を知る」などの歌詞は解りやすいし,「たとえば海がさけならばお前は魚になるという おれは渚の貝になる浪が来るたび酒を飲む」なども解りやすい。

 演歌にできそうな詞だが,さすが拓郎,演歌にはしなかったようだ。というより,ここは編曲の松下誠・中村哲の力によりこのような曲になったのだろう。

 

愛が止まらない(2012.12.)

昭和63年,詞:M.AitkenM.StockP.WatermanAttken,日本語歌詞:及川眠子,曲:M.AitkenM.StockP.WatermanAttken,唄:Wink

Car Radio流れるせつなすぎるバラードが友達のラインこわしたの」と始まる歌。アイドルソングと言ってよいだろう。歌詞も「Fura-Fura-Fura乱れてる」などとまともな日本語ではないようなので聴いても何を言っているか解らないが,雰囲気は感じられる。もちろんそのような効果を狙っての作詞なのだろう。しかし私が好んで聴く歌ではない。

平成元年には第22回全日本有線放送大賞グランプリ,Winkは「淋しい熱帯魚」1)で第31回日本レコード大賞を受賞。

1)      「淋しい熱帯魚」(平成元年,詞:及川眠子,曲:尾関昌也,唄:Wink

 

愛が止まらない〜Turn it into Love(2020.7.18)

昭和63年,詞:M.Aitken, MStoc, P.Waterman/及川眠子,曲:M.Aitken, MStoc, P.Waterman,唄:Wink

 「Car Radio流れる せつなすぎるバラードが」と始まる。

 「友達のライン こわしたの」とあるが,もう,ここで世代の差を感じる。恐らく,異性の友達というのがあって,その友達としての一線を越えてしまったということなのだろう。私の世代だと,友人・仲間の関係だったのが,何らかの理由で離れ離れになり、その結果友情以上の感情があったのに気付くが時既に遅しというのが歌の題材だったように思う。これが時代の差なのだろう。

 やや気だるそうに感じる唄い方だが,「JUST いとしくて 止まらない もう あなたに ビネツ奪われている」という感覚は伝わって来る。

 

I MISSED “THE SHOCK” (2020.8.16)

昭和63年,詞:Qumico Fucci,曲:Qumico Fucci,唄:中森明菜

 「夜が長い一日のせいで あなたがわからなくなっていた」と始まる。

I MISSED “THE SHOCK”」と何度も繰り返されるが,この意味が理解できないので全体がさっぱりわからない。

全体からは愛を試した結果愛を失った歌のように聞こえるのだが,「愛がもう取り残されるの」というのは全てを失ったが愛だけが残っているようにも聞こえる。

結局理解できないので感情移入もできない。

 

(2013.6.5)

昭和63年,詞:大津あきら,曲:MARK DAVIS,唄:男闘呼組

 「稲妻光らせサヨナラの雨が」と始まる歌。

 リアルタイムでは聴いたことがなく,今回初めて聴いてみた。ロックとバラードを聴いたのだが,曲としてはロックバージョンに身体が反応する。まあ,メロディーというよりはリズムに身体が反応するだけだ。

 私は基本的には日英混合の歌詞を好まない。英語の部分は何を言っているのかわからない。歌詞との関係ではバラードバージョンのほうが私の好みに合うはずなのだが,私にとって最も心地よいのは,歌詞を聴こうとせずにロックバージョンのリズムに身を任せているときだ。バラードと言いながらマイクを使わないと言葉が聞き取れないのではないかというような歌唱に聞こえる。

 

秋からもそばにいて(2019.2.2)

昭和63年,詞:小倉めぐみ,曲:伊藤玉城,唄:南野陽子

 「好きよ好きよはなれないで 夏は遠くかすむけど」と始まる歌。

 やはりアイドルソングだろう。しかし,他のアイドルソングとの差はダンスなどとのトータルではなく歌だけ(ルックスも?)で勝負しようとしているように感じられる点だ。歌は低音がやや弱いようで,技巧も優れているとは感じられないが,聞き苦しくはなく,素直な唄で声も悪くない。

 残念ながら,当時既に私はこのような歌に魅かれる時期を過ぎてはいたが。

 

あなたを愛したい(2019.5.21)

昭和63年,詞:田口俊,曲:萩田光雄,唄:南野陽子

 「あなたの夢でふと目覚めた夜明け」と始まる歌。

 「恋をなくすたびに」と「ふりむいた時あなたがいてくれた」の間に言葉が挟まれており,「ふりむいた」のが「恋をなく」したときなのか,「恋をなく」したときとは無関係なのかよく解らないが,なんとなくひとつの「恋をなく」したとき「ふりむいた」らあなたがいたと読め,この変わり身の早さが新時代かと感じる。

 とはいえ,アイドルの歌としてはこんなものだろう。南野の歌もアイドルの歌だ。

もう少し編曲を大人しくして,昔の歌手に唄わせたらどうなるか聴いてみたい。

 

雨酒場(2013.2.1)

昭和63年,詞:里村龍一,曲:聖川湧,唄:香西かおり

「おちょこにお酒つぐたびに」とはじまる歌。第30回日本レコード大賞新人賞曲。彼女は本名の香西香で民謡のレコードなどもだしていたが,いわゆる歌謡曲デビューは遅い。遅いとは言っても若い演歌歌手だ。経験豊かな彼女には失礼だが私からみれば今でも十分若い演歌歌手だ。

「田舎造りの居酒屋で」とあるが,この当時,わたしはあまり居酒屋に行ったことがないので彼女くらいの年齢で「女ひとりのしのび酒」というのが一般的だったのかどうか知らない。歌詞の内容は八代亜紀くらいに合いそうで,当時の香西には10年以上早いといいたい気もするが,私の偏見だろう。

若い演歌歌手がでてくることは嬉しいことだ。

 

雨酒場(2016.10.17)

昭和63年,詞:里村龍一,曲:聖川湧,唄:香西かおり

 「おちょこにお酒つぐたびに 涙が落ちる音がする」と始まる歌。

 何回聴いても演歌なのだが,どこかに違和感があった。私の感じでは新演歌というべき曲だ。どこに違和感を持つのかというと発声ではなかろうか。

 桜井長一郎ではなかったかと思うのだが,山本富士子の真似をするときには,普通の人が息を吐きながら話すところを,息を吸いながら話すようにすると言っていたような気がする。息を吸いながら唄っているとは思わないが,香西かおりは唄いながら吐く息の量が少ないのではないか。特に弱い音の場合に顕著な気がする。多くの演歌歌手はもっと吐く息の量が多いように感じるのだが,私だけの思い込みかもしれない。

 

AL-MAUJ(アルマージ)(2019.3.1)

昭和63年,詞:大津あきら,曲:佐藤隆,唄:中森明菜

 「夢一途に愛されても 恋無残に流されても」と始まる歌。

 曲自体は嫌いじゃないタイプの曲だが,詞には魅かれるところがない

 「悪魔」・「天使」,「棘」・「蜜」,「喜劇」・「悲劇」,「刹那」・「永遠」など相反する言葉を対にして出してアンビバレントな心の動きを表現しようとしているのかもしれないが,対比が極端で,単に揺れ動く心と言うようなものではなく,私には異常に感じられ,共感できない。

 なお,アルマージとは何のことかさっぱりわからないが,ネット情報によればアラビア語で「波」という意味らしい。意味が伝わらない言葉を使う理由が理解できない。

 

AMBITIOUS(2019.8.7)

昭和63年,詞:松井五郎,曲:箕輪単志,唄:HOUND DOG

 「できるまで何度も飛ぼうとした 翼をなくしてないか?」と始まる歌。

 「つまらないことで壁にぶつかり ためいきをついてないか?」と続く。

 「まちがいをおそれてばかりいて 立ち止まっていなか?」などの歌詞がある。

 若干,上から目線のような感じも受けるが,激励ソングだ。

 私の人生にもためいきばかりついていた時期があった。自分ではためいきをついている自覚はなかったのだが,ある人に指摘されて気づき,それを自覚することにより状況が改善した。指摘した人は軽い気持ちで言ったようだが,私にとっては精神的立ち直りの大きなきっかけになった。この歌詞にも同じような効果がある。

 しかし曲は騒々しい。このような騒々しいロックはフラストレーションが溜まってムシャクシャしているようなときに聞いたり演奏したりするのはよいが,精神状態によっては歌詞も耳に入らず,うるさいだけということもある。

 

いつか何処かで(I FEEL THE ECHO) (2019.11.10)

昭和63年,詞:桑田佳祐,曲:桑田佳祐,唄:桑田佳祐

 「今も忘れない 夢の別れ道 通り過ぎてく 女性に焦がれて」と始まる歌。

 「そんな惨めな恋などしたくない」というのだからそのような歌なのだろうが,歌詞には英語がいっぱいちりばめられており,(日本語の部分も良くは解らないのだが),はっきり言えば,何が言いたいのかさっぱりわからない。何が「惨め」なのか。逢えないことが問題のようだが,なぜ逢えなくなったのかが解らないのでどのように反応すればよいのか解らない。

 現状に至る経緯を書くと全体の経緯が明確になることを嫌って,あえて経緯を書かずに現在の心境だけを記しているのかもしれないが,私には共感できない。

 

祝い酒(2011.11.14)

昭和63年,詞:たかたかし,曲:猪俣公章,唄:坂本冬美

 「浮世荒波ヨイショと超える」「笑顔うれしい祝い酒」である。演歌の一種だと思うが,怨歌ではないし艶歌でもない。援歌とも少し違う。宴歌と言うべきか。庶民の和風宴席にはこのような歌がよく似合う。

 

いわゆるひとつの誤解デス(2021.1.6)

昭和63年,詞:尾関昌也,曲:尾関昌也,唄:CHA-CHA

 「恋する瞳SOプリテンダ−」と始まる。

 「お天気雨のこの性格を あぁ・あぁ・そっくり預けマス」とはどういう意味だろう。どこの預けるのだろう。

 写真の話や鍵の話は解りやすい話で,図星なのを無理矢理誤解だと言い抜けようというのか。この程度の薄い内容に,「君にBETTER SO プリテンダー」などと意味の解らないフレーズで水増しした歌詞になっている。

 

Witches〜ウイッチズ〜(2020.8.6)

昭和63年,詞:康珍化,曲;CINDY,唄:中山美穂

 「Boy I Wanna Be Your No.1」と始まる。

 歌詞に英語が入るのは好みではないが,流行りのようなので仕方がない。

 「あなた今 彼女のもの」と昔は珍しかった男性を女性が所有するかのような言い回しも違和感が減ってきた。

 ストーリーは二人の女性がこの男性を取りあうものだ。はしたないと思い,二人の女性を魔女にしたのだろう。

 シンデレラは登場していないので,この戦いに勝つのは一方の魔女だろう。この男性の将来が気になる。

 

憂き世川(2016.11.16)

昭和63年,詞:吉岡治,曲:北原じゅん,唄:瀬川瑛子

 「昨日や今日の夫婦じゃないわ どこの誰よりあんたがわかる」とはじまる歌。

 「身体ひとつで始まったから怖いものなど今更ないわ」と演歌のパターンの中のひとつ。

 苦しくても生きて行くという強さが底にある。

 吉岡・北原・瀬川の組み合わせなら演歌として間違いない。吉岡もそうだが,北原は歌謡曲の本道を歩んできて,演歌がジャンルとして確立される前後から演歌系歌謡曲に重心が移っているような気がする。たまたま私が知っている吉岡の詞や北原の曲がそうなのかも知れないが。

 

ANGEL(2020.3.12)

昭和63年,詞:氷室京介,曲:氷室京介,唄:氷室京介

 「ONE WAY SO FAR AWAY  STAND BY ME ANGEL」と始まる歌。

 日本語の部分のほうが多いはずだが,ボーっと聴いているとどこから日本語になったのか解らない程,私には日本語の歌詞が聞き取りにくい。歌詞を見てはじめてこういう詞だったのかと解った。詞が私の感性と全く合わないからだろう。

 「弱さをやさしさにすりかえてきたけど」というのは解るような気もするが,その前の詞との関係を考えると解らなくなる。

 聴いただけでは全く分からず,詞を読んでもよく解らない歌だ。

 

風のエオリア(2012.6.23)

昭和63年,詞:大津あきら,曲:徳永英明,唄:徳永英明

 「だからエオリア」と高音で始まる。私の世代の歌ではない。年寄りになると耳が遠くなる。マイクをかじるようにささやかれると何を言っているのか聞き取れない。メロディは悪くないが歌詞とのマッチングが良いとは私には思えない。徳永英明と私は一回りほどしか違わないと思うのだが,世代の差を感じる。

 商品名はよく聞き取れ,メロディも印象に残るのでCMソングとしては悪くない。

 

風のLONELY WAY(2014.1.20)

昭和63年,詞:田口俊,曲:杉山清貴,唄:杉山清貴

 「見知らぬ街角 追い越してく風の中で」と始まる歌。

 このような雰囲気の曲は嫌いではないが,歌詞には共感できる点がない。どのような状況であればこのような詞ができるのであろうか。恐らく田口と私は感性が異なるのだろう。

作詞関係でも多くの賞をとっている田口だから,私の感性が鈍いか,時代に遅れているのだろう。

 次第に私の感性が時代についていけなくなり,かつ当時仕事が忙しかったこともあり,当時は歌を聴く時間もほとんどなかった。この歌も,今突然聴いてもこの歌だと認識できるほどには聴いていない。

 

かっこつかないね(2014.9.26)

昭和63年,詞:松井五郎,曲:筒美京平,唄:田原俊彦

 「薔薇の唇から迷う吐息」と始まる歌。

 聴きたいという意欲が湧かない歌だ。詞に共感はできないが理解はできる。曲に関してもそれほど悪いと感じるわけではないが,唄として聴くと何も感動するものがない。あれだけ体を動かしながらよく唄えると感心するが,実のところよく唄えているとは言えないように感じる。ステージを観る,あるいはステージ会場で身体全体で感じる曲としては。

 

COME ON EVERYBODY(2020.8.27)

昭和63年,詞:小室哲哉,曲:小室哲哉,唄:TM NETWORK

 「壊れる 壊されてゆく 幼い 時代の魔法が」と始まる。

 歌詞には英語の部分がかなりある。とは言え,同じフレーズの繰り返しのようだからそれほど難しい英語ではないのだが,聴いていても私の頭には入って来ない。

 唄を聴くのではなく,ダンス音楽として聴くのなら悪くない。盆踊りと一緒にしては申し訳ないが,盆踊りでも歌詞を聴かずに,あるいは歌詞が聞き取れないまま踊っていたことが少なくなかった。

 

川の流れのように(2012.10.10)

昭和63年,詞:秋元康,曲:見岳章,唄:美空ひばり

31回日本レコード大賞金賞。昭和6312月発売のアルバムに収録された。シングルが発売されたのは翌111日だったが昭和64年は1週間しかなかったのでこれは平成元年になる。美空ひばりは平成元年624日他界。遺作である。

「知らず知らず歩いて来た」「いくつも時代は過ぎて ああ 川の流れのように」という歌だが美空ひばりが唄ったから残った曲のように思う。秋元康がこのような詞を書くのかと驚いてしまうが,恐らく美空ひばりに唄わせるということでこのような詞を書いたのだろう。超がつきそうなクラシカルな詞で新鮮味は感じない,口語で書いてあるのが不思議なほどだ。しかし,過去にこのような陳腐な詞を発表した作詞家は居なかったようで,ひばりに対しこのような詞を提供した秋元が非凡なのだろう。ひばりだからさまになるが,おニャン子やAKBではとても唄えないだろう。

 

GOOD MORNING-CALL(2020.1.7)

昭和63年,詞:小泉今日子/小室等,曲:小泉今日子/小室等,唄:小泉今日子

 「広い海の真ん中 臆病な小舟は 濡れた枕を抱いて ゆらゆらとさまよう」とはじまる歌。

 私の耳が悪いからか,何を言っているのか解らない。言葉と言葉の繫がりの必然性が感じられない。歌詞を文字で見ると,言葉間の繫がりはそれなりにあるようには思えるが,私の感性とは違うので,私の発想にはない言葉の繫がりなのだ。突然英語に変る箇所があるのも解りにくい原因の一つだ。

 要するに,唄っているKYON2を観ているだけでハッピーならばそれも良いのだが,映像なしの唄だけを何度も聴きたいとは思わない。

 曲は好き好きなのだろう。私にはテクノ系に聴こえ,やはり繰り返して聴きたいとは思わない。

 

GET BACK IN LOVE(2018.9.13)

昭和63年,詞:山下達郎,曲:山下達郎,唄:山下達郎

 「誰もいない風の道を 見つめていた朝の事を」と始まる歌。

 「想い出は欲しくない あなたを取り戻したい」という歌だが,なぜ「GET BANK IN LOVE AGAIN」だけ英語なのだろう。曲もこの部分が強調されている。私なら心の底からの思いなら最も使い慣れている日本語で出てくる。英語のほうがカッコいいと思っているのではないか。それとも二人の共通言語が英語だったのだろうか。

 想い合っている二人が諸般の事情により泣く泣く別れるというのは昭和歌謡の一つのテーマだが,この時代なら少なくとも一方の意志が働いて別れることになったのだろう。気持ちが解らないわけではないが,おそらく自業自得なんじゃないかと感じてしまう。

 

恋したっていいじゃない(2015.4.17)

昭和63年,詞:渡辺美里,曲:伊秩弘将,唄:渡辺美里

「ロードショー泣きだしたこともある」と始まる歌。

 当時は朝から晩まで仕事一筋、テレビやラジオも見聞きせず,好みのタイプの歌も減って,歌も古いカセットテープを聞く程度だった。この歌も今回初めて聴いた気がする。

 曲はこのタイプの曲の中では嫌いな方ではないが,唄からのメッセージが伝わって来ない。言語明瞭意味不明瞭という感じだ。私自身も思考は次々と目まぐるしく変化するが,思いついたことをそのまま並べたのではコミュニケーションにならない。少し整理した後,口に出すことでようやく他人との意思疎通ができる。もちろんメッセージのない,感情だけが溢れ出た歌も共感できる感情ならばそれはそれでよい。

 「恋いしたっていいじゃない」と何度も繰り返しているのでこれがメッセージなのだろうが,「I want you, I need you」と言っているyouの態度が冷たいのだろうか。曲の印象はハッピーそうなのに詞はあまりハッピーそうには聞こえない。私とは感性が異なる。平成のJポップも私の感性には合わない気がするので,私が時代に取り残されたということだろう。

 

恋したっていいじゃない(2019.9.1)

昭和63年,詞:渡辺美里,曲:伊秩弘将,唄:渡辺美里

 「ロードショー 泣きだしたこともある 交差点 裸足で踊ったこともある」と始まる歌。

 激しいという訳ではないがロックだ。10代の頃はロックのリズムを聴くだけで血が踊ったときもあったが,この頃にはそのような時期を過ぎていた。

 昔の女性ボーカリストは記憶にないが,昭和の末期には何人か現れ,平成に入ると女性ロックバンドも活躍するようになる。女性解放運動の成果の一つかもしれない。

 昔は曲が好きなら歌詞はどうでもよかったが,当時の私は意味不明な歌詞の歌に対する興味は薄れていた。外国の音楽を聴かなくなったのは歌詞を聞き取るのが困難だったからだ。この歌の詞も相互にあまり関係なさそうな詞が次々とでてくる。しかし,関係なさそうだが出て来た元はひとつだと感じ,上手くは表現できないが統一感がある。ロックとはそういうものかもしれない。

 

恋一夜(2015.6.18)

昭和63年,詞:松井五郎,曲:後藤次利,唄:工藤静香

 「濡れた髪をはじめて見せた夜」と始まる歌。

 「わからない わからない どうなるのか」とあるが私も解らない。この歌が解らない。

アイドルソングということだろうが,アイドルならもっと笑顔で唄える楽しそうな歌を唄わせた方がいいのではないか。

 

KOME KOME WAR(2014.12.20)

昭和63年,詞:米米CLUB,曲:米米CLUB,唄:米米CLUB

 「オーグーテンタークアトランダムショー」と始まる歌。

「デタラメトーク」とあるように,でたらめに単語を並べたようでもあり,意味を持たせて並べたようでもあり,私には理解できない歌詞。「プリーズオープンユアマインズ」と言われても困ってしまう。歌と思って聴くから解らないのだろうが,短いフレーズは意味があるようなので益々混乱してしまう。理解できないものを無理して聴くこともないと思う。聴くときは歌唱と思わずに生きた楽器と思って聴けばよいのかもしれない。

 

酒よ(2011.11.9)

昭和63年,詞:吉幾三,曲:吉幾三,唄:吉幾三

 「涙には幾つもの想い出がある」で始まる歌。音がほとんど跳ばないのではじめてでも唄いやすい歌。

 「一人酒,手酌酒,演歌を聞きながら」。やはり黙々と独酌というのは寂しい。音楽でも聞きながらが良い。「手酌酒」というのだから日本酒だろう。吉幾三のイメージも日本酒だ。

日本酒や焼酎には演歌が良く似合う。私の場合は酔ってくるとスローテンポの曲が良い。演歌はスローな曲が多いので酔ったときに良い。悲しい歌が多いが中には楽しい歌もある。ウィスキーやブランデーならクラシックも悪くないがレイモンルフェーブルやポールモーリアも良い。ワインも同じだが私はどちらかと言うとイージーリスニングを選択するだろう。紹興酒のようなものを一人で飲むことは滅多にない。ビールを一人静かに飲むということもない。手酌で飲むこともない。私にとってビールはハワイアンなどのバンドが入っていて,しかしあまり聞いている客はおらずに客同士話し合ってざわついている屋外で,特大(少なくとも大)ジョッキで飲むものだった。最近は体調のせいでビールが飲めなくなってしまった。今でも昔のようなビアガーデンはあるのだろうか。

 

五月雨ワルツ(2020.4.11)

昭和63年,詞:浅木しゅん,曲:杉本真人,唄:小林旭

 「花の咲かない 人生に 花を咲かせて くれた人」と始まる歌。

 「さすらう二人」であり「そっぽ向いてる 倖せも」という状況で,「このまま死んでも 構わない」と思いながら「駅のホームを 二人で見つめ」ている。

 小林の独特な高音は歌に応じていろんな表情を持つ。この歌では哀愁を漂わせているが,高音のせいか暗くはない。詞も孤独にさすらっているのではなく,二人でさすらっているという点に世間並みの幸せはないかもしれないが,救いが感じられる。

 

C-Girl(2019.12.9)

昭和63年,詞:森雪之丞,曲:NOBODY,唄:浅香唯

 「接吻(くちづけ)じらして 誘ったダイビング・ボード」と始まる歌。

 私には,アイドルソングのひとつとしか言いようがない。

 化粧品のイメージソングとして使われた。

 尚,タイトルにあるCはビタミンCのことだと浅香は言っているらしい。

 

昭和舟歌(2020.5.17)

昭和63年,詞:いではく,曲:遠藤実,唄:小林旭

 「世間に背き 義理に泣き 故郷はなれた 遠い日々」と始まる歌。

 「今夜は飲めよ 熱い酒 ふたりの人生 たたえよう」と終わる。昭和の香が漂ってはいる。しかし,いろいろあったが今は満足という歌の雰囲気からはバブルに向かう昭和末期を感じる。

 

じれったいね(2021.9.1)

昭和63年,詞:森浩美,曲:筒美京平,唄:少年隊

 「AH・・・じれったいようなKISSをして YOUすぐに身体を逃がしてく」と始まる。

 平成の歌にありそうな,聴いただけでは解らなそうな歌。

 たとえば「BOOGIE-WOOGI刹那いね」とあって,これを聴いてもこの字は思い浮かばない。もっとも詞を見てもどのような意味なのか解らないが。

 個々のフレーズの意味は想像できたとしても,フレーズ間の関係が解らない場合が多い。世の中の変化について行けなくなってしまった。

 

ストレンジャーtonight(2024.11.29)

昭和63年,詞:売野雅勇,曲:NOBODY,唄:荻野目洋子

 「ピンクのルージュで”Still in Love with You” ロメオのドアに走り書き」と始まる。

 歌詞に英語の箇所があり,私にとって解り易いとは言えないが,詞を読んでみると「名前呼び捨てに されなくなって 気にかかる」と失恋ソングっぽい。「You Are the Stranger in My Heart」とここが英語になっているのは,日本語で言ってしまうとより自分が傷つくと感じているのだろうか。

 最初のほうに「ロメオ」とあってこれが何なのか説明がないが,荻野目ならアルファロメオだろう。BMWが六本木のカローラと呼ばれた時代だろうか。別世界の話で,誰が失恋しようと私には無関係な歌詞だ。

 曲はとっても親しみがある。こんな曲を何曲も聞いてきた気がする。

テレビ朝日系のドラマ『マドンナ先生はロックンローラー』(荻野目洋子)の主題歌。

 

セシル(2020.5.1)

昭和63年,詞:麻生圭子,曲:NOBODY,唄:浅香唯

 「あなたの悲しみ 代われるなら 私はこのまま そばにいたい」と始まる歌。

 人は弱ったり迷ったりすると「友達以上の 愛を捜すの 今夜私がそれに なれればいいのに」と殊勝である。しかし,私にはスケバン刑事のイメージが強く(マンガもドラマも観ていないので,主人公の麻宮サキがどんな人物かは知らないのだが),スケバンという言葉から受けるイメージとこの歌は合わないように思う。

 当時の浅香は中山美穂,工藤静香,南野陽子とともにアイドル四天王と呼ばれていたことは知っているが,私は転勤したばかりで,歌を聴いている時間もなかった。

 そもそも,この頃からJ-POP系の歌が増え(J-POPという言葉が定着したのは平成になってからだが),これらは私の好みではなかったので寸暇を惜しんで聴こうという気にならなかったのだ。もっとも私に言わせればこれはJ-POPではないとも言える。あえて言えばスケバンとはミスマッチの昔ながらのアイドルソングだ。

 

SEVEN DAYS WAR(2020.2.4)

昭和63年,詞:小室みつ子,曲:小室哲哉,唄:TM NETWORK

 「”Revolution” ノートに書きとめた言葉 明日をさえぎる壁 のり越えてゆくこと」と始まる歌。

 角川映画『ぼくらの七日間戦争』(宮澤りえ)の主題歌。原作は宗田理の同タイトルの小説。

 「ルールと正しさの意味 わからないまま従えない」という若者の歌。

 中学生くらいになるとこのようなことを考える者が現れる。多くは成長と共にこのようなことを忘れ,かすかに覚えている者はこれが大人になるということだと嘯く。社会改革運動に打ち込む者もいる。哲学のような学問に引き込まれる者もいるが,それらの多くは途中で放棄し,別の道に進む。上手く転身できないと身を滅ぼす者もいる。ごく限られた少数が学者・思想家として成功?する。しかし,いつまでたっても万人を納得させることができる成果は得られない。

 曲としてはサウンドが厚いというか,騒々しいが,メロディラインは比較的単調だ。詞を聴かずに,曲だけを聴いていれば年寄りでも聴いていられる。

 

太陽の破片(2019.10.8)

昭和63年,詞:尾崎豊,曲:尾崎豊,唄:尾崎豊

 「昨晩(ゆうべ)眠れずに失望と戦った 君が悲しく見える 街が悲しいから」と始まる歌。

 純粋な魂の叫びのようにも聞こえるが,何となく違和感が残る。

 「自由 平和 そして 愛を何で示すのか」と言っているが,これらの意味を自己流に解釈しているのかもしれない。

 「僕の手も握らずに 消えるのは何故」というのがきっかけで,根拠もないのに「人はいつも 偽りつづける」と一般化へ飛躍する。詞にはでてこないが『平等』『公平』などという言葉の解釈も独りよがりなものなのではないか。ひょとしたら『個性』なども同様かも知れない。これらの内容はいずれも社会的に決まるものであり,自分の心に浮かぶ内容と一致しているとは限らない。一致しない場合,なぜかを考えるのが青春だ。

 「愛を傷つける」,「愛を何で示すのか」,「愛を信じている」などと言っているが,『愛とは何か』を真剣に考えた結果なのだろうか。「愛」に関して自己中心的な思い込みがあるがゆえに「昨晩 眠れずに」ということになったのではないか。

 

滝の白糸(2014.3.5)

昭和63年,詞:吉岡治,曲:市川昭介,唄:石川さゆり

 「心だけ下されば 倖せだから」と始まる歌。

 「滝の白糸」に関しては泉鏡花の小説を原作として何度か映画化されていることくらいしか知らない。ただ,題名とごく簡単な粗筋は,どこで読んだか聞いたか覚えがないが,少しは記憶にある。恐らく,テレビの無い時代の話で,映画の製作数もそれほど多くなかっただろうから,数少ない映画を多くの人が観て,粗筋なども有名だったのだろう。明治三大メロドラマ1)など一度も読んだことが無くても,映画や芝居を観たことが無くても,粗筋や有名な台詞は誰もが知っていた。歌舞伎,新国劇,浪曲,ラジオドラマなど何でもだ。

 カラオケなどが出る前は,宴会で隠し芸を披露するというのも頻繁に行われていた。その中で,声色(こわいろ)というのがあった。決め台詞のものまねだ。このネタ用に種々の演劇等の決め台詞を纏めた本も売り出されていた。私が「滝の白糸」を知ったのはこのような本からではないかと思うが今となっては検証のしようがない。

 この歌が発表された昭和の末期に「滝の白糸」と言うだけで内容が朧にも理解できる人間がどの程度いたのか疑問だ。唐突に「好いた御方に裁かれて」と言われても状況を理解できない人が多かったのではないか。Wikipediaによれば昭和48年に岡田茉莉子と田村正和でNET系テレビドラマがあるが,この当時なら,同時に他のドラマも多数あり,国民的な知識になっていたとはとても思えない。吉岡は年寄りをターゲットにこの詞を書いたのだろうか。若者に理解されない詞では,若者の演歌離れが加速するのではないかと危惧する。

 市川の曲は出だしから強く発声する石川のヒット曲を意識してか,この特徴を上手く使った曲になっている。前奏は編曲者によるものかもしれないが,これも今は滅多にみることのない水芸人の雰囲気が良くでている。

1) 金色夜叉,不如帰,婦系図

 

TATTOO(2019.7.14)

昭和63年,詞:森由里子,曲:関根安里,唄:中森明菜

 「都会(まち)にはびこる 哀れなアンドロイド」と始まる歌。

 アップテンポでノリのよい曲でぼんやりと聞いている分には良いのだが,私には歌詞が聞き取れない。聞き馴れないカタカナ語や英語が多用されているのと,テンポが速いのが原因だろう。「バラのTattooを紅く刻んで 産まれ変わるのよ」とか「咲かせなさい その胸に 消えないバラを」とかいうのは聞き取れるのだが,「バラのTattoo」が文字通りのTattooなのか何かの比喩なのかすらわからずお手上げだ。

 BGMで流れていてもよいが,私が聴く歌ではないようだ。

 

旅立ちはフリージア(2014.11.8)

昭和63年,詞:Seiko,曲:タケカワユキヒデ,唄:松田聖子

 「手のひらに あなたの名前を何度も書いてみるの」と始まる歌。

 アイドル歌謡として詞を読めば,悪くはないと思うが聴いてよく解らない外国語が詞に入っているのは私の好みではない。作詞のSeikoは松田聖子である。曲はよく解らない。アイドル歌手の歌ということでこのような編曲になっているのだろうが,アイドル歌手と言っても松田の唄は聴かせることができるので,もっと詞が聴きやすい編曲のほうが私の好みだ。全体としてみたとき,松田の唄の中では初期の唄のほうが好きだ。

 

Diamondハリケーン(2015.2.1)

昭和63年,詞:田口俊,曲:井上ヨシマサ,唄:光GENJI

 「うずまく空 嵐を呼べ ちっぽけな哀しみを 吹き飛ばして」と始まる歌。

 アイドルソングである。歌を聴かせるというよりステージを見せるタレントだろう。

 ところで,『光GENJI』が所属するジャニーズ事務所の所属タレントは男性アイドルが中心である。それもグループが多い。『ジャニーズ』や『フォーリーブス』にはじまり『シブがき隊』『男闘呼組』『光GENJI』へとつながる。『少年隊』『SMAP』『TOKIO』『V6』『嵐』『関ジャニ∞』『KAT-TUN』などのほか『KinKi Kids』や『近藤真彦』など皆ジャニーズ事務所だ。ほかにも有名なグループ等が所属している。

 女性アイドルグループの代表と言ってもよいであろう『AKB48』についてはよく知らないがAKSに所属しているようだ。しかし他のプロダクションに所属しているメンバーもいるようで,どうも私にはよく解らない。

 ただ,噂に聞くところによるとAKB48は総選挙などといってメンバー間を競わせているのに対し,ジャニーズ事務所は所属タレントの間に優劣順位をつけないために所属タレントが各種の賞を受賞するのを辞退しているという。どちらの方針がよいのか私にはわからないが,興味深い方針の違いである。

 

抱いてくれたらいいのに(2016.3.1)

昭和63年,詞:松井五郎,曲:後藤次利,唄:工藤静香

 「抱いてくれたらいいのに そばにいたいから」と始まる歌。

 女心の歌なのだろう。私には理解できない。曲も私の予想外の音が現れ,心地よく聴いていられない。

 工藤静香はおニャン子クラブの会員番号38番だ。昭和60年代の女性アイドル四天王1)のひとり。ということで,アイドルソング(歌の評価より,歌い手のアイドル性の評価のほうが重要)なのだろう。

1)工藤静香,中山美穂,南野陽子,浅香唯。

 

抱きしめてTONIGHT(2013.8.2)

昭和63年,詞:森浩美,曲:筒美京平,唄:田原俊彦

 「悩み事をかくすの案外下手だね」と始まる歌。

 もともとトシちゃんの歌はあまり聴いておらず,特にこの時期は歌全般をあまり聴いていなかったのでこの歌も今回初めて聴いてみた。

 感想は,『トシちゃん,結構歌上手いじゃない』だ。トシちゃんの初期の歌を聴いたときは,『うーん』という感想だったのだが。作曲が筒美だというのも,私の感覚にあうのかもしれない。ただ,歌詞にはなかなかついていけない。結局は私が歳をとったということだろう。

 レコード盤からCDへと媒体が変化していったのはこの頃だ。

 

Dance If You Want It(2016.8.15)

昭和63年,詞:久保田利伸,曲:Antoon Rodney Michael,唄:久保田利伸

 「Dance if you want it!」とコーラスから始まる歌。

 「アイツを見放した夜 街角に流れるbluesy saxophone」などと日本語の歌が始まったと思ってもすぐに英語のようなものが入る。私には断片的にしか理解できない歌詞が続く。何となく『とにかく踊れ』というメッセージのように聞こえる。曲はリズムがはっきりしておりよほどのリズム音痴でもリズムに乗れそうで,ダンス音楽としては踊り易い曲のようだ。

 

剣の舞(2013.4.3)

昭和63年,詞:康珍化,曲:馬飼野康二,唄:光GENJI

 「胸に秘めた切なさ切れるほどだよ」と始まる歌。「剣の舞」とのタイトルから受ける感じとは違って,爽やかな若人の歌声と聴くこともできるが,昔人間からすれば典型的な軟派の歌のように聞こえる。そもそも「ハートの剣を磨いて戦うつもり」とはどういうことだ。

「剣の舞」と聞くと,ハチャトゥリアンの曲を思い出し,この曲からは騎馬戦士の集団を感じる。一人の戦士の舞でも剣の舞をイメージできるが,いずれにせよ外国の戦士だ。日本刀なら「剣の舞」というより「剣舞」だろう。

GENJIのこの歌は,テレビで観たことはあるが,自分で唄うことはない。

 このように軟弱な歌に「剣の舞」というタイトルをつけるというのは日本が平和な証拠だろう。それはそれで悪いことではない。

 

DAYBREAK(2016.12.14)

昭和63年,詞:大津あきら,曲:Mark Davis,唄:男闘呼組

 「渇いた 風を殴り 迎えに来たぜ!」と始まる歌。

 夏の終わりと同時に恋が終わる歌は数多くある。しかし,これは「終わった夏より 妬きつく愛が 始まる」と,どうも秋に始まる愛の歌のようだが,私には暑苦しく感じる歌だ。もちろん,夏の暑い日はそれなりに良いし,熱い音楽が聴きたいときもある。しかし,秋には涼しさが感じたい。このような音楽に浸れなくなったのは私の年齢のせいなのだろう。

 男闘呼組のデビュー曲で,オリコンで年間4位,第30回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞している。時代はこのような歌を認めていた。

 

吐息でネット(2017.1.23)

昭和63年,詞:田口俊,曲:柴矢俊彦,唄:南野陽子

 「卒様式にはなやぐ並木路」と始まる歌。

 「吐息でネット あなたを縛りたいずっと」と,「ネット」とは何かと思ったら相手を捕まえる網のようだ。「わがままじゃなくて」とは言っているが,わがままだろう。

 アイドルソングだが,ステージパフォーマンスを見るというより,ステージ上のアイドルそのものを見るための歌だろう。

 

とんぼ(2019.6.17)

昭和63年,詞:長渕剛,曲:長渕剛,唄:長渕剛

 「コツコツとアスファルトに刻む 足音を踏みしめるたびに」と始まる歌。

 「死にたいくらいに憧れた 東京のバカヤローが」とあるので憧れの東京にでてきたけれど思ったようには行かなかったようだ。

 「俺は俺で在り続けたい」などというのは個性重視の教育の犠牲者なのではないだろうか。『自分探し』に落ち込んでしまうのが最大の犠牲者だ。この歌の場合は「在り続けたい」自分をいうのを既に見つけているようだが,そのまま「在り続ける」ことができるのが天才なのだろう。しかし,一人の天才の陰に無数の挫折者が存在する。

 「自分」は生きてきた結果をふりかえって見えるものだ。未来に捜しても見つからない。見つけられるのは目標だ。目標は達成できてもできなくても,適宜修正を加えていくものだ。そして生きてきた結果が自分なのだ。

 東京に憧れ出て来た。とりあえずは東京に出ることが目標だったのだろう。何か解らないが東京にでれば何かいいことがあるだろうという程度で上京したとすれば考えが甘いと言わざるを得ない。おそらくは上京してやりたい何かがあったのかもしれない。いろんな成功譚を読むと上京して芽が出たというようなのが多く,地方ではどうしようもない,とにかく東京へということだったのか。しかし成功には運と実力が必要だ。大都市は人口が多い分,落伍者の数も多い。

 天才の要件は目標設定とその目標達成のために努力し続ける力だろう。この能力が高く,成功したのが天才で,失敗したのが変人だ。目標達成の能力は教育で伸ばすことができるだろう。この教育の効果が上がった結果が秀才だ。既知情報の分析により課題や目標を設定する能力は教育によって伸ばせそうだが,ヒラメキを伸ばす教育をすると秀才は減ってしまうのではないか。

 秀才を目指す教育では独自のヒラメキは押さえつけられるかもしれないが,それでも出てくるのが変人で,変人の中で成功したのが天才ではないか。

 

とんぼ(2020.7.5)

昭和63年,詞:長渕剛,曲:長渕剛,唄:長渕剛

 「コツコツとアスファルトに刻む足音を踏みしめるたびに」とはじまる。

 「死にたいくらいに憧れた花の都“大東京”」とあるが,この時代でもこんな意識が残っていたのか。昭和30年代には東京に憧れる歌が多数あった。東京で成功したという歌はあまり思いつかないが東京へ出て来たけれどうまく行かないという歌は多数あった。その後田中角栄の日本列島改造の影響だろうか,新幹線が通り,高速道路が通り,地方から東京はかなり近くなった。

 この歌はTBSで放映されたテレビドラマ『とんぼ』の主題歌だそうだから,このドラマも時代背景が少し古い時代なのかもしれないが,私はこのドラマを観ていないので詳細は不明だ。

 「ああ しあわせのとんぼよ どこへ お前はどこへ飛んで行く」とトンボが幸せそうに見えているようだ。しかし気付くべきだ。トンボにも突然昆虫採集の子供や鳥に襲いかかられる危険があることを。

 

パラダイス銀河(2013.9.21)

昭和63年,詞:飛鳥涼,曲:飛鳥涼,唄:光GENJI

「ようこそここへ 遊ぼうよパラダイス」と始まる歌。第30回日本レコード大賞。

 昭和の歌より平成の歌に近いと思うが,レコード大賞受賞曲なので挙げた。ジャニーズ事務所はその後,賞レースへの所属タレントの出場を辞退している。AKB総選挙などは厳密には賞とは言えないのかも知れないが,レースであることは間違いなく,ジャニーズ系とは対極にある。ジャンケン大会など,出来レースのような気もするが,ファンが喜ぶのだからショーとしては成功ということか。世の中の動きについていけないが,このようにして世代交代は進んでいくのだろう。

 歌としてこの曲がこの年の1番とは私には思えないのだが,レコード売り上げという観点からは1位なのだろう。ちなみに,この年の日本有線大賞は桂銀淑の『夢おんな』である。なお,この年は陛下の御不例のためいくつかの音楽祭などは中止されている。レコード大賞金賞(=大賞ノミネート)曲のひとつである坂本冬美の『祝い酒』など,いい歌だと思うが,この年だったというのは巡り合わせが悪かったということだろうか。

 まあ,私にとってジャニーズ系のタレントは歌手ではなくアイドルである。もちろんアイドルが悪いわけではない。私の関心が小さいというだけだ。

 

Beach Time (2014.4.20)

昭和63年,詞:亜蘭知子,曲:織田哲郎,唄:TUBE

 「Beach Time 青い夏のせいさ」と始まる歌。

 当時はこんな歌を聴く気分ではなかったので,ほとんど聴いたことはなかったのだが,今聴いてみると,基本的には好きなタイプの曲だ。ドラムスの音を聴いていると,この程度なら自分でも・・・などと思い(実際にはとても無理なのだが),血が沸き立つ思いがこみ上げてくる。歌いだしも声が良く出ていて気持ちが良い。リズムとメロディーに心を任せるには,夏の雰囲気とも良くマッチした良い曲だ。

 残念ながら,歌詞に共感するには私は歳をとりすぎている。そもそも「青い夏」などと聞くと青いのは春1)ではないかと思ってしまう。とても「きらめく地球へDiving」などできない。「乾いた俺をいやしておくれ」など,まあ,私も乾いてきてはいるが癒しておくれなどと要求できる立場ではない。

 詞にこだわらずに曲を聴けば,好きな曲だ。

1)      青春,朱夏,白秋,玄冬

 

BEYOND THE TIME(メビウスの宇宙を越えて)(2015.3.10)

昭和63年,詞:小室みつ子,曲:小室哲哉,唄:TM NETWORK

 「You belong to meサヨナラ言えなくて」と始まる歌。

 この頃は音楽をほとんど聴いていないのでこの文を書くために聴いてみた。昭和の歌とは思えない。曲は私がイメージする小室哲哉の曲だ。

詞は昭和の香を残してはいるが,昭和末期であることは間違いなさそうだ。「平和より自由より正しさより君だけが望むすべてだから」と聞くと『義理と人情を秤にかけりゃ義理が重たい男の世界』1)はどこへ行ったと言いたくなる。とはいえ,昭和の前期にも『あきらめましょと別れてみたが なんで忘りゃう忘らりょか』2)と軟弱な歌もあるにはあった。昭和の人間もいろんな人間がいたということだろう。

この歌は『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』主題歌だそうだ。そう聞くとガンダムのストーリーに対して私が持っているイメージとマッチしているように感じてしまう。もっとも私はガンダムマニアから見ればガンダムに関して何も知らないと見えるだろう。詞はいいがやはり曲は別の作曲家ならどのような曲になるのか聴いてみたい。他の作曲家と言っても坂本龍一や細野晴臣などではない。誰がよさそうかは解らないのだが,谷村新司などはどうだろうか。

1)「唐獅子牡丹」(昭和40年,詞:矢野亮/水木一狼,曲:水木一狼,唄:高倉健)

2)「無情の夢」(昭和11年,詞:佐伯孝夫,曲:佐々木俊一,唄:児玉好雄)

 

Believe Again(2018.8.17)

昭和63年,詞:麻生圭子,曲:中崎英也,唄:浅香唯

 「人は傷つけあい 夢を覚えていくの」と始まる歌。

 「ツライ夜は長く続かない」「Try Again」「いつか夢は現実(ホント)になるから」などの歌詞があるが,唄い方がカワイコブリッコ過ぎで説得力が感じられない。悩んだことのないアンタに,この気持ちが解る筈ないと感じてしまう。

 

FU-JI-TSU(2015.5.19)

昭和63年,詞:中島みゆき,曲:後藤次利,唄:工藤静香

 「こんな小さな星では きっと出会ってしまう」と始まる歌。

 中島みゆきの詞なら理解できると思っていたのに,理解できない詞を発見した。

 別れたあとで,アベック(死語か?)同士ですれ違ったとき,微笑みかけたのに無視され怒っているようだが,曲と歌手が詞に合っていないのかもしれない。中島が曲も作ればもっと違って聞こえるかもしれない。ただ,工藤が唄ってマッチするかどうかは不明だ。歌も中島が唄えば印象はかなり違うと思う。しかしそれでもなお「不実です」とはどういうことだろう。別れた後の「実」とは何なんだろう。中島は自分が唄うつもりなら「不実」と言う言葉を使わなかったのではなかろうか。工藤が唄う詞として「不実」を詞にいれたのではないだろうか。

 しかし,作曲まで中島になれば中島節になるだろうから,工藤には合わないだろう。結局,工藤に唄わせる詞を中島に書かせたのがミスマッチなのではなかろうか。

 

ふたり(2019.3.29)

昭和63年,詞:飛鳥涼,曲:飛鳥涼,唄:少年隊

 「どうしてそんな風に自分を辛くするの」と始まる歌。

 「みんな寂しがり屋さ 心温めあえる夢を捜すのさ」などというのは私がイメージする少年隊っぽくない。まあ,チャゲアスだと言われたら,それなら納得と思うかもしれない。

 ところで,「みんな寂しがり屋さ」などとどうやって「みんな」であることを確認したのか解らないような話を「みんな」とひとくくりにするような話にするのは詐欺のニオイがプンプンする。

 

炎のエスカルゴ(2016.4.10)

昭和63年,詞:秋元康,曲:後藤次利,唄:とんねるず

 「アイアヤヤヤイセニョリータ・エスカルゴ」と始まる歌。

 私には理解不能な歌。「おまえの瞳に愛のエナジー」とはどういう意味だろう。

 エナジーとはエネルギーの英語的表示のつもりだろうか。歌詞に「ふたりの誓いは遠いエルパソ」などと入っているので英語とスペイン語の入り混じった歌詞にして雰囲気を出そうとしているのかも知れない。しかし,「遠い」のは日本からエルパソなら遠いと感じるのだが,テキサスかメキシコからなら「遠い」ことはないように思う。とんねるずの歌だから意味などどうでもよいということだろうか。

 雰囲気を感じ取る歌なのだろう。

 

ほらね,春が来た(2014.8.14)

昭和63年,詞:秋元康,曲:後藤次利,唄:うしろ髪ひかれ隊

 「Come on Come on Come on Come on」と何やらわけのわからない呪文の後,「春が来たぜ ほらね春が来た」と始まる。

 「うしろ髪ひかれ隊」はおニャン子クラブの工藤静香・生稲晃子・斉藤満喜子のユニット名。これは唄を聴くための曲ではなく,唄っているアイドルを観るための曲というのが私の感想だ。キャンディーズの『春一番』1)のように,声から春が来たウキウキ感が伝わってくる歌のほうが好きだ。

1)「春一番」(昭和51年,詞:穂口雄右,曲:穂口雄右,唄:キャンディーズ)

 

What’s your name? (2019.1.5)

昭和63年,詞:宮下智,曲:Jimmy Johnson,唄:少年隊

 「What’s your nane?」と数回繰り返した後,「あなたが欲しい」と始まる歌。

 そんなに動き回らなくてもいいじゃないかと思うほどステージ上で動き回る。あれで十分唄えるのだろうか。少なくとも数10年後の懐メロ番組に出ようと思ってはいないようだ。

 詞に関しては,「吐息のヴィーナス」などのように何のことか解らない言葉の並びが少なくなく,聴いても内容が頭にも心にも残らない。助詞の省略が多いからだろうか,互いに無関係?な単語の羅列のように聞こえる。

 聴く歌ではなく,ステージを観る歌だろう。

 

僕の腕の中で(2018.12.8)

昭和63年,詞:秋元康,曲:林哲司,唄:杉山清貴,

 「君のその瞳は 夏の陽射しのようだね」と始まる歌。

 私の心には響かない。私の英語力がないので,頑張って唄っている「FLY AWAYI!」が私の心に何も訴えて来ないというのが主な原因かもしれない。

 自分の胸の奥に青空があるから,君はその青空を自由に翔べばいいと言っているような気もするが,そうだとすると自分は御釈迦様だとでも思っているのだろうか。孫悟空を掌の上で飛行させたように。

 

Mother’s Touch(2014.7.7)

昭和63年,詞:松本隆,曲:宇崎竜童,唄:藤井郁弥

「瞳を閉じてごらん栗色の髪の少女」と始まる歌。胃腸薬CMソングらしいがこの当時テレビも観なかったのだろう,ほとんど記憶がない。しかし,今,聴いてみると母親に全てを委ねた乳幼児の頃の記憶があれば,それを大人になって歌詞にするとすればこのような歌詞になるのかというような詞だ。曲も私が持つ宇崎のイメージとは異なり,この詞のイメージによく合っている。唄は低音が聞き取りにくいが高音は素敵だ。乳幼児の言葉あるいは乳幼児にかける言葉とすれば聞き取りにくいのは必ずしもネガティブな評価にはならない。「Oh Mother Oh Mother’s Touch」のあたりが最も重要なメッセージだとすれば,これがはっきりと聞こえており,良い曲だと思う。

 

人魚姫〜mermaid(2019.4.25)

昭和63年,詞:康珍化,曲:CINDY,唄:中山美穂

 「I don’t Mind I don’t Mind きっとだきしめてくれる」

 化石人間のような私からすると,ずっと未来の歌はこんななのかと思うような歌。

 歌詞はよく聞き取れないが,英語が入っているのと,話の展開が私の予測を超えているからだろう。「雨にぬれたらわたしはただの人魚(マーメイド)」というのはどういうことなのか。「人の姿を借りて来」ているのは解るが,「ただの人魚」と言う意味は人間には及ばない存在ということで,人間に化けている狐狸の化けの皮がはげるのと同じように解釈すればいいのだろうか。

 曲は聴いた経験のない曲で,未来の曲としかいいようがない。

 ということで,曲も詞も私がこれまでに聴いて来た歌とは異質だ。

 

Marrakech〜マラケッシュ〜(2018.7.26)

昭和63年、詞:松本隆,曲:Steve Kipner, Paul Bliss,唄:松田聖子

 「黒いヴェールで顔をかくして 妖しい瞳 あなたを射る」と始まる歌。

 私には,詞,曲,歌手のマッチングがよくないように感じられる。

 マラケッシュはモロッコにある都市の名。歌詞は何とかモロッコっぽくしようとしている感じは受けるが,曲はモロッコから程遠いように感じる。私のモロッコに対するイメージが誤りなのかもしれない。その上,唄が詞にも曲にも合っていないように感じてしまう。歌詞に英語の部分があるのも気に入らない。モロッコの公用語であるベルベル語かアラビア語にすべきだろう。独立前ならフランス語あるいはスペイン語ではないのか。外国なら何でも英語で済まそうという考えが気に入らない。

 

みんなのうた(2018.11.9)

昭和63年,詞:桑田佳祐,曲:桑田佳祐,唄:サザンオールスターズ

 「愛を止めないで 君よあるがまま」と始まる歌。

 突然現れる「No, no, boy」などのように理解できないフレーズが多いので,全体の意味はよく解らないが,最後の「いつの日かこの場所で逢えるならやり直そう」などと言っていてはだめだ。誰かを慰めるためにこのような言い方をすることがあるかも知れないが,そのような機会は二度と現れないだろう。

 私が旧JISネジだとすると桑田の詞はISOネジか。一見,合いそうに見えても途中でうまく噛みあわなくなる。見慣れてくれば一見しただけでこれは合わないということが解る。

 

MUGO・ん・・・色っぽい(2014.5.30)

昭和63年,詞:中島みゆき,曲:後藤次利,唄:工藤静香

「言えないのよ 言えないのよ」と始まる歌。某化粧品会社のキャンペーン曲。

「目と目で通じ合う」という箇所が,詞・曲・歌唱ともに印象的だ。

詞はいかにも中島らしい。この詞に中島が曲をつけると,いかにも中島らしい歌ができそうだ。ところが後藤の曲は中島のイメージとは全く違う。このような組み合わせはありえないというような曲だ。これを唄った工藤がまたとらえどころがない。つまり,工藤は中島の詞を唄うのに合っていると感じる部分もあるのだが,後藤の曲を唄うのに合っていると感じる部分も持っているのだ。工藤のこの唄を聴いていて,何となく往年のDaniele Vidalを思い出してしまった。見た目は似ていないと思うし,声が似ているという訳ではないと思うが,私が感じる雰囲気が似ているのかもしれない。

私には到底思いつかないこの組み合わせを考えたプロデューサに脱帽だ。

 

You’re My Only Shinin’ Star(2018.10.12)

昭和63年,詞:角松敏生,曲:角松敏生,唄:中山美穂

 「月が波間に浮かぶと あたたかい夜が 忍んでくる」と始まる歌。

 他人の介入を拒むあるいは他人を無視した二人だけの幸せ,そのような雰囲気を醸し出している詞はアイドルソングにピッタリだ。歌唱もアイドルソングのパターンの一つになっている。悪い歌だとは思わないが,歌の魅力と中山の魅力のどちらがより強く聴衆をひきつけるかと問われると中山の魅力のほうが大きいのではないか。

 

You Were Mine(2016.6.2)

昭和63年,詞:川村真澄,曲:久保田利伸,唄:久保田利伸

「あわせた胸のあいだに 夜を落として」と始まる歌。

詞を読んでもあまり意味が解らないが,久保田の唄はもっと解らない。曲のアクセントが詞の標準アクセントと違うのではないかという気がする。久保田の唄も語頭の子音が弱いような気がしてどうもうまく聞き取れない。

30回日本レコード大賞金賞受賞曲なのだから,私の耳のほうに問題があるのだろう。

昭和末期の歌は私には聞き取れない歌がほとんどになってしまった。

 

夢おんな(2016.9.15)

昭和63年,詞:FUMIKO,曲:浜圭介,唄:桂銀淑

 「螺旋階段昇る靴音で 愛されてると感じた」と始まる歌。

 第21回日本有線大賞グランプリほか数々の賞を受賞した。第15回横浜音楽祭では演歌賞を受賞しているが,私にはこの歌を典型的演歌というにはやや抵抗がある。歌詞が演歌だと言うことには異論がない。曲も若干の違和感を持つが演歌の進化系と言っても良いだろう。ただ,編曲が演歌に聞こえず,ポップス系に聞こえてしまう箇所が多い。歌唱もポップス演歌ともいうべきように感じる。

 

夢おんな(2022.9.14)

昭和63年,詞:岡田冨美子,曲:浜圭介,唄:桂銀淑

「螺旋階段 昇る靴音で 愛されてると 感じた」と始まる。

 「お馬鹿さんよネ お馬鹿さんよネ だまされたわけじゃない」「男と女は 夢芝居」ということでほとんど言い尽くしている歌。

最後にある「夢芝居」の語感は分らないでもない。しかし,この言葉は過去に大きなインパクトを世の中に与えた歌1)に使われており,この歌のイメージが強く付いた言葉だ。同じ言葉でも,二つの歌の中での意味は若干異なっているように私には感じられるが,作詞者はどのような意図をもってここでこの言葉を使ったのだろうか。

1)「夢芝居」(昭和57年,詞:小椋佳,曲:小椋佳,唄:梅沢富美男)

 

Runner(2012.8.12)

昭和63年,詞:サンプラザ中野,曲:Newファンキー末吉,唄:爆風スランプ

 「雨を避けたロッカールームで」と始まるのだが,年老いた耳には何と言っているのか聞き取れない。はっきり歌詞が聞き取れるようになるのは「走る走る俺たち」からだ。

 素人考えだが,日本語の歌として作曲されていないのではないか。あるいは歌唱法が日本語に合っていないのではないか。この曲の前半は子音のみに強勢があり,母音の発音時間が短い印象を受ける。私の考えでは日本語は母音に特徴がある。「kmw sksh tsmt」と「iia uoi uuuie」では後者のほうが「kimiwa sukoshi utsumuite」と聞こえると思うのだがどうだろうか。英語の発音で余分な母音が入ると聞き苦しくなるが,この歌の前半では母音が過剰に短縮されているように感じる。

 詞も悪くない。曲も悪くないのだが私には十分感情移入できない。良く聞き取れる箇所の歌唱法は曲と合っていないように思えてしまう。残念ながら私にはもうロックを聴くことができなくなってしまった。私が聞き取れるロック「非情のライセンス」1)でも聴いていよう。

1)      「非情のライセンス」(昭和43年,詞:佐藤純弥,曲:菊池俊輔,唄:野際陽子)

 

ONE NIGHT GIGOLO(2016.7.11)

昭和63年,詞:藤井郁弥,曲:武内亨,唄:チェッカース

 「Kill you 金のピアスに問いかけ」と始まる歌。

 「Kill you」とはどのような意味なのだろうか。なぜ日本語で言わないのだろう。英語のnative speakerにこの言葉がどのように聞こえるのか知らないが,日本語で言いにくいから英語を使うというのなら,そのような言いにくい内容を全世界に向けて発信しようとする感覚が理解できない。

 私にはまず一つの日本語が思い浮かぶが,このような言葉を口に出すのをはばかり英語に言い換えても,次第にこれらの言葉を使っているうちに慣れてしまい,日本語で口に出すことにもためらいを感じなくなってくるのではないか。

 最初のひとことから,マイナス評価で,その後もプラス評価になることはない。この歌はGigoloであることを誇っているのだろうか。

 

One More Kiss(2020.9.8)

昭和63年,詞:NOKKO,曲:土橋安騎夫,唄:REBECCA

 「Whm… こわれた心をシーツに包んで」と始まる。

 まず,唄だが,フォーク系やアイドル系など,素人っぽく唄うのが流行なのかも知れないが,これは本当にアマチュアっぽい。ただ,最後に近い部分のシャウトはそれなりに声もでており悪くない。

 「100万ドルをつかむ夢を見ていたいの」とあるのでそういう歌かと思うと,以後は金の足のつま先は麻酔のため息」などという表現は私の内部からは決して出て来ない表現だ、

 結局,各フレーズは理解できても全体としての気持ちの流れが理解できず、私には共感できない歌。

 

目を閉じておいでよ(2013.1.21)

昭和64年,詞:いまみちともたか,曲:いまみちともたか,唄:BAEBEE BOYS

昭和64年は1月7日までの1週間しかない。8日からは平成になったので昭和64年に発売された歌はほとんどない。1989年の歌はほとんどが平成の歌ということになる。この歌は数少ない昭和の歌だ。

「“優しいだけのあいつを忘れて激しい瞬間を夢見たい夜”・・・」と始まる。「目を閉じておいでよ顔は奴と違うから」と唄う男に対して「“こんなふうにもっとへんになっちゃっていい?”」などと答える女。某化粧品のCMソングという話も聞いたが,それが本当なら,元号が変わろうかというこの時期に,この歌はいかがなものかと思う。